第81話 流星の夜
ハヤトは待っていた。時が完全に満ちるのを。
事をやり切れば自分の使命は完全に終わる。
世界すべての人を生贄に捧げるのだ。当然、自分自身の命も入る。
同じ飛行機事故で亡くなっても、賠償金額がそれぞれ異なるように命の重さは一律ではない。
年に数億を稼ぐ人間と、時給幾らで最低賃金を稼ぐ人間とでは、経済価値はまったく違う。
カネで人の命の重さを計れるかというのはまったくの感情論で、そもそもカネとは価値を判断するための道具であるのだから、社会にとって価値とは最終的にはすべてカネで換算されるものである。
それで言えばハヤトは価値が高い男であった。
なにしろ勇者である。勇者の力を持つ者としてはコピーであるフェリックスもいるが、勇者は世界にひとりしか存在しない。
オリジナルの勇者としての価値は計り知れない。
ハヤトは、やり遂げることをやれば別に死んでもいいと思っているのだが、能力自体が高く、稀少価値があるので、生贄としての価値は隔絶して高い。
計画をやり遂げるためには、自分自身の価値を見定めたうえで、生贄から外す選択は考えもしなかった。
ハヤト一人で数十万人分の価値はあるのだ。
フェリックスもやはり価値は高い。
フェリックスにとって価値が高い存在であるアビー、アイリらも価値が高い。
ハヤトは見逃すつもりはなかった。
アイリは一体誰であるのかを考えて、ハヤトは、あれは由紀子であるだろう、との結論に至っていた。
ハヤトにとってもかわいい孫である。
それで言うならば、フェリックスは、高志が死の瞬間まで誕生を望んでいた存在であり、ハヤトにはやはり大事な曾孫であった。
しかし高志の重さには代えられない。
高志自身がこのことを知れば、あるいは、娘と孫を助けてくれるよう懇願するかも知れない。
しかしハヤトは、高志のためであるならば、高志から嫌われても憎まれてもかまわないのだった。
それは無償の愛だった。
父が子に抱く、何の見返りも求めない愛だった。
父として尊敬されなくても、高志から詰られても、世界を敵に回しても、ハヤトはやるべきことをやるつもりだった。
この世界の北極は、地球で言えばエジプトの位置になる。
人間のみならず、地球の「要素」が各時代ごとに思念となって流れ込んだのだろう。北極点にはちょうど、クフ王のピラミッドが威容を誇っている。もっとも、氷に呑まれ、その先端がわずかに露出しているだけなのだが。
この世界自体が、地球の「揺らぎ」のようなものである。
ハヤトもフェリックスもそのことには気づいていた。
魔族は先に流れていたホモサピエンスである。
人族は後から流れ着いたホモサピエンスである。
両者の間には混血がいるのだ。
代を重ねて生殖能力のある子孫を残せる以上、同じ種であるのは明らかだ。魔族を殺せと言われても、ハヤトにとってはこの世界の人族も魔族も同程度の他人であるに過ぎない。
魔族は古い漂泊者であるゆえに、よりこの世界に適応しているだけの話だ。
特に人族が愛しいわけではない。
特に魔族が憎いわけでもない。
憎悪で言えば、人族を守るために勇者召喚されたのだから、ハヤトにとっては人族は拉致の加害者であって、人族に対して、より好意的ではない。
しかしそれも遠い話である。直接の責任者である古王国はきっちりと滅亡させたし、取り逃がした王と宰相も、ケイド親王とプファルツェンベルヒ侯爵を死に追いやることで、落とし前をつけさせた。
それにハヤトは勇者召喚されてよかったと思っている。
なにしろあの火の海だ。あのままであれば十中八九、助からなかっただろう。目の前で焼夷弾で頭部を飛ばされた人も見ている。
勇者召喚されたことで魔力を手に入れたのだし、魔力を手に入れたから、あの場面に戻って高志を助けられたのだ。
恨みはない。
誰にも恨みはない。
憎悪もない。
出来るならば、出来るのであれば、この世界の人々も助けたい。
その気持ちも嘘ではない。
しかし高志の幸福と二者択一である以上、ハヤトにも他に選択肢はない。
ハヤトは待っていた。時が満ちて、魔法陣が発動するのを。
そう遠くはない。早ければ今日にでも、遅くとも、半月というところだった。ここにハヤトがマスター・オヴ・セレモニーとしていることで、発動はより純粋に、確実なものになるだろう。
「…来たか。アイリを殺しておくべきだったか。生贄となる要素を惜しみ過ぎてしまったな」
ハヤトにはただひとつだけ、不安要素があった。
その不安要素が、灰色の空を飛んで来る。
「お父さん、何をしに来たの?」
マックスに戻って、いや、マックスの振りをして、ハヤトはその男、フェリックスでもあり誠一でもあるその男に向けて声を発した。
「…小芝居はよせ、ハヤト。おまえが誰なのか、おまえが何をやろうとしているのかは分かっている」
「あーあ。ハヤトの記憶はその体に残さないようにずいぶん苦労したんだけどなあ。アイリが言っちゃったわけ? 余計なことをしてくれるよね、俺の孫は」
「アイリはこうも言っていたぞ。時が満ちれば術式は止められない。しかし発動前におまえを殺せば、術式は主を失って沈黙すると」
「アイリって残酷だよね。祖父を殺せだなんてね。悪い子だね。それに分かってる? 俺は俺だけじゃないんだよ? 俺は君だし、君は俺なんだよ? ひどい母親だよね。息子に向かって、世界を救うために死ねだなんて」
フェリックスは光の矢を放ったが、ハヤトは光の剣でそれらをすべて裁く。
「母さんは僕の意思を尊重してくれただけだっ」
「あーあ、親の愛ってそんなに格好いいもんじゃないって。どんなに見苦しくても、子供を守るためには最後まであがく、それが親だっ!」
ハヤトは光の剣で、フェリックスを斬り付ける。フェリックスも剣を出して、両者は切り結んだまま、互いに力を込めてゆく。
「君も非情な親だよね。息子を殺そうだなんて、お父さん。俺を殺せるの? 俺、マックスだよ? 俺は君だったから分かるよ? 妊娠をアビーから知らされた時、どれだけ嬉しかったか。この子のためならなんでもやってやるって思ったよね。なんでもやってくれるならさ、一緒に術式の生贄になってよ!!!!!」
「勝手なことを言うな! アビーもアイリも大事な家族だっ! おまえこそ、何の躊躇もないのかっ!」
「ないねっ!」
剣を切り結びながら、ハヤトは魔導弾を連打した。
避け切れない。防御力を強化して、フェリックスはしのいだが、それでも野球の硬球を身体で受け止めるような鋭い痛みがあった。
「あのさー、これでも俺は勇者家業をやっていたわけ。能力は同じでも経験値は君とは全然違うんだよっ! 空襲に怯えた日々も知らず、平和な日本でのうのうと暮らして、こっちに来ればきたで、勇者として魔族との闘いに送り込まれるでもなく、貴族として大して苦労をしたこともない君が、俺にかなうわけがねーだろがー、ばかやろうがっー!!!!!!!!」
「くっ!」
「まー、もったいなけどさー、君一人くらいなら先に殺しても術式の発動はなんとかなるだろうね。幸い、君が産業革命やらかして、幸福値があがった生贄がいっぱいいるからねー。うんうん、そうだよ、そうなるように君の魂に働きかけたのは俺だよ。一人たりともゴミみたいに捨てられる命があってはならないだっけ? 傑作だったねーあれは。だーいさんせー。生贄の質は高くなくちゃいけないもんね。君は曾孫だからさー、あんまり意地悪はしたくないんだけど、ちょっと聞いてみたいよね。ねーねー、自分の理想がそもそも人類を生贄にするためのものだったて聞いてどんな気持ち?」
「天は人の上に人を作らず!」
フェリックスは縦横無尽に魔弾を発射した。ハヤトには当たらなかったが、避けたり、自分の魔法で相殺するのはさすがに苦労をしているようだった。
「天は人の下に作らず! これが僕の今の気持ちだ。経世済民、その理想には何の変りもない。この理想はおまえが操って植え付けたもんなんかじゃない。僕の中に今もあるものだ。ごたくはもういいだろう、マックス。どうせおまえは殺す気でやってくるんだろうさ。派手な親子喧嘩といこうじゃないか」
傍から見れば、ただ魔法の閃光が極北の空に何度も走っているだけに見えただろう。速度を極限まであげたその動きは、人間が視認できるものではなかった。
一時間、二時間、三時間。
戦いはいつ果てるともなく続くようであった。
ハヤトも、フェリックスも、互いにボロボロになっていた。
はるか上空、大気圏の限界にまで二人はあがっていた。
「しつこい奴だな、君は。でももう分かっただろう。君では僕を倒せない。それにもうじきだ。術式が発動し始めたようだよ。赤く光っている」
「ああ、認めよう。僕ではここまでが限界だ。でもなっ!」
フェリックスはハヤトに抱きついた。
「何をしている! はなせっ!」
「おまえは僕だ。今、ラインをつなげて、君の魔力も利用させて貰おう。術式は言ってみれば焚火のようなもの。代価が足りなければ発動しきれない。火は燃えるものがなければ消えるんだよ」
「何をするつもりだっ! よせっ!」
その瞬間、大規模な魔力弾が四方八方に飛び散る。しかも一度ではなく、何度も。何度も。
「正気かっ! 君は大量殺戮者になるつもりかっ!」
「おまえが僕にそれを言うとはね。人口は半減以下になるだろうね。文明も滅びるだろう。でも人間は残る。そしてまた立ち上がる。生きてる限り、何度でも。そして燃料を失った術式も死ぬ。一度動き出したからには、もう元に戻って時を待つことは出来ない」
「やめろっ。やめろっ。殺すなーっ!!!!!!」
ハヤトは必死に抵抗したが、既に命を失う覚悟のフェリックスの魔道拘束からは逃れられなかった。
今は、フェリックスが人々を殺戮し、ハヤトが必死に止めようとしていた。
その抵抗もやがて力尽き。意識を互いに手放す前に。
「ああっ、高志、高志、父さんはおまえを守れなかった ― !」
「地獄の果てで別の方法を探せばいいさ。今度は僕も付き合ってやる。おまえを見放しはしない、マックス。おまえは僕の息子なんだから」
「フェリックス!!!! 誠一!!!!! お父さん!!!!!」
フェリックスは、ハヤトを、いや、マックスを抱きしめた。
「さあ、あとは落ちるだけだ。
フェリックスのそのつぶやきを最後に、二人は完全に意識を手放した。
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その夜を、「流星の夜」と言う。魔族国では朝であったのだが。
王城において、エレオノール女王と宰相ヴァーゲンザイル公爵が会談を行っていた。魔導師団改革の話であったので、何人かの宮廷魔導師が列席していた。
こんな夜中まで働かされるとは、とアンドレイはつくづく溜息の出る思いである。誰か適当な後継者がいれば宰相職など、すぐに譲りたい気持ちだった。
もう、以前のようには無理がきかない年齢になりつつある。
かつては東方の麒麟児と言われた嫡男のロレックスは、エレオノールに捨てられてからはすっかり無気力になってしまった。無理を言って、なんとか一族の娘と結婚させたはいいが、ヴァーゲンザイル領の統治もなおざりで、コンラートがキシリアの遠隔操作を受けながら補佐に入ってくれなければ大変なことになっていただろう。
とても宰相職を譲れるような状態ではない。
この女のせいで、息子が腑抜けになってしまったと思えば、エレオノールにも腹立たしい思いが生じるが、彼女は君主としては文句のつけようもなく、勤勉で公平であった。
その時。
王都に魔弾の第一弾が着弾した。轟音とともに貴族街の一部が吹き飛んだ。
「何事ですか!」
女王がそう声を発する間もなく、魔弾は次々と着弾する。王城にも着弾し、城が半壊する音が鳴り響いた。
「魔法による攻撃です! これほど巨大な…この魔力はダグウッド公爵のものです!」
宮廷魔導師がそう叫んだ。魔力は遠く及ばずとも、フェリックスほど特徴的な魔力であれば、宮廷魔導師ほどの魔法使いであれば誰の魔法なのかは分かる。女王の側近として何度かダグウッドに派遣されたことがあるその宮廷魔導師は、フェリックスの魔力の「匂い」を知っていた。
「どういうことですかっ! 宰相!」
「いやっ、何かの間違いでは。フェリックスは無意味に他人に危害を加えるような男ではありません」
「私もそう思いますが。逆に言えば、意味があれば危害を加えると?」
「さあ…それは…」
アンドレイは口ごもった。
しかしそれ以上、答えを求められなかったのは、アンドレイには幸いであったのかも知れない。
次の魔導弾によって、王城が完全に瓦礫と化したのだから。
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ダグウッドはこの世界で最も人口が多い
この夜を境にして、魔族国を含めて、すべての国は崩壊した。
全人口の六割が、死んだ。
生き残った魔法使いたちがいた。
彼らの何人かは、あの魔法は、フェリックス・ダグウッドのものだと言った。
それに激昂する者も多かった。
フェリックスを恩人、英雄として慕う者も大勢いたからである。
しかし魔法使いたち同士には背後関係やつながりがなく、利害関係もないことから、魔法を知る者から、次第次第に、流星の夜は、フェリックス・ダグウッドの仕業であるという事実認識が共有されていった。
そしてそれは否定しようがない苦い事実として、人々に共有されていった。
何か事情があったに違いない、という形でフェリックスを弁護する者はいても、フェリックスの罪を否定できる者はいなくなった。
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