43.はじまりの戦い【最終話】

「上段受け、構え!」


 ――オォゥッ!



 猪鬼オークたちが掛け声とともに、基本の稽古に汗を流す。その様子を、おれは後ろから眺めていた。


 あの闘いから数週間――回復魔法で体力は癒えても、砕けた拳は簡単には治らない。拳の他にも、身体中に細かい骨折や筋肉、靭帯などの損傷が、山ほど。闘いの後で倒れてから、1週間近く眠り続けていたらしい。



「そろそろ、いいと思うんだがな……」


「ダメですよ。大人しくしていてください」



 隣に立って稽古を見ていたエルフの青年、ソークが言った。



「僕だって鎖骨が砕けて、しばらく動けなかったんですから……その報いを受けたと思ってください」


「う……」



 意外に根に持つタイプなのだろうか、このエルフは。



「……それにしても、あなたと『魔剣の勇者』との戦い……見ておきたかった」



 ソークが真顔になって言った。これも何度も言われた話だ。



「……どうしても、想像します。戦っていたのが僕だったら、勝てただろうか、と」


「武術家のサガだな」


「ええ」



 猪鬼オークたちは基本稽古を終え、型稽古へと移っていた。それを見ながら、おれは言う。



「……城の牢獄から、ジャヴィドが姿を消したらしい」


「……そうですか」



 それはおれも今朝、聞いた話だった。あの闘いのあと、捕えられたジャヴィドは、地下牢へと繋がれていたのだが――



「……そもそも捕えておけるような相手ではないですね」


「だからと言って、野放しにもできなかったんだろう」


「……またなにか、やらかそうとするでしょうか」


「……いや」



 あの闘いで――ジャヴィドがなにを思ったか。それはわからない。しかし――



「……たぶん、大丈夫だよ」



 おれは立ち上がり、ひとつ伸びをする。そして、猪鬼オークたちの稽古を見てやろうとそちらへ歩いていった。


 * * *


 おれが稽古をつけ始めたのは、猪鬼オークたちだけではなかった。



「正拳中段突き、構え……!」



 あの闘いから数カ月が経ち、稽古が出来るようになっていた俺は朝、城の中庭で空手指導に立つ。そこには、ウィルマ姫と、侍従、そして騎士の中の何人か――そして、城付きの賢者クライフ。



「大賢者様にも昔、もっと身体を鍛えるように言われたものです」



 最初は蒼い顔をしながら稽古していたクライフも、徐々に動きがこなれて来ていた。騎士たちはさすがに体力があるが、動きが硬い。意外と筋がいいのがウィルマ姫だ。若さゆえか身体が柔軟で、運動神経もいい。


 掛け声にあわせて、それぞれが熱心に稽古に励んでいた。いつもいるのはこのメンバー、たまに顔を出す騎士が何人か。一度はウィルヘルムまで見に来たことがある。



「親として、子の様子を見たいと思っただけさ。気にせず続けてくれ」



 ウィルヘルムはそう言って木陰に座っているだけで、稽古には参加しなかった。


 聞くところによれば、あの大臣のホランドが物陰で、おれたちの稽古を真似しているところを騎士のひとりが見たこともあるという。ホランドは慌てて取り繕っていたが、実際に稽古に参加しに来たことはない。


 それでいいのだと思う。なにも全員が空手をやる必要はない。それぞれが、それぞれの戦い方を持っていればそれでいいのだ。ウィルヘルムやホランドには、彼らの戦い、彼らの技がある。



「先生、この技の時はこうでよいのですか……?」



 稽古の合間に、騎士たちが尋ねてくる。



「そうだな、もっと、こう……」



 おれは弟子をとったことはないが――こうして熱心に学ぼうとする姿を見ると、つい熱が入る。



「だが、空手の動きに正解はない。繰り返し毎日、稽古をして、自分に一番あった動きを自分の中から見つけるんだ」


「はい! ……いや、オス!」



 ――それは充実した時間だった。



「お身体の方はもう、完全に治ったようですね」



 稽古後、ウィルマ姫が冷たい水を持って声をかけてきた。



「そうだな。もう大丈夫だ。またドラゴンとも戦えるぞ」



 ――おれがそう言った瞬間、ウィルマ姫の表情が曇る。



「……また、戦いに行ってしまわれますか……?」


「……」



 一瞬の沈黙。ウィルマ姫が続いて言う。



「あなたは救国の英雄です。お父様は決してあなたをないがしろにしません……この城に住み、空手を教えて暮らす……その生活に不満がございますか?」


「……ありませんよ、ウィルマ姫。不満など、あろうはずがありません」



 おれはウィルマ姫を見て、笑った。


 * * *


 夜。


 おれは手荷物を詰めた袋を担ぎ、離れの部屋を出た。寝静まる城の中を抜け、裏手へと向かう。裏の門にも見張りの兵士がいるが、一瞬の隙をついてその死角を走りぬけ――



「……ふぅ」



 上手く外へ出て、ひと息ついた、その時――



「……黙って出ていくとは、ひどい男だな」



 不意に声がかかり、おれは振り向いた。そこには月明かりにその金髪を輝かせる、女騎士――



「……エンディさん」



 あの一件以来、エンディは王の「御庭番」として城に詰める身だった。王の近くに控え、勅命を受けて任務をこなす、いわば王直属の冒険者である。



「また修行の旅か? それとも……」



 エンディは一瞬、その眼に寂しそうな光を浮かべた。



「……元の世界へ、帰るのか?」


「……いずれはな。だが、今じゃない」


「それなら」


「……いや、ここに留まるのも、今はまだその時じゃない」



 おれは城を見上げて言う。



「弟子を取って指導をして暮らすのも悪くはない。だが……おれはまだもう少し、世界を見ていたい。色々な相手に挑み、色々な技をこの目で見てみたい。せっかく、神や悪魔が実在する世界に来たんだぜ? 勝負してみたいじゃないか」


「……まったく」



 エンディはため息をついて頭をかいた。



「貴公の空手バカには呆れるしかない……どうせ止めても聞かないのだろうしな」


「そういうことだ」



 エンディは苦笑した。



「……姫さまには、私から上手く言っておく。極秘の任務だとでも……」


「……その必要はありません」



 ――その声におれとエンディは、同時に振り返った。そこに立っていたのは栗色の髪の、この国の第8王女――



「……ウィルマ姫」


「……先生……なぜなのです?」



 ウィルマ姫はその眼を伏せ、上目遣いにおれを見上げるようにして言った。そういう顔をされると、どうも弱い――おれは目を逸らし、言う。



「……すまない、おれはまだ、先生と呼ばれるつもりはないんだ」


「それでも、わたくしにとっては先生です」


「……」



 おれは黙っていた。エンディが俺とウィルマ姫の顔を見比べていた。


 ウィルマ姫は口をへの字につぐみ、しばらく下を向いていた。



「……どうしても、行かれるのですね」


「ああ……」


「だったら……」



 ――瞬間、ウィルマ姫は顔を上げ、その眉に力を込めた。



「だったら! わたくしを倒してから行きなさい!」



 ウィルマ姫はそう言って、組手立ちに構える!



「姫さま!? そんな……一体なにを……」


女騎士デイムエンディ! あなたが立ち合い人です……これは決闘デュエルです!」



 ウィルマ姫はそう言って、拳を握る――



「自分の意を徹すための力……例え力が及ばずとも! 自分の声を呑みこまず、はっきりと意思を示すこと。自分というものを肯定し、自由を掴む勇気の力……それが空手の道であると私は学びました。さぁ……構えなさい、神の手ディバイン・ハンド!」



 ウィルマ姫の目――それはかつて、牛頭魔人ミノタウロスの前で怯えていた少女の目ではない。そこにいるのは、強い意志を持ち前に進もうとする、ひとりの自立した淑女の姿だった。


 ならば――



「……よい構えだ、ウィルマ姫」



 おれは荷物を置いた。足を開き――両の掌を前に向け、構える。前羽の構え――!



「あなたにとって初めての、自己の誇りを賭けた本当の闘い……このおれが、その相手となろう」


神の手ディバイン・ハンド! もし私が勝ったら……その……その時は……」



 一瞬、ウィルマ姫が顔を赤らめ、その目が泳ぐ。しかし、次の瞬間――



「……行きます!」



 ウィルマ姫が踏み込む! そしてそこから繰り出される追い突き――それはおれの想像よりも遥かに速く、鋭く、おれの眼前に迫る――!



「……ふんっ!」



 おれは身体を捌き、外受けでそれを受ける! そして――



 ――ヴンッ!!



 次の瞬間、おれの右正拳突きが――ウィルマ姫の目前で、止まった。


 数瞬、沈黙。そして――おれは拳を降ろした。ウィルマ姫はその場にぺたん、と座り込む。



「……寸止めなど……情けをかけるのですか!」



 悔しさを滲ませ言う言葉に――おれは答える。



「甘ったれるな!」


「……!」


「挑み、負けて、死ぬような覚悟でいたら、道半ばまで往く前に命を落とす! それではなにも成し遂げられない。それは勇気ではなく、自棄だ」



 目を丸くするウィルマ姫に、おれは言葉を継ぐ。



「戦う覚悟もいいだろう……だが、大事なのは諦めないこと。彼我の差を見極め、受け容れる覚悟を持て。勝てないのなら、勝てるように考えろ。そしていつか、必ず勝て!」


「……お……押忍……!」


「そうだ、押忍、だ」



 おれは腰をかがめ、ウィルマ姫に手を差し伸べた。



「今回は勝負を預けておく。いつか決着を」


「……はい! いつか……いつか必ず、あなたに勝ちます……!」


「……楽しみにしている」



 ウィルマ姫はおれの手を取り、立ちあがった。おれは姫の目を見る――姫もまた、おれの目を見ていた。


 傍らでエンディが肩をすくめた。


 * * *


 城門を抜けて街を出る頃、ちょうど朝焼けが空に浮かび始める。


 二つの太陽のひとつが現れて、午前。二つ目の太陽が現れると昼になり、さらに明るさが増す。ちょうどおれが行こうとしている方角に、朝の光が生まれていた。



「……で、どこにいくの今度は?」



 不意に、隣から声が聞こえる。いつの間にか、銀髪の女神がおれのすぐ横にいた。



「どこだろうな。とりあえず、強い魔獣モンスターはどこかにいないかな」


「……結局それなのね、あんたは」


「他になにがあるってんだ」



 おれは街道を踏みしめ、一歩一歩足を踏み出していく。行く先では、夜の中に空が生まれ、広がっていた。おれの背後はまだ、夜。


 ――不意に、おれは女神に問いを発する。



「……おれがこの世界に来た意味は、あったかな?」


「どうしたの? 珍しいじゃない、そんなこと気にするの」


「いや……」



 旅の中で出会った人々の顔を、おれは思い出していた。元より、世界を救うために闘っていたわけではない。飽くまでおれの闘いは、おれのもの。それでも――この地に生きた証をなにか、残せたのなら。



「……異世界から来訪者を導くことで、世界の因果を調整するのが私たち女神の役割なの。そうやってこの宇宙はバランスを取っている。人は誰でも、存在するだけでその宇宙に影響を与えているのよ」


「……そうか」



 おれは足を止め、女神に向き直った。



「それで、今度はどこへ導いてくれるんだ?」


「どこへでも、あなたの心の向くままに。私は手助けをするだけ」



 女神は微笑み、その姿を光と変えた。



「行きなさい、次元遊者ブレーンウォーカーよ……運命の導きのままに、ね」


「……運命なんか知らねぇよ」



 女神は光の中に消え、おれは朝焼けの中にひとり、佇む。



「……おれは空手を、信じるだけだ」



 おれは再び、朝日の方角へとその二本の足を踏み出した。




<空手バカ異世界・終>

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空手バカ異世界 ~物理で異世界ケンカ旅~ 輝井永澄 @terry10x12th

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