第6話 森の奥へ

 早朝。

 私とヴァレンツ、そしてヨルンは、雑貨屋の前に集まっていた。


「バスケットくらい、私が持ちます」

「いいや、俺が持とう。最低限を詰めたとはいえ、今日は距離を歩くんだ。ソフィアには重いだろうから」


 背中には猟銃、腰には大ぶりのナイフ。

 ヴァレンツは、川で会った時よりも幾分重装だ。それなのに小さめの物とはいえ、飲み物と軽食が入ったバスケットを自分が持つというのだから、私も少しは遠慮する。私にとって、この程度の距離を、この程度の荷物を持って歩くことなど、他愛もないことなのだから。

 バスケットをぎゅっと抱いてヴァレンツに半分背を向ける私と、自分が持つと言って手を伸ばし続けるヴァレンツ。

 一歩も引かない双方を、いつかのようにヨルンはなだめる。


「落ち着きなって。今日はヴァルが言うように、長い時間歩くんだろう? だったらこのバスケットはヴァルが持つもんだな」


 ヨルンはひょいと私の腕からバスケットを抜き取り、ヴァレンツに押しつけるように渡す。その手つきはいささか雑だったが、受け取ったヴァレンツは満足そうだ。

 手持無沙汰な私の肩を軽く叩きながら、ヨルンは続けて言った。


「コイツはやると言ったらやる男で、見てのとおり頑固者だからさ。ま、片手がふさがったくらいでどうにかなる奴じゃないから、このまま持たせてあげてよ」


 男を立てると思ってさ。

 そう言ってヨルンはにやりと笑い、ヴァレンツを流し見る。


「ヴァルがいて大事になることはないと思うけど、気をつけな。何かあったら、すぐコイツに頼むこと。いいね?

 ヴァル、休憩は何回も取れよ。体力お化けなお前とは違うんだからな、ソフィアちゃんは」

「分かってる」


 聞き流すように返事をするヴァレンツに肩をすくめたヨルンは、私にこっそりと耳打ちをする。


「随分と仲良くなったみたいで安心したよ。あいつと色々話をするといい。きっと頼りになるからね」


 柔らかく頭を撫でる彼を見上げると、嬉しそうに微笑んでいた。それはきっと、妹を愛する兄の表情だ。妹の抱える闇を知らない、どこまでも優しい兄。オオカミに孫を預けられた、何も知らないただの人間。

 祖母は、何故彼を選んだのだろう。


「さあ、いってらっしゃい。くれぐれも気をつけて」


 何度か振り返り、そのたびに手を振ってくれるヨルンに、大きく手を振り返す。結局彼は、私たちの姿が見えなくなるまで店の前に立っていた。


「ヨルンさんって、なんだかヴァレンツさんのお兄さんみたいですね」

「年は俺が一つ上なんだがな。あいつは昔からだ」

「幼馴染、ということですか?」


 ヨルンは隣町のヴィチーノ出身だ。そうするとやはり、ヴァレンツの故郷は同じくヴィチーノ。エドナおばあちゃんはこの人を知っているようだったけれど、祖母との面識はあるのだろうか。


「あいつとは、物心ついたときにはもう一緒にいたな。

 幼馴染というより、兄弟がしっくりくる。まあ俺とは違って、ヨルンには3人の兄弟がいたが」

「ヨルンさんに、兄弟が? だからあんなに世話好きなんですね」

「確かに世話焼きだが……あいつは末っ子だぜ」

「え、末っ子?」


 あんな風なのに?

 ああ、『あんな風』なのに。


「年の離れた兄や姉に甘やかされて育ったはずだが、どうにも人の世話を焼くことが好きらしくてな……もう性分だと言った方がいいか。俺は双子のように育ったとは思っているが、もしかしたらあいつ、俺を弟だと思っていたんじゃあないか?」


 そう言って眉をしかめるヴァレンツに、小さな笑いがもれる。弟扱いされるこの人が全く想像できないし、実際そうしてみせただろうヨルンに尊敬の念を抱いた。

 笑われたことに気付いた彼は、苦笑している。


「俺は母子家庭で、母親は朝から日が暮れるまで働いていたから、その間ヨルンの家に預けられていたんだ。あいつは小さい頃からしっかりしていてな。世話になったよ」


 懐かしむように笑うヴァレンツを、斜め後ろから眺める。彼にも幼少期があり、母親がいて、家族がいた。それら全てが今の彼を形作っている。

 彼の口数が思ったよりも多いのは、おそらくヨルンの影響だろう。ヴィチーノを走り回って遊ぶ子供2人を、ぼんやりと思い浮かべた。


「ヨルンさん、素敵な人ですね」

「ああ。自慢の兄弟だ」


 そう言って屈託なく笑うその顔は、どこか少しだけヨルンに似ている。

 血の繋がりのない誰かを、自分の家族だと言って慈しみ愛するそのさまは、私とエドナおばあちゃん、そして幼馴染の関係と似ている。そう思うと、自然と微笑んでしまっていた。家族を大切にする人は、嫌いではない。


 森へ入る。

 地図に書かれていたこのルート、実は、毎年通っているところより遠回りのルートになっている。万が一の事があって私が町から離れた後、エドナおばあちゃんが誰かを伴って墓参りに行く時の為に書いたものだ。いつも私たちが使うルートより時間はかかるが、緩やかで歩きやすい道だけを通るようになっている。

 彼は昨日、その地図をポケットに入れていたが、今日は一切取り出す様子がない。しかし、その歩みに迷いはなく、地図のルートを正確に辿たどっている。


「そういえば、ヴァレンツさん」

「どうした?」

「まだ、エドナおばあちゃんのことで、お礼を言っていなかったと思いまして。

改めて、ありがとうございます。おかげさまで、彼女は怪我一つなく、とても元気でした」


「ああ……それが俺の仕事だからな。エドナさんとは親しいのか?」

「はい。彼女は私の育て親ですから」

 

 横に並んで、ニッコリと笑いかける。


「私には両親がいないので、エドナおばあちゃんと私の祖母が、幼い頃から育ててくれました。彼女は大事な家族の一人なんです」


 ヴァレンツは僅かに目を見開いた。やはり、知らなかったようだ。もしかすると、この人は長い間、町から離れていたのかもしれない。


「なるほど、どうりでそんなにも心優しい人に育ったわけだ……ソフィア、君の家族を無事に救えてよかったよ」


 静かに息を飲む。彼が微笑んだその瞬間、どくん、と心臓が大きく鳴った。得体の知れぬ妙な苦しさに、慌てて心臓を抑える。少しの間胸を抑える手を眺めるが、果たして理由は分からぬまま、心臓は平常に戻った。今のは一体なんだったのか。


「どうした、ソフィア。そろそろ休もうか?」

「……いいえ、まだ大丈夫ですよ」

「そうか。とりあえず、川が見えたらいったん休もう」

「はい……」


 どうにもヴァレンツの顔が見れず、ゆらゆらと視線を周囲に泳がせる。このままの状態だと、彼は私の異変に気づいてしまうだろう。もしかしたら彼は、一人で行くだとか、日を改めるなどと言い出すかもしれない。その前に、いつもの私に戻らなければ。


「家族といえば、ヴァレンツさんのお母様は、今どうされているんですか?」


 小さく息を飲む音が聞こえ、隣の空気が揺れた。まさか、失言だっただろうか。慌てて口を開くが、彼の返答の方が速かった。


「俺が15の時に死んだよ。過労だった」


 見上げるも、予想に反して、ヴァレンツは懐かし気で穏やかな顔をしている。


「あの時の俺は、自分の周りの世界が大っ嫌いでな。感情のままに荒れてた。だからおふくろに親孝行なんて一切できないまま、逝かれちまって……自分に腹が立ったよ。

 あまり親子らしい会話なんてした記憶はないが、おふくろがよく言ってた、『世の為人の為』に生きてみようと思ってな。『しろの山』を越えて、隣の国のギルドに入ったんだ」


 『白の山』――王都を挟むように、この森と対極に位置する雪山だ。彼は子供と言っても過言ではない若さのときに、あの険しい山を越えたというのか。


「そんなに若い時から、ギルドにいたんですね」

「ああ。いろんな人に出会って、たくさんの事を経験した。世界の全てを見たとは言わないが、多くの場所に行ったよ。

 そうして、そろそろギルドを離れようと思い立った。だが、他に何をするのか、思いつかなくてな。とりあえず、里帰りでもするか、とヴィチーノに……20年ぶりに帰ってきたんだ」

「え、ということは、ヨルンさんと会ったのも、20年ぶりなんですか?」


 長い間会わなかったにしては、2人はとても兄弟らしい、気安い雰囲気で話していた。


「そういうことになるな。あまり、実感は湧かないが……まあ、その時にヨルンに会って、ヴィチーノの森番をしてみたらどうだ、と言われ、今に至る」


 彼の短い言葉の間に、壮絶なストーリーが垣間見えた気がしてならない。彼は話しすぎたかな、と照れ臭そうに頬をかいている。その動作が、普通の人間じみていて、彼の逸脱した雰囲気を霧散させた。

 そうして初めて、私は彼の心の内を、僅かにだが読み取ることができたのだ。

 エドナおばあちゃんの言う通りだった。獣のような警戒心をまとう彼の心の内は、果たしてただの人間だった。ただの、人間だった。彼女のような、ヨルンのような、他人を気遣い慈しむ心を持つことのできる、一人の人間じゃあないか。

 エドナおばあちゃんの柔らかい声が、ふと、頭をよぎった。


(彼の本質は“優しさ”にあります。大分不器用ですけどね)



 水草を採取した川の下流に着いた。適当な岩に腰掛け、休憩しようと手招きされる。大きめの岩に座って足をブラつかせると、水筒を渡された。入っているのは、ヨルンが淹れてくれたレモンハーブティーだ。


「ありがとうございます」

「ここから深部に入っていく。大抵の獣は腹が減ってない限り人間に近づいてくることはないが、気は引き締めておくようにな」

「はい」


 続けて渡されたビスケットを受け取り、頷く。しかし私が思うに、この探索で獣に遭遇する可能性は、ゼロに近い。なんといっても連れがこの人だ。大抵の獣は、彼の威圧に尻尾を巻いて逃げ出してしまうだろう。冬眠から目覚めてお腹が空いている熊でさえ、近づいてこないに違いない。


「……出くわしてしまったときは、頼りにしますね」

「ああ、任せろ」

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青ずきんと狩人 月乃宮 @tsukino_miya

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