第5話 対決

 一方、一花と諒が神域で、神との邂逅を果たしていた頃、いずことも知れぬ深い闇の淵に、いくつかの黒い影が蠢いていた。

 そこは、床も壁も、さらには天井も、黒光りする大理石で出来ている、かなり広い空間だった。壁には点々と燭台が掛けられ、どこからか僅かに風が流れ込んできているのか、蝋燭の灯が、ゆらゆらと揺らめいていた。そして、その灯りは、不気味な黒い影を大きく床に投げかけていた。影を形作っているものが動くたびに、その影もまた奇怪な生き物ででもあるかのように、もぞもぞと醜悪な化物じみた体を擡げようとしているかのように見えた。

 その部屋の中央には、これまた、黒い黒曜石でできた、縁に奇妙な図柄が彫刻された長い机と、背もたれに禍々しさを感じさせるような透かし彫りが施された数脚の椅子が置かれていて、そこに影の主らが座していた。

 影の主は十体あった。長机の奥の中央に一体、その両側に四体と五体。両側の計九体は、黒いフード付きの外套を着ていて、顔の部分はフードの影になって見えなかった。奥の一体については、外套は着ていないようだったが、蝋燭の灯りが届かず、全体が影のように暗く、その様子を窺い知ることはできなかった。

 五体が座している側の一番奥の一体が、机の上にあった細長いグラスを掲げ、言葉を発した。

「我らが主に、常闇を」

 すると、奥の外套を被っていない一体以外が、それに倣ってグラスを掲げた。そして、それらはグラスの中の、血が固まったような赤黒っぽい色の得体の知れない、どろっとした液体を飲み干した。

 そのしばらく後、部屋の手前にある扉が、ゆっくりと重苦しい音を立てながら開いた。そこから現れたのは、東の公爵アガレスだった。

 アガレスは部屋に入って片膝をつき、目線を床に落とした。彼は一花らと接している時とは、まるで別人のように、緊張した面持ちをしていた。

「我が主と、九王に、ご報告申し上げます」

「ねえ、そんなに畏まらなくてもさあ、席に着けばぁ」

 影の主の一体が言った。

「いえ、滅相もございません。王と同席に着くなどとは・・・」

「相変わらず固いなぁ」

 さきほど発言した影が、けらけらと笑った。

「まあ、あまりいじめるのはおよしよ。べレス」

「シトリー、今は女なの?」

「さあ、どっちだろうね」

 シトリーと呼ばれた影は、最初は女の声の様だったが、次は男と女の両方の声を合わせたような声音で答えた。

「人間臭いな、アガレス」

 また、別の影がアガレスに声を掛けた。

「申し訳ございません」

 それからも影達は、がやがやと好き勝手な会話に興じていた。アガレスは、押し黙ったまま、これらのやり取りが終わるのを、ただじっと我慢強く待っているようだった。

「バイモン」

 そんな影の中で、ずっと沈黙していた最奥の一体が一言発した。すると、騒がしかった場が、一瞬で静まり返った。そして、奥の一体の最も手前に座していた、こちらもほとんど言葉を発していなかったバイモンと呼ばれた一体がアガレスに声を掛けた。

「アガレス、状況を報告せよ」

 アガレスは、忘れ去られたのではないかという不安から解放され、勢い込んで、これに答えた。

「はっ、富士の方は、いくつか問題がありましたが、現在、結界破壊の準備は順調に進んでおります。そして・・・、例の器は覚醒しました」

「ほう、して?」

「禍津が現れ、何処かへ転送した模様。恐らく神域に飛んだのではないかと」

「なるほど。少々厄介だな。しかし、大した問題でもあるまい。貴様は引き続き、富士の方を推し進めよ」

 アガレスに声を掛けた一体は、終始穏やかな口調で話した。

「はっ」

 アガレスは短く答え、さっと逃げるように部屋から退室した。

 先の一体は、さらに続けて言った。

「では、諸兄らも、手筈通り各地へ飛び事を進めよ」

 黒い影どもは、特に何も応えず、ただ、ゆらゆらとした影を床に落としているだけだった。やがて、その影も消え、部屋には机と椅子以外に何もなく、蝋燭の灯もふっと消え、そこには真の暗黒が訪れた。

 また、それと同じ頃、一条家の屋敷の離れにて、一花の執事兼秘書である新宮康守は、沈痛な面持ちを隠せないでいた。彼は部屋に一人であったから、心情を隠す必要がなかったということもあるが。彼は、一花とアガレスの闘いの一部始終を、庭の陰から見ていた。しかし、彼は、その点に関して、何が起こっているのかわからずに、動転しているわけではないようだった。

 彼は、一条家の離れの部屋の一室にいた。落ち着いたインテリアで、住まう場所と言うよりも、書斎のような趣の部屋だった。彼は、机に置いてあった写真立てを手に取った。そこには、一条家と新宮家が揃って写った写真が収めてあった。

「旦那様、奥様、その時が来たようでございます。何ゆえ一花お嬢様が、このような運命を背負わねばならないのでしょう。一花お嬢様に降りかかる火の粉は、全て私めが取り除いて差し上げたいとの所存でございましたが、私も年には勝てませぬ。そして、私にはやはり何の兆候もございませんでした。そのかわり、麗華は十分に役立てるよう育て上げました。それに、徴も顕れております。必ずや一花お嬢様のお役に立てることでしょう。私は私の役割を全う致します」

 そう呟いて、彼は電話を手に取った。彼が電話を掛けると、それは、すぐに繋がり、受話器から大きな声が聞こえた。

「新宮か!今は、とんでもなく忙しい!今朝のニュース見ただろう!大地震だ!さっき、首相官邸に大規模災害対策本部が立ち上がった!今、官邸に向かっているところだ!しかし、こんな際に、電話をしてくるということは・・・、何かあったのだな?」

 勢いよく少し早口で、受話器から聞こえてきた声は、しかし、最後の方は、かなり慎重な様子で、声音も小さくなった。受話器の向こう側は、現官房長官兼防衛大臣の一条義貴であった。彼は一花の伯父にあたる一花の父の弟だった。一条家は経済界のみならず、政界においても強い影響力を持っていた。

「お察しのとおりでございます」

「そうか。兄から聞いていた漠然とした母の話の全てを、信じていたというわけではなかったが。あれは本当なのだな」

 先程の勢いはなくなり、落ち着いた口調で義貴は言った。

「はい」

 短く康守は答えた。

「わかった。私が防衛大臣の任を受けている時に、このような状況になったというのも因果と言わねばなるまい。まだ、何が出来るのか見当がつかんが、そのような事態に備えて組織していた『防衛省特殊事象対策課』を動かそう」

「有難うございます」

「いや。では、な」

 康守は電話を切り、黒塗りのリムジンの中で、深く溜息をつき、ややたっぷりとした顎をさすった。

「まさか、あの連中を実際に動かす日が来ようとは・・・」

 慌ただしく電話がツーっと切れた後、康守は一旦受話器を置いたが、すぐにまた別の相手に掛け直した。少しの呼び出し音のあと、それは答えた。

「・・・・・・」

「麗華、心して聞け。一花お嬢様をお守りせよ」

「・・・・・・」

 かくして、様々な場所で事態は動き始めていた。


 防衛省防衛研究本部技術開発部特殊事象対策課資料管理室、要するに組織の末端であるそこは、新宿にある防衛省の数棟ある庁舎の中でも、最も古く最も低い建物で、周囲の高い庁舎の影になって、ほとんど日が当らない場所にあった。表向きは防衛省図書・資料保管棟と表示されており、防衛に関する資料の保管管理が主な任務である。その建物の一角、特殊事象対策課資料管理室と筆で書かれた板が、両開きの古めかしい扉の脇に掛けられていた。黴臭く埃っぽい部屋には、段ボール箱が雑然と積まれ散らかっていた。その部屋の奥に、紫煙がたゆたっていた。そこには、三十代後半ぐらいに見える痩身の無精髭を生やした男が、椅子に深く腰を落として、煙草を燻らせていた。彼は、煙草を口の端に咥えながら、片目を瞑って、熱心に紙飛行機の重心を整えていた。

「室長、何度も言いますけど、ここ禁煙ですよ」

「そうやったねえ」

 室長と呼ばれた男の机には、首から下げる紐の付いたネームカードが無造作に放り出されていた。そこには、特殊事象対策課資料管理室室長、葛城剛と書かれていた。

 葛城剛に声を掛けたのは、二十代と見られる眼鏡が似合う女性だった。目元の泣きボクロが色っぽさを上げている。彼女は首からネームカードを下げ、胸元のポケットにきちんとクリップで止めていた。そこには、特殊事象対策課資料管理室副室長、瀬織由美子と書かれていた。

 どちらの口調も関西訛りだった。

 瀬織由美子は、眼鏡の奥から、葛城を睨みつけた。

「こわい、こわい、相変わらず硬いなあ、由美ちゃんは。どうせ誰も見てへんし」

「見られているかどうかは関係ありません。私が、嫌や、ゆうてるんです。もう何回も、何回も、ゆうてるやないですか」

「はい、はい、ほな、ちょっと外に行ってこようかね」

 葛城は紙飛行機を飛ばし、煙草を灰皿に押し付けた。紙飛行機は、ふらふらと部屋を旋回し、瀬織の額にこつんと当たって落ちた。瀬織は鋭い目をさらに怒らせて、机に落ちた紙飛行機を握りつぶした。

「あああ、俺の愛機が」

 葛城は、さして残念がっているようでもなく気の抜けた声音で言った。それを見て、瀬織は、さらに苛立った様子を見せ、握りつぶした飛行機を引きちぎった。葛城は、これ以上、彼女を怒らせると、さすがにまずいと思ったのか、さっと立ち上がって、片手で拝む格好で頭を下げた。

「すまん、すまん」

「・・・」

「今朝の地震で、本舎は上を下への大騒ぎの様子やけど。いやあ、うちは今日も平和ですな。良い天気やしな、本官は、ちょっと外をパトロールして参ります」

 そう言って、葛城は瀬織に敬礼し、そそくさと机に置いてあった煙草とライターをくたくたなシャツの胸ポケットに突っ込んだ。

「・・・どうせまた、夕方までパチンコで帰ってけえへんのでしょう。いくら特殊な事情で雇用されてるゆうても、何でクビにならへんのか、ほんまに不思議です」

「ははは・・・、ご冗談を」

 乾いた笑いで葛城が応じた、その時、彼の机上にあった電話が鳴った。今時珍しい黒電話だ。それはリンリンと耳障りな音を立てていたが、葛城は驚いた表情で、電話を凝視していて受話器を上げようとせず言った。

「な、鳴らずの電話が、ゆ、由美ちゃん、取ってよ」

「なんで、私が・・・」

 瀬織は、しぶしぶといった様子で立ち上がり、なおも鳴り続けている電話機を黙らせた。

「はい。防衛省資料管理室・・・」

「・・・」

「はい。おります。少々お待ち下さい」

 瀬織は、通話口を抑えて、小声で葛城に伝えた。

「何しはったんですか?大臣からです。一条防衛大臣からですよ。いよいよクビですかね」

「ははは・・・、ご冗談を」

 そう言って、葛城は瀬織が差し出した受話器を恐る恐るといった様子で受け取った。

「代わりました。葛城です」

「・・・」

「はい」

「・・・」

「承知しました」

 葛城は、短い応答のあと静かに受話器を置き、胸ポケットにしまった煙草とライターを取り出し、煙草に火をつけて、いつになく真剣な眼差しを瀬織に向け言った。

「クビの方がマシやったかもな。平和な日々ともお別れか。由美ちゃん、みんなを集めてくれる?」

 瀬織は、また煙草に火をつけた葛城に非難の眼差しを向けつつも、彼のいつになく真面目っぽく見える表情に押され、素直な返答をした。

「・・・了解です」

 そうして瀬織は、しかし、どこかへ電話を掛けるでもなく、メールを送信する為にパソコンの前に座ったわけでもなく、ただ目を閉じただけだった。しばらく彼女は、そのままの状態で、葛城の方はというと、ただ煙草をふかしているだけだった。そして数分して、瀬織はゆっくりと目を開けた。

「だ、か、ら、禁煙や、ゆうてるでしょう」

 瀬織は、葛城が、この日、何本目かの煙草に、また火をつけようとしたのを、咥えていた口から奪い、握りつぶした。

「ああっ。また値上がりで一本二十五円もするんやで。優良納税者をもっと大事にせなあかんわ」

 葛城は、瀬織がつぶして、ごみ箱に投げ捨てた煙草を拾い、元のとおりに伸ばそうと努力しながら、ぶつぶつ言った。

「税金泥棒が、どの口で言ってはるんですか?ふざけないでください」

 瀬織は腕組みして、威嚇するように葛城の顔をねめつけたが、葛城の方は平気な顔で、未練がましく、ひしゃげた煙草を丁寧にまっすぐに整えていた。

「で、連絡はとれたん?」

「ええ。全員とコンタクト取れました」

「やっぱり、便利な能力やなあ。けど、どこにおっても繋がるゆうのも困るなあ。残念やけど、やっぱり奥さんにはでけへんわあ」

「誰が、いつ、奥さんにして欲しいとかゆうたんですか?天地が逆転しても、そんなことには、決して、なりませんので、ご安心ください」

 瀬織は、冷やかに、言葉を区切って強調しながら言った。

「冷たいなあ、で、みんな来れそうなん?」

「ええ。ご承知のとおり、出雲から事前に連絡があったので、皆さん東京に集まってもらっていましたから、一時間もせずに全員揃うと思います」

「ほな。みんなが来るまで、ちょっと一服しとくわ」

 そういって葛城は、瀬織に折り曲げられた煙草を器用に復元し、耳に挟んで、ライターを持って外に出て行った。

「どんだけ一服するんですか。はあ。ほんま緊張感のない人やわ」

 瀬織は机に左肘をつき、頬に左手を当てて、右手の指で机をとんとんと鳴らしながら、恨めしそうに葛城が出ていった扉を眺めていた。


 この件に関連していると思われる事柄について、出雲大社から、ひと月ほど前に連絡があり、特殊事象対策課資料管理室の各地方担当嘱託室員の面々は、人知れず東京に招集されていた。

 およそ一月前、出雲大社、社殿の奥まった一角で、肩よりも少し長い髪を後ろに束ね、前髪を日本人形のように眉の少し上で切り揃えた若い巫女が座し、祈祷を行っていた。彼女の前には護摩木がくべられ炎がめらめらと立ち上っており、時折ぱちぱちと爆ぜる音を立てていた。厳かな祈祷は、突如、一際大きく燃え上がった炎と共に終焉を迎えた。目を閉じていた巫女は、スローモーションのように、ぱたりとその場に倒れ、周囲にいた数名の巫女が慌てて駆け寄った。

「静香様!」

「あ、ああ、大丈夫です。ごめんなさい」

 倒れた巫女、稲田静香は意識が飛んだのは一瞬だったようで、抱き起してくれた巫女たちに静かに応えた。

「いえ、大丈夫ではないかもしれません」

「??」

 彼女は細目だが、彼女なりに精一杯に目を見開いたように見えた。

 周囲の巫女の一人が心配そうに声を掛けた。

「お告げ、ですか?」

「ええ、困りましたわね、どうしましょう」

 抑揚のない、困っているようにはとても思えない喋り方であったが、彼女は困惑の表情を浮かべ、何やら落ち着きなく慌てている様子であるようにも見えた。普段の彼女を良く知るに者にとっては、その稲田静香の微妙な表情などの変化は、かなり劇的なものであったらしく、周囲の巫女らは一様に動揺しているようだった。彼女は立ち上がろうとして、自らの袴の裾を踏み、前につんのめって転びそうになったが、危ういところで巫女らに支えられた。そして、その場で思案するように、まるで小動物が周囲の気配を探っているかのごとく、ゆっくりと右を向いたり、左を向いたりを繰り返していた。そのたびに巫女らも同じように左右を向き、無関係の者がそれを見ていたら大層滑稽な状況であった。しかし、すぐに稲田静香は何かに思い至った様子で、彼女にしてみれば足早にその室から出ようと出口に向かおうとして、また袴の裾を踏み、つんのめったが、今度は巫女らの支えを要さずに何とか自分で立ち直り、出口に向かって今度は慎重に歩き始めた。巫女らはその様子を、はらはらしながら見守りつつ、彼女のあとに続いていった。彼女は控えの間らしき部屋に行き、自分のバッグから携帯電話を取り出した。

「えっと、どうしたらよかったのかしら、電話帳、電話帳、せ、せ、ですわ、せおりさん、ありました、あっ、消えてしまいましたわ、もう一度・・・」

 いかにも使い慣れておらず最新機器には疎い年寄りのように、彼女は携帯電話を扱い、それでも何とか電話を掛けることに成功したようだった。そして、数回の呼び出し音の後、電話は無事に繋がった。

「はい、瀬織です」

「あ、あの、稲田です、お久しぶり、でもないですわね、えっと、こんにちは、あ、あれ?今何時でしたかしら?こんばんは?」

「ど、どないしたんですか?なんか悪いもんでも食べはったんですか?」

「い、いえ、あの、その・・・」

「ちょっ、落ち着いて、まずは大きく深呼吸しましょうか、ねっ」

「わかりました、では」

 電話の相手、防衛省特殊事象対策課資料管理室副室長の瀬織由美子の提案どおり、稲田静香は受話器越しに深呼吸をした。それは明らかに功を奏したようだった。

「瀬織さん、ごきげんいかがですか?」

「い、いや、こっちのセリフなんやけど」

 とは、電話を口から外して、小声で突っ込んでから、瀬織由美子は答えた。

「ええ、こちらはいつものごとく、煙たい上司の世話が大変なぐらいで平穏無事ですよ、稲田さんはどないですか?」

 瀬織由美子は資料管理室で、この電話を受けており、葛城剛もいたので、そちらを睨みつけながらわざとらしく言った。葛城剛は、何となくバツが悪そうに、火を点けようとした煙草を一旦箱に戻した。

「そうですか、こちらはちょっと困ったことがありましたの、あまり良くないお告げがあったのです」

「そ、そうなんですか、どんなお告げですか?」

「はい、大きな禍々しい凶星がたくさん空に見えました。数えきれませんでしたが、五十以上はあったかと思います。その中でも一際大きな禍々しい星が中心にあって、その周りに九つの大きな星があり、それらは日本に降り注ぎました。そして、そのうちの一つが富士へと落下しました。そのあと、噴火が起こったようです」

「・・・それは恐ろしい」

「はい、かつてない凶兆を感じます」

「わかりました。葛城室長に相談します。また追って連絡します」

「はい、よろしくお願いします、では」

 葛城剛は、心配そうにでもなく、いつもの半眼で、電話へ応答している副室長の方を、ぼんやりと眺めていた。

「どないしたん?」

「はい、出雲の稲田さんからで、悪い予知があったそうです」

 瀬織由美子は、稲田静香から聞いた話を葛城に伝えた。

「ふーん、ちょっと尋常やなさそうやね」

「どうしますか?」

「とりあえず、みんなにこっちに来てもらっとこか?由美ちゃん連絡しといてくれる?そうや、暑気払いも兼ねて企画してな」

 葛城剛は、乾杯する仕草を瀬織に見せて言った。

「・・・」


 そして、瀬織由美子が室員達を招集するためにコンタクトを取ってから、一時間ほど経過した、防衛省防衛研究本部技術開発部特殊事象対策課資料管理室は、賑やかだった。

「おっはよー。由美ちゃんに静香ちゃんに咲ちゃん、元気ぃー」

 特殊事象対策室の扉を勢いよく開いて、開口一番、元気な声を上げアイドルがよくするようなポーズを決めたのは、学生服風のひらひらした装いをして、髪を頭の両側に束ねた可愛らしい少女だった。

「まあ、宮比さん、いつも元気ですわねー」

 対照的に清楚で落ち着いた装いの、いくぶんおっとりした雰囲気の静香と呼ばれた女性が答えた。

「おお、ほのか、相変わらず愛い奴じゃのう」

 咲と呼ばれた、これも彼女らと対照的に、体にぴったりとしたシャツとジーンズのラフな格好をしたグラマラスな女性が、ほのかに駆け寄って、その頭をふくよかな胸に抱え込んだ。

「うーん。苦しいよぉ。咲ちゃん、ちょっぴりお酒くさい?」

「あー、昨日、焼酎ちょっと飲みすぎちゃったかな」

「まあ、木花さん、昨日お飲みになったの?わたくしも誘ってくだされば良かったのに」

「いやあ、まあ、静香は底無しだからなあ。ま、また今度な。ところでほのか、最近よくテレビで見かけるようになったな。頑張っとうね」

(おーい)

「うん。デビュー曲も好調だよぉ」

「えっと、確か、こんな感じの振り付けでしたかしら」

「・・・」

「いや、それじゃ盆踊り・・・」

「あら、違ったかしら。まあ、犬神さん、もう来ていらしたのね?」

(おーーい。みなさーん)

「おお、ワンコロ」

「まこっちゃん、元気ぃー」

「ワンコロじゃねえよ。ま、まこっちゃんとか呼ぶなよ」

 犬神と呼ばれた少年は、携帯ゲーム機をいじりながら、声を掛けられた方は見ずに答えた。

「なんだあ。ワンコロのくせに照れとうとか?」

「木花さん、あまり犬神さんをからかうと可哀想ですよ。犬神さんは、宮比さんのことがお好きなんですから」

 犬神少年は慌てて携帯ゲーム機を机に放り出した。

「稲田、ちょっ、なんだよ、誰もそんなこと言ってねえじゃねえか!」

「まあ、宮比さんのこと、お好きではなかったのですか?ところで、目上の人に向かって何ですか、そのお口は」

 ぎらりとした殺気を一瞬感じて、犬神少年は、いったん赤くなった顔を青くして、まさしく犬のように後ろに飛び退いた。

「え、いや、だから・・・」

「ごめんねぇ。まこっちゃん、ほのかはみんなのアイドルなのぉ」

「ぎゃはは、振られとう」

「うるせ。ばばあ」

(おーーーい。君たちー)

「うるせ。おっさん」

「がーん」

「がーんとかゆう人、久しぶりに見ました。情けな。はい!みなさん注目!さっきから、おいおいゆうてる人が、なんか言いたいそうです」

 瀬織が手を叩いて衆目を集めた。

「由美ちゃん、そんな言い方せんでも・・・。まあ、とりあえず、みんな席に着いてくれへんかな。どこでもええから。ほんで富士さん見に行く段取り決めなあかんねんから」

 

さらに、その同じ頃、新宮麗華は、一花の誕生日パーティーの準備で忙しかった。彼女は七騎士を招集し、準備の進捗状況の確認と、明日の段取りの確認を行っているところだった。

 誕生日パーティーと言っても、友人だけの内輪で慎ましく催されるものではない。彼女は、既に一条グループの跡継ぎとして、政財界とのコネクションがあるわけで、様々な利権を狙っている各界の大物が、このパーティーには参列する予定である。それは、錚々たる顔ぶれであった。一花は、当然、そのような集まりは、ご免被りたいところではあったが、いずれグループのトップに立つ身であるという責任感でもって、何とか我慢しているといったところであった。新宮麗華は昨年、このパーティーの幹事役を、父の康守から引き継いだ。従って、今回は、麗華が初めて一人で全ての段取りを任されていたので、かなりの張り切りようだった。麗華は、彼女自身の直属部隊として、七騎士を起用する許可を一花から得て、気心の知れた仲間と、その一大プロジェクトを成功裡に収めるために、ここ数日は特に奔走していた。

 麗華は、秘書職や警護の任も、父から徐々に引き継いでおり、名実ともに騎士長の座を確固たるものにしつつあった。そんなわけで、学業の傍ら、大変に多忙な日々が続いていたが、彼女は以前にもまして生き生きとしていて、一花の役に立てるという喜びで、その目はきらきらと輝いていた。

「さて、今日の予定ですが、全般の最終チェックを行います。まず、午前中は当日のお料理とお飲物、それから、引き出物の準備状況を確認します。午後一番に、誕生日ケーキの確認を行って、そのあと、会の司会者と最終の打ち合わせを行います。某局の有名アナウンサーの方ですし、既に何度も打ち合わせをしていますから、当日の段取りは、ある程度お任せしても大丈夫と思っていますが。そのあと、会場のセッティング及び当日の警備状況を確認、以上が本日の予定です。何か抜けている点は、なかったですか?」

 麗華は、七騎士を見渡した。

「よし、では、各担当班に分かれて行動開始。私は今言った順に確認をしていきますから、何か問題あれば、すぐに私に連絡をしてください。よろしくお願いします」

 そう言って、麗華は彼女のスマートフォンを取り出した。その時、それが着信音を響かせた。

「はい。父上。いかがなさいましたか?」

「・・・・・・」

「・・・、はい、心得ております」

 彼女は短い応答で電話を切った。先程まで、喜びに満ち溢れ輝いていた彼女の瞳が、さらに熱を帯びたような印象を七騎士に与えた。

「皆、済まない。今日は急用が出来てしまった。後は任せる」

 七騎士の面々は一様に驚いた。しかし、それは一瞬だった。彼女らは、麗華が他の誰よりも、このイベントを楽しみにし、そしてその準備に、いかに心血を注いできたかを間近で見ていたので、それを前日になって、放り出さねばならないというのが、どれほどのことであろうかということが、すぐに察せられた。七騎士も、そこらの寄せ集めではない、多くの中から選りすぐられた優秀な人材であった。そして、麗華の表情を見れば、それが確実に一花のためのことであろうことも推察できた。彼女らは、自分たちも嬉々として口ぐちに言った。

「後のことはお任せ下さい」

「お気を付けて」

「何も心配ありません」

 そして、何の合図があったわけでもなく、全員が右手の平を左胸に当て静かにだが力強く声を合わせた。

「姫のために」

 麗華もそれに答えた。

「姫のために」

 彼女は踵を返し、足早にその場を去った。

 そして、麗華は一条家の敷地内にある道場にいた。彼女は道着に着替えていた。その道場は、一花と共に父康守に鍛え上げられた場所である。今でも、早朝の鍛錬は欠かさず行っている。敬愛する姫と共に汗を流すのは、麗華にとっては、彼女の大好きなハーブティーで、ゆったりと寛いでいる時よりも、さらに何十倍も幸せを感じられる時間だった。

 麗華は、鞘に収まったひと振りの刀を携えて立ち、思い出を辿るように、ゆっくりと瞳を閉じた。


(あれは確か、私たちが中学校へ入学した春だったか)

 

「姫!お待ちください!」

「麗華ちゃん」

 麗華は息を切らせて一花を呼び止めた。

「どうしたの?」

「そ、そのようなことは私がいたします」

 一花は、両手に大きなゴミ袋と掃除用具を抱えていた。

「ああ、これ?大丈夫よ、体育館裏にもっていくだけだから」

「し、しかし万が一、落として足にお怪我でもされては!」

「そんなドジではありません。でも、麗華ちゃん、あそこにまだゴミ袋が二つあるの、もう一往復しなきゃと思ってたから、手伝ってくれると助かるんだけど」

 麗華は目を輝かせた。

「もちろんです!姫のお役に立てるのであれば!」

「ありがとう、麗華ちゃん、ところで姫って呼ぶのやめない?小さい頃は何となくあだ名として受け入れていたような感じだったけど、中学生になったことだし、何だか恥ずかしいわ」

「し、しかし、姫は姫ですから」

 麗華が心底悲しそうな顔をしたのを見て、一花はすぐに諦めて慰めるように言った。

「うーん、まあいいんだけど・・・」

 そうやって彼女らは仲良くゴミを運んでいたが、しばらく行くと良からぬ光景を目にした。体育館裏のゴミ集積場所の手前に男子の集団五~六人がおり、明らかに一人の男子に暴行をはたらいている様子だった。一花は怯むことなく彼らに近寄った。

「どうされましたか?」

「なんだ?お前ら」

 しかし、一花は慎重に問いなおした。

「いえ、掃除の時間ですのに、何をなさっているのかと思いまして」

「はっ、見てわかんねえのかよ、ちゃんと掃除をしてるんだよ」

 集団のリーダー格らしい大柄の男が、鼻血を出した男子の頬を指で挟んで見せ、威圧するように殊更大きな声で応じた。

「うん?まだ入りたての一年のようですよ」

 いかにも子分らしい、ひょろっとした男がリーダーに耳打ちした。

「そうか、じゃあ俺のことを知らないのも仕方ない、教えてやれ」

 リーダーに促された子分は、虎の威を借る狐よろしく、胸を張って一花に詰め寄り言った。

「この御方は、この学園の副理事長のご子息で、御手洗豪さまだ!」

「・・・」

「わかったら、口を出さずにさっさと行け!」

「いえ、今のご紹介と、今の状況は何の関連もありませんわ」

「はあ?てめえ、調子に乗ると痛い目にあうぞ!女だからって容赦しねえからな」

「やれやれ、困ったものですね、私としてはお話合いで平和裏に事を収めたいのですけれど、無理かしら麗華ちゃん?」

「このような輩には口で言っても無駄です」

「何言ってやがる、おかしいんじゃねえのか?」

 子分がさらに一花に詰め寄ったが、その前に麗華が立ち塞がった。

子分が麗華の胸倉に掴みかかろうと襟元へ手を伸ばした時、麗華は、両手の荷物を下に落とし、子分の手首を掴むと同時に捻った。

「ぐあっ!」

 子分が悲鳴を上げると、麗華はすぐに手を離した。

「な、なにしやがった!」

 子分は右手首を押さえながら顔をしかめて言った。

「あら、ごめんなさい、反射でつい」

「こいつ!」

 子分は後ずさりしてリーダー御手洗豪のもとにもどり、助けを請うように視線を彼に向けた。

「生意気なやつらだ、やれ!つかまえろ!」

 子分らは一斉に一花と麗華に走り寄ってきた。

「まあ、面倒なことになってしまったわ」

 一花はそう言ったが慌てた様子はなかった。麗華は一花に目くばせすると、一花は手に持っていた箒の一本を麗華に放った。麗華は箒を右手で受けた。その時には麗華の直前まで子分らが迫っていた。しかし、それは目にも止まらぬ早業であった。麗華が箒を回転させるように一閃させると、子分らは一瞬で地面に薙ぎ倒されていた。

「な、なんだ、こいつ」

 衝撃はあったが、ダメージは大きくないようで、子分らはすぐに起き直って構えた。今度は、慎重に周りからじりじりと一花らに詰め寄る。一花は特に構えもなく、落ち着いた様子で、もう一本の箒を片手に、麗華と背中合わせになった。

「麗華ちゃん、背中は預けますね」

「お任せ下さい!姫!」

「あの、お怪我なさいますよ」

 一花は馬鹿にした風ではなく、心底心配そうに言ったつもりだが、彼らはそうは受け取らなかったようだ。

「くそっ」

 子分らは、今度は気を付けながら一斉に襲い掛かったが、結果は同じであった。一花も箒を軽く使いこなし、子分らを難なく一掃していた。

「み、御手洗さん、こいつら」

「情けないのう」

 御手洗豪は、拳を鳴らしながら、ゆっくりと歩み寄ってきた。一花もそちらへ歩いて行ったが、すいと御手洗とすれ違った。一花は怪我をしている男子生徒の方へ歩み寄り声を掛けた。気弱そうに見える彼は涙を滲ませ、カタカタと小刻みに震えていた。

「大丈夫ですか?立てますか?」

 一花はスカートのポケットから白いハンカチを取り出し、彼の鼻血を拭ってやり、彼の右手を取ってハンカチを握らせ、軽く引き上げて彼を立たせた。

「さあ、大丈夫ですから、保健室へ行って、手当てをしてもらってください」

「で、でも・・・」

 彼は健気にも躊躇しているようだった。さすがに女の子を置いて逃げるのは気が引けたのだろう。一花は、そんな彼に微笑みかけた。

「まあ、お優しいのですわね、でも、本当に大丈夫ですから、行って下さいな」

 その頬笑みは、まさに女神のそれであった。怪我をして震えていた男子生徒の震えはとまり、その微笑みだけで彼女の命に従うことが、何より大事なのだという感覚だけが彼を支配した。彼は深々とお辞儀をして、その場を立ち去った。それを見送って一花は御手洗豪に向き直った。

「あの、お話し合いで解決はできないでしょうか?」

「これだけやっておいて何言ってやがる!」

 御手洗豪は、改めて拳を振りかざしながら、一花に歩み寄ろうとしたが、麗華が止めた。

「待て!私が相手だ!」

 御手洗豪は振り返った。

「いい度胸じゃねえか」

 見かけによらず素早い動きでブンと振るわれた拳を、麗華は無駄な動きは見せず、すいと避けた。一花が麗華に声を掛けた。

「麗華ちゃんのことは心配してないけど、あまり怪我させないようにね」

「何だと!何度も馬鹿にしやがって!」

 激昂した彼は、肩を突き出して麗華に突進した。麗華は箒を左脇に構え直し、右手を前に突き出した。これも一瞬の出来事だった。麗華は流れるように身体を左に動かしつつ、彼女の右手が彼の右肩にちょんと当たったように見えただけだったが、彼はつんのめるようにして地面に顔から突っ込んでいた。


(この類の思い出は山とあるが、そう、あのときも私は姫と背中合わせで、そしてその傍らで姫の剣となって闘ったのだわ、それはとても、そう快感と言ってもいいぐらいの感覚)


 そして麗華は、閉じていた眼を開いて、目の前に一花がいるかのように語りかけた。

「姫、いよいよ真にお役に立てる時が来たようです。私は父から、様々なことを継承しました。仕事は勿論ですが、それ以上に大事なことがありました。どのような災厄が姫を襲おうとも、必ずや私が切り払って御覧に入れます」

 麗華は、刀を鞘から抜き放った。だが、そこに刀身は無く、鍔から先にはしかなかった。麗華は、それを正眼に構えて気合いを込めた。

「はあぁぁぁー」

 すると彼女の周囲の空気が、熱が発生しているかのようにゆらいで見えた。

「我に応じよ!!」

 麗華が唱えた次の瞬間、まばゆい光とともに刀身が現れた。それは素人目に見ても感じられるほどに、きっと名のある名匠が打ったに違いないと思えるような見事な刀であった。その刀身は白銀の光に包まれていた。


 そして、霊峰富士、古来より崇め奉られてきた日の本の国の象徴でもある。そこは、化物どもに蹂躙されていた。優美さを誇っていた富士の稜線の東側には、今朝の地震でぱっくりと傷口が開いていた。その傷口から、蛆が湧くように、ぞろぞろと醜悪な容姿の化物が現れ出ていた。

 そこには既に、陸上自衛隊富士駐屯地の部隊が到着していた。部隊といっても、地震の影響調査で派遣されただけであったから、大した装備もなく、人数も十数人といったところだった。彼らは富士の大穴を調査するよう命じられただけであった。それでも噴火の可能性はあったから、決死の覚悟で富士へと赴いたわけだが、想定外の事態に動揺を隠せないでいた。

「なんだ・・・あれは・・・」

 彼らは知る由もないが、それは天野諒が過去に遭遇した化物、背中に蝙蝠のような羽、茶褐色の皮膚に鱗を持ち蜥蜴のような相貌をした、アガレスにグイソンと呼ばれた魔物の群れだった。

 彼らは一定の距離まで迷彩柄のトラックで大穴まで近づいたが、異変に気付いて下車し、遠巻きに双眼鏡で大穴の様子を窺っていた。

「佐々木、現状の装備を確認しろ。池田、カメラと通信機を持ってこい」

 大穴の外に出た化物の群れは、調査隊の人数とほぼ同じ十数体、しかし、穴の中にどれほど潜んでいるのかは、ここからは確認できそうになかった。化物どもは、穴の外には出たが、とりあえず大きな動きは見せておらず、穴の周りをふらふらとしているだけのようだったが、どのような行動を取るか予断を許さない状況だった。

「曹長、持って参りました」

「よし、お前はカメラで写せ。第一報として現状を報告する」

 そう言って、この調査隊の隊長らしい男は通信機を手早く操作した。

「こちら髙木、富士駐屯地、第三部隊曹長、髙木、本部応答せよ」

「・・・。こちら本部」

「こちら富士調査隊、富士の大穴調査の現状を報告する。○九一○現着、大穴付近にて未確認生物を確認、映像を繋ぎたい」

「未確認生物だと?!何を言っている」

「いえ、とにかく見ていただきたいものがあります」

「わかった。ちょっと待て、すぐに準備する」

「・・・・・・」

「よし、映像送れ」

「池田、繋げ」

「・・・・・・、なんだ、これは?」

「目視で確認できる未確認生物は十三体、至急、指示と援軍を要請する。及び武器の使用許可を請う」

「よ、よし、映像を繋いだまま指示を待て」

 それから半刻ほど後、通信機からの応答があった。

「調査隊応答せよ」

「こちら髙木、依然動きはなし」

「官邸、対策本部への直通回線を開いた。すでに映像は転送されている。現状を再度報告せよ」

「こちら調査隊、富士南東側宝永山との境界付近にて、地震の影響によると思われる大穴を確認、付近の調査に向かったところ未確認生物を発見、未確認生物は大穴より出現しており、少しずつ数を増やし、現状目視で確認できた数は二十四体。今のところ大きな動きは見せておらず、穴の周辺を徘徊しているのみであります」

「ご苦労、一条だ」

「だ、大臣であられますか」

「ああ。早速、大隊規模の援軍を送った。空自、海自にも援軍を要請している」

「だ、大隊規模・・・」

「なお、武器の使用を許可する。緊急時だ。手続きの必要はない。責任は私が取る」

「はっ」

「引き続き、映像はそのまま、動きがあれば報告せよ」

「承知いたしました」

「曹長!」

「何だ?」

「穴の上に人影が!」

「何だと!」

「・・・!、浮かんでいる。本部!男が、白髪の男が現れました!」

「曹長!化物に動きが見られます!と、飛んだ・・・、こ、こちらへ向かってきます!」

「くっ、各員、戦闘態勢!」

「・・・・・・!」

「映像、途切れました・・・」

「・・・特殊事象対策課を急がせろ」

 一条義貴防衛大臣は、唇を噛み、苦々しげな表情を見せて、握った拳で机を軽く叩いた。


 それから、およそニ時間が経過した頃、特殊事象対策課の面々は、自衛隊の輸送車で富士の大穴付近に設営された作戦本部に到着していた。迷彩服の自衛隊員らは、彼らの身なりと雰囲気に奇異の目を向けつつも、大臣の指示ということもあって、尋常に仮本部のテントへと案内した。テントに入ると彼らは置かれたパイプ椅子に思い思いに腰かけた。

「あっちーなあ」

「ワンコロは寒い方が好いとうか?」

「ワンコロ言うなって」

「ほのか、のど乾いたぁ」

「わたくし、冷たい麦茶を持って参りました。いかがです?」

「さすが静香ちゃん」

「こら、何しれっと煙草に火を点けようとしてはるんですか?」

「え、ここも禁煙なん?」

「当たり前です!」

「・・・あー、静かに願えますか。すでに官邸本部とも音声は繋がっておりますので」

「あ、そうなん。すんません」

「一条大臣、お願いいたします」

「葛城君、君たちを派遣した理由は理解しているね」

「え、はい、まあ、そういうことですよね」

「・・・なら、良い。で、策はあるのかね?」

「いや、何も」

「何も?!」

「せやかて、見たことないし、こんなん初めてやから、ねえ?」

「わ、私に振ってどうするんですか?・・・あの、副室長の瀬織です。まだ到着したばかりで何もわかっておりませんので、どのような状況か教えていただけますか」

「うむ。まあ確かにそうだな。山本一佐、現状を」

「本部隊の指揮を務める山本です。まず、今朝の地震発生後に富士へ向かった調査隊からの連絡で、地震によると思われる地割れ付近で未確認生物を発見したとの報告がありました。これがその際の映像です」

「うっわ、グロ」

「誠、静かにしとき!」

「未確認生物は二十数体確認され、この後、突然、白髪の男が現れ調査隊は全滅した模様です」

「ふーん、それで?」

「その後、本部隊が到着し、戦端が開かれましたが、現在は膠着状態です。あの化物は、通常の兵器は効かず、銃弾を体に当ててもほとんど効果はありませんが、額に当てれば活動を停止することが先程判明したところです。しかし、脅威は化物よりも白髪の男の方で、奴の攻撃で、すでにかなりの被害が出ております」

「その男の映像は、あんの?」

「乱れて見難いですが、こちらです」

「・・・なるほどね」

「以上が現状であります」

「葛城君、頼めるものかね?」

「うーん。まあ、やってみんとわかりませんわ」

「・・・では、早速だが現場へ向かってくれ」

「了解です。ほな、みんな行こか」

「現場へは、近くまで舗装はされていないですが道は通っています。武器と防具類は人数分を用意しております」

「そんなんはいらんよ。このまますぐに向かいましょ」

「・・・では、テント前のトラックへどうぞ」

 彼らが退室した後、通信機の向こうから大きな嘆息が聞こえた。

「大臣、彼らはいったい?」

「私も彼らのことを把握しているわけではない。ただ、我々だけでどうすることもできない以上、彼らに期待するしかないというのが実情だ」

「不甲斐なく、申し訳ございません」

「いや、決して君らの所為ではないよ。ひとまず彼らの実力を見てみるとしよう」

 程なくして、大穴付近に彼らは到着した。自衛隊はかなり後退を強いられたようで、彼らを運んだトラックが停車した位置からは、大穴は見えなかった。トラックを運転した兵士が声を掛けてきた。

「この先で戦闘が行われているとのことです。そこまで自分が同行しますので」

「よろしゅう」

 彼らがトラックを降りたところで、すぐに銃声が聞こえてきた。

「近そうやな。みんな準備はできてんの?話しとったとおり、僕とガキンチョで、まず当たってみるさかい、状況見て静香君と咲君も頼むわ。ほんで、由美ちゃんとほのかちゃんは後方支援ね」

「了解」

「はーい」

「ガキンチョ言うな!」

「よっしゃ。ほな、行くで」

 移動を始めて間もなく、視界に迷彩服の自衛隊員と、映像で見た蝙蝠の翼と蜥蜴の顔を持つ化物が視界に入った。自衛隊員は自動小銃の狙いを定め、ふわふわ飛んでいる化物に発砲した。タタタンと数発連射したが、化物は意外な素早さを見せてこれをかわした。その時、横合いから別の化物が、奇妙な叫び声を上げ鋭い爪を振り上げながら飛び出してきた。

「やばい」

 葛城剛は、素早い動作で、胸の前で数種類の印を結びながら真言を唱えた。

「臨兵闘者皆陣裂在前、オン ハン ドマ ダ ラ ア ボ キャ ジャ ヤ ニ ソ ロ ソ ロ ソワ カ」

すると化物の周囲の木々の枝がするすると伸び、化物の行く手を遮った。さらにその化物に枝が巻き付き、その動きを封じた。

「ガキンチョ」

「うるせ。わかってら。!」

 犬神誠は、両腕を交差するように構えた。その手の先には光の爪が三本ずつ伸びていた。犬神は、拘束された化物に向かって、まっしぐらに駆け、交差した腕を解放した。光の爪は、鋭い刃となって、化物の首を見事に両断していた。一方、葛城は、さらに印を繰り返し組んでいた。飛翔していた化物に向かって、木々の枝の切っ先があちこちからぐんぐんと伸び、その鋭い枝先が、化物を容赦なく狙っていた。ついに枝の一つが化物の胴を貫き、動きを止めたところへ、別の枝がその尖った先で化物の額を刺し貫いた。

「・・・すごい」

 同行した隊員は、思わず感想を漏らした。救われた隊員も駆け寄ってきた。

「助かりました」

「いやあ、なに。ところで白髪の男は?」

「この先の大穴付近と思われます。その男と化物どもに圧され後退してしまいましたが、男は動かず、そこからは追ってはこなかったようですので」

「ふーん。なんか大事なもんでもあるんかね・・・。じゃあ、みんな進むで」

「えーん。歩きにくいよぉ」

「ほのかが泣いとうよ。ワンコロ背負ってやり」

「そ、そんなことできるか!」

「まこっちゃんのいじわる。ふんだ。歩けるもん。ただ、この足場だとダンスは無理かなぁ」

「・・・彼女たちも、同じような力が?」

 自衛隊員は訝しげな表情を見せながら葛城に尋ねた。

「ああ。同じやないけどね」

「室長、前方に敵・・・四体です」

「さすが由美ちゃん」

「じゃあ、私たちもやるか静香、ウォーミングアップしとかないとな」

「そうですわね。木花さん」

 稲田静香は、首から下げていた四つの玉が連なった飾りを手に持った。木花咲は、背負っていた細長い包みを解き、ひと振りの鉾を取り出した。

 化物四体が現れ、勢いよく二人に襲いかかってきた。稲田は両手を組んで玉飾りを持ち、謳うように唱えた。

「一二三四五六七八九十、布留部 由良由良止 布留部(ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ)」

 稲田にまさに飛びかかろうとしていた一体は、見えない壁に阻まれたかのように、ばちんと音を立てて空中で停止し、ぶるぶると震えたあと、それは一瞬で塵となって消えた。それを見た他の三体は、多少は知性がある様子で、驚いて動きを止めた。そこへすかさず木花が鉾を構えて走り寄った。

「おおぉ!天地金剛!」

 木花は化物からは離れた位置で、鉾を下から上へ振り上げた。鉾の切っ先からは光が迸り、三つの光の刃が狙い澄ましたように化物の首めがけて飛んでいった。光の刃は狙い通り、化物の首に突き刺さった。化物は悲鳴を上げて落下し、少しの間痙攣した後、動かなくなった。

「わーん。みんなずるいよぉ。私だけ活躍してないじゃん」

「まあ、まあ、焦らんでも、そのうちほのかちゃんのステージもあるて。さあ、どんどん進むで」

 そして、更に彼らは、同様の化物を十体近く屠りながら、目指していた大穴が見えるところまで辿り着いた。途中、戦闘を繰り広げていた自衛隊員数名も合流した。

「ふーん。化物どもは穴の周りにも、まだうじゃうじゃおるな」

「けっ、おっさんびびってんの?」

「いんや。化物はええんやけど。穴の上におるやつはちょっと怖いな。なあ、由美ちゃん。どんな感じ?顔青いけど、大丈夫?」

「はい。桁外れの妖気を、かなり前から感じていましたが、近づくほどにさらに強く、たぶん皆さんもこれほどであれば感じておられるとは思いますが」

「これはやばいな。ちょっと集合。さて、どないする?由美ちゃん」

「そやから、なんで私に振るんですか?」

「だって、参謀っぽいやん」

「ぽいって?!まあええです。そうですね・・・、あちらも当然、こちらの気配は気付いてるんやないかと思います。移動中は気配を抑えてましたけど、戦ってる時は抑える訳にはいきませんから。従って、奇襲は無理やと思います。正面突破しかない。となると、自衛隊の皆さんには、できるだけ周囲の化物の気を引いてもらって、私らは白髪の男に集中した方がええでしょう。全員で当たって、どないかなるレベルのようにも正直思われませんけど」

「そやな。やってみてあかんかったら、一目散に逃げよ。僕が逃げろって叫んだら、迷わずに、できるだけ離れんように来た道を逃げるんやで」

「し、しかし、それでは・・・」

「自衛隊員の皆さんには無理かもしれんけど、これは戦略的撤退と捉えてもらわんと。僕らもこれほどまでとは想像でけへんかったさかい」

「・・・」

「さて、ほのかちゃん、やっと出番やで、あの穴の前は結構拓けてる。あそこやったら踊れるんちゃう?」

「おっけー」

 宮比ほのかは目のところで横にVサインを作ってウインクした。

「由美ちゃんは後方支援ね。やばそうなったら退路を確保」

「はい」

 瀬織由美子は、やや緊張した面持ちで無表情のまま答えた。

「静香君は、中距離からの攻撃ね」

「承知いたしました」

 稲田静香はいつもと変わらぬ様子で、丁寧にお辞儀をした。

「ガキンチョと咲君と僕で正面から突っ込もう」

「やってやるぜ」

「了解」

 犬神誠はぽきぽきと指を鳴らし、木花咲は拳を振り上げた。

「じゃあ、自衛隊員の皆さんは、穴の両側から近づいて、周りの化物どもをできるだけ引き付けてください。頼みます。攻撃開始の合図は由美ちゃんに任せるで」

「はい」

「ほな、いこか」

 彼らは三隊に分かれて、慎重に穴に向かって進んでいった。敵方は、特に動きは見せてはいない。攻撃可能な位置まで動いて各隊は停止した。

(では、いきますよ。3数えたら突入してください)

「おい!鼠ども」

(くっ。やっぱり気付かれとった。どうします?室長?)

(あかんな。自衛隊の人らはそのまま動かずに待機で。僕らだけで出よう。攻撃されたら自衛隊の人も支援してって伝えといて。いくで)

「やあ、どうも」

 葛城は、頭を掻きながら、久しぶりに知人に会ったとでもいうような挨拶をした。瀬織は頭を抱えて、突っ込もうか迷っている様子だったが、溜息だけに留めた。

「あのー、ここで何してはるんですか?」

「何者だ?お前は?よくここまで来れたものだ」

「あっ、すんません。名乗るのが先ですね。私は葛城剛と申しまして、防衛省特殊事象対策課資料管理室の室長をさせてもらってる者です。あっ、ちょっと名刺は切らしておりまして・・・。で、そちらは?」

「ふん。変わった奴。器か?・・・いや違うか。俺はアガレス、東の公爵アガレスだ」

「器・・・、肩書は公爵ということで、それで、所属はどちらですかね?」

「所属?訳のわからんことを言うな」

「あっ、フリーってことですかね?」

 周りの者は、このやり取りに唖然としていた。肝を冷やしながらも、いつでも戦える緊張感を保ってはいたが、この会話には気が抜けてしまいそうだった。

「・・・」

「あの、それで、こちらでは何をしてはるんですか?」

「・・・お前ごときに答える義理は無い」

「そうですか。じゃあ、あの穴の中をちょっとだけ見せてもらう訳にはいきませんかね?」

「駄目だ」

「そうですか。目的だけでも教えてもらえませんかね」

「・・・どうせお前たちはここで死ぬ。いいだろう、少しなら答えてやる。目的はお前たち人間を滅ぼすことだ」

 アガレスは少しからかってやろうという気になったようで、多少皮肉っぽい笑みを浮かべながら言った。

「何のために、そのようなことを?」

「我らが主のためだ」

「我らっちゅうことは、他にもお仲間がいらっしゃるという理解で、よろしいでしょうか?」

「そうだ。我らが主とソロモン九王が、この世界を闇へと導くだろう」

「・・・ソロモン」

「もう、良いか?では死ね、グイソン」

 これ以上は付き合いきれないとばかり、アガレスは素早く杖を構えた。同時に周囲のグイソンと呼ばれた化物もスイッチが入ったように動き出した。

「もうちょっとお話したかったんやけど、しゃあない、みんな!いくで!」

 葛城の号令らしき掛け声を瀬織は同時に念話で自衛隊員にも伝えた。さすがに鍛えられた自衛隊員はグイソンへの攻撃をすぐさま開始した。

そして、宮比ほのかは、唄いながら優雅に舞いを踊り始めた。すると、すぐにその効果が現れ始めた。自衛隊員も含めた彼らの体が淡い光を帯びた。

「おお、力が漲るぜ!!」

 犬神が、その場で腕を振りかぶると、光の爪がアガレスに向かって飛んだ。アガレスも杖を振り、先から青い光球を迸らせ、これを相殺した。

「ちぇっ。もう一回!狼爪飛刃!」

「ふるべ ゆらゆらと ふるべ」

「天地金剛!」

 稲田の周囲に化物を蒸発させた光の結界が出現し、さらにそこから、レーザーのように細い糸状の光が発射された。同時に木花も攻撃を開始。これを見て、アガレスは杖をゆったりと真横に構えた。いずれの攻撃もアガレスに届く前に、見えない壁に阻まれ、あらぬ方向へ弾かれた。

「ほう、ただの人間ではないな」

 葛城は、小声で呪文を唱えながら数種の印を結んでいた。周囲にあったいくつかの大きめの岩が浮き、アガレスに向かって飛んだ。アガレスは素早く浮遊し、これを避けたが、岩は方向を変え、アガレスを追尾した。さらに周囲の木々の枝が伸び、アガレスを捕えようと迫った。

「ちっ、面倒な」

 アガレスは杖を両手で正面に構え、念じるように目を閉じた。直後、岩は音を立てて砕け散り、地面が大きく揺れ、周囲の木々は根ごと抜かれるように次々と倒れた。

「あかんか」

「なかなか、人間にしては面白い。だが、私がやるまでもなさそうだ。シャックス、アンドレアルフス」

(室長、大きな気配を感じます)

「みんな!ちょっと後退や!ほのかちゃんを囲むように!」

 宮比ほのかは休むことなく唄と舞を続けていた。それを見て葛城は呟いた。

「もうちょいかかるか・・・。みんな、静香君の結界から出んように!」

「来ます!」

 アガレスの左右の空間が歪んだように見え、そこからニ体の化物が出現した。一体は人の顔を持った巨大な鳥で、もう一体は孔雀に似たこれも鳥の化物だった。

「ご冗談を・・・。こりゃまた、えげつないなあ」

「室長、アガレスと名乗る白髪の男ほどではありませんが、二体となると・・・」

「静香君は結界破られんように集中して。ちょっと相手の出方見るで」

「シャックス」

 アガレスがまず声を掛けたのは人面鳥の方だった。

「アガレス様、お呼びで」

「ああ、アンドレアルフスとともに奴らの相手をしてやれ」

「お任せを」

 人面鳥は葛城達の方を向き、不敵な笑みを向け、汚らしく舌なめずりをした。

「クエエーッ!」

 人面鳥は耳を劈く叫び声をあげた。

「きゃあっ!」

「うあっ!」

 葛城達は思わず耳を塞いだ。それは音というよりも、脳に直接攻撃されているような感覚だった。だが、宮比ほのかは唇をかみしめて耐え、なおも踊り続けていた。稲田静香もまた、短い悲鳴を上げはしたが、結界を破られまいと何とか意識を集中させていた。

「超音波や。これは結界では防がれへん」

 孔雀の化物の方は、その羽を大きく広げていた。十分に羽が広がると、孔雀は羽をばたつかせ、ダーツの矢のように葛城達に向かって無数の羽を飛ばせた。それは結界に当たって、じゅっと音を立てて塵となった。しかし、不運にもそのうちの一つが周囲でグイソンと交戦していた自衛隊員の一人に刺さったようだった。その自衛隊員は、おやっとした表情を浮かべたあと、白目をむいて周囲に銃を乱射し始めた。

「神経毒か!室長、どっちもやっかいですけど、超音波の方は、うちが防いでみます」

「うん、頼むわ、由美ちゃん。僕ら男どもはええから、とにかく静香君とほのかちゃんをピンポイントで守ってやって」

「うちも女っちゃ!」

 木花咲は一応不満を述べた。

 瀬織由美子は目を閉じて集中した。自身の発する念波で超音波を相殺するつもりのようだ。

「よし、反撃してみよか」

 そう言って葛城は懐から小さな巾着を取り出し、中から種を取り出した。その種を周囲にばらまき印を結び真言を唱え始めた。

 その間も、犬神誠と木花咲は、その場から攻撃を続けていたが、一方向からの単調な攻撃は、敵に簡単に避けられてしまっていた。

「くそっ、これじゃ、当たんねえよ!」

「ワンコロ、兎に角、連射して動きを抑えるしかなか!」

 葛城が蒔いた種は、ぐんぐんと成長していた。蔓のように伸びたそれは結界の周囲を守るようにぐるりと覆い、その茎には棘が生えていて、ある程度の大きさになると敵めがけて飛んでいった。いくつかの棘は、二体の化物にあたったようだが、かすり傷程度にしかならなかった。一部の蔓は、ぐんと伸びて化物どもを捕らえようと頑張っていたが、自在に空中を舞う怪鳥の動きを封じることはできそうになかった。

 人面鳥は、さらに超音波攻撃を続けていたが、どうやら防御されていることを悟ったようだった。突然、人面鳥は体をぶるぶると震わせ始めた。すると、その首の両脇から新たな顔が二つ生えてきた。人面鳥は、その三つの顔から同時に超音波を放った。

「室長!あかん!これは防ぎきれません!」

「っ・・・。これまでか」

 しかしその時、どうやら宮比ほのかの舞が終焉を迎えたようだった。彼女は額の汗を拭い、アイドルらしく爽やかにそして高らかに叫んだ。

「顕現せよ!東海竜王蒼竜!」

 宮比ほのかは両手を挙げ、天を振り仰いだ。すると東の空が俄かにかき曇り、雷鳴とともに巨大な竜が現れた。これにはアガレスも驚いた様子だった。

「ほう、これはこれは」

 竜は暗雲の雲間から顔を覗かせ、かっとその咢を開いた。すると、稲妻が化物めがけて閃いた。これはさすがに化物どもも避けられずに直撃を受け、ぎゃーっと鳴いて地面に落下した。

「ふん、役立たずめ。ボーティス」

「室長!またや!さっきよりは小さいですが、無数の気配がします!数が把握できません!」

「ご冗談を・・・。次から次へと。こわいなあ」

 アガレスの後方左右の空間に無数の歪が生じた。そこから、数えきれない数の翼が生えた大蛇が飛び出してきた。それらは今上空を優雅に舞っている竜に比べれば小さなものではあったが、彼らからみれば十分に恐怖を感じるほどの大きさだった。それらの大蛇の大部分は、上空の竜に向かって飛翔し、一部は結界に向かって襲い掛かってきた。竜の方は雷を放って大蛇の群れを迎撃したが、なにしろ数が多かった。すべての大蛇を落とすことはできず、いくつかは竜に喰らいつくことに成功していた。竜はそれらを振り払おうと雲の中でぶんぶんと跳ねるように体をうねらせた。そのたびに辺りに雷音が轟いた。一方、結界の方は限界がきていた。塵になっても次から次へと襲い掛かってくる翼のある大蛇に、結界はどんどんと削られていくようだった。葛城が出した蔓の棘も追いつかない様子だったし、犬神と木花の攻撃も功を奏しているとは言い難かった。そうするうちに、さきほど雷で撃ち落とされた人面鳥と孔雀の化物もむくりとその体を起き上がらせた。

「あいつら参ってへんかったんか」

 そして、宮比ほのかが、がくっと膝を付いた。

「ほのか!」

「まこっちゃん・・・」

「もう限界か、静香君、結界を前だけに集中して。逃げるで!」

 と、その時だった。

 彼らは、突如空中に出現した白銀の光の塊に、堪らず目を瞑った。

「今度は何やねん!」

「し、室長!とんでもない大きさの気が二つ!近づいてきます!」

「こんだけでかいと、僕でもわかるわ」

 光が収まったそこには、一組の男女が空中に浮いていた。

「だ、誰や?」

 二人は、アガレスを見下ろしていた。

「おやおや、そちらから出向いていただけるとは。手間が省けたよ」

「アガレス、今日がお前の命日だ。ゆくぞ一花!」

「アガレス、覚悟なさい」

 それは、一条一花と天野諒だった。一花は八咫鏡と日月の書を構え、諒は天狼星を掲げた。

「国之常立神よ、天地開闢せし始祖の神よ、日月のしろしめす古の契約に従い、その力を授けたまえ」

「天津神よ、北を示す不動の星よ、星辰のしろしめす古の契約に従い、その力を授けたまえ」

 一花は、以前に覚醒した時と同様に、巫女風の身形で、八咫鏡と日月ノ書を携えていた。

 諒は、上下とも黒の羽織袴姿だった。黒と言っても真っ黒ではなく、まるで宇宙を映したかのように、その黒の中に星々や星雲が輝いているように見えた。天狼星は諒の周りを8の字状にひゅんひゅんと音を立てて黒い光の尾を引きながら飛び回っていた。

 葛城達は、この様子をただ固唾を飲んで見守っているしかなかった。それに気付いて一花が彼らに声を掛けた。

「みなさん、速やかに撤退してください。後は私たちに任せて!」

 葛城は、はっとした表情となり、全員撤退の指示を下した。一花はそれを見届け、日月ノ書と八咫鏡を重ね合わせて唱えた。

「一火りの弓、一火りの盾」

 このあいだは、ぼんやりとしていた光の弓と盾の輪郭は、今度ははっきりとした質感のある形を成していた。弓と盾が現れると本と鏡は消えた。

「ふむ。何があったのか知らないが、今朝ほどに見えた時とは、もはや別人だな。くく、面白い。シャックス、アンドレアルフス、ボーティス、ただの人間どもは後回しだ」

 人面鳥は超音波を発し、孔雀の怪鳥は神経毒の羽をうち、翼の生えた大蛇は一斉に一花と諒めがけて襲い掛かった。

 しかし、一花も諒も慌てることはなかった。一花は身振りだけで菱形の盾を二つに分け、一方を諒の前に飛ばし、弓を引き絞った。諒は右手を開いて前に突き出し、意識を集中しているようだった。一花は目いっぱい引き絞った弓を一気に解き放った。すると数多の光の矢が一斉に放たれ、襲い掛かってきた大蛇の群れを次々と撃ち落とした。諒が開いていた右手をぐっと握った。すると諒の前の空間がぐんと歪み、襲い掛かってきた大蛇は、ものすごい圧力に押し潰されたように潰れて果てた。人面鳥が発している超音波は、彼らには全く効いていないようだったが、それは諒が空間に歪みを生じさせ、超音波の影響が自分たちに及ばないようにしているのだった。孔雀の羽は、一花が形成した菱形の光の盾が必要に応じていくつかに分裂し、その全てを見事に防いでいた。諒は、また右手を突き出し、今度は人差し指と中指をまっすぐ伸ばして人面鳥に狙いを定めた。彼がその右手を軽く振ると、天狼星から黒く細い光が幾筋も弧を描いて放たれ、人面鳥を貫いた。諒は孔雀にも同様の攻撃を繰り出し、二人はあっという間に魔獣どもを屠った。

「さあ、手下どもはいなくなった。部下の背に隠れてないで出てきたらどうだ、アガレス」

「くく、あれら程度でいい気になるなよ。しかし、確かに調子に乗るほどではある。こちらも手加減は無用ということだな」

 アガレスは右手に持った杖で何かの紋様を宙に描き始めた。間もなく、彼の容貌は変化し始めた。彼の肩に乗っていた大鷲は、彼の背に埋もれ、翼だけが大きく拡がり、背に生えたようになった。彼の皮膚は黒く変色し始め、硬そうな鱗状に固まっていった。彼の指は鉤爪状になり、口からは二本の牙が伸びてきた。そして彼が右手に持った杖を左手で下から上へなぞるようにすると、それは黒光りする剣に変化した。

「くくく、この感覚は久しぶりだ」

「一花、気を付けろ。さっきまでとは確かに違うようだ」

「ええ、大丈夫よ」

 一花は光の矢を放った。アガレスは剣でそれを軽々と討ち払い、その勢いのまま、一花に向かって剣を振り下ろした。振り下ろした剣から、その刃の形の影が飛んできて、その黒い刃影は一花に近づくほどに大きくなっていった。一花はすぐに光の盾を繰り出した。しかし、一枚では足りなさそうだと踏んで、何重にも光の盾を繰り出した。刃影は十数枚の盾を切り裂いたあと、大きな爆発を起こして消えた。一花は爆風を両腕で防ぎ、腕の隙間から様子を見ていたが、爆発の中から、既にいくつかの黒い刃影が飛んできていた。

「一花!」

 諒は天狼星から、先程よりも太い光の帯を放射し刃影に当てた。するとそれらは同様に大きな爆発を起こして消えた。爆煙の中からアガレスが剣を構えて、一花めがけて飛びかかってきた。かなりの早さだったので、一花は盾を繰り出す間もなく、弓でその刃を打ち返した。ぎいんという音を立てて火花を散らし、一花とアガレスは少しの間、鍔迫り合いをしていたが、ふいにアガレスは一花から離れ、剣を右手に持ち、空いた左手を一花に向けた。アガレスの左手からは青い光球が放たれた。一花はこれを避けようと右斜め後方に飛んだが、光球は一花を追ってきた。一花は飛び退きながら弓を構え放ち、光球を撃ち落とした。そしてそのままさらに弓を引き絞って、詠唱を始めた。

「真実と未来を写す八咫鏡よ、日月の神の力を享受し、一火りの矢を放て!百花繚乱!」

詠唱は完成した。一花は、いっぱいまで引き絞った弦を離した。すると、弓からは矢ではなく、箆が螺旋状に光輝く箒星のような巨大な光の矢が放たれた。それはアガレスに向かって飛んでいき、アガレスの近くまで来たところで無数の矢に分裂し、アガレスの周囲を取り囲むように一旦静止した。しかし、それらはすぐに敵を認識したかのように、一斉にアガレスめがけて飛来した。全ての角度からの攻撃だったので、さすがにこれは避けられない。その間に、諒は両手を天に掲げ詠唱した。

「天狼星よ、不動の星よ、闇の天、豪炎の星!」

天狼星が諒の頭上へ勢いよく黒い尾を引きながら飛んでいき、一定の高さで停止したかと思うと天狼星を中心に黒い星雲、ブラックホール思わせるような大きな黒い渦が出現した。そしてその渦の中心あたりから、燃え盛る巨大な隕石が顔を覗かせていた。一花の無数の矢がアガレスに襲いかかると同時ぐらいに、隕石もアガレスめがけて勢いよく落下した。アガレスは全方向からの攻撃に身を守るしかなく、剣を横に構えて唸るような声を発した。光の矢はアガレスに到達するぎりぎりのところで、何かに弾かれたように跳ね返ったが、いくつかはその見えない壁を貫き、アガレスの身体を掠めて傷を負わせた。それよりも、そうやって一花の攻撃で身動きが取れなかったので、隕石をかわすタイミングが数瞬遅れてしまった。アガレスは隕石を右方向へ移動してやり過ごそうとしたが避けきれず、左手を突き出して何とか直撃を防ごうとしたが、その熱と重量に耐えきれそうにはなかった。そして次の瞬間、炎に包まれた隕石は、きらりと煌めいたかに見え、次いで大爆発を引き起こした。爆音の中、アガレスの悲鳴が虚しく響き渡った。舞い上がった粉塵が晴れていくと、左肩を抑え、肩で息をしているアガレスが現れた。アガレスの左肩から先は無くなっていた。それでもまだ、アガレスは戦意を喪失したようには見えなかった。普段は冷静そうに振る舞っているように見えた彼は今や、手負いの獣そのものであった。

「おのれ!」

 その時だった。

「何を手古摺っている東の侯爵殿」

「ザ、ザガン様!」

「まあよい、ここは引き受けよう。侯爵殿は任を全うせよ」

「くっ、しかし」

「もう一度言わねばなりませんか?」

「も、申し訳ございません」

 アガレスは、これまでに見せたことがないような慌てた表情を見せ、富士の大穴へ向かって後退した。

「待て!」

 諒は追いすがろうとしたが、ザガンと呼ばれた男の異様な気配に圧されて身動きがとれなかった。それは一花も同様で、仇のアガレスに止めを刺せるあと一歩であったというのに、アガレスを意識するよりも、新たに現れた男に意識を集中せざるを得なかった。それほど、アガレスとは桁違いの闇の気配を、その男は纏っていた。しかも、これほど接近するまで、二人とも全くその気配を感知することはできなかった。二人はアガレスとの戦闘の疲労は、まだそれほどではなかったが、背中に冷たい汗を感じた。彼らは自然とお互いに近づいて、肩を寄せ合ったが、少しでもその男から注意を逸らせば命にかかわると感じて、言葉も発せないでいた。

 男は、アガレスと似たような身形をしていたが、より美麗というか華美で、ピアスや指輪や腕輪などの装飾物がやたらと多かった。また裏地の赤い黒いマントを風になびかせ、場違いにも右手にはワイングラスを持ち、赤い液体をゆらゆらと傾けていた。顔立ちもアガレスに多少似通ったところはあったが、より妖艶であった。化粧を施しているようで、目尻は薄く紅に染め、唇にも紅を入れているようだが、特にそれが嫌な印象というわけではなく、それなりに美しく見えた。髪は黒く、ボリュームを持たせたオールバックにし、知性を感じさせる秀でた額をあらわにしていた。

 一花と諒は、対峙しているだけで何もしていないのに、息が荒くなってきていた。それだけのプレッシャーを、その男から感じているようだった。

「何者だ!」

 ようやく、諒が口火を切った。

「私はザガンと申す者、闇の王に仕えし九王がひとり。そなた、自らは名乗らず名を問うか、低俗な種族よ。どうしました?獣のように有無を言わさずかかってきても良いのですよ」

「くっ」

 諒は額から汗が滴ってきていたが、両手を前に差し出したまま動けないでいた。一花も同様で、弓を軽く引いたまま微動だにできずにいた。

「どうしました?私は争いを好んではいないのですが。退くなら追いませんよ。いずれ、あなた方が滅ぶ道は変わりませんがね」

 そう言ってザガンはグラスのワインを口に含んで、余裕の微笑を見せた。

「一花、俺が仕掛ける。隙を見て逃げろ」

「なに言ってるの?そんなことできるわけないじゃない」

「だが・・・」

「逃げたところで未来はないわ!」

 一花は弓を強く引き絞り詠唱を始めた。それに呼応するように諒も詠唱を始めた。天狼星は先程と同じ位置で、まだブラックホールのような黒い渦を形成しており、諒が詠唱を始めると灼熱の隕石がまた顔を覗かせた。一花は先程と同様に箒星の矢を放った。それはやはり無数の矢に分裂し、ザガンの周りを取り囲んだ。矢は一斉にザガンに向かって飛来した。だが、ザガンがワイングラスを、まるで乾杯とでもいうかのように差し出すと、全ての矢がそのワイングラスに吸い込まれた。

「そんな・・・」

 諒が掲げた腕を振り下ろした。ザガンはまたも、今度は隕石に向かって、ワイングラスを捧げ持った。すると中の赤い液体が、何やら空中に巨大な紋様を描き始めた。そして紋様の中心から諒が出現させた隕石よりも更に大きな赤い炎の塊が出現した。それは、隕石に向かって勢いよく飛んでゆき、隕石を飲み込んでブラックホールへと押し戻した。諒は咄嗟に天狼星を回収したが、従ってブラックホールは消失してしまった。行き場を無くした炎の塊は空中に静止した。

「まずい!」

「あんなの私の盾では防ぎきれない!」

「せっかく退いても良いと機会を与えて差し上げたのに、全く愚かな種族ですね」

 空中で静止していた炎の塊は、一花と諒に向けて勢いよく落下してきた。

 その時だった。

「姫!」

 地上から声が聞こえた。聞き覚えのある声に、一花はすぐに反応した。

「えっ!麗華ちゃん!どうしてこんなところに・・・」

「姫!私を受け取ってください!」

「どういうこと?」

 麗華は腰に下げた刃のない刀を抜き放った。

「我に応じよ!!」

 柄から白銀に輝く光に包まれた刃が出現し、そして、麗華はそれを天に掲げ叫んだ。

「我が魂を捧げん!」

 麗華の身体が黄金の光の粒となって霧散し刃に吸い込まれ、それは螺旋状に白銀と黄金の強い光を放つ刀となった。そしてそれは一花の手元めがけて飛んだ。一花は弓を肩にかけて刀を受け取り、炎の巨塊に向き直り構えた。

「姫!」

 刀から麗華の声が聞こえた。

「麗華ちゃん?どうして?」

「姫、日月裂天と唱え刀を思い切り振るってください!」

 一花は麗華の言うままに刀を振り下ろした。

「日月裂天!」

 刀が纏っていた白銀と黄金の光は刃となって炎の巨塊を真っ二つに切り裂いた。二つに割れたそれは空中で大爆発を起こした。

 一花と諒は、爆風に耐えるのに精一杯の様子だったが、ザガンはまたグラスを傾け、赤い液体を自分の周囲に廻らせ、薄い赤い膜に包まれて爆風を難なくやり過ごしていた。

「そろそろ、頃合いか」

 ザガンは富士の大穴を見下ろした。富士はその巨躯を小刻みに震わせていた。すると次の瞬間、轟音とともに大穴から赤黒い溶岩が噴出した。そしてさらに爆音が轟いたかと思うと、山頂付近でも噴火が起こった。彼らの今いる場所から見ることは出来なかったが、巨大な火柱が上がり、どろどろとしたマグマが火口から溢れ出てきていた。

「さて、富士の結界は破られた。あとは放っておいても良いが・・・、後々、鼠のように周りをちょろちょろされても面倒ですし、あなたがたにはここで消えていただくことにします」

 ザガンはワイングラスを大きく傾け、中の液体を全て空中に零した。それは赤い蛇が塒を巻くようにしたかと思うと、牙をむいて諒と一花に飛びかかってきた。

「だめだ、結界が破られてしまった!一花、手を!」

「諒!」

 一花と諒は手を取り合った。諒は指先で空中に印を描いた。空間が歪み諒と一花はその歪みの中に消えた。赤い蛇は、鋭い牙の矛先をなくして、ばくんと口を閉じて消えた。

「神々の血族・・・。今世も少しは楽しませてくれそうですねえ」

 ザガンは含み笑いを残し、赤い霧となって消えて行った。


 防衛省防衛研究本部技術開発部特殊事象対策課資料管理室、そこには重苦しい空気が漂っていた。室員は皆一様にぐったりとし、宮比ほのかに至っては、長椅子に横たわった状態であった。彼らは葛城の撤退命令で、作戦本部まで戻り、そしてそこから富士が噴火するのを目の当たりにし、自衛隊と共に麓の基地まで撤退した。そのあとは、彼らは自衛隊の活動の邪魔になるだけであったし、一旦彼らの拠点へと戻ることになった。そのころにはもう辺りは夕闇に包まれつつあった。

 部屋には小型の液晶テレビが置いてあり、ニュースキャスターが富士山噴火の様子、余震の発生状況、溶岩の流出状況、火山灰の降灰予測などを、空撮映像や都市部のインタビュー映像、ここぞとばかり登場する専門家及び評論家らのコメントなどを交えて、繰り返し伝えていた。それによれば、富士は最初の巨大な噴火の後も、小規模な噴火を繰り返しているようだった。富士の東側中腹にできた大穴からの噴火は比較的小規模で、溶岩の流出もさほどではないようだが、それでも予測としては山中湖あたりまで到達するのではないかということだった。深刻なのは山頂付近の噴火の方で、南西方向へと流れ出た溶岩は、二十四時間以内には富士宮市に到達するだろうとのことだった。当然ながら周辺住民は避難を開始しているが、受入場所や支援体制など、まだまだ混乱状態であるようだ。さらに交通網も麻痺状態で羽田及び成田空港については、当面全便欠航となっており、鉄道各社もこちらは地震による被害の部分も大いにあったが、かなりの路線が運転を見合わせている状態だった。また、これらに加え、今後は火山灰による影響が懸念され、東京でも少なくとも5センチほどの積灰が見られるであろうとのことだった。

「全く、ご冗談を、と言いたいね」

 葛城剛は、深々と椅子に腰を落とし、煙草を口の端に咥えて溜息まじりに呟いた。瀬織由美子は一応非難の眼差しを送ってはいたが、いつものように突っ込みを入れる気力はないようだ。

「俺はまだ本気出してねえからな」

 犬神誠は、この中では比較的元気そうに反論した。

「まあ、お前さんについては、まだ余力があったのは確かやけど、それでも、なあ」

「ふん」

 稲田静香は背筋を伸ばして行儀よく椅子に腰かけていたが、その目は宙を見据え、どこにも焦点があっておらず、まるで韜晦しているようだった。木花咲は、机に突っ伏して、時折「とりあえずビール」、「焼酎ロック」とか何かしら夢遊病のように、ぶつぶつと呟いていた。

「室長、彼らは何者でしょう?」

「うん?あのカップルのこと?」

「ええ、私たち以外にも、何かしらの対抗組織があるのでしょうか?」

「さあなあ、僕らと同類やとは思うけど、次元がちゃうかったなあ。それでも富士山が噴火したゆうことは、負けたっちゅうことやろか?」

「彼らが無事かどうかわかりませんが、接触してみますか?」

「そうやね。そやけど由美ちゃん、あの短い間に彼らとコンタクトできるように出来たん?」

「両方は無理でしたが、女性の方は精神波をある程度認識しました。生きていれば、たぶん繋がると思います」

「そっか。ほな、ちょっとばかし休憩してから、今後のことを話し合って、ほんでどうするか決めよか。静香君、何か予兆めいたものある?」

「・・・」

「おーい、静香君?」

「え?あ、はい、何でしょう?」

「いや、何か悪い予兆とかないかなあと思って」

「そうですね・・・、今のところ特にはないようです。富士の結界が完全に破壊されたことで、その影響は多々出るとは思いますけれど。その他は、以前に感じた予兆どおりといったところでしょうか」

「そっか、ほなやっぱり、とりあえず今日のところは、みんな休もか?ちょっと僕も結構きつい。ほんで明日の朝ここに集合ってことで」

「そうですね、宮比さんは私が連れて帰ります」

「うん。頼むわ」

 各自が室から去り、部屋には葛城だけが残った。葛城は咥えていた煙草を灰皿に押し付け、新しい一本を取り出そうとしたが、もう煙草は一本も残ってはいなかった。葛城は残念そうにその袋を軽く握り潰し、机の上に放って、腕を頭の後ろに組み、椅子の背もたれに深くもたれかかり、誰もいなくなってテレビの音だけが聞こえる部屋で一人、物思いに耽るようだった。


 一方、一花と諒は、一花の屋敷の庭に転移していた。

「大丈夫か?一花?」

「ええ、私は大丈夫、諒は?」

「ああ、何ともない」

 そう言いながら諒は左肩を抑えており、そこからはうっすらと血が滲んでいた。

「何ともないことないじゃない!」

「掠っただけだ」

「いいから入って、怪我の手当てをするから」

 一花は、屋敷に入ろうとしながら、刀を持っていないことに気付いた。

「麗華ちゃん・・・、諒、刀は知らない?」

「わからない。すぐに転移できる場所へ飛ぶので精一杯だった。しかし、一緒に飛んだはずだから、どこかで逸れてしまったのだと思う」

「そう・・・、とりあえず無事ってことよね?」

「おそらく」

 一花は麗華のことが心配ではあったが、何となく彼女は無事であるという予感めいたものはあった。

 一花はリビングで救急箱を取り出し、諒の手当てをしながら話しかけた。

「手も足も出なかったね」

「そうだな。あれほどとは思わなかった。奴は俺達が飛ぶあの一瞬にも、次元の結界を張って飛ぶのを防ごうとした。ぎりぎり隙間を通れたから、この程度の傷で済んだが、ちょっとでも遅れていたら生きては帰れなかったかもしれない」

「麗華ちゃんもだけど、他にも私たちの前に戦っている人たちがいたわね」

「そうだな。器ではないようだったが、その候補かもしれない」

「あの人たちとも協力しないと、私たちだけでは力不足だわ」

「ああ、悔しいが俺もそう思う。彼らの今の力では役に立つとは思えないが、もしも覚醒できれば戦力になるはずだ。ザガンというやつは九王のひとりと名乗っていた。あんなのが他にも大勢、九王と名乗るからには少なくとも九体はいるのだったら、二人では全く歯が立たない。俺達と同程度の仲間が数人は必要だろうな」

 諒はめずらしく打ちひしがれている様子だった。そんな彼を見た一花は、いきなりその背中を思い切り叩いた。諒は思わず咳き込んだ。

「諒らしくもない!もともとはアガレスにだって太刀打ちできなかったでしょう。でも今度は逃げられはしたけど勝てた。だったら、さっきのザガンってやつにも今度は勝てるわ!このまま負けたままでなんか終わらない!」

 高らかに宣言する一花を諒は眩しそうに見上げた。

「ふっ、根拠は全くないが一理あるな。まずは彼らを探さないといけないが」

「彼らは自衛隊と行動していたわ。きっと手掛かりはあるはず」

「そうだな。それから富士の結界が破られたことで、他の神域へ通じる結界が気になる。各地を巡って確認する必要があるだろう」

「旅に出るってことね」

「ああ」

 その夜は、諒は一条家の屋敷の一室を借りることにした。今日のところは、これ以上は何も起こらないようにも思えたが、不測の事態が起こっては、別々に行動するのは危険だと思われたからだ。彼らは夕食も早々に泥のような眠りに落ちていった。

 

 そして、日付が間もなく変わろうとしていた一条家の離れ、がちゃりと玄関の扉を開いたのは麗華だった。麗華は父康守の書斎へ足を向けた。ドアの前に立ち扉をノックすると、すぐに応えがあった。

「麗華か?」

「はい、父上」

 康守が彼にしては珍しく、慌ててドアを開け、麗華の肩を掴んで尋ねた。

「おお、無事であったか。一花お嬢様は?」

「先程、電話で話ました。既にお屋敷に戻っているとのことで、怪我もなく、ご無事とのことでした」

「そうか・・・」

 康守は心底安堵したというように深く息をついた。彼はゆっくりとデスクの椅子に腰掛け、麗華に尋ねた。

「どのような首尾であった?」

「ご承知のとおりかと思いますが、富士の結界を堅守するには至らず、敵方の強さは圧倒的で、私は姫をお守りすることで精一杯でした」

「いや、お嬢様とお前が無事ならば何も言うことはない。麗華、お前にはもう何度も話したことだが、新宮家は一条家の刀としての役割を代々担ってきた。宝刀天叢雲剣を自在に扱い、さらに自らの魂をそれに宿すことができるものは一族の中でも限られており、それは予め定められた者のみに許されている。そして刀と心を一つにできたとしても、よりそれと同調する必要がある。同調の具合によって、その力は解放されていくと伝えられており、伝承によれば、その力、天を裂き地を砕いたという。私には宝刀を扱うことすらできなかったが、麗華、お前にはそれができる。おそらくこの後は一花お嬢様にとって、さらに苛酷な試練が待ち受けていよう。麗華、改めて命を申し付ける。一花お嬢様の刀となって御身をお守りせよ」

「望むところです」

 麗華は頬を紅潮させ、不敵な笑みすら浮かべて胸を張った。

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日月神記 @HiRoK

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