【書籍版】マイペースな君

柊/ビーズログ文庫




 そこそこ広いフロアの中は、今日もそこそこの活気にあふれていた。

 少し伸び始めた肩先で跳ねる髪の毛。緩く束ねた方がいいだろうかと、ヘアゴムの在り処を脳内で探りながら、指はキーボードの上を軽快に躍る。

 二時間ほど前に立ち上げた自席の机にあるパソコン画面がスリープすると、最近食べた美味しいとんこつラーメンの画像が現れた。ひと休憩おく度に美味しそうな画像を見れば、食べることが大好きな私の頰も緩むというもの。

 長浜ラーメンの細麺は、私好みだ。紅生姜をたっぷり入れて食べれば、それはもう至福の時。


「西崎葵ー。これ、外出たついでにポストに頼む」


 そんな特別な時間を邪魔する声が、少し先の席から容赦なく届く。しかも大声でフルネームを呼ぶなんて、恥ずかしいからやめてもらいたい。

 こっちに向かってわざとらしいくらいの笑顔で定形外の封筒を掲げているのは、同期で人使いの荒い瀬戸陽平だ。

 ビジネスショートにした髪の毛先をワックスで散らし、耳にはピアスを空けた痕がある。

 つい最近、「アッシュブラックにしたんだ、似合うだろ」と誇らしげに自慢していたから、「はいはいカッコいいですね」と棒読みしておいた。きっと、学生の頃はそれなりにはじけていたのだろう。くっきり二重の瞳は、同じ二十六歳という年齢のわりには大学生くらいに見えて可愛らしい。


 けれど、騙されてはいけない。あれは、トラップだと私は知っている。何故なら、彼は華の販売営業部に異動を希望している仕事の鬼だからだ。

 時々後輩の女子が瀬戸君の事をワー、キャー黄色い声で噂しているのを聞くけれど、心の中では、「騙されてはいけないよ、後輩たちっ。あんなのに捕まったら、こき使われるのがオチだからね」と力強く思っていたりする。


 仕事に全力を尽くす彼は、自分より暇そうに見える私を捕まえては雑務を押し付けてくる。今だって私が外に出る用事がないのを知っていて〝ついで〟なんて言ってくるくらいなのだ。

 確かに脳内では、今日のランチは何にしようかと目くるめく食べ物画像が忙しなく入れ替わっているけれど、私だってそれなりに忙しい。これでも書類の入力速度の速さには定評があるのに加え、間違いなく仕上げる完璧さに、いつも助かるよと部長からは感謝されている。

 瀬戸君に再度急かされたため、仕方なく入力途中のものを上書きして閉じ、彼のところまで郵便物を受け取りに行った。


「なるべく早く投函しておいてくれよ」


 わざわざ席まで行った私へ、急ぎと付け足してくる。なんて、図々しい。


「だったら郵便局まで行って、速達にでもする?」


 少しだけ嫌み混じりに訊ねると、わざとらしく腕時計を確認してから私の顔を覗き込んだ。


「いや、そこまでしなくてもいいんだけどさ。ほら、昼頃に一度回収に来るんだよ、ここから一番近いポスト」


 よくご存じで。

 思わず眉がピクリと反応してしまった。

 要するに、速達にする必要はないけれど、昼の回収に間に合うよう今すぐ行けということね。ちっ、しかも定形外って。重さ量ってから渡しなさいよね。

 瀬戸君の席の奥にある書類棚の上には、デジタルスケールが鎮座している。私がそれを一瞥したにもかかわらず、彼はさっと立ち上がり「宜しくな」と得意の笑顔で手渡された。

 それが意外と爽やかなものだから、ころりと騙される子が多い。しかし、何度も言うけれど、騙されてはいけないのだ。このアイドル気取った表情の裏にある、有無を言わせぬ人使いの荒さに何度迷惑を被ったことか。


 そうやって、本日も当たり前のように押し付けられた雑務だけれど、もめるのも

面倒だし、同期のよしみで引き受けてあげた。それでも、私は召使いじゃないのにという思いは日々拭えない。


「りょーかい」


 仕方ないなという表情を前面に押し出し、噓臭い笑顔を貼り付け踵を返した瞬間、背後から右肩に手を置かれた。

 なに? そう思って振り返ろうとしたところで、「頼むな」と耳元で念押しするように囁かれて溜息が出る。


「はいはい」


 私相手に何やってんのよ。後輩女子にしてあげた方がいいんじゃないの?

 気の無い返事と共に肩をグイッと持ち上げて手を振り払うと、彼はなんとも不服そうな顔をしていた。


 封筒片手にフロアを出ると、丁度廊下にはクールながらも優しいと社内で人気の篠田先輩の姿。さっぱりとしたツーブロックのビジネスショートは、できる男全開だ。どうやら、午前中の会議が終わり戻ってきたところのようで、今日もパリッとしたスーツ姿が素敵です。


 面倒臭い瀬戸君の相手をして辟易としていたさっきまでの感情が、あっという間に晴れていく。嬉しさにだらしなくにやけそうな頰の筋肉を引き締めてから、篠田先輩の元へ弾むように近寄った。


「お疲れ様です」


 声をかけると、先輩は爽やかな白い歯を見せる。その輝きが余りに眩しすぎて眩暈さえ覚えるほどだ。


「お疲れ。あれ、もう昼飯か?」

「あ、いえ。近くのポストまでお使いです」


 瀬戸君から頼まれた封筒を、苦笑いで胸元まで上げて見せた。


「また瀬戸か」


 篠田先輩がおかしそうに口元を緩めるのを見ると、その少しだけはにかんだような笑顔にキュンとなる。

 またもにやけそうな頰を、だらしなくならないよう宥める。


「そうなんです。入社して四年間、ずうっと召使いみたいに扱われてるんですよね。瀬戸君手当とかつかないですかね」


 肩を竦めて冗談を言うと、先輩が笑った。


「四年てことは、西崎さんて二十六歳か。女性の魅力が出てくる頃だね。最近特に綺麗になったし」


 さらりと褒められて、社交辞令だとわかっていても浮かれずにはいられない。小躍りしそうな胸中の喜びを精一杯おさえつけていると、先輩がおかしなことを言い出した。


「瀬戸は、西崎さんに気があるのかもな」

「えっ!?」


 突拍子もない発言に、思わず大きな声が出てしまった。


「それは、ない、ですっ!!」


 全力で否定。

 だって、私は先輩が─。


「篠田先輩、内線です」


 廊下で話し込んでいたら、フロアから先輩へお呼びがかかってしまった。私と先輩のかけがえのないひと時を邪魔してくれたのは、件の瀬戸君だ。

 私をこき使うだけじゃ飽き足らず、憧れの先輩との会話にまで入り込んでくるなんて、デリカシーの欠片もないじゃない。

 思わず睨みつけたくなったけれど、先輩の前だから我慢、我慢。


 そうこうしているうちに、「じゃあ、また」というように、先輩は行ってしまう。名残惜しむように去り行く背中を見つめていたら、瀬戸君が側までやってきた。


「ポストの回収がきちゃうだろ」


 俺様態度の強気な言い様で私の手を引くと、強引にエレベーター前まで連れていかれた。

 馴れ馴れしいなぁ、もおっ。

 繫がれた手を振り払って、怒りに任せて力いっぱい▽ボタンを押した。


「篠田先輩なんてどうでもいいから、急いでポストに向かえよ」


 どうでもいいって、何よっ。

 命令口調にはイラっとするし、わざわざ口元を近づけて話すから、また耳に息がかかりくすぐったい。

 何これ、最近流行ってんの?


「だからっ、近いって」


 耳にかかる息を手で払うようにして頰を膨らませると、どうしてか楽しそうな顔をしている。


「なによ」

「髪。伸びてきたな」


 言い返す私の髪の毛にさらりと触れてから、「よろしくな」と満面の笑み付きで送り出される。


「気安く触らないでよね〜」


 プイッとしてから、エレベーターに乗り込んだ。

 会社の入っているビルを出て二十メートルほど行ったところに、瀬戸君ご所望のポストがある。そのポストに貼られている時刻を確認してみれば、あと十分ほどで本日二度目の回収が来る予定だった。


「ホント、よくチェックしてるよ」


 声に出してから、細かい男は嫌われるんだからと愚痴り、ポストへ投函。お使い終了。

 踵を返したところで、ランチでよく行くイタリアンカフェの店長さんにばったり会った。


「木山さん、こんにちは」


 声をかけると、私に気づいて笑顔を見せてくれた。

 敢えてワックスをしていない、さらりとしたスマートマッシュの髪の毛が、ゆるく吹く風に少しだけ揺れていてなんとも爽やかだ。一重でほんの少しだけ垂れた目が、穏やかで優しい印象を与えている。

 そんな爽やか木山さんは、フランスパンがたくさん詰まった袋を手に提げていた。


「お買い物ですか?」

「ええ。いつもは届けてもらうんですが、出かける用事があったのでついでです」


 パンが入った袋を少しだけ持ち上げて、柔らかな笑みを浮かべる。

 同じ〝ついで〟でも、木山さんの〝ついで〟は、なんだかかっこいい。ちゃんと仕事として成立しているからだろうか。私の場合は、ただのお使いだもんね。


「西崎さんは、これからどちらかへ?」

「あ、いえ。ちょっと」


 自慢できるような仕事内容ではないので、それ以上訊かないでください。木山さんごめんなさいと祈りつつ、話を方向転換させる。


「そうだ。今日の日替わりは、なんですか?」


 木山さんの抱えているフランスパンを覗き見るようにして、本日のランチを訊ねてみた。


「今日は、このパンでフレンチトーストと、軽めのガーリックでグリルしたチキンです。特製ドレッシングのサラダもつきますよ。いかがですか?」

「うん。いいですねぇ。このまま一緒にお店に行きたいところなんですけど、ランチタイムまでまだ少しあるので、後ほど」


 美味しそうなランチを想像して、つい顔がにやけた私は、料理の写真を撮って、パソコン画面の着せ替えをしよう、なんてことを考えていた。食べる前からウキウキしてしまう。


「お待ちしていますね」


 丁寧な挨拶と営業スマイルの木山さんは、香ばしいパンの匂いを仄かに残して行ってしまった。その香りが名残惜しくて、思わず鼻をクンクンさせてしまう。


「いい匂い~。それにしても、木山さんとまではいかなくても、瀬戸君にも少しくらい誠実さというか、謙虚さがあるといいのに」


 有無も言わさず用事を言いつけてくる瀬戸君の顔を思い出すと、ウキウキしていた気持ちがダウンしていく。

 しかも、何あの耳元での囁きは。くすぐったいったらないよ。顔も嫌みったらしくニヤニヤしてたし。次やったら両頰引っ張って、むぎーっと伸ばしてやろうか。

 いや、駄目だ。そんなことをすればただでは済まないだろうことがありありと想像できてしまう。きっと、ものすごい量の雑務を押し付けてくるだろう。恐るべし、パワハラならぬ瀬戸ハラ。


 会社に戻り席に着き、出かける前に作業していた画面を呼び出すと、フランスパンの香りが鼻先に残っているせいかお腹が催促の音を立てた。

 頑張れ私! あと少しでランチタイムだ。そしたら木山さんのカフェの美味しいガーリックチキンとフレンチトーストが待っている。力強く右手の拳を握ると、直ぐそばで不穏な気配を感じた。


「西崎葵。ちゃんと投函できたか?」


 小馬鹿にしたような言い方に、椅子に座ったまま振り返る。

 また現れたな、瀬戸陽平。そもそも何故に、フルネーム! 小学生のお使いじゃないんだから、投函くらいできますっ。馬鹿にしてー。

 じっとりとした目で見返すと、彼は笑顔全開で書類を目の前に突き出してきた。


「この書類とこれ、照らし合わせておいてくんない?」


 出たっ。瀬戸君の雑務攻撃。ポストだけじゃ飽き足らず、また仕事を振ってきたよ。自分でやればいいのに。もう、こうなったら〝瀬戸ハラ〟を社内に広めちゃうぞ。

 部長から忙しい瀬戸君のカバーをするようにと言われてはいるけれど、私に対する仕事の振り方がえげつないのよね。


「他の子だっているのに、なんで私なのよ……」


 ぼそりと零すと、瀬戸君の片眉がクイッと上がった。


「俺は、西崎の仕事ぶりを買ってるんだよ。部長だって褒めてただろ」


 若干逆切れのような言い方に、うまく反論できない。


「そうかもだけど……」


 買っているなんて言われても、納得できないよ。私ばっかりコキ使わないで、もっと周りに満遍なく振ればいいのに。


「俺の仕事は、西崎にやってもらいたいんだよ」


 渋々と受け取った書類の束をとんとんと整えながら、どうしてよ。と不満気に口を尖らせ、理由を訊こうとしたところへ篠田先輩が現れた。


「西崎さん。悪いんだけど、来客なんだ。会議室にコーヒー六つ頼むよ」


 おお、天の助けっ。瀬戸君の雑務よりも、篠田先輩のコーヒーの方がうん千倍いい仕事だよ。

 思わず表情がぱーっと明るくなる。


「了解です」


 迷いなく元気に立ち上がると、「俺の頼んだ仕事は?」というように少しだけ面白くなさそうな顔の瀬戸君が私を見ていた。けれど、篠田先輩を差し置いて自分の雑務を優先させるわけにもいかず、渋い顔をしながら引き下がる。


「じゃあ、この仕事は他の子に頼むよ」


 不満気に漏らして瀬戸君が踵を返すと、先輩がニッと私へ笑いかけてきた。どうやら、私が瀬戸君の召使いになりそうなところを助けてくれたみたいだ。なんて優しいのだろう。

 その後、改めて先輩からお願いされる。


「コーヒーも雑務だけど、いいかな?」


 遠慮がちに訊かれたけれど、二つ返事というもの。篠田先輩のためなら、召使いにでも小間使いにでもなります!!


 コーヒーを淹れて会議室に入れば、真剣な表情で商談をしている先輩が一番に目に入る。その横顔は凜々しくて、出来ることならずっと眺めていたいくらい。かと言って、お茶汲みがその場にいつまでもいられるわけもなく、粛々と退出するのです。


「やっぱり素敵」


 会議室から出てお盆を胸に抱えながら幸せ気分に浸る。

 会議はどれくらいで終わるのかな。お昼は、どうするんだろ?

 たった今出てきた会議室を振り返るも、訊けるわけがない。

 来客の人たちと出かけるのだろうか? 食事をしながら会議の続きなんていうのも、よくあることだよね。一度くらい先輩と一緒にランチしてみたいなぁ。

 憧れの先輩とランチしている図を想像しただけで、また頰が緩んでしまう。


 先輩は何が好きなんだろう? ガッツリ系? 和食? イタリアン? それとも、わ・た・し? きゃ─っ。


 アホな妄想に駆られていたら、いつの間にか瀬戸君が目の前に立っていた。


「そんなにそのお盆が大事か?」


 胸元にぎゅっと抱きしめたままのお盆を見た瀬戸君が、真顔で訊いてくる。


「そう。大事なのっ」


 妄想を邪魔されて、ぷいっと横を通り過ぎると、「何怒ってんだよ」と彼が隣に並んだ。


「篠田先輩のケツばっか追いかけてないで、ちゃんと仕事しろよな」


 どの口が言うよ。瀬戸君がどんどん雑務を振ってくるから、私の仕事が捗らないんじゃないの。

 今にも口から文句が出てきそうになっていると、抱えているお盆をヒョイっと奪い取られた。


「なんだよ。その顔」


 な、なによ。そのお盆で攻撃でもしようっていうの?

 思わずたじろいでいると、片手が私の頰に伸びてきて、むぎゅう~っと引っ張られた。瀬戸君の指が、私の片頰を摘まみあげているのだ。


「やわらけ」

「いっ、痛いれす……」


 私のヘン顔を見て楽しそうにクツクツ笑った瀬戸君は、早く仕事に戻れとまた命令口調で踵を返した。


「お盆は、俺が戻しておいてやるよ」


 何を偉そうに。

 摘まみあげられた頰を撫でながら、給湯室へと向かう瀬戸君の背中を睨みつける。

 私をおもちゃか何かと勘違いしてない? いつか絶対に仕返ししてやるんだから。覚えておきなさいよ。


 なんて……、声にさえ出せない負け犬の遠吠えが虚しい。

 自席へ戻りヒリヒリする頰を手で押さえつつ、空いた小腹を黙らせるために抽斗という名の備蓄庫からチョコレートを取り出し頰張った。

 美味し。

 甘いものでささやかな幸福を感じつつ、デスクトップのお仕事ファイルをカタカタと処理していると、やっとランチタイムになった。

 木山さんのカフェで、日替わりランチといきますか。


 財布片手に弾む足取りでビルを出る。木山さんのカフェまでは、大通りを渡れば直ぐだ。ただ、横断歩道が離れているので、そこまで歩いて行って渡るか、横断歩道とは逆にある、歩道橋を渡らなければならないのだ。この階段がきつかったりするんだよね。……けど。


「今日は、歩道橋の気分かな」


 天気が良いので足取りが軽い。青空を背負って階段を上っていけば、直ぐに木山さんのお店が目に入った。歩道橋の手摺に手を置いて体を少し乗り出すと、店の前にはランチ待ちの行列が見える。


「うわー。混んでる」


 あんなに楽しみにしていたのに、入れなかったらどうしよう。

 ガーリックチキンとフレンチトーストが、今にも遠くへ行こうと羽をばたつかせている。

 もしも入れなかったら、すぐ先にあるラーメン屋さんにでも行こうかな? でも食べたいなぁ、木山さんのランチ。

 歩道橋の階段を下りてカフェの前まで行き、待っている人たちを気にしつつ中を覗けば、やっぱり混み混みだった。店内が賑わっている様子に、これは当分待つことになりそうだと肩を落として諦める。

 あぁ、ガーリックチキンとフレンチトーストが羽ばたいて行く~。


「あ、西崎さん」


 首を伸ばして店内の様子を覗き込んでいた私に、木山さんが気づいてやってきた。


「混んでますね」

「はい。すみません」


 木山さんが申し訳なさそうな顔をしながら、私の顔をジッと見た。

 ん? 何かついてる?

 仕事をしながら食べていたチョコレートでもついているのだろうかと、口の周りを擦っていたら。


「頰、どうかされましたか? なんだか少し赤い気が……」

「あ……」


 瀬戸君め。ほっぺた引っ張るから、赤くなっちゃったじゃん。もうっ。

 恥ずかしくなって、咄嗟に頰に手をあて隠した。


「なんでもないです。平気です。大丈夫です」


 ヘラッと笑うと、木山さんは少しだけ心配そうな顔をした。

 それにしても、こんなに混むならポストの帰りに、仕事すっとぼけてそのままランチへ行った方がよかったかも。


「メニューまでお教えしたのに、すみません」


 木山さんがまた謝る。申し訳なさそうなその顔を見れば、逆にこっちの方が申し訳ない気分になってしまう。私は、羽ばたくガーリックチキンとフレンチトーストへ快くさよならを告げ、眉根を下げる木山さんへと笑顔を向けた。


「いえ、大丈夫です、楽しみは次回に取っておきますから。またきますね」


 すみません、と更に申し訳なさそうな木山さん。

 そんな顔しないで下さいよ。


「お仕事、頑張ってください」


 明るく笑顔を向けると、また宜しくお願いしますと頭を下げられた。

 ホント、いい人。

 仕方なく、直ぐ近くのラーメン屋さんへゴー。カウンター席に腰掛けて、ホクホクしながらラーメンをすする。

 うん、美味しい。

 麺のモッチリ感や煮卵の染み具合を味わっていたら、スマホにメッセージが届いた。


「ん? 涼太?」


 涼太とは、今年社会人になった弟のことだ。


〝姉ちゃん、今日ヒマ? 夜、メシ食わして〟


 おいおい。ヒマなのと、ご飯食べさせるのは繫がってないでしょ。

 呆れてしまうけれど、それでも可愛い弟。つい甘やかしてしまう姉なのです。


〝新卒君よ。姉が美味しいご飯を奢ってしんぜよう〟


 恭しくメッセージを送ると、直ぐに返信がきた。


〝ゴチになりまーす〟


 メッセージと共に、嬉しそうに涎をたらした犬のスタンプが送られてくる。

 この分かり易さがまた可愛いのだ。

 さて、そんな可愛い弟に、何を食べさせてあげようかな。ランチにお肉を食べ損なったから、お肉にしようかな。焼肉とか? 涼太ってば細いくせによく食べるから、二人で焼き肉屋さんへ行ったら結構な金額になるよね。月に何度かこの手のメールが届くおかげで、意外と出費が嵩んでいるのだ。

 なら、家で焼肉にするか。

 食べたあとの臭いは気になるけれど、恋人がいるわけでも、好きな人がいるわけでもないし。臭いくらい、よしとしよう。なんならその残り香で、翌日も白メシ一杯いけるかもしれない。


 んなわけあるかーい。という突っ込みを胸中でしながら、帰りにスーパーへ寄ろうと既に帰ることだけを考えていた。

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