アエアネスの歌 - Last song Awareness -
糾縄カフク
Last song Awareness
この世界の誰よりも私を憎み
この世界の誰よりも私を想い
この世界の誰よりも君を愛す
王の間の扉が開く時、私は思わず歓びに打ち震えた。多分恐らく、その事を彼が知る由は無いだろう。ひび割れた剣を掲げ、
無論、始まりは
だが
それらの光景を目にするうち、私は胸に棘の刺さるような違和に苛まれた。彼の側にはいつだって誰かが居る。――仲間が、親友が、恋人が、家族が……笑い、慰めあい、共に肩を並べ
或いは予定調和が覆された腹ただしさか。――なにせ生まれてこの方、思い通りにならなかった事など無い私だ。ならばここは一つ遊興と、私は彼の、周囲を取り巻く有象無象を排除する事にした。
……先ず私は、彼の友人を血祭りにあげた。戦士として故郷から着いてきた
次に私は、彼の故郷を焼き払った。悲報を聞き舞い戻った彼が、己の無力に打ちひしがれるのは、感極まる歓喜だった。――にも関わらず、彼はなお、私の待つ城へ進み続けた。
最後に私は、彼の伴侶を犯し殺した。配下の巨人を使い、原型を留めぬ程に
彼はますます強くなった。何が彼を支えるのか分からぬ程に
刻一刻と近づく、彼と私の対峙。彼が城門まで差し迫った時、兼ねてよりの宰相が耳元で
全くもって不思議な事に。彼に寄り添う人間が一人ずつ減る毎に、私を取り巻く忠臣が一人ずつ減る毎に……私は湧き上がる胸の高鳴りを抑えられずにいた。――彼が来る。遂に彼がやって来るのだ。そう思った私は、玉座で待つのが馬鹿馬鹿しく席を立った。
かつてない強敵の襲来。或いは私は、その日の到来を希っていたのかも知れない。幾星霜にも及ぶ退屈な玉座の時。餌である人間が増え過ぎぬように間引きをし、管理するだけの欠伸の出る日々。そんな千秋の繰り返しに終焉を齎したのが、他ならぬかの少年だ。
彼ならばもしかすると、私の心の空白を埋めてくれるかも知れない。血湧き肉躍る戦いを、私に味わわせてくれるかも知れない。死んだ魔族はまた産めばいい。だがあんな人間は、もう二度と生まれては来ないだろう。だから私は両者を天秤に掛け、代わりの効くものを切って捨てたのだ。――きっとそうに、違いない。
斯くて客間を掃除し、料理を用意し、剣を磨き、髪を整え、僅かばかりの化粧を施し……私はありとあらゆる準備を終え、そうして王の間に戻ってきた。私は彼と会うのが楽しみで楽しみで――、だからほんの数刻前まで冷え切っていた氷の如き心は、しとどを濡らし初夜を待つ乙女のように昂ぶっていた。
――そこに配下はもういなかった。逃げる者は逃げ、戦う者は戦い、ぼろ布のように彼に散らされた。彼は雑草の如き雑兵に些かの興味を示す事もなく、淡々とこの場所だけを目指してくる。
今や一切と合切を奪われた彼には、きっと私への憎しみ以外の感情は残されていないだろう。――そしてこの場所には、もう私と彼の二人だけしか、あり得ようも無い筈だ。
ギイと開く扉。待ちわびた顔……憎悪、宿怨。赤く血走って、獲物だけを見据える真紅の瞳。――ようこそ、ようこそ……ずっと待っていました、私は、貴方を。私は溢れ出る想いに抗う事が出来ず、そう内心で呟いて彼を迎える。
挨拶も無く、名乗りも無く、一瞬で詰められる間合い。――振り上げられる刃。辺りに舞う血。――赤、赤、赤……彼がここに至るまでに築いてきた
これまで誰からも向けられた事の無い鋭利な
それからの彼は、一心不乱に叫び、唸り、獰猛な獣のように連撃を打ち付け続けた。千年に及ぶ時の中で、始めて出逢えた殴り合える相手。よくも人の身でここまで鍛え上げたものだと、私は祝いで感嘆する。
だが……にも関わらず、虚しい。此処に願いは結ばれた筈なのに。この瞬間こそが至福である筈なのに。私の心中には寒風が吹き荒れ、幾重にも切り刻まれる肢体が、血と共に体熱を奪っていく。
私が水晶から覗いていた彼は、果たしてこんな形相をしていたろうか。仲間と共に語らい、笑い合い、抱きしめ合い、朗らかな笑顔を見せていたのではないのか。だから私は、あの者たちが羨ましくて、妬ましくて、あの笑顔を独り占めにしたくて……
――ああ、奪ってやった。
犯し喰らい嬲り殺し、焼き払って全てを奪った。だって私はずっと彼を見ているのに、彼がこれっぽっちも私の事を見てくれなかったから。そうすれば、きっと彼は、私だけを見てくれると思ったから……
そして願いは叶った。彼は私だけを思い、私だけを見つめ此処まで来た。――だけれど、違った。私は望んではいなかった。彼と斬り合う事を。彼と殺し合う事を。私の望みは……違った。でも……ああ当然か。そうなる訳は……ないのか。彼が微笑む訳はない。笑ってくれる訳はない。私と肩を並べて、語り合ってくれる訳が、ない。
ドサリと落ちる身体の、喉元に突きつけられる鋭い切っ先。――ええとあれ、こんなにも私ってば弱かったかなと……ふと思い、そもそも彼を憎んですらいないのだから当然かと、一人で得心し頷く。殴れる訳がない。殺せる訳がない。だって私は、私は――、あなたの……ことを。
ヒューヒューと鳴る喉の音。鈍色に染まる視界の先では、彼がこれまで見たどんな魔獣よりも歪んだ顔つきで、私の事を見下ろしている。……訪れるであろう死の恐怖よりも、彼が向けるその表情が余りにも悲しくて――、私は笑って、笑ってそして、ようやっと気づいた。
――汗を流した彼の側で、朗らかに笑いたかった。眠りこける彼の肩に、そっと毛布をかけてあげたかった。疲れて帰ってきた彼に、とびきりの料理をご馳走してあげたかった。
……ああ、私の願いとはそんなものだったか。今更の馬鹿げた真意に呆れ返る間にも、グサリと心の臓を貫く音がして、私はせめて、せめて彼の頬にだけでも触れようと手を伸ばす。だけれどそれもぴしゃりと払い落とされ、私は私の、訪れる終わりを漫然と感じとった。
閉じゆく意識。彼の口がゆっくりと動いて、何かを告げている。その言葉を聞き取れないのが妙にもどかしく……だけれどきっと、それは彼が愛した者の名前なのだろうと……今ならば分かると、諦める。――そこに私の居場所はない。彼が想う景色の中に、私が居ていい筈がない。
幸せを壊してしまってごめんなさい。もっと早く殺されてあげなくてごめんなさい。生まれてきて、ごめんなさい。……だけれどもし生まれ変わる事があるのなら――、その時は、その時は。
あはは……そんな事はあり得ないよねと内心で零しつつ、私の世界は黒く終わった。
この物語は、水晶に刻まれた遠い記憶。
それを覗いた者が遺した、朽ちた昔日。
誰がそれを見たのだろう。
誰がそれを知るのだろう。
破れかけた写本の側には、折れた剣と錆びた鎧。
アエアネスの歌 - Last song Awareness - 糾縄カフク @238undieu
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