42.その二本の足で立て(後)

 その白い球は、大地にあっても光の渦を発し続けていた。


 その放つ光――いや、吸い込む光は、先ほどよりも強く、大きくなっている。その渦の中に落ちていくかのように、世界から魔力を吸収し続ける球――



「頼む……! このままでは、みんなが……!」



 エンディが叫ぶ声が聞こえた。周りを見渡せば、既に兵士たちのほとんどが意識を失っている。ウィルヘルムも、ホランドも、バーガンドも、既に倒れていた。必死に叫ぶエンディの顔も、その唇は枯れ、眼窩は落ち窪み、膝をついてやっと身体を支えているといった体だ。


 急がねば――!


 おれは地に落ちた「無限の真球」へと向かう。この球に向かうことができるのは、この場でおれひとりのみ。


 ハンドボールほどの大きさの、白い球――その白さはまるで、世界の中でそこだけが色を失ったような、無色。無限に魔力を吸い続け、その中に蓄積し続ける、完全なる球体。


 ディン老人によれば、神器アーティファクトは「オリハルコン」という鉱石で出来ているのだという。それは永久不滅と言われる伝説の石。そして――発動し始めた「無限の真球」を止めるには、それを破壊するしかない――!



 おれは胸の前で腕を交差し、息吹いぶきをした――そして丹田に気を、丁寧に溜める。


 左脚を一歩、前に出し――左腕は自然に提げ、右手は腰だめに。掌を上に向け、小指から順にその中へ折り込み、拳を握る。



 試割ためしわり――空手の演武として一般的なデモンストレーションである。板や瓦、バットやブロックなどを自らの手足で破壊してみせる――それは演者の練度が試される場。


 力はもちろんのこと、無駄なくその力を伝える技のフォーム、そして、割る対象を的確に打突する集中力が必要とされる。どんなに強い力で叩いても、叩く場所が悪ければ砕くことはできないのだ。


 逆に言えば――その「目」を見切り、適切に衝撃を加えることさえ出来れば、どのようなものでも砕くことは可能――!



 おれは「無限の真球」を見た。


 真球――完全なる球体。


 これを砕くために、衝撃を与えるべきはその「中心」。


 完全な円周率の元に作られた完全なる球体の、「中心」――そのただ一点。そこへと至るラインは、表面の曲線を微分した直線に対し、垂直に交わる線。世界の中に、ただ一つしか存在しない角度。


 それはまさに、無限の隙間――概念の中にしか存在し得ないその線を、正拳で突くという、それはまさに、神の所業――



「それができるのは、それこそ神の手、か……」



 それは究極の一撃であり、空手家の目指す到達点だ。


 生涯をかけて技を磨き、心身を鍛えてただ一度、放てるか放てないか――その一打に、この世界の命運がかかっている。


 おれに、出来るだろうか――そんな考えが、脳裏をよぎる。集中しようとしても、悪い想像ばかりが浮かぶ。ダメだ――おれには、とても――



「気楽にやれよ」



 ――誰かの声が聞こえた。



「この世界に生まれて落ちて、二本の足で立ってるだけで奇跡なんだ。その延長線上でやればいいのさ」



 ――二本の足の延長線上で――


 ああ、これは――



「二本の足で立つ、その延長線上に、すべての技が存在する。立てるやつなら、誰でも強くなれる」



 空手を始めたころ、教えてもらった言葉だった。



 おれは足の感触を確かめた。まずは正しく、立つ。そして膝へ、腿へ、腰へ、丹田へ――


 大地に対し、まっすぐに、正しく立った力を、そこから全身へ、拳へ。


 呼吸を整え、タイミングを探す。目を凝らし、見る。


 無限とも思える時間。


 無限の円周率の中にラインを探し、無限の隙間の中に潜る。


 大地という球に、その中心に向かい、まっすぐに立っている、おれという力――


 その力を、脳の中に掴む。


 その力と、一体化する。


 空間と、世界と、ひとつになる――



 おれの拳が、静かに繰り出されていた。それは自然に掴んだ、自然のタイミング。自然のライン。当たり前のように繰り出された拳が、当たり前のように、球の表面を、叩いた。



 手応えはなかった。


 気がつくと、俺の拳が「無限の真球」を押しつぶし、砕いていた。



 ふと、おれは空を見上げる。


 重なり合っていた二つの太陽が、いつの間にかまた分かれていた。


 割れた球からは、特になにかが噴き出すわけでも、弾けるわけでもなかった。ただ、周囲の景色の色彩がわずかに、鮮やかになったようだった。


 目の端で、なにかが動いた。


 兵士のひとりが、身体を起こした。まるで眠りから覚めたかのように、なにごともなかったかのように。


 おれは振り向いた。


 ウィルマ姫がエンディの腕の中から離れ――その二本の足で、立っていた。



「………………ふぅ」



 おれは大きく息を吸い込み――肺一杯に溜めたそれを、吐きだした。


 そして――



 そこで、俺の意識は途切れた。

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