41.その二本の足で立て(前)
――二本の足で、大地に立つ。
それはなんと簡単で、なんと難しいことなのだろう。
おれたちがみな、当たり前のようにやっているこの技は、生まれてから習得に約1年を要する。
それはすべての基本であり、前提となる技――空手だけではない。すべての人間の技は、ここから始まるのだ。
二本の足での直立二足歩行――それによって自由になる前脚。それを使い、成される様々な技。物に触れ、物を動かし、掴み、作り、そして物を砕く――すべての基本であり、人間という生物の奥義だといっていい。
二本の足で大地に立つことによって、人は自由になった。
大地から解放されることで、ヒトは人となったのだ。その足でどこへでも歩いていき、その手でどんなことも出来る。
――そうだ。
おれは大地から手を離し――立ち上がる!
――カラテ! カラテ!
――
みなが呼ぶ声――それはおれへの声援ではない。人間の力――無限の力へと立ち向かう、人間の姿そのものへの声だ!
おれは二本の足で立ち、空を見上げる。ジャヴィドが上空で剣を高く掲げていた――
「立ったからといってどうなる!? 貴様はなにも出来ない……地べたに這いずる貴様の拳は、おれには届かない!」
「……わかってねぇな。立ちあがったからには、人間はなんでもできるんだ……!」
なにか――なにかがあるはずだ! この局面を切り抜ける一手――希望を繋ぐ一手が。なんでもいい、どんなものでも――この手と足で、未来を繋ぐ可能性が――!
――あった。
おれはそれに向かい、身体を引きずりながらも、走る――!
「喰らえ!
地に落ちていたそれを――おれは横っ飛びに跳び、拾って素早く立ち上がる!
それは、人の頭ほどの大きさの、光を放つ白い、球――
「……うおおおりゃああぁぁぁ!!!」
手にした『無限の真球』を、おれは思い切り、投げた――!!
――ガッシャアアァァァァン!!!!
『無限の真球』がジャヴィドの顔面に命中するのと、極太の雷が天から魔剣に落ちるのが、同時――!!
ジャヴィドの手から弾き飛ばされた魔剣が、回転しながら弾き飛ぶ。ジャヴィドもまたバランスを崩し、落ちる――
「まずは、ひとつ……!」
ひとつ、希望を未来へ繋ぐ! そしてその次は――
「……んぐ……ッ! おの……れ……ッ!?」
落下する途中で、身体を立てなおそうとしたジャヴィドへと――おれは跳び、掴みかかる!
「飛ばせるかぁぁッ!」
「なっ……!」
空中でジャヴィドの腕を掴み、顔面に指を突き立てる! そのまま、思いきり手に力を込め、握る――!
――ズドォッ……!
もつれあって、おれたちは地上に落下した!
「き、貴様……ッッ!!」
「これで、もうひとつ……!」
またひとつ、可能性が繋がった――!
泥臭くても、なんでもいい。ひとつひとつ、可能性を繋いでいくこと。それを続けていけば、必ず、運命は拓かれる。どんな時でも、決して絶望することなく、この手で出来ることを探し続ける! それが――それこそが!
ジャヴィドとおれが、同時に立ち上がった。
「……!」
その距離は至近――お互いにとっての必殺の間合い!
瞬間、時が止まる――1000分の1秒にも満たないわずかな瞬間の中に、あらゆる可能性を模索する! 頭脳を、経験を、技を、全身を、そして勝利への意思を――この手に持てるすべてのものを駆使し、探す、求める、捻り出す――選択肢を! そして希望を! そうだ、この瞬間、この無限の選択肢――それこそが、人間の持つ無限の力!
「……リィィィァッ!!」
「……ぬぅぅん!」
永遠の瞬間を打ち破るように、ジャヴィドがその爪を繰り出す!――それを左の腕で、捌く――
――ガッ!
「……ちぇぃッッ!」
同時に、右の手で繰り出す一本拳――人差し指の第一関節で、相手の顔面の急所「人中」を突く!
打撃を喰らい、ジャヴィドはひるみながらも、蹴りを繰り出してくる。それをおれは、下段受けで捌き――空いた脾臓へと、手刀!
「うおおおおおお!!」
おれはさらに一歩、踏み込んだ――ここは――空手の距離! おれはその「手」を振るう。
人差し指と親指の間で、相手の眉間を打つ、虎口拳。
肘で相手の顎を横から打ち抜く、猿臂打ち。
掌の下部で顎をかち上げ、脳に震動でダメージを与える掌底打ち。
上からハンマーで叩くようにして小指の横面で相手を打つ、鉄槌打ち。
五本の指を曲げ、手を平らにして第一関節で相手の急所を突く、平拳突き。
五指を突き立てるように相手の顔面を叩き、目鼻を打つ熊手打ち。
人間の手は、こんなにも多彩だ――拳を握るだけではない。投げる、掴む、捌く、受ける、突く、捻る、握る、引っ掻く、指を曲げて突き立てる。
ヒトが二本の足で立ち、その前脚を両手とすることで、広がった可能性。
その可能性を――「手」のあらゆる姿を、あらゆる可能性を駆使し、状況を打開し続ける。どんなに絶望的な状況だろうと、この二本の足と二本の手で出来ることを、ひとつずつ選択していく!
ひとつ、またひとつ、もうひとつ、ひとつ、ひとつ、ひとつ、ひとつ――
全身の急所を滅多突きに突かれ、ジャヴィドは朦朧とし始めた。そこへ――
「……セィャァァッ!」
――ドォッ!
正拳中段突き――空手の基本中の基本の技。あらゆる修行者が、最も多く練習する技。
おれにとっても、もっとも信頼できる技――それがジャヴィドの身体の中央、
「……ぐぅぅぁ……あ……」
ジャヴィドの口から、息が漏れる――まともに呼吸が出来ないはずだ。俺は残心を取る――
――ブゥイン
――その時、倒れたジャヴィドの身体がまた、魔力の光に包まれた――!
「……回復魔法……!?」
ジャヴィドはその光に包まれながら、その身体を浮遊させて起き上がる――!
「……ふ、ふふ……はぁーっはっはっはぁっ!!!」
その体力とダメージを完全に回復させたジャヴィドが、高らかに笑った。
「まだわからぬか! これこそが
ジャヴィドの身体には打撃の跡こそあったが、血色は良い。だが――
「……もうよせ、ジャヴィド……」
おれが言った言葉に、ジャヴィドは叫び返す。
「……ほざくな! お前がどれだけあがこうとも! お前の力は所詮それまで……お前に何度倒されようとも! 俺はこうして、いくらでも立ちあがれるの……だ……ッ……!?」
――異変が起きた。いや、それは必然だったか。
その瞬間、まるで糸が切れたかのように――ジャヴィドの身体が、崩れ落ちた。
「ぐ……あぁ……ッ!」
地に伏し、もがくジャヴィド。しかし、手足がまるで効かないのか、または激痛に見舞われているのか――その身体は丸まったまま、痙攣するのみ。
「……限界が来たか」
魔術の反動――いくら無制限に魔術を連発出来るのだとしても――それを使う身体は生身のものなのだ。
大賢者ディンが言っていた通り、魔術は
大魔法を使うには本来、魔力を持った依り代を使うか、複雑な詠唱で丁寧に魔術を構築するか――あるいはディン老人のように、身体を極限まで鍛えなくてはならないのだ。ありあまる魔力でそれを補い、無理やり魔法を行使して、その上
「……鍛え方が足りなかったな」
ジャヴィドは倒れたまま、なおももがいていた。だが、もはや――
おれはそれを見降ろす。
――思えばこの男も哀れだ。
突然異世界に転移し、そこで勇者として魔王と戦うなど、生半可な精神の持ち主にできることではない。その事実だけでも、この男が高潔な精神の持ち主であることがわかる。
そしてその高潔さゆえに、世界の理不尽さに耐えられなかったのだろう。
――だから。
「……立てジャヴィド。まだ勝負はついていない」
おれは目の前にうずくまるジャヴィドに向かい、言った。
ジャヴィドはその背中で、わずかに反応する。
「立つんだ……その二本の足で立て。決着をつけるんだ」
「……ぐっ……!」
ジャヴィドがその身体を起こそうとした。おれは言葉を継ぐ。
「運命は理不尽で残酷だ……だが、その因果を破壊するということは、その中で生き、死んでいったお前の仲間たちをもう一度殺すことだ」
「……!」
「おれたちは、生き続けなければならない……死んだ者もまた、生き続けなくてはならない。おれたちが、生き続けさせなくてはならない。前へ進め。悲しみから目を逸らさず、見続けろ!」
「……ぬ……おぉぉ……!!」
「ジャヴィド……運命に負けるな! 世界に負けるな!」
ジャヴィドは足を地につけ、力を込めた。その目には、光が宿っていた。おれはその光へ向かい、声をあげる!
「……自分に、負けるな!」
「……うおおおおおおおお!!!」
ジャヴィドがその両脚を地につけ――その二本の足で、立ち上がった。
「……よくぞ立った」
おれは立ち上がったジャヴィドの前で、腰を落として構え――
「お前は強い」
右の腰だめに構えた拳を、突き出す。
中段に突き刺さった拳の先で、ジャヴィドが崩れ落ちた。
おれは息をひとつつき、倒れたジャヴィドを見た。その顔は、少年のようにあどけなく、安らいでいた。おれは無言で、胸の前に腕を交差し、十字を切って礼をした。
「……
背後から、声が聞こえた。振り向くと、エンディがウィルマ姫を抱きかかえ、叫んでいた。
「姫さまがもう……早く、早くあの『球』を、『
エンディの腕に抱きかかえられているウィルマ姫の顔は、生気が失われ蝋のように白い――!
「……心得た」
おれは振り向き――先ほど投げて地に落ちた「無限の真球」へと向かった。もうひとつ、戦いが残っている。この
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