ケンタウリの光はやさしい光
吉岡梅
夜にお出かけ
12月第3週の日曜日の夜。つまりは来週末にはクリスマスな時期の夜に、私は久しぶりにタクマに呼び出された。嬉しさを押し殺して”メッセじゃ駄目なの?”って送ってみたけど、“直接会って話したい事があるから”とか返信が来て私は仕方が無いので着替えてお母さんに一声かけてお隣の宮沢家の2階へと向かう事にした。仕方がないので。
おじさんとおばさんに挨拶をして2階へと上がった私は、タクマの部屋のドアをノックした。中からタクマの間延びした返事が聞こえると、できるだけいつものように部屋に入った。学ランでもジャージでもないタクマを見るのは久しぶりでちょっとドキドキしているのは顔には出さない。
「来たよー。今夜は寒いね。てか話したい事って何?」
「うん。なんか奈美ちゃん久しぶりな感じ。私服で新鮮。まあコタツでも入ってよ」
タクマが相変わらずのおっとりした口調で手招きするので、私は「毎日教室で会ってるじゃん」という言葉でいろんな気持ちを押し込みながらコタツへと収まった。タクマは手にしていた蜜柑を半玉こちらに寄越すとすかさず、「実はね」なんて言う。それでは早速まいりますかとばかりに本題へ入っていきそうな様子に、ウソでしょちょっと気持ちの準備が追い付かないんですけど、という表情が出ないように頷いて急いで態勢を整える。
「旅なんだけどね。旅に出るとしたらさ、奈美ちゃんはどこ行きたい?」
「え?」
全然予想外の言葉にフルスピードで回転していた思考がぴたっと、本当にぴたって音がしたんじゃないかというくらいな勢いで止まった。でも、そんな事を悟られないためにも、とりあえず返事をしなくちゃいけない。
「た……旅? 旅行とか? えーとね、海外? イタリア? おいしそうだし? 伊豆と半島繋がりだし? あっ、でも私達パスポート持ってないか。まずそこからだね? てかなんで?」
しどろもどろになりながら、普段から旅行するならここがいいな、なんて思っていた場所を上げてみた。すると、タクマは何かすごく嬉しそうに頷いた。
「ふふふ。奈美ちゃんはイタリア止まりなんだ。ふふふふ。これは僕の勝ちかな」
タクマはぐっと胸を反らせ、得意げな眼差しで見つめてくる。勝ちって何? と口に出そうかとも思ったのだけれども、余りにも意味がわかんないので黙って様子を見る事にした。というか、頭の中がはてなだらけでポカーンとしてしまっていた。するとタクマは、カーテンが開けたままになっている窓の方を指さし、高らかに宣言した。
「僕はね、宇宙に行こうと思いついたんだ。凄くない?」
宇宙。その言葉を聞いて、私はなんとなく事情が呑み込めてきた。と、同時にふつふつと怒りのようなもの(たぶん怒りそのもの)が湧いてきた。おそらくこの暢気な野郎は、今がどんな時期なのかとか中学2年生のクリスマスは1回しかないとか幼馴染とはいえ夜の部屋に彼女でもない女子を呼ぶ意味とかそういう事を全然全くこれっぽっちも考えずに、単にたまたま目にした夜空が綺麗だから宇宙行きたいな、なんていう思い付きを誰かに言いたくなっただけなのだ。しかも、私の頭が8,000回転くらい回ってる間にのんびり1周回っただけの癖に、勝ったとか言い出してるのだ。
「ふふふふ。声も出ないくらい驚いてる? だよねえ。奈美ちゃんはイタリア。所詮は海外レベルだもんね。スケールが違うよね。宇宙だもん」
私が黙っているのをいいことに、奴はますます嬉しそうな顔をして蜜柑を口にしている。そこで私の中の何かがプツンとキレた。
「は? スケールが違うって何? 距離? タクマは宇宙凄いって言うけど、距離で言ったら、この伊豆から宇宙までの距離は100kmくらいじゃん。宇宙ギリギリじゃなくて衛星軌道まで行ったとしても400㎞。ここから大阪までの距離よりも短いじゃん。国内の端まで行かなくても足りる距離だよ? なんで
「な……奈美ちゃん?」
突然静かに怒り出した私を見てタクマが戸惑っているけど、その姿がますます私を加速させてしまう。まずいなあと思うのだけど急には止まらない。
「しかもタクマは『宇宙』なんて相変わらずボンヤリした事を言って。宇宙ってどこ? 月? 火星? 具体的な目的地は? そんなの目的地とか特にないのに、雰囲気だけで『海外行きたい』っていうのと変わんないし。ううん。『外でたい』とか『ここではないどこかに行きたい』とか、そういうのと同じじゃん。どうせ宇宙じゃなくても堂ヶ島のピアドーム天窓でプラネタリウム見るだけでも満足するんでしょ! それともちょっと足を延ばして富士川楽座のメガスター?」
「凄い。奈美ちゃんもの知り!」
「タクマがこないだ急に宇宙にちょっと興味あるとか言い出したから調べたんじゃない!」
タクマがそうだっけ、ありがとうとか凄い普通に首を傾げてお礼を言うので、私はなんだか怒ってるのがバカバカしくなってきて落ち着いてきた。
「と……とにかくね。タクマはいっつもぼんやりとした遠い事しか言わないんだもん。もっと具体的に目的地を決めて旅行に行きたいとかさー。何年後に行きたいとかさー。ら……来週の土日はどうしたいとかさ、そういう目の前の近くの事は気にならないわけ?」
「うーん。来週の土日。1週間後。7日後かあ」
珍しく具体的な数字が出てきたので、私はおおっと驚いた。これはいけるかもしれない。
「7日かあ。7日って言うと、太陽の光が地球に届くまでの日数くらいだっけ?」
「全然違うよ! それ1日もかかんないし! 8分で届くよ!」
おお、やっぱ奈美ちゃんもの知り~とタクマが言うので私はもうちょっといろいろ諦めた気持ちになってきた。
「8分かあ。それで太陽は眩しすぎるんだなあ」
「なにそれ」
「8分て、すぐでしょ。それってもう『今』と変わんないよ。目の前の事って、いろいろせちがらいじゃない? それに比べると、星の光はやっぱいいよね。太陽以外の一番近い光る星の距離ってどれくらいだっけ?」
「ケンタウリ。4.25光年」
なんかもうどうでも良くなって自動運転モードな私は機械的に答える。
「奈美ちゃんもの知り! これはもう物知りを超えた、なみ知りだよ。 よっ! なみ知りっ」
うるせーいい顔しやがってコイツていうかなみ知りって何だよ。って思うけど今の私にはもう黙って蜜柑を食べるしか道はない。
「地球から4.25光年。つまり、星の光は最短でも4年3カ月前の光ってことだよね。僕たちは夜空に映る、4年以上前のいろんな想い出を見てるんだろうね」
4年前。私たちが小学4年生だった頃かあ、なんてぼんやり考えながら蜜柑を口に運ぶ。
「想い出ってさ、なんか優しいじゃない。目の前の事だった時には眩しくてせちがらくて辛かった事でも。きっと時間が経つにつれて、辛い部分や尖った部分を忘れちゃって、まろやかになってるんだろうね。星の光は昔の光。だから、なんか想い出みたいに優しいんだろうねえ」
何言ってんの。でもそんなもんかな。なんて思ったのだけれども、だんだんと元に戻って来た私の頭が、いやでもそれって違くない? てか、そもそもだから何だよこの野郎。とゆっくりと回転を再開しようとする。すると、その事を目の光からか、それとも、ゆらりと揺れる私の周りの空気から感じ取ったのか、タクマが慌てたように付け加える。
「あ、でも、目の前の事も大事なんだよね。僕は4年前の奈美ちゃんも好きだけど、今の奈美ちゃんももちろん好きだよ。それで、クリスマスはどこ行く?」
「え」
目の前のタクマが、流石に急にイタリアは無理だけど富士川くらいなら行ってみる? 電車調べなくちゃね。あ、あそこだと途中からバス? そういうのは奈美ちゃんの方が得意か、なんてにこにこしている。
「ちょっと待って!」
「え? どうしたの? 都合悪いとか?」
「行くけど! 他の予定とか無いしあっても断るし! でもその前に私の事をその……す……好きって……」
「え? うん。言ってなかったっけ? もう小学校の頃だと思うけど」
「聞いてないから!」
あれー? そうだったけ? とタクマは首を傾げる。
「ごめんごめん。てっきりもう言ってたと思ってたし、僕たち付き合ってると思ってた。まずかった?」
「別にまずくないけど」
「良かった。じゃないと急に部屋に呼ぶとか凄いやり手だもんね僕」
にっこりと微笑むタクマの顔を見て、私は、がばりと立ち上がった。
「帰る!」
「え。うん。じゃあクリスマスの予定はメッセして決めよっか」
私は背中越しにこくりと頷くと、逃げるように(実際逃げた)タクマの部屋を後にした。一旦部屋に帰っていろいろと整理しなくてはいけない。嬉しいとか悔しいとか思ってたのと違うとかずるいとか幸せとか何着て行こうとかそういう気持ちを私の中のしかるべき位置へとしかるべき重みできちんと配置し直すのだ。
そして一息ついたら富士川楽座への行き方と所要時間の計算をするのだ。スケジュールは8分後にはタクマに伝えようと思った。そして、今の私のこの気持ちも伝えたいと思ったのだけれども、我ながら熱量がありすぎるのでやめておいた方がいいかな。って思った。なんか癪だし。
この気持ちをすっと届けるのは、やっぱり4年3か月後くらいがちょうどいいのかもしれない。そうしよう。そう決めて少し落ち着いた私は、カーテンを開けて夜空の星を眺めた。おうし座を見つけた私は、ぼんやりと考える。今この瞬間、あの星が放った光が届くころ、その時もまだ、タクマと私は相変わらず宇宙よりも近い距離にいるのかな。そうだとしたら、それってなんだか、凄くいいな、と。
ケンタウリの光はやさしい光 吉岡梅 @uomasa
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