第2話

「……ラッシーっ。ラッシーどこー?」


 雑居ビルが立ち並ぶ夜の繁華街を、7歳くらいの幼女が歩いている。幼女は自宅の犬小屋から逃げ出した飼い犬を探し歩いていた。


「ラッシーっ。どこいっちゃったのかなー。ラッシーっ!」


 大きな声で犬の名を呼ぶ。

 すれ違う者達は奇異なものでも見るような視線を幼女へ向けている。

 当然だ。大人でも、まともな人間ならばよっぽどの理由がない限り、夜のカブキシティは歩かない。


「ラッシーっ! 出てこないとごはん抜きだよー」


 幼女は今、非常に危険な状況に置かれている。無垢で幼い心では、まだそれが理解できないでいた。

 無用心に幼女が暗い路地裏へ入っていく。と、


「――どうしたんだい、お嬢ちゃん?」


 タンクトップにハーフパンツを履いた、ガタイの良いスキンヘッドの男が幼女に声をかけた。男の周囲にいるチンピラ風の男達は、ニヤニヤ笑いながら幼女を見下ろしている。


「えっ? あ、その……」


 厳つい男らを前に、幼女は気圧されたのかぶるりと身を震わす。


「んー? どうしたのかなぁ?」


「あ、あの、犬を……犬を探してて……」


 ようやくという風に、か細い声が幼女の口から吐かれる。

 話を聞いた男はニィっと表情を歪め、


「じゃあ、おじさん達も一緒に探してあげよう」


「ほ、ほんとっ?」


「ああ、本当だよ。だけどね、ただというわけにはいかない。お礼がほしいんだ」


「お礼……。お金、お金はあんまり持ってない、です」


 幼女はシュンとうな垂れる。男は不気味なニヤけ顔を崩さず、


「それは大丈夫。君がお金を持っていなければ、君をお金にすればいい」


「えっ?」


 言葉の意味が理解できないのだろう。幼女は小首を傾げた。


「子供の内臓っていうのは高価でねぇ。高く売れるんだ。だからさあ……犬を探してあげる代わりに、お嬢ちゃんの内臓をもらいたいんだよねぇ」


「あ、嫌っ……自分で探すから、もういい、です」


 うしろを向いて逃げ去ろうと幼女だが、その進路を別の男が塞ぐ。


「あっ……」


「遠慮しなくていいんだよ。さあ、こっちに来い!」


「嫌ぁ!」


 幼女の腕を掴むスキンヘッドの男。嫌がり、逃げようとする幼女だが、自分の体ほどもあるだろう、太い腕からは逃れられるはずもなかった。


「嫌だっ! 助けてっ! パパっ! ママっ! 嫌ぁ!!!」


「うるさい! へへっ、こいつはいい拾い物をしたぜ」


 スキンヘッドの男は泣き叫ぶ幼女を肩に担ぎ、仲間の男達と共には意気揚々と声を上げてその場を去ろうとする。――が、


「ん? おい、なんだあいつ?」


 男達の行く手、五十メートルほど先に一台のバイクが止まっている。

 そのライトからは強烈なハイビームが放たれ、男達を照らしていた。


「なんだ……眩しい、くそっ。やめろ、てめえ! 喧嘩売ってんのか!」


 ライトが強すぎて、バイクに乗っているのが男か女かもわからない。

 腕で目を覆いつつ、ようやくバイクの元まで歩いてきた男達だったが、そこにあったのはバイクのみで、人の姿はなかった。


「ちっ、なめたまねしやがって!」


 憤慨した様子で、スキンヘッドの男がバイクを蹴る。


「いてっ」


「あ? おめーなんか言ったか?」


「いや。お前言った?」


「いや言ってねーけど……」


 どこからともなくした妙な声に、男達は周囲を探る。

 しかし暗い路地裏には男達と、担いでいる幼女以外だれも見当たらず、ひっそりとしていた。


「気のせい……」


「――幼女の香りで白米3杯」


「な、なに? なんだ? どこから……」


 不意にどこからか聞こえてきた声。

 今度こそ間違いなく聞こえただろう。これは気のせいじゃないと、男達は確認し合い、ふたたび周辺を探る動きを始めた。


「幼女の腋は嗜好の領域、ぺろぺろしたっていいじゃない」


「どこだっ! どこにいやがるっ! くそっ、舐めやがって」」


「誰がお前なんか舐めるか! 舐めたいのは幼女の腋だっ!」


「おい、あそこだっ!」


 男のひとりが雑居ビルの屋上を指差す。

 そこにはひらめく漆黒のマント。月明かりに照らされる漆黒の鎧を纏った、西洋騎士のような者が立っていた。

 首から上にはすっぽり仮面を被っており、外見からは性別を判断できないが、声からしてその者は男性だと思われた。


「幼女を愛する幼女の味方、ロリコン戦士ペドカイザー見参っ! とうっ」


「あっ」


 ペドカイザーと名乗った仮面の男が、ビルの屋上から飛び降りる。

 雑居ビルとはいえ、数十メートルはある高さだ。普通の人間がその屋上から飛び降りれば大怪我、もしくは死亡するところだが、


 ――ズンっ。


 地響きを上げながら、仮面の男は両足で地面へと着地した。

 額にはユニコーンのような角。腰には二丁の拳銃を収めたホルスター。背中には2メートルはあろうかという細長い棒を背負った、どう見ても異相の者である。


「お幼女さんへの愚行は、例えPTAが許しても、全世界100億人のロリコンとこのペドカイザーが許さん!」


 ペドカイザーと名乗った男は男達を指差し、


「そちらのかわいらしいお幼女さんを離してもらうぞ」


「なんだこの変な野郎は……あん? えっ?」


 瞬きをしたほんの一瞬だった。男達の前から、仮面の男が消えてしまう。


「ど、どこへ……」


「……あ、おいお前、ガキはどうしたんだ?」


「なに? あっ……えっ?」


 スキンヘッドの男が担いでいた幼女がいない。

 落としたか? しかし、地面にもどこにもいなかった。


「お幼女さんはここだ」


 声のした方へ男達が振り向くと、やや後方に仮面の男が立っていた。その腕には、いなくなった幼女が横抱きに抱えられている。


「怪我はないかな? お幼女さん?」


 問われた幼女はポカンとしていたが、やがてハッとしたように目をパチクリさせ、


「あ、う、うん。大丈夫、です」


「それはよかった」


 心底、嬉しそうな声音で幼女の無傷をロリコン戦士は喜んだ。


「さあ、それじゃあ私がおうちまで送ってあげよう」


「でもラッシーが……」


「心配いらない。わんちゃんは私が探しておくよ」


「ほんと?」


「ああ、本当さ。このペドカイザー、かわいい幼女には嘘を吐かない。だから君はもうおうちに帰りなさい。早く帰らないとおうちの人が心配するよ」


 その言に、少し逡巡したように黙る幼女だが、


「うんっ。わかった」


 やや間を置いて、元気良く頷いた。

 ペドカイザーは「よし」と頷きを返し、幼女を抱いたまま表の通りに向かって歩き出す。しかし、


「おい、待てよ。仮面野郎」


「うん?」


 足を止め振り返ると、3人の男が拳銃を構えているのが見えた。


「ああ、君達も家に帰るといい。ママが心配してるぞ」


「ふざけるな。それは俺達のモノだ。置いていけ」


「俺達のモノ……だと?」


「そうだ。ロリコン野郎。それはてめえのモノじゃねえ。俺達の獲物だってんだよ」


「……聞き捨てならないな」


 言って、ペドカイザーは幼女を下ろし、背に隠れさす。


「幼女をモノだと? ふざけているのはお前らだ虫けらどもめ。幼女とはなによりも尊く美しく、人類でもっとも高位な存在だ。お前らみたいな生きてたってなんの価値も無い、人の形した害虫が、お幼女さんをモノなどと形容していいはずがない。土下座をして謝りなさい」


「てめえ、これが見えねえのか?」


 怒気のはらんだ声を吐きつつ、スキンヘッドの男は右手に構えた銃を揺らす。


「そんなものをこちらに向けるな。しまえ。お幼女さんに当たったらどうする」


「うるせえよ。だったらそれを――がっ!」


 転瞬、拳銃が男の手から弾き飛ぶ。


「嫌なら捨ててさせるだけだ」


 腰のホルスターから抜き放った拳銃を使い、ペドカイザーは男達の持つ拳銃を次から次へと撃ち落していく。

 あまりに早く、正確なその射撃に、男達は呆然と立ち尽くす。


「もう一度言う。お幼女さんに謝罪して、うちへ帰りなさい」


「ク、クソがっ! ぶっ殺してやる!」


 スキンヘッドの男を筆頭に、男達がペドカイザーへ向かっていく。

 ペドカイザーは拳銃をホルスターへ戻し、


「お幼女さん。目を瞑って耳を塞いで10数えなさい。数え終わって目を開いたときにはすべて終わっているから」


「えっ? あ、うんっ。いーち、にーい、さーん……」


 …………そして幼女が目を開く。

 と、そこにチンピラ男達の姿は無く、ペドカイザーとバイクが一台があるのみであった。 


「さあ、おうちへ帰ろう」


「あの人達は?」


「ママが心配するからって、帰って行ったよ」


「ふーん」


 と、そのとき――。


「わんわんっ」


「あ、ラッシーだっ!」


 1匹の犬が幼女の側へと寄ってくる。

 幼女は犬を抱き締め、嬉しそうに頬を綻ばせた。


「君の犬?」


「うん。もう、勝手にお散歩行っちゃだめじゃないラッシー」


「くーん……」


 反省したように犬の頭がシュンと垂れる。


「よかった。それじゃあ、わんちゃんと一緒に家まで送ってあげよう」


「うんっ。あのね、わたし、お名前ナナっていうの」


「ナナちゃんか。良い名前だね」


 名前を褒められて嬉しかったのか、幼女は微笑み、


「えへへ。……あ、えっと、助けてくれてありがとう。ペドカイザー」


「いや、私は幼女の味方だ。当然のことをしただけだよ」


 そう言ってペドカイザーは幼女の手を握り、彼女と犬を家に送り届けるため、その場を去った。


 …………


「あ、が……い、い、た」


 ペドカイザーらの去った路地裏を囲う雑居ビルの屋上では、先程の男達がぼろぼろの姿になって倒れていた。


「……あ、ペドカイザーっ。あそこでおばさんがぶたれてるよっ」


 幼女の指差した先では、ケバい中年女がヤクザ風の中年男にぶたれていた。カブキシティでは、よく見られる光景である。

 ペドカイザーは幼女の指を下ろさせ、


「私は幼女の味方ペドカイザー。おばさんは助けない。おばさんは幼女じゃないから」


 ペドカイザーは幼女だけのヒーロー。幼女でない人は助けない。


「あ、そうなんだ」


「そうなのだ。まあ、死にはしないよ。たぶん」


 心底どうでもいいように言って、幼女と犬を連れその場を去る。そのうしろを、無人のバイクがゆっくりとした速度でついていった。


 幼女の味方ペドカイザー。

 犯罪都市カブキシティで活躍する、ちょっと風変わりなヒーロー。元は普通の人間だった彼がペドカイザーとなったのは、現在からちょうど半年ほど前のことである。

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