「紫微垣」苻堅載記1

 前燕のラストエンペラーである慕容暐の弟、慕容泓は、前燕滅亡後、前秦の北地長史となっていた。

 しかし淝水の大敗後、叔父の慕容垂が独立し、前燕の都であった鄴を取り返すべく攻撃を開始した、と聞くと、北地より東方へと脱出、騎馬や騎兵、調教師等も含んだ鮮卑らを吸収した。その数は数千にも上ったため、慕容泓は脱出先より引き返し、華陰を拠点とした。

 その報せを受け、長安に囚われていた慕容暐は、密かに弟らや親類などに、長安の外で、慕容泓と共に決起するよう呼び掛けた。

 苻堅は、配下の強永に騎兵を率いさせ、慕容泓を討伐しようとした。だが、あえなく返り討ちとなった。しかもこの勝利で、慕容泓軍を勢いづかせてしまうのだった。

 慕容泓は大將軍、濟北王を自称。更に慕容垂には丞相、大司馬、吳王の位を贈った。

(※呉王とは、言い換えれば「呉エリア=東晋の領域を支配する王」を意味する。つまり東晋征伐の最高司令官である)


 苻堅は参謀の權翼に尋ねた。

「余がそなたの献策に従わなかったため、ここまで鮮卑どもをのさばらせてしまった。済まぬ、函谷関より東で、奴らと戦おうとした絵図が台無しとなってしまったな。さて、まずは慕容泓をどうしてくれたものか」

 すると権翼は答えた。

「奴らの侵略を長引かせてはなりません。慕容垂の挙兵は山々を越えた、更にその向こうです。そうそう簡単に慕容泓と合流できたものではありません。

 しかるに今、慕容暐とその宗族は、みな長安におります。鮮卑という、秦にとっての危機の火元は、今まさにこの辺りをうろついているのです。ならば何度でも将兵を送り込み、早々に討滅してしまうのがよろしいでしょう」

 そこで苻堅は、苻熙を大将に据えて蒲阪に駐屯させた。また苻睿には50000の兵を与え、竇沖を参謀、姚萇を副隊長とし、華澤へと討伐に向かわせた。

 ところがここに、慕容泓の弟、慕容沖が河東で決起、20000の兵力でもって蒲阪へと進軍してきた。そのため苻堅は竇沖を迎撃に向かわせざるを得ず、苻睿の兵力は減退した。

 状況が悪化した苻睿軍であったが、自身の武勇に一廉の自負を抱いていた苻睿は、それでも勝てると判断、不安におののく兵士らのことなど意にも介さぬ風であった。

 苻睿の進軍を受けて、慕容泓が退却の動きを見せた。これを怯懦の証とみた苻睿は、追撃を掛けようとした。

 そこに姚萇が、諫めて言った。

「鮮卑どもは東のかた、奴らの故郷に帰りたい、と思っています。先回りして函谷関を開放してやれば、勝手に逃げていくでしょう。にもかかわらず、奴らを無闇に追い詰めてしまえば、手酷い逆襲を喰らうことでしょう。ここでの追撃は、上策とは思えません」

 だがその諫言を、苻睿は聞き入れなかった。そして追撃を掛けた挙げ句、華澤で大敗。その上、討ち取られてしまった。

 この顛末に、苻堅は激怒した。姚萇は殺されるのを懼れ、それならば、と謀反を起こすのだった。

 一方では、竇衝が河東で慕容沖を散々に打ち負かしていた。多くの手勢を失った慕容沖は、8000にまで減った騎兵を連れて、慕容泓の元へ逃げ延びた。

 この頃、慕容泓の軍勢は100000にも届こうかという勢いであった。慕容泓は苻堅に使者を送り、以下のように伝えた。

「そもそものこととして、そなたら秦が無道をなし、燕を滅ぼしたからこそ、天がそなたらを散々に打ち負かせよう、燕を再興させよう、と心されたのだ。この点については履き違われぬよう、重にご理解願いたい。

 さて、我が叔父、呉王慕容垂が、既に函谷の東を平定しておられる。

 故に燕室復興のためにも、兄帝、および旧燕の重臣らを返還するよう、そなたらに請う。さすれば我、慕容泓は、兄帝を守りつつ、燕の故民らを率いて鄴へと帰還し、函谷を境界として、天下を秦と分かち合い、隣人としての永きの友好を約しよう。

 我々としても、苻睿殿を害する異図はなかったのだ。かの者の軽挙に、戦場の乱流がぶつかり、悲劇が引き起こされたのだ、とご理解願いたい」



原文:

 慕容暐弟燕故濟北王泓先為北地長史,聞垂攻鄴,亡命奔關東,收諸馬牧鮮卑,眾至數千,還屯華陰。慕容暐乃潛使諸弟及宗人起兵於外。堅遣將軍強永率騎擊之,為泓所敗,泓眾遂盛,自稱使持節、大都督陝西諸軍事、大將軍、雍州牧、濟北王,推叔父垂為丞相、都督陝東諸軍事、領大司馬、冀州牧、吳王。

 堅謂權翼曰:「吾不從卿言,鮮卑至是。關東之地,吾不復與之爭,將若泓何?」翼曰:「寇不可長。慕容垂正可據山東為亂,不暇近逼。今暐及宗族種類盡在京師,鮮卑之眾布於畿甸,實社稷之元憂,宜遣重將討之。」堅乃以廣平公苻熙為使持節、都督雍州雜戎諸軍事、鎮東大將軍、雍州刺史,鎮蒲阪。征苻睿為都督中外諸軍事、衛大將軍、司隸校尉、錄尚書事,配兵五萬以左將軍竇沖為長史,龍驤姚萇為司馬,討泓于華澤。平陽太守慕容沖起兵河東,有眾二萬,進攻蒲阪,堅命竇沖討之。苻睿勇果輕敵,不恤士眾。泓聞其至也,懼,率眾將奔關東,睿馳兵要之。姚萇諫曰:「鮮卑有思歸之心,宜驅令出關,不可遏也。」睿弗從,戰于華澤,睿敗績,被殺。堅大怒。萇懼誅,遂叛。竇衝擊慕容沖於河東,大破之,沖率騎八千奔於泓軍。泓眾至十餘萬,遣使謂堅曰:「秦為無道,滅我社稷。今天誘其衷,使秦師傾敗,將欲興復大燕。吳王已定關東,可速資備大駕,奉送家兄皇帝並宗室功臣之家。泓當率關中燕人,翼衛皇帝,還返鄴都,與秦以武牢為界,分王天下,永為鄰好,不復為秦之患也。钜鹿公輕戇銳進,為亂兵所害,非泓之意。」



訓読文:

 慕容暐の弟、燕の故濟北王の泓は、先に北地長史と為るも、垂の鄴を攻むるを聞き、亡命して關東へ奔り、諸馬牧の鮮卑を収むれば、眾は數千に至り、還りて華陰に屯す。慕容暐は乃ち潛かに諸弟及び宗人をして外に起兵せしむ。

 堅は將軍の強永を遣わせ騎を率いて之を擊たしむるも、泓の敗る所と為り、泓の眾は遂に盛んとなり、自ずから使持節、大都督陝西諸軍事、大將軍、雍州牧、濟北王を称し、叔父の垂を推して丞相、都督陝東諸軍事、領大司馬、冀州牧、吳王と為す。

 堅は權翼に謂いて曰く「吾は卿の言に從わず、鮮卑は是に至る。關東の地、吾の復た之と爭い得ずんば、將に泓を若何せんか?」

 翼曰く「寇は長かるべからず。慕容垂は正に山東に拠りて乱を為すに、近逼せるに暇あらざるべし。今、暐及び宗族種の類は盡く京師に在り、鮮卑の眾の畿甸に布せるは、實に社稷の元憂なれば、宜しく將を重ねて遣わし之を討つべし」と。

 堅は乃ち廣平公の苻熙を以て使持節、都督雍州雜戎諸軍事、鎮東大將軍、雍州刺史と為し、蒲阪に鎮せしむ。苻睿を征せしめ都督中外諸軍事、衛大將軍、司隸校尉、錄尚書事と為し、兵五萬を配し、左將軍の竇沖を以て長史と、龍驤の姚萇を以て司馬と為し、泓を華澤にて討たしむ。平陽太守の慕容沖は河東にて起兵し、眾を有すること二萬、進みて蒲阪を攻むれば、堅は竇沖に命じて之を討たしむ。

 苻睿は勇にして果して敵を輕んじ、士眾を恤えず。泓は其れの至るを聞くや、懼れ、眾將を率いて關東に奔るに、睿は兵を馳せ、之を要えんとす。姚萇は諫めて曰く「鮮卑は思歸の心あり、宜しく驅けて出關をせしめ、遏むべからざるなり」と。睿は從う弗く、華澤にて戰えば、睿は敗績し、殺を被る。堅は大いに怒れり。萇は誅を懼れ、遂には叛す。

 竇衝は慕容沖を河東に撃ち、大いに之を破り、沖は騎八千を率いて泓の軍に奔る。泓の眾の十餘萬に至るに、使を遣して堅に謂いて曰く「秦は無道を為し、我が社稷を滅ぼしぬ。今、天は其の衷を誘い、秦師をして敗に傾かしめ、將に大燕を興復せんと欲す。吳王は已に關東を定むれば、速やかに大駕を資備し、奉じて家兄の皇帝、並びに宗室、功臣を家に送るべし。泓は當に關中の燕人を率い、皇帝を翼衛し、鄴都へ還返し、秦と武牢を以て界と為し、王を天下に分かち、永く鄰好を為さば、復た秦の患と為らざるべかるなり。钜鹿公の輕戇銳進し、亂兵の害さる所と為るは、泓の意に非ず。」

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