稗史野乗の面目躍如──南宋滅亡の大罪人とされた宰相=賈似道の言い分

いきなり読めなかった方にはすみません。稗史野乗は「はいしやじょう、正史と異なり民間で編纂された歴史書」です。一つ賢くなりましたね。って煽ってどうするの?


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冗談はさておき、本作の主人公であり語り手の賈似道は岳飛を殺した秦檜ほどではありませんが、中国史上の大罪人とされる人物です。フビライ・ハンに屈さず『正気の歌』を書いた文天祥と対置されることが多いかも知れません。

つまり、大変に評判が悪い。

そもそも、宋という国は文尊武卑、対外戦にあたっては大層に弱い国でありまして、契丹族の遼に現在の北京周辺を含む燕雲十六州を奪われ、女真族の金に江南に追われ、ついに蒙古族の元に併呑されてしまいました。

賈似道は南宋の滅亡に関わったことで歴史の罪人にされました。正史=国家により編纂された史書は常に建前が重んじられ、現王朝への忠誠心を喚起するためにも国に殉じた人々を高く評価し、そうでない人々を断罪します。

そこからこぼれ落ちたものを拾い上げ、四角四面な歴史認識を覆すものこそ、稗史野乗ということになります。すなわち、歴史小説、時代小説はすべからく稗史野乗に他ならないのです。

本作で描かれる賈似道は風流な遊び人にして、コオロギを戦わせる賭事や書画に興じる趣味人、洒脱な話術は好老爺のそれであり、聞く者の気を逸らしません。

「本当にこんな人だったのかもなあ」と思わせるのは作者が賈似道という人をきっちり調べ上げて書いているがゆえ、大量の知識に裏打ちされてはじめてなせるワザです。

そして、正史の「忠臣」が国家に拘泥するのに対して「罪人」賈似道はまったく異なるものに拘泥し、フビライとの間に密約を結んで国を売り渡してしまいます。

賈似道が汚名を背負ってまで残そうとしたものは何か、それは本作を読んで彼の言い分を聴いてあげて下さい。