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  • 「紫微垣」苻堅戴記5への応援コメント

    うわあ、埋められた人、とばっちりじゃないですか!
    苻堅の名君イメージってどっからきてたんだろう……多分、苻堅がつくったやつ……?(笑)

    しかし中国人って埋めるの好きですね。
    姜維と鍾会って埋めるために穴掘ってる間にクーデター失敗したりしてませんでしたっけw

    ……ん、でもソ連でも自分で穴掘らせて殺してますわ……。

    作者からの返信

    名君は名君なんだと思いますが、
    振る舞いを見てるとだめんずを思い出しますw

    「俺がこんなに愛してやったのに、お前は!」
    みたいな感じで暴走しちゃうやつw

    上手く行ってる時はやさしいけど、
    いったんコケると
    一気に闇の面が噴き出す、みたいなw


    穴埋めは「殺すのに楽」と
    誰かが言っていた気がしますw

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    「紫微垣」苻堅載記2への応援コメント

    こんばんは。
    1は氷月さんがやられたので、2は私めがやってみました。
    『晋書』の漢文はやはり綺麗ですね。なお、「聽吾死問,汝使即尊位」の「使」は衍字のようですね。削除して読み下しております。

    台湾中央研究院 漢籍電子文献
    http://hanji.sinica.edu.tw/

    超便利ですよ!



    堅大怒,召慕容暐責之曰:
     堅は大いに怒り、慕容暐を召して之を責めて曰わく、

    「卿父子幹紀僭亂,乖逆人神,朕應天行神,盡兵勢而得卿。
     「卿が父子の幹紀は僭亂にして人神に乖逆せり。朕は天に應じて神を行い、兵勢を盡くして卿を得る。

    卿非改迷歸善,而合宗蒙宥,兄弟布列上將、納言,
     卿は迷を改めて善に歸するに非ず、しかして合宗は宥(赦)を蒙り、兄弟は上將、納言に布列す。

    雖曰破滅,其實若歸。奈何因王師小敗,便猖悖若此!
     破滅を曰うと雖も、其の實は歸するが若し。奈何(いかん)ぞ王師の小敗に因り、便ち猖悖すること此の若からんや!

    垂為長蛇於關東,泓、沖稱兵內侮。
     垂は長蛇(蟠踞と同義?)を關東に為し、泓、沖は兵を稱して內に侮る。

    泓書如此,卿欲去者,朕當相資。
     泓の書は此くの如し、卿の去らんと欲さば、朕は當に相い資すべし、と。
     ※卿の~以降は書の文面ですね。訳文が正です。

    卿之宗族,可謂人面獸心,殆不可以國士期也。」
     卿の宗族は人面獸心と謂うべく、殆(ほとん)ど國士を以て期するべからざるなり」と。

    暐叩頭流血,泣涕陳謝。
     暐は叩頭して血を流し、泣涕して陳謝せり。

    堅久之曰:
     堅は之を久しうして曰わく、

    「《書》云,父子兄弟無相及也。卿之忠誠,實簡朕心,
     「『書』に云えらく、『父子兄弟は相及ぶなきなり』と。卿の忠誠は實に朕の心を簡(緩)にす。
     ※簡心は「明らか」の意でよさげです。訳文が正です。訓読は「心に簡なり」ですかね。

    此自三豎之罪,非卿之過。」
     此れは自ら三豎の罪にして卿の過に非ざるなり」と。

    復其位而待之如初。
     其の位を復して之を待つこと初めの如し。

    命暐以書招喻垂及泓、沖,使息兵還長安,恕其反叛之咎。
     暐に命じて書を以て垂および泓、沖を招喻し、兵を息(罷)めて長安に還らしむれば其の反叛の咎を恕さんとす。

    而暐密遣使者謂泓曰:
     しかして暐は密かに使者を遣りて泓に謂いて曰わく、

    「今秦數已終,長安怪異特甚,
     「今、秦の數は已に終らんとし、長安の怪異は特に甚し。

    當不復能久立。
     當に復た久しく立つ能わざるべし。

    吾既籠中之人,必無還理。
     吾は既に籠中の人、必ずや還るの理なからん。

    昔不能保守宗廟,致令傾喪若斯,
     昔、宗廟を保守する能わず、傾喪せしむることを致して斯くの若し。

    吾罪人也,不足復顧吾之存亡。
     吾は罪人なり。復た吾の存亡を顧るに足らざるなり。

    社稷不輕,勉建大業,以興復為務。
     社稷は輕からず、勉めて大業を建て、興復を以て務と為せ。

    可以吳王為相國,中山王為太宰、領大司馬,汝可為大將軍、領司徒,承制封拜。
     吳王を以て相國と為し,中山王を太宰と為して大司馬を領せしめ、汝は大將軍と為りて司徒を領し、封拜を承制すべし。

    聽吾死問,汝使即尊位。」
     吾が死問(訃報)を聽かば、汝は尊位に即け」と。

    泓於是進向長安,改年曰燕興。
     泓は是において進みて長安に向かい、年を改めて燕興と曰う。

    是時鬼夜哭,三旬而止。
     是の時、鬼は夜に哭し、三旬にして止む。

    泓謀臣高蓋、宿勤崇等以泓德望後沖,且持法苛峻,乃殺泓,
     泓の謀臣の高蓋、宿勤崇らは泓の德望の沖に後(遅)れ、且つ法を持すること苛峻なるを以て、乃ち泓を殺す。

    立沖為皇太弟,承制行事,自相署置。
     沖を立てて皇太弟と為し、行事を承制して自ら相い署置せり。



    以下、訳文にも少々。

    その宗族は我が庇護を受け、その兄弟は将として高位に就いた。
     「蒙宥」なので「庇護」より「赦免」されたが適切。
     納言は大納言みたく高級官僚、「将」より「将相(大将大臣)」がよさげ。

    その実態は飽くまで秦への帰属扱いである。
     「帰するが如し」は「家に帰るようなもの」の意ですね。

    賓客として遇するべき者らではなかったな
     「国士」なので、一角の人物の意ですかね。「国士」ままがよさげです。



    「長蛇」
    なるほど、包囲する軍勢が蛇ですか。面白い表現ですね。なるほどなあ。勉強になりました。

    基礎体力はつまり量ですから。『世説新語』はいい方法だと思いますが、惜しむらくは難しいですよね。内輪ネタ多すぎ。小説ネタの宝庫でもありますが。
    前も触れましたが、翻訳だけなら訓読は要らないですし。専門教育でやる理由は、文法だけでは教えられないから、過程を示させることで誤りを指摘しやすくなるくらいではないかと思いますね。楽しいからいいですけど(笑





    こんばんは。
    いささか補足をば。

    >心に簡なり

    『後漢書』の註に「簡心」があったようです。このように、いざとなれば用例を探して類推する根性が求められてしまうのです。ゲンナリ。


    〉竹東さんの訓読を拝見して、ここは「これを侍らす」の代字なのかな、と思いました。

    「待つ」は「待遇」から来ています。つまり、「遇する」と同義なのです。一筋縄ではいきませんね。


    >秦の數は~

    この數は命数から来ています。イメージ、大事です。


    〉ここの「復」は、なんであるの? って気がして仕方ないです。

    いい疑問です(池上さん風)
    復た〜ず、の構文は基本的にneverと考えてよいです。再びの意がありますから、その否定が二度と〜ない、になるわけですね。


    〉承制

    皇帝の代理権を持つの意ですね。承制封拝は人事権を意味し、承制行事は軍国の権を意味する、というくらいでいいと思います。

    質問は私も勉強になるのでありがたいです。意外と見落としているものですから。遠慮なく近況コメとかに書いて頂ければ、『大漢和』とかひっくり返して調べますよ。遅いけど。。。
    あと、指摘があったとかは本文では無視する方がいいですよ。読む人には関わりない、漢文好きの話ですから。

    作者からの返信

    ありがとうございます!

    と言うかこうやって読み下して頂けてると、
    基礎体力の違い的なものを感じます。
    いや本当、訓読文にするのすっごく青色吐息で……
    (訳文にするのは結構楽)
    デイリー世説新語で、基礎体力つくといいなあ。

    そうやって考えると、やっぱり
    「祭已畢焉」ごっこのためには、
    もっと訓読力訓読体力が必要ですね。


    さて、訓読比較はまた改めてさせて頂くにして、
    先に訳文の方はご指摘を受けて修正しました。
    「納言」かぁー……という。
    そんな単語すっかり抜け落ちてた。

    そして、一点だけ。

    >垂為長蛇於關東
    この時、慕容垂は鄴を包囲しています。
    もしかしたら包囲のイメージに「蛇がとぐろを巻く」
    ってのがあったのかもしれません。





    お世話様です。
    遅ればせながら、比較考察をさせて頂きました。


    >幹紀
    これはそのまま慕容側の動きとして拾っておくべきだったんですね。

    >納言
    既に先だって反応はしましたが、「納めて言わば」で、「所謂」的用法と思い込んでいました。うぬぬ。納言なんて言葉、ありましたねぇ……

    >猖悖すること此の若からんや
    こちらの方がカッコいいです。自分の奴だと、なんかたどたどしい。

    >殆ど
    変に「たいに」とか読み下しても仕方ないですね。ひたすら分かりづらいだけでした。

    しかし、べし、なりはやっぱり開かないと無駄に重いですね。

    >叩頭して血を流し、
    対句的用法ですし、読み下しも照応させるべきでした。

    >云えらく
    この言い回し、インプットします。言う、より明らかに字面が締まりますね。

    >心に簡なり
    ここの解釈は難しいな、と思いました。が、あんまり深く考えず「まーええねん、赦したる」だけで拾ってしまって、それ以上考えないようにするのも手なのかな、とかとか…w
    まぁこういうところの字釈で悩まずして、なんのための訓読ごっこか、と言うところでもあります。


    >之を待つこと初めの如し。
    ここ、自分の訓読では飛ばしちゃってますね。お恥ずかしい。結構悩んだ記憶はあるんですが。
    竹東さんの訓読を拝見して、ここは「これを侍らす」の代字なのかな、と思いました。


    >暐に命じて
    この方が文意が通りやすいですね。うーん、自分の中に中途半端にできあがりつつある訓読パターンに振り回されているようです。柔らかいうちにちょくちょく焼き直ししないと。

    >秦の數は~
    自分の読み下しが棒読みすぎて怖ろしくなりました……いやいや、いくらなんでも……

    >當に~べし
    推量か。確かにその方がしっくり来ますね。


    >還るの理
    「理」の扱いに物凄く困りました、ここ。そうか、こう言う形に出来たんですね。

    >致して斯くの若し
    この「斯くの若し」は、どこにあるとカッコいいのかな、という感じですね。自分の感覚だと自分の方なんですが、竹東さんの方が読み下しっぽい気がします。
    ……というかこの辺りの自分の読み下し、たどたどしいなあ。お恥ずかしい。

    >復た吾の存亡を顧るに
    ここの「復」は、なんであるの? って気がして仕方ないです。ただ、これまで読んできて、晋書の文章における意図の忍ばせ方は半端ないので、やっぱり無視してはいけないんだろうな、とも。深い、深すぎます。

    >吾が死問を聽かば、
    なんつーか、「hearing my dying,~」構文過ぎて、すごいな、とw

    >法を持すること苛峻
    なんでしょう、カッコいいかどうか、と言う基準で、のたうち回っています。正しいのだろうし、カッコいい。ぐぬぬ。

    >行事を承制して自ら相い署置せり。
    この専門用語ラッシュは、大人しく専門用語を勉強しろよ、的なお達しのように思えました……。

    うーん、割と訓読できてきたんじゃね、的鼻っ柱が思い切りへし折られた感じです。この、すぐに調子づいてフワフワした解釈を始めちゃうのは危ういな……。


    ここはオーブンな場ですし、訓読文については、より完成度の高いモノを提供すべきなんでしょうね。「どう俺が間違ったか」なんてのは、ローカルに残しておけばいい。

    明日がようやく休みなので、ガッツリ訓読文に手を入れていきたいと思います!

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    「紫微垣」苻堅載記1への応援コメント

    こんばんは。

    氷月さんの訓読は綺麗ですね。自分で訓読するととにかく「ひらく」「助詞を省略しない」なので、訓読文というよりも古文チックになりがちですから、見習いたいものです。

    辞書は、唐・五代までは『大漢和』だけでいいですが、宋以降は『漢語大辞典』も必要になるんですよね。これが苦手で宋以降を避けている節があります。

    よくよく読むと面白いんですけどね。。。それでは、載記2は頂きますね。



    2点ほど遣り取りで気づいたところがありましたのでお伝えしますね。

    > >鉅鹿公の輕戇銳進し,亂兵の害する所と為る
    >
    > 副詞節の主語には「の」を使う、河東さん方式の読み方ですね。

    「鉅鹿公は突っ走った、そして、(鉅鹿公は)亂兵に害された」
    この場合、前文と後文はANDで繋がる同等の主文になりますので、
    主格助詞を入れる場合は「鉅鹿公は」になりますです。
    これが、「突っ走った」と「亂兵に害された」のが別人の場合、
    後文が主文で前文は副詞節と考えると分かりやすいかと思います。


    > >勇にして果たして
    > 思いっ切り拾えなかったのがバレバレで、お恥ずかしい限りです……

    『晋書』あたりだと「勇果=勇猛果敢」という用例も多いので、
    どちらとも解釈可能なようです。この場合は「勇果」もありそう。
    真相はやぶの中、です。

    作者からの返信

    最終的に「オレ的にカッコイイ訓読文」に辿り着きたいものですが、そのためにも、基準値をしっかり自分の中に組み込まなきゃ、と言う感じがします。竹東さんと氷月さんのお二方にご教示いただけているとか、この恵まれた環境どうしよう、と小躍りしていますw

    それにしてもここ最近、文法用語を調べては「ほ、ほう……ほほう……」となっていますw この辺りの整理がつくと、間違いなく理解がスムーズになるんだろうなーと言う手ごたえはあるんですが、いかんせん、奴らは強い! 頑張って戦わねばですw

    >勇にして果たして
    「オッケーオッケー、どっちでもオッケー!」とは言いたいですが、どうせなら少しでも著述者がその文字を盛り込んだ意図に寄り添いたいものです。もっとも漢文って、著述者云々以前に、漢文そのものがそういった部分を敢えて見えづらくさせている節もあるような気がするのがニントモカントモ。字釈に悩んでる時間って割と楽しいから、いいと言えばいいんですけど。


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    「紫微垣」苻堅載記1への応援コメント

    13世紀からこんばんは。
    漢文を読みに来ました。
    変なところがあるかもしれませんが御容赦(執筆にちょっと疲れて、逃避してきたので、頭が煮えてます)。

    軍事関係を読むときは、使役形(使、遣、命、令)がポイントになってきますよね。
    ・誰がどこにいるのか、実働部隊は誰なのかをハッキリさせるのは超重要
    ・「OをしてVせしむ/Cたらしむ」という見栄えが漢文ちっく

    ***


     慕容暐の弟,燕の故濟北王泓は先に北地長史と為るも,垂の鄴を攻むるを聞き,亡命して關東に奔り,諸馬牧の鮮卑を收むれば,眾は數千に至り,還りて華陰に屯す。慕容暐は乃ち潛《ひそ》かに諸弟及び宗人をして外に起兵せしむ。

     堅は將軍強永を遣わして騎を率いて之を擊たしむるも,泓の敗る所と為り,泓眾は遂に盛んにして,自ら使持節、大都督陝西諸軍事、大將軍、雍州牧、濟北王を稱し,叔父の垂を推して丞相、都督陝東諸軍事、領大司馬、冀州牧、吳王と為す。

     *

    文と文の接続部分(~すれば、~するも等)は個人の好みやセンスによるので、一言一句まで同じ訓読文になることはないんだな、と改めて感じます。

    熟語をどのくらい開くか、というのも趣味に依る部分がありますね。
    例えば「撃滅慕容沖」を「撃ちて慕容沖を滅ぼす」とするか「慕容沖を撃滅す」とするか、このケースなら読みやすさの点でも、どちらもいけると思います。私は撃滅しますが。
    印象としては、開いたほうが古語的な感じになるかもしれません。「撃滅」だと巨大ロボットが戦うSFにも出てきそうですが、宇宙空間のバトルで「撃ちて滅ぼす」は無いかな、と。

    ***


     堅は權翼に謂いて曰く:「吾は卿言に從わず,鮮卑は是に至る。關東の地,吾の復た之と爭わずんば,將に泓を若何せん?」
    翼の曰く:「寇は長かるべからず。慕容垂は正に山東に據りて亂を為すに,近逼するに暇あらざるべし。今,暐及び宗族種類は盡く京師に在り,鮮卑の眾は畿甸に布するは,實に社稷の元憂なれば,宜しく重將を遣はして之を討たしむべし。」

     *

    台詞に「べし」の多い人ですね。
    「可」と、再読文字の「宜・当・須」の「べし」では、文章中のどこまで「べし」の効用を掛けるべきなのか、細かいんだけど悩んだりします。
    悩んだ結果、私はけっこう後ろのほうまで「べし」の中に入れることが多いです。

    ***


     堅は乃ち廣平公苻熙を以て使持節、都督雍州雜戎諸軍事、鎮東大將軍、雍州刺史と為し,蒲阪を鎮せしむ。苻睿を征して都督中外諸軍事、衛大將軍、司隸校尉、錄尚書事と為し,兵五萬を配して左將軍竇沖を以て長史と為し,龍驤姚萇を司馬と為し,泓を華澤に討たしむ。平陽太守慕容沖は河東に起兵し,眾を有すること二萬,蒲阪に進攻すれば,堅は竇沖に命じて之を討たしむ。

     苻睿は勇にして果たして敵を輕んじ,士眾を恤《うれ》えず。泓は其の至るを聞くや,懼れ,眾將を率いて關東に奔るに,睿は馳兵して之を要《むか》えんとす。姚萇は諫めて曰く:「鮮卑は思歸の心有り,宜しく驅して出關せしめ,遏《とど》むるべからざるなり。」睿は從う弗《な》く,華澤に戰えば,睿は敗績し,殺さる。堅は大いに怒る。萇は誅を懼れ,遂に叛す。

     竇衝は慕容沖を河東に擊ち,大いに之を破り,沖は騎八千を率いて泓軍に奔る。泓眾は十餘萬に至るに,使を遣わして堅に謂わしめて曰く:「秦は無道を為し,我が社稷を滅ぼす。今,天は其の衷を誘い,秦師をして敗に傾かしめ,將に大燕を興復せんと欲せんとす。吳王は已に關東を定むれば,速やかに大駕を資備し,奉じて家兄の皇帝並びに宗室の功臣の家に送るべし。泓は當に關中の燕人を率い,皇帝を翼衛し,鄴都に還返し,秦と武牢を以て界と為し,王を天下に分かち,永く鄰好を為せば,復た為秦の患とならざるべかるなり。鉅鹿公の輕戇銳進し,亂兵の害する所と為るは,泓の意に非ず。」

     *

    古文で言うところの完了の助動詞「り(読了せり/此処に至れり)」や過去の助動詞「き(斯く語りき/斯く語りし者)」を使うかどうかも、個人の趣味やセンスが表れます。
    私は使っていませんが、おかげで「時制の曖昧である」という漢文の根本的な悪癖がそのまま訓読文にも出てきてしまいますね。
    基本を守りつつ、より読みやすい訓読文を目指したいところです。

    訓読文風の古めかしい文体でプロローグや伝承を書く、というのは有効ですよね。中ニ病を刺激しますよね。異能バトル物の『PRINCESS SWORD』の中に、伝承として漢文ガッツリ出しました←高校生に漢文読解をやらせた
    『幕末レクイエム』の序章で妖刀が訓読文風にしゃべっています。あと、会津戦争編のサブタイ「散らざる花よ」という言い回し、訓読に引っ張られていると後になって気付きました。「散らぬ花」という発想が全くなかったので。


    わーい、綺麗な漢文を読むの楽しかった!
    お邪魔しました。
    13世紀に帰る!


    ***

    再びお邪魔します。


    >襄陽

    そういえば、漢和辞典ではなく現代中国語の辞書を引くこともしばしばありますね。
    スラング多いです。


    >擊たしむるも

    接続、悩むやつですよね(笑)
    明確な接続詞の有無が現代中国語との大きな相違点のひとつです。


    >近逼するに暇あらざるべし。

    「べし」にはいろんな意味があるから厄介なんですよね。
    ここは「推量」として解釈しました。奴が迫って来るまでに猶予がないでしょう、と。
    この「べし」連発の台詞なんですが、最初の2箇所は「~に違いありません」みたいな感じで、最後のは「~するとよいでしょう」かなと思います。


    >天「は」
    ここの部分は、もっと注意深く文の構造を考えないとです。ちょっと油断すると、すぐに雑に突っ走ってしまう。

    使節に言わせたこと(もしくは持たせた書状)なので、文体がほかと違いますよね。
    カッコつけた言い回しになっていて、読みにくいと感じました。


    >命令形の語尾

    時代が下って出現する吏文(役人言葉)の文書では、文末が必ず「~せられよ」で締めくくられる、という書式が登場します。
    こういうのがあると、その時代を専門的にやっている人にしか読めません。


    >王を天下に分かち

    「封誰為王(誰を封じて王と為す)」ってやつかな、と。領地を分割して王(領主)を置いて治めさせる。


    >鉅鹿公の輕戇銳進し,亂兵の害する所と為る

    副詞節の主語には「の」を使う、河東さん方式の読み方ですね。


    異論が出現する余地もあるかもです。
    時代特有の文体・スタンダードもありますし。

    またタイミングが合えば遊びに来ます。
    お邪魔しましたー。

    作者からの返信

    うわい、ありがとうございます!
    並べての比較は時間が取れた時にさせて頂きたいと思いますが、ひとまず。

    自分の中では、いまは訓読文に接するフェーズだと考えています。なので極力開いて、一字あたりに触れていって、と言う感じ。もう少し接し慣れしたら熟語化していきたいとは思っています。何故かといえば、そちらの方がカッコイイ!(言い切った)

    いや本当、襄陽の訓読翻訳ってキッツいと思います……古い漢文の方が正直日本語に近いですし、そういう意味では絶対にこっちの方が楽。襄陽の原文訓読、見比べてちょくちょく「??????」になってますw

    ではまた、改めて!


    ***


    と言うわけで、改めて比較させて頂きました。

    >鮮卑を收むれば
    むれば、にすると接続がスムーズですね。

    >起兵せしむ。
    使役系としての表現ですね。

    >擊たしむるも
    この辺りの逆接の入れ方には迷いがあります。入れていいものかどうか、的な。とは言え、分かりやすさを考えたら入れる一択ですね。

    >吾は~是に至る。
    対句的な組み立てかー。こう言った辺りも意識して取り込めるとカッコいいですね。

    >若何せん
    これは定型文的に拾っておくべきですね。

    >近逼するに暇あらざるべし。
    ここは、上手く拾えませんでした。慕容垂の奴に合流する余裕を与えるな、でいいのかな。

    >堅「は」
    あっw

    >泓を華澤に討たしむ。
    「討つ」だと苻堅が直接攻撃を仕掛けたことになりますね。

    >有すること二萬
    こっちの方がカッコいいです。

    >勇にして果たして
    思いっ切り拾えなかったのがバレバレで、お恥ずかしい限りです……

    >要《むか》え
    >遏《とど》むる
    ちくしょう、そんなふりがなになるなんてw
    確かにそれだと、スムーズに読めますね。

    >弗《な》く
    雑に書き下していましたね。もっと丁寧に行かないと……


    >天「は」
    ここの部分は、もっと注意深く文の構造を考えないとです。ちょっと油断すると、すぐに雑に突っ走ってしまう。

    >將に大燕を興復せんと欲せんとす。
    「将に~せんとす」構文ですね。確かに直列的に両方に掛かってると考えた方がスムーズです。

    >大駕を資備し
    「揃えるもん揃えろや」か、なるほど。着想が届きませんでした。

    >送る「べし」
    あ、そういやその語尾があった……(命令形の語尾として「送れ」には物凄い違和感抱えてました)

    >王を天下に分かち
    王と名乗るってことは、少なくとも天下のナンバーワンだとは認識していない。「王の天下」にはなり得ないですね。

    >鉅鹿公の輕戇銳進し,亂兵の害する所と為る
    なるほど、こちらの方が読みやすいです。


    先日、河東竹緒さんより頂戴した内容と同じ箇所で引っ掛かっているのがにんともかんともです。理解のクセみたいのが出来ちゃってるんだろうなあ。

    もうちょい認識修正のテンポを上げないと。そのためにも、もうしばらくにらめっこしたいと思います。

    改めて、ありがとうございます!





    >現代中国語の辞書を引く
    漢文から現代中国語への過渡期、という感じですね。
    どう今の中国語に辿り着いたか、その変遷とかは追えると楽しそうな気もしていますが、それやると首回らなくなりそうw


    >明確な接続詞の有無
    これによって解釈の違いが大いに発生したにも拘わらず、この形式が長いこと支配的だった。これも面白いです。
    英語みたいな近現代言語とは、存在意義からして少しちがっている感じ。どちらがいい悪いとは全く関係無しで。


    >べし

    それこそ get とか that みたいな感じで、自分の中の幅を広げるべし、ですね。そのためにも、摂取する例文は多ければ多いほどいいのか。

    >カッコつけた言い回し
    苻堅さまもしゃべり出すと割と読みにくいし、勘弁して欲しいです……まぁそう言うしゃべり方も当時の威厳の源泉になっているんでしょうし、仕方ないですが。

    >吏文(役人言葉)
    いろんな時代で、その時に即した表現が現れる。いまなら「マジ卍」がそれらしいですがw
    そう言った特有のものをいかに拾い上げられるか、も重要ですね。
    「特有の表現である」ことを踏まえずに当たれば、結局トンチンカンな解釈に陥る気もしますし。


    >王(領主)
    この期に及んで、いまだに帝と王との境目が曖昧なんだな、と痛感しました。それもこれも郡公レベルの領土しかないクセに称帝した慕容沖が悪い(責任転嫁)。


    >副詞節の主語には「の」
    これを上手く使えると気持ちいいですが、間違って使うと「あっダセぇ……」とのたうち回りますw


    >時代特有の文体・スタンダード
    上でも反応させては頂きましたが、この辺りの「基本」をどれだけインプットできているかで、解釈の精度は全く違ってくるんでしょうね。


    訓読なんぞ面倒くせーよとか言ったスタイルで劉裕の史書記述はキメましたが、訓読をやってみると、やっぱり理解の速さ、効率は違ってくる手応えがあります。

    ありがとうございます、またお時間に余裕があれば、遊んでください!

    編集済
  • わーい、気付いたときには既に河東さんが全部やっておられたという……。
    (゚∇゚;A ナントイウショクニンワザ

    改めてお邪魔して、本文から応援コメントまで、じっくり読ませていただきました。
    紀伝体の中でも「紀」の部分にはフォーマット(立てる、封ずるのくだりとか、各々差有りとか)がある格好なので、慣れたらすぐだと思います。

    副詞節と主節の書き分けは、河東さんのスタイルがカッコいいと私も思います。
    訳文「佐藤さんが漢文を読むに当たって」
    訓読「佐藤の漢文を読むに当たりて」←この「の」にすると古めかしさが出て大変よろしい

    「如く・之く」の「ゆく」はつまずきまくった記憶がありますね。
    そのへんが南宋の『襄陽守城録』では全くなくて、現代中国語と同じ「去」が「ゆく」として使われています。すごく口語。
    『晋書』の漢文は綺麗で正統派です。

    作者からの返信

    作者からの返信
    ね、これも「わが目を疑う」ですよw
    まさか全文やっていただけるとは……
    お陰でつぶさな対比ができて、
    ここに書いてない部分でも
    「ほうほう、こうなるのか、ううむ……」とw
    ありがたい限りですw

    紀の部分は、プロローグとかインタールード的な
    持って回った言い回しで遊べる部分で
    使えそうな気がしているんですよね。
    劉裕の武帝紀なんか思いっきり伝でしたがw

    >古めかしさ
    重要なキーワードですね……!

    「如」のこの用法は今回初めて出会って、
    ものすごく戸惑いました。
    と言うか見慣れてる漢字には
    ほぼ見慣れない用法が隠されてるもんだ、
    と覚悟するべきなんだ、と学びました……(今更)

    「晋書」は綺麗なぶん、知識人特有の
    持って回った言い回しでだるい、と、
    同じくこの時代を調べていらっしゃる方が仰っていました。
    そんなもんなんですね……(驚くほど宋書晋書引きこもりマン)

  • こんばんは。
    ざっと読み下してみました。「鮮不覆敗」が一番読みにくいですね。一応、全部説明はできそうに思いますので、疑義などあればご指摘ください。むろん、間違っている可能性は大いにあります。。。


    ▼巻九 孝武帝本紀

    九年春正月庚子,封武陵王孫寶爲臨川王。
     九年春正月庚子、武陵王の孫の寶を封じて臨川王と爲す。

    戊午,立新寧王晞子遵爲新寧王。
     戊午,新寧王晞の子の遵を立てて新寧王と爲す。

    辛亥,謁建平等四陵。
     辛亥、建平等の四陵に謁す。

    龍驤將軍劉牢之克譙城。
     龍驤將軍の劉牢之は譙城を克くす。

    車騎將軍桓沖部將郭寶伐新城、魏興、上庸三郡,降之。
     車騎將軍の桓沖の部將の郭寶は新城、魏興、上庸の三郡を伐ちて之を降す。

    二月辛巳,使持節、都督荊江梁寧益交廣七州諸軍事、車騎將軍、荊州刺史桓沖卒。
     二月辛巳、使持節、都督荊江梁寧益交廣七州諸軍事、車騎將軍、荊州刺史桓沖、卒す。

    慕容垂自洛陽與翟遼攻苻堅子丕於鄴。
     慕容垂は洛陽より翟遼とともに苻堅の子の丕を鄴に攻む。

    三月,以衛將軍謝安爲太保。
     三月、衛將軍の謝安を以て太保と爲す。

    苻堅北地長史慕容泓、平陽太守慕容沖並起兵背堅。
     苻堅の北地長史の慕容泓、平陽太守の慕容沖は並びに兵を起こして堅に背く。

    夏四月己卯,增置太學生百人。
     夏四月己卯、太學生百人を增し置く。

    封張天錫爲西平公。
     張天錫を封じて西平公と爲す。

    使竟陵太守趙統伐襄陽,克之。
     竟陵太守の趙統をして襄陽を伐たしめ、之を克くす。

    苻堅將姚萇背堅,起兵於北地,自立爲王,國號秦。
     苻堅の將の姚萇は堅に背き、北地に起兵して自立して王と爲る。國を秦と號す。

    六月癸丑朔,崇德皇太后褚氏崩。
     六月癸丑朔、崇德皇太后の褚氏、崩ず。

    慕容泓爲其叔父沖所殺,沖自稱皇太弟。
     慕容泓は其の叔父の沖の殺す所となり、沖は皇太弟を自稱す。

    秋七月戊戌,遣兼司空、高密王純之修謁洛陽五陵。
     秋七月戊戌、兼司空、高密王の純之を遣りて洛陽の五陵を修め謁す。

    己酉,葬康獻皇后于崇平陵。
     己酉、康獻皇后を崇平陵に葬る。

    百濟遣使來貢方物。
     百濟は遣使して來り、方物を貢ず。

    苻堅及慕容沖戰于鄭西,堅師敗績。
     苻堅は慕容沖と鄭西に戰い、堅の師は敗績す。

    八月戊寅,司空郗愔薨。
     八月戊寅、司空の郗愔、薨ず。

    九月辛卯,前鋒都督謝玄攻苻堅將兗州刺史張崇于鄄城,克之。
     九月辛卯、前鋒都督の謝玄は苻堅の將、兗州刺史の張崇を鄄城に攻め、之を克くす。

    甲午,加太保謝安大都督揚、江、荊、司、豫、徐、兗、青、冀、幽、幷、梁、益、雍、涼十五州諸軍事。
     甲午、太保の謝安に大都督揚、江、荊、司、豫、徐、兗、青、冀、幽、幷、梁、益、雍、涼十五州諸軍事を加う。

    冬十月辛亥朔,日有蝕之。
     冬十月辛亥朔、日の之を蝕する有り。

    丁巳,河間王曇之薨。
     丁巳、河間王の曇之、薨ず。

    乙丑,以玄象乖度,大赦。
     乙丑、玄象の度を乖れるを以て大赦す。

    庚午,立前新蔡王晃弟崇爲新蔡王。
     庚午、前の新蔡王の晃の弟の崇を立てて新蔡王と爲す。

    苻堅青州刺史苻朗帥衆來降。
     苻堅の青州刺史の苻朗は衆を帥いて來降す。

    十二月,苻堅將呂光稱制于河右,自號酒泉公。
     十二月、苻堅の將の呂光は河右に稱制し,自ら酒泉公を號す。

    慕容沖僭卽皇帝位于阿房。
     慕容沖は皇帝位に阿房にて僭卽す。


    ◆◆◆


    十年春正月甲午,謁諸陵。
     十年春正月甲午、諸陵に謁す。

    二月,立國學。
     二月、國學を立つ。

    蜀郡太守任權斬苻堅益州刺史李平,益州平。
     蜀郡太守の任權は苻堅の益州刺史の李平を斬る。益州平ぐ。

    三月,滎陽人鄭燮以郡來降。
     三月、滎陽の人の鄭燮は郡を以て來降す。

    苻堅國亂,使使奉表請迎。
     苻堅の國は亂れ、使をして表を奉じて迎えを請う。

    龍驤將軍劉牢之及慕容垂戰于黎陽,王師敗績。
     龍驤將軍の劉牢之は慕容垂と黎陽に戰い、王師は敗績す。

    夏四月丙辰,劉牢之與沛郡太守周次及垂戰于五橋澤,王師又敗績。
     夏四月丙辰、劉牢之は沛郡太守の周次とともに垂と五橋澤に戦い、王師は又た敗績す。

    壬戌,太保謝安帥衆救苻堅。
     壬戌、太保の謝安は衆を帥いて苻堅を救う。

    五月,大水。
     五月、大いに水あり。

    苻堅留太子宏守長安,奔于五將山。
     苻堅は太子の宏を留めて長安を守らしめ、五將山に奔る。

    六月,宏來降,慕容沖入長安。
     六月、宏は來降し、慕容沖は長安に入る。

    秋七月,苻丕自枋頭西走,龍驤將軍檀玄追之,爲丕所敗。
     秋七月、苻丕は枋頭より西に走り、龍驤將軍の檀玄は之を追い、丕の敗る所と爲る。

    旱,饑。
     旱あり、饑う。

    丁巳,老人星見。
     丁巳、老人星、見る。

    八月甲午,大赦。

    丁酉,使持節、侍中、中書監、大都督十五州諸軍事、衛將軍、太保謝安薨。
     丁酉、使持節、侍中、中書監、大都督十五州諸軍事、衛將軍、太保の謝安、薨ず。

    庚子,以琅邪王道子爲都督中外諸軍事。
     庚子、琅邪王の道子を以て都督中外諸軍事と爲す。
     
    是月,姚萇殺苻堅而僭卽皇帝位。
     是の月、姚萇は苻堅を殺して皇帝位に僭卽す。

    九月,呂光據姑臧,自稱涼州刺史。
     九月、呂光は姑臧に據り,涼州刺史を自稱す。
     
    苻丕僭卽皇帝位于晉陽。
     苻丕は晉陽にて皇帝位に僭卽す。

    冬十月丁亥,論淮肥之功,追封謝安廬陵郡公,封謝石南康公,謝玄康樂公,謝琰望蔡公,桓伊永脩公,自餘封拜各有差。
     冬十月丁亥、淮肥之功を論じ、謝安を廬陵郡公に追封し、謝石を南康公に、謝玄を康樂公に、謝琰を望蔡公に、桓伊を永脩公に封じ、自餘の封拜は各々差有り。

    是歲,乞伏國仁自稱大單于、秦河二州牧。
     是の歲、乞伏國仁は大單于、秦河二州牧を自稱す。

    十一年春正月辛未,慕容垂僭卽皇帝位于中山。
     十一年春正月辛未、慕容垂は中山にて皇帝位に僭卽す。

    壬午,翟遼襲黎陽,執太守滕恬之。
     壬午、翟遼は黎陽を襲い、太守の滕恬之を執う

    乙酉、謁諸陵。
     乙酉、諸陵に謁す。

    慕容沖將許木末殺慕容沖于長安。
     慕容沖の將の許木末は慕容沖を長安に殺す。




    卷一一一 載記第一一 慕容暐

    堅徙暐及其王公已下並鮮卑四萬餘戶于長安,封暐新興侯,署為尚書。
     堅は暐及び其の王公已下、並びに鮮卑の四萬餘戶を長安に徙し、暐を新興侯に封じ、署して尚書と為す。

    堅征壽春,以暐為平南將軍、別部都督。
     堅の壽春を征するに、暐を以て平南將軍、別部都督と為す。

    淮南之敗,隨堅還長安。
     淮南之敗あり、堅に隨いて長安に還る。

    既而慕容垂攻苻丕于鄴,慕容沖起兵關中,暐謀殺堅以應之,事發,為堅所誅,時年三十五。
     既にして慕容垂は苻丕を鄴に攻め、慕容沖は關中に起兵し、暐は堅を殺して以て之に應ぜんと謀る。事發し、堅の誅する所と為る。時に年三十五。

    及德僭稱尊號,偽諡幽皇帝。
     德の尊號を僭稱するに及び、幽皇帝を偽諡す。




    卷一一六 載記第一六 姚萇

    ・時苻堅為慕容沖所逼,走入五將山。
     時に苻堅は慕容沖の逼る所と為り,走りて五將山に入る。

    沖入長安。
     沖は長安に入る。

    堅司隸校尉權翼、尚書趙遷、大鴻臚皇甫覆、光祿大夫薛贊、扶風太守段鏗等文武數百人奔於萇。
     堅の司隸校尉の權翼、尚書の趙遷、大鴻臚の皇甫覆、光祿大夫の薛贊、扶風太守の段鏗ら文武數百人は萇に奔る。

    萇遣驍騎將軍吳忠率騎圍堅,萇如新平。
     萇は驍騎將軍の吳忠を遣りて騎を率いて堅を圍み、萇は新平に如く。

    俄而忠執堅,送之。
     俄にして忠は堅を執え、之を送る。


    ・慕容沖遣其車騎大將軍高蓋率眾五萬來伐,戰于新平南,大破之,蓋率麾下數千人來降,拜散騎常侍。
     慕容沖は其の車騎大將軍の高蓋を遣りて眾五萬を率て來伐し、新平の南に戰い、大いにを破る。蓋は麾下數千人を率いて來降し、散騎常侍を拜す。




    卷一二四 載記第二四 慕容盛

    盛字道運,寶之庶長子也。
     盛、字は道運、寶の庶長子なり。

    少沈敏,多謀略。
     少くして沈敏、謀略多し。

    苻堅誅慕容氏,盛潛奔於沖。
     苻堅の慕容氏を誅するや、盛は潛かに沖に奔る。

    及沖稱尊號,有自得之志,賞罰不均,政令不明。
     沖の尊號を稱するに及び、自ら得るの志有り。賞罰は均しからず、政令は明らかならず。

    盛年十二,謂叔父柔曰:「今中山王智不先眾,才不出下,恩未施人,先自驕大,以盛觀之,鮮不覆敗。」
     盛は年十二にして叔父の柔に謂いて曰わく「今、中山王は智眾に先んじず、才は下を出ず、恩は未だ人に施されず、先に自ら驕大たり,盛を以て之を觀るに、覆敗せざること鮮し」と。

    俄而沖為段木延所殺,盛隨慕容永東如長子。
     俄にして沖は段木延の殺す所と為り、盛は慕容永に隨いて東のかた長子に如く。


    【返信を受けて】

    訓読を読ませて頂く限り、意味が違いそうなところは、ほとんどないと思います。こうなると、あとは漢文よりも訓読に触れて言い回しを身に付ける方が近道です。
    なので、今回は相違箇所じゃなくて全文を訓読してみた次第です。原文と訓読が併記された『後漢書』の本紀あたりを一冊買って訓読を通読するのがいいかも知れません。





    副詞節と主節は気をつける必要がありますね。個人的には副詞節の主語は助詞を「の」にして区別しやすくしてます。で、「堅の壽春を征するに」ですね。

    「如く」は「ゆく」です。「之」との相違はナゾです。長子は地名ですね。たしか山西南部にあるはず。

    雲臺いいですよねー。『呉漢』早く文庫にならないかなー。來歙の死を読んで泣きたい。。。

    作者からの返信

    こんにちは!
    まずは取り急ぎ、ありがとうございます!
    (返信編集機能のお陰で気軽にお礼コメントが出来、ありがたい。)

    ざっと拝見した感じ、
    諸葛長民の時よりは基本を踏まえられたようですね。
    踏みこむと、まだ甘さがありますが。

    具体的な内容は、のちほど、
    それぞれを並べて比較したいな、と思います。


    (比較中)

    立てる、封ずる、の取り扱いが杜撰でしたね。
    この辺り新しく設けるか継承させるかの
    違いとかもありますし、
    もう少し丁寧に扱わないとです。

    >苻堅の子の丕を鄴に攻む
    この辺りは順序にものすごく悩みました。
    変にこねくるより、素直に行く方がいいですね。

    「~は」「~が」の違いは、
    文型をもっと意識しないと、と思いました。

    >苻堅の國は亂れ、使をして表を奉じて迎えを請う。
    あぁ、こうすればいいのか。
    結構ムムムと悩んでいました。

    >自餘の封拜は各々差有り。
    変に開かない方がいいんですね、この辺り。

    >堅の壽春を征するに、
    自分が書いた奴、地味に意味が通らなくて
    笑ってしまいました。

    主格の扱いがどうしても杜撰になってしまいますね。
    ここは今後の訓読でも要注意ポイントかも。

    >盛を以て之を觀る
    そうなるのか、と手を打ちました。

    >覆敗せざること鮮し
    「すくなし」に辿り着けなかったのが悔しい……
    進研ゼミに出てた奴なのに!

    >如く
    しく、ですね。その用法かー、と。


    全文拝見して、
    やっぱり細かい所への不注意が目立つな、
    と言う印象でした。

    >後漢書
    正直今までの本、だいたい訓読文すっ飛ばしてました。
    自分でチャンスを棒に振ってたんだなあ。
    まぁ、こんな遊びしようなんて想定していませんでしたがw

    この辺りは歴史書ならではの言い回し、みたいなところも多そうですもんね。
    自分のやりたいことも割と歴史書表現チックにしたい、ですし、
    後漢書も一冊、訓読表現の勉強に持っておきたいと思います。
    うっかり雲台二十八将とか始めちゃいそうですがw

    改めて、ありがとうございます!

  • こんにちは。
    漢文を読みに来ました。節ごとにやってみます。あまり語られる機会がない、訓読を基本に忠実にするとどうなるか、という話と御理解下さい。意味が正しく取れれば、訓読は必須じゃないですからね。

    四段目まで完了しました。
    ほぼ素読みに近いので、不明や疑義はご質問下さい。


    一、

    ▼有文武幹用,然不持行檢,

    文武に幹用あり、然れど行檢持せず、

    漢文の文系は英語と同じ5文型が基本となりますので、この文章はともにSVO(SがOをVする)ですね。

    (諸葛長民は)文武〝の〟幹用あり、然れども行檢〝を〟持せず、

    ちなみに、漢文で省略される助詞は主格だけです。
    「劉裕は叫びて=劉裕、叫びて」はあり、「檄を発して=檄、発して」はなし。
    また「文武に幹用あり」のように副詞的に使われる場合は動詞の前に置かれるのが一般的ですので、並びが「文武有幹用」の場合は「文武に(有り)」、「有文武幹用」の場合は「文武の(幹用)」と直後の文字を修飾します。


    ▼桓玄引為參軍平西軍事,尋以貪刻免。

    桓玄、引きて平西軍事に参ぜども、尋ち貪刻なるを以て免ぜらる。

    尋は「尋いで(ついで)」と読むのが慣用化していますね。「〜となり、尋いで✖️✖️を以って官を免ぜらる」は頻繁に目にします。

    桓玄は引きて參軍平西軍事と為し、〝尋いで〟貪刻を以て免ぜらる。



    二、


    ▼南康相郭澄之隱蔽經年,又深相保明,屢欺無忌,

    南康相郭澄之、經年隠蔽し、又た深相保明し、屢ば無忌を欺けり。

    この文章は「石に座ること三年」と同じ構文の変型ですね。SVO期間、SVC期間という形が多いですが、この場合は「經年」が期間に該当します。この場合は「何年も」のニュアンスを感じます。

    南康の相の郭澄之、〝隠蔽すること年を經〟、又た深く相い保明し、屢ば無忌を欺けり。


    ▼及盧循之敗劉毅也,循與道覆連旗而下,京都危懼,

    盧循に劉毅敗し、循と道覆、旗を連ねて下り、京都危懼せり。長民、劉裕に天子を権して江を過せよと勧む。

    「〜や、‥‥せり」の構文です。この場合は、「〜に及ぶや、‥‥せり」とひねった感じ、ニュアンスは「〜した途端に」です。
    「京師」としたいところですが、司馬師の諱なので避諱されて「京都」、これが日本に伝わったんだから、司馬師もなかなかやりますな。

    〝盧循の劉毅を敗るに及ぶや〟、循は道覆と旗を連ねて下り、京都は危懼せり。


    ▼長民勸劉裕權移天子過江。

    he said that〜と同じく、長民勸that〜とするのが楽、理由は〜がとんでもなく長い場合が往々にあるからです。權は「かりに、かりそめに」の意ですね。
    「勸めていわく」は意訳に近いですが、「勸むるらく」なんて言われても分かりませんから、口で言ったなら「〜していわく」で問題ないと思います。

    長民は〝劉裕に勸めていわく〟、權に天子を移して江を過せよ、と。


    ▼裕不聽,令長民與劉毅屯於北陵,以備石頭。

    裕聽かず、長民と劉毅に令し北陵に屯せしめ、以て石頭の備えとす。

    令をどこまでかけるかですが、この場合、「屯於北陵」は手段で「以備石頭」は目的と解して、または、共に主体が「長民と劉毅」なので、文末までかけるのがよい、と考えられます。

    裕は聽さず、長民と劉毅をして北陵に屯して以て石頭に備えさしむ。



    三、

    ▼及裕討毅,以長民監太尉留府事,詔以甲杖五十人入殿。

    裕が毅を討つに及び、以て長民を監太尉留府事となし、詔して以て甲杖五十人入殿とす。

    「以って」の扱いが面倒そうですね。文章の主語はすべて劉裕と見るのが良さそうなので、長民はすべて受け身にするのがよさそうですね。

    裕の毅を討つに及び、長民を以って太尉留府の事を監せしめ、詔して甲杖五十人を以って殿に入らしむ。


    ▼長民驕縱貪侈,不恤政事,多聚珍寶美色,營建第宅,不知紀極,所在殘虐,為百姓所苦。

    長民は驕縱貪侈にして政事を恤まず、珍寶美色を多く集め、第宅を營建し、紀の極むを知らず、殘虐なる所あり、百姓を苦しむるを為す。

    「はいはいテンプレテンプレ」というくらいありがちな文章です。
    「恤」は「うれう=気にかける」、「不知紀極」は「紀極を知らず=限度を知らない、際限がない」、無理くり読み下す場合は「極むるを紀(しる)すを知らず」なのかな。
    「所在」は訳しにくいですが「在る所=そいつがいる場所では、行くところ行くところで」と訳しますね。読み下さない場合が多いです。
    末文は受け身の典型です。

    長民は驕縱貪侈にして政事を恤えず、珍寶美色を多く聚め、第宅を營建し、紀極を知らず、所在殘虐、百姓の苦しむ所と為る。


    ▼自以多行無禮,恆懼國憲。

    自ら以て無禮の行多く、恆に國憲を懼る。

    「自以〜、‥‥」も構文に近く、「自ら〜を以って‥‥=自分が〜なので‥‥」と使います。

    自ら多く無禮を行うを以って、恆に國憲を懼る。


    ▼昔年醢彭越,前年殺韓信,禍其至矣!

    昔年、彭越醢となり、前年、韓信殺さる。禍い其れ至らんか

    三句目以外の主語は劉裕、、、なんでしょうね。

    昔年に彭越を醢とし、前年に韓信を殺す。禍い其れ至らんか


    ▼謀欲為亂,

    亂を謀らんと欲し、

    基本は英語と同じく、前から考えています。謀った、何を?「欲為亂」、という感じ。
    次に「欲」も動詞たりえるので、「謀and欲」を動詞とするか、「謀」だけかを文意から探る、という手順で読んでいるようです。「亂を為さんと欲すことを謀る?ないわ」というわけです。

    謀りて亂を為さんと欲し、


    ▼人間論者謂太尉與我不平,其故何也?

    人間の論にて太尉と我とが平らかならずと謂う、其の故は何か?

    「人間」は「世間」の意ですね。なので主語は「世間の論者」となります。

    人間の論者の謂えらく『太尉は我と平らかならず』と。其の故は何ぞや?


    ▼固勸之曰:「黥彭異體而勢不偏全,劉毅之誅,亦諸葛氏之懼,可因裕未還以圖之。」

    之を固く勸めて曰く「黥・彭、異體にして而して勢、偏全し得ず。劉毅の誅,亦た諸葛氏の懼なり、因って裕の未だ還らざるを以て之を圖るべし。」と。

    はじめは「之=長民」でしょうね。
    「異體」は意味が掴みにくいですが、「親藩じゃない」の意で良さそうです。「偏=ひとえに」なので「偏全=偏に全し」となりますね。
    最後は「可因〜以‥‥=〜に因りて以って‥‥可し」の構文ですね。

    之に固く勸めて曰く「黥・彭は異體にして勢は偏に全きを得ず。劉毅の誅は亦た諸葛氏の懼なり、裕の未だ還らざるに因りて以て之を圖るべし。」と。


    ▼長民猶豫未發,

    長民、猶豫にて未だ發たず、

    この「猶豫」は「グズグズする」の意味の動詞ですね。

    長民、猶豫して未だ發たず、


    ▼貧賤常思富貴,富貴必履機危。今日欲為丹徒布衣,豈可得也!

    貧賤、常に富貴を思えど、富貴せば、必ずや機危を履く。今日丹徒の布衣に為るを欲せども、豈に得く可けんや!

    見せ場ですから、カッコよく読ませたいですね。

    貧賤にあれば常に富貴を思うも、富貴となれば必ず機危を履む。今日、丹徒の布衣為らんと欲すれど、豈に得可けんや!


    ▼裕深疑之,駱驛繼遣輜重兼行而下,前克至日,百司於道候之,輒差其期。

    裕之を深く疑い、駱驛繼いで遣い、輜重を兼ね行きて而して下り、前に克して至る日、百司、道において之を候するも、輒ち其の期に差あり。

    難しいです。
    「駱驛」は駅馬の中継場、「駱驛繼遣」は中継場を次々と遣いと解するのがいいのかなあ。そうなると、「繼遣駱驛」でいいはずなんですが。
    「輜重兼行」はもう熟語です。「輜重と一緒に行く」なので読み下す必要もないですね。
    「克」は「剋」と同義で意味は「決」と同じ、「差」は「違」と見ると、次のようになります。

    裕は之を深く疑い、駱驛に繼ぎ遣い、輜重兼行して下れり。前に至る日を克め、百司は道に之を候するも、輒ち其の期に差えり。


    ▼長民悅,旿自後而殺之,輿屍付廷尉。使收黎民,黎民驍勇絕人,與捕者苦戰而死。

    長民悅ぶも、旿、後より拉して之を殺し、屍を輿にて廷尉に付す。使して黎民を攻め、黎民の驍勇人を絕し、捕うる者、苦戰せども、而して死す。

    あ、丁旿がいる。
    「輿」は「乗」と同じです。人が担ぐ輿に乗せた、ということのようですね。

    長民は悅ぶも、旿は後より拉して之を殺し、屍を輿せて廷尉に付す。黎民を收めしむるに、黎民の驍勇人に絕ち、捕うる者と苦戰して死す。


    ▼諸葛氏之誅也,士庶咸恨正刑之晚,若釋桎梏焉。

    諸葛氏の誅、士庶、咸な正刑の晚きを恨み,桎梏を若解す。

    「若」は「如」と同じですね。「正刑」は「刑を正す=処罰を正しく行う」の意味。

    諸葛氏の誅さるるや、士庶は咸な刑を正すの晚きを恨み,桎梏を解かるるが若し。




    四、

    発言が面白いので、全文をやってみます。

    ▼長民答曰:
    「正見一物,甚黑而有毛,腳不分明,奇健,非我無以制之。

    長民答えて曰く
    「正見一物,甚だ黑く毛を有し、腳は分明ならずも奇しく健なり。我無くば以て之を制せざるなり。

    「一物」は「いちもつ」ではなく「何か分からない物」の意、「不分明」はそのまま「どこから足だかはっきりしない」、「奇健」は「やたら脚が速い」くらいでしょうか。最後は「でも、俺なら制せないわけじゃない」ですね。

    長民の答えて曰く
    「正に一物を見る。甚だ黑く毛を有し、腳は分明ならざるも奇しく健なり。我の以って之を制する無きに非ず。


    ▼其後來轉數。

    其れ後にも轉じて數来たれり。

    「轉」は「うたた=いよいよ」、「數」は「しばしば」の意、このあたり現代文とは違います。

    其の後、來たること轉た數あり。


    ▼屋中柱及椽桷間,悉見有蛇頭,令人以刀懸斫,應刃隱藏,去輒復出。

    屋中の柱、及び椽桷の間より、悉く蛇頭の有るを見ゆ。人に令し、以て刀にて懸斫せば、刃に応じて隱して藏し、去りて輒ち復た出る。

    あ、「及」は並列ですね。「椽桷」は「たるき」、柱に対して横に架けた木ですね。「懸斫」が気持ち悪いですが、「懸」は「へだたる」の意味があるので「少し離れたところから斬りつけさせた」と解しておきます。

    屋中の柱及び椽桷の間に悉く蛇頭の有るを見る。人をして刀を以って懸斫せしめれば、刃に応じて隱藏し、去れば輒ち復た出る。


    ▼又擣衣杵相與語如人聲,不可解。

    又た衣を杵にて擣きたるが人の聲の如き語と相するも、解し得ず。

    「擣衣杵」は名詞、絹に糊して砧(きぬた、木製か石製の打ち台)に置いて打つ際に使います。やったことはないけど。だから、話しているのは、杵なんですね。

    又た擣衣杵の相い與に語ること人聲の如きも、解すべからざるなり。


    ▼於壁見有巨手,長七八尺,臂大數圍,令斫之,豁然不見」。

    壁に於いて巨手の見ゆる有り、長さ七、八尺、臂の大なること數圍なり。令して之を斫せしも、豁然として見えず。」と。

    西晋頃の一尺約24cmとして168〜192cm、「臂」は肘と解したくなりますが、おそらくは二の腕でしょう。「圍」は「一抱え」なので、数人で囲むくらいの大きさ、長さを考えると肘まであったとは考えにくいですね。「豁然」は「ぱっと変わる」の意味ですが、必ずしもよい方向に変わるとは限りません。

    壁に巨手の有るを見る。長七、八尺、臂の大なること數圍、之を斫らしむれば豁然として見えず。」と。


    ▼未幾伏誅。

    未幾、誅に伏さる。

    テンプレです。

    未だ幾ばくもせず、誅に伏す。


    以上、お粗末さまでした。
    意味が問題なく取れている場合、語釈をはっきりさせれば文意により正しい読み下しはできるものです。
    漢文を読めるかどうかを突き詰めると、結局は語彙力というつまらないオチになります。だから、時代により読める、読めないは出てきますね。



    【追記を受けて】

    少し補足させて頂きます。

    〉基本五文型を意識できるといいんですね。

    理系でしたか。
    英語の5文型は以下の通りですね。
    SV SがVした=桓玄が殺した
    SVC SはCだ=桓玄は簒奪者だ
    SVO SがOをVした=桓玄が帝を弑した
    SVOO SがOにOをVした=桓玄が帝に刺客を送った
    SVOC SがOをCにした=桓玄が帝を亡き者にした

    気にすると読みやすいですよ。


    〉幹用

    意味を掴みにくいかも知れませんが、幹は基礎能力と考えると分かりやすいかも。要するに、細かいことはあかんけど大体有能、くらいでいいと思います。


    〉「保明」の解釈

    英語のgetやtakeと同じく玉虫色、文中のニュアンスを汲むしかないです。考えてみましょう。
    前提は諸葛長民が反乱の原因を上表した文であること、さらに言えば郭澄之をDisっている、この把握が大事です。

    ▼妖賊集船伐木,而南康相郭澄之隱蔽經年。

    妖賊は船を集めて木を伐る。而して南康の相の郭澄之は隱蔽すること年を經れり。

    賊が木を切って船を作ったのに、にも関わらず郭澄之は何年も話を寝かせてたんだよ。

    又深相保明,屢欺無忌,罪合斬刑。

    又た深く相い保明し、屢たび無忌を欺けり。罪は斬刑に合さん。

    しかも、郭澄之は賊とたがいに(相)庇いあって(保)無実とか言って(明)、無忌を欺いたんやから、死刑相当やん?

    これらの主語が郭澄之であることを理解しておくと、相い→誰と?賊やな、保つ→誰から誰を?官憲から賊やな、明かす→誰の何を?賊の疑いやな、と文字単位で意図を汲みやすくなります。字義は単純です。
    合わせて、五文型の知識も使っていますから、やはり重要なんですね。


    〉「奴と杵がなんか話してやがったんだ、訳わかんねえことを」ってなるんですね。

    たしかに、其後來轉數。で発言は終えてよいですね。この種の話はいくつかの逸話をまとめて記載しており、一物のネタは発言だけと見ます。
    蛇の話、擣衣杵の話、巨手の話は別のネタで相互の関わりはないのが一般的です。
    また擣衣杵相與語とありますから、杵と杵が仲良くお話していたようです。ただし、意味は分からん、という理解がよさげですね。

    作者からの返信

    くぅ~……この、「自分がどう足りていないのかを知りたい」と言う欲望に、的確に答えて頂ける快感……!

    一通り揃うまで詳細に踏みこむのは避けますが、ひとまず物凄く興奮していることは伝えたく、返信してしまいましたw

    ありがとうございます! ワクワクしていますw


    (ここから追記)


    ひとまず言ってしまうと「議論の余地がない」ですね。
    何せ知らなかったことを教えて頂けている。
    なので「ほほう、なるほど」くらいしかコメントが思いつかないのですが、それでは芸がない。


    >文武〝の〟幹用あり
    「幹用」についての解釈が曖昧なので、「に」「の」の別による解釈の差が判然としないんだなー、となっています。ここ、繰り返し見ています。
    基本五文型を意識できるといいんですね。(そんなんすっかり忘れててキョドってる)

    >尋
    接続語もきっちりおさらいしておきたいところです。まぁ何となくこんな感じ、で拾っていた。吉川幸次郎が「辞書なんかに頼んな! 気合で読め!」(意訳)と言っていたらしいのですが、初学の段階でやることじゃないですねw

    >深く相い保明
    ここの分解が上手く行かずに四字熟語にしてごまかしていたのですが、なるほど、こう分解できるのですね。
    しかし、それでも「保明」の解釈に謎が残って……。用例を当たっても詩経の訪落が出てきて、
    https://blogs.yahoo.co.jp/raccoon21jp/40876703.html
    でさらに謎の向こうにぶち込まれる、と言う。
    前後からして「水面下で結託」的な意味合いにはなりそうですが、そこに語釈が結びつかずに混乱しております。
    こういう引っ掛かるところに拘り過ぎてもよくないのかもしれませんが、煮え切らないのもどうにも癪だよなー、と。

    >及
    こういったテンプレ表現をどれだけきっちり盛り込めるかが、厨二くささには重要な気がしています。沢山摂取しないと。それにしても史書を読んでいると「勝」「敗」って言葉の扱われ方がてきとー過ぎてイライラしますw ここも「敗」じゃなくて「破」でいいだろうがよ、というw 平仄とかそっちの関係なのかなー。

    >權は「かりに、かりそめに」
    ! 調べてもさっぱり意味が通らなくて混乱していたんですが、その字釈が存在するのであれば、あっさりと解決しますね。そうか、なるほど……(字源を引く)……載ってた……
    権力方面でしか解釈しようとしなかったから見えなかったようです。

    >令
    四段で頻出する字ですが、変に令すと読んでしまうとかたくなりますね。「~なさしむ」か。


    >詔以甲杖五十人入殿
    能動受動の扱いが雑だったんだなー、と痛感しました。能動なら能動で通るし、受動なら受動で通る、か。

    >長民驕縱貪侈
    ここ「オメー脚色する気満々だろ」って思いながら読みましたw 一応伝のオチのための前フリになっているわけですが、それはさておき、この辺りはやはりカッコよく読み下せないと、ですね。
    紀、については「風紀」の方面から引っ張ろうとしてしまいました。際限か。そりゃ文脈上手く拾えないわけです。

    >〜に因りて以って‥‥可し
    こういう定型表現重要、ちょう重要。(二回目)

    >猶豫にて
    しれっと混じる自分の誤字に死亡しました……w

    >貧賤にあれば常に富貴を思うも、富貴は必ず機危を履む。今日、丹徒の布衣為らんと欲すれど、豈に得可けんや!
    もうただ一点、自分の書き下し文レベルの低さにちくしょう、と思うばかりです。こりゃかっこいいw
    厨二力を上げるためにも、やっぱり書き下し文にはまだまだ挑戦が必要そうです。

    >於
    この字はやはり、変に書き下してしまうと重くなりますね。基本としてできるだけ元の字は残しておかなきゃと思って呪いのように残していたんですが、河東さんの書き下しを拝見して、呪いから解放されましたw
    「克」で決定、か。これも「勝利」の文脈でしか読めなかったのでさっぱり文意が取れませんでした。

    >丁旿
    そうなんです、丁旿くん、ぶっちゃけ史実だと長民殺すのと劉裕の長女とイチャイチャするのと巨大バリスタ運ぶくらいしか役目がないというw

    >桎梏を解かるるが若し。
    この字釈だと、前半との照応が強くなりますね。「諸葛とか言うひでえ奴がいなくなってみんな清々しました、けどもっと早くにやってくれよそれって思ってました」と、すっきり。

    >正見一物
    あ、書き下しから逃げてたw the unknown one ということですね。

    >其の後、來たること轉た數あり
    中華書局標点本でも、ウィキソースでも、この前でかっこが閉じられてるんですよね。さっぱり意味が通らなくなるので幾許もなく、の前までを全部台詞扱いにしちゃいましたけど。もしかしたら志怪に関するお約束に則れば、ここからは台詞じゃないのかもしれません。

    >擣衣杵
    この一文はとことん意味が解らず悩みました。そうか、ここで熟語になるのか。「奴と杵がなんか話してやがったんだ、訳わかんねえことを」ってなるんですね。

    >臂
    この辺りは現代でも「手」だけで肩から先全部を差したりしますしね。言い回しの意義を厳密にしすぎない方がよさそうだ、というのは感じました。


    いや、勉強になりました、ありがとうございます!
    今他のところでも書き下しチャレンジをしているんですが、ここで頂けたご指摘活かせるようにも、もう二周三周したいと思います。


    (さらにお返事)

    五文型のパターンについては、しばらく
    訓読の際に張り付けていってみようと思います。
    読み方の基本に備わっていなかったわけですから、
    ここを挿入できることで
    見通しを立てるスピードも上がりそうで。

    保明、うっかり熟語的にとらえようとして爆死か!
    なるほど……「深く、相保ち、明るしめ」なんですね。
    一字単位での用法をどれだけ織り込めるか勝負になってきますね。
    まさに語彙力の世界。権とか紀もそうでしたが。

    うーん、視野が広がってくれそうです。