笑えることなど一つも無い
赤野工作
【銀河最低のコメディアン】
残日数92年320日
我が栄光の艦Екатеринаに、終わりの時が近づいている。
この艦に生を受けた日から、一日として崩壊を予感しない日など無かった。これは艦内における資源配分の失敗、人災が引き起こした"飢饉"だ。私は再三に渡って問題提起を繰り返してきたが、人民委員会は遂にこの問題に目を向けようとはしなかった。
責任の所在は明白である。艦の保管する178万を超える娯楽用の文字データ、音声データ及び映像データに、"笑い"が一つも無いことだ。平たく言うに、馬鹿を馬鹿にする、不細工を不細工に扱う、恥晒しの恥を晒すといった類の笑いが、この艦には致命的に不足しているのだ。第四世代の私にとっても"笑い"は理解し難い感情ではあるが、それでもこの艦から笑いが枯渇していく気配くらいは分かる。第六世代の子供達には、そもそも生涯で一度も笑ったことがない子供も増えてきていると言う。第一世代の老人達にしても、ここ数年でつまらない冗談の一つも口に出さないようになった。安定している。この艦は、あまりに秩序立ち過ぎている。皮肉も、喧嘩も、醜聞も、滑稽な物事は全て消え去った。それはつまりは、この艦から"笑い"が失われてしまった証拠でさえもあるのだから。
原生政府による航海予測の記録(大規模移民船団航行における第三世代~第六世代の人生推移の管理計画 頁1919)を見るに、この178万という娯楽データの保存量は、人が一生を豊かに生きる上で必要な娯楽作品の700%という数値を基準に算定されている。一方で、娯楽監督委員行動計画指針の議事録(娯楽監督委員行動計画指針決議議事録第二号)を見るに、「長期間にわたる宇宙空間での航行に際し、艦に搭載される全娯楽データ(歴史資料、事務文書、通信記録を含む)は、艦内秩序維持の観点から乗組員の精神状態への影響に配慮された"文明的作品"が望ましい」との発言があり、最終的にこの艦に搭載された娯楽データの選定にも原生政府の"文明的"な配慮があったことがうかがい知れる。そしてその配慮は今、こうして艦内の秩序維持という形で確かに証明されているという訳だ。
しかし、今となっては愚かな判断だったと言わざるを得ないだろう。178万の娯楽データの内、この90日で最も参照回数が多かったのは「ソビエト連邦の宇宙開発」の文献だが、そのうちの90%は子供達からの学習名目での閲覧要求となっている。しかし児童教育局の見解では、当該文献は艦内で唯一「便秘に悩まされる犬」について言及された文章であり、子供達はこれを"笑える文章"として好んで閲覧しているのだと言う。リスペリドン無しに眩暈がするかのようだ。艦の未来を担う子供達が、「便秘に悩まされる犬」ごときをこの銀河で最も面白い文章なのだと認識しながら生きている。犬の、便秘を。178万の娯楽データの中には、知的好奇心をくすぐる論文もある。心を熱くする大作小説もある。しかし笑える作品という観点で見た場合、犬の便秘以上に笑える文章はただ一つも存在しないことになる。
先日の医療局の精神管理報告によれば、乗組員の脳から"強い笑い"に類する脳波が正式に観測されたのは、最も新しいものでも今から5年も前の事案になるらしい。具体的な内容については報告書には記載されていなかったが、委員長のライカによれば、それも乗組員の精神状態を考慮した人民委員会の"配慮"の結果なのだそうだ。なんでも第一世代の乗組員が臨終の間際に「こんな艦になど乗らなければよかった…」と呟いたのを、医療局の衛生事務書記官が思わず爆笑してしまった時に記録されたデータらしい。あまりに不謹慎かつ非人道的な事件であったため、当該書記官には娯楽監督委員による教育処分が行われ、三か月かけて"文明的"になってもらったそうだ。笑い話としてはなかなかに筋の良い話だとは思うが、そうした感想を述べる事が出来るのもここの報告書の中だろう。
そもそも現在の人民委員会に第一世代の老人達はもうほとんど残っておらず、彼等もまた、この笑い無き移民艦の中で生まれ育った同世代だ。おそらく私と同じように、一体何が"笑い"なのかも理解出来ないような乗組員がほとんどだろう。地球の文化を肌身で体験している第一世代の乗組員も、地球を旅立つ上で原生政府によって選定された、良く言えば「艦の秩序を乱さない」、悪く言えば「なんの面白味もない」インテリ層で構成された集団だったと聞く。ゼーイーベーのような人間が第一世代を代表する人間なのだとするならば、そもそもこの艦にはユーモアなど最初から一切存在しなかったという事にもなる。残酷な話ではあるが、我々がいくら娯楽に飢え、嘆き、苦しんでみたとしても、この艦のどこを探しても笑いなど一切見つからない可能性もあるだろう。
我が栄光の艦Екатеринаには、飢饉が蔓延してしまった。宇宙空間からはいくらかの資源を取り込むことが可能だが、笑いを取り込むことは出来ない。笑いに飢えた惨めな乗組員達は、「これだったらなんとか笑えるかもしれない」などと世迷い事を呟きながら、どうでもいいものばかりを手にとっては、それを無理矢理にでも笑おうと試みるのだ。しかし、それは飢えを凌ぐために石や木の皮を齧る様な行為だ。どれだけ無理に笑おうとしたところで、結局のところそこに面白みなど存在しない。乗組員達は皆、ひきつけを起こしたかのように震えたり、正気を失ったかのように叫ぶことしか出来ない。しかし、それが無意味な行為とは分かっているにもかかわらず、皆、それを止めることだけは出来なくなってしまった。終わりだ。いや、この現状をしてもなお、まだ終わりの始まりにすぎない可能性もあるが。
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それは今思い出しても身の毛もよだつ光景であった。半ば押し付けられたような教育業務ではあったものの、結果的には比較的穏当な私が担当であって良かったとさえ思う。当該監督対象であった児童教育局幼年指導員のベルカ夫人は、第九艦橋の幼年児童の十数名の教育を一手に引き受けている責任者だ。娯楽監督委員である私の目から見ても、ベルカ夫人は艦の秩序維持にとって模範的な存在とさえ言える人物だった。しかしその夫人が、最近になって頻繁に異常行動が見られるようになったと医療局から連絡が入った。体調的に優れないところがあるわけでもなく、「これは娯楽監督委員の教育業務の一環ではないのか」と、言わば医療局から業務を押し付けられたわけだ。「夫人は既に文明的な人であって今更"文明的"になってもらう必要はないのではないか」というのが委員会内での共通見解であった。
しかし実際に夫人の元を訪問してみると、彼女の精神が破壊的ニヒリズムに蝕まれている事は一目で察知することが出来た。それはこう…、こうして文章として報告書に残してしまうことが躊躇われるほどの、異様かつ猟奇的な光景であったからだ。夫人は共有スペースの鏡に向かって自身の顔のくしゃくしゃに縮めると、そうしてくしゃくしゃになった顔を数秒間黙って見つめた後、しばらくして何事も無かったかのように元の顔に戻す行為を延々と繰り返していた。驚くべきことに、それを幾度となく、私が声をかけるまでの計78分もの間ずっと飽きずに続けていたのだ。彼女が"文明的"でないことはまず間違いはなかった。※【言葉を選ばずに彼女の精神状態を表現するのなら、彼女は自らの責任ある立場を見失うほどに気が狂っていた。(電子データ検閲対象文字列の為注記扱いで)】
「こんにちは、ベルカ幼年指導員」と、私は震える気持ちで彼女に声をかけた。しかし予想に反して、彼女の反応はそれは落ち着いたものだった。自らの異常行動を恥ずかしがりもせず、他人からの視線にたじろぐことも無く、「あらこんにちは、リシチカ娯楽監督委員、洗面台を使われますか?」などと、まるで何事も無かったかのように私に顔を洗うように促してきたのだ。ベルカ夫人の精神状態は、あるいは三か月では教育不可能なのではないか。私はあらん限りの勇気を振り絞り、「貴女は今、この洗面台で78分間の間、何をされていたのですか」と彼女に声をかけた。ああ、私は生まれてこの方あれほどまでに恐ろしい言葉を聞いたことが無かった。彼女は眉一つ動かすことなく、私にこう告げたのだ。「ああ、私は今、笑う練習をしていたのですよ、リシチカ娯楽監督委員」と。
"笑う練習"。文章にするだけでも身の毛がよだつ非文明的行為だ…。"笑う練習"!"笑う練習"!"笑う練習"!彼女の供述を細かく聞くに、彼女はもうここ数週間、毎日この洗面台で笑う練習を続けていたそうだ。彼女は自らの顔を無理に「面白く」すると、それを長らく見つめる事により、誰をも傷つけることなく文化的に笑う方法を編み出した。しかし自らの顔の面白さに笑いの感情がこみ上げてくると、せっかくの面白い顔が筋肉の動きによって崩れてしまい、あと一寸のところでどうしても笑いに至ることが出来ない。だからこうして毎日毎日、顔をくしゃくしゃにしては止め、顔をくしゃくしゃにしては止め、顔がくしゃくしゃのままでも笑える技術を練習していたのだという。(なにより恐るべきことに、彼女はこうした常軌を逸した行動の詳細を、終始得意げな顔で私に供述していたのだ!)
本来なら彼女には、三か月から六か月相当の再教育が課されるのが妥当だとは思う。しかし、それは難しい。何故なら再教育にもそれなりの「大義名分」は必要だからだ。私はその提言に何の力も無い事を知りながら、「お暇なのでしたら、フリードリッヒ・フォン・シュトルーベの『二重星および多重星の精密測定』やフリードリヒ・ニーチェの『悦ばしき知識』のような文明的な作品を読むべきではありませんか?」と声をかけたが、やはり夫人の反応は芳しいものではなかった。「あら、娯楽監督委員は思っていたより愉快な人だったのね。ここから星の動きを見たって、私は面白いと思ったことは一度も無いけど。でも、今更になって生を悦ばしく肯定しようというのは、一周回って逆に面白いテーマかもしれないわ」辛辣な反応も当然だろう。彼女の言っている事に、間違いは何一つないのだから。
星を観測して暇を潰そうという間抜けな連中は、未だ発作的にあらわれることはある。しかし時間の問題だ。どれだけ高尚な台詞を口にしてみたところで、宇宙の真ん中で無限の星々を眺めるなど何も面白くない、鼻糞をほじって飛ばす方がまだ笑えるという事実にすぐに気が付いてしまう。今現在この艦に載っている人間達は皆、必ずこの艦の中でその生涯を終える運命にある。私も同じだ。私の立場からしても、「生から美的な歓喜を引き出す学識への没頭」などと言われても、一周回って馬鹿馬鹿しい発想で逆に笑えるという感想しか出てこない。分からない。地球の人間達が、どうやってこれらの作品を楽しんでいたのかが。原生政府による配慮があった事を差し引いても、艦内の娯楽データはどれも、辞書に記されている"楽しさ"の意味とはかけ離れた作品ばかりのように思う。
結局、私はベルカ夫人による逸脱行為を、口頭による注意勧告のみで見逃した。見逃さざるを得なかったのだ。確かに彼女の行為は一見して異様だった、猟奇的だった、艦内の秩序を乱す潜在的可能性も認められた。しかし私には、それを止めたところで、彼女の人生をより豊かなものへと監督するだけの代案が無い。娯楽監督委員の任務は、あくまで艦内の娯楽の監督でしかない。彼女がいくら猟奇的な娯楽に快感を覚えていたとしても、直接的に艦内の秩序を乱していないのならば、強制的な教育執行は望ましくない。こうして我が栄光の艦Екатеринаは、また一人、また一人と、笑いに飢えて異常行動をとる乗組員が増えていく。そして現状を知っていながら、私達には彼等を止めることは出来ない。私はこうした負の連鎖の招く艦の異常事態を、便宜的に"この艦の終わり"と呼んで恐れているのである。
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原生政府による航海予測(大規模移民船団航行における第三世代~第六世代の人生推移の管理計画 頁2188)を見るに、第三世代~第六世代の乗組員の精神状態保全は、大規模移民船計画における"最大の障害"となるであろうと評価を受けている。銀河開発英雄という国家勲章を与えられて地球を飛び立った第一世代は、この何もない艦内で「生きる意味」を祖国から与えられていると言ってもいいだろう。無論、植民惑星にたどり着くことの出来る第七世代以降の乗組員達はこの艦の中で死ぬことはなく、それらの世代についても「生きる意味」はある。問題は、この艦で死ぬために生まれ、この艦で生きただけで死んでいく、一生この艦から降りる事のない"狭間の世代"に当たる人々(つまりは現在のこの艦の全乗組員)が、どのようにして自分を騙して「生きる意味」を感じればいいのかという点にある。
究極的なことを言えば、私達の人生に意味など無いと言っていいだろう。私達は生きるためだけに生み出された存在である。長い航行を続ける為に次世代の乗組員を産むこと以外に人生の意味など無い。とは言え、そんな事をあからさまに言っては艦内の秩序統制を保つことが出来なくなってしまうので、建前上、私達"狭間の世代"もまた栄光の艦Екатеринаの栄誉ある銀河開発英雄の一員として大義ある任務のために生きている。と、少なくとも娯楽監督委員行動計画指針(序文「娯楽監督委員の任務とその設立目的について」)には、そう書かれている。「娯楽監督委員は、艦内の秩序保全のため、乗組員の娯楽活動を適宜監視し、文明的でない行為については指導、監督、教育的措置をとらなくてはならない。」(娯楽監督委員行動計画指針 第三則「娯楽監督委員の権限」)
しかしながら、検閲済みのテキストを見る限りでも、「当初の理念通りに運用の続く規範」など人類の歴史には一度たりとも存在したことはなかった。先ほどのベルカ夫人のケースが良い例で、あの程度の行為に逐一教育措置をとっていれば、この艦の乗組員の全てに教育を施さねばならない事は目に見えているのだ。※【逆に言えば、この艦では今、それだけ非文文明的行為が常態化している。この種の話題は、Дзержинскийの検閲事項ではある。しかし誰もが口にすることは無いが、自らの人生に無意味な終わりが来る事は知っている、不思議な事に、誰から教わることも無く。】「何の意味もなく生きている以上、せめて笑って死ねるような人生を送りたい」そうした危険思想は艦内の空気をじわりじわりと蝕み、"栄誉ある銀河開発英雄"を"笑いに飢えた貧しき亡者"へと転落させてしまうのだ。
私が見た逸脱行為の中で最も猟奇的だったものは、人民委員会内で極秘とされたズヴョズダチカ人民委員二等書記によるものだろう。なんと説明したらいいのか…、彼には以前から自らの臀部をペシペシと叩く癖があり、本人は「臀部に神経性の痒みがあるため」と主張して怪しまれていた。しかしある日を境に、その奇妙な癖がパタリと止んだ。いや、実際には癖は収まってなどいなかったのだ。Wacław Święcickiの「ワルシャワ労働歌」にあわせ自らの臀部を叩いてリズムをとっていたところを、たまたま直属の上司である人民委員一等書記と私に目撃された。タイミングも場所も悪かった。あろうことかそれは人民委員会議事堂の給湯室の中で、あろうことか彼の表情はほのやかな笑顔だったのだ。結果的に、彼は「二度と臀部を叩かない」という誓約書を人民委員長宛てに提出させられている。
些細なケースまで記録を残す事が求められるならば、この報告書をどうやって終わらせればいいのかさえ分からなくなるほどだ。先日はダムカ備品管理局長が、重力制御機構付近をヨロヨロと走り回っていた。私が心配して「何をされているんですか、そんなに随分と壁にぶつかって」と声をかけると、当人は「壁にぶつかるのが何だか面白い気がしてね」と飄々と答えを返した。またしばらく前には、コズャフカ栄養管理委員会主任に食料備蓄の不正流用の疑惑が持ち上がったこともあった。ダムカ備品管理局長と当人を問い詰めると、主任は「いっそのこと思いきり不味い料理を作ったら面白いと思って」と眉をひそめ、おそるおそる真っ白な人工肉ペーストを差し出した。驚くべきことに、その人工肉ペーストは言うほど不味い訳でもなく、下品な笑いを期待していた備品管理局長をおおいに激怒させる結果となった。
そうした小さな逸脱行為の一件一件も、許されることのない秩序の乱れではある。「些細なケース」と評するのは問題があるのかもしれない。しかし包み隠さず言ってしまえば、彼等大人が自己満足の為に何をしようと、艦の存続には大きな影響を及ぼさない。所詮、彼等は近く死ぬ人間だ。私と同じく、新天地を見ないまま死ぬ運命にある。それは、遺伝子に宿命づけられている。もっと大きな問題は、今を生きることしか出来ない私達より、これからを生きる子供達に私達がどんな影響を与えているのかという点だ。仮にも私達の世代は、地球人類のオリジナルである第一世代から"笑い"という感情がどのようなものであったのかをそれとなく学んでいる。しかし私達から"笑い"という感情を学ぼうとしている次世代は、根本的に、絶対的に、絶望的に、"笑い"という感情を理解出来なくなってしまっているからだ。
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178万の娯楽データの内、この90日で「ソビエト連邦の宇宙開発」(つまりは便秘に悩む犬の記述)の次に参照回数が多かったのは、アニメ「アンドロメダのクジラ」の第37話である。ただし、この説明は些か正確ではない。「アンドロメダのクジラ」という作品自体は、守る価値も無い宇宙環境の保護をテーマに、存在する訳がない地球外生命体を守る団体の活動を描いた、愚にもつかない教育的アニメーション作品である。しかしこの作品には唯一、たった数秒ではあるものの、原生政府の検閲をすり抜けてしまった"推奨されない映像"が紛れ込んでしまっているのだ。栄光の艦Екатеринаの誇る178万の文化的娯楽データのうち、この作品の第37話のみに映りこんでしまった唯一無二の映像。口にするのも憚られるその非文明的な社会的毒素の名前を…、「コメディアン」と言う。
私の知る限り、グレゴリー・エジョフはこの銀河で最もつまらないコメディアンだ。嘆かわしい事に、この艦にとっては唯一無二のコメディアンでもある。彼はこのアニメのレギュラーキャラクターでもなければ、数秒間映りこんだだけの背景の一部にすぎない。だから彼の唯一の登場シーンを書き出せば、下記の通りとなる。主人公が暇潰しの為にテレビをザッピングしていると、モニターには顔をしかめた「グレゴリー・エジョフ」を名乗るコメディアンが映し出される。彼は「さぁさぁ皆さん、これより頭とお尻を入れ替えて見せましょう」と客席に告げ、一秒ほど沈黙する。その後、彼は突然申し訳なさそうな顔をして、「失礼、既に入れ替えた状態でステージに上がってしまいました」と告げ、さらに顔をしかめる。客席は大いに盛り上がる。主人公はテレビを見るのを止める。暗転。
主人公の素っ気ない態度から察するに、おそらく、エジョフのジョークは当時の地球でもあまり面白いジョークでは無かったのだと思われる。これは半ば願望も混じった推測になってしまうが、「主人公の下らない日常」を演出するためにも、アニメの制作スタッフは彼のジョークをわざとつまらないものにしなければならなかったのだろう。そうとしか考えられない。何故なら、私にはまったく面白く思えないからだ、彼の冗談が。正確には、彼が何を考えて"それ"を披露したのかも分からない。これが私達が渇望するコメディアンという存在の正体だと言うのなら、むしろその事実の方が滑稽だ。つまり、論理的に考えて、グレゴリー・エジョフはそもそも最初から「つまらない存在」としてアニメの製作スタッフに生み出されたキャラクターである可能性が高い。そう思うほかない。
しかし、真実はこの艦の中からは確認することは出来ない。常識的に考えればまったく面白くないジョークであっても、私達にはそれを確かめるだけの手立てが無い。つまり、これは、あまり想像をしたくはない部類の話にはなってしまうが、地球では、この手のジョークが面白いものとして受け止められていた可能性もある、という事だ。「臀部と頭部を入れ替える」という突拍子もない発言は本来であれば面白く、一秒の沈黙によって唐突に脳へ緊張を与えられた結果、「私達が見ていたエジョフの顔は最初から臀部だったのだ」と裏をかかれた事によるカタルシス、臀部という本来見る事の出来ない場所を見せつけられている背徳感、「臀部みたいな顔をしている人間」という自虐等の様々な要因が相乗効果を生み、あろうことか、笑いが発生していた可能性も0ではないのだ。
我ながら実に荒唐無稽な話をしているとは思う。グレゴリー・エジョフは面白くない。言葉を選ばず言えば、精神的異常者である。彼の労働に対しても賃金が発生するという地球の資本主義制度にさえ疑問が浮かぶ。「臀部と頭部を入れ替える」ことを面白いと感じる人々がいたとしても、私は彼等を人権の保障された人間として扱う事は出来ないだろう。しかし、どれほど言葉を並べたところで、私達は所詮、飢饉の中にいる哀れな亡者だ。飢えた人間は石をも喰らう。食べられるものが石しか無いと分かりきっているのなら、最初から「石は美味しい」と自分を騙して生きる方が幸福なのだ。それと同じことが、この艦の中でも起きている。皆、信じたがっている。特に、幼い子供達は。グレゴリー・エジョフというコメディアンこそ、銀河で最も面白い存在であるはずなのだと。
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1845年から始まったアイルランドのGortaMór。(艦内出生率上昇に対する人口抑制についての一般指針 頁342)1916年から始まったドイツのSteckrübenwinter。(同 頁343)1932年から始まったウクライナのГолодомо́р。(同 頁875)歴史上に存在する数々の飢饉は、いずれも恐るべき疫病の発生と密接に結びついてきた。そしてそれは、この艦でも同じことが起きている。疫病の名は「グレゴリー・エジョフ」。飢えに弱った子供ばかりを狙って発症する危険性と、瞬く間に艦内へと広がった恐るべき感染力を兼ね備えている。純粋無垢で穢れを知らない我が艦の子供達は、グレゴリー・エジョフの巻き散らす無修正のユーモアに抵抗するだけの免疫力を持っていない。グレゴリー・エジョフは瞬く間に彼等の脳に忍び込み、その精神を徹底的に破壊してしまうのだ。
前述のとおりである。私は再三に渡って問題提起を繰り返してきたが、人民委員会はついにこの問題に目を向けようとはしなかった。「アンドロメダのクジラ」の第37話の禁止処置、模範的創作活動の推奨、メチルフェニデートやアンフェタミンの活用。提案は星の数ほどあったものの、結局のところ人民委員会が採用したのは、語るも愚かしいあの娯楽模範制度のみだった。ようはこれは「諸君らの問題は諸君らで解決すべきである」という中央からのメッセージなのだ。安全で清潔な人民委員会の中央にいては、艦内に立ち込める煙にもお気づきになれないのだろう。それがいずれは自分達の身をも焼き焦がす炎となろうとも。笑いがこみ上げる。こうしている間も、彼等の愛する御子息御令嬢が「さぁさぁ皆さん、これより頭とお尻を入れ替えて見せましょう」と口にする日は、刻一刻と近づいているのだ。
本日の数は17。前日は12。そのまた前日は14。これはこの数日で私が確認した、子供達が発した「臀部と頭部を入れ替える」主張の回数だ。オピオイド無しでも吐き気がこみ上げる。第九艦橋単体でもこの数字という事は、全艦を統合した場合それは更に吐き気を催す数字になるだろう。哀しむべきことに、幼い子供達にはまだ、何が「面白く」何が「面白くない」のかを判別する能力が備わっていない。「その言葉は面白い言葉なのである」という周囲の同調圧力を言われるがままに信じ、何の感慨もなく同じ言葉を互いに口にしあうことで、自分達の持つこの感情こそが"面白い"という感情なのだと錯覚している。これは病である。流行という名の感染症だ。彼等は確かに口では「笑える」と言い合ってはいるが、その表情には何一つ笑いなど浮かび上がってはいないのだから!
このような行為は即刻差し止めるべきだ。艦内の秩序を乱すかどうかは関係ない。単純に精神衛生に悪い光景だからだ。子供達は通路で顔を合わせると、互いに「こんにちは、せっかくお会いしたのですから、臀部と頭部を入れ替えて見せましょう」と告げ、決まって一秒ほど沈黙する。(この間、恐るべきことに、彼等は無表情のままである)するとどちらからともなく申し訳なさそうな顔をして、「失礼、今日は既に臀部と頭部を入れ替えた状態で出てきました」と告げ、さらに顔をしかめる。残された側は無表情のままで「とても笑いました」と告げ、それで一連の挨拶が終わり、通常の会話を始める。逆に言えば、今、この艦の子供達は、この一連の挨拶が終わらなければまともに会話さえはじめようとしない。彼等の人生には他愛もない笑い話の話題すらないのだ、…「臀部と頭部の入れ替え」の議論以外には!
一度広がってしまった疫病は、感染者を隔離する以外に止めようはない。しかし、この閉鎖された艦の中で、幼い子供達を一体どこへ隔離できると言うのか?無論、そんな空間は存在しない。私達は自らの破滅を知りつつも、子供達が狂っていく様を指を咥えて見ている以外に無いのだ。まったく、何一つとして、これほどまでに面白くもないジョークなのに、子供達にはどうやってもそれが理解出来ない。今日は食堂で「臀部と頭部の入れ替え」の話を聞いた。明日は洗面台でも「臀部と頭部の入れ替え」の話を聞くだろう。今日の時点ではまだ、彼等は子供達同士で「臀部と頭部の入れ替え」の話をしていた。明日にはどうなるか分からない、洗面台で笑顔の練習をするベルカ幼年指導員に「臀部と頭部の入れ替えをされているのですか?」と聞いてしまうかもしれない。
この艦は間もなく終わりを迎えるだろう。それも想像しうる最もつまらない形で。"飢饉"、"疫病"、それらの先には必ず社会の"崩壊"が待っている。子供達は大人になるにつれ、私達の世代よりも更に「笑い」を理解出来ない人間として成長を遂げる。長い人生のその大半をかけて、彼等は互いにつまらない事を言い合うのだ。そしていつしか必ず、互いに互いがつまらない人間である事に気付いてしまう。やがては互いに会話をすることにさえ飽き、互いのつまらなさに耐えられなくなる日がやってくる。他人に興味を持てなくなる。それは端的に、閉じられたコミュニティの終焉を意味する。栄光の艦Екатеринаの、明確な終わりだ。彼等は互いに興味を持つために、何か面白いことを言ってお互いの興味を惹こうとするかもしれない。しかし、全ては悪あがきに終わるだろう。
どれだけ苦心しても、彼等の口から「失礼、今日は既に臀部と頭部を入れ替えた状態で出てきました」以上のユーモアは、生まれることは無いからである。
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面白い事に、原生政府は「乗組員同士の無関心が招く移民艦の終焉」につき、計画の最初期の段階から想定はしていたようではある。(大規模移民船団航行における崩壊事例 第125章 「乗組員が相互に関心を持てず艦内社会が形成出来なくなる場合において」)しかし想定されていたからと言って何が助けになるという訳でもない。同資料内の手引きにおいて、原生政府はそうした状況に陥った艦内の活性化につき、以下の様に述べている。「乗組員が相互に関心を持てず一時的に艦内社会が形成出来なくなる場合においても、乗組員の遺伝子プールには十二分の多様性が担保されており、次世代、次々世代には艦内社会の相互関与が復活する可能性が高い」。…では、仮に私達の遺伝子に、面白さなどもう残ってはいなかった場合は? 残念ながら、その場合の資料は存在しない。
これから生まれてくる我が子の事を思えば、この艦の将来には忸怩たる思いがある。計画的に為された性行為とは言え、一般的に、親は子の人生につき一定の責任を負うものだ。私が行った計画的な性行為によって、彼、または彼女を、この艦の終焉に立ち会わせなければならなくなってしまった。私達が「生きるためだけに生み出された存在」だとするなら、彼、または彼女は「死ぬしかないのに生み出された存在」だと言えるだろう。近い将来の崩壊が目に見えている社会の中で、退屈に死ぬためだけに生まれてくる哀れな存在。あまりに非文明的だ。人道的な性行為の結果による正しい繁殖とは言えないだろう。この艦が彼、または彼女に「生きる意味」を与えられないというのなら…、私は一人の親として、生まれてくる子供に"それ"を用意してあげなくてはならないように思う。
しかしこの陰惨たる現状に対し、私ごときに一体何が出来るというのか。何か新しい娯楽を生み出す?そんなことは出来ない。何故なら私は、つまらない人間だからだ。私がこの艦に笑いを提供できるのなら、とっくの昔にやっている。おそらく私はこの銀河で最もつまらない人間だろう。自信がある。明確に、エジョフ以下であるとさえ思う。なにせつまらない人間だからこそ、娯楽監督委員などというつまらない職務を果たしてこれたのだ。他人の楽しみにいちいち小言を言う人間など面白い人間であるわけがない。他人がつまらないことは分かる、それが何故つまらないかも説明できる、しかし自分で楽しさを生み出すことなど一切出来ないのが私という人間だ。つまらないことに「つまらない」と言ってしまう人間ほどつまらない人間は存在しない。それは当然の理屈である。
最近、どうにも産まれてくる子供の事を考えると体調が優れない。これが親という立場への拒否感なのか、それとも親という立場が故の責任感なのか、その違いがどうにも自分では判別がつかない。委員長であるライカは「貴方も親になったということでしょう」などと立場上の建前を言ってはいたが、この艦は近く破滅する運命にある船なのだ。その現状を知った上で子供を作ることがいかに非道徳的な行為なのか…、その意味を理解していない乗組員など一人も存在しない。この恐ろしくつまらない艦の中で、この恐ろしくつまらない宇宙を進むためだけに、この恐ろしくつまらない乗組員達と、この恐ろしくつまらない一生を送らなければならない。それが生まれてくる我が子にとって一体どれほど残酷な事なのか、そのつまらなさを"身をもって体験していない人間"など、この場所にはただの一人もいないからである。
問題は山積みだ。この場合の"山"は比喩表現ではなく、物理的に積み重なっている問題をも含む。一つ一つ、片づけていかなければならない、否が応でも。グレゴリー・エジョフが「臀部と頭部を入れ替えること」の何を面白いと思ったのかは分からない。しかしグレゴリー・エジョフが「臀部と頭部を入れ替えること」を試みようとした理由は分かる。おそらく、頭部が臀部についていれば、目の前の問題から目を背けることが出来るからであろう。あるいはむしろ、臀部が頭部についているなら、目の前の問題に尻を向ける事が出来るからか。私も今、臀部と頭部を入れ替えたい気持ちで一杯だ。尻に頭がついているなら、一体どれほど面白おかしく生きることが出来るのか、想像もつかない。いや、もしかすると子供達もそれを分かっていて、今の私と同じように、将来から目を背けているだけなのかもしれないが。
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本日は朝から眩暈と嗚咽に襲われ、午前の教育業務を辞退。午後より自室にて娯楽データの再検閲の残務処理を行う。本日は1,212,229から1,212,231まで。対象は「Plan 9 from Outer Space」を含む3つの映像作品。「Plan 9 from Outer Space」は前回検閲時に"暴力"、"エロティシズム"、"宗教的反啓蒙"、"反体制主義"の留意対象につき閲覧者の思考動向要注視とされていた作品だが、"エロティシズム"及び"宗教的反啓蒙"については今回の検閲により解除扱いが妥当として申請する。"エロティシズム"は主に女優の胸元の開き方についての指摘、"宗教的反啓蒙"は主に墓石に対する暴力行為についての指摘と記録されているが、この作品に対して前任者が本当に性的欲求や宗教的意義を感じていたのか、俄かには信じがたい。(娯楽監督委員会 再検閲報告定例 No137 頁2287)
一方で、"科学的異端信仰"については認定の意義があることも明記しておく。本作は宇宙人に対し地球人が団結して戦うという内容のSF作品であり、この艦の副次目的である「地球外生命体との交流」という理念から相反する思想を植え付ける危険性がある。(ここでは便宜上団結という言葉を使うが、作中人類は明確に団結している訳ではない)また「死んだ人間の頭に電極を埋め込み機械で蘇らせる」というプロットも、一時期艦内に蔓延した新天地転生のカルト信仰を思わせて望ましくない。よって、直近90日間に"教育"を受けた人間のみの閲覧を制限し、閲覧者の思考動向注視リストからは外す処置が妥当だと思われる。総じて文明的とまでは言えないが、艦内秩序の維持を著しく阻害する非文明的な作品とまでは評するに値しないと思われる。
他2作品に関しては前回検閲時と同様、引き続き無制限公開を許可とする。いずれも娯楽データとしては問題の無いものであり、比較的、文明的と言うべき作品群であった。ただし、「Plan 9 from Outer Space」を含むこれらの作品群に対し、一部"過剰"な回数の閲覧要求を送っている乗組員が見受けられるため、作品の中毒性について医療局との相談を行い、該当する乗組員については別途"教育"の要不要を判断する必要がある。残念ながら、娯楽監督委員の権限ではこれらの作品の何処に中毒性があるかどうかまでの断定が出来なかった。個人的見解にとどまるが、いずれも娯楽作品としては問題の無い作品だとは思う。しかし数日のうちに何度も同じ映像を見るに至る心理は理解できない。"面談"をすべき事案か?医療局の判断を仰ぎたい。
1,212,229「Plan 9 from Outer Space」(1959)
1,212,230「The Beast of Yucca Flats」 (1961)
1,212,231「Eegah」 (1962)
第九艦橋 娯楽監督委員 主務 リシチカ
笑えることなど一つも無い 赤野工作 @Alamogordo
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