第6話 裏切り者の烙印


 俺は穴の中でもがき苦しむ小男を哀れんでいた。しかし、そいつは自分が袋のスズメバチという状況を理解せずに、執拗に俺を責め立てた。

 そこで、「ふふふふ。罠とも知らずにまんまとひっかかったな。飛んで火に入る冬虫夏草とはおまえのことだ」

 と言って、相手に心理的ダメージを与えた。


 しかし、小柄な探偵は、自分の力で穴からはい出ると、

「穴から出るとき、手を貸してもらおうと思ったけど、途中で手を放されるような気がするから自分で出たよ」

「どうして俺の考えていることがわかった?」

「考えてないですよね。だって、あなたは自分の考えたことを口にしているから。名前は知らなかったけど、小説みたいに独り言を言う人って、あなただったんですね。僕は元劇団員で作家見習いだったから、ちょっと真似してみたけど疲れますね」


 俺はこのとき相手のペースに引きずりこまれて、大切なことを忘れていた。

 大切なこと? 何だったんだろう。

 そうだ、思い出した。

「あれほど四つ墓村に来るなと言っただろう。どうしておまえはこの村に来た?」

「来るなと言われても、僕はこの村の人間だからどうしようもないんです」

 この村の人間? そうだった。響子からそう聞いていた。


「所長がいい年して姫路駅で迷子になって、携帯かけても出ないし。私たちも探したけど、迎えの人が来てたから、先に島に行くことにしたの。足立ねねさんの親戚の人で、金田耕作さんっていって、前は東京で劇団に所属して台本を書いていて、作家を目指してたけど、家業を継ぐので半年前に島に帰って、そこから干物作ってる。

 ねねさんから所長のことを聞いていて、かなり興味を持ったみたい。私や笠松さんから所長の特長根ほり葉ほり聞いて、小豆島を出るときには独り言を真似してた。だけど、盗作と言う名前なのに所長そのものではなく、金田一盗作というキャラ。三人称になったり、語り手を変えたり、変幻自在で所長以上にややこしかった。

 金田一盗作ってその場で作ったキャラじゃなくて。かなりの横溝ファンで、ペンネームも金田一盗作で、役者としてもその名前で舞台に出てる。和服と帽子は舞台で使った衣装。劇団やめるとき、餞別にもらったみたい。

 所長とはすれ違いになって顔を合わせなかったけど、一緒にいられたら周りが困るからちょうどよかった」

 と、私は所長に説明しましたが、てんで理解してもらえません。いつも彼はこうなんです。何ひとつ理解できない。この先彼とうまくやっていく自信がない私は、どうすればいいのでしょう。そうだ、せっかく知りあったんだから、金田一先生のところにお世話になろうかしら。


 今の響子の言葉は、地の文も含めて俺の独り言ではない。俺が次の言葉を考えている隙に金田一が強引に割り込んだのだ。


 」と、金田一は言った。


「括弧が片方しかないよ、金田一君」と俺は言った。


 その俺とは、もちろん僕金田一盗作です。


 こうして探偵同士の対決は、金田一の勝利に終わった。約束通り、負けたハードボイルド探偵は、便利屋に戻って、せっせと働いたとさ。めでたし、めでたし。


 ひとりだけでもややこしいのに、地の文を話す探偵が二人もいては、何がなんだかわからない。しかも、相手は三人称使い。この状況は俺にとって圧倒的に不利だ。

 何とかこの状況から逃れないといけない。


「あ、あんなところで犬神佐清が逆立ちしてる」

 俺はそう言って、その場から逃げ出した。


 逃げている途中であることに気付いた。

 指輪を盗んだのはあいつなのに、どうして俺が負け犬のように尻尾を巻いて逃げ出さないといけないのだろう。なにより悔しいのは、姫路駅で迷子になったのは、俺ではなく響子と笠松のほうなのに、金田一の口調に圧倒され、言い返せなかったことだ。

 いい年こいて自分が迷子になったことを認めるのが恥ずかしい響子は、俺が迷子になったと金田一に嘘を語ったのだ。


 俺が駅のトイレから出ると、二人はどこかへ消えてしまった。俺は二人を捜したが見つからない。

 二人もいて姫路駅程度で迷うような情けない彼らだが、迎えの金田一とたまたま遭遇したおかげで、俺より先に島に着くことになった。俺は地元警察の力を借りたが、ほぼ一人の力で島までたどり着くことができた。どちらが優秀かは言うまでもない。



 それから俺はすぐに島を出て、小豆島を経由して、姫路で一泊した。ひとりで冷蔵庫を空にしたので、体調を崩したが、翌日にはなんとか帰ることができた。


 今回の事件は、依頼人がいるわけでもないのに出張があり、やたらと出費が嵩んだ。

 もとはといえば、足立ねねが嘘を吐いたことが原因だ。

 響子と彼女の間に何があったかしらないが、彼女の虚偽でうちが損失を出したのは事実だ。そこで俺は、足立ねねと交渉して、響子の負け分五百万を帳消しにさせた。


「やれやれ、ようやく肩の荷を下ろしたぜ」

 俺は、ゴミ屋敷から出ると、凝りをほぐすように、肩を上下させた。

 これで事件は円満に解決した。


 それから半月ほどがすぎ、陰惨な事件の記憶も薄れ、俺達は日常を取り戻していた。


 その日の朝、笠松ビルの裏口のところにある郵便受けに、一通の封筒を見つけた。

 差出人を見ると、米国ハードボイルド協会からだった。

 中には、タイプライターで英文が打たれた一枚の用紙が入っていた。その内容は除名処分の通知だった。


「どういうことだ?」

 除名に至ったはっきりした理由が記されておらず、「この屑野郎! 二度と米国の土を踏むな」「自分が何をしたのか考えてみろ」

 などという感情的な文章が綴られていた。


 追伸の「YOU ARE A FOOL(おまえが馬鹿だ)」

 という文字を見た時は、さすがの俺も怒りを爆発させ、手紙を引き裂いた。

「ガッデム! てめえらに、バカと言われる筋合いはねえ」


 事務所の机の上で、両手で頭を抱えながら、俺は世の中を呪った。

「Mr.ハードボイルドと呼ばれた俺が協会除名。しかも理由も知らされず、一方的な通告のみ。あまりにひどすぎる。一体、俺が何をしたというのだ!」


 こういうときこそ冷静にならなければいけない。

 この時期に除名されたということは、最近の俺の行動が原因だろう。思い当たるのは四つ首塔事件だ。

 事件の流れを客観的に振り返ってみよう。


 うちの助手飯室響子と足立ねねの間にギャンブルが原因の金銭トラブルが起きた。

 ねねは響子に金を出させるため、響子が断ることを前提に、父親の郷里の島に伝わる塔籠もりの風習を誇張して、響子に長期間塔に籠もりきりになるように脅した。

 ところが俺に相談し、脱出の目処がついた響子は、塔籠もりを引き受けた。

 わざわざ島に戻るつもりのないねねは、島に住む親戚の金田に案内役を任せた。

 響子のほうもやられ放しではなく、ねねに罠をしかけるため、おもちゃの指輪を高級品と偽り、旅行に持参するとねねに吹聴した。

 ねねは、それが罠でおもちゃとわかっていたが、金田にその情報を知らせた。

 響子は、俺と笠松を伴って四つ門島に向かった。

 姫路駅で俺が抜けた後、響子と笠松、迎えの金田が行動を共にした。

 俺の特徴をねねから聞いていた金田は、響子や笠松からも詳しく聞き、自分なりのアレンジを加え、地の文を話す探偵金田一盗作として島に向かった。

 金田は、島の民宿で響子の荷物の中から指輪を盗んだ。それから響子や民宿の女将と塔に向かい儀式を済ませ、家に帰った。響子は民宿に泊まり、翌日帰った。

 遅れて島に向かった俺は、直接塔に向かったが、儀式の終わった後だった。作業を途中で投げ出し、笠松とそのまま帰った。

 響子は金田が指輪泥棒だと俺に教え、俺は再び島に行き、金田を塔に呼び寄せた。金田は金田一の設定でやってきた。

 ねねの嘘で、我がラーチャー&スミスバーニー探偵社は、無駄な旅費を使うことになり、ねねとの間に金銭問題を抱えない俺に損失が発生した。ねねは、俺への損失分の支払いをせずにすませる代わりに、響子への取り立てを放棄した。


 これのどこに問題があるのだ。誰にでも起こりうるごく普通の出来事がたまたま俺の周囲で起こったにすぎない。ハードボイルド協会の目は節穴か。


 今の俺にはこの謎は解けない。それなら名探偵パスカルに登場してもらえばいい。


「どんな困難な問題も適切な公式に当てはめれば必ず解ける」

 俺がそう呪文を唱えると数十文字の文字列が目の前に浮かび上がった。


 ………… ¢▽∂∬Å♂℃※⊆〒↑⇒∞∧∃≒‰♪¶%∴±¥☆£◎§★ゑグヰヰΨζΘΔΦυπЮЁЙ┿┻㌢㏄㍑㌘㈲℡㍼欝 …………


 そうだ。わかった。俺はとんでもないへまをしてしまったのだ。

 協会除名どころか、コルト銃で蜂の巣にされても文句がいえない。


 この一連の事件を、俺や金田が語った言葉で表現したとする。編集の仕方次第では、金田が演じた金田一盗作を、俺が演じた別キャラだと誤解されかねない。金田一盗作を怪しいと思っても犯人は俺ということになり、金田一以外に犯人がいると思うと俺は容疑者からはずされる。金田一が俺とは別人で犯人という真相には、なかなか到達できない。


 この事件には作者も読者もいないが、これでは作者が読者にしかけた叙述トリックということになってしまう。

 叙述トリックとは本格推理小説パズルストーリーの一部で使われる、文章上の仕掛けによって読者のミスリードを誘うトリックのことで、読者の先入観を利用し、誤った解釈を与える手法のことだ。簡単に言うと、文章で読者を騙すことだ。

 見事に作者に騙されたと爽快感を感じる読者もいるが、本格派ファンの間でさえ、汚い、卑怯、アンフェアだという批判もある。


 ハードボイルド小説は、謎解きに主眼をおかず、タフな私立探偵が犯人を追いつめていくさまを描き出すものだ。リアリティを重視し、本格派への対抗軸としての面もある。

 ハードボイルド協会からすれば、本格派でさえ意見の分かれる叙述トリックに手を貸した俺は裏切り者以外の何者でもない。彼らが激怒するのも当然だ。

 俺自身は叙述トリックに加担したつもりはない。第一、作者も読者もいないのだから、トリックが成立するはずもない。

 だが、非情なタフガイ揃いのハードボイルド界では、そんな甘い言い訳など通用しない。俺は生涯、裏切り者の烙印を押され、この世界の片隅でひっそりと生きることになる。


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