第23話


「お父様は、おじい様が『じいや』として暮らすことを承諾したそうです。シエルに教えてもらいました」


 穏やかな茜色に世界が包まれていくのを城の屋上から見つめ、クレスは隣に並ぶアリスに静かに語り始めた。


「おじい様は、父と息子の思想に賛同出来ず、吐き捨ててお父様に地位を譲ったそうで。……その頃から、もう既に計画していたんですね。魔族にも人間にも……息子にも希望を持たせてから、一番卑劣なやり方で打ち砕く方法を」


 ただ、魔力に関しては歴代に比べて明らかに少なかったため、油断と隙を突いて『傀儡魔法』を実行した。

 反目しているとはいえ、先代魔王にとって大切な家族だったはずだ。他人の様に割り切れなかっただろう。

 だから。


「親友の息子と初めて顔を合わせると出かけて行く時、お父様は本当に幸せそうでした。おじい様は、その時を狙ったみたいです。……お父様のやり方に根負けしたフリをして」


 よくやった、と。

 初めて父に認められ、油断した先代魔王は結果、不意を突かれた形でまんまと操られ、自らの手で最愛の親友を殺した。親友の息子であるアリスの目の前で。

 そのままアリスを殺めなかったのは、必死に息子を護る親友に己が姿を重ねたのか。それとも、卑劣な父に対する最後の抵抗だったのか。

 知る者は、もうこの世にはいない。


「大切な人を殺してしまったお父様の心は、きっとばらばらに引き裂かれるほどの絶望だったと思います」


 強引に戻ってきた先代魔王は無防備だっただろう。反発した故に不要になった彼を、実の父親ハウエルが抹殺した。

 そして、父親の死に衝撃を受けるクレスを操った。魔力の較差が激しくとも、心の隙に付け入るのは簡単だったはずだ。


「……物語通りの魔王らしい魔王だったな、ハウエルは。弱いけど」

「それは、勇者様だから言えるんです。シエルも強いですけど、おじい様に太刀打ちするのは難しいと言っていました」


 シエルは、生まれた時からハウエルの奴隷だったそうだ。

 人を人とも思わぬ扱いに心身をボロボロにされた後、先代魔王に引き抜かれたという。

 何も話さず、表情も一ミリも動かさず。忠実過ぎて、己の命を全く顧みないシエルの無謀な生き方に。



〝……シエル! 我が息子よー!〟



 大号泣したそうだ。あの日記から鑑みれば、先代魔王らしい。

 クレスと共に家族として抱き締められ、可愛がられ、大切に育てられ、次第に心を開いていったとはシエルの言だ。

 事の顛末を聞き、アリスは深々と溜息を吐いて遠い目をする。差し掛かる夕日が眩しい。


「そりゃあ恩人になるよなあ。俺の大事な親友殺してでも、俺に賭けてお前助けようとするよな」

「ゆ、勇者様……」


 わざとらしく皮肉るアリスに、クレスはおろおろと右へ左へ視線を彷徨わせる。

 動揺っぷりが面白いのでしばらくこのままにしておくかと、アリスは意地悪い処遇を決めた。そのまま、全てが終わった後の会話を思い起こす。



 シエルは、最初からアリスに賭けていたと白状した。



 彼は、クレスを楽にして欲しかった。最悪、討ち取ってでも苦しむ彼女を助けて欲しかったと語っていた。

 事前にミシェリアの宰相であるレティアスに極秘の手紙を送り、相談していたそうだ。アリスをどうにか仕向けてくれと頼み込んだらしい。


 今冷静に考えてみれば、レティアスの発言はおかしかった。


 アリスの魔王討伐発言は、謂わば『今までの友好関係を無に帰す』という宣言だ。それを、散々に和平を支持してきたあの切れ者が、あっさり承諾すること自体不自然だった。

 だが、あの宰相も一枚噛んでいたのなら納得だ。もしアリスが言い出さなかったら、彼女からけしかけてきただろう。「討伐にでも行ったらどうです」と。


 最初から、あの宰相はアリスが魔王を討てないと踏んでいたのだ。


 憎悪を抱いたままとはいえ、アリスが簡単に世を混沌に逆行させる罪は犯さないと。

 それを吟味した上で、宰相はシエルの要望に応えたのだ。


 ――宰相も、アリスに先に進んで欲しかったのかもしれない。


 普段は事務的な態度だが、心配してくれていたのは気付いていた。

 清々しい気分でアリスは敗北を受け入れ、感謝する。



 そして、ロッジとアデルにも。



 命懸けの芝居を打った二人を思い出し、アリスは天を仰ぐ。

 シエルは二人に関して、最初は見捨てるつもりだったと言っていた。

 アリスの理性を吹き飛ばすためにハウエルが目をつけ、殺害する計画を立てていたらしい。確かに冷静さを欠いたアリスなら、下手を踏んで危なかったかもしれない。卑劣ではあるが、作戦としては悪くないだろう。

 だが、シエルは交友を重ねる内、二人に情が湧いたという。



 あの二人には、死んで欲しくない。



 久々の感覚に戸惑いながらも、計画が狂うことを承知でシエルは行動に移した。

 先に自分が重傷を負わせ、死を偽装しようとした。ぎりぎりまで己の思惑をハウエルから欺くためには、二人をどうにもしないという選択肢は無かった。



〝お願いです。クレス様を助けて欲しいのです。お願いします〟



 死にそうな顔で訴えられたと、アデルが笑っていた。

 アリスに全て賭けたい。だから、命を預けて欲しいと。

 かなり唐突であったし、攻撃されてから――どうやら一撃目はきっちりかわしたらしい――のカミングアウトだったので、混乱はしたそうだが。結局乗ることにしたとロッジも嘆息していた。

 全てが終わった後、床に頭を擦り付けるほど謝り倒すシエルに、ベッドの上で臥せていた二人は。



「俺たち、友人だろ」



 友人を信じるのも助けるのも当たり前だ。



 簡単にけろりと断言した二人に、シエルは滅多に感情を表に出さない顔を崩していた。

 それは些細過ぎて見逃してしまいそうなほど小さかったが、肩を震わせていたのを目にすれば推し量れる。

 あれを見た後では、アリスも怒れない。二人には、笑いながら強烈な拳骨を落としてすませておいた。


 自分は殺されても構わない。

 それでもクレスだけはと、願って行動したシエル。


 ここの主従は、揃いも揃って大馬鹿者だ。敵である勇者を信じたのだから。

 しかし、彼ららしくもある。

 そんな彼らに、アリスも救われた。


「ほんと、変な奴らだよな」

「え?」

「いや、何も」


 独白を誤魔化し、アリスは緩やかに沈んでいく陽を見つめながら、元凶の末路を思う。



 あれから、ハウエルは自害した。



 根も葉もない崩御の噂が真実になった瞬間だった。

 小手先だけが取り柄の魔力が小さい魔王は、肝っ玉も小さかった。

 クレスの呪いが解け、アリスが仁王立ちした今、彼に勝機は残されていなかった。

 半ば狂っていたハウエルは、完全に気を違えながら己の首を魔法で潰した。

 思わず目を背けたくなる凄惨な光景は、瞼の裏から消えはしない。これからも、アリスの記憶の片隅に留まり続ける。


 だが、これも十字架だ。言葉の果ての。


 アリスは今回ハウエルを見逃したが、次は無いと決めていた。怪しい動きをしたなら、すぐにでも切り捨てる冷酷な判断を下していた。

 これからも、十字架は増えるだろう。

 重みも増していく。英雄という名の殺戮者として、一生を過ごす。

 言葉を交わしても、誰かと刃を交える日が来るのは避けられない。今回の様に。

 それでも、自分は歩みを止めない。止まらない。



 父と、何より自分の夢を実現させるためにも。

 失われた笑顔を、裏切らないためにも。



「……勇者様」


 物思いに耽っていたアリスは、遠慮がちな雰囲気に呼び戻される。

 ぴいっと、頭上では白い鳥が高く鳴いた。弧を描きながら優雅に飛ぶ様に、のどかな日常を発見する。

 何だ、と短く放つアリスに、クレスは目を伏せた。


「勇者様は、お父様のこと……」


 続く言葉は、結局虚空に吸い込まれて音にはならなかった。

 発するのも随分と気力が必要だったろう。アリスとしても、まだ胸に鈍い痛みを覚える。

 だから、答える。嘘偽りないままに。


「……憎んでいないと言えば嘘になる。黒幕がハウエルでも、実際に手をかけたのはお前の父親だからな。それをこの目で見てるから、理解はしても拭えはしない」


 感情は、未だあの日の真っ赤な結末に囚われている。心の中で決着をつけるのは、もっと先になるだろう。

 しかし。


「俺は俺だ。父さんは父さん」


 ロッジに諭された。

 自分は、自分の道を歩んで良いのだと。


「んでもって、お前はお前。父親は父親だろ」


 未だ彼の名前を呼べないのは、わだかまりがあるからだ。これからも、彼の名を耳にするたび複雑な絡みに縛られるだろう。

 だが、クレスはクレスだ。

 父の親友では、無い。


「ま、俺は弱いから。許してくれとは言わねえけど」

「強いです」


 はっきりと明言され、アリスは珍獣を見る目つきで彼女を見やる。

 いつの間にこちらを向いていたのか、真っ直ぐに彼女はアリスを見据えていた。

 深い色合いの紫紺の瞳は、出会った時と変わらない。綺麗な紫水晶だ。


「普通は恨みます。大切な人を殺されたなら、殺した本人だけではなく、それに連なる者も」


 確かに、通常は割り切ることも不可能だろう。

 それを責められはしない。誰だって理屈だけでこの世を渡れたのなら、戦争なんて存在しないだろう。

 クレスは控えめに微笑んで、もう一度断言した。



「勇者様はとても強いです。私が、思い描いていた通りの人です」



 私は、逃げることしか考えていなかったから。



 自嘲気味に締め括るクレスに、アリスは言葉を探したが、結局「そうか」とだけ返した。

 何を言っても白々しく響くだけだ。むしろ、沈黙という言葉こそが必要な気がした。

 しばらく、無言が二人の間に横たわる。さわさわと風に揺れるこずえの囁きや風の歌声、穏やかな夕日の沈黙に安らぎを浸す。

 こんな風に心安らかに魔王と並ぶことになるとは、少し前のアリスは夢にも思わなかった。友人の様に肩を並べ、同じ景色を見渡す光景など夢物語でしかなかった。

 だが、今なら断言出来る。



 勇者と魔王は、人間と魔族は、共に歩いていけると。



「俺さ、国に帰ったら言おうと思う。お前と、魔王と会ったって」

「――――――」



 明日の天気を予想する様な口調で、アリスは決心を紡いだ。

 クレスは一度頷きかけ、マッハの速さで振り向いてくる。あまりの仰天ぶりに、アリスは堪らず噴き出した。


「おまっ、そんな驚かなくても」

「で、でも、だって」


 未だ、勇者と魔王の関係に不満を抱く者はごまんといる。百年前より大分緩和されたとはいえ、両国で火種は燻っていた。

 特にミシェリア方面では、未だ上層部の反発も根強い。

 だが、尻込みしていても仕方がないのも事実だ。


「お父様たちも慎重になっていたのに……」

「言ったろ、さっき。俺たちは俺たち。何も、俺たちまで父さんたちと同じやり方しなくたって良いんだ」


 二の足を踏むクレスに、アリスは気楽に肩を竦めた。

 見たところ、魔族側は彼女の父親の尽力もあって、実現はもう目前に見える。

 問題はアリス側だろう。これまで以上の困難な道のりを歩むことになる。

 しかし、この方法こそが最も効果的だとアリスは考えた。

 自分が、実際に魔国に来て変われた様に。



「これから人間と魔族が、より歩み寄るなら、まずは手本見せなきゃ駄目だろ」



 直接顔を合わせることの大切さを身を以て実感したからこそ、アリスは決断に踏み切った。

 衝突があろうとも、言葉ですれ違おうとも。

 それでも、直に言葉を交わすことで道は切り開ける。アリスは、そう教わった。


「口だけで和平を説いたって、説得力も何もない。俺たちトップが率先して顔合わせなきゃ、示し付かないだろ」


 まだ和平路線が駆け出しだった頃は、統率者が邂逅したなら反感を煽る火種になったかもしれない。

 あの頃は、統率者が顔を合わせなかったからこそ、まだ民は平静でいられた。不満を募らせても、自分達の声を尊重してくれていると我慢出来た。

 父達の判断は賢明だったのだ。それだけ、両者の因縁は壮絶で血みどろだった。

 だが、骨組みが完成している現在なら。



 勇者と魔王の直接会談は、和平の後押しになる。



「昔とは違う。今なら理解者も多い。きっと、マイナスだけにはならない」

「でも」

「作るんだろ。人間と魔族が、一緒に笑える世界」

「―――――――」



〝いつか、きっと。人間と魔族が一緒に笑っている世界を、この目で見ると〟



 父達が願った世界。

 自分達が夢見た未来。

 そして恐らく、物語の『勇者と魔王』の二人も抱いていた希望。

 自分達は物語と違い、この手で未来を紡いでいける。

 自分達は、生きている。

 父達の祈りも息衝いているのだ。自分達の、中に。


「――はい」


 それをクレスも感じ取ったのか。

 そっと祈りを抱き締める様に、胸に手を当てる。



「私、勇者様と一緒に作っていきたいです。並んで、笑って歩きたいです」



 はにかみながら、ささやかな夢を語る彼女。

 それは、自分も願ったこと。アリスは目を細めて頷いた。

 紺瑠璃の瞳と、紫水晶の瞳が触れ合う。かつてのぎらぎらした濁りではなく、綺麗な希望を灯した輝きが互いに邂逅する。

 その事実が嬉しくて、アリスはついでに気になっていたことを口にした。



「てかさ。お前、その勇者様ってのやめろよ」



 口にすれば、え、と戸惑った様に目を丸くし、クレスは首を傾げる。その鈍さに、苦笑まじりに嘆息した。


「これから仲良くやってくんだから、他人行儀すぎるだろ。名前で良い」

「っ、え!」

「何だよ。お前、俺のこと名前で呼んだじゃん。今更だろ」


 自分が死んだふりをしていた時、確かに彼女は「アリス」と呼んでいた。忘れるわけがない。

 なのに、彼女はぼん、と音を立てて顔を真っ赤にした。何故このタイミングでその反応なのだろうか。意味が分からないと、彼女の額に手を当てる。

 すると、クレスは益々顔を紅潮させた。もはや肌に白い箇所が見当たらない。謎は更に謎を呼んだ。


「あ、あああ、あ、の!?」

「風邪でも引いたか? まあ、色々あったしな。今日はもう寝るか」

「い、いいいいえ! います! 勇者様とまだいます!」

「……勇者様」

「……あ」


 苦笑しながらアリスが指摘すれば、クレスは気まずげに顔を伏せる。くつくつと笑うと、恨みがましげに彼女が見上げてきた。少し可愛らしい。

 だが、容赦はしない。名を呼ぶまで見つめながら待つ。

 何故こんなに名前にこだわるのか。疑問は過ぎったが、それも悪くないと思った。

 しばし、奇妙な静寂が床を這っていると。


「……ス、さん」

「ん?」


 か細くて、聞き落としてしまいそうなほどの音量をアリスは拾い上げた。少しの期待と共に、短く聞き返す。

 すると。



「……、アリス、さん」

「―――――……」



 挑む様に見つめられた。

 顔中を真っ赤っ赤にし、耳まで茹でた状態になって名を紡ぐクレスに、アリスはぶはっと盛大に噴き出した。


「お、ま、そんなに緊張すんなよ」

「だ、だって、ですね! わ、わわわ私にとって、勇者様は憧れで……!」

「勇者様」

「っ、あ、あああ、あ、……アリス、さん」


 意地悪く訂正を要求すると、クレスはどもりまくりながらも名を口にする。

 その様子が可愛くて、己の名前が妙に弾んで響いてむず痒くなった。勘弁してやるかと、もう一度笑って落とし所をつける。

 その合図として。



「ま、これからもよろしく頼むな、――クレス」

「―――――――」



 ぽん、と頭を叩いてアリスは屈託なく微笑んだ。きちんと相手の名を乗せ、最大限の友好の証を示す。

 名を呼ばれたのが意外だったのか。それとも、微笑んだのが物珍しかったのか。クレスは真っ赤な顔をもうこれ以上ないほどの紅色に染め上げてから。



「――はい、アリスさん!」



 花も顔負けの、綺麗な笑顔を咲かせてきた。

 その姿に、もう悲哀はない。とても幸せな一人の少女がそこに在る。

 そのことにアリスは満足して、一緒に笑った。



「これから忙しくなるな」



 何たって、勇者と魔王の記念すべき始まりの日なんだから。



 そんな風に軽口を叩くアリスは、吹っ切れた様な清々しい表情で。

 彼の傍には嬉しそうに並ぶクレスの姿があったと、後に双子騎士と執事は語る――。






『むかしむかし、あるところに』


 その型通りの文句から始まる勇者と魔王の物語は。

 型破りな勇者と魔王によって、囚われし伝統を断ち切ったのです。

 勇者の魅力に囚われた魔王を自由にしたのは、他ならぬ勇者で。

 籠に囚われていた魔王を自由にしたのも、また勇者。

 その後、勇者と魔王は、『生涯手を取り合って、世界を笑顔でいっぱいに出来た』のか。


 それはまた、別の機会に語られるのでしょう――。


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囚われの魔王 和泉ユウキ @yukiferia

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