midnight

月夜丸

ミッドナイト

その店の名前は



 「midnight」



その男の名前も



 「ミッドナイト」




細長い神社の参道のちょうど真ん中辺りにある鳥居をくぐると、右側に見えてきた路地のとば口でGooglemapのチャイムが鳴った。



真鍮の表札には『midnight 』 



ほとんどの外観を蔓草に覆われた建物の、辛うじて免れてる扉を手前に開くと、薄暗い部屋の奥にミッドナイトはくわえ煙草で椅子に鎮座していた。



白の塗料で顔いっぱいに骸骨のペイントを施し、右手にはハンドルの部分に燻し銀で蛇の装飾を施した杖を握っている。



足を組んで、一緒に入り込んできた太陽の光にペイントの奥に潜んでいる眼を眩しそうに細めていた。



「す、すいません…え、え、霊媒師の『ティマイオスの娘』さんから紹介してもらってきました…坂元です…」



ミッドナイトが目の前にあるパイプ椅子に顎を小さく動かして坂元を促す。



扉が閉まると薄暗いその部屋の中は、壁と床の繋ぎ目が分からなくなり、坂元は急に違う世界に引き込まれたように錯覚して落ち着きを失う。



煙草の煙がもうもうと立ち込めるなかで、次第に上下感覚と並行感覚が麻痺しだし、まるで歪んだ時空の中を漂っているかのようで三半規管が脳幹を刺激して足元がふらつく。



そしてなにより胸をムカムカさせるその煙草の臭いに坂元の不安は煽られた。



坂元がパイプ椅子を引き寄せると、震える手のせいで床をカタカタと鳴らした。




「で、俺にどんな助言をしろと?」



ミッドナイトはそう言って、胸ポケットから煙草を取り出して火を付けた。



 日本語だ…人間だ、この世の人だ…でも黒人さん?外国の方かなぁ…



坂元は杖を握るミッドナイトの手と、はだけた藍色のドレスシャツの胸元から覗かせる肌の色を見て思った。



部屋の暗さに徐々に目が慣れてきた坂元は、ミッドナイトの様子を注意深く観察し始めた。



 わかばだ!死んだ爺ちゃんが吸ってたのと同じ煙草だ…



「おい!人の話し聞いているのか?」



「はっ、す、すいません、じ、実はですね、横浜ベイブリッジから飛び降りるのと、首都高速6号川崎線の上から飛び降りるの、どっちにしょうか迷っていまして…」



「飛び降りる?なんで飛び降りるんだ」



「自殺するんです…僕」



「うそぉ~そうなん」



 か、関西弁?なんだ今のイントネーション?



坂元の驚いた顔に気付いたミッドナイトは、面倒くさそうに一つ咳払いして



「なんでその二択なんだ」



「はぁ…え~とですね、海の上に落ちるのとアスファルトの上に落ちる違いです、ベイブリッジなら飛び降りても死体が見つからないと思うんですよ多分、海だからそんなに迷惑もかからないと思うし、でも川崎線から飛び降りると下が産業道路で人とか車にぶつかるリスクがあるじゃないですか…あと死んだ時の絵図らも悪いじゃないですか…きっと血とかいっぱい飛び散って、脳味噌とかも…」



「じゃぁベイブリッジでいいだろ、人に迷惑かけたくないんだろ…それにだいたい死ぬんだから絵図らなんかどうでもいいじゃねか」



「そうなんです、誰にも迷惑をかけずにひっそりと…いつの間にか死にたいんです、だから迷ってるんです…」



「だから何を迷ってるんだよ、」



ミッドナイトが声を荒ぶらせる



「思い出です…ベイブリッジの上から飛び降りるのが一番なのは百も承知なんです…でもいい想い出にが有るんです、首都高速神奈川6号川崎線に…だからその想い出に浸りながら死ねたら…」



「高速道路に思い出?」



「はい…昔、彼女と川崎線の非常駐車帯に車止めてよく…」



「もしかしてカーセックスしたんか?ぎゃはぁはぁはぁはぁぁぁ」



 ど、ど、どうして?な、なにを突然言い出すんだ…人が死ぬか生きるかの状況なのに…



ミッドナイトはそう言って、腹を抱えて杖で床を叩きながら笑いが止まらない。



「違います!してません!」



 な、なんて下品に笑うんだ…この人



「そこから羽田空港がよく見えるんですよ、飛行機の離発着を見ながら…」



「カーセックスしたんやろ?ぎゃはぁはぁはぁはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」



今度は首を上下にふりながら爆笑して、椅子から転げ落ちる寸前だ。



 な、なんなんだよこの人



「あ~可笑しい、死んだんか彼女?それで自殺か?」



「し、死んでませんよ!なんて事言うんですか!どこかで…きっと、多分…幸せに暮らしてる…はずです…」



「ふられたん?それで自殺か?情けなぁ」



 この人イカレてる…完全に僕の事を馬鹿にしている…あの恵比寿の霊媒師、ここに来ればミッドナイトが全てを解決してくれるはずだなんて…



「女にふられた位で自殺って、みっともなくねぇか?」



「だからそれも違いますって、彼女の事とは一切関係ありませんって!」



「じゃぁ、なんだよ原因は、それをとっとと言わんかボケ!コラァ!」



 あぁ…あぁ…あぁ…今度は逆ギレだ…へんな関西弁といい、顔に書いた骸骨のペイントといい一体全体どうゆうキャラ設定なんだ…



「は、罪を犯してしまいました…自分はしてはいけない事をしてしまいました…」



「なんや、人でも殺したんかぁ?」



ミッドナイトがつまらなそうに坂元を一瞥して、二本目のわかばに火を付ける。



「横領です…会社の金を…業務上横領してしまいました…」



「ほぉ~金使い込んだんか兄チャン?やるのぉ~ギャンブル?いや、そのタイプじゃねなぁ…女か?やっぱ女だろ?キャバクラか?」



「な、なんで分かるんですか?」



「なんでも御見通しや、わしが何年この仕事やってると思ってる?いくらや?そんでいくらちょろまかしたんや?」



ミッドナイトが興味無さそうに続けて聞く。



「1千9百万円です…」



「はぁ?そんだけ?1億9千万円じゃなくて?」



「そうです、1千9百万円…約10年間で…なんて事をしてしまったんだ僕は…もう取り返しがつきませんよ…」



坂元はそう言って、一度天井を仰いでからうなだれた。



「でもな兄チャン、きょうび1千9百万円じゃ車も買えんで、ホンダの新しいスーパーカー何んて言うたあれ?2千万円以上するやつ、Nなんとか…NPOだ!」



「違いますNSXです…」



「じゃかぁしいんじゃボケ!車の名前なんてどうでもいいんじゃ!ベイブリッジから突き落としたろかぁ!」



 ど、ど、どうして?どうしてこんなに切れられなきゃいけなの…



「す、すいません、気に障ったら謝ります…すいません…」



ミッドナイトはへそを曲げてそっぽを向くと、吸いかけのわかばを力いっぱい壁に叩きつけた。



「兄ちゃんなぁ、犯罪を犯したら償うの、人間としてこの世に生を授かった以上あかんのよ、死んで罪を償おうとかは…裁かれて刑務所行くの、分かった?分かったらもう帰んな…」



「行けないです…まだそこまで…」



「なんでや?裁判まだか?」



「違うんです、まだバレてないです…会社にも…誰にも…横領が」



「はぁ?な、なんや?…どうゆう意味や?」



ミッドナイトが塞ぎ込んでいる坂元の目を覗き込む。



「M&Aで来週会社に会計監査がはいるんです…」



「HISで来週社員旅行に行くんかぁ?景気がええのぉ」



 やっぱり馬鹿にしている…何故かアルファベットがめちゃくちゃだ…



「違いますTOBで…じゃなくて…ようは株式買収で経営統合されるんですうちの会社が、それで向こうの会社の会計士が来て…今までの帳簿を全てひっくり返して…僕の10年間の不正が…」



「でもまだバレてないと」



「間違いなくバレます!もう僕は終わりです…あぁぁなんて事したんだ」



「だから誰にもバレないうちに飛び降りか?人の金使うだけ使って、ほなさいならかぁ?虫のいい話やのう」



坂元が目に涙を溜めて口元を震わせる。



「死に場所なんかどうでもええ、死んで全部チャラになる思うたら大間違えやで!兄ちゃんのちょろまかした金でどんだけの人が迷惑してる?会社はどうなる?」



「すいません…うっ、うっ、うっ…」



とうとう声をあげて泣き始めた出した坂元にミッドナイトが続けた。



「さて、どないするかのぉ…うぅ~ん…兄チャン?後悔してるんかい?」



坂元が小さく頷く。



「んん~もう一度ちゃんとして出直す気あるんか?」



「はぁ…はい、やり直したいです、本当にやり直したい…」



「体力も勇気もいるでぇ~プライドなんかも捨てなぁあかんしのう、大丈夫か?」



ミッドナイトに涙と鼻水でぐずぐずになった顔を向けて坂元は必死に頷いた。



「よっしゃぁ仕方ない、ほな助言したるかぁ」



ミッドナイトはおもむろに立ち上がると、右手で持っていた杖の先で床を二回叩いて天を仰いだ。



坂元は薄暗い部屋の中が急に狭く感じた。



すると今度は杖を高く突き上げクルクルと器用に回し始めた。



「うぅぅぅ~ん、そやなぁぁ…うんそやなぁぁ、うぅ~んそやなぁ…まぁええかぁぁぁぁぁぁ…」



ミッドナイトはそう呟いて、持っていた杖を左手に持ち替え、手のひら見えるように右手を坂元の目の前に差し出した。



「ヨッシャ!二万円、二万円でええよ今日は特別サービスしたるわ」



坂元はキツネにつままれた様にポカンと口をあけてミッドナイトを見上げる。



「はぁ?…に、二万円って?」



「どアホ!この世にただの物なんてあるかぁ!助言料や!」



「あぁそうか…そ、そうですよね」



そそくさと財布を取り出して二万円を払う坂元。



ミッドナイトはその二万円を律儀に自分の財布にしまうと、代わりに一枚の名刺を取り出して坂元に渡した。



「アディーオス法律事務所…?」



「そこに、ショートカットのえらいどブスの真紀ちゃんちゅう子がおるから、わしの話しが終わったらそこに行くんや」



「はぁ…」



気の無い返事で答える坂元。



「まず、親、親戚、兄弟を回って今の事情を話して金を借りるんや、車なんかの自分の資産があれば全部現金にしろ…そうや!横領しても退職金は会社が支払う義務があるから、それも回せばええ。」



「車は持っていませんし、いまさら親に話しても…どうするんですか?」



「返すんや、だから10万でも20万でもええ、とにかく集めるんじゃ」



「か、か、返すんですか?1千9百万円をですか?いまさら…ですか…返せないからミッドナイトさんに…」



急に部屋の中の空気が張りつめ、ミッドナイトの雰囲気がこれまでとはがらりと変わった。



坂元がそれに気が付いて直ぐに押し黙る。



「兄チャンなぁ…目に見えない物に頼りたくてここまで来たのは良くわかる、藁にもすがる思いでな、みんなそうやここに来る連中は、わしにそんな力を期待して…でもわしはあくまでも助言者や、人生や仕事の悩み事を聞いて精神的なサポートしたり指導したり、予言者とか霊能者の類じゃのうて、向こうの言葉で言えばメンターや」



「メンター…?」



「そう、特殊な力なんか一つもない、ただの普通のオッサンや」



「えぇぇぇ、じゃぁ、そのメイクとか…杖とかは…」



「コスプレや全て洗いざらい話を聞き出すためのな、みんなこの格好の方がちゃんと話してくれるんや、兄チャンもそやったろ。一から十まで話を聞いて、最良のアドバイスするのがメンターの仕事や」



坂元は納得したのかしないのか、口を開けたまま何度か小さく頷いた。



「なぁ兄チャン、恵比寿の霊媒氏がわしを紹介したのは、今一度冷静になって己と向き合うためや、この世の中は目に見えるものが全てなんや、目に見えない力が存在せんとは言わん…しかしな現実の世界に生きるわしらは、それを受け止めて立ち向かって歩んで行く生き物なんや、今の自分の現状がどうであれ、それが人間ちゅう生き物なんや…もしかして死んで償う選択もあるのかもしれん、でも残された周りの誰かが…必ずその罪を償わなければいけない事を忘れたらあかんよ」



ミッドナイトの言葉が坂元の心の奥底に突き刺さり、溢れだしてきた涙がぽろぽろと頬を伝って流れ出す。



それをシャツの袖で一生懸命拭いながら、坂元は深く頷いた。



「とにかくや、兄チャンの今出来る限り精一杯の金集めたら、真紀ちゃんと返済計画書を作るんじゃ、それを持って会社に二人で行くか真紀ちゃん一人で行くかはわからんけど、会計監査が入る前にこっちから業務上横領の事実を告白して先手を打つ…それで7割、いや兄チャンの場合9割の確率で刑事告訴されんはずや」



「ほ、ほ、本当ですか?」



「そうや、ましてTOBによるM&Aとなれば、買収する側もされる側も、なんで今の今まで兄チャンの不正に気が付かなかったって事になる、間違い無くお互いの会社の調査不足で、怠慢を露呈するはめになる。面目丸潰れや。刑事告訴してこの事が明るみに出れば、これからちゅう時に会社は大打撃や。横領は犯罪率が高いわりになかなか表沙汰なりにくい特徴があるんや、何故なら会社の信用を大きく失墜させて、挙句に帳簿の一部を公にせなあかん。そうなるとその会社の台所事情も見え隠れしてきて、わざわざ世間様に恥をさらすようなもんなんじゃ、だから弁済金を割り出して示談になるケースがほとんどなんや。」



「そうなんですか…」



少しほっとした様に顔を緩ませた坂元を見て、ミッドナイトは声を強くして続けた。



「でも罪は罪じゃ、もし刑事告訴されたらまぁまぁの確率で実刑や。兄チャンの場合やった年数も長いし金額もそこそこやから。示談が成立しても返済が滞れば直ぐに告訴やし、たとえ自己破産したところで、返済義務は免除にならんのや横領は。だから一日でも早く返せるように働く他ないんや、いけるか?兄チャン。」



坂元は白い骸骨が汗で所々禿げ始めてきたミッドナイトの顔をしばらく見つめから深く頷いた。



もう涙は零れていなかった。



「はい、必ず返します。」



「おっ、よう言うたな、無事に示談成立してもろうたら、焦らずコツコツ返せばええ。わしもあんまり偉そうなことは言えんけど、まずは誠意示すことや。迷惑を掛けた相手に、心の底から頭を下げる。そこからや、それが人の道や。」



「…恥ずかしです…私利私欲の為に長年世話になった会社を簡単に裏切って、そのあげくに死んで全てチャラにして逃げようとした自分が…そしてあなたに会えば何とかしてくれると思っていた自分のあまさが…必ず償います。」



「若い頃のちょっとしたボタンの掛け違いは確かに誰にでもある。でも犯罪となると話は別や、だから今回の事はちゃんと己に知らしめなぁあかんよ、人生これからやしな。夢は?夢とか無いんかい?」



「夢ですか…夢かぁ…さっきまで死ぬ事しか頭に無かったんで…」



「そりゃそうや、ぎゃはぁはぁはぁはぁはぁぁぁぁぁぁ」



坂元はミッドナイトの下品でえげつない笑い声が可笑しくて、思わず吹き出してしまった。



「そうだ!夢あります一つ」  



「おお、ええぞなんや!」



「自分が死ぬと決めた時、一度でいいから海外旅行に行きたかなぁってハワイに。だから全部返したら行ってみたいですハワイ。」



「ハワイはええぞぅ~海も山も綺麗だし、とくにお姉ちゃんが最高やでぇ」



「もしかしてミッドナイトさんはハワイ出身なんですか?」



「だ、だ、誰がアメリカ人や!生まれも育ちも大阪の岸和田じゃボケ!シバキ倒して首都高放り込んだろかぁ!」



「す、す、すいません…」


     

               おしまい

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midnight 月夜丸 @mustangsally11

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