最終話 ゲームクリア

 警視庁の対策班は、集積ポイントに展開して実行指示を待っていた。

 即時対応可能にも拘わらず、時間を多少なりとも食ったのは、本部で種崎が「アスタリスクを片付けるためだ」と口走ったせいだ。

 そのために待機したんじゃないかと、掌を返されてグズる対策班長の尻を、二課長は本当に膝蹴りしたらしい。


 種崎の痛撃から五分後、真波市の集積所は強制シャットダウンさせられた。

 表面上は街に変化は無い。だがこの時、かせを外されたアスタリスクは無通電の集積施設を越え、各地のサーバーに猛烈な浸蝕を開始した。

 待機センターから凄まじい勢いで触手を伸ばす電子のヒトデ。いや、やはり触手の数からして、アメーバが適切か。

 アメーバが侵攻したVR空間には、全て火が撒き散らされる。触手を切り離して行動させることはできないため、活動先は待機センターから地続き・・・であることが必要だったのだ。

 この結果に、涼也は独りほくそ笑む。


「見えるか、ナル?」

『チビゼリーだね』


 キューブの肉は下へ流れ落ち、巨木をひっくり返した姿へと変わる。処理能力のほとんどが、侵蝕へと振り分けられたからである。

 何倍もに増えた脚は一本一本が太く、その上に乗る頭は余りにも貧弱だった。

 密集する脚は地に広がり、小さな核がズルズルと高さを失う。


 一辺が約二メートルくらいの立方体、こんな本体なら、掘削弾を使うまでもない。

 黒には白を、単発でサジタリウス全矢に次ぐ威力を生む滅竜矢“烈煌れっこう”。

 隻腕の狩人ハンターは、獲物へ高らかに武器を掲げた。


「スコープ起動オン


 精密射撃用の照準が宙に映り、黒い四角と重なる。

 仰角を調整して中心を敵に合わせると、彼は音声に頼らず自力で引き金を絞った。


 瞬く輝いた銃先から、竜を討ち果たす白い光が軽く弧を描いて伸びて行く。

 光線は寸分のズレ無く、キューブの中心を捉えた。


 黒液が弾け、アスタリスクの黒い肉が爆散する。

 スコープモードで観察を続ける涼也は、着弾地点に銀色の反射光を認めた。一回り小さい金属質の立方体――これこそが正真正銘のコアだ。


「ペイント弾装填」


 ――マーキングさせてもらおう。


 発射されたピンクの弾が銀核を目指し、滅竜矢の軌跡をなぞる。

 弾着と同時に、スコープ内には赤い点が表示された。


 自らの存在を危うくする核心への攻撃に対して、地上に降ろされていた脚の一部が、急速に盛り上がる。

 本体を守ろうと、射線を寸断する壁が生まれた。

 壁はタールを吸い上げて膨張し、瞬く間に空中に浮かぶ扇形へと変わる。彼の前に立ちはだかったのは、またもや竜王ゲールナンドだ。

 これが本体を庇う最大の壁、その周りには一回り小さな竜の眷属がワラワラと湧き出す。こちらは反撃用か。


 しかし、その防御方法は愚昧ぐまいに過ぎるだろう。百貨店屋上へ雲霞うんかの如く押し寄せるチビ・・へ、涼也は目もくれない。

 竜たちの鱗が、屋上ごと彼を砕こうと放たれた。

 空を覆う黒いつぶての雨――しかし、彼を止めるには一手遅い。

 鱗を逆立てて、自らも反撃しようとする巨竜を、必中の矢が貫いた。


 竜の腹に空く大穴、穴の奥にはコア。

 竜を滅ぼした矢が核に届くのは、彼にもはっきりと見える。

 竜たちに見せ場などなく、力を失くしてただ墜ちるだけ。黒い豪雨が地を叩くと、飛沫が高く撥ね広がった。

 アスタリスクは障壁を造るところからやり直したいのだろうが、脈動する黒液は母体からのコントロールを失いつつある。蛸のような脚を巻き上げて空中で振り回しても、悪足掻きでしかない。

 これで最後だ。


「器物破損、仮想殺人の容疑で――」


 三発目の烈煌が、コアを撃ち抜く。


「――破壊・・する」


 四散する閃光に顔を背けたくなるが、涼也の目は断末魔を見届ける。


 核はこの世界の主役。主役が死ねば、広漠とした基盤世界もまた割り砕かれる。

 街の稜線が歪み、平衡感覚を狂わされた彼は、片膝を付いた。


 細かく割れた空の破片が、柳花火の如く煌めいて繁吹しぶく。

 その後に訪れるのは黒――艶の無い完全な闇が、機械が生んだ世界を塗り潰す。


「……ログアウト」


 涼也は宣言通り、アスタリスクを内側から破壊し、終焉に導いたのだった。





 頭の後ろで開き出したキャノピーに小突かれて、綾加は居住まいを正す。

 痛む腹を庇いながら、目覚めた涼也へおっとりと振り返った。


「お帰りなさい。首尾は?」

「上出来――のはずだけどな」


 彼は左腕の感触を確かめると、上体だけを起こして現実への復帰に脳を順応させる。

 立ち上がるのは涼也の方が早く、彼の肘を掴んで、なんとか綾加も横に並んだ。


「満身創痍じゃないか。顔も真っ黒だぞ」

「つつっ……大変だったのよ。みんなの所へ行きましょ」


 荒れた床を慎重に扉へ向かい、廊下に出た彼らをナルと幣良木が出迎えた。

 アスタリスクの浸蝕は止まり、生体リンクは解除されたらしい。

 一階の各ホール、それに地下では、収容者のカプセル停止と患者の移送が始められようとしていた。エレベーターは緊急停止したままなので、四人は階段でロビーへ降りる。

 涼也たちの姿を見て、地下へ向かおうとしていた山脇が走り寄って来た。


「外の信者は、あらかた逮捕した。自爆で味方の被害がデカいが、取り逃がしたのは数人だな。市警が追ってる」

「火災は?」

「もうすぐ消防の地上隊が来る。ヘリのおかげで、そっちも峠は越したよ」


 この時点では彼らも知らないが、真波サイバーテロ事件は、回線社会を脅かす一大事件として世界をも震撼させた。

 拝火信統会、医療センター幹部、両センターのスタッフ合わせて、総計三十八人を逮捕。犯人と警察関係者、並びに、生体リンク被験者の死亡数が四十一人。

 真波市全域の混乱によって、死者は三桁を上回った。


 回線状況が修復された現在では、消防と警察、それに軍の一部も投入されて、連携を取って動いている。

 陽が昇るまでには、事態は収束へ向かうだろう。

 説明を聞く最中に、幣良木の手配した担架がようやくやって来た。乗るように勧められた綾加は、その前に涼也へデータを送りたいと言う。


「携帯端末を出して。地下のドローンを操作できるようにするわ」

「Kに入るやつか」


 コントロールプログラムをコピーした彼女は、端末を見ながら操作方法を簡潔に教えた。


「開錠が二番のドローン、赤いマークが付いてる。一番は青――」


 話が済むと、綾加は大人しく担架に横たわる。

 手足の火傷は人工皮膚で消せるだろうが、骨のヒビが完治するには多少時間が掛かりそうだ。

 その様子を涼也は横目で窺いつつ、病院まで付き添ってくれる幣良木へメモリを手渡した。


「所長室から引っこ抜いた関係者の資料です」

「ありがたい! すぐに本部に転送して、皆で共有するよ」


 運ばれて行く彼女は、担架から右手を突き出して親指を立てた。残る男たちの健闘を祈ったらしい。待ちくたびれたとばかりに、山脇はさっさと歩き出した。


「さあ、行くぞ。神堂の生面なまづらを拝ませてもらおう」

「あの……オレも付いてっていいかな?」


 大抵は物怖じしないナルも、血と煤を拭こうともしない捜査一課長には遠慮がちだ。

 とっとと牢屋に戻れと言われても、おかしくないところを、山脇は「好きにしろ」と言い放つ。

 涼也も課長を追いかけて、地下へ足を早めた。

 隣を歩く青年の至って真剣な顔を、彼は少し意外に思う。


「捜査に興味が湧いたのか?」

「ん、まあ……ラストまで見てやっとゲームクリアかな、と。転送捜査官ってのも、悪くない仕事だね」

「こんな事件は特例だけどな」


 自分も捜査官になれるか、などという質問も予想したが、ナルはそれ以上喋らない。

 一般公募枠もあるとは言え、犯罪歴が有る人間が通るほど甘くないことは、彼も重々理解していた。


 三人は中央エレベーターで下降し、生体管理室へ入る。

 部屋では、ちょうど神堂がカプセルから出された頃合いだった。しわくちゃで自力で歩くのもままならない老人に、凶悪犯の面影は薄い。

 山脇がまくし立てても、弱った男は小声で教儀を呟くだけだ。

 余命少ない教祖は、警察病院でその生涯を閉じるのだろう。拝火神統会は生き延びたとしても、今後は公安の徹底した監視下に置かれるはずだ。


 捜査一課の面々により、神堂や幹部たちが続々と搬出されて行く。陣頭指揮を執る山脇と違い、涼也はKとの接続路へ足を向けた。

 開錠用のドローンを前にして、ウンウンと唸り声を上げているのは、内調の鹿坂である。

 消火ヘリにでも同乗してるのかと思いきや、彼は一足先に地下へ来ていた。この騒ぎの中、センターに何度も出入りするとは、さすが内調と言うべきか。

 近づく涼也たちへ、命令とも懇願ともつかない切羽詰まった声が飛ぶ。


「ロックされてて、ドローンが動かないんだ。何とかしてくれ!」

「鳴海のプログラムじゃないと、動かないように設定したみたいです」


 彼は自分の携帯端末を取り出し、ドローンの操作画面を呼び出した。

 間延びした口調で、ゆっくりと画面の見方を教える。


「えーっと、ドローンの操作方法はですね。一番が青で――」

「貸せ! 青を押すんだな」


 端末を引ったくった鹿坂は、躊躇いもせず青いボタンをタッチした。

 ドア前のドローンは、微動だにしない。


「――押しちゃダメなんです。青は制圧ドローンの制御だから」

「なに! それはどこの――」


 轟音が会話を掻き消す。

 三十三個の水素電池が、Kの室内で爆裂した。


 ドアは激しく揺れたものの膨大なエネルギーを耐え、音以外は内側に閉じ込めたようだ。極端に頑丈な設計をした坂本へ、内調調査官は感謝するべきである。

 赤いボタンが連打されると、ドアは軋みながらも左右に開く。

 クズ鉄と、割れたセラミックの山。黒い冷却ジェルが、部屋中に飛散している。粉塵漂う破壊跡に、鹿坂は言葉が出ない。


「非常手段として、鳴海が仕掛けたんですよ。青を押しちゃったかあ」

「なん……そんなっ……!」


 Kの素体となったデータの究明、貴重な共鳴能力の観測、鹿坂が期待したこれらの成果は得られないであろう。

 四十年を経て再び扉を開けようとしていた異能の存在は、涼也の手で封印されたのだった。


 ――人智を越えた神の炎か。こんな機械、潰すべきだ。魔法の如き電子の海でも、魔術師は必要無い。


 ガックリとへたり込んだ男の相手を、爆音で駆けつけた捜査員たちに任せ、彼はエレベーターへと踵を返す。

 後を追うナルは笑いを堪えるのに懸命らしく、しばらく肩を揺すっていた。




 二人は中央管理室に持ち込んだ機器を回収してから一階に戻り、介抱される収容患者たちの横を玄関へ抜ける。

 カプセルは順次、液体を抜かれて、天蓋が開放されていった。起き上がるのも困難な者が多いが、中には自分の足で病院へ向かう患者もいる。

 そのうちの一人、老いた女性が、涼也の姿を認めて深く頭を下げた。交流館にいた下里のようだ。


 彼は患者たちに近づくことなく、そそくさと外へ出る。

 待機センターの周辺では、赤い警告灯があちこちで回転し、サイレンや警告音声が響いていた。

 慌ただしく、走る制服警官や消防士の間を通り、涼也は県警の公務用車両へ歩み寄る。


 ――これだけの車が集結しているんだ、一台くらい貸してもらおう。


 現場では車輌のロックは共通化され、彼の個人端末でも解除可能だ。ナルとデコーダーを後ろに乗せ、自分は運転席に潜り込んだ。


「外部協力者制度ってのもあるぞ」

「え?」


 ぼうっと外を眺めていたナルは、涼也が発した言葉の意味を理解するのに、暫く時間を要した。

 外部協力者は捜査官の指名で雇用し、審査はあっても条件は緩い。今の涼也には、もう懐かしい前職だ。

 悪くない、そんな顔付きは、青年が興味を持ったということ。


「なあ、アンタは何で転送捜査官になったんだ?」


 そこに批難は含まれておらず、ただ純真な好奇心が滲み出ていた。多少考える素振りを見せた後、涼也は口を開いた。


「ゲームより面白いから、かな」

「ふーん……言えてる」


 車は静かに動き出す。

 本部に戻れば、書類仕事が山積みである。綾加がいないことに、またもや愚痴りたくもなった。

 ここからの捜査は、彼の手を離れてしまう。待機センターは崩壊し、生体リンクの実態はデータの奥底へ。


 転送課を待つのは、次の事件だ。

 深夜の街の灯が後方に流れゆく。この街も仮想空間も、眠ることを知らない。


手動運転マニュアルモード


 真崎涼也はオートパイロットを切り、自らの足でアクセルを踏み込んだ。








(了)

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電海に灰が舞う 高羽慧 @takabakei

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