第4話

 バイクで公道を走り、目的地へと向かう。行く先は近所のカジノだ。

 別にギャンブラーというわけではない。毎月もらっている一万円のお小遣いでほんの少し賭けて遊ぶだけ。多く儲けようなどとは考えていない。あくまで趣味の範囲である。

 他に趣味は無い。昔はバイクでツーリングとかに行っていたが、いつの間にか飽きてしまい行かなくなった。今は単なる移動の足になっている。

 カジノ近くのコンビニまで来ると、そこの駐車場にバイクを止めた。ここでいつもエナジードリンクを買って、飲んでからカジノへ行く。

 コンビニから出、バイクの傍らで買ったエナジードリンクを飲む。

 周囲にはあまり人がいない。目の前の道路を走る、車の走行音だけが聞こえていた。

 ドリンクを飲み終わり、さて行くかとヘルメットを被ろうとしていると、


「おーいいバイク乗ってんじゃん。いいなー。俺もほしいなー」


 どこから湧いて出てきたのか、若いチンピラ風の男達が5人、善四郎へと寄ってくる。ひどく治安の悪い土地だ。作務衣など着てバイクなど乗り回していれば、目立って目をつけられるのもしかたがないこと。

 しかし善四郎とて、このカブキシティには生まれたときから住んでいる身。自分の格好が多少、周囲の目を引くことは百も承知であった。


「そういえばお前さ、誕生日じゃん。プレゼントしてもらったら?」


「あーいいねえ。つーことでおっさんさあ、このバイク俺にくれよ」


 馬鹿げた要求である。だが、この都市に住む大抵の人間はこんな無茶な要求にも従う。そうしなければ、ボコボコにぶん殴られて、バイクを強奪されるだけだからだ。

 おとなしく従えば、少なくとも怪我はしなくて済む。無駄な反抗はかしこい選択とは言えず、言う通りにするのが正しい。

 ……のだが、風間善四郎の場合は違った。


「ほしけりゃママにでも買ってもらえ」


 そう言って、はいわかりましたと引き下がる連中ではないだろう。そんなことはわかっていて、善四郎は煽るように言った。


「……おいおっさんよ。カブキシティは初めてか? 俺は親切で言ってるんだぜ。そのバイクの鍵を俺に渡せば、歩いて帰らせてやるって言ってんだ。意味わかる?」


 もちろんわかる。素直にバイクを渡せば、怪我をせずに済むという意味だろう。

 大抵の輩はいきなり殴りかかってきて、強奪していく。それを考えると、カブキシティじゃやさしい部類のチンピラだった。

 だからと言って、バイクをくれてやるつもりはない。


「お前ら学校は行ってないのか?」


 若者達は十代後半くらいに見えた。平日のこの時間なら学校か、もしくはすでに社会に出ていて働いているはずだろう。


「関係ねーだろ。てめえに言われることじゃねーよ」


「そうだな」


 確かに、無職の善四郎が偉そうに説教できることでもなかった。


「でも勉強しないと将来困るぞ」


「うぜーな。鍵寄こしてとっととどっか行けよおっさん」


 度重なるおっさん呼ばわりに、善四郎は少々へこむ。

 今年で三十歳。まだまだお兄さんのつもりでいたが、若者から見ればおっさんのようであった。

 顎を撫でると、無精髭が触れる。老けて見られる原因のひとつはこれだろう。


「髭を剃ったら若く見えるか?」


「知るかよ」


 五人の若者達が善四郎を囲む。


「てめえ、俺ら馬鹿にしてんのか?」


「かしこそうには見えないな」


 チンピラたちの髪型は、今時モヒカンである。モヒカンの賢者など、善四郎は知らない。


「ぶん殴られてーの?」


 胸倉を掴まれる。


「手、洗ってんのかお前? 汚い手で触るなよ」


「――痛っ! たったたっ!」


 掴んできた手を捻り上げる。

 手を離すと、チンピラは自分の手を押さえて、善四郎を睨んできた。

 転瞬、背後から襲いかかってきた奴の顔面に肘を食らわす。チンピラはコンビニのゴミ箱へと背中から激しく突っ込んだ。


「べはっ!」


「てめえっ!」


 他の四人が一斉に殴りかかってくる。

 喧嘩の通報なんか誰もしない。しても警察なんか来るかどうかわからない。カブキシティとは、そういう場所である。

 だが善四郎にとってそれが不幸かと言うと、そうでもなかった。


「おごっ!」


 先手必勝。正面から向かってきたチンピラの顔面に、固めた右拳を当てる。それからうしろへ跳び退り、掴みかかってきた奴の顎を蹴り上げた。


「ばべっ!」


 予想していなかったであろうまさかの反撃に、残りの二人が戸惑ったように動きを止める。しかし善四郎は止まらない。相対したチンピラの胸に両拳三発の連打を叩き込む。


「うっ!」


 一瞬、宙へ浮いたチンピラの体は、そのまま仰向けに地面へ落ちる。


「がはっ! ってえ……」


 残った最後のチンピラは、若者達の中でも特に若そうに見えた。

 若い彼は呆然と善四郎の前で足を震わせている。


「骨を折ってやった。ちゃんと来るかはわからないけど、救急車を呼んでやれ」


 感触でわかる。半端に手加減して傷を増やすよりは、骨の一本か二本でも折って戦意を喪失させたほうがいいと思ったのだ。

 若いチンピラは動かず、立ち尽くしたままだ。


「……お前も医者に診てもらいたいなら、俺が呼んでやるけど」


 右腕を前に伸ばして構えると、若いチンピラは慌てるように懐へ手を入れ、携帯電話を取り出して操作を始めた。

 善四郎は構えを解き、バイクへ近づきヘルメット手に取る。

 このカブキシティでそこそこ目立つを格好をするには自衛の手段が必要だ。善四郎はそれを持っているがゆえ、作務衣なんか着て平気でバイクを乗り回せる。

 武術は小学2年生のときに、近所のじいさんから月謝千円で習ったものだ。ブルース・リーと同門だったとか言っていたが、本当かはわからない。とにかく滅法強い、中国人のじいさんではあった。


 ――先生は今、どうしてるんだろ?


 ふと、思い出す。

 善四郎が高校を卒業する頃になると、そのじいさんは中国へ帰ってしまった。かなりの高齢だったので、もう亡くなっているかもしれない。


「技はすべて伝えた。もう教えることは無い」


 そう言い残され、それきり会っていない。中国のどこへ行くのかは教えてもらえなかった。

 鍛錬は今でも続けている。武術の腕はいささかも鈍ってはいないと自負していた。


 ――動いたら腹が減ったな。


 コンビニへ戻って、おにぎりとアンパンを買ってくる。さっきの若いチンピラはコンビニ前の歩道で、左右をキョロキョロとしていた。救急車を待っているのだろう。 傷病者がチンピラだとわかったら、素通りして逃げてしまうかもしれないが、そんなこと善四郎にはどうでもいいこと。

 食べ終わったので出発しようと、ヘルメットを被る。と、


「ん?」


 若いチンピラに招かれるようにして、黒い車がコンビニの駐車場へ入ってくるのが目に入る。

 その車が停車すると、運転席からサングラスをかけてちょび髭を生やした、ガタイのいい厳ついヤクザ風の男が降りてきた。その男に向かい、若いチンピラは何事か言いつつ善四郎を指差す。

 どうやら呼んだのは救急車ではないようだ。

 男は若いチンピラの頭を叩き、それからこちらへと歩いてきた。


「……これはお前がやったのか?」


 これとは、周囲に倒れているチンピラのことだろう。

 善四郎はヘルメットを再度脱ぎ、睨んでくる男を見返す。


「そうだ」


「そうかい。こいつらは俺の舎弟でな。てめえには落とし前を……うん?」


 目の前の男が、さらに近づいてくる。

 気圧されまいと、善四郎はそのまま動かない。


「……なんだよ?」


「お前……風間か? 風間善四郎」


 名乗ったわけでもないのに、名を口にされる。

 どこかで会ったことでもあるのだろうか? しかし男の顔に見覚えは無い。

 凝然と男を見下ろしていると、


「なんだ? お前は俺を覚えてないのか? 俺だよ。中学のとき同級生だった番田」


「知らない」


 中学生だったのなんて、十五年近く前だ。仲の良かった友人ならまだしも、単なる同級生なんかをいちいち覚えているはずもない。


「なんだよ」


 男はつまらなそうに舌を打つ。


「だったら新宿(あらやど)は? 俺のことは覚えてなくても、あいつのことは覚えてるだろ? 新宿紅真(こうま)だよ」


「新宿……」


 そいつのことは覚えていた。長らくの間、記憶に現れることはなかった、善四郎の人生において、もっとも不愉快だった男の名だ。

 異様に体の大きい、暖かみのかけらもない顔をした男だったと記憶にはあった。先程、思い出したのもその男だ。


「俺はよくあいつとつるんで、お前をいじめてた。思い出したか?」


「新宿の取り巻きなんか覚えてねーよ」


 またしても嫌な男を思い出させられ、声が荒ぶる。

 善四郎は新宿紅真にいじめを受けていた。この番田という男は、そのとき新宿とつるんでいた仲間のようだ。


「あれからあいつとは会ったか?」


「会わないな。死んだんだろ。頭のおかしい奴だったし」


 中学三年生の秋頃、新宿は善四郎の家に放火して捕まり、少年院へ送られた。幸いにして火事は小規模で済んだが、下手をすれば死人が出ていたところだ。

 少年院から出たとは風の噂で耳にしたが、それ以降の足取りは知らない。


「いや、俺はお前が奴に殺されてるもんだと思ってたよ。あのときのことは相当、恨んでるだろうからな」


「逆恨みだろ。十五年も前だし、俺だってもう忘れてた。お前は俺を恨んでるのか? あのときあそこに新宿と一緒にいたなら、俺を恨んでるんじゃないか?」


「あんな程度のことを十五年以上も怒ってられるかよ。そんだけのあいだ怒ってられる奴がいたら、そいつはイカれてる」


「そうだろ」


「だけどあいつはイカれてたぞ。知ってるだろ」


「……」


 番田の言葉に善四郎は黙る。

 新宿紅真とは、小学生からの付き合いだったが、初めて会ったときから頭のおかしい奴だと子供ながらに感じていた。


「けど俺が生きてるってことは、やっぱりどっかで死んだんだろ。十五年も経ったんだ。生きてるなら、その間に一度くらいは殺しに来るはずだ」


 二度と会いたくはない奴。死んでるというのは、善四郎の希望であった。


「……そうだな」


「もう行くけどいいか?」


「ああまあ……いいよ。行けよ」


 言葉は返さず、善四郎はヘルメットを被り、バイクに跨って発車させた。

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