彼女たちの不幸を知れたことが幸福だと思ってしまった

いい話を読むと疲れる。
今、サンマルクカフェの椅子の上で、脱力しています。

この話の登場人物は、皆、自分の幸福の追求(凄い宗教的ですが)よりも、他人の不幸がそのまま自分の幸福になるような底意地の悪いタイプ。
高度経済成長期という、モノや生活が豊かになっていく過程を体験していながら、精神的な部分では発展のない環境。いわば、逆三丁目の夕日。

この作品は徹底して不幸を書いていて、胸糞悪い描写が続きます。平坦な日常。
キャッチコピーで“誰も読まない、いや、読まない方がいいかもしれない…。”とした理由も頷けます。

しかし、なぜか僕は、彼女たちを嫌いになれなかった。なぜなら、彼女たちの生活があったから。彼女たちの人生に呑まれてしまったから。
そして、僕の潔癖ともいえる善人主義を変えてしまった。こうあってもいいのかと思えた。面白かった。

以下、2023年2月8日追記

最後まで読んで、大分時間が経って、やっとこの胸の奥にある支えがとれたのでレビューを編集します。
賢明な人なら、割れた鏡なんて持たずに捨てると思います。危ないし、持っている意味もないので。
それでも、人間なら生きている以上、どうしても捨てられないものもあります。それこそ家族とか。
以前、彼女たちを嫌いになれなかったと書きましたが、そんなモノ、当事者じゃないから言えたことで、当事者としては嫌いな人とどう付き合うか。そして、嫌いな人と付き合う自分とどう向き合うか考えなければなりません。
前半から中盤にかけての徹底的なアイコいじめは、終盤の説得力に全部を注ぎ込んでいます。人間って、生きているだけで面倒くさいんだな、と。改めて、爛流。さんの熱量に敬服します。

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