第4話 再会

 城前公園に所狭しと並べられた屋台にはどこも人だかりができている。さまざまな食べ物の匂いと、立ち上る湯気と煙が来客者の食欲をこれでもかと刺激している。

 みさき達は屋台で買ってから適当に空いている場所に移動して食べて、また屋台に戻って買ってきては食べてを繰り返していた。もう何往復したかわからないが、食欲は止まることを知らない。

 玲於奈は県が世界に誇るブランド牛のステーキと、県中部で捕獲したシカとイノシシの肉のステーキを同時に味わっていた。


「味は牛に比べたらシカやイノシシの方は癖がありますけど、思ったほどじゃないですね。美味しいです」

「ビールに合うかな?」


 みさきは餃子をつまみながら地ビールを飲んでいた。


「ここでも餃子にビールですか」


 玲於奈は少し呆れ気味な口調だったが、みさきは笑って受け流す。


「ちょうど県外ゲスト出店で浜松餃子が出てたんだ、食べてみるか?」

「はい、では遠慮なく」

「その代わりイノシシ肉一個ちょうだい」

「いいですよ」

「じゃあトレード成立ってことで。はいじゃあ、口開けろー」


 みさきが餃子一切れを割り箸でつまんで差し出す。


「え、こんなところで……」

「誰も食うのに夢中で見てやしないって、ほれ」


 玲於奈は躊躇するそぶりをみせたが、左右を見回してからぱくっと口の中に入れた。


「玉ねぎとキャベツが入っててあっさりしてますね」


 と、顔を赤らめながらも玲於奈はきちんと味わって飲み込んでから感想を伝える。


「あたしはこってりした方が好きだけどたまにはあっさりもいいな。じゃあ次、玲於奈の番ね」


 玲於奈は串にささっているイノシシ肉を割り箸で引っこ抜き、みさきの口元に持っていくとエサを待っていたツバメのヒナのように元気よく食らいついてきた。


「ん~、確かにクセがあるけどあたしは好きだな、この味」


 と言いながらビールを煽る。「ああ、たまんねえ~」とため息を漏らすと、玲於奈はクスクスと笑った。


「玲於奈、口元が汚れてる」

「あっ……」


 みさきがポケットティッシュを取り出して玲於奈の口元を拭い取ると、たちまち顔の赤みがさらに熟れたトマトのようになる。


「み、みさきさんだって汚れてますよ!」


 お返しとばかりに玲於奈も自分のティッシュでみさきの口元をゴシゴシと拭いた。それから二人で笑い合うのだった。

 この状況を全く笑えない人物が一名、すぐ側のベンチに座っていることを知らずに。




「こ~い~つ~~、本当に私のホームタウンで好き勝手してくれますわねえ~……」


 パンフレットで顔を隠しながら一部始終を覗き見ていた瑞貴の顔つきはまるで夜叉である。玲於奈もひとくくりにしてまで「こいつら」と呼ぶ程に怒りと嫉妬で狂いそうになっていた。

 以前の彼女であればこの時点で迷いなくみさきに詰め寄っていたのだが、かつて玲於奈に声をかけた下級生を締め上げたことで激しい怒りを買ったことがある。二度とあのような過ちを犯したくはないので、武道の稽古に望む前のように深呼吸して心を落ち着かせる。

 頭も冷えたところで、嫉妬と怒りは闘志へと変わった。


「ならば私も学校でご飯を食べさせたりお口を拭いたりしてイチャイチャしてやりますわ!」


 正々堂々とみさきと張り合って、玲於奈の心をぐっと掴んでみせる。そう決意した。

 みさき達は公園のトイレ横に設けられたゴミ捨て場に向かっている。彼女たちの後をこっそりつけるついでに自分の手持ちのゴミも捨てようとした瑞貴だったが、そこでは異様なやり取りが繰り広げられていた。




「おい姉ちゃんよお、この後俺らとどっかに遊びに行こうぜ」


 いかにも「ワル」といった感じの男三人組が、トイレ裏で眼鏡をかけた女性に絡んでいる。全員酔っ払っているらしく、息が酒臭い。彼女は思わず顔を背けた。


「や、やめて……」

「あーいいねえその表情、そそるわー」

「いやっ……」


 恐怖のあまり、眼鏡の女性は声が出せない。人が多数いるにも関わらず、トイレ裏は死角になって誰からも気付かれない。このまま植え込みの間から公園外に連れ出すこともできる。せめて声を出すことができれば。

 強い風が吹いて、男たちの足にどこからか飛ばされてきたパンフレットが絡みつく。それは女性にとって救いの神風であった。


「な、俺らの言うことを素直に聞いてででででッ!!」


 男の手がポニーテールの女性によってねじり上げられていた。

 彼女の顔を見て、眼鏡の女性の目は大きく見開く。


 ――みさちゃん!?


 見間違えようがなかった。髪型は違っていても、凛々しい顔立ちはあの時と全く変わっていない。まさか、こんな形で再会するなんて。




 うっかりして風で飛ばされてしまったパンフレットを回収しようとしたらこの狼藉ぶりである。義侠心に火が着いたみさきは男が相手だろうが迷わず立ち向かった。


「おい、相手が嫌がってんのがわかんねえのか?」

「何だァ? この女。まとめて可愛がってやらあぎゃあああ!?」


 男の一人が飛びかかろうとしたが、唐突に急所に恐ろしい程の痛みが走り、うずくまった。玲於奈が後ろから急所を蹴り飛ばしていたのである。


「おお、やるなあ」

「すごい、本当に一撃だ……」

「こっ、このガキャあばッ!?」


 もう一人が玲於奈に殴りかかろうとしたが、みぞおちに衝撃を受けてくの字に折れ曲がる形で吹き飛ばされた。異常を察して様子を見に行った瑞貴が玲於奈の危機に、ここぞとばかりに男の前に飛び込んで掌底を打ち込んだのである。


「さーて、あんたはどう料理してやろうかねえ」

「ひいっ!!」


 腕をねじり上げられていた男は強引に振りほどくと、うずくまる二人を見捨てて遁走した。


「死ね、バーカ」


 みさきは背中に向かって中指を立てた。


「あれ、瑞貴さんも来てたんだ?」

「あ、あら、ごきげんようレオ様に桑野さん。まさかこんな形でお二人とお会いするとは思いませんでしたわ、オホホホ」

「あまりこういった場所に足を運ばないと思ってた」

「実は実家の会社がイベントの警備を請け負っていまして、ちょっと仕事ぶりをお忍びで視察していましたのよ」


 瑞貴はわざとらしく取り繕ったが、実際の警備は全く別の地元企業が担当している。しかし二人はそのことはつゆ知らずであり、ウソの説明に納得した。

 さて、助けられた眼鏡の女性はというと目を潤ませてみさきの方を見つめている。


「あら? このお方は確か開場前に私の隣で……」


 女性が口を開いた。


「み、みさちゃん……」

「"みさちゃん"!?」


 玲於奈と瑞貴は驚愕した。

 みさきは体を震わせている。


「夕子、やっぱり夕子だ!」

「みさちゃあん!」


 夕子、と呼ばれた女性は眼鏡を外して、みさきの胸に飛び込んでいった。子供のように泣きじゃくった。


「おーよしよし、怖かっただろ。もう大丈夫だ」

「……」


 みさきは玲於奈と瑞貴が置いてけぼりになっているのに気づき、申し訳なさそうに夕子の体を離した。夕子がパーカーに涙のシミをつけてしまったことに謝ってきたが、「気にするな」と笑った。


「お二人も助けてくださってありがとうございました。お礼にデザートでもごちそうしたいのですが」

「だってさ。どうする?」

「そこまで気を使って頂かなくても」

「人として当然のことをしたまでですわ」

「いえ、是非お礼をさせてください。近くに良い店を知っていますから」


 二人はそこまで言われたら、と了承した。メニューはあらかた食べ尽くしたので満足しているが、甘いものだともう少し胃袋に入る気がしていた。

 夕子が案内したのは大通りから脇に入ったところにある商店街にポツンとある「ボストーク」という喫茶店であった。昔ながらのレトロな作りの店だが、それが返って高級感を漂わせている。

 四人がけのテーブルにみさきは夕子と、玲於奈は瑞貴と隣り合って座った。


「成り行きでお邪魔して申し訳ないですわね」


 と瑞貴は頭を下げたが、心の中では玲於奈の隣に座れたこと、結果としてみさきと二人きりの状況を阻止したことに大満足していた。


「いやいやとんでもない。瑞貴さんのおかげで暴漢を倒すことができたんだから。瑞貴さんから教わったことが役に立ったよ」

「まあ……」


 瑞貴は頬を手で抑えて至福に満ちた照れ笑いを浮かべた。玲於奈に面と向かって褒められたのはこれが初めてである。


「えーと富丸さんだっけ。これであたしと会うの三回目だね」

「そうですわね」


 瑞貴は態度を百八十度変えてぶっきらぼうに答えた。


「あんたは武道やってるって聞いたけど、玲於奈に金玉潰しなんか教えてんの?」

「くっ、桑野さん! はしたないですわ! せめて金的とおっしゃい!」

「桑野?」


 夕子が首をかしげた。


「『頓宮とんぐう』じゃなくなったの?」

「あ、ああ。ちょっといろいろあって苗字が変わったんだ」


 それを聞いた瑞貴が玲於奈に「知ってた?」と言いたげに目配せしてきたが、首を横に振った。養子ということはみさきの勤め先の職長から聞かされていたが、本人の口からは前の苗字が何だったかといった詳しいことは一切語られたことがないのだ。


「まさか、結婚したんじゃないよね?」


 夕子が急に泣きそうな顔になる。


「違うよ。ま、複雑な事情があってね。私が結婚したら何か不都合でも?」

「いや、私、結婚願望があるからみさちゃんに負けたくないなと思って……」

「あはは、そうか。でも夕子ならすぐいい相手が見つかると思うけど」

「あの、そもそもお二人はどういった関係なんです?」


 と、玲於奈が恐る恐る口を挟んだ。


「あ、ごめんなさいまだちゃんと自己紹介してませんでしたね。私は町田夕子といいます。みさちゃん……桑野さんとは小学校時代の同級生でした。五年生の夏休みの時に東京へ転校してから離れ離れになってしまいましたけど、今日こうして再会できたというわけです」

「別れの一言も言わず急に転校して、クラスメートのみんなびっくりしてたんだぞ」

「あの時はごめんなさい。お父さんの転勤が急に決まったから」

「で、今はこっちに戻ってきてるんだ? 実は木曜日、東西バイパスのサービスエリアで夕子らしき人を見かけたんだけど、あれは夕子だったの?」

「あ、もうその時に見られてたんだ……」

「やっぱ本人か。タバコ吸うイメージが無かったんだけどな」

「大学時代に覚えちゃった。あんまり吸わないようにと心がけてるんだけど」


 夕子は苦笑した。どちらかと言えばみさきの方が喫煙者のような印象を与えるが、彼女はタバコを一切口にしたことがない。


「今は何の仕事してんの?」

「一応、厚生労働省の官僚やってる」

「官僚!?」


 一斉に驚きの声が上がった。


「あ、じゃああの時の車、夕子が乗ってたんだ……厚生労働省のステッカーが貼ってた車が停まってて、私と自家用車と同じ車種だったから覚えてる」

「うん、公用車で県内の労働基準監督署へ行き来することが多いから。といっても新人だから、まだまだお使い程度だけど」


 店員が注文を聞きに来たので、みさき達はパフェ四人分を頼んだ。その間夕子は転校してから今までの経緯を話した。

 東京に転校した後に中高一貫の女子校に通い、国立の女子大学に進学して昨年に国家公務員総合職試験に合格し、厚生労働省に入省した。まず地方で経験を積ませる、ということで県の労働局に配属されたのだが、配属先がたまたま故郷の県で思わぬ里帰りとなったわけである。


「それでも二、三年ぐらいしたら霞が関に戻るけどね」

「そうか。頑張ってブラック企業をぶっ潰して、賃金も上がるようにしてくれよ。この子らのためにも」


 みさきは二人を手で指し示した。


「お二人は高校生ですか?」

「あ、はい。申し遅れましたが、私は最相玲於奈といいます。聖泉女学院高等部の二年生です」

「私は富丸瑞貴、同じく二年生です」

「聖泉! 私も転校してなかったら行きたかったな~……お二人とはどういう繋がりなの?」


 みさきは一瞬どう返答しようか迷ったが、無難に「友人と友人の友人」と答えておいた。当然、どういうきっかけで知り合ったのかと掘り下げてきたので今は解体業をやっていることを話してから、行きつけの中華料理店で玲於奈と出会ったこと、その時聖泉女学院でプール解体工事をやっていて彼女がたまたま聖泉の生徒と知ってから意気投合したことを説明した。


「それがあたしらの交友関係の始まり、というわけ」


 と、みさきは届けられたパフェをつつきながら言った。


「パフェ食べるの何年ぶりかのせいか、なかなか甘いな。けどすっきりしてる」

「『ボストーク』のパフェは昔から地元じゃ有名よ? 再開発で駅前にいろんなコーヒーチェーン店が進出してきて客を取られちゃってるけど、パフェは今でも根強いファンがいるんだから」

「ボリュームもありますね」


 大食いの玲於奈も満足している。

 話題は玲於奈を中心に回るようになった。みさきは当然として、隣りにいる瑞貴もここぞとばかりに話しかけ、夕子もみさきの友人がどんなものなのか知りたくて話題を振ってきた。実はよく食べることをネタにされては恥ずかしがる玲於奈だったが、その反応をみんな面白がった。

 気がつけばもう午後四時に差し掛かろうとしていた。イベントはとっくに終わっているが大通りはまだ観光客で混雑している。みさきと玲於奈に瑞貴は招木駅に向かっていったが、夕子は車で来ているらしく、店を出たところでお別れになった。

 別れ際、みさきは夕子と握手したがその時に紙切れを握らされた。こっそり開けてみると携帯の電話番号とLINEのIDが書かれている。とりあえずは後で連絡しようとスキニーパンツのポケットにしまいこんだ。

 瑞貴は駅南口のロータリーの方から車に乗せてもらって帰るようである。


「それではレオ様に桑野さん、名残惜しいですがお別れですわ。ごきげんよう」


 そう挨拶して瑞貴はスキップで南口の方に掛けていった。


「えらいご機嫌だったな、あの子」

「たまたま私と会ったから、ですかね」


 上り線ホームは案の定混んでいる。加えて普通列車との連絡もあるので、特別快速に乗るとなるとぎゅうぎゅう詰めは避けられない。その中だとあまり会話らしい会話もできなくなる。話したいことは今話しておく必要がある。


「みさきさんの苗字って元から桑野じゃなかったんですね」


 玲於奈は敢えて、何もかも初めて聞いたように装った。


「あれ、あたしは社長の養子だって言わなかったっけ?」

「聞いてないです」


 あなたの口からは、と玲於奈は心の中で付け足す。あっさりと養子だと打ち明けるとは思っていなかったが、


「まあ、ちょっといろいろあってね」


 やはり詳細な経緯は触れられたくないらしかった。


「養子になったのが中学二年の頃だったから、あいつが知らないのは無理ないけど」

「あの、みさきさん」

「なーに?」

「過去に何があったのかわかりませんが、打ち明けて欲しいとは言いません。でもこれだけは覚えておいてくださいね。私はあなたの支えになりたいってことを」

「ありがと」


 みさきはにっこり笑って、玲於奈の背中を優しく叩いた。

 やがて特別快速が到着し、大量の客を呑み込んでいった。


「うおお、これはきっついぜ……」


 押しくらまんじゅうになったみさきと玲於奈は、互いの体が腹合わせで密着する形となっている。

 みさきのすぐ目の前に、玲於奈の美しい顔があった。まつ毛は長く瞳は宝石のように輝いている。筋の通った鼻から漏れ出る温かい吐息を顔の肌で感じ取る。

 カーブで車体が揺れると、玲於奈がみさきの手を握ってきた。みさきの胸がにわかに動悸してきて、血液の流れが激しくなった。


「大丈夫ですか、みさきさん」

「多分……」


 車内は乗客の熱気のせいで蒸し暑いぐらいになっている。そのような中でも、玲於奈は疲れが出たのか目をつむってウトウトしはじめた。

 やがて頭がゆっくりと前のめりになり、みさきの顔との距離が縮まってきた。このままだと口と口が触れ合ってしまう。

 みさきの心に魔が差した。このままどさくさに紛れて唇を奪ってしまおう。

 彼女は目を閉じて、自分からも頭を動かした。

 しかし唐突に、唇を血だらけにしたファーストキスのトラウマがフラッシュバックした。思わず頭を横にそらす。結果として玲於奈の頭はみさきの肩にもたれかかるような形になった。


「あっ、すみません……」

「あはは、結構お疲れだね」


 結局何事もなく十分間が過ぎて、自宅の最寄り駅である田茂川駅に着いたみさきは別れの挨拶をした。


「じゃあな、今日は楽しかったよ」

「私もです。ではまた明日」


 みさきは「降ります、降ります」と乗客をかき分けてホームに降り、玲於奈に手を振って見送った。


「はあ……何バカなことをしようとしてたんだ、あたし……」


 去っていく特別快速の車両を見ながら、自分を罵倒するみさきであった。

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