終章 竜、天に昇る

 ――かがり火があかあかと燃えている。

 炎は風に煽られ、観客を手招きするがごとく左右に舞った。

 日中、歌姫が切々と永遠の愛を歌い、軽業師がとんぼを切り、異国の太鼓が手拍子を誘った舞台には金銀で刺繍が施された幕が吊られている。図案化された刺繍は雪や山、花を模したもので、穴が空くほど眺めた末に、安住の地を求めて世界中を流離った一族が、雪と氷に閉ざされた北の大地を拓くことを決意し、その決意が春をもたらして荒れ地に緑を芽吹かせ、枯れ木を花で満たした逸話が元になっているのだと理解した。

 舞台の下手側に、楽師が腰を落ち着ける。編成は笛と提琴、太鼓がひとつずつの簡素なものだ。わずかな音合わせののち、弦が切なく震え、笛の音が旋律を奏でる。太鼓の奏者が腰に吊った筒を傾けると、中に豆でも入っているのか、観客らの耳には潮騒となって届いた。

 白い衣装に身を包んだ領主エドワルドの登場を拍手が迎え、続いて登場した小柄な影に、拍手が高まった。領主の奥方である。


「領主様はこれを演じなさる時ばかりは、男ぶりが上がるねえ」

「見飽きるってことがねえもんな」

「奥方様も見て、凜々しいお姿」

「可愛らしいわねえ」


 小声で囁き交わされる言葉は高まる太鼓にかき消され、観客たちの視線が舞台に戻ると、エドワルドは抜き身の剣を手に舞っていた。相手役を務める奥方の左手にも細身の剣、舞台映えするよう作られた小道具だが、炎を照り返してしらじらと輝くさまは大勢のため息を誘った。物語が進むにつれ、舞が大きく、激しくなる。


「バーバラの舞も豪快で良かったけど、奥方様、なんてすてきなの」

「まるで小さな王子様ね。このまま領主様を食っちゃったりして」


 女たちが男装の奥方に黄色い声を飛ばす傍らで、男たちはそわそわしている。


「おいおい、こればっかりは誰にも負けねえってところで押されてどうするよ」

「次の機会にゃ、主従が逆転してるかもしんねえぞ」

「奥方様が主役をか? そりゃあいい、白の装束がさぞかし似合うことだろうよ」


 観客たちの気ままな評をよそに、舞台上のふたりは剣を打ち合わせ、ぴたりと揃った動きで天を指した。太鼓が重く鳴って、終幕を告げる。

 喝采と口笛、轟く拍手に、剣を収めたふたりが礼を返す。花嫁姿の華奢な娘と、西の国の軍服を着こなした青年が舞台に駆け上がって謝意を述べた。

 なるほどなるほど、これは良きものを見た。

 怠惰はいかんな、たまにはこうしてあちこち見て回らねばなるまい。食べ物も山がちの国では味わえん珍味だし、この前の船が運んできた、何だったかな、そう、百花蜜! あれはこの上なく良かったな。催促したらまた出てくるだろうか。

 ……ん? 邪魔だと? 堅苦しいことを言うでない、シュトルフェ。ほら、あるじどのが帰ってきたぞ。立派だったと褒めてやりなさい。……言われるまでもない? 早く帰れ? はいはい、まったくつれないな、最近の若い者は。



 舞台を下りて、汗を拭いながら差し出された発泡水を呷る。爽やかな柑橘の香りが抜けていった。歯ぎしりするシュトルフェを撫でてやる。


「本当にすてきでした、ナターシュさま。わたし、嬉しくて嬉しくて、もう……!」


 べそべそと涙に溺れるコーティの頬を手拭いで押さえて、微笑む。クォンダから取り寄せた礼装一式を身につけたハルトが後ろではにかんでいた。似合っているのだが、童顔のせいで衣装に着られている印象が強い。

 花嫁衣装は少しずつ異なる色に染めた薄織りの布を幾重にも重ねた可憐なもので、こんなたいそうなものは着られません、無理です、と尻込みするコーティを捕まえ、バーバラとふたりがかりで着付けて化粧を施した。


「すてきなのはコーティじゃない、ほら、泣いてるとせっかくの化粧が落ちちゃう」


 婚姻の宴を催すまでにずいぶん時間がかかってしまって、その詫びの意味も込めて盛大に、とエドワルドも乗り気で準備を進め、剣舞の型を教わり(バーバラの教えは過酷を極めた)、ついにこの日を迎えて感無量なのは誰しも同じだ。ナターシュとて、気を緩めれば泣いてしまいそうなのをこらえているのに、主役の頬に雨を降らせては意味がない。


「ナターシュ様」

「ありがとう、バーバラ」


 剣舞のあいだ、バーバラに託していたディエレを受け取る。いつもと違う、祭りの夜の雰囲気に目を瞬かせていた赤児はナターシュの胸でひとしきり甘え、次いで手を伸ばしたエドワルドに抱かれてきゃっきゃと喜び、肩飾りをしゃぶり、衣装の刺繍や縁取りを舐めてご機嫌だった。


「ああ、ディエレ様……あんな汗しみしみのくっさいのを食べたらおなかを壊しちゃう」

「おまえ、おれを何だと思ってるんだ」


 涙を拭うバーバラをエドワルドが睨み、揺さぶられたディエレがまた喜びの声をあげる。

 船の用意ができたぞ、と声があがって、港まで下る道の両側に島民たちが並んだ。バーバラとセトが木箱に入った花びらを配ってゆく。北に広く生育する高木の花だそうで、膨らんだ楕円の花びらには特徴的な切れ込みがある。白と薄紅の二色の花びらが詰め込まれた木箱はふんわりと甘い香りがした。

 セトが箱に描かれた北王国中原の絵図を見やって、感慨深げに唸った。


「こうして花びらが傷まずに届くんですから、やっぱり魔法はすごいですね。何でもできてしまうんだものな」

「それを言うなら、花の栽培を事業に仕立て上げたニーニャのことも忘れてやるなよ。香水だの製油だの化粧品だのが王侯貴族の奥方にとんでもない人気なんだろ。目端の利く商人らが列をなして買い付けにくるって話じゃないか。リズあたりはナターシュの名前を出してまんまと手に入れてそうだけど」

『まさか、北王国の荒れ地に単身乗り込んでいくとは思わなかったねえ。義兄上の即位の混乱に乗じて移住して、荒れた田畑を耕そうなんて、そんな情熱的なふうには見えなかったんだけどな』


 エドワルドの言葉に、シャナハが応じる。まったく同じ気分だった。

 ニーニャからは時折、手紙が届く。元気でやっている、そちらも落ち着かぬ毎日だろうが体はいとうように、とお決まりの文句から始まり、婿探しの苦労話やエドワルド王はこの荒れ地と花畑からどれだけの税を巻き上げてゆくつもりかと愚痴が綴られているもので、花の種が同封されていることも多かった。

 ナターシュは館の東の草地に、届いた種を蒔く。北から送られてくる種は環境の違いをものともせずに芽吹き、花を咲かせて散り、翌年もまた花を咲かせた。コーティとハルトはそれらを摘んで花束を作り、マナヅルに乗り込まんとしている。

 撒かれる花びらを浴びて頬をしあわせの色に染めるコーティと、顔をくしゃくしゃにしているハルトの姿に胸が熱くなる。


「状況が落ち着いて、ほとんど全部が『めでたしめでたし』になってから宴を開いてください」


 と、ふたりして頑として譲らなかったのを、ようやく宴の場で祝福できるのは、喜びなどという言葉ではちっとも足りないし、宴の開催を受け入れたのは竜の国と北王国でほぼ同時に新たな王が起ち、両者が歩み寄りの姿勢を見せた反動で南大陸が荒れ、一時は交易路の確保さえ危ぶまれたのが、どうにか落ち着いたと判断したからだろう。

 長くナターシュの姿を見ているコーティとハルトは、姫様が忙しく立ち回っている間は平和ではないのだと言い放ち、事実そうであったので火種の解消に専念するほかはなかった。さなかに生まれたディエレ、褐色の肌とふわふわの赤毛の女児を背や腹に括りつけて空を駆けるナターシュの姿が、状況の改善に一役買ったのは間違いない。


「演出もね、大事だよね。特に僕らみたいなのにとっては」


 とは、魔法院での生活にすっかり馴染み、長く伸びた髪をお下げに編んだマリウスの言である。一年ごとに竜の国と魔法院とを行き来している彼は、魔法院では神秘の国の王族、故郷では北の魔法に通じる次期領主として人脈を築きつつ、そろそろ嫁を迎えて落ち着いては、とマグリッテがさりげなく水を向けるのに気づかぬふりをしている。


「こんなやつに違いないって勝手に思ってくれるんだから楽なものさ。想像と違ったことをしてみせるだけで、驚かれるし評価が上がる。竜の神秘に感謝しなきゃ」


 のらくらと暮らすマリウスに代わり、エルシュが高山地帯に移り住んでマグリッテの補佐をしている。勤勉で博識な姉の、細やかに竜を観察する目と、的確かつ明瞭な指示が竜使いたちの支持を得たのだった。先だっては、他国からやって来る兵らに均一な訓練を施せるよう、教本を著してダリンを唸らせたそうだ。

 もちろん、「めでたしめでたし」と終えることのできない物語も多い。

 ウィラード王の病死に伴い即位した北王国のエドワルド新王は竜こそ諦めたようだが、エリザベスとは未だに水面下での争いを続けているし、南大陸の混乱は収まる気配がない。竜の国の平野部では人口の流入が著しく、宅地開発と都市環境、公衆衛生の維持向上が喫緊の課題となっている。

 それから、断髪の魔法使いカラディンである。

 厳重な抗議とともに魔法院に送り返された彼は数ヶ月の謹慎が明けて、平然と魔法院に姿を見せた。他国の王宮で不敬を働いたからには辞職が当然、などと囁かれていたがどこ吹く風である。

 しかし、彼も何らかの心境の変化があったのか、謹慎明けには剃髪して現れたそうだ。大切な髪を自ら剃るなど、新手の呪術か、いやもっと良からぬことを企んでいるに違いない、とおののいて道を空ける魔法使いらを見回し、カラディンは哄笑した。


「髪を持たぬまま最高位にまで上り詰めれば、髪を有する誰でもなく、この私こそが最高の魔法使いということになるでしょう。見ていてごらんなさい」


 そのまま、特に大きな事件もなく今に至る。竜の国にも海峡群島にも姿を見せていない。

 ナターシュもシャナハも「めでたしめでたし」で終わる物語が好きだ。幼い頃から好みは変わらない。だからエドワルドに、ディエレにありったけの愛を注ぎ、シュトルフェを駆って空に上がるのだった。

 花びらを浴びたコーティとハルトを乗せ、寿ぎの船が沖へと滑り出す。皆とともに腕を振って見送りながら、エドワルドとマナヅルに乗ったときのことを懐かしく思いだした。ふたりともその気で、それ以外のことには何も手がつかないほどだったのに、クーガーがやってきて台無しになった。それから北の国に渡って――。


「いろいろありましたね」


 思わず呟きがこぼれる。エドワルドがディエレをあやしながら、そうだな、と頷いた。


「この先もきっとな」

「はい」


 それでも、「めでたしめでたし」で物語を終えるために飛び続けるのだろうと思う。

 暮れなずむ海に浮かぶマナヅルが、落陽を弾いて眩しく輝いた。




【双つ海に炎を奏で  完】


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双つ海に炎を奏で 凪野基 @bgkaisei

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