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批評と感想とわがまま。

 カクヨムの設定上、批評をする場所は基本的にないですよね。強いていえば、星がつかなければ「面白くない」の一択で、レビューがつけばそれが「いいところはどこか」が説明されるという……つまり、教育はできないわけです。自分の弱点がわからないまま終わる確率の方が高い。それはシステムとしてどうかと思いますが、しかしネットのトラブルを鑑みれば運営側がそうせざるを得ないのはほぼ自明……かといって私がこれが許せるわけではありませんが、少なくとも対策を打たねばならないことは確かなことでしょう。だから、私の作品に対するレビューや応援コメントに限っては、辛辣な批評を受け入れようとはしています。もちろん、これを読んでくれる人がいれば、真剣に私の作品を読んでくれる人がいればの話ですが。

 少し話は逸れまして、私自身の作品について少し書きます。私の作品は、恐らくわかりづらくて、起伏が乏しく、読みにくいようなものだと思います。最近気づき始めたのですが、それは私自身が執筆の際に「読むことそれ自体が楽しい」よりも、「どう複雑な問題文がつくれるか」という、現代文的なスタンスを無意識に導入してしまっているからだと思います。逆に言えば、謎が残る部分の根拠を探そうとすれば基本的には絶対に書いてあるようにしています。まぁ、それも独り善がりの表現に違わないっていう意見もあると思いますし、それに反論はありません。読みの方向性を左右させることは、既に手元から離した作者にはない権限だと思いますが、しかしながらもしこれを読んでいただいていて、なおかつ私の作品を読んでいただける方がいましたら、「現代文の問題を解く」イメージで読んでもらえると、割合わかりやすくなるのかもしれません。どうも、こちらが想定していることに気づいてもらえない確率が高いので、今後は書き方をもう少しわかりやすく努めようと、3ミリくらいは思っていますが……

 話は批評に戻ります。文芸部としての部活動の集団的推敲の際も、また単に読書感想文を書く(ネット・リアル問わず)ときも、常に思考にまとわりつくのは「どこまでが客観的事実でどこからが個人の好みか」それから「個人の好みを書いて許されるのかどうか」です。私は、同じ物書きとして書く場合はなるたけ客観的視座に腰を据えてそれらしく、一読者として書く場合は個人の好みも含めて大いに自由に書いています(それでも、やはり前者的に書いた方が安心しますが)。私は前者後者どちらでも受け取れるなら嬉しいですが、誰しもそうではないと思いますので、悩みどころです……

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