編集済
13世紀からこんばんは。
漢文を読みに来ました。
変なところがあるかもしれませんが御容赦(執筆にちょっと疲れて、逃避してきたので、頭が煮えてます)。
軍事関係を読むときは、使役形(使、遣、命、令)がポイントになってきますよね。
・誰がどこにいるのか、実働部隊は誰なのかをハッキリさせるのは超重要
・「OをしてVせしむ/Cたらしむ」という見栄えが漢文ちっく
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慕容暐の弟,燕の故濟北王泓は先に北地長史と為るも,垂の鄴を攻むるを聞き,亡命して關東に奔り,諸馬牧の鮮卑を收むれば,眾は數千に至り,還りて華陰に屯す。慕容暐は乃ち潛《ひそ》かに諸弟及び宗人をして外に起兵せしむ。
堅は將軍強永を遣わして騎を率いて之を擊たしむるも,泓の敗る所と為り,泓眾は遂に盛んにして,自ら使持節、大都督陝西諸軍事、大將軍、雍州牧、濟北王を稱し,叔父の垂を推して丞相、都督陝東諸軍事、領大司馬、冀州牧、吳王と為す。
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文と文の接続部分(~すれば、~するも等)は個人の好みやセンスによるので、一言一句まで同じ訓読文になることはないんだな、と改めて感じます。
熟語をどのくらい開くか、というのも趣味に依る部分がありますね。
例えば「撃滅慕容沖」を「撃ちて慕容沖を滅ぼす」とするか「慕容沖を撃滅す」とするか、このケースなら読みやすさの点でも、どちらもいけると思います。私は撃滅しますが。
印象としては、開いたほうが古語的な感じになるかもしれません。「撃滅」だと巨大ロボットが戦うSFにも出てきそうですが、宇宙空間のバトルで「撃ちて滅ぼす」は無いかな、と。
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堅は權翼に謂いて曰く:「吾は卿言に從わず,鮮卑は是に至る。關東の地,吾の復た之と爭わずんば,將に泓を若何せん?」
翼の曰く:「寇は長かるべからず。慕容垂は正に山東に據りて亂を為すに,近逼するに暇あらざるべし。今,暐及び宗族種類は盡く京師に在り,鮮卑の眾は畿甸に布するは,實に社稷の元憂なれば,宜しく重將を遣はして之を討たしむべし。」
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台詞に「べし」の多い人ですね。
「可」と、再読文字の「宜・当・須」の「べし」では、文章中のどこまで「べし」の効用を掛けるべきなのか、細かいんだけど悩んだりします。
悩んだ結果、私はけっこう後ろのほうまで「べし」の中に入れることが多いです。
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堅は乃ち廣平公苻熙を以て使持節、都督雍州雜戎諸軍事、鎮東大將軍、雍州刺史と為し,蒲阪を鎮せしむ。苻睿を征して都督中外諸軍事、衛大將軍、司隸校尉、錄尚書事と為し,兵五萬を配して左將軍竇沖を以て長史と為し,龍驤姚萇を司馬と為し,泓を華澤に討たしむ。平陽太守慕容沖は河東に起兵し,眾を有すること二萬,蒲阪に進攻すれば,堅は竇沖に命じて之を討たしむ。
苻睿は勇にして果たして敵を輕んじ,士眾を恤《うれ》えず。泓は其の至るを聞くや,懼れ,眾將を率いて關東に奔るに,睿は馳兵して之を要《むか》えんとす。姚萇は諫めて曰く:「鮮卑は思歸の心有り,宜しく驅して出關せしめ,遏《とど》むるべからざるなり。」睿は從う弗《な》く,華澤に戰えば,睿は敗績し,殺さる。堅は大いに怒る。萇は誅を懼れ,遂に叛す。
竇衝は慕容沖を河東に擊ち,大いに之を破り,沖は騎八千を率いて泓軍に奔る。泓眾は十餘萬に至るに,使を遣わして堅に謂わしめて曰く:「秦は無道を為し,我が社稷を滅ぼす。今,天は其の衷を誘い,秦師をして敗に傾かしめ,將に大燕を興復せんと欲せんとす。吳王は已に關東を定むれば,速やかに大駕を資備し,奉じて家兄の皇帝並びに宗室の功臣の家に送るべし。泓は當に關中の燕人を率い,皇帝を翼衛し,鄴都に還返し,秦と武牢を以て界と為し,王を天下に分かち,永く鄰好を為せば,復た為秦の患とならざるべかるなり。鉅鹿公の輕戇銳進し,亂兵の害する所と為るは,泓の意に非ず。」
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古文で言うところの完了の助動詞「り(読了せり/此処に至れり)」や過去の助動詞「き(斯く語りき/斯く語りし者)」を使うかどうかも、個人の趣味やセンスが表れます。
私は使っていませんが、おかげで「時制の曖昧である」という漢文の根本的な悪癖がそのまま訓読文にも出てきてしまいますね。
基本を守りつつ、より読みやすい訓読文を目指したいところです。
訓読文風の古めかしい文体でプロローグや伝承を書く、というのは有効ですよね。中ニ病を刺激しますよね。異能バトル物の『PRINCESS SWORD』の中に、伝承として漢文ガッツリ出しました←高校生に漢文読解をやらせた
『幕末レクイエム』の序章で妖刀が訓読文風にしゃべっています。あと、会津戦争編のサブタイ「散らざる花よ」という言い回し、訓読に引っ張られていると後になって気付きました。「散らぬ花」という発想が全くなかったので。
わーい、綺麗な漢文を読むの楽しかった!
お邪魔しました。
13世紀に帰る!
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再びお邪魔します。
>襄陽
そういえば、漢和辞典ではなく現代中国語の辞書を引くこともしばしばありますね。
スラング多いです。
>擊たしむるも
接続、悩むやつですよね(笑)
明確な接続詞の有無が現代中国語との大きな相違点のひとつです。
>近逼するに暇あらざるべし。
「べし」にはいろんな意味があるから厄介なんですよね。
ここは「推量」として解釈しました。奴が迫って来るまでに猶予がないでしょう、と。
この「べし」連発の台詞なんですが、最初の2箇所は「~に違いありません」みたいな感じで、最後のは「~するとよいでしょう」かなと思います。
>天「は」
ここの部分は、もっと注意深く文の構造を考えないとです。ちょっと油断すると、すぐに雑に突っ走ってしまう。
使節に言わせたこと(もしくは持たせた書状)なので、文体がほかと違いますよね。
カッコつけた言い回しになっていて、読みにくいと感じました。
>命令形の語尾
時代が下って出現する吏文(役人言葉)の文書では、文末が必ず「~せられよ」で締めくくられる、という書式が登場します。
こういうのがあると、その時代を専門的にやっている人にしか読めません。
>王を天下に分かち
「封誰為王(誰を封じて王と為す)」ってやつかな、と。領地を分割して王(領主)を置いて治めさせる。
>鉅鹿公の輕戇銳進し,亂兵の害する所と為る
副詞節の主語には「の」を使う、河東さん方式の読み方ですね。
異論が出現する余地もあるかもです。
時代特有の文体・スタンダードもありますし。
またタイミングが合えば遊びに来ます。
お邪魔しましたー。
作者からの返信
うわい、ありがとうございます!
並べての比較は時間が取れた時にさせて頂きたいと思いますが、ひとまず。
自分の中では、いまは訓読文に接するフェーズだと考えています。なので極力開いて、一字あたりに触れていって、と言う感じ。もう少し接し慣れしたら熟語化していきたいとは思っています。何故かといえば、そちらの方がカッコイイ!(言い切った)
いや本当、襄陽の訓読翻訳ってキッツいと思います……古い漢文の方が正直日本語に近いですし、そういう意味では絶対にこっちの方が楽。襄陽の原文訓読、見比べてちょくちょく「??????」になってますw
ではまた、改めて!
***
と言うわけで、改めて比較させて頂きました。
>鮮卑を收むれば
むれば、にすると接続がスムーズですね。
>起兵せしむ。
使役系としての表現ですね。
>擊たしむるも
この辺りの逆接の入れ方には迷いがあります。入れていいものかどうか、的な。とは言え、分かりやすさを考えたら入れる一択ですね。
>吾は~是に至る。
対句的な組み立てかー。こう言った辺りも意識して取り込めるとカッコいいですね。
>若何せん
これは定型文的に拾っておくべきですね。
>近逼するに暇あらざるべし。
ここは、上手く拾えませんでした。慕容垂の奴に合流する余裕を与えるな、でいいのかな。
>堅「は」
あっw
>泓を華澤に討たしむ。
「討つ」だと苻堅が直接攻撃を仕掛けたことになりますね。
>有すること二萬
こっちの方がカッコいいです。
>勇にして果たして
思いっ切り拾えなかったのがバレバレで、お恥ずかしい限りです……
>要《むか》え
>遏《とど》むる
ちくしょう、そんなふりがなになるなんてw
確かにそれだと、スムーズに読めますね。
>弗《な》く
雑に書き下していましたね。もっと丁寧に行かないと……
>天「は」
ここの部分は、もっと注意深く文の構造を考えないとです。ちょっと油断すると、すぐに雑に突っ走ってしまう。
>將に大燕を興復せんと欲せんとす。
「将に~せんとす」構文ですね。確かに直列的に両方に掛かってると考えた方がスムーズです。
>大駕を資備し
「揃えるもん揃えろや」か、なるほど。着想が届きませんでした。
>送る「べし」
あ、そういやその語尾があった……(命令形の語尾として「送れ」には物凄い違和感抱えてました)
>王を天下に分かち
王と名乗るってことは、少なくとも天下のナンバーワンだとは認識していない。「王の天下」にはなり得ないですね。
>鉅鹿公の輕戇銳進し,亂兵の害する所と為る
なるほど、こちらの方が読みやすいです。
先日、河東竹緒さんより頂戴した内容と同じ箇所で引っ掛かっているのがにんともかんともです。理解のクセみたいのが出来ちゃってるんだろうなあ。
もうちょい認識修正のテンポを上げないと。そのためにも、もうしばらくにらめっこしたいと思います。
改めて、ありがとうございます!
※
>現代中国語の辞書を引く
漢文から現代中国語への過渡期、という感じですね。
どう今の中国語に辿り着いたか、その変遷とかは追えると楽しそうな気もしていますが、それやると首回らなくなりそうw
>明確な接続詞の有無
これによって解釈の違いが大いに発生したにも拘わらず、この形式が長いこと支配的だった。これも面白いです。
英語みたいな近現代言語とは、存在意義からして少しちがっている感じ。どちらがいい悪いとは全く関係無しで。
>べし
それこそ get とか that みたいな感じで、自分の中の幅を広げるべし、ですね。そのためにも、摂取する例文は多ければ多いほどいいのか。
>カッコつけた言い回し
苻堅さまもしゃべり出すと割と読みにくいし、勘弁して欲しいです……まぁそう言うしゃべり方も当時の威厳の源泉になっているんでしょうし、仕方ないですが。
>吏文(役人言葉)
いろんな時代で、その時に即した表現が現れる。いまなら「マジ卍」がそれらしいですがw
そう言った特有のものをいかに拾い上げられるか、も重要ですね。
「特有の表現である」ことを踏まえずに当たれば、結局トンチンカンな解釈に陥る気もしますし。
>王(領主)
この期に及んで、いまだに帝と王との境目が曖昧なんだな、と痛感しました。それもこれも郡公レベルの領土しかないクセに称帝した慕容沖が悪い(責任転嫁)。
>副詞節の主語には「の」
これを上手く使えると気持ちいいですが、間違って使うと「あっダセぇ……」とのたうち回りますw
>時代特有の文体・スタンダード
上でも反応させては頂きましたが、この辺りの「基本」をどれだけインプットできているかで、解釈の精度は全く違ってくるんでしょうね。
訓読なんぞ面倒くせーよとか言ったスタイルで劉裕の史書記述はキメましたが、訓読をやってみると、やっぱり理解の速さ、効率は違ってくる手応えがあります。
ありがとうございます、またお時間に余裕があれば、遊んでください!
編集済
こんばんは。
氷月さんの訓読は綺麗ですね。自分で訓読するととにかく「ひらく」「助詞を省略しない」なので、訓読文というよりも古文チックになりがちですから、見習いたいものです。
辞書は、唐・五代までは『大漢和』だけでいいですが、宋以降は『漢語大辞典』も必要になるんですよね。これが苦手で宋以降を避けている節があります。
よくよく読むと面白いんですけどね。。。それでは、載記2は頂きますね。
※
2点ほど遣り取りで気づいたところがありましたのでお伝えしますね。
> >鉅鹿公の輕戇銳進し,亂兵の害する所と為る
>
> 副詞節の主語には「の」を使う、河東さん方式の読み方ですね。
「鉅鹿公は突っ走った、そして、(鉅鹿公は)亂兵に害された」
この場合、前文と後文はANDで繋がる同等の主文になりますので、
主格助詞を入れる場合は「鉅鹿公は」になりますです。
これが、「突っ走った」と「亂兵に害された」のが別人の場合、
後文が主文で前文は副詞節と考えると分かりやすいかと思います。
> >勇にして果たして
> 思いっ切り拾えなかったのがバレバレで、お恥ずかしい限りです……
『晋書』あたりだと「勇果=勇猛果敢」という用例も多いので、
どちらとも解釈可能なようです。この場合は「勇果」もありそう。
真相はやぶの中、です。
作者からの返信
最終的に「オレ的にカッコイイ訓読文」に辿り着きたいものですが、そのためにも、基準値をしっかり自分の中に組み込まなきゃ、と言う感じがします。竹東さんと氷月さんのお二方にご教示いただけているとか、この恵まれた環境どうしよう、と小躍りしていますw
それにしてもここ最近、文法用語を調べては「ほ、ほう……ほほう……」となっていますw この辺りの整理がつくと、間違いなく理解がスムーズになるんだろうなーと言う手ごたえはあるんですが、いかんせん、奴らは強い! 頑張って戦わねばですw
>勇にして果たして
「オッケーオッケー、どっちでもオッケー!」とは言いたいですが、どうせなら少しでも著述者がその文字を盛り込んだ意図に寄り添いたいものです。もっとも漢文って、著述者云々以前に、漢文そのものがそういった部分を敢えて見えづらくさせている節もあるような気がするのがニントモカントモ。字釈に悩んでる時間って割と楽しいから、いいと言えばいいんですけど。