少女

鴉乃雪人

第1話

    魔物は見守るだけ


   骸を積み上げるのは、生贄自身なのだ。




 

               ***


 


 夜。

 

 外気にあたってしばらく時間が経ったためか、僕の思考は少し冷静になっていた。

 

 見慣れない道を歩きながら、唐突に僕は何日か前の授業のことを思い出した。担任の教師が、未来設計という言葉を使っていたのだ。

 

 未来設計。

 

 僕はその四文字を酷く嫌った。

 

 設計――おこがましく思える。この言葉を作った人間は自己陶酔者なのではないか、そんなふうにまで考えてしまう。未来を形作るなんて言えば聞えはいいが、はっきり言って人間の分際で自分の未来を支配できると思っている自惚れに他ならない。だって「設計」だ。設計図をつくるのだ。どれだけ時間をかけて描くのか知らないが、時間をかけて作った設計図通りに未来を作れると言わんばかりの文言だ。

 

 馬鹿らしい。

 

 断っておくが意味は分かる。自分のやりたいことを明確にし、それに向けてある程度正確なレールを敷くという行為なのだろう。だから学校の授業でその言葉が登場するのも理解できるし教育者が使いたがるのも解る。

 

 ただ、設計という言葉からは、どうしても今述べたような印象を感じてしまう。これから先起こりうる幾つもの出会いや別れや変遷を無視して、現時点の、ごくごく限られた視野の中で未来を描けというのは、違う気がする。描いたからといって未来が狭まる訳では無いが、描くのには違和感を覚えてしまう。

 

 ようは、未来は分からないという事だ。

 

 十年後僕は何の努力もせずに億万長者になるかもしれないし、学年一の秀才がホームレスになるかもしれない。更に言えば五分後に交通事故で死んでいてもおかしくはない。そんなことを考えても仕方がないのは分かっているが、未来を見通せるかのような言い方には酷くおこがましさを感じてしまうのだ。

 

 角を曲がる。どうしてそんな事を考えているのだったか。ああ、そうだ、一時間前の僕は今の僕を予測しえなかった、という話だった。

 

 この経験から、僕の未来への妄想はさらに膨れていくことになるのかもしれない。それは多分、良い意味でも悪い意味でも。更に一時間後、僕はどうしているのか。ここまで来て何だが、常識に照らし合わせれば僕の行動は変質者のそれだ。ここから先、どんな突飛な行為――言ってしまえば犯罪的な行為に出ても、整合性は無くは無いのだ。そう考えてしまい、厭な気持になった。違う、そんなことで僕はここにいるんじゃない。

 

 今、名も知らぬ少女をつけている。 




              ***




 7キロ程離れた学校まで電車で通っている僕は、毎日決まった時間の電車の、決まった車両に乗り、ある程度決まった位置に座る。最寄り駅が街から離れているのと、朝の比較的早い時間帯なので、僕が乗り込む時点では人は少なく、乗り換えまでの十数分はゆったりと過ごせて気に入っている。もっとも乗り換えてからの学校までの電車では、全国の通勤ラッシュの例にもれず、窮屈な時間を耐えなければならないのだけれど。


 最寄りの駅に着いて二,三分でアナウンスが流れる。線路の右手から、くすんだ色の古びた車両がやってくる。徐々に減速していき、止まった時には僕の真正面でドアが待ってくれている。


 しゅうう、と蒸気のような音を立てて開く。少し足を浮かせて乗り込む。車内は少し暗い。そのまま僕は左手のロングシートに座る。基本的に座れないことは無い。


 そして彼女を見つける。


 向かいの席には決まって彼女がいる。僕と同じように、毎朝決まった電車の決まった車両のある程度決まった位置に座っている。俯きがちに、僕が降りるまでの十数分間を何もしないで過ごしている。肩までの髪は深い、深い、黒だった。艶やかというよりは流れる様に一本一本が伸びている。車両が揺れる時、彼女の方に目をやるとその髪の繊細さが見て取れた。肌は反対に少し青白く、どちらかというと生気のない印象を持つ。そして、真っ白な制服。穢れない純粋さを思わせた。そう制服だ。それは彼女が同年代であることの何よりの証なのだが、この辺りでは見かけない、というより見たことが無いものだった。僕が乗り換える駅――市の中心でも降りないので、どこか遠い所の学校なのだろう。そう思っていた。

 

 いつから彼女が乗り合わせて来るようになったのか、覚えていない(乗り合わせて来る、というのもおかしな表現だが)。半年くらい前からな気もするし、一年前からな気もする。ひょっとすると初めからずっといたのかもしれない。何にせよ、彼女は気が付くとそこにいて、長い間そこにいる。


 彼女は綺麗だ。


 俯いた表情を魅せる長い睫毛が、それに隠れた硝子玉のような――黄玉の瞳が、透き通る白い肌が、静脈の青さが滲み出るくらいに澄んだ肌が、そして彼女が綺麗だ。


 奇怪なことには、彼女が驚く程端麗だから僕はその存在に気付いたのではなく、その存在に気が付いたら彼女は驚く程端麗だった、のである。要するに彼女はその容姿にも拘わらず全く目立たなかった。存在感が希薄すぎた。何故か。わかるはずもない。僕が彼女に気付くまで、彼女は日常の風景に溶け込んでいた。朝陽が差し込む窓と、座席とつり革と乗客に溶け込んでいた。


 不思議な存在であったが、日々の中で僕は彼女の姿を思い描いたりはしなかった。僕の心は彼女に囚われていたわけでは無いのだ。家族や友人にも話したことは無かったし、いつの間にか彼女があの電車から消えてしまっても、僕はそれからの彼女がいない朝をすんなり受け入れるだろう、その程度の存在だった。


 今日までは――




              ***

 



――どこまで歩くのだろう。

 

 駅を出てからどれくらい経っただろうか。建物の数も、電柱も街灯もだんだん減ってきている。あんなに綺麗な子が夜にこんな道を歩いて、危なくないだろうか。邪な気を持った輩が近付いてきても気付かないのでは。

考えてから苦笑した。まさに僕のことじゃないか。もちろん邪な気持ちなど無いけれど。

 

 知っているような、知らないような名前の駅で彼女は降りた。寂れた小さな無人駅だった。僕はこの路線は全て有人駅だと思っていたので少し驚いた。


一応運賃を払おうとは思ったのだが、財布を出すのに手間取っていたら彼女を見失いそうになったので不本意ながらお金は払わずに形だけの改札を通った。やけに錆が目立った。汚れた電灯は光量が少ないうえに不規則に点いたり消えたりしていた。これはある意味で味があるなと思った。


駅を出てすぐ、この辺りに背の高い建物の一切無いことと、前方に真っ黒に聳え立つ山――いや、丘と呼ぶべきだろうか――に気付いた。丘の上には煌々と満ちた月があった。



 

 少し前を歩く彼女の歩調はゆっくりで、それゆえに僕はこの静寂な土地で足音を立てずに彼女との距離を保てていた。もしもう少し失敗を恐れていたなら、つまり彼女に発見されそうな状況であったならば、僕はもっと理性的で、こんな馬鹿げた行動を継続したりはしなかっただろう。


――そうでもないか。


 彼女の純白の服は闇に映えた。それもまた、彼女を見失わない要因だったが、夜に浮かぶその輝きはある種の蠱惑的な訴えを孕んでいた。僕はつけているというより、引き寄せられている錯覚を持った。淫靡な魅力ではない。もっと根源的なものだ。彼女は火であり僕は虫であった。


 彼女が角を右に曲がったので、僕は急ぎ足でそこまで向かった。風が頬をなでる。


 そういえば今夜は過ごしやすい気温だ、と、そんな思いが浮かんできた。最近の荒れた天候を思えば、今日は夜冷えもしなければ汗もかかない、風も心地よいものだ。


  何だか緊張感が著しく欠けている気がして、僕は左手の甲を軽く抓った。彼女の後ろ姿を凝視して、電車での感覚を思い起こした。掌が汗ばむ。

 

 街灯はついに無くなった。


 暗い。暗いのだけれど、道の先が分かるくらいには明るい。僕は初めて今宵の月の明るさに気付いた。


 角を曲がった先の道は何度も小さなカーブを描きながらも、ある場所を指し示していた。駅から見えた黒々とした丘、その入り口だった。入り口と認識するだけあって、その場所から人が登れるように舗装されてあるのが、この夜の光のもとでも分かった。


 先ほどから薄々と感じてはいた。彼女の足取りが示す先はこの丘であるらしい事を。しかしその蓋然性は一向に見当たらず、今も見えてこない。木々の鬱蒼と生い茂るこの丘の中に、彼女の住まいがあるとでもいうのか。これから月見をすると言われた方がまだ説得力があるだろう。


 確かに未来は分からないものだと、僕は先程の自分の思考を改めて実感した。


  彼女の歩は丘の入り口に近づくにつれ速くなっていった、丘の前まで行くと、駆けていると形容できる程。僕も出来る限り急いでその後を追った。

 

 黒が近づく。

 

 夜が深くなる。

 

 木々のざわめきが、空気の匂いが消える。

 

 全身の感覚が薄くなる。

 

 その向こうに引きずりこまれる。

 

 視界は収縮する。

 

 世界は小さくなる。

 

 彼女はすぐそこにいる。

 

 そして。

 



 月に照らされる。

 

 月光が、彼女に輪郭を与える。

 

 満月の加護を受けた女神。


 彼女は突然身を翻して、

 

 

 

 僕を見て、微笑んだ。




               ***




  振り返ってみれば、今日という日は全て繋がっていたのかもしれない。時間的な意味ではなく、与えられた意義の面で。もちろんそれを、一点一点から予測することは叶わなかったのだろうが、事象は予兆であり、事象は結果であった。

 

 猫の死骸を見たのも、


 恋人同士の抱擁を見たのも、


 解体されるアパートを見たのも、


 美術展の告知を見たのも、


 些細なことの積み重ねが、今を生み出している。

 

 そんな気がする。


 休日の朝。母の用意した朝食を前にして、唐突な吐き気に襲われた。母は心配したが、 たいしたことは無いと言い切って飛び出すように家を出た。

 

 何にこだわっていたのだろう。家で休んでいればいいのに。しばらくの間、無意味にも、胸の奥が不規則に流動する感覚を引きずっていた。


 僕はつまらない映画を見た。つまらないと分かっていたなら見なかった。


 僕は昼食を安く済ませた。単純にお金を使いたくなかった。腹は減っていたけれど、どうしても体内にものを入れ込んでいる以上の感覚を持てなかった。


 それから本屋に行って。


 洋服を眺めて。


 並木街を歩いて。


 夜になった。


――帰ろう。


 用事は済んだ。やりたいことは終わらせた。だが何だろう。この空虚な感覚は。満たされない?何に。分からない。そもそも――そもそも僕は一人で街をぶらつくような性分じゃない。一人なら家にいればよかった。無理して外出する必要などない、家で怠惰に時間を喰い潰せば良かった。違う。そういう問題ではない。何にせよ自分の意思による行動だし、それに一つ一つの事柄に大きな不満は無かったはずだ。何なのだこれは。僕は何か大切なものを落としてしまっている。そんな焦燥感に囚われた。


 それでも、それでももしかしたら、僕だけじゃない多くの人間が突然こんな感覚に襲われた経験があるのかもしれない。だって、僕はそのまま帰ろうとした。電車に乗って、家に帰って、僕の匂いが染みついたベッドに身を預けるつもりだった。そうだったなら、今日という日は少し不満が残っただけの、何気ない休日で終わっていたはずなのだ。


 電車には彼女がいた。


 夜に彼女の姿を認めたのは初めての事だった。通学時のあの電車以外に、僕と彼女はまるで接続点が無かったのだという事を、改めて思い知った。


 休日だというのに彼女は変わらず制服を着ていた。乗客も多く、朝のように向かい合っていたわけでもない彼女を見つけたのは、その純白の衣装が清純なる異物として僕の視界に入り込んだからだった。僕は立って、彼女は座っていた。それなりに距離はあった。僕はこの時無性に彼女の姿に、顔に、体に惹かれて、どうしても視線をその方向に向けずにはいられなかった。電車が揺れ乗客が動くたび、他の乗客が彼女の姿を隠し、その度に僕は酷く歯がゆい気持ちになった。そしてそこからまた現れる彼女を認めて、僕は言い知れぬ安堵と、その反対に、熱い蒸気が凝縮して胸の真ん中に溜まっていくような、高揚感に似たものを感じた。


 最初の駅――街から離れるにしたがって人は減っていく。僕から彼女を隠す不純物も減っていく。途中で僕は座った。少しだけ彼女に近づいた。僕が降りる駅に着くときには、立っている人間はほとんどいなかった。長かった奇妙な時間、といっても十数分なのだが、とにかく僕には長いと感じたその時間に、僕は満足しなかった。まだ彼女を見ていたかった。何がそうさせるのだろう。今日の、今宵の、そこにいる彼女はあれとどう違っているのか。


 いや、違っているのは僕の方なのだろう。


 心の中でため息を吐き、僕は席を立とうとした。

 

 刹那。


 彼女が僕を見ている。


 時間が止まった。心臓の鼓動が止まった。その零秒の一瞬に僕は激しい劣等感と、羞恥心と、恐怖のような何かに苛まれた。視界の端に映った彼女の頭部は、明らかに僕の方向を向いていた。気付かれただろうか。ずっと見ていた事を。周囲に不自然に思われぬよう気を付けていたつもりだったが、十分以上も視線を当てられていれば無理のない事だ。僕はゆっくりと――今度は気付かれるのを承知で――彼女を見た。


 彼女は微笑んでいた。


 体温が、上がった。


 それは彼女が初めて示した表情であり、それは僕が知る限り何者も同列に並ぶことのできない、表現物だった。僕はどうしたってその笑みを形容することができないだろう。どんな感情を孕んで、どんな魅力があるのか、それはどうしたって分からないだろう。ただそれは僕の内の大きな塊を握りつぶした。


 しかし、視線はぶつからなかった。


 彼女は僕の方を見ていたが、僕を見てはいなかった。


 僕はその事実に大変な不可解さを感じるとともに、今日までの彼女の翳り――透明な水晶を鉛筆で描くときには黒が必要なように、純粋さと翳りは共にあった――をそこに見て取れた。彼女の連続性はそこにあった。そして奥行きと彩をもった彼女に、僕は囚われた。


 電車の扉は、気付けば開いていて、閉じていた。乗り過ごした。しかしそんなことはどうでもよくなっていった。僕は自分の中に沸き上がった感情と、それが示す先の行動に、少し驚いた。しかし抗えるはずがなかった。僕はそれ以上彼女を見る事はせずに、足元を見つめ手を握り締めて、彼女がこの列車を降りるまでの時を過ごした。


――ああ、熱に浮かされているな。




              ***



 彼女は丘の前で、再び微笑んでみせた。


 月光が彼女を照らしていた。


 電車の時とまるで同じ表情だった。ただ今回は僕の眼を見ていたかもしれなかった。僕は頭の中がぐらっと揺れて、混乱した。見ている。僕の方を見ている。何故君は微笑むのか。それは何の感情の、意思の表れなんだ。君は、どうして――


 夜の風に、彼女の髪はさらさらと舞った。酷く幽玄な光景だった。

 彼女は丘の方に体を戻すと、急に走り出した。ついてきてごらん、と言わんばかりの、楽しそうな、軽やかな動きだった。呆然としていた僕は少しの間を置いて、彼女の後ろを追いかけた。


 速い。あの華奢な体でどうしてそんなに走れるのか。丘といっても舗装されているので地面を走るのに支障はないが、それでも坂道だ。僕はついて行くのに必死だった。


 一歩一歩踏み出すごとに地面が音を立てる。夜の空気が肺を満たして、すぐに出ていく。その繰り返し。風が吹く。木々が揺れる。彼女は舗装された道を外れた。獣道。躊躇する間もなく僕も飛び込む。地面と足が僕をせかすように騒ぐ。ああ走りにくい――そう思った瞬間に躓く。四つん這いで立ち上がりすぐに走り出す。彼女はもう道の奥、いや道の終わりにいる。まずい、見失う。ようやく僕が獣道を抜けた時には、彼女の姿は見当たらなくなっていった。


 荒い呼吸のまま、辺りを見渡す。外から丘を見たときの鬱蒼とした雰囲気に反して、この辺りは背後の林を除けば開けた場所だった。左手は丘の下りにあたるようで、右手と前方は途中から景色が切れて空に繋がっていた。ここは頂上なのかもしれない。この辺りに人の手が加わっていたのか否か分からないが、先は木が少なく岩ばかりだった。白い岩肌は月の光を反射して、どこか神秘的な空気を生み出していた。


――動く影。


 彼女。


 ゆっくりと。緩慢な動作で、ずっと先の岩を登っていく。僕は走った。ひたすら真っ直ぐに。時間は流れていなかった。走り続けた。気が付くと追いついていた。彼女はひときわ高い岩に登った。僕はそれを下から見上げる形になった。その岩は、この丘の頂上に違いなかった。視線を下ろした遥か先は地上だったのだ。そしてつまり、この場所は崖だった。


 彼女は身体をこちらに向けた。


 ゆるやかな風が吹いた。


 僕の全ての神経は、彼女を知覚するために働いていた。


 月と重なる目の前の少女。月光が、その皮膚を貫いてここまで届いてきそうだ。風に乗せられた仄かな香り。僕を包む。揺れる。黒髪。綺麗だ。月下の岩と彼女。目が眩む程の白。狂おしい程に繊細なバランスを保った、顔。――どうしていつも俯いていたのか。


 今、無表情なその顔の、


 その眼の、


 硝子細工の瞳は、


 真っ直ぐに、僕を見ていた。間違いなく僕を見ていた。その瞳の奥に映るものを見ようとして、僕は身を乗り出した。岩を登ろうとした。彼女に近づこうとした。


「それは――」


 初めて、彼女は口を開いた。


 透き通る、月の声だった。


「――駄目なの」


 そして彼女はまた、


 微笑むのだった。

 


――ああ、どうして。


 彼女はその笑みを浮かべたまま、


――何故また微笑む。


 ゆっくりと力をなくし、


 後方に倒れていく。


 黒髪が揺れる。


 柔らかくスカートが舞う。


 全ては緩慢に、


 しかし時は流れて。


 満月の下の少女は


 祭壇の上の彼女は


 この上なく


 綺麗だった


 



 ほんの数秒の出来事だった。


 僕は何が起こったのか、その結果彼女が、しばらく理解できずに、呆然と立ち尽くしていた。僕は理性から離れた興奮と共に彼女が立っていた岩を這い上って、この岩――この丘の頂上から、彼女が消えた向こう側を覗いた――崖。奈落の底のような、遠く離れた地面。


――ああああああああああああ……


 あれは、あれは骨。骨と骨と骨と骨と骨と骨と……

 



               ***



 

 頬にひんやりと硬い感触。


 気が付くとあの岩に横たわっていた。


 夢を見ていた気がした。


 どこからが夢なのか。この場、この岩の地にいるということは、ここまでは現実なのだろうか。そこからは夢なのだろうか。


 心地よく感じていた風は、もう冷たかった。


 僕は岩の向こうを、崖の下を――恐らく再び――覗いた。


 暗くて、何も見えなかった。

 



「何をしているのですか」


 はっとして、顔をあげた。


 夢と同じ声がした。一度しか聞いたことのない、でも泣きたくなるほど澄んだ響き。遮蔽物の無いこの場所で、その声は真っ直ぐに僕の心を震わせた。


 目の前に、白を纏った少女。


――良かった。


 目尻が熱くなるのを感じた。


――また会えた。


 少女は僕の態度に怪訝そうな反応を示して、それからまた言った。


「どうしたましたか、そんなところで」


 少し離れた場所にいた彼女は、ゆっくりと近づいてきた。


「あなたの事、毎日見かけます」


「覚えてくれてたんだ、僕のこと」


「もちろん。いつも私をずっと見ている……」


 思いがけない言葉に胸の奥の方から、熱がせり上がってくるようだった。しかし彼女はと言えば、その言葉に特段深い意味は無いらしく、ただ優しい笑みを浮かべているだけだった。そしてそれは、理解できる表情だった。僕は初めて彼女に本当の意味で近付くことができた、そう感じた。


「君こそ、どうしてこんなところに」


 少女は僕の言葉に立ち止まった。黄玉の瞳の奥は、もう覗ける気がした。


「この辺りに住んでいるのです……あなた、夜も深いことですし、今から帰るのも大変でしょうから、もし良ければ私のところにでも」


 彼女の申し出は心を躍らせた。やましい気持ちではなくて、単純に彼女を知る機会を彼女から与えてくれたことが僕にはたまらなく嬉しかったのだ。


「迷惑じゃないのなら、お願いします」


 彼女は僕の手前の岩に腰かけて、了承するようにこっくりと頷いた。

 



――奈落の奥底。骸の山。



 強い風が吹いた。





                  


                   「骸を積み上げるのは、生贄自身なのだ」




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