アエアネスの歌 - Last song Awareness -

糾縄カフク

Last song Awareness

            この世界の誰よりも私を憎み

            この世界の誰よりも私を想い

            この世界の誰よりも君を愛す



 

 王の間の扉が開く時、私は思わず歓びに打ち震えた。多分恐らく、その事を彼が知る由は無いだろう。ひび割れた剣を掲げ、り切れた衣を纏い、血走ったまなこを向ける痩躯そうくの子。在りし日の端正たんせいさは今や立ち消え、怨嗟えんさと憎悪に取り憑かれたように屍の山をひた走ってきた彼の名を……人の世ではおごそかに勇者と呼ぶらしい。


 無論、始まりはささやかな遊び心だった。幼子の分際ぶんざいで救世主を気取り、己の敗北を微塵みじんとて疑わぬ無垢むくおもて。それをほんの少しだけゆがませてやろうと――、私は旅路に石転いしころでも置けるのならば十分とばかりに、部下を送り街を襲い、彼らが健気にも奮闘する様を、魔城の玉座から嬉々ききとして睥睨へいげいしていたに過ぎなかった。


 だが殊勝しゅしょうにもとでも言うべきか。彼は一切の障害に怯む事なく、仲間と手を携えて困難を踏破した。斯くて一歩ずつ城へと近づく彼ら、一人ずつ倒れていく配下。――そして日に日に逞しくなっていく……無垢だった少年。


 それらの光景を目にするうち、私は胸に棘の刺さるような違和に苛まれた。彼の側にはいつだって誰かが居る。――仲間が、親友が、恋人が、家族が……笑い、慰めあい、共に肩を並べ艱難辛苦かんなんしんくを乗り越える様に、なぜだか私は、酷い苛立ちと焦燥しょうそうを覚えるようになった。


 或いは予定調和が覆された腹ただしさか。――なにせ生まれてこの方、思い通りにならなかった事など無い私だ。ならばここは一つ遊興と、私は彼の、周囲を取り巻く有象無象を排除する事にした。




 ……先ず私は、彼の友人を血祭りにあげた。戦士として故郷から着いてきた竹馬ちくばの友。その命が無残にも奪われる様に、彼が叫び戦慄おののくのが堪らなく楽しかった。――けれどそれでも、彼の歩みは止まらなかった。


 次に私は、彼の故郷を焼き払った。悲報を聞き舞い戻った彼が、己の無力に打ちひしがれるのは、感極まる歓喜だった。――にも関わらず、彼はなお、私の待つ城へ進み続けた。


 最後に私は、彼の伴侶を犯し殺した。配下の巨人を使い、原型を留めぬ程に蹂躙じゅうりんされた恋人の遺骸いがいに、絶望し髪の色すらも白く変わる彼。――嗚呼いよいよこれで終わりかと思うも、彼は一層の憎悪を糧に、たゆむ事なく魔城を目指した。




 彼はますます強くなった。何が彼を支えるのか分からぬ程に膂力りょりょくは増し、配下は次々と屍に変わっていった。巨人も、魔神も、腹心の部下すらも――、誰一人として彼には敵わなかった。


 刻一刻と近づく、彼と私の対峙。彼が城門まで差し迫った時、兼ねてよりの宰相が耳元で奸計かんけいを囁いた。それは確かに、非常なまでに合理的ではあったが、私はわずらわしいとその首を刎ねた。――これから訪れる時間を、何人にも邪魔されるのが嫌だったからだ。


 全くもって不思議な事に。彼に寄り添う人間が一人ずつ減る毎に、私を取り巻く忠臣が一人ずつ減る毎に……私は湧き上がる胸の高鳴りを抑えられずにいた。――彼が来る。遂に彼がやって来るのだ。そう思った私は、玉座で待つのが馬鹿馬鹿しく席を立った。


 かつてない強敵の襲来。或いは私は、その日の到来を希っていたのかも知れない。幾星霜にも及ぶ退屈な玉座の時。餌である人間が増え過ぎぬように間引きをし、管理するだけの欠伸の出る日々。そんな千秋の繰り返しに終焉を齎したのが、他ならぬかの少年だ。


 彼ならばもしかすると、私の心の空白を埋めてくれるかも知れない。血湧き肉躍る戦いを、私に味わわせてくれるかも知れない。死んだ魔族はまた産めばいい。だがあんな人間は、もう二度と生まれては来ないだろう。だから私は両者を天秤に掛け、代わりの効くものを切って捨てたのだ。――きっとそうに、違いない。

 

 斯くて客間を掃除し、料理を用意し、剣を磨き、髪を整え、僅かばかりの化粧を施し……私はありとあらゆる準備を終え、そうして王の間に戻ってきた。私は彼と会うのが楽しみで楽しみで――、だからほんの数刻前まで冷え切っていた氷の如き心は、しとどを濡らし初夜を待つ乙女のように昂ぶっていた。




 ――そこに配下はもういなかった。逃げる者は逃げ、戦う者は戦い、ぼろ布のように彼に散らされた。彼は雑草の如き雑兵に些かの興味を示す事もなく、淡々とこの場所だけを目指してくる。


 今や一切と合切を奪われた彼には、きっと私への憎しみ以外の感情は残されていないだろう。――そしてこの場所には、もう私と彼の二人だけしか、あり得ようも無い筈だ。


 ギイと開く扉。待ちわびた顔……憎悪、宿怨。赤く血走って、獲物だけを見据える真紅の瞳。――ようこそ、ようこそ……ずっと待っていました、私は、貴方を。私は溢れ出る想いに抗う事が出来ず、そう内心で呟いて彼を迎える。


 挨拶も無く、名乗りも無く、一瞬で詰められる間合い。――振り上げられる刃。辺りに舞う血。――赤、赤、赤……彼がここに至るまでに築いてきた屍山血河しざんけつがを、凝縮したように鮮烈な赤。しかして私と彼の間には、私の望んでいたような言葉は紡がれなかった。


 これまで誰からも向けられた事の無い鋭利な厭悪えんおが右肩を掠め、そうして私は生まれて初めて血を流す。――赤かった。私の血は、赤かった。彼と同じに……そう、彼と同じに!! 滑稽に空を切る反撃を他所に、私はその事が嬉しくて堪らなかった。


 それからの彼は、一心不乱に叫び、唸り、獰猛な獣のように連撃を打ち付け続けた。千年に及ぶ時の中で、始めて出逢えた殴り合える相手。よくも人の身でここまで鍛え上げたものだと、私は祝いで感嘆する。


 だが……にも関わらず、虚しい。此処に願いは結ばれた筈なのに。この瞬間こそが至福である筈なのに。私の心中には寒風が吹き荒れ、幾重にも切り刻まれる肢体が、血と共に体熱を奪っていく。


 私が水晶から覗いていた彼は、果たしてこんな形相をしていたろうか。仲間と共に語らい、笑い合い、抱きしめ合い、朗らかな笑顔を見せていたのではないのか。だから私は、あの者たちが羨ましくて、妬ましくて、あの笑顔を独り占めにしたくて……


 ――ああ、奪ってやった。

 犯し喰らい嬲り殺し、焼き払って全てを奪った。だって私はずっと彼を見ているのに、彼がこれっぽっちも私の事を見てくれなかったから。そうすれば、きっと彼は、私だけを見てくれると思ったから……


 そして願いは叶った。彼は私だけを思い、私だけを見つめ此処まで来た。――だけれど、違った。私は望んではいなかった。彼と斬り合う事を。彼と殺し合う事を。私の望みは……違った。でも……ああ当然か。そうなる訳は……ないのか。彼が微笑む訳はない。笑ってくれる訳はない。私と肩を並べて、語り合ってくれる訳が、ない。


 ドサリと落ちる身体の、喉元に突きつけられる鋭い切っ先。――ええとあれ、こんなにも私ってば弱かったかなと……ふと思い、そもそも彼を憎んですらいないのだから当然かと、一人で得心し頷く。殴れる訳がない。殺せる訳がない。だって私は、私は――、あなたの……ことを。


 ヒューヒューと鳴る喉の音。鈍色に染まる視界の先では、彼がこれまで見たどんな魔獣よりも歪んだ顔つきで、私の事を見下ろしている。……訪れるであろう死の恐怖よりも、彼が向けるその表情が余りにも悲しくて――、私は笑って、笑ってそして、ようやっと気づいた。


 ――汗を流した彼の側で、朗らかに笑いたかった。眠りこける彼の肩に、そっと毛布をかけてあげたかった。疲れて帰ってきた彼に、とびきりの料理をご馳走してあげたかった。


 ……ああ、私の願いとはそんなものだったか。今更の馬鹿げた真意に呆れ返る間にも、グサリと心の臓を貫く音がして、私はせめて、せめて彼の頬にだけでも触れようと手を伸ばす。だけれどそれもぴしゃりと払い落とされ、私は私の、訪れる終わりを漫然と感じとった。


 閉じゆく意識。彼の口がゆっくりと動いて、何かを告げている。その言葉を聞き取れないのが妙にもどかしく……だけれどきっと、それは彼が愛した者の名前なのだろうと……今ならば分かると、諦める。――そこに私の居場所はない。彼が想う景色の中に、私が居ていい筈がない。


 幸せを壊してしまってごめんなさい。もっと早く殺されてあげなくてごめんなさい。生まれてきて、ごめんなさい。……だけれどもし生まれ変わる事があるのなら――、その時は、その時は。


 あはは……そんな事はあり得ないよねと内心で零しつつ、私の世界は黒く終わった。




 この物語は、水晶に刻まれた遠い記憶。

 それを覗いた者が遺した、朽ちた昔日。


 誰がそれを見たのだろう。

 誰がそれを知るのだろう。


 破れかけた写本の側には、折れた剣と錆びた鎧。

 遅すぎた真意アエアネスの墓標に、同じだけの愛と憎悪を。

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