終 時計都市の別れ
中央時計塔から、空に向かって一条の光の線が伸びる。
それはどこまでもどこまでも進み、青空の彼方を差す。
人々はその先を見ようと真南を見上げるが、すぐに目をそらさずにはいられなかった。
光の行く先に太陽があったからである。
〇
瓦礫の中にあった、丁度いい大きさの、何かの残骸に腰かける。
ランゼルは、かつて中央広場があった場所にいた。あたりは遺産の起動によって多くのものが倒壊し、原型を留めていない。
彼から少し離れたところで、ウィゼアとケートリィが、二人っきりで話し合っている。ランゼルのところからは話している言葉は聞こえない。少なくとも険悪な雰囲気ではなさそうだったので、しばらくは様子を見守るだけで良いだろう。
ランゼルは特に何も考えず、まわりをゆっくりと見渡し、見るものがなくなると、ぼんやりしたまま空を見上げた。
天に走る光の線。正午頃には太陽と繋がっていたが、陽が傾いた今は単に真南を差しているだけにすぎない。
「やあ、ランゼルくん」
名前を呼ばれ、我に返ったランゼルは、声の主を見て、慌てて飛び上がった。
「男爵様!」
ハーダー男爵は瓦礫だらけの道とも言えぬ道を、のんびり歩いてやってきていた。お付きの人たちが迷惑そうに後に続くが、男爵ほどうまいこと進めていない。
「今年は、大変な祭りになったね」
「はい。これから、色々と忙しくなりそうで……」
パスリムの街は、地揺れによっていたるところに被害が出た。事前の噂話や避難勧告によって人々の被害はおさえられたが、倒壊や倒壊寸前の建物が多く生み出されてしまった。
当面は、まず瓦礫の撤去作業に忙殺される毎日だろう。
「あれが、時計王の遺産か」
先ほどのランゼルと同じように、ハーダー男爵は空を見上げる。
「ええ、そうです」
共に天の光を見ながら、ランゼルは長針塔でのことを思い出す。
●
ギアソンが滅ぼされた後。長針塔の最上階で、ランゼルは胸を砕かれたウィゼアを診た。
破孔は大きいが、ちゃんとした設備を備えた工房であれば、修復は可能に思えた。
「これだけど」
ランゼルは、ウィゼアの懐中時計から流用していた、時計魔法陣の金属板に手をかける。
「最初に君に組み込まれた宝玉は、ギアソンが力を兵器に横流ししていたらしいね。君を応急修理した時に、魔法陣を組み込んだら力が抜けたのは、きっと魔法が少なくなっていたからだと思う。でも、こっちの宝玉なら、力は十分あるはずだ」
魔法陣を引っくり返し、再度組み込む。
その途端、ランゼルたちの前に人の姿が浮かび上がった。
白髪の老人。肖像画に描かれる、時計王のものとよく似ている。
老人は口を開き、それと共に声が流れはじめる。
『……これが、もう余命幾ばくもない私の、最後の言葉となるだろう。私の名はバーネンマイゼン。後の世の人々に、この声が届くことを祈る』
時計王バーネンマイゼン。そう呼ばれた男の声を、ランゼルとウィゼアは黙って聞く。
『私は、オストワイムの西方、古くはファスルミアすなわち水湧く地と呼ばれた場所に、時計台を造った。目的は、この世で最も正確な時計を作るためである。この時計台は一年をかけて太陽の動きを観測し、その周期を正確に割り出すことで、時刻を高い精度で求めることができるようになる。太陽こそ、我々が時間という概念を持つ起点となったものなれば』
過去の老人は、誰かに語り続ける。おそらくは自分が死んだあとに生まれる者に。
『そしてもう一つ、私はこの子を作った。この子の中には、時計台と繋がる魔法と、他の時計を自分に合わせる魔法が組み込んである。時計台が割り出した正しき時は、この子を通じて世界中の時計に伝わっていく。これが実現すれば、この世はがらりと変わるだろう』
ウィゼアのことだと、ランゼルは思った。
周りの時計を調律する魔法。正しき時を与える力。
バーネンマイゼンの真なる遺産。それは彼女のことだったのだ。
『だが、私には時が足らなかった。時計台とこの子の力が使えるようになるには、ギアソンに造らせた大水路を持ってしても、百年は魔法を集めなければならないという計算が出た。そこで私は、この記録を残し、これを聞く人々に、私の夢を継いでもらうことにした』
老人は目を伏せ、頭を振った。
『この夢が、どんな未来をもたらすか、私には予想できない。現在の時計は、様々な法律や手法で求められ、定められている。国によって一時間の長さが二分も違うほどに。私はこれを統一し、世界中のどこででも、正しき時を求めることができる時代を望んだ。それが実現した時、世界がどう変わるか、わからない』
しかし、と彼は顔を上げる。
『しかし、これまで我々は、様々な発見、発明によって、多くのものを生みだしてきた。歯車という部品があったからこそ、機械式の時計が誕生したように。この正しき時が、世界をより良いものに変えることを、私は願っている。さて、私の話はこれで終わりだ。この魔法陣を引っくり返せば、回路が繋がり、時計台を動かせるようになる。あとのことは、ギアソンに尋ねるがよい。全てが終われば、彼も解放してやってくれ。随分と世話になったからな』
老人は手をのばし、なにかを撫でるような仕草をする。
『最後に。願わくは、我が娘ウィゼアに幸いがあらんことを。この子が私の夢を継ぎ、より良い世界を作ってくれるよう。そして善き人々に受け入れられることを、祈る』
そして時計に生涯をささげた老人は、その姿を消した。
「ギアソンも、哀れなやつだ」
ぽつりと、ウィゼアが言った。
「結局あいつもクソじじいに振り回された一人だったんだ。遺産を造るのにこき使われて、百年も捕らわれて。そりゃあ意趣返しの一つもしたくなるだろうさ」
「これを聞いていれば、少しは変わったのかな」
「変わらねえよ。逆にもっと恨んだだろう」ウィゼアは空を見上げる。「やつは矜持の高い王様だった。自分を服従させた相手が、それを気の毒に思っていたなんて。そんな哀れみ、受け入れがたかったろうな」
彼女は嘆息した。
「クソじじいめ、なにが正しき時だ。時計好きをこじらただけじゃねぇか。人間にそんなもん必要ねぇだろ。そんな子どもの夢みたいなもののために、人に迷惑かけやがって」
「普通の人にはね。でも、僕らには、大きな意味を持つよ」
ランゼルはウィゼアに語りかける。
「時計の外側から時刻を調律できるようになれば、時計機構の中に周期を維持する装置はいらなくなる。時計はもっともっと小さく、安くなって、色んな人が持てるようになる。そこから先は、どんな時計が作れるようになるかはわからないけれど。でも、そう考えただけで、僕は今とてもワクワクしている」
けっ、とウィゼアはそっぽを向いた。
「いたよ、ここにも時計馬鹿が一人。時計のためだけに吸血鬼になるとか、普通ありえねえ判断するやつが」
「あー、別に時計がどうとかじゃなかったんだよね。塔が傾いた時に、瓦礫の下敷きになっちゃって、あやうく死んじゃうところだったから。だから吸血鬼になって生き延びたんだ」
「……それ、私が遺産を動かしたせい?」
「まあ原因としては」
ウィゼアは黙りこくり、うつむき、最後は頭を下げた。
「すまん」
「君の仕業かー」
「まさか塔の中にいたとは……」
ランゼルは笑い、文句などないことを示す。
「君が、本当の遺産だったんだね」
「ああ。人形にしたのは、自分の足で歩いて世界中の時計を調律してこい、ってことなんだろうな。殺す気か」
「それもあるだろうけれど。僕は時計王が君のことを思って、その姿にしたんだと思うよ」
「私を?」
「うん。人々が、君のことを好きになるように。親だからさ、子どもには、周りからいじめられないように、愛されるようにって、思いたくなるんじゃないかな」
「あのクソじじいがねぇ」
まさか、とウィゼアは失笑する。
「戦争で吸血鬼の王を捕まえて、大きな財宝を手に入れて、それで英雄になるでもなく、全部時計に注ぎこむようなやつだぜ。でかいからくり作って、ギアソンが隠したのか皆から忘れられて、その上に街なんか作られて、百年たったら立派な都市にされちまって。なんか、それはそれで喜んでいそうだけど。とにかくそういう、なんでもかんでも時計のことしか頭にないような、そんなやつが」
一気にまくしたてた後、彼女は吐息する。
「父さん、か」
それは、はじめて父をそう呼んだかのように、ランゼルには思えた。
●
「あれは地下で百年集められた力を使って、太陽を観測する魔法です。来年の秋分まで、ああして真南に向かって伸び、また太陽が同じ位置に戻ってきたら――春分があるから、二回目になりますすけど――その時までが、一年の長さになる。その長さを均等に分割すれば、何よりも正確な時間が計れるんです」
ランゼルの説明に、なるほど、と男爵は頷いた。
「時刻の正しさは時計の命。時計王が晩年を賭して求めたのも、むべなるかな」
「人の手による観測自体は昔からありましたけれど、これは桁外れの規模ですよ。なにしろあの魔法の光は、本当に太陽まで届いているんですから。一年間の観測を成すために、百年が必要だったのも、その力を集めるためだったんですね」
視界に入る太陽の光に、目をこすりながら、ランゼルは言う。
「あとは、もう一つの遺産と連動させて、その正確な時間を広く普及させる。それが時計王の成し遂げたかった、世界時間の統一だった、の、ですけど……両方を成すのに必要な力のうち、片方をギアソンが兵器に使ってしまったので、今はどちらか一方しか動かせないんです」
「ふうむ。それは、惜しいことだ」
残念そうに男爵は頭を振る。
「それで今は観測のほうを動かしているのかね」
「はい。正確な時間を計れないのに、時間を広める魔法だけあっても仕方がありませんから。でも、すぐに止めることになると思います。百年の間に遺産も時計台もすっかり使い方を忘れられて、色んなところに人の手が入ってますから。まずは故障がないかを調べて、それからまた観測再開になるでしょうね」
「第一に点検と修理か。大事なことだ」
うむ、うむと男爵は頷く。
「おお、そういえば。話は変わるが、シャペオン夫人には会ったかね」
「いいえ」ランゼルは首を横に振る。「お供の人には、会いましたけれど」
●
隆起した遺産から地上へ戻ったランゼルたちは、北の騎士と再会した。
デッケンベルターは満身創痍で、すぐに街の病院へ運び込まれていった。その前に、共に冒険行をなした三人の仲間たちは、短い会話を交わした。
「心配は無用である。多少血は流したが、急所は外れておるゆえ」
包帯でぐるぐる巻きにされながら、デッケンベルターは笑顔を浮かべる。
「悪かったな騎士様。危険な役回りをさせちまって」
「なんの。あの役目を担えたのは自分以外にはおるまい。むしろ、あの場でやつを仕留め損ない、ウィゼア嬢らにいらぬ怪我をさせたことを詫びねば。自分もぬかったもの、槍を通したと思えば、そのまま奪われてしまったのである」
彼の槍はギアソンの腹部を貫いた時、金属に柄をがっちりと噛まれ抜けなくなったのだ。武器を失ったデッケンベルターはギアソンにうち倒され、そこで屋根の崩落に巻き込まれてしまった。リーズが彼の上に出なければ、さらにもっと多くの瓦礫に埋もれていただろう。
「人形を探してる最中に見つけた時にはびっくりしたよ。死んでなくて本当に良かった」
「よもやあの吸血鬼に掘り出されるとは、奇妙な話であるな。ともあれ、二人には感謝するのである。おかげで一番の手柄を得て、シャペオン様の命も果たすことができた。これで自分も本当の騎士になれたのである」
「あんたは最初から本物の騎士様だったよ」ウィゼアは優しい微笑みを浮かべた。「そして今は最高の騎士様だ」
●
「今度の件で、シャペオン夫人には大きな借りができてしまった」
「はい」
男爵の言葉にランゼルは頷く。あの人がいなかったら、今頃どうなっていただろう。
「とはいえ彼女は外国の方だ。今度のギアソンの一件、ことと次第によっては外交上の問題に発展していたかもしれない。また、彼女の口がゆるまれば、これから先そうなる可能性もある。我々は手痛いカードを向こうに渡してしまった」
ランゼルは唾を呑む。そこまでは考えていなかった。
あの抜け目ない領主様が、この件を交渉材料になにをするか。
「そこでな、ランゼルくん。私は彼女から、見返りを要求されている」
「は、はい」
「それは。なんと」たっぷり言葉をためてから、男爵は笑った。「ベルランフィエの時計が欲しいそうだ。ご領地に建設する時計塔に使う、大きくて、もちろん良いものを」
緊張が解けたランゼルは脱力し、力なく笑った。
「あは、は。それで良いんですか?」
「なにしろ私が贔屓にしている店だ。とてもとても価値ある時計になるだろう。それを贈り物とするのだから、私の財布が泣いてしまう」
「とびきり良いのを作ってくれますよ。うちの工房は熟練揃いなんですから」
ふうむ、と男爵は顎をなでた。
「もちろん、君もその中の一人なのだろう」
ランゼルは口ごもった。
「ええ。まあ……」
ちらと、ウィゼアたちのほうを見る。すると、いつのまにかケートリィの姿は消えていて、ウィゼアだけが残されていた。
「なにかあったのかね」
「ああ、いえ。なんでも、ありません……」
誤魔化し、うやむやにする。
言えなかった。長年、彼の後援者として奨励金を出してくれた男爵には。もしかしたら、この街を離れることになるかもしれない、などと。
〇
ロンビオンの飛行船『空の女王』号は、もやいを解き、パスリムから飛び立った。
「先に計測時計だけ積み込んでおいて正解でしたね」
副長の言葉に船長は頷いた。
本国からゴドシン将軍の逮捕命令が下されたあと、彼ら海軍出の者たちは中央時計塔と交渉し、とにかく計測時計を早急に引き渡すことを要求した。
かなり揉めたが、時計だけ受け取ってさっさと街を出ていかないことを示すため、船長以下の航海に携わる乗組員が、百年祭の式典に出席することを条件に、なんとか確保にこぎつけたのである。
その後、パスリム中心部を襲った変事によって、計測時計があった中央時計塔が悲惨なことになったのを見て、彼らは内心でホッとしたり、血の気が引いたりした。もし入手が遅れていたら、世界一周の旅が始まる前に、すごすごと本国に引き返すしかなかったのだから。
ゴドシン将軍ら陸軍の息がかかった者は陸路で送り返した。これで海軍出のロンビオン兵だけで旅が続けられる。船内の指揮系統はすっきりとし、船員の士気は良くなりつつあった。
「突入が成功していれば新兵器の確保もできたでしょうにね」
「そのかわり今頃は木っ端微塵だったかもしれんな。あとのことは本国の外交手腕に期待しよう。進路を南にとる。面舵いっぱい」
「面舵いっぱーい!」
指示を出しつつ、船長は地平の彼方を見る。
次の土地では、どんな出来事が待ち受けているのか。彼は航海の無事を天に祈った。
ポービズリーとマゴンサット卿は、船内に固定された計測時計を見物していた。
普段は歴史的価値のあるものにしか興味を示さないマゴンサット卿が、物珍しそうに大きな機械装置を眺めているのを、ポービズリーは意外な気持ちで見ていた。この男が新しいものに関心を持つことがあったのか。
「おや」その時、ポービズリーは計測時計のそばに誰かがいるのに気付いた。「見かけない顔ですね。あなた、どこから乗り込んできたんです?」
振り向いたのは、色白の若い男だった。作業服と作業帽を身に着け、腰には工具を吊り下げるベルトを巻いている。
「パスリムから。これの点検と、整備に」
片言のロンビオン語だった。ロンビオン人でないのは確からしい。
声は高く、まるで少年のようだ。
「わざわざ一緒について来たので?」
「点検、大事。壊れたら、危険」
「そうですか、ご苦労さまです」
若い男は会釈し、去っていった。
「ふむ」ポービズリーは首を捻った。「オストワイムというより、レムマキアの訛りに近いような。出身は別なのでしょうか」
展望室に入ると、作業帽を脱ぎ、ケートリィは欄干に寄りかかった。
眼下には遠く去りゆくパスリムの街と、そこから天に伸びる光が見える。
「人形の身体って確かに便利ね」
ケートリィは腕の影をほどき、露わになった人形の手を見て、また元に戻す。
「ちょっと繕っただけで、誰も男だって疑わない。あの男が使っていた気持ち、わかるわ」
彼女はギアソンが作り出した人形の中から適当な一体を拾い、それに自分の身体をまとわりつかせて変装していた。
見様見真似ではあったが、動かすことは問題ない。徐々にぎこちなさもなくなるだろう。
このまま飛行船に乗って、世界一周とやらに付き合うか、あるいは、どこか気が向いたところで降りるとしよう。時間はいくらでもある。
ケートリィは空を走る光を眺めながら、嘆息する。
「なかなか、したたかなお嬢さんだこと。あーあ、あの子、悪くなかったのに」
山と雲間に消えていくパスリムに向かって、彼女は別れを告げた。
「さよなら、新しい時計の王様。またいつか会いましょう」
〇
瓦礫の街の真ん中で、ランゼルは少女のもとへ向かう。
ウィゼアは砕けた大きな石材に腰を降ろし、片膝をかかえていた。
「調子はどう?」
「悪くない。こっちのほうが私と付き合い長いしな」
胸を指で叩き、ウィゼアは軽口を叩く。
二つの大宝玉のうち、魔法の力がほとんど損なわれなかったほうは、彼らの上に走る一条の光を生み出すため、中央時計塔地下にある遺産のしかるべきところに設置されている。現在ウィゼアの中にあるのは、最初に彼女へ組み込まれていたほうである。
「お話終わった?」
「ああ。交渉成立だ」
ウィゼアは歯を見せて笑った。
「宝玉は、中の魔法を全て取り出したあと、返すことになった。いつになるかわからないが、百年より後ってことはないだろう」
「そっか。てっきり、すぐに返せー、って揉めるかと思ってけど」
「ま、そこは私の交渉術のおかげよ」
得意げに笑うウィゼアに、ランゼルは言う。
「あのさ。たぶん僕、この街を出ることになりそうなんだ」
「なんだ唐突に」
「ほら、吸血鬼になったでしょ。血を吸われる時、あの人に言われたんだ。これが片付いたら、新しい吸血鬼として仲間のところへ来るように、って。それが決まり事らしいんだ」
ランゼルは悲しげに笑う。
「だからお別れだね。向こうで工房でも開けたらいいんだろうけれど。何年かかるかなぁ」
対するウィゼアは、ふむ、と呟き、服のポケットに手を入れ、何かを取り出す。
「これなーんだ」
彼女の手にあるのは、古びた懐中時計だった。
「それ……」
「そ。ギアソンのやろうが使った契約の時計だ」
長針塔の最上部で、ギアソンがケートリィを調伏するために使った時計だった。
「あの時やつがなんて言ってたか覚えてるか? 『王の邪魔をするなかれ』だ」
ウィゼアは不敵に笑う。
「こいつを拾った時、時計を操る魔法を使って、契約を書き換えた。これであの吸血鬼が今契約している相手は、私だ。つまり、私の邪魔をするな、ってな」
「無茶苦茶なことをするね」
ランゼルは呆れた。なんとまあ、まさかそんなに早く自分の力を悪用するとは。
「それじゃ、宝玉の話も」
「これちらつかせたら、簡単に折れてくれたぜ。ま、あいつのおかげ、ってのもあるから、なるべく早く返せるようにするつもりだけどさ」
妙な優しさを見せるウィゼアに、ランゼルは苦笑する。
「でな、ランゼル。おまえ、この街に残っても良いことになったぜ」
「えっ?」
「そこも交渉しておいた。抜け目ないだろう。ああそれとも、美人なお姉さんと一緒のほうが良かったか? 今から追いかければ間に合うと思うぞ」
「いやもちろん街にいたいよ。でも、なんで? どうやって説き伏せてくれたの?」
「言ったろう。私の邪魔をするなかれ、だ」
ウィゼアは石の上に立ち上がり、四方を見渡す。
「なあランゼル。中央に来ないか?」
真鍮色の髪が風になびき、青いドレス服がはためく。
「見ての通り街は滅茶苦茶だ。中央時計塔にいたっては、ギアソンのせいで職人たちも骨抜きにされちまった。クソじじいの遺産を管理しなきゃならねぇし、人手がいくらあっても足りやしない」
王者のごとき少女に、その仇と同じものになったランゼルは問う。
「僕、吸血鬼だよ」
「そうだな」
「嫌じゃない?」
「まー、散々怖い目にあったし、苦手意識はある。けどなぁ……おまえ、時計にしか興味ないだろ」
「うん」
即答だった。
「じゃあ大丈夫だ」
来いよ、とウィゼアは手をのばす。
「ランゼル、私は、おまえみたいなのが一人くらい中央にいてくれたらと、思っていた。時計王の私と、時計馬鹿のおまえ。二人でなら、できないことはないさ」
「そうだね」
差し出された手を、ランゼルは受け取らなかった。
「実はさ、ベルランフィエのほうに注文が入っちゃったんだ。シャペオン様に納品するやつをね。僕も手伝わなきゃ」
「そうか。そうだな、あの人たちには散々お世話になったから、そいつは無視できねぇか」
ふむ、と思案したウィゼアは、やがて満面の笑みを浮かべた。
「だったら一緒に作らないか。中央とベルランフィエで、とびきり素敵なやつをさ」
「うん。それならきっと喜ぶよ」
笑顔で頷き、ランゼルはウィゼアの手を取った。
◇
時計都市パスリムの騒乱後、中央時計塔は中央時計台と呼ばれるようになった。
時計王の末裔であるウィゼア・バーネンマイゼンは中央の新しい主となり、時計王が残した遺産の管理を務め、のちに世界標準時の基点となる時計台の礎を築くこととなる。
ベルランフィエ時計店の時計職人であるランゼルは、年々才能と技術を磨き、やがてパスリムでは知らぬ者のいない名工となる。のちに彼は中央時計台に招聘され、そこでウィゼアと共に様々な時計の開発に携わった。彼の発明とされる中で最も有名なものは、気密性を高めることで時計機構の故障を著しく減少させ、それゆえ時計製造の基本行程として定着していった、魔法を用いない防水時計の技術である。
パスリムの争乱からしばらくして、北のターラント国に時計が送り届けられた。中央時計台とベルランフィエ。パスリムを代表する二大工房の刻印が押されたそれは、送り先である谷多き領地に建設されていた塔へ運ばれ、パスリムの技師たちによって取り付けられた。時計塔が完成すると地下深くから水を汲み上げるようになり、後にその谷は豊かな田園地帯となった。
時計には竜を駆る騎士の姿が象られ、毎日正午になると澄んだ鐘の音を響かせた。領民たちはこの時計を大切にし、手入れを欠かさなかった。そして時を告げる音は、霧深いバンデンタールの谷間に、いつまでもいつまでも鳴り響いたという。
おわり
時計都市の冒険 大滝 龍司 @OtakiRyuji
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます