願いを叶えてくれるブギーマンを探しに、子どもたちは深夜の病院を駆け回る

「私」は人類が滅亡した地球を行く。彼に話すためだけの物語を抱いて。

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この物語は異なる二つの筋があって、キャッチコピーをどうするか悩んだのですが、作者さんや他のかたが書かれてないほうをピックアップしました。

全体像から見たキャッチコピーはレビューの1行目に書いたもので、作品に冠するならそちらのほうがふさわしいのかもしれませんが、病院でのお話(回想にあたる部分)も魅力的です。

この二つの筋は最終的につながるのですが、それぞれで見てから後でくっつけるとより味わい深いなあと思ったので、別々で振り返ってみます。



>願いを叶えてくれるブギーマンを探しに、子どもたちは深夜の病院を駆け回る

マーガレット・ブルームは、生まれたときから死を意識せざるを得ない子どもでした。彼女は長期入院を余儀なくされ、同じく長期入院している病室の子たちと、退屈しのぎに深夜の病院を探検します。名目は「願いを叶えてくれるブギーマン」を探すこと。

彼女たちの冒険はもちろん、家族や友人、看護婦さんとの関係までしっかり描かれたサスペンスドラマ。一編の映画を観ているようで、伏線がパタパタパタっとつながっていく後半はスクロールする手が止まりません。子どもたちの気まぐれな感じや弱い部分がありありと描かれていて、小憎らしいやら可愛らしいやら。それをみんなで補っていて、彼らは永遠に良き「チーム」であることがうかがえます。

ちなみに私はルールブックさんが好きです。ルールブックさんいいなあ。



>「私」は人類が滅亡した地球を行く。彼に話すためだけの物語を抱いて。

こちらが他のかたがピックアップしているほう。
>私の物語はなんでもありなのよ。そして永遠に続くの。

私が心を打たれたのは、これが「残すため」でも「伝えるため」でもなくただ「話すため」、(適切かはわかりませんが)「時を費やすため」の物語であるということ。

だから、話してしまったら役割は終わりです。本当はどんな物語だったかなんて、「私」はまったく固執しません。

時間は流動的で、真実は曖昧です。彼らはきっとすべての目撃者になって、やがて新しい言語を持つ生命にその目撃内容を話し聞かせることもあるかもしれない。でもその中身はきっと大部分がおぼろげで、伝聞していくうちにいろいろな解釈が加わっていくのかもしれない。それが「神話」となるのかもしれない。でも「私」はそんなことはどうでもいい(どうでもよくなっている)のです。ただ一瞬一瞬が消えていく儚い美しさを感じます。

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