縛り「少女がバス停でバケモノに遭う話」
不定
[無題]
そろそろへびつかい座が見える時分だった。
曇りない濃紺の帳には大昔に輝いた星々の、その存在の証が所狭しと散りばめられていて、うっすらと淡い曳き波が、その主の不在のままに黝い大海を縦断している。このごろの夜気はそれほど蒸すものでもなく、至って清涼な風が頼りない電灯に群がる蛾たちを――ひとたびかふたたびか――彼方の方へ吹き飛ばそうとしていた。
バス停にはこの一つの薄暗い錆びた光源の他におよそ人間的な文明を感じさせるものは何もなくて、同じように錆びた停留所看板とそこに印字された時刻表、軋むベンチ、そしてそれらを囲むように組み立てられた木製の小屋が申し訳程度に雨風を防ぐくらいのものだった。
辺境の田舎に生まれたからやる方ないことだけれど、高校生の下校路がこんな視界半径五メートルほどの暗闇でいいものなのかと不平を言わないではいられない。こんなんじゃあ、いつ不審者に襲われてもおかしくないじゃない。いつ巨大なたぬきの妖怪なんかが現れて化かされても不思議じゃないじゃない――なんて、この十数年事件のじの字も耳にしたことがないこのもたれ切った集落群では誰も彼もそんなことは想定していないのであった。もちろん私も例外ではなく――電子機器の類は持っていない。うちの家庭の教育方針というよりは、単純に家庭の話題に上がることもなかったからだ。
ともすれば、この薄暗いバス停で待機する間、私が出来ることは思索に耽るよりほかない。
――さて、こうして文章に無理くり起こしてみて、さもある女学生の夏夜の感慨、それも快い感慨であるかのように振舞ってみたが、如何せんうつつとの乖離が激しすぎるのは問題だった。
現実に私がこの「ルート」や「パターン」で出会うのは、出会ってしまうのは――出会うべきなのは、爛然としてしかし玲瓏な夜空への感動でもなく、熱帯夜に晒されて頭を壊した変質者でもなく、あるいは森の奥に昔から住んでる化物の類でもない。
言うまでもなく、この年代の若者が陥るのと全く同じように、シンプルに、私が対峙するのは――ほかでもなく自分自身だった。
一寸先とは言わずとも、この小屋の中で椅子を軋ませながら見る五メートル先の闇のなかには、いつだって私のつまらない顔が浮かんでいるのだった。彼女はたまににっこりとしたり、話しかけてきたり、あるいは憤怒を隠そうともしなかったりする。そんな彼女をぼうっと見ていると、なんだか私は変な気分になってしまうのが常だった。
彼女は例えば、定刻に到着したバスのヘッドライトにかき消されてしまう。稀に来るほかの乗客が現れたときもそうだ。私はそういうとき、大抵は知り合いなので適当に愛想を良くする努力をしながら、思索はそれっきりに留めておくことにしている。もし折悪く彼女の怒りに満ちたあの顔が私にも表れていたとすれば、この平和な集落ではそれだけで「事件」となってしまうだろうから。
彼女は突然に現れるというわけではない。かと言ってゆっくりとフェードインしてくるかと言えばそれも違うような気がする。闇に紛れながら、あるいは闇そのものとして、夜気を引き連れて現れたような感じだった。雨に濡れていらいらしているときとかには、よく見ない。
今日のようにすっかり晴れた日の、まるで気持ち良い、いや――気持ちいいだろう? などと語りかけてくるような日に限って、こちらに寄り添ってくるものなのだった。
以下、口には出さない出せない会話録。
「私には逸脱を望む心が多少あるように思う」
彼女は知らないあいだに現れて、適当なことを言う。
私はそれに「みんなそんなものでしょう」と返す。
「でも、みんなそんなものだからって、無視するいわれはないでしょう」
「そのまま奔放になれば、きっと他のみんなは私を『そういう人だ』と思うわ」
「じゃあ私はどう思っているのさ、たとえば『そういう人』をさ」
「そりゃあ勿論『そうなんだろうな』と思うわよ」
「だからそれはやっぱり、私がそう考えるからそう思われると考えるンでしょ。なんで私の考え方を他人に強要してるの」
「強要はしてない」
「前提にはしてる」
「当たり前じゃん、どうせ私らの世代なんてみんなこんなもんなんじゃないの。一人で勝手に悩んで苦しんで、強がって威張ったり、見失ったり、後悔したり」
「なんでそんな達観したかのようなことを私が言えるのかね」
「……」
「まるでそこのそれみたいな私だよ」
暗中の顔はどうにか顎を使って電灯を指す。蛾が五匹くらいはためいていた。
「頼りない――少なくとも私がそう思っている、なのに必死にしがみつこうとしてる、しかしそれは本能によるもので――そういうものに、群がろうとして、でも自分で煽って落ちかけているンだよ」
「……そうやって、自己批判をして善がってるんじゃなくて?」
「それも確かにあるだろう。それからその論じ方はは堂々巡りを引き起こす」
「そういうときに開き直れちゃうのはいけないことだわ」
「私は心の鬼を飼い慣らそうとしているんだ、手が回らないのも当然だろう」
「私を擁護したり私を非難したり、大変ね」
「それはお互い様だろう」
「いや、疑心暗鬼を手懐けるようとするものとして、私のような私を放任するわけにはいかないわ」
「はは、こりゃあどっちが虚像なのかわからなくなってきた」
「それこそ本質なんじゃない」
「いいや違うね、私の本質は案外あっさい部分にある。クラスメイトが今をときめく女子高生らしいそれに目覚め始めていることとか、私には必要ならざるものなのに隣の芝生ばかり気にしてしまうその卑しさに起因すると私は見る」
「その根っこ引っ張り出したのが本質でしょ」
「根っこがなければ納得出来ないか。それこそ殊勝に振る舞う『この世代』の因習とも言うべきものじゃあ」
「『習』とは限らないでしょ」
「過去の自分とは他人だからね」
「それも甘えよ」
「でも痛みつけるだけでは結局問題点の、表層の表層の表層の卑賤な下賎な取るに足らない莫大で重大な悩みごと、こねくり回して遊んでるだけになるでしょ」
「帰納してから演繹するの」
「そもそもそれは客観でも、達観でもなくて、単に穿って見ているだけじゃん。そんなことをするくらいなら、頭を使わずに本能のままに暮らす方がよっぽど賢い」
「『頭を使わずに』は私の恨みの表れじゃない」
「さっさとKに言ってしまえば楽になるんじゃないのか『一緒にいるのが辛い』って」
「考えないようにしていたんだから名前を出さないで!」
「Kも実際は私のことをどう思ってるかなんてわからない。友好的に見えるけどその裏付けを私は何も持っていないじゃないか!」
「だからって、いたずらに関係を壊すのはいけないでしょ!」
「ほら見ろ、浅ましい拘りが露け――」
突如として視界は明るんだ。
「あ、バス来た……」
彼女は人間文明の利器から発せられる可視光線の餌食となり雲散霧消する。
私はさっきまでの、『バケモノ』との戦いをすっかり忘却して、定期券を取り出すことに意識の全てを注いだのだった。
ただバスに乗り込む前に、一瞬夜空が名残惜しくて見上げると、朧気な記憶ではあるものの、そこにへびつかい座が見て取れた。
不死の象徴――化物を操る蛇遣い。彼は十二の同輩たちから疎外されてなおそこに落ち着いて佇んでいる。
私はそれを何も思うわけでもなく、すぐにバケモノのいない世界に乗りこむのだった。目の前には人間しかいない。
縛り「少女がバス停でバケモノに遭う話」 不定 @sadamezu
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