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本日も漸く瀬戸ハラから解放され、自宅マンションに辿り着く。肩にかけたバッグから鍵を取り出しつつエントランスへ一歩踏み込むと、大きなワンコのようなタイちゃんに満面の笑顔で迎えられた。
「葵さん。お帰り」
「お帰りって。タイちゃん、なにしてんの!?」
驚く私を見つけたワンコ。もとい、タイちゃんは、笑顔を崩さずススッと側に来る。
「葵さんを待ってた」
「え? 待ってたって、涼太は?」
エントランスの自動ドアを潜り抜け、中に入りながら涼太の姿を探すけど見当たらない。
「居ないよ」
「え? タイちゃん一人で来たの?」
まさか、涼太なしでやって来るとは思わず面食らった。
「また来るって言ったじゃん」
「いや、言ったけど……」
涼太ありきのことなんだから、一人で来るなんて思わないじゃない。
「あのね。いくらタイちゃんとはいえ、一応異性なわけだし。こんな夜に一人でって……」
涼太なしでタイちゃんを家にあげることを躊躇った。タイちゃんと何かあるとは考えにくいけれど、私も一応乙女なわけだし。
「葵さん、俺のこと男として見てくれるの? やったー」
やったーって、そんなに喜ばれるようなことかな。男扱いして欲しかったってこと?
そもそも、涼太と同い年のタイちゃん相手に、異性も何もないか。
大方、お腹が空いて私の顔が浮かんだんでしょう。仕方ない。ワンコに、ご飯でも作るかー。
「しょうがないなぁ。どうせお腹空いてるんでしょ」
エレベーターに向かってとっとと歩いて行くと、「あげてくれるんだ……」とタイちゃんがぼそりと零す。
押しかけて来ておいて、なに言ってんの?
行きたいのか行きたくないのか、よくわからないタイちゃんを引き連れて部屋に入る。
一人暮らしのマンションは随分と住み慣れて、自分のお城と化していた。お気に入りの空色のカーテンに、草原みたいな柔らかなグリーンのベッドカバー。一人暮らしを始めた時には使い慣れなかったツードアの冷蔵庫も、今では我が子のように愛しくて、たくさんの食べ物や飲み物を与えている。
こんな雑な性格をしているわりに自炊もしっかりしているから、鍋やフライパンは使いやすいものを選んだ。なかでも炊飯器は拘っていて、まるでお釜で炊いたようなご飯をいつも美味しく頂いている。そんな愛着のある物たちと会話でもするかのように、私の声は弾んでいた。
「あ~。今日は、いい日だったなぁ。サラダは大盛りだし、先輩と二人でランチだし。しかも奢ってくれた上に、瀬戸君から守ってくれるなんて言われて」
キュンキュンメーターを発動させながら、帰ってきたばかりの自宅で盛大な独り言をもらして幸せに浸る。浮かれた足取りでバスルームへ行き、お湯はりスイッチをピッ。
〝お風呂を沸かします〟
聞こえてきた自動音声に、「宜しくねぇ~」と声をかけた。
「幸せすぎて独り言なんて、ヤバイよね~」
ふふ、なんて笑ったところで、リビングから声がした。
「大丈夫、大丈夫。俺が聞いているから、独り言じゃないよ」
そう言って、また勝手に冷蔵庫を開けて缶ビール片手にタイちゃんが応え、座り心地重視で選んだダイニングの私の椅子で、冷えたビールに喉を鳴らしている。
「馴染みすぎでしょ」
当たり前のような態度で寛ぐ姿に、さっきまで脳内で弾んでいた音符が、あっという間にフラットになる。
狭い部屋のわりに少し大きめサイズにしたテレビ画面へ体を向けたタイちゃんは、以前来た時と同様に我が家か? ってな感じだから、ここはタイちゃんの自宅なのか? 私はタイちゃんの身内なのか? もしかして、もう一人弟がいたのか? という気持ちにさせられる。
ツッコミどころだらけだけれど、面倒なのでやめた。それより。
「手土産は? 持って来たんでしょうね」
予告なしに現れて上がり込んだタイちゃんに、私は腕を組んで訊ねる。
「もちろんだよ。葵さんのために、これ」
眺めていたテレビ画面からこちらへ体を向けると、すぐ側に仁王立ちする私へ紙袋を差し出した。袋には、おしゃれな横文字が印刷されている。
おっ、ケーキかな?
スイーツには目がないので、思わず頰がゆるんだ。
「開けてもいい?」
まるで彼氏から貰ったプレゼントばりに浮かれた調子で訊ねると、ニコリと返される笑顔。期待は、充分だ。
「なんだろ、なんだろう」
浮かれながら想像に胸を膨らませ、テーブルの上で紙袋の中身を覗き見た一瞬後、タイちゃんをキッと睨みつけた。今なら目で殺せる。
「ちょっとーっ! 何よ、これっ」
「俺の渾身の一品」
渾身のって……。
紙袋の中には、かなり形の崩れた特大の、多分オムライスだろう物体が紙皿に盛られラップをかけられ入っていた。しかも、かかっているケチャップがグチャグチャで汚い……。
血みどろの妖怪ですか。ケーキだと思ってたのにがっかりだよ。
私が立ちつくしたまま項垂れていると、タイちゃんが側に来て突然叫び声を上げた。
「あーっ!!」
「なっ、なに!?」
声を上げたタイちゃんに驚いていると、紙袋の中から本人曰く〝渾身の一品〟が載った紙皿を取り出し泣きそうな顔をしている。
「葵さんへのメッセージが~」
半泣きのタイちゃんは、隣に立つ私へと縋りつくように抱きついてくる。あまりの落胆ぶりに、無下に突き放すこともできない。
大きな体をよしよしと背中をとんとんしてあげると、「うぅ」なんて情けない声を出してさらにしがみついてくるから、調子に乗るなよとタイちゃんの体をべりっと離す。私、抱き枕やぬいぐるみじゃないからね。
グチャグチャになったケチャップは、どうやら私へのメッセージだったらしい。何を書いてきたのかわからないけれど、メッセージ以前の問題だから。だって、包んでいる卵があちこち破れていてまるで継ぎはぎだらけの服みたいだよ。だけど、タイちゃんが余りにショックを受けて落ち込んでいるから、面倒ながらも打開策の提案。
「あのさ。ケチャップくらいうちにもあるんだから、来てから書けばよかったじゃん」
「そっか!! そうだよね、次からはそうする!!」
次があるのね……。
落ち込みながらも、タイちゃんはオムライスらしき特大の料理をレンジで温め席に置いた。
「食べようか」
いつの間にかスプーンを二人分だしてきて、私にも座るよう促してくる。
「ビールでいい?」
だから、君の家か? って。
なんだかんだ言ってはみてもお腹は空いていたので、渡されたスプーンを握り、タイちゃんのいう渾身の一品を胃におさめていった。
タイちゃんのオムライスは、見た目はかなり悪かったけれど、食べたらオムライスだと認識できた。意外にも味は良くて、ついつい食べ過ぎてしまい、特大オムライスはあっという間になくなる。
「完食だね」
満足そうに言われると、なんだか悔しい。
「お腹空いてたしね」
皮肉めいた私の返しに、優しく目を細める。まるで、親が子供にでも向けるような穏やかな笑みに、調子が狂うというもの。
いきなり家にやってきたり、ちゃっかりご飯にありついたり。わけのわからない料理を作ってきたかと思えば、穏やかに笑って見せたりするんだから。まったく、タイちゃんという人間は摑みどころがない。
狂った調子を取り戻すために、私は無難な会話を切り出した。
「ところで。仕事は、どう?」
タイちゃんと共通の話題といえば、涼太か、あとは社会人ということくらいだ。会社勤めの先輩として、新社会人君に何かしらアドバイスでもしてあげようじゃないの。
「どうって、特に何も」
出した話題をスルーするかの如く、しらっとした表情をする。
特にって。アドバイスのしようがないじゃん。まー、この摑みどころのないタイちゃん相手に、仕事どうこうなんて話してもしかたないか。
「俺のことより。さっきの先輩って、なに? しかも、瀬戸君から守るって。葵さん、襲われでもしたの?」
飄々とした顔つきで訊ねながら、またもや勝手に開けた冷蔵庫の中からプリンを出して食べている。
それ、私がお風呂上がりに食べようと思ってたのに~。
とろけるプリンを一人美味しそうに頰張る顔面にパンチを繰り出したい気持ちを堪え、私は恨めしげな顔を向けつつも昼間のランチのことを聞いてもらった。
「へぇ~。それは、良かったじゃん」
そう話すタイちゃんの口調は、必要以上に平坦だった。抑揚がない=何の興味もないということだろう。しかも、プリンを完食してお腹をさすっているわりには、またもや冷蔵庫を開けてなにやら物色している。危険だ。
「ちょっとー。興味がないなら、最初から訊かないでよね」
不満をぶつけながら、開いている冷蔵庫のドアをぱたりと閉じる。目の前でドアを閉められたタイちゃんは悲しげな表情だけれど、このまま放置していたら家の食料を全部ブラックホール並みの胃袋に持っていかれそうだから止むを得まい。
冷蔵庫の中身を渋々というように諦めたタイちゃんは、「だって葵さんが訊いて欲しそうだったから」となんとなく不貞腐れたように応えた。
「浮かれてあんなに嬉しそうにされたら、訊かなきゃいけない感じじゃない?」
「だって、あれは独り言だし」
ブツブツ……。
言い訳がましく零していたら、「別にいいけどね」なんてまた平坦に言うものだから、やっぱり興味無いんじゃんと拗ねそうになってしまった。
ていうか。私ってば、タイちゃん相手になんで恋バナ被露してんのよ。そもそも、タイちゃんは涼太の友達じゃん。しかも、涼太抜きで姉の家に上がり込んでくるこの図々しさ。いい加減、追い出すか。
「タイちゃん、そろそろ帰宅時間」
ピシャリというと、時刻を確認したタイちゃんは素直に玄関へ向かった。そして、何事もなかったかのように満面の笑顔を向ける。
「じゃあ、葵さん。また来るね」
「イヤイヤ、もういいし」
「今度は、更に腕を磨いて来るから、楽しみにしててよ」
「いや、だから……」
私の話をちっとも聞いていない。もしくは、聞く気が無いタイちゃんは、それだけ言うととびきりの笑顔を残して帰って行った。
そうして、一人静かな部屋で思う。
「また来るのか……」
あのマイペースさで再びやって来るかもしれないと考えただけで、なんだかグッタリとする夜だった。
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