第82話 流浪~エピローグ

 かつて、ダグウッドがあった場所である。

 今は寒村すらない。

 放棄され、片づけられさえしていない瓦礫が、かつてここに繁栄する都市があったことを伝えていた。


 悪魔の都 ― 今はそう呼ばれているらしい。ここで言う悪魔とは一般名詞ではない。特定の人物を指す固有名詞だ。

 人類に大災厄をもたらした男 ― 。


「橋はやっぱり残っていないわね」


 廃墟を歩く三人組の一人、若い女がそう言った。


「飛べればいいのですけどね」


 快活そうな男がそう言う。


「我々はあの方ではない。そんなことが出来るわけがないだろう」


 気難しそうな男が言った。


「何か舟に使えるようなものはないかしら」

「探してみましょう」


 女の言葉に、若い方の男が言った。


 彼らは、アイリ、マーカンドルフ、そしてルークである。

 あれから七十余年が過ぎようとしている。

 マーカンドルフとルークの姿はまったく変わらない。アイリは二十歳頃までは普通に成長して、そこからは見かけの年はとっていない。

 アイリにも、マーカンドルフと同じく天属性の魔力があった。ただし魔法自体は使えない。効力としては老化しないのと、もうひとつ。他人の魔力を感じるだけである。両方ともその能力は流星の夜の後に発現した。

 アイリの感じによれば、フェリックスは生きている。

 フェリックスとマックスがそもそもは「同一人物」であったことから、それはマックスであるのかも知れないが。

 どちらにしても、アイリにとっては唯一の肉親である。

 フェリックスは、父であり、息子である。

 マックスは、兄であり、祖父である。

 マックスへの憎しみはもう無い。以前は強くあった、嫌悪感も不思議と消えてしまった。

 彼女は今、肉親を捜して旅を続けている。


 アビーは長くは生きなかった。

 フェリックスが引き起こした惨事を知り、彼女はむしろ死を望んだ。

 自殺したわけではない。魂そのものが生きることを拒否してしまったのだ。サイト139で、遠からず死去した彼女は、その場所に葬られた。


 二十年、東方の森に潜んだ後、かつてガローシュと呼ばれた国があった地域に三人は出た。かつての文明世界はどこも荒廃していた。

 各地へ回って、フェリックスの匂いを探した三人は、数年前にボーデンブルクに入った。アイリの匂いはともかく、マーカンドルフとルークの匂いを知る魔法使いはいるかも知れない。

 両者ともダグウッドの要人として、様々な場所に派遣された経験があるのである。ボーデンブルクを後回しにしたのは、そうした魔法使いと遭遇する危険を避けるためであった。だが、そうした心配は杞憂だった。

 流星の夜のあと、魔法に対する忌避感情自体が大きくなって、名の知れた魔法使いの多くは隠れてしまっていたからだ。寿命から言っても、大半は既に亡くなっているだろう。


 ボーデンブルクでは、ボーデンブルク新王国が建設され、他地域に比べればまだましな、まとまりと文明を保っていた。それでも、銀行も鉄道もなく、数百年は文明が後退した水準になっていた。

 エレオノール女王が行方知れずになって、内戦が再び起き、誰が敵で誰が味方かも分からぬようになったぐちゃぐちゃの状況から新国家を建設したのは旧王家の血筋と宣伝したギュスターヴ・ランドックである。

 その王も先年、高齢で没した。

 彼は、フェリックス・ダグウッドを新王国の公敵とし、民衆の憎悪を一点に集中させることで、憎悪が入り乱れたこの地域の入り組んだ感情を整理し、なんとか国としてまとめあげた。

 新王国の王家の紋章はミツバチであったが、なぜミツバチであったのか、それを知るのは故人とアイリだけだろう。幼い日、アイリは手作りのビーズのブローチを、ギュスターヴに贈ったことがある。

 ああいうことがなければ、ギュスターヴと結ばれていた未来もあったのだろうか、とアイリはたなびく王室旗を見て思うのだった。


 再び東岸へ向かう。

 かつてのボーデンブルク北東部はすべて荒野となっていた。ギュラー、ヴァーゲンザイルと辿り、誰もおらず、何も残っていないのを確認してからアイリたちはダグウッドに入った。


 完全には朽ち果ててはいなかったが、建物は修繕もされず、浮浪者たちの寝床になっていた。

 何とか木切れを利用して、東岸に渡れば、ダグウッド城は念入りに破壊されていた。河岸にあったはずの摩天楼も無い。おそらくは民衆の憎悪の標的になったのだろう。

 その民衆の姿も無い。


 アイリたちは今度は魔族国へ向かうつもりだった。

 生き残ったのが、フェリックスであれ、マックスであれ、「ダグウッド公爵家」は公爵とその嫡男を保護しなければならない。

 この三人だけが、今のダグウッド公爵家のすべてだった。


 かつてのダグウッド境界を過ぎて、魔の森に入り、しばらく過ぎた頃、警戒した部族に足止めされ、三人は彼らの村に護送された。

 逃げようと思えば逃げられた。

 敢えて護送されたのは、その部族の者たちがモンテネグロ人だったからである。この旅の間、アイリたちはモンテネグロ人の姿を他では見かけたことが無かった。


 指導者とおぼしき男の前に連れていかれ、名を問われた時、


「アイリ・ヴァーゲンザイル・ダグウッド」


 とアイリは答えた。ルークとマーカンドルフは目に見えて臨戦態勢に入った。ダグウッドの名を口にすれば、攻撃されてもおかしくはない。敢えて偽名を名乗らなかったアイリには、思惑はあるのだろうが、マーカンドルフとルークは警戒しないわけにはいかなった。


「ダグウッド?」

「そう、ダグウッド。フェリックス・ダグウッドの娘、ダグウッド公爵家令嬢、アイリ・ダグウッドよ」

「おお…いや、まだ分からぬ。最長老をお呼びしろ!」


 男の命によって、毬みたいに縮んだ老婆が、背負われて連れてこられた。


「なんじゃの…わしも死ぬのに忙しいのじゃが」

「そう言ってなかなか死なぬくせに。いいからおばば、この女を見てくれ」


 やれやれ、という感じで、老婆はアイリを見ると、固まった。震えているがそれは老化のせいではない。


「ま、さか…似てはおられるが…。その供の者らは? フードを外させよ!」


 数人が駆け寄って、ルークとマーカンドルフのフードを外そうとした。咄嗟に抵抗しようとしたが、


「いいから! 顔を見せるのよ!」


 とアイリが言ったので、両者はされるがままに顔を晒した。


「おお、そなたらは。マーカンドルフとルークか。ではこのお方は確かにアイリ様か」

「あなたは…アグネスね?」

「ありがたい、お分かりか」

「ケガは治ったようね。良かったわ」


 アグネスはアイリに近寄って、抱きしめた。アイリに近づくのを見て、ルークは思わず制そうとしたが、マーカンドルフが止めた。

 アグネスは皺くちゃの顔で泣いていた。


「不動なる者たちの他の人たちは?」

「みんな死にましたわい。わしだけがなかなか死ねませんでの」


 そう言って、アグネスは、マーカンドルフたちの方に向かって立ち上がり、そして土下座をした。


「マーカンドルフ様、ルーク様、今までアイリ様をお守りいただいたこと、お礼申し上げます」

「ダグウッドはあれから何があった? 聞かせてくれるであろうな、アグネス」


 マーカンドルフの言葉に、アグネスは頷いて、語り始めた。

 あの夜、ダグウッドで生き延びた者の数は二万人。死傷者は他の場所よりも圧倒的に比率が高かった。たまたまアグネスは生き延びた方に含まれていた。


「クリスティナ様はおそらくは」


 早い段階で死んだのだろう、とまでは言わなかった。言わずともみな分かっていたからである。

 犠牲者の誰に対してもアイリは申し訳なく思っていたのだが、彼女に対しては特に申し訳ないと思っていた。

 フェリックスが逃げるように指示したのは、アビー、アイリ、そして従者としてマーカンドルフとルークだけ。

 ダグウッド家であるのにクリスティナだけは含まれていなかった。ダグウッド統治のためには誰かを残しておかないといけなかったからだ。

 カイの娘のフェリシアは、「しんがり」にされても本望だったかも知れないが、クリスティナはおそらく恨み言は百や二百はあるだろう。


 瓦礫と化したダグウッドを前にしても、最初は市民たちは復興に向けて全力を尽くしていた。フェリックスが生きて戻れば、帰ってくる場所を作っておくために。

 しかしやがて、流星の夜がフェリックスの仕業であったことが明らかになった。

 ダグウッド市民も最初はフェリックスを信じていたが。

 なまじ学力が高い者たちがほとんどであったので、魔力的な理詰めで証明されれば、事実を事実として認めないわけにはいかなくなった。

 大半はそこでダグウッドを去った。

 残った者は、ダグウッド家に復讐の念を抱いた者たちと、それでもダグウッド家への忠誠を捨てなかったモンテネグロ人たちだけだった。

 モンテネグロ人だけは、ただの一人も脱落しなかった。


「私たちは今も、あなた様の臣でございます、アイリ様」


 アグネスがそう言うと、いつの間にか広場に集まっていたモンテネグロ人たちは一斉に膝をついた。

 モンテネグロ人たちは、人種的理由以外に、悪魔フェリックスへの忠誠を理由として、再び迫害されるようになった。

 迫害を逃れて、たどり着いたのがこの地である。

 ここはかつてのサイト202。アグネスが開発した拠点であった。


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 サイト202。

 として、アイリは、ここをアイリシア本領とし、アイリシア公国の建国を宣言した。人口は三百名弱の名ばかりの国だったが。

 ダグウッドの名を用いなかったのは、再びボーデンブルクと接触することがあったとして、要らざる紛争を招きたくなかったからである。アイリシアは、フェリックスの祖母の名に由来する。


 ルークを公配に迎え、四人の子をなし、孫が生まれ、直系の曾孫が成人したのを見届けて、そして子のすべてが寿命で死んだのを見届けたうえで、アイリ、マーカンドルフ、ルークは再び旅に出た。

 ルークは公配の役目を終え、再び一家臣に戻った。


 フェリックス、あるいはマックスの「匂い」は未だ絶えていない。

 彼女たちの旅は、まだ終わらない。



                               完結

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異世界辺境経営記 本坊ゆう @hombo

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