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とある週末。涼太がまたも〝何か食わせろ〟メッセージを送ってきた。可愛い弟だけれど、タイちゃんの一件があったからつい警戒してしまう。
前回突然一人でやってきた彼のことだから、涼太と家で食事なんてことになったら、呼んでもいないのにやって来そうだよね。涼太も涼太で、タイちゃんがついて来てもなにも言わないだろうし。
さて、どうするか。そうだ。家にいるとついて来ちゃうかもしれないなら、外で食べればいいのか。なら、夜にあそこへ行くのもいいかもしれない。いつもランチでしか利用したことのない、木山さんのお店に行ってみよう。
予約を入れてお店に行くと、ランチの時のように木山さんが迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
いつものようにスマートなお出迎えと紳士的な笑顔に、こちらも釣られて目じりが下がる。席に案内されて落ち着くと、涼太が物珍しげにキョロキョロと店内を見回した。
「姉ちゃん。いつもこんな店で食ってんの?」
〝こんな店〟なんて言い方は余りよろしくないけれど、いい意味でのこんな店ということだ。だって、涼太の目がキラキラしている。新卒で高いお店になどそうそう行けるはずもないだろうし、そもそも、外食自体をケチってる気がする。あ、でも彼女とは無理してでも行ったりするのだろうか。姉には集っても、彼女にはいいところを見せたいよね。
彼女のために頑張っている姿を勝手に想像すれば、やっぱり可愛い弟だと思ってしまう。
「いつもはランチでね。夜に来るのは、初めてだよ」
壁の黒板に書かれたメニューを眺め、何を食べるか物色している涼太。そこへ木山さんが、メニューとレモン水を持ってきてくれた。
「夜にいらっしゃるのは、初めてですね」
「ですね。夜は、とても落ち着いた感じになるんですね」
ランチの時には席取り合戦が凄いし、昼間の明るさも手伝ってエネルギッシュに賑わっている。けれど、今の時間帯は落ち着いた雰囲気の、ゆったりとした空間に変わっていた。全く違うお店に来ているような、とても新鮮な気分を味わえる。
「昼間は、厨房も戦場ですからね」
木山さんは、少しだけ肩を竦めて笑った。
「あ、これ。弟の涼太です」
涼太を紹介すると、木山さんが思い切り笑顔になった。
「弟さんといらしたんですね」
弾むように言って涼太のことを見ている。まるで、久しぶりに自分の家族にでも会ったような笑みだ。
「いらっしゃいませ」
「どうも」
涼太が若者特有の軽い挨拶をしても、眉一つ顰めることのない木山さん。心の広い大人の対応に、涼太もこんな大人になりなさいよと、まるで親みたいな感情を抱く。
「こちら、ここの店長さんで。木山さん」
涼太に木山さんの紹介をすると、へぇ~、なんてわずかに探るような目で見ている。
ちょっと、その態度は失礼じゃないのよ。
「店長さんですか。偉い人なんですね」
「いえいえ、そんな。まだまだ勉強することばかりの毎日です」
ああ、なんて謙虚な姿勢。涼太の不躾な態度に笑みを崩さず、さらりと返してくれた。流石ですよ、木山さん。涼太だけじゃなく、折角だからタイちゃんにも見習ってもらいたいくらいですよ。木山さんの爪の垢、少し貰って帰ったほうがいいかも。
「お決まりになりましたら、お呼び下さい」
恭しく頭を下げて、木山さんが厨房へと戻って行く。
「涼太、何がいい?」
メニューを差し出して訊くと、コイツは何も見ずに即行で応えた。
「俺、肉がいい」
飢えてるな。
「また、肉?」
「育ち盛りだから」
「それ、とっくに過ぎてるでしょ」
私の突っ込みに、ケタケタと声を上げる。
肉と大雑把に言われても困ってしまうので、手っ取り早く肉が組み込まれたコース料理にした。
弟とコース料理なんて、ちょっと贅沢だったかな。
そんな風に思っても、雰囲気の良い木山さんのお店で、美味しいものを堪能しないと損をするような気がする。
料理を注文し、食前酒に口をつけていると、なぜだか面白そうに涼太がタイちゃんの話を持ち出した。
「太一。この前、姉ちゃんのところに行ったんだって?」
「そう! そうなのよっ。なに、あれ? マンション前で待ち伏せって、タイちゃんじゃなかったら通報ものだよ」
身を乗り出して抗議すると、涼太がケタケタと声を上げた。
笑うところじゃないでしょ。
「で、あいつのオムライス食ったんでしょ?」
「ああ、食べたね。つぎはぎのやつ」
呆れる私に、またもおかしそうな顔をする。
全く、他人事だと思って。
タイちゃんの自由すぎる行動に憤慨していると、笑いを嚙み殺しながら涼太が訊いてきた。
「太一、なんか言ってた?」
「何かって?」
「いや。なんも聞いてないならいいんだ」
何を聞くって言うのよ。
「ていうか、しっかり管理しておいてよね」
「何を?」
「タイちゃんよ。持ってきたオムライスにケチャップで何かメッセージを書いてきたらしいんだけど、グチャグチャで読めないってわかったら、情けない声出してしがみ付いてくるんだよ。私ぬいぐるみじゃないし。タイちゃんデカいから、押しつぶされそうだし。しかもあれは、また来る気でいるよ」
腕を組んで鼻息も高らかに抗議すると、涼太はまたケタケタと笑っている。
「笑い事じゃないっ!」
「いいじゃん。太一、面白い奴じゃん」
「それは……知ってるけど」
「それにしても。ふーん。太一の奴、姉ちゃんにしがみついたんだ」
涼太は、何やら含んだように言って、ニヤニヤしている。
なんだ、その不敵な笑みは。
長い付き合いだからタイちゃんが面白いのは、知っている。なにしろ、涼太とは中学からの付き合いだ。
私たちがまだ実家暮らしをしていた時から、タイちゃんはしょっちゅう家に上がりこんでいた。お母さんも、家族みたいにスルッと違和感なく入り込んでくるタイちゃんが可愛いのか、なぜか食卓にはタイちゃんの分のご飯まで用意していたくらいだ。
今はあんな感じだけれど、意外と気が利くところもあって。夕食時にはお父さんのグラスにビールを注いだり、キッチンに立つお母さんの洗い物を手伝ったり。年末には、大掃除を手伝いにきたこともあったっけ。
あんまりしょっちゅう居るから、「住んじゃえばいいのに」なんてお母さんが一時期本気でタイちゃんに言っていたことがあったけれど、私が断固として反対した。だって、お母さんやお父さんには気が利くいい子だろうけれど、私には違ったから。
勝手に私の部屋に入り込んで、大事なCDを持って行っちゃったり、部活で疲れて帰ってきたのに、何故か私のベッドで熟睡していたり。あったまきて、引き摺り下ろしてやったけど。
あと、最悪だったのは。洗濯物を取り込むお母さんの手伝いを、タイちゃんがしてくれていたまではよかったんだけれど、畳んだ洗濯物─というか、私の下着をタイちゃんが簞笥にしまっているところに遭遇したこと。その時、簞笥の前で正座していたタイちゃんが、丁寧に私の下着を抽斗に納めながらこう言ったのだ。
「葵さん、このレースの可愛いね」
満面の笑みで下着を広げられた時には、頭から噴火しそうな程に赤面して、容赦なく顔面パンチを繰り出した。
鼻血を出して蹲ったタイちゃんは、結局私のベッドに横になるという、なんとも納得しがたい状況に陥ったわけだけれど。
そんな感じで、一年の半分以上は実家でタイちゃんと過ごしていた。
私が高校を卒業して大学に通い、一人暮らしをするようになってからは、以前みたいに会うことも減っていたけれど。それでもたまに実家へ顔を出せば、ほぼ百パーセントの確率でタイちゃんが居た。いつも必ずいるタイちゃんに、実は座敷ワラシかもしれない。と思ったくらいだ。
あの頃、うちに幸せは訪れていただろうか……。思わず遠い目になる。
そんなタイちゃんのクレームを涼太へぶつけていたら、料理が運ばれてきた。
前菜のタコのぺペロンチーノから始まり、木山さん特製ドレッシングのかかったサラダやクリームスープ。パスタやお肉のコース料理を堪能していく。
「マジ、うめぇ」
普段、質素な食生活をしているせいか、涼太は料理をがっつきまくる。
私は味もさることながら、昼間には味わえない料理と共にワインも堪能した。
ああ、幸せ。美味しいものって、本当に人を幸せにしてくれるよね。この時間がずっと続けばいいのに。
木山さんが選んでくれたワインをお代わりし、フォークは動きを止めることがない。美味しすぎて、黙々と口へと運ぶ。
あ、ディスプレイ用の写真、撮るの忘れた。私としたことが、しくじった。
「つか、姉ちゃんさー。こういう店は、男ときたほうがいんじゃね?」
少しは気を遣っているのか、涼太がそんなことを言い出した。
確かに、それは一理ある。こんな素敵なお店で愛する人とディナーなんて、幸せを絵に描いたような瞬間だろう。ディスプレイだって、料理だけじゃなく彼の手なんかがさり気なく写りこんだ写真を飾ることができる。そして、日々それを見てニヤニヤするのだ。SNSにあげてしまえば同性から恐ろしいほどのバッシングを受けそうな写真でも、自分のパソコンだけならそんな恐怖に晒されることもなく幸せ気分に浸れる。
けれど、力強く言おう。私は今一人の生活に満足しているのだ。恋愛のごたごたに気持ちをすり減らし振り回されるよりも、美味しい物を美味しく頂く幸せを感じられるほうがずっといい。
食べ物とは喧嘩しないけれど、彼氏とは喧嘩になるもんね。
「いい男が今はいないからね~」
弟相手ということもあり、敢えてお高くとまって言ったら。
「今って」
ぶっ!! と涼太が噴き出し笑う。
姉の恋愛事情に噴き出すって、どういうことよ!!
「ちょっと、笑いすぎっ」
「だって、もうずっといねぇだろ。お・と・こ」
うっ……。確かに、散々彼氏云々と語ってはみたけれど、大学の時に付き合った彼と別れてから、実はずっと一人だったりするのだ。その相手には、これでもかってくらい嫌な思いをさせられた。
浮気に浮気に、浮気に浮気っ。浮気のオンパレードだ。もう浮気だらけで、逆に私が浮気相手なのか!? なんて思ったくらい。
結局、一応は本命だったみたいだけれど。
元彼曰く、食べ物もずっと同じ味だと飽きるだろ? らしい。そりゃあもう、言われた瞬間ボディーに膝蹴りしましたけれど、何か?
思い出したら、またふつふつと怒りが……。嫌な過去を思い出させた涼太をひと睨み。
「奢ってもらうくせに、からかうなっ」
「ああ、そうだった。ごめん、ごめん」
未だおかしそうに笑う涼太。ムカつくけれど、それ以来ずっと独り身なのは事実だから仕方ない。
全ての料理を堪能し、食後のコーヒーを待っていたら、木山さんがデザートを持ってきてくれた。
「あれ、さっき食べましたよ」
コースについてきた小ぶりのアイスは、もう完食したはずだ。
「これは、サービスです」
「え? そんな、この前もサラダを大盛りにしてもらったのに」
「いいんです。西崎さんに食べてもらいたいので」
そう言って出されたデザートは、真っ白なプレートにおしゃれに飾られたケーキだった。お皿に描かれたカラフルなソースやチョコレートの飾りが、さっきの涼太よりも私の目をキラキラとさせる。
「可愛い。崩すのがもったいないです」
「ありがとうございます。どうぞ、お召し上がりください」
「では、遠慮なく」
崩すのがどうとか言っておきながら、美味しそうなケーキにまんまと釣られてフォークを握る。目の前に座る涼太にも頂いて、姉弟二人で美味しさに目じりを下げた。
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