第6話
カジノへやってきた善四郎は、テーブルに座ってブラックジャックを楽しんでいた。
このゲームのルールは簡単。配られたトランプの数字を合わせて、21以下でディーラーより高い値をだせばいい。
単純なゲームだ。あんまり勝てないが、サクサクとテンポ良く進行するので、善四郎は好んでこのゲームをやっている。たまにポーカーをやったりスロットも回す。
――ブラックジャックのテーブルに座ってからどのくらい経っただろうか? 善四郎は腕の時計へ視線を落とす。
――もうすぐ昼だな。
腹が減ってきたので、そろそろ帰ろうか。
そう思ったとき、なにやら周囲のざわめきが聞こえた。目の前に立っている男のディーラーは、善四郎の背後へと目を見張っている。
隣に座っているハゲた中年男は、その視線が気になったのかうしろを振り返り、そのまま固まってしまう。視界に入っている人間達は皆が皆、同じように、善四郎の背後のどこか一点を見つめて呆然としていた。
――なんだ?
周囲の異様な空気に違和感を感じ、ようやく善四郎もうしろを振り返る。
……皆の反応が納得できた。善四郎の真後ろ。そこに大柄な体躯をした、赤い天狗面の男が立っていたのだ。
善四郎の口は無意識にぽっかりと開き、ただ黙って巨漢の男を見上げていた。
「やあ、ひさしぶり。善四郎君」
そのゴツイ見た目から放たれる女のような甲高い声が男の不気味さを引き立てる。
「えっ? ひさしぶり? 誰?」
口をついて疑問の言葉が出るも、善四郎はこの男を知っているような、そんな気はしていた。非常に嫌な気が……。
「忘れた? 僕だよ僕」
「天狗の知り合いなんていない」
それだけは確かだ。
しかし天狗もでかいが、その後背に引き連れている連中もガタイのいい奴ばかりである。その中でも特に天狗面の男はでかい。プロレスラーの集団と言われれば、納得できるが、雰囲気がそうでないことを教えていた。
「声でわからない? 声変わりしてないから僕」
「……いや、知らないよ」
知っている。だが、自分の予感を否定したかったが故、知らないと答えた。
大柄で凶悪な面構えのくせに、声だけは女のように綺麗で高い。
子供の頃の同級生に、そんな奴がひとりいたのを善四郎は覚えている。それがこの男だとは信じたくなかったが……。
「じゃあこれ。これを見れば思い出すだろう」
天狗はおもむろに自らの天狗面を右手で掴み、そして外す。
……嫌な予感が当たってしまったと、善四郎は辟易し、唾を飲み込んだだけでなにも言えず、ただ口をつぐんだ。
オールバックの黒髪。見開いたようなまん丸の目に浮かぶ、極小の黒目。がっしりとした割れ顎に太い下唇を持った凶悪な相貌は、やはりあの男であった。
そしてあの醜く潰れた鼻は……。
「この鼻、覚えているだろう。君にやられたんだ」
不自然な潰れ方をした鼻が、より一層、男の面構えに凄みを持たせている。
「なぜ整形で治さないかわかる? 君への恨みを忘れないためだよ善四郎君」
「……お前に恨まれる筋合いなんか無いよ、新宿」
名を口にすることすら、不愉快だった。
しかし15年も前のことを今だ根に持っているとは、あきれた執念深さだ。
その恨みが真っ当ならば、善四郎も良識を持って紳士に謝罪をしようものだが、どう考えても逆恨みである。
「あるよ。深く恨んでいるから、僕はここへ来た」
「そうかい」
「君はこれだけのことを僕にしておきながら、反省の言葉も無いのかい?」
「無いね」
「あきれたよ」
「それはこっちの言う言葉だ。恨み? ふざけるな。お前は自分がなにをしたか覚えてないのか?」
「は? なにかしたっけ?」
これでとぼけているならばまだいい。本当にわからないという表情が癇に障った。
善四郎はイスから立ち上がり、きょとんとしている新宿の顔を睨みつける。
「俺の大切な女の子に暴行しようとした」
それを言ってもまだ、新宿はまるで被害者のような面持ちで憮然としていた。
こういう奴だったと、善四郎はじょじょに新宿紅真という男を思い出す。
この男は自分が悪いなどとは考えない。どんな悪さを働いても、それを悪事とすら認識できない異常な人間である。
「うん。で、それがなんだっての? そいつが怪我をしたって、僕は痛い思いをしないだろ。ふざけてるのか君は」
そして病的なまでに、自己愛が強い。自分のことしか考えていないのだ。自分さえ痛くなければ、他人はいくらでも傷つけていいという、まともからはかけ離れた思考をしている。
「ふざけているのはお前だ」
新宿のやろうとしたことを、今でも許したつもりはない。あの日あのとき、新宿をぶちのめしたことに、善四郎は後悔など微塵も感じていなかった。
「はあ……わかったわかった。謝罪でもしてくれるかと思ったのに、君がここまで幼稚だったとは残念だよ」
「……少しくらいはまともになれよ」
子供の頃からわかっていたことだが、相変わらず倫理観が破綻し過ぎている。まるで宇宙人と会話しているようだ。
付き合っていられない。新宿の脇を通り過ぎて、帰ろうとするが、その行く手を手下と思われる男達に阻まれた。
「君に用があるから、僕はここへ来たんだ。帰られちゃ困るよ」
「俺はお前に用なんかない」
「僕はあるんだ。とりあえず座れよ。ゲームでもしよう」
先程まで善四郎がブラックジャックを楽しんでいたテーブルを、新宿が指でトンと叩く。
「嫌だよ。お前なんかと」
ゲームの誘いを断り、善四郎は屈強そうな男達を押し退けて帰ろうとする。
「そいつらは強いよ。元自衛官にプロの格闘家だった奴もいる。君なんかで勝てるかなぁ? ――そいつをここへ連れて来て座らせろ」
命令が下されると同時、男のひとりが善四郎へと手を伸ばす。その手を振り払い、男の胸に握り固めた右拳と左拳の連打を叩き込んだ。
「お……ぐあっ」
男は胸を押さえて膝をつく。その顔に膝蹴りを入れて倒れさす。
その倒れる体を避けてカジノの出入り口へ向かう善四郎だが、また別の男が立ちはだかった。
前に1人。振り返って背後をチラ見すれば、もう1人いる。どうやら、全員を倒さない限り、家へは帰してもらえないようであった。
眼前にいる男の拳が振り上がり、善四郎の顔面目掛けて飛んでくる。それを寸前で左へかわし、重心がかかっているほうの足を払う。
「あっ!?」
前へ進み出て屈み、バランスを崩して横へと倒れてきた男の側頭部に膝を立てて当てる。
「あがっ!」
そして男の頭を左腕で捕らえ、顔面に右拳の連打を打ちつけた。
やがて抵抗を見せなくなった男を仰向けに放る。
大きな影に覆われ振り返ると、かかと落としが頭上へ迫っているのが見えた。
善四郎はうしろへ飛び退いてそれをかわし、さきほど倒した男を蹴って前へ飛ばす。
「うあっ!」
蹴り飛んでいった男の体が手下の体にぶつかる。すかさず善四郎は前へと走り、男の胸に両拳の連打を浴びせた。
「お、ぐ……っ。このっ!」
顔へと迫り来る反撃の右拳を紙一重でよけ、カウンターで右拳を相手の面構えに叩き込んだ。
一歩退いた男のこめかみに、追撃の肘を当てると、その体は受身も取らず、横向きに倒れた。
「……もういいだろ。はあ、疲れた」
拍手の音に顔を上げると、新宿が不気味に笑い、手を叩いていた。
「やるねぇ。憎らしいほどに強い」
「……もう帰るぞ」
「それはできない」
「じゃあ、やるか?」
善四郎はふらりと体勢を直し、構えをとる。
「ははっ、僕は図体ばっかりでかくてねぇ。喧嘩は君よりも……いや、そこに転がってる奴らより弱いよ。結果のわかりきっていることはしない主義だ」
「じゃあ……」
「どうするか? こうするのさ」
そう言って新宿は懐に手を入れ、拳銃を取り出してこちらへ向けてきた。
善四郎は構えを解き、両腕をダラリと垂らす。さすがに銃火器相手では太刀打ちできない。
新宿は天狗面を被りなおし、
「君がどれだけの苦労をして、そんなに強くなったのかは知らない。だけどこれ。こんな大量生産品で君をあっさり殺せるんだ。格闘技なんて遊びだよねぇ。ほんと」
「……俺を殺すのか?」
「とにかく座れよ」
銃でテーブル前の座席を指し示す。
従うしか選択肢はないようだった。
「……わかった」
善四郎は元のイスへと座る。
「あーお前、邪魔」
「えっ?」
真横で銃声が鳴る。
目を瞑った善四郎だが、開けた瞬間、瞠目した。新宿がディーラーを撃ち殺したのだ。
そうなって初めて、この状況が楽観視できないものだと善四郎は気付く。
カジノで喧嘩くらいはままあること。しかし殺しとなれば、そうそうは無い。今まで傍観していたカジノの客や従業員がそそくさと出入り口へ向かう。
「殺せ」
新宿がそう声を吐くと、どこに隠れていたのかライフルを持った人間達が現れ、客と従業員を撃ち始めた。
阿鼻叫喚。老若男女関係なく、善四郎の周囲で殺戮が繰り広げられる。
やがて銃声は止む。聞こえていた悲鳴も無くなり、カジノ内はひっそりとしていた。それもそのはず。客や従業員はみんな殺されたのだ。平日の昼間で、あまり客がいなかったのが不幸中の幸いだろうか。
「な、なんで殺した?」
隣に立っている新宿を見上げて問う。
「僕の素顔を見たろ。だから殺したんだ」
「仲間まで……」
善四郎の倒した手下まで、体を撃ち抜かれて殺されていた。
「じゃあ、遊ぼうか」
「は? なに?」
なぜこの状況で、遊ぶなんて言葉が出てくるのか? 今更だが、やはり新宿は狂ってると思った。
「ブラックジャックをしよう。君が勝てば殺さないであげるよ」
命がけのブラックジャックなどごめんだが、断ればこのまま殺される。選択の余地は無い。……が、結果は同じだろうことを、善四郎はなんとなく察していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます