後編 奇跡の夜に
―ー本番30秒前
すでにステージでは部下が、出演予定だった歌手の体調不良を詫びている。その歌手のファンの人たちは白けた顔になっていた。
「大丈夫、あなたはあなたの精一杯をやれば、みんな笑顔になるから」
「不安はありませんよ。なんてったってサンタですから。ただ……不思議な気分です。あの時のお嬢さんといまこうしてるのが、おかしくて」
「そうね……終わったら食事に行きましょう? いい店ならいくらでも――」
遮るようにサンタは首を横に振った。
「サンタですから」
「……ごめん、変なこと言っちゃったわね。よし! 本番よ、ぶちかましてやりなさい!」
「ぶちかますのは、相応しくないような……」
「細かいことはいいの! 行った行った!」
「あわわわ」
『それではみなさん、拍手で出迎えお願いしまーす』
ステージ袖から、サンタがとことこと歩いていく。大名行列で連れてきた人たちから拍手を受けてサンタはステージに上がった。
日は沈み、夜の帳は緞帳のごとく下りている。大きなショッピングモールを背にしたステージでライトを浴びるサンタだけが輝いていた。
聖夜。サンタがもっとも輝く時間が来たのだ。
一礼したサンタは、マイクを手に取った。
「みなさんの幸せを祈って、心を込めて歌います。聞いてください。きよしこの夜」
瞬間、サンタの背後に広大な森が出現した。無数のモミの木を抱く大地に、汚れなき新雪が静かに降り注いでいく――
もちろん本物の森ではなく、ショッピングモールの大きな壁面をスクリーンにしたプロジェクションマッピングだ。だがその迫力は十分で、広場に集まった観客たちからどよめきが上がる。
どよめきはすぐに、鋭く息を呑む音に変わった。サンタが歌い始めたからだ。
「きよしこの夜 星は光り
救いの御子は 御母の胸に
眠りたもう いとやすく」
歌声は、殴られたかと思うほど強烈で、同時に抱きしめられるような優しさもあった。この世のものとは思えない歌声だ。雪が降り注ぐ聖なる地に、救いの御子降誕の喜びを唄う使者。神聖なるものを目撃した衝撃に、会場全体が打ちのめされていた。
白けた顔をしていた人まで魅了したサンタは、3コーラス目まで歌い切り深く頭を下げた。魂を抜かれたように聞き入っていた人々は、はっと我に返り割れんばかりの拍手でサンタを讃えた。
照れ笑いでサンタは顔を上げる。
「ありがとうございます。えっと、クリスマスは一年の中でも特別な日で、聖なる日で祈りの日なんです。でも私はサンタですから、って! 本物じゃないですよ!? と、とにかくそれだけじゃなくて、プレゼントを贈ったり身近な人達とうわーって楽しむのも、愛の形だと思うんです。……あ、照れますねこれ」
赤く染まった頬で、えへへと笑うサンタに、「かわいー!」やら「がんばれー!」と声がかかる。努めて意識から追い出してたけど、認めざるを得ない。もうこれアイドルのライブだ。
「というわけで、次で最後なんですけど楽しくなれる曲を歌います。一緒に楽しんでください! サンタが街にやって来る!」
さあ あなたから♪
『メリークリスマス!』
私から♪
『メリークリスマス!』
Santa Claus is coming to town!
会場中で大合唱になっている。気づけば私も「メリークリスマス!」と叫んでいた。あははは、楽しい!
背後に投影された森では雪が止み、代わりにアニメチックなサンタがトナカイに引かれたソリに乗って飛び回る映像に切り替わっている。
その前面で本物のサンタは、歌に合わせて飛び跳ね踊り、笑顔を弾けさせていた。
そして、気づけば私は笑いながら泣いていた。慌てて顔を隠す。部下にこんなところ見られるわけにはいかないし、メイクだって落ちてしまう。目頭を押さえながら自問する。これは一体なんの涙だ? みんな笑っているのに何故私だけ泣いているんだろう? 私は――
夢のような時間。まさに聖夜の奇跡だ。でも曲は終わり、夢は覚めるもの。
「Santa Claus is coming to town!
ありがとうございましたー! ハッピークリスマス!」
大歓声の中、肩からぶんぶん腕を振ってサンタがステージを降りる。袖に戻ったサンタは、スタッフにもみくちゃにされながら私のところへ戻ってくる。
「ありがとう、大成功よ」
「やりましたぁ! 私もう感動しちゃって……!」
頬を上気させ、瞳をうるませているサンタは、まだ止まない感動のためか身震いしていた。
「ちょっと出ましょうか。ここじゃ、ね?」
「あっ……はい」
人気のないところへサンタを連れ出す。私は「さんたさん」に言うべきことを見つけていた。
「もう、おしまい?」
「サンタですから」
曖昧に微笑むサンタが少し切なそうに見えたのは、私の気のせいだろうか。
「最後に私の話、というかお礼を聞いてほしいの」
「お礼ですか? ああっ、そう言えばトナカイ見つけてくれたお礼まだしてませんでしたっ。遅くなってごめんなさい! ありがと……もしかして礼遅いんだよゴラーって『お礼参り』されちゃう流れですか……?」
「なんでよ! 私のイメージ悪すぎるでしょ! もう~真面目なムード壊れちゃったじゃないの」
ぐったり脱力すると、サンタがくすくす笑い、しょうがないので私も笑っておく。
「あのね、改めて言葉にすると難しいんだけど……私をここまで導いてくれてありがとう、ってこと」
「?? ごめんなさい、意味が……」
「この仕事は、大変なことも嫌なこともいっぱいあるわ。でもさっきのお客さんの顔見たでしょ?」
「みんな笑ってて、キラキラしてて……」
「あれを作るためなら、いくらでもがんばれた。じゃあ、なんでそんなにがんばれたのかって、その源はなにかって考えたらそれはもう、あの時のあなたの歌なのよ。あれが、いまの私のすべての始まり」
「うそ……そんなこと……」
「そんなことじゃない! あの輝きをずっと、ずっと、ずっと、追いかけてた。あなたは本物のサンタで、人間の私が作るような輝きじゃ届かないものかもしれない。それでも! あなたは聖なるものを生み出せるけど、私たち人間はあがいて積み上げて、その先に尊いものを作り出せる。そう信じて……、一つでも多くの感動を作りたくてここまで来た。来れた。
今日は本当に楽しかったわ。あの憧れの『さんたさん』と一緒にステージを作ったんだから。奇跡はあるんだって……報われる瞬間っていうのは、こういう、ことなんだな……って」
最後の方は声が震えて上手く言えなかった。でもサンタは何度も首を振ってうなずいてくれた。
「こちらこそ、ありがとうございますっ……!」
「サンタの本来の仕事は、今晩子どもたちに夢を見せることなのよね?」
「そうです。健やかな目覚めを促し、いい気分で聖なる日を迎えられるように」
サンタは目元を拭いながら答えたけれど、次の私の言葉で顔がぐしゃぐしゃになってしまった。
「私は、あなたから覚めない『夢』をもらった。今日、『夢』は叶って、これからも叶え続けていく。私がいる限り、あなたの輝きも消えることはない」
顔をおおって震えているサンタを、そっと抱き寄せる。
「こんなにもらっちゃって、いいんですか……サンタなのに……いっぱい、いっぱい……」
「プレゼントは贈り合うものでしょ」
「えへへ。でもやっぱりもらいすぎですよ。だから」
サンタは身体を離し、うるんだ目をそらして閉じて――頬に柔らかい感触が押し付けられた。
顔を戻したサンタの唇から熱くて甘い息が漏れて、私の鼻先で弾ける。
「ハッピークリスマス♪」
「んなっ……にゃにを……」
あまりの驚きにろれつが回らっていにゃかった。衝撃に追い打ちをかけるように、スマホからけたたましい着信音が響く。
「もうっ、こんな時に……!」
一瞬、スマホに気を取られ――その時にはもうサンタの姿は消えていた。
「嘘でしょ……」
私は二十数年ぶりに、迷子の気分を味わった。
迷子になっても、立場と責任が放っておいてくれない。
サンタのことはなんとかごまかし、やらかした騒動の大量の後始末。各所へお礼とねぎらいの電話をかける頃にはすっかり現実に引き戻されていた。
そのまま打ち上げ兼クリスマスパーティーに参加し、三次会まで付き合うと、もうとっくに日付をまたいでいた。
タクシー乗り場まで少し一人で歩く。ワインで火照った身体を風が冷やしていく。この時間になれば街の騒ぎも収まり、都会でも少しはちかちか瞬く星が見える。あの瞬くものは、もしかすると彼女かもしれない、なんて幻想がわき上がる。どこからか、シャンシャンと鈴の音が聞こえる。飲みすぎたのだろう。
「おーい、ここにいるわよー!」
彼女に聞こえるように夜空に叫ぶ。完全に酔っぱらいのテンションだ。
ちかちか瞬くものが、ぎゅるんと曲がったように見えたのはアルコールで霞んだ目のせいだろうか。シャンシャン鳴る鈴の音がどんどん大きくなっているのは――?
「会えましたー!」
「うわああああ本当に来たああああ!?」
「って、なんで逃げるんですかぁ!」
「空からでかいトナカイ突っ込んできたら恐いわ!」
追いかけっこしてのはつかの間で、すぐに追いつかれてしまう。
「ぜぇ……歳のせいじゃないからね……酔っ払ってるからなのよ……?」
「だからなにも言ってませんってば」
停止したソリから降りたサンタは、えへんと胸を張る。
「急いで今日のノルマ終わらせてきました!」
「あ、うん。お仕事お疲れさま」
「このあとはフリーですよ?」
いたずらっぽく笑う彼女の碧色の瞳の輝きからもう、離れられない。
「お嬢さん、あなたの願いを叶えましょう」
「時速300kmで夜空をドライブしたい!」
「行きましょう!」
――さっきの続きも、ね。
奇跡の夜はもう少し続きそうだ。
サンタさん、あなたの願いを叶えましょう 犬井るい @fool_zero
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