第8話
コンペの結果は落選だった。
いつも笑顔だった真田さんが、心底残念そうな顔をしていたのが印象深かった。
「頑張ったのにね」
「それは他の方達も同じですから……というより、単に私の能力不足が原因です」
「そんな事……」
「ただ……」
「え?」
「ただ、次はきっと、上手くいきますよ!」
「……そうだね! 次は、きっと!」
私と真田さんは二人で笑いあった。コンペに落ちたのは確かに悔しかった。けれど、何かに向かって進むのは楽しかった。その終点で泣きたいとは思わなかったし、真田さんも、きっと同じ気持ちだっただろう。
夜。私は久しぶりにバーに入った。祝杯というわけではないけれど、お酒が欲しくなった。頼んだのは、いつも飲んでいたものではなく、カクテルを作ってもらった。「分かりました」と言ってマスターが出した酒は、薄い金色を彩り、淡い照明に照らされて美しく、鮮やかであった。
「アラスカというカクテルです。少々強めですが、いつもゴールドオブモーリシャスをストレートで飲まれておりましたので、大丈夫かと」
「ありがとうございます。綺麗ですね……」
私はマスターと簡単な会話を交わし、目の前に置かれた、アラスカという名のカクテルを一口飲んだ。強い香りと、品のある甘みが口内に広がる。こんなお酒があるんだなと、大袈裟かもしれないけれど、感動を覚えた。
「美味しいです……」
「恐れ入ります。シャルトリューズの甘さが強いので、ジンはスタンダードなビーフィーターを使用致しました。ショートカクテルではございますが、どうぞ、ゆっくりお飲みください……ちなみに、これは余談なのですが、アラスカには、偽りなき心。というカクテル言葉が込められています」
「偽りなき、心……」
「僭越ながら、今のお客様はいつもと違い、何かつっかえが取れたような、澄んだお顔をされておりましたので、それに合うカクテルをお作り致しました」
読心されているようで小恥ずかしかったけれど、私は再びマスターへ礼を述べ、言われた通りゆっくりとアラスカを口に運んだ。偽りなき心という一文が、胸に響いた。私はそれまで、頑張りたいという気持ちを、意図的に封じていたような気がした。「何もできない」「やるだけ無駄だ」と、努力しない為の言い訳を、ずっとし続けていたように思えたのだ。けれど、それが間違っていた事に、ようやく気付くことができた。それは、紛れもなく幸福な事であった。そして私は、その幸福に気付かせてくれた、彼の事を思った。
居ても立っても居られなくなった。私は、彼に会いたい衝動を、抑える事ができなかった。
「お会計、お願いします」
半分ほど残ったアラスカを空にして、私はお金を払い、例のトンネルに向かって走った。近付くにつれて聴こえてくるギターの音色が心をくすぐる。その日は、エルトンジョンのユアソングを弾いているようだった。一番のサビが終わる頃。私は彼の前へと立っていた。息を切らせ、肩を上下させる私を見て、彼は、そっと、ギターの弦から指を離した。
「コンペ。駄目だった」
枕も装飾もなく、最初に出た言葉がそれだった。
「そうか」
しばしの沈黙。私達は目を合わせ、互いの瞳を見つめる。
「俺も、駄目だったよ」
「そうですか」
彼は笑った。私も、笑った。互いに笑い、何故だか知らないけど、握手を交わした。私の右手に、熱く、強い、彼の右手が掴まれた。
「でも……」
私達二人は、同じ言葉を、相手に、自分に対して送った。
「頑張った」
と。
こうして、私の初めての挑戦は、終わりを迎えたのであった。結果は出なかった。けれど、後悔はしていなかった。得難い経験ができたと思った。私は、私を肯定する事ができた。
私の人生は未だ半ばで、暗闇の中で、何をすべきか、何ができるのかを、必死で考え、踠いている。そして、それはこの先ずっと続いていくのだろう。不安や悩みは、恐らく尽きないと思う。
けれど、それは、何もしない人生よりは、遥かに美しく、素敵な事だ。そう。まるで、夜が明ける直前の空のように……
明けるまで 白川津 中々 @taka1212384
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