壊して懐いて
藤田大腸
秋の異変
プロローグ
油圧ショベルに乗っているのはポニーテールの髪型をした若い女性。ヘルメットに作業着という出で立ちがさまになっている彼女の名前は
力仕事では男性には叶わないものの、重機の操作となれば話は違う。操作テクニックはベテランのそれと遜色なく、手足を動かすのと同じ感覚で二本の操作レバーを巧みに操り建物を崩していく。
物をぶち壊していくのはみさきにとって気持ちのいいものであり、仕事のやりがいの一つだ。
男性だらけの解体工の世界に飛び込み汗水たらして働いているみさきだが、恋愛に関してはほとんどと言っていいほど縁がなかった。しかしそんな彼女にもこの前、ついに春が来た。
「みさきさーん!」
夕方になると決まって現場に姿を現す女子高生がいる。県内でお嬢様学校として知られている、
八月にみさきが行きつけの中華料理店「
みさきは当初同性相手に惚れたことに戸惑いはあったが、「好きになった相手がたまたま女性だっただけ」と受け入れられるようになった。玲於奈も元々同性に惚れられるタイプだったのでそれ程抵抗感はなかった。ちなみに告白したのは玲於奈の方からである。ボーイッシュで活発そうな見た目と違い繊細な性格をしているが、みさきに会ってからは少しずつ変わりつつあるらしい。
みさきは玲於奈の姿を認めると、エンジンを切って外に出た。
「よ、お帰り!」
「今日もお仕事お疲れ様です」
登校時に顔を合わせて一日を迎える活力を養い、下校時にも顔を合わせて一日を過ごした疲れを癒やす。今の現場が聖泉女学院の最寄り駅でもあるので毎朝毎夕、このような甘いひとときを過ごすことができる。もっともテナントが解体されてしまえばそれで終わってしまうのだが、だからこそこのひとときを二人とも大切にしていた。
「今日、家庭科の調理実習があってクッキーを焼いてきたんですよ。ぜひ食べてください」
「おー、いっぱい作ってきたんだな!」
丸型星型ハート型、さまざまな形のクッキーが袋にこれでもかと詰められている。
「早速頂こうかな、と言いたいところだけど、今あいにく手が汚れてんだ。食べさせてくんないかな?」
「ふふっ、わかりました」
玲於奈は袋を開けてハート型のクッキーを取り出す。
「はい、あーんしてください」
「あーん」
みさきがぱくっ、と咥えた。咀嚼すると何とも言えない甘味が口内に広がっていく。
「めっちゃ甘い! ああ、たまんねえ~」
「出た、おじさま臭いセリフが」
みさきが「ああ、たまんねえ~」と漏らすのは好きな餃子と一緒にビールを飲んだ時である。玲於奈手作りのクッキーにはそれ程までにみさきの心を酔わせる効果があるようだ。
「これでも甘さ控えめにしたつもりなんですけどね」
「じゃあ、愛情で甘くなったのかな?」
玲於奈の顔がみるみると赤くなっていく。実にわかりやすい反応だ。
「まあ、普段から塩辛いもんばっか食ってるから甘味が新鮮に感じられたせいかもしんない」
「ほどほどにしないと高血圧になっちゃいますよ?」
「あんたも食べ過ぎないようにね」
何しろ玲於奈は「夜来香」名物総重量四キロのテラチャーハンを二度平らげたぐらいの大食いである。店では伝説扱いされていて今では全店員に顔と名前を覚えられている程だ。
駅近くの踏切からカンカンと警告音が鳴り響いている。もうすぐ電車が来るようだ。
「じゃ、今日はこの辺で失礼します」
「おう、気をつけて帰るんだぞ」
いつもの挨拶を終えて、玲於奈は駅へと駆け出していった。
さあもうひと仕事、と現場に戻ろうとしたら職長がニヤニヤしながら立っていた。
「今日の『終礼』は見ている方もなかなか甘かったぜ。女房と付き合いはじめた頃を思い出しちまった……」
酒に酔っている時以外ではじめて見せた職長の赤ら顔に、みさきはちょっと引いた。
「あのー、あたしら見世物じゃないんすよ?」
「じゃあやめりゃいいじゃねえか」
「いやです。『朝終礼』やらないと元気出ませんから!」
「うわははは! 正直でいいな!」
二人が恋仲というのは職長には知られている。毎朝毎夕、玲於奈が挨拶に来て話をする様子を職長は「朝終礼」とからかった。とは言うものの、同性どうしの恋人づきあいがまだおおっぴらにできない世間の中で、数少ない理解者の一人であった。
何だかんだで、今のみさきは玲於奈のおかげで全てが充実している。次の日曜日にはいよいよ初めて「夜来香」以外の場所でのデートが待っている。まだ月曜日も終わっていないが、気持ちは早くも六日後先に飛んでしまっていた。
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