第7話

 そうして僕は、一晩中ヤクモと共に過ごして、一晩中ヤクモの隣にいて、朝がきて、太陽が昇って、ヤクモの「じゃあな」という声で帰宅する。家の戸を明けると昨日の昼と同じ服を着たままの母さんが脇目も振らずに走ってきて僕の体を抱きしめた。昨日と同じように「ごめんね、ごめんね……」と連呼する。反射的に僕は腕を背に回して抱き返そうとするが、僕の体に密着する母さんの体が、胸や肩や腕が予想以上に細く弱くなっていることに気がついて思わず躊躇する。それでも、あまりに切なすぎる彼女に対してなにか不思議な感情が芽生えた僕はゆっくりと腕に力を入れた。

 暫らくして父と母の離婚が正式に決まり、僕は村を引っ越すことになる。色々なことが僕が不安に思ったよりもずっとずっと順調に穏やかに過ぎていった。それこそ怖いほどに、驚くほどに。村を出ると聞いた時の僕の心響だってびっくりするほど穏やかで、平静であった。悲しみとか寂しさよりも「ああ、やっぱりな」という感情のほうが強かった。僕の引っ越しの話を聞いたヤクモとて「ふうん」とあまり興味のなさそうな感想をいって、特にいつもと変わらない様子であった。最後に会ったときだって、いつものように山で遊んで、木々を渡り歩いて、全身にかすり傷をつくり大声で笑いあった。最後に分かれるときでさえもいつものようにお互いの手を握りかわして「またな」といって別れた。


 いつものように?


 違う。『いつものように』ではない。

 ヤクモと僕は普段別れる時に「またな」なんていわない。僕とヤクモは普段手を握り交わすなんてことはしない。ヤクモは知っていたんだ。これが最後になるのかもしれないこと。僕がきっと、この村には戻ってこないのだろうということ。もしかしてヤクモにはもう二度と会えないのかもしれないということ。それでも当時の僕は、違和感を持ちつつもヤクモの手をぎゅっと握り返した。新たなる地へ向かう電車の中で、何か大きな力の感じる右手をにぎったり開いたりしながらヤクモの笑顔を思い浮べていた。

 そうして僕は「加藤陽一」から「林原陽一」になり「聖陽一」になる。きっと僕の苗字が変わることはもうないだろう。新しい学校に転校した僕は、ヤクモに貰った不思議な力と木登りで鍛えた運動神経でたちまちクラスのヒーローになる。スゴイ、スゴイ、とまるで神様を見るように手を叩いた山の天気を知らない都会っ子たちは皆瞳を輝かせていたのだが、皆は知らないんだ。神様は本当にいるんだ。ヤクモと離れた僕は普通に中学校に上がり、普通に高校を受験して、大学を受験して、人並に思春期をして、恋をして、失恋をして、誰もが歩むような人生を送った。あの時のことがすべて夢であるかのように、穏やかに、静かに時は過ぎていった。


 それでも僕の右手には、あのときに握りしめたヤクモの体温がちゃんと残っている。


 そして10年後、20歳になった僕は10年ぶりに村を訪れた。いや、もう村ではない。何年か前に統合されて「市」となったそこは僕が知っている「そこ」とは大きく異なった場所であった。随分、変わっちゃったね、という僕の手を、都がぎゅ、と握り返してくる。

「ここが、陽ちゃんの想い出の場所?」

「……うん」

 あの時、自動販売機も街灯さえもなかった砂利道は奇麗に整備されて、自動販売機は勿論コンビニの看板も見える。蝉の声に紛れて聞こえた郵便屋さんの音さえもブーブーというエンジン音と排気ガスに消されてしまった。山が小さくなった。僕が大きくなったせいだけではないだろう。当時、僕が住んでいたあの大きな家も2年前の祖母の死去で取り壊されてしまった。僕は都の手を引いて、あの時ヤクモと初めて出会った河原へ足を運ぶ。ここも大分整備がされている。僕と都が裸足になってぱちゃぱちゃさせていると、向こう側をみかんの空き缶が流れていった。  

 10年前の夏、僕とヤクモはこの川で出会い、この川で神の光を目撃した。誰も知らない、知ることのない僕だけの秘密。思い出よりも濁ってしまった川の水をすくい取る僕の足。都も僕の隣で同じような行動をとっている。都の白い足の先から流れ落ちる滴を見つめながら、僕は遠い日の記憶をゆっくりと辿る。僕の夢のような昔話を聞いたとしても、都は何も言わない。呆れないし笑ったりもしない。

「楽しかった?」

「……うん……」

 ヤクモに会うことはできなかった。

 当時は勿論、今となっては結局ヤクモが一体なんだったのか、どこの誰だったのか解らない。ヤクモの家も学校もわからなかったし、『ヤクモ』というのが果たして苗字なのか名前なのか、もしくは本名なのかそれすらもあやふやだ。今現在だってあの無邪気な少年がどこで何をやっているのかなんてわからない。どこぞの田舎で米でも作ってるかもしれないし、それこそ人の入ることのできない山の山奥で忍者修行でもしているかもしれない。もしかして本当はどこぞの金融会社のお坊ちゃまで今頃たくさんの株主を相手に頭を捻っているかもしれない。僕の想像に、都は馬鹿ね、といっておかしそうに笑った。

「でも、俺は……」

 僕はもう、子供ではない。人生はそんなにうまくいかないことだとか、現実と夢の境界線だとか、出来ること、出来ないこと、起こりえることと起こり得ないことくらいの区別はつく。

 けれど僕は、やはりヤクモは間違いなく神様だったのだと思っている。あの日、あの時に見た夕焼け、落雷の予知、たくさんの蛍の光。幼い僕が体験したたくさんの出来事。僕の瞳に映った奇跡。

 成長をして色々な知識を蓄えた僕は、大学の資料室で見つけた古い資料の中にこの言葉を見つける。八雲。


 八雲立つ/出雲八重垣/妻篭みに/八重垣作る/その八重垣を


 これは、『古事記』にて建速須佐之男命(スサノオミコト)がヤマタノオロチを倒してクシナダ姫を妻として迎えることになった際に詠んだ日本最古の和歌だ。建速須佐之男命。日本神話に登場する日本八百万の神のひとり。

 この場合、『八雲』というのはもくもくと湧き上がった入道雲のことを指すらしい。真夏の、真っ青に気持ちよく晴れ渡った空に湧き上がる大きな雲。明るい未来を予想させるような、力強い大きな雲。僕はその光景に、あの時のヤクモの笑顔と蛍の光を重ねてしまう。ヤクモの父は空の上。母は海の中。父なる大地と母なる海。ヤクモの両親は決していないわけではなく、この地球すべてがヤクモの親。無茶苦茶な解説だ。こんなこと、今年成人を迎える僕が考えるようなことではないだろう。けれど、そうかもしれない、もしかしたら、そうなのかもしれないと思ってしまう。

 ふとした拍子に涙が出そうになるが、そんな僕の右手を都はぎゅっと握ってくれる。僕は、そんな都の小さな手の平を握り返して、あの日ヤクモに貰った不思議な力を都に分ける。都。僕の大事な人。これからもずっと一緒にいるかもしれないし、いつの日かまた離れ離れになるのかもしれない。けれど、今現在、僕の手を握ってくれている一番大切にしたい人。

 僕は川の中に足を入れたまま、青い空を見上げる。あの日と同じ、真っ青な空と大きな雲が今、僕の目の前にある。


 空が高い。



 fin.




2008.6.20 完結

2018.1.12 修正

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secret base シメサバ @sabamiso616

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