現代芸術と選ばれしZ級映画監督たち
躯螺都幽冥牢彦(くらつ・ゆめろうひこ)
現代芸術と選ばれしZ級映画監督たち
『目が覚めたら身体が動かなかった』
という事は、これまでにもしばしばあった。例えばおぼろげな記憶の向こうの前夜で、帰宅してから具合が悪いまま寝てしまった場合とかだ。
無呼吸症候群の気があるので、医師から
『仰向けで寝ない様に』
という諸注意を受けていたから、それには従って横になったはずだ。
さて、記憶が正しければ、今日は夜から仕事のはずで、それに備えた生活スケジュールにするには、まず時計を見て行動しなければならないのだが、まぶたを閉じている状態のまま意識が戻った感覚。それで動けない。
呼吸をしているのかも良く分からなかった。ややすると、どうも苦しくなって来た。薄目でどこかを見ているのだが、部屋のどこなのかどころか、苦しさで窒息寸前である。
小さい頃、どこまで息を止められるのか試した時の様な、酷い苦しさ。
それをどうにかしたいと、呼吸しようとするのだが、具合の悪さが今度はそれを邪魔し、脳みそが蒸発して行く様な抗えぬ無力感が上乗せされ、どうにもしんどくなった。
過去に幾度か経験した、風邪をこじらせた後のそれと同じか、それ以上にしんどい。
『楽にしてくれ』
と言いたくなる苦しさだ。
そこに受験期間の気が抜けないあの緊張感も足された。何をゴールに走るべきか、初めて意識させられたあれは、遠い記憶ながら、しんどさだけは思い出せる。
こめかみへの圧迫感。
何時間寝ても眠れた気がしない、今なら分かる不眠症初期の状態。
衰えない食欲。重なる疲弊感。選別される立場に置かれた事の不安。
多分、施設などで、新たにどこかの家にもらわれる事になり、その新しい家族が迎えに来る時の子供の心理はずっとこんな感じなのだろう。こんな時に気付かされるなんて。嗚呼、何とむごい事実だろう。彼らはその辺の子供など相手にならぬ程の心身を蝕む地獄を日々生き抜いている、途方もなくタフな連中だったのだ。そんな事も脳裏をよぎって消えた。
誰かの声が聞こえる。
私の事を呼んでいる様だが、どうも口調が穏やかではない。視界は相変わらずはっきりしないままだが、複数の会話の断片が聞こえる。どうも相手は会話しつつ、こちらに呼びかけている様子だった。
「……だ助けられる! 意識が戻るまで呼びかけるんだ……」
「もうすぐ救急車が来ますよ! しっかり!!」
「これで生きてるって言えるのか?」
「さっきピクって動いたし。黒焦げでも意識があった人の話とかあるんだよ?」
「でもこれで生きてたら奇跡だろ」
『これで生きてたら奇跡』?
どういう事なのか。自分は今、どうなっているのか。見知らぬ不特定多数の前で醜態を晒しているのだろうか?
見られたくない―
そんな気持ちがむくむくと、苦痛の向こうから湧き上がって来た。苦痛がそれを凌駕した。
霧が次第に晴れていく様に、記憶が戻って来つつある。が、脈を打つ頭痛と、全身から生きる力の様なものが抜けて行くのを表しているかの如き、恐ろしい程の怖気も襲って来た。
何だこれは。どうして目が見えないんだ。
どうして全身に力が入らず、こんな酷い頭痛と寒気に襲われなければならないのか。
断片的な記憶が、その理由を明かし、脳が勝手に時系列順、というより、自分を納得させる様に組み合わされて行く。
……そうだ。
深夜残業からの帰宅途中、歩道橋の上で、乱暴そうな男女に囲まれ、浴びせられる罵声と嘲笑から逃れようとしていたら、腕を掴まれ、女にひたすらビンタを浴びせられたのだった。
「お高く止まってんじゃねえぞババア! なめてっとレイプすんぞ!!」
「携帯取り上げちまえよ。家行ってやろうぜ」
「いいおっぱいしてるじゃん」
「ほらほら、こいつここでやる気だよ! 分かってんのかよ、ババア!」
「めんどくせえし、もうやって撮影してさ、金取って捨てて、引き上げようや。おい、聞こえてますか、おねえさーん?」
「てめえ、返事しろよババア! マジレイプすっぞてめえ!! ははははは、ババアコラ!」
こんなのと同じ性別だなんて。
認めたくないほどの醜さだった。それでいて、女はそう言いながら、狂った様に私の頬を張り続けたのだった。酒が入っているのは間違いない。
この無軌道ぶりは、それ以外の何かも入っているのかもしれなかったが、どんなものか想像もつかないし、考えたくもない。
それで、このバカ女が力加減を誤って、歩道橋の手すりの外へ押し出され、そこから私だけ投げ出された形になって、車のライトが逆さまに見えて―
「ふうっ! んんんんん!!」
視界が幾分明るくなった様な気がする。暗いのはまぶたが開かないからだと分かった。腫れ上がってまぶたが開かないからだと分かった。
自分のあちこちの穴から色々はみ出ているのがようやく分かった。だが、そんな事はどうでもいい。自分の体勢などもどうでも良かった。
そうだ、意地でもあのクソバカ女をずたずたにしてやらねば気が済まなかった。酒に飲まれて、クソガキのくせに遊び歩いて、人を歩道橋から突き落としたあのクソバカ女が、血反吐を吐いて、声にならない詫びの言葉を上げるのをよそに、のた打ち回るあのクソガキ共に、更なる何らかの暴力を制裁として加えなければ、加え続けなければ、今この瞬間にそれを成す事が出来なければ、苦し過ぎて、あまりに悔しくて、頭がおかしくなってしまいそうだった。
あんな事が許されていい訳がない、何故私が、仕事帰りでくたくただったのに、職場のセクハラかましまくりの同僚をどうにかかわして、もうすぐシャワーを浴びてベッドにつける所……そうだ、何であの野郎に私が気後れしてる様に、更に、よりによってあんな下半身と脳が直結してる様な男に、こちらが人前だから照れてる前提みたいに、全てを見透かしたかの様に、職場で大きな声で色々言われなければならないのだ。
何で周りの女の同僚達も耳だけは貸しているのか。何故あんな男が来月昇進なのか、上司も何故あんな奴に、ぺこぺこと媚びへつらう様になってしまったのか。何故あんな男を会社は重要視しているのか、
あいつもあのクソバカ女のメスガキも隣で笑ってたクズ共も、まとめてぶち殺してやる。将来性なんて元々ありはしないのだ、あんな奴らが生息しているその瞬間、そこに費やされている全てが無駄なのだ、無益なのだ、何であたしがあんなガキ共にこんなにくたくたになって将来を預けなければならないのかどいつもこいつも責任だけこちらに押し付けて子供なんて一人で育てられる訳がないだろう出すものだけ出してすっきりしやがって何でその全ての責任があたしにあるんだ両親も何で全て書類を用意したのに理解しないんだ何の為に生きているんだ家には散々尽くして来たじゃないかそれは当たり前の事なのか毎年帰省していたじゃないか金も送っていたじゃないか五万円は金じゃないのか幾らなら足りるんだ五万円はあたしと子供の一か月分の食費だし貯金出来るならしたい額なのにそれを毎月毎月送らせやがって自分達で支え合えないならそんな両親の間に生まれる子供というのは一体何なのか犠牲でしかないのか肉を得た奴隷でしかないのかそんな訳あるかお前らがひり出した間違いなくお前らの遺伝子だけで構成された子供のはずだろうどういうつもりなんだ何であたしとあの子が犠牲としてろくに出かけられない状態でひいひい言わされながら生きなければならないんだ何で全てあたしのせいなんだあいつら全員許せないまとめて絶対にぶっ殺してやるミキサーにかけてひき肉にしてせせら笑いながら空からぶち撒いてやる自転車を盗まれたのにそれが当たり前の様に迷惑そうにしてたあの交番の奴らの顔にぶっかけて反吐を吐くのを見ながら笑い転げてやるあたしと子供に厳しい世界なんてくそっくらえだ絶対に絶対に、絶対に、どんなにされても、四肢をもがれても、怨念で奴らもその関係者もその末代まで全員呪ってやる血の海で自分が存在した事それからやらかしたありとあらゆるそれを懺悔させながらそうだこの前工事現場の男が使っていたあの工事用ハンマーでぶっ潰してやる必ず必ず必ず、絶対にぶっ殺してやる殺してやるんだ白昼堂々と当たり前の様にむごたらしく皆殺しにしてやるんだ!
そこで私は開けたもうひとつの目を見張った。
あの絶対に殺すと決めた、クソバカ女が、猿の様に目鼻口を開いて、あたしの様子をスマホで撮影していた。
「あ、動いた! このバカ、救急車って言葉に反応したんじゃねえのぎゃははははは!!」
女は撮影しながら、腹を抱えて笑い出した。その後ろには群集。皆があたしに携帯を向けていた。
どこかでサイレンの音がした。
(あれは救急車じゃなくて、パトカーだな)
と、私の冷静な部分が察したが、この事実に私は黙り込んだ。携帯を向けている群集に吐き気がしたのだ。
「おげええええええええええええ!」
「うわっ、吐いた! クズ肉女、吐いた!!」
うるさいだけのキンキン声が聞こえた。あのクソバカ女の仲間の声だった。どうせそいつも撮影しているに違いなかった。そしてどうせ、世界に同時配信しているに違いなかった。クズ肉の世界発信である。
あたしのプライバシーが、ここで完全に破壊された。
「お前、マジでそこまでやるんだ。すげえ引くわ。クズ肉も汚えし引くわあ」
うるさい。
「あたしは汚くねえし! こいつが歩道橋から落ちたのが悪いんだろ、このクズ肉バカババアがよお!!」
クソバカ女は私を蹴飛ばし始めた。
痛過ぎてうめく事しか出来なかった。動けなくて、自分の姿すら分からないのが幸いした。見たらきっとあたしの理性はどっかへ吹っ飛んでしまうんだ。それまでに食らったありとあらゆる下らない、叫びたくなる様な苦しみよりも、何故か今の、このあたしの姿に、あたしが絶望するんだ。それであたしの理性は立ち消えてしまうんだ。
女の足には、当然、クズ肉の飛沫が跳ね返る。それを見て、こいつも猿みたいな悲鳴を上げた。絶対に猿の方が知性があるだろう。こんなのはただのけだものだ。服を着てるだけの野獣以下のくそったれだ。全ての能力で野生動物にはただの人は勝てない。ネットに書いてあった。握力も瞬発力も持久力も全く追い付けない。
こいつらはバカだから気づかないだろう。一生。そして、群衆のせいで、あたしは助からないだろう。
一時的に意識が戻ったのも納得が行く。
『こいつらの顔をよく覚えておけ』
と、恐らく、どっかの気まぐれな誰かがあたしに最後の機会をくれたんだ。神様では決してない。あり得ない。
神様なんて、話を読んだだけでも人間以上に無慈悲で残虐だもの。間違っても、こんな機会をくれたりはしないだろう。
(なら、消去法だとこの場合は悪魔かな)
と思った。その方が合点が行く様な気がした。
もしくは、過去の色々な事件、それも通り魔事件の被害者の人達の霊とか。その方が、ずっと合点が行く様な気がした。
(これは納得行かないし、こんな目に遭うなら、社会とかそんなもの、どうでも良くなってしまうよな)
と、腑に落ちた気がした。
あたしは頑張るのをやめた。
意識が飛ぶその瞬間まで、あたしは空を見る事にした。
寝不足の時の眠気の様に、それは割とすぐに訪れた。
(少し怖いな)
と思った所で、空に落ちる錯覚を感じ、あたしは。
『【薬物中毒殺人?】DQNの仲間の女墜落死?【やっぱこいつらが犯人?】
1 おかあさん:○○○○/○○/○○(○)○○:○○:○○:○○ ID:???*
○○日の午前○時の○○町交差点の転落事故で、その第一通報者である○○さんが、自宅マンションの屋上から飛び降りた事が○日夜、警察の確認で明らかになった。○○さんは数日前から自宅の自室に篭もる様になり、意味不明な叫び声を昼夜問わず上げていたという。
○○さんは身体を強く打っており、発見した同棟の住人が通報し、救急車で病院へ搬送されたが、○○時に息を引き取った。
現場は○○○○線○○駅から○○に約○○○メートルの住宅街。
尚、同じ日に同行していた友人の○○さん、○○さん、○○さんも管轄の○○署からそれぞれのアパート、実家家族への連絡が取れないとして、○○県警では―
2:名無しさん@1周年:○○○○/○○/○○(○)○○:○○:○○:○○ ID:○○○○○○○○○
このDQN女がバラバラになるまでからをずっと、この女のスマホがずっと撮影してたってマジ?
3:名無しさん@1周年::○○○○/○○/○○(○)○○:○○:○○:○○ ID:○○○○○○○○○
どうせまたどっかに動画上がってるだろ
4:さんおかあ@1周年::????/??/??(?)??:??:??:?? ID:?????????????????
かぶりつきでみるからアドちょうだいあはr手あrj@甥字おちょうだいっジョイj@ちょうだい尾和え@mのえかjhにおあちょうだい@おじゃじょはじおえみせてじおhじゃおいj@あじぇ
現代芸術と選ばれしZ級映画監督たち 躯螺都幽冥牢彦(くらつ・ゆめろうひこ) @routa6969
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます