ゆかしき宇宙海賊

桜庭聡

ゆかしき宇宙海賊

 西暦が廃止され「宙暦」が採用されてより尚幾星霜の御世。人は地球の引力という軛から脱し、宇宙という史上最大のフロンティアへと飛び出していた。ワープ、重力制御、超高速通信、放射線対策、宇宙開拓に於いて必要とされる、二十一世紀初頭では未だ「人類の夢」と呼称されていた技術が次々と実用化され、人は地球の海を行くが如くに宇宙の荒波を乗り越えられるようになっていた。そして人類は地球圏を中心とした直径五千光年程度の円を生活圏となし、円は人類の溢れ出す意欲を寸分と零さぬよう苦心するかのように更に外へ外へと拡大を継続する傾向にあった。時は正に宇宙開拓時代の真っ只中。

 開拓者精神を滾らせた者達は星と星との航路を開き、居住可能な惑星を発見しては、家を建て、荒地を耕し、次々と地球型惑星を開発していった。特にテラフォーミング技術は飛躍的な向上を見せ、一般人でもある程度の必要元素が存在する惑星であれば人類としての生活に不自由はしない環境を構築することが可能であった。完全な戸籍が取れていたわけではなかったが当時の試算では人類社会の総人口は五千五百億人に達したとも言われている。

 だが、彼等の思考は地球という一惑星のみを居住区としていた頃と何ら変わることはなく、星系ごとに、または星系の集団ごとに主権国家の枠を形成し、広大な宇宙を地図に幾百もの人類国家が乱立する様相を繰り広げていた。そしてまた、宇宙を海の様に行くようになったとはいえ、海ですら人には脅威であっただけに宇宙もまた人に脅威を与えていた。星間物質の乱立、太陽風の猛威、ブラックホール等の重力干渉といった大自然、いやさ大宇宙の猛威。そして根絶ならない人の業、つまり海賊の恐怖。


「本日は、カリフォルニア星雲観光クルーズにご参加いただき、誠にありがとうございます。本船はこれより星雲内へと進入し、光の大パノラマをご覧いただきます。」

 時に宙歴四九二年、地球から見てペルセウス座の方向へ一千光年の先にある星雲を告知する船内放送にどっと歓声が舞い上がる。船体中央上部、前後左右更に上方へ透明な壁を有する半球形の大ロビーにひしめく数百人は、宇宙の神秘を愛でる旅行に参加した富裕層である。人類の舞台が広がろうと貧富の格差は解消されなかった、何十泊という船旅を近郊へのドライブのように謳歌できる人数は限られているのだ。彼等の乗船している宇宙船は長距離観光用の大型クルーズ船であり、成功者なら一度はこの船で旅する行為自体が一種の格式化している有名なものであった。

 これ見よがしにと首に指に過度の輝きを放つ装飾品を散りばめた、美意識より自己顕示欲が過多な人々がひしめき合う。世の貧困など存在自体が理解できないとばかりの服装と血色に彩られている姿は、同類以外には不快の域に達するであろう。

 着飾った面々は一様に、高速で星雲の内側へと進入する光景に見入っていた。星間ガスと恒星群が織りなす綺羅びやかさは彼等の付けているどの宝石よりも美しかった筈である。星の瞬く価値があまり理解できず、富豪のステータスとしてのみこの旅行に参加している者が多かったのは、誰にとっての不幸であったのだろう。

 そして誰であったろう、一人が星雲の中に黒い点を視認した。当初は特に気に留めることもなかったのだが、点が徐々に大きさを増し、やがて光を反射して形状を彼等の誰もが理解できるに至った時、自分達の危機を悟ることに成功した。

「海賊だっ!」

 誰とはなしに、ただ複数の声が上がった時は、海賊と指定された船はロビーの視界の何割かを塞ぐ形で巨体と船腹の髑髏という古代的な海賊の証を認めさせつつクルーズ船の左舷へ横付けし、極太のワイヤをクルーズ船目掛けて幾本も発射した。ワイヤの先には強力なマグネットが仕掛けてありこれによって彼我を固定させるという寸法である。次に海賊船は直径四メートル程の円柱状の突起物を船体からクルーズ船に向け伸長させた。外壁に到達した柱は先端から発する高熱をもってそれを溶かす。クルーズ船の接点に丁度誰かいれば、外面に面した壁からいきなり別の構造物が湧き出てきた感覚に襲われていたであろう。

「接舷完了、行けます。」

「よおし、ハッチを開けろ。」

 柱の先端がクルーズ船内へと進入するを確認した通信が聞こえたとともに、円柱の先にあったハッチが開いた。中からは屈強と評するに相応しい体格でしかも手に手に大型銃や厚い剣といった重武装を握る男衆が数十人、礼など弁える様子もなくクルーズ船に侵入してきた。

「野郎共、稼いでこーいっ!」

「おおーーーっ!」

 濁り、更に低い男共の声に号令をかけたのはそれとは真逆に澄んだ高音の声だった。号令に反応した部下の男衆は数隊に分かれてクルーズ船内深く入り込み、無礼にドアを開けては各部屋に押し入り、人がいようといまいと金目の物を見つけ次第、所有権の如何に関わらず強奪の限りを尽くしていく。

「落ち着いてください、皆様の身は私共が守ってご覧にいれます。」

 襲撃の恐怖に慄き振るえる乗客に対し、クルーズ船の船長が息巻く。この時間、乗客の多数がロビーに集まっており、船長以下乗組員も注意の大部分は此方に向けられていた。ために客室等に向かった賊は無人の部屋をほじくり返して目当ての金品を発見するという楽だが部屋の住人から在り処を聞き出せないために全てを剥く煩雑な作業を強いられていた。

 一方でロビーへと向かった賊の本隊は程なく船長以下、乗客の大半を守る乗組員の一団と遭遇した。一般船員を思わせる白を基調とした制服の一団の中に黒い制服を着込み、洒落た出で立ちの壮年男性の姿があった。これが責任者の船長であろうことは疑えない。

「お、お前達、何者だ!?」

「何者ぉ?まったく、この格好と行動を見て分かんないかな・・・海賊だよ。」

 船長の問いかけに半ば呆れ口調で高音を有する賊は返答した。屈強な手下共の間を割って船員や乗客の眼前に躍り出てきた声の主は手下達より一回り小さかった、その者は決して小人というわけでもない、余人が水平の位置で目を見て話せる程度の背丈位はあった。ただただ、従えてる手下達の体格が余りにも立派過ぎるため相対的に小柄に見えるだけ、というのが正鵠を射ていた。

 海賊だからとて、今や宇宙の海を征く時代である。そこに中央に髑髏をあしらった漆黒のトライコーン(三角帽)、更には左目を覆う眼帯、身体に比してだぶるサイズのジュストコールなどという着こなしというものは機能性と時代性の両面に於いて意味を持ち得ていなかった。要するに自己満足か、若しくは相手に与える印象の大きさ、ないしはその両者を満たすだけのアクセサリーにすぎない。ひとえに海賊と一括りに言っても単一の組織で行動しているわけではない。数多の独立船団が勝手に海賊を名乗るのが常套で、お互い連絡を密にする間柄もあれば名前すらも聞いたことのない間柄の場合もある。各所で跳梁跋扈するために海賊の間でもいかにして自団を印象付けるかには苦心するところがあった。要はただの一種のパフォーマンスである。

 この海賊の場合は、それが頭目の古風なコーディネイトに表現されているのであった。年の頃は二十歳かそれに届かんかという程にして海を征く海賊の衣装に帽子から溢れる長い赤髪、露出するのは片目だけながらも澄んだダークブラウンの瞳に彩られる中性的な顔立ちは若いながらも相手に印象を与えずにはいられなかった。

「海賊だとぉ!」

「おいおい、だからそう言ってるじゃないか。」

 呆れの続く頭目は帽子の上から頭を掻いてみせ、気だるそうな風を増した。

「おのれ、乗客には指一本も触れさせんぞ。ルース観光社きっての精兵揃いであるこの船を襲撃したことが運の尽きだ。乗客の皆さん、くれぐれもご安心ください。私共がこのような賊、すぐにでも打ち払ってご覧に入れます。」

 船長の啖呵に乗客が割れんばかりの歓声にどっと沸いた。船長は自らの発信に聴衆が喝采を送るのに悦を覚えた。目を瞑り顎を突き出し、感も無量に達さんが時、彼の顎にロープをくくりつけてを現実へと連れ戻すような鋭い爆発音が響いた。

「な、なんだなんだっ?」

 観客達が顔を強張らせ、喉が仕事を一時的に放棄して静まり返った中に船長の狼狽した声のみが空気を震わせた。辺りを見回せば、自分の右足のすぐ先の床に直径二センチほどの穴が開いているのを発見できた。

「じゅ、銃だと!?しかも弾丸って、何なんだお前は!?」

「だ~かぁ~らぁ、海賊だって言ってるだろって何度言わせりゃ気が済むんだよ。」

 船長の学習能力の無さに賊の頭はいよいよもって痺れを切らしていた。ここで船長の権利を弁護しておくとこの時代、銃というものはおよそビーム光線を放つ代物へと変化を遂げている。破壊力は弾丸に比べて飛躍的に増したどころか、弾丸がただのエネルギーとなったために銃自体の質量も軽減され、コンパクト化が進み携行に便利になる中、同サイズなら弾丸より多くの弾数を所持すること可能ならしめていた。しかも発射時の反動も無く手軽に扱える特徴は瞬時にして実弾銃に取って代わる存在となったが、代わられた側にも決して負けていない特徴があった。大なる発射音による聴覚的、硝煙による視覚的に相手に与える恐怖感であった。何より銃の響きにおたおたする船長がその効果を如実に物語っている。およそ実弾を放てる銃を見ることすら初体験だったのであろう。

 彼の狼狽する様を見て、拍手喝采を浴びせていた乗客たちは途端に不安に襲われた。一発の銃声の効果は何百人の心を挫くに十分足りていたのだ。機を逃すまいと頭目は目の輝きを一層増して部下へと号令を下した。

「茶番はもういい。野郎共、稼いでこいっ!」

 頭目の許可を待っていた手下達は枷を外された猛禽のように乗客へと襲いかかった。賊と乗客の狭間に立ちすくんでいた船長以下肉弾戦にも腕に覚えのある筈だった船員たちはあっという間に殴り倒され、投げ飛ばされ、いとも簡単に全てのされてしまった。

「はいはい、大人しくしておくんなさいよ。手を上げなければ俺達もオイタはしませんからね。」

 賊の下っ端が自分としては優しげな気持ちで、圧倒的な力を見せた自分達を見ておののく乗客達に話しかける。彼の危害を加えない気持ちは本心からのものであったのだが、今まで目の前で繰り広げられた一方的な乱闘劇の勝者が安堵を求めたところで相手としては安んじられるものでもなかった。彼等はこぞって反撃の手は上げずに降伏の手を上げて意思を示し、自ずから身に付けている金品を賊の前へと差し出してきた。下っ端が参ったな、というばつの悪い顔を示しながらも大きな袋を口を広げて乗客の前へと持ってくると、意を組んだ彼等は順々に中へと光り物を投じていた。

 中には不純な方向へ威勢のいい客もいるもので、見事な舞台を演じた若き頭目に擦り寄っては金品を片手に、

「ねぇ~ん、カワイイぼくちゃん。これあげるからお姉さんと楽しいことしない?」

などと籠絡を企図する、美貌は売れるほど持ち合わせながら精神面はなかなかに図太い貴婦人も在ったりする。だが当の相手はと言うと

「はは・・・結構です。」

と一言、女性に興味が無いのか、はたまた慣れていないのか苦笑しながらすげない答えを返すのみ。また足に絡みつき身ぐるみを差し出してまで命乞いをする、自尊心は服の方に貼り付いているのかと訝しがらせる輩も在ったりする。そんな者にも、

「まあまあ、何も命まで取ろうって言うんじゃないから。」

と、むしろ海賊の側が丁重な言動であしらっていた。人は人であるために何を心に持ち続けねばならないかを問わせる教師である、という感情で軽蔑の心を押し留める海賊達の側であった。

「お頭、客室あらかた探し終わりました。」

 客室側の強奪に向かわせていた班が、特に抵抗を受けることもなく速やかに職責を全うし、頭目がいたロビーへと足を達してきた。何人もの手下達がクリスマスに超過勤務の全てを稼ぐ赤い服の老人よろしく、やはり大きな袋を丸々と満たす戦利品を担いで今回の仕事の充実ぶりを言外に語っていた。その様を確認した頭目は頭を縦に振る。

「よし、この辺りでずらかるか。いいな、この船のお宝は洗いざらい俺達サラザール一家が頂戴した。」

「おおーっ!」

 頭目の捨て台詞と手下の雄叫びを残して海賊達は一目散にクルーズ船に侵入してきた通路へと駆け戻っていく。取り残された乗客達は暫しの呆然さと恐怖心に縛られていた金縛りが解けた瞬間、叩きのめされて床に放置されていた船員達に詰め寄って今回の責任を誰が取るのかと我先に財産権や生存権を大いに主張し、クルーズ船の目玉であった筈の大ロビーはさながら絶叫遊園地の様相を呈していた。


「副長、全員の帰還を確認。」

「よし、突入ハッチ収納。収納完了と同時にメインエンジン始動、現宙域を離脱する。お頭には戦利品を第三倉庫に入れ、その後速やかにブリッジに上がるよう伝達。」

「宜候。」

「ラジャー!」

「あいよっ。」 

 ブリッジにて矢継ぎ早に飛ばされる命令が乗組員の手で的確に実行される。首肯の返答がまるで揃っていないのが無頼漢揃いの船内を物語っている。

「お頭、お宝は第三倉庫に入れて、すぐブリッジに上がってくるように。」

「えーっ、今帰ってきたとこじゃん。もうちょっとゆっくりさせてよ、暴れたから汗かいちゃったしシャワーくらい浴びたーい。」

「駄目。」

「ちぇーっ。なんだよディアナのケチー。」

 通信先の子供じみた反抗態度に一切の譲歩を示さず一刀に伏せた、女盛りに溢れる豊満さを敢えて隠そうとせず、また格闘にも耐えられるような服装をしたディアナと呼ばれた女性は表情も崩さず、目上であるはずの頭目に命令した後はコンソールに目を落としていた。

「仕方ない、野郎共!こいつらは第三倉庫に仕舞っておけってさ。」

「あいよ、お頭!」

 頭目には聞き分けが良い躾のなっていた部下に搬入を任せて頭目は勝手知ったる船内の廊下を走り専用エレベータを経由し、獲物に突入したと同じ格好でブリッジ後方のドアから姿を現した。到着を合図に船を動かすシークエンスが始まる。

「メインエンジン始動ーっ、出力十パーセント。」

「微速前進、宜候。」

 乗組員は作業を再起動したが、帰ってきた頭目だけが定時を回った職場の感覚に身を包んでいた。

「あー、終わった終わった。今日も疲れた~。」

「ルシア、お疲れ様。」

「こら、カミロ!何度も言ってるだろ。これを被ってる時はあたしはルシオだって、はい罰金。」

 頭目は、先刻にブリッジから下令していた副長に対して右手で自ら被っている帽子を指差し、また左手で艦長席の上に鎮座させていた熊猫型の貯金箱を掴んでぐっと副長の前へと突き付けた。

「ちっ!しまった、またやっちまったか。」

「ふふぅん。」

 副長はしでかしたかという表情を薄く覚えて、懐から取り出した裸銭をルシオと呼ばれるを希望する頭目が彼の前へと突き出された貯金箱へと渋々と投入した。カミロ=サラザール、彼は当年十八にしてこのサラザール一家の副長を務めている。姓が示すように一家の血縁でルシオの父と彼の父が兄弟、という間柄でルシオとは幼少の頃からよく顔を合わせていた仲である。無論血の繋がりというのもあるのだが彼は飛び級で一流大学に二年前に入学するほどの英才であったのに紆余曲折の末、限りなく黒に近い経緯で海賊団に入っていた。経緯を表しているわけではないが黒髪黒目でやや長身、中の上くらいには目鼻立ちもよろしいのだが、いかんせん臆病風に吹かれる事ややあるのが玉に瑕であった。今もブリッジに存在する五人の中で唯一宇宙服を着込んでいる。本人曰く、いつ壁が破れて空気が勢いよく漏れてももいいように、ということらしい。そんなことにでもなれば宇宙服など少々の延命措置程度にしかならないのだから、現在の安心感を得るためだけに着用しているに過ぎないと周囲は見ている。

 この頃の宇宙服はすっかり進歩を見せ、身体のラインに沿うパイロットスーツといえる程に軽量化と見た目のスリム化が実現しているので通常の動作では全く邪魔にはならない。ただ、上下一体式のため着脱に時間がかかり化粧室と懇意になるような体調の場合は泣きを見る。

「はい、お頭もアウトぉ~。」

「な、なんだよ、トマス。いきなり大きな声あげて。」

「はいお頭、お頭も今『あたし』って言いました。お頭も罰金、罰金。」

 副長に対して勝ち誇った顔を見せていた頭目は、艦長席から見て前方に椅子を構えていた、部下の風をしているがとても目上に向けたとは思えない口調の若者から指摘を受けた。若者と言ってもルシオよりは少し年上な位である。明らかな軽いノリを見せる口調に正比例して衣服のあちらこちらに付着した油汚れも気にせずたまに口笛も混ぜながら職務に精励している様は自由人の印象を強く受ける。

 トマス=エステベス、二十三歳。機関部門及び船の補修担当の責任者。若いが機械や機関類への造詣は深く、また海賊としての人生も二十年近くになる。海賊歴が年齢にほぼ等しいのは、幼少の頃に彼の父親がこのサラザール一家に入ったために彼もその煽りを食った形で三歳という物の善悪も判然としない時分から海賊の環境で育つ。偏った生活で培った正常とも言い辛い価値観はともかく、とにかく陽気で明るい性格が形成されていた。

「げっ、トマス。お前ってこういう時だけ見逃さないんだよなあ。あた・・・いや俺ってお頭なんだぞ。」

「お頭でもなんでもルールはルール、決め事には従いましょうってね。」

 トマスはしてやったり感を浮かべた笑みでルシオの方を見やった。反面、悔しさを滲ませた顔でルシオは艦長席の引き出しから取り出した紙幣をやはり渋々と我が手に持っていた貯金箱へと投入した。

「もぉー、今月のお小遣いなくなっちゃうよぉ。」

「ルシオは責任感が足りなさ過ぎる。この一家の頭としてもっと自覚を持て。」

 トマスの左に2メートルばかりの間を空けて船の中心線上に席のある女性が口を挟む、先程頭目からケチ呼ばわりされたディアナである。彼女は前方の大窓と手元のディスプレイに目をやりつつ両手はしっかりと操縦桿を握りしめながら後方と自身の横の間で繰り広げられていた喧騒に対岸から冷気の矢を放っていた。

 三十五歳と、きゃいきゃいと喚いている三人とは一回りほど離れた年長者のディアナ=ブリトー。出る所は出て締まる所は締まる体つき、浅黒い肌と赤茶色の髪、切れ長の目付きに魅了されてきた男性は数知れないと思われる。彼女は元々海賊になどなる気はなかった、むしろ一般的な正義感に背中を押されるところが大なる気骨であったために、当初は某国の正規軍へパイロット入隊を志願していた。が、好事魔多し。彼女の志願した軍のみがそうであったかどうだか、男尊女卑の極地とも言うべき風土に嫌気が差し半ば逃亡気味に除隊。

 その後行く宛もなくスラムの安酒場で一悶着起こしたところをサラザール一家の目に止まり、今となっては立派に操舵士を任せられていた。操縦桿を握ってしまえば同じ、ならば握らせてくれる場所こそが自分の天地。と彼女の正義感は海賊船に乗り込んだ時に潰えていた。

「だっはははは。堅ぇことは言うなってディアナちゃん。」

「その『ちゃん』は止めろと言ってるだろ、撃つぞ!」

「おー怖怖、そんなに眉間に皺を寄せるなって。せっかくの美人が台無しだぞ、ディアナちゃん。ぐおっ!」

 返事は声ではなく視覚的なものであった。ディアナは右手が操縦桿を掴んだまま、左手の手近にあったスパナを声の主目掛けて思いっきり投擲していた。兵器と化したスパナは投擲者の願いそのまま、初老を迎えた白髪髭の老人の顎へと命中した。

「あーあ、ファビオはまたディアナをからかって痛い目見るんだから。懲りろよ。」

「いやぁお頭、この年になっても美人をからかうのは男として引くに引けない性ってやつでさあ。」

「まだ言うか、このっ、」

「ディーアーナー。もう止めておけ。」

 ディアナが第二投の体勢に入るのを、すかさずルシオが機先を制した。頭目の澄んだ声にディアナは投擲動作を中断し、ファビオはでれっとした顔をルシオへと向けた。

「いやぁすいやせん、お頭。この老骨を労ってくださって。」

「スパナが痛むだろ。」

 ファビオの謝意は一言の下に弾かれた。このファビオ=トーレスは御年五十九歳。ブリッジのメンバーでは飛び抜けての最年長である。先代頭目とも苦楽を共にしてきた程この一家に在籍しており対艦戦、白兵戦問わず数多くの戦果を上げてきている一家でも切っての古強者である。現在は最前線は若い者に任せたとばかりに船の火器管制の責任者として席を構えている、だが白兵戦闘力は未だ抜きん出ており、こと戦艦の主砲から拳銃まで、飛び道具を扱わせたらこの一家どころか比肩する者を探すには銀河を駆け巡る必要がある。また、悪党とはこういう面だという発想を象徴化したような顔の上に傷をも纏っている強面である。

 性格は顔に似合わず剽軽な一面を持ち合わせ、女性にはとかく助平な一面も覗かせる。ディアナには特に興味があるようで、しょっちゅう彼女にちょっかいを出しては物理的に痛い目を見ている。彼にしてみればそれもまた一つの悦びらしいのだが、少なくともこのブリッジ内にその感情を理解できる者は存在していなかった。

「もういいから、ディアナ、ずらかるぞ。トマス、エンジン出力上げっ。」

「了~解っと。エンジン出力三十パーセント。」

「速度半速、宜候。」

 後部ノズルを輝かせ、海賊船がクルーズ船の横を離脱して行く。煌々とした噴射で星雲の中へと姿を消していく船の様子は、未だ大乱闘の只中であるクルーズ船のロビーからもその様は特等席のように綺麗に眺められ、闘いの手も暫し止めて天体と人工物が織りなすショーに見入っていた。

 だが、やがて人工の流星ショーが終幕した時、ロビーには第2ラウンド開始のゴングが鳴り響いていた。連邦警察の警備挺が通報により当該宙域へと到着した頃には海賊船の姿形はとうに見えず、灰色を基調として濃い紺のラインがなぞられた制服で連邦警察所属を宣言している彼等はクルーズ船に乗船しては海賊の追跡よりも半ば暴徒と化していた乗客への対応に腐心せざるを得なかった。

 連邦警察とは、加盟する星間国家の間で締結された、加盟国間の越境した捜査や捜索、時には武力行使の権限を与えられた組織である。警察と呼称されるが、固有の武力は軍隊と呼び名を買えても遜色がない。およそ星系間、国家間を逃げ惑う犯罪者を執拗に追跡できる行動力と武力を併せ持った唯一の組織であり海賊には天敵とも言えるべき存在であった。

 「国境を恐れる輩を我は恐れず。」海賊が跳梁跋扈し始めた時期、『白鯨』の異名で銀河各国を畏怖させた海賊フェリペ=カルドーゾが放った言葉とされる。星系の単位が国家の単位と等しくなったにせよその間には何もない、地球上の話であれば山河などはあったが、星系間空間には惑星上の地形のようなはっきり形になるものすら存在せず、また海であったなら海底資源での国境問題も噴出しようが宇宙ともなると利権に関わるような物質もまた存在しなかった。故に星系間同士に渡り犯罪者などが逃げ果せればそれは即ち無罪放免とほぼ同義となっていたのだ。フェリペはこの曖昧に過ぎる制度に一石を投じたという意味においては人類史に多大な貢献を行ったと言えなくもない。つまり彼などへの対処の反省ということで各国がようやく足並みを揃え、広大で強力な権限を持ち得る連邦警察の発足へと繋がっていくのである。

 正面からまともに相手をしても絶対的火力に於いて文字通り桁の違う警察相手に海賊たちもまた多種多様な、時には非道・権道と言える手までも用いて己の生業を続けている、そのような混沌の時代が当時の情勢であった。


 仕事を終えた海賊船「ディア=フェリース」(幸せな日)号は幾度かのワープを繰り返し通常航路からはかなり離れた宙域に自慢の流線型で美しく整えられた姿を見せていた。この付近は大小様々な岩礁が犇めき合う危険地帯でおよそ正常な思考のパイロットならば近づこうともしない。そのような人気に寂寥感漂う場所は海賊のねぐらにもってこいだった、ディア=フェリースもディアナによる操船の巧みさを知らしめ、中でもそれなりに大きいクラスの小惑星へと近付いた。それなりと言えど全長八百キロに及ぶ巨岩で北海道がすっぽり入るサイズである。接近しつつあるディア=フェリースも約六百五十メートルの全長を誇るが、それと比するのは正に月と鼈の差である。

「カミロ、帰還信号打てっ。」

「了解。」

 艦長席の直ぐ前にあるカミロの副長席からの操作で信号が放たれると、受信側が彼の意図を過不足なく理解した。

「ディア=フェリース号の信号を確認、お頭達の帰還です。」

「よぉし、扉を開けろ。出迎えの準備だ。」

「アイアイサー。」

 薄暗く、計器類の明滅が白や青の光のページェントを輝かせる制御室でやはり海賊風の男達が慣れた手つきで機器を操作する。

 自然に成った壁にしか見えなかった岩の一部が一辺二百メートル程の正方形状に、扉が開くが如く上下へと開いた。大気の下であればとめどもない轟音を共にしてたろうが幸いに此処は真空の宇宙、船と扉の間は音を伝えるために振動する物質は満たされてはいなかった。十分後、完全に開ききった扉の奥には自然に成っていない鉄の壁、種々の作業機に人造のライトが彩る港湾設備が広がった。ディア=フェリースも十分停泊可能な港の光景はルシオ達の乗るブリッジからも肉眼で確認できた。

「ルシオ、受信されたぞ。ゲートの開放も完了した。」

 カミロは後方斜め上のルシオに向けて報告した。

「分かった、じゃあ頼むぞ、ディアナ。」

 ルシオはカミロを越えて更に斜め下の前方へと下令した。

「了解、船速微速。」

 ルシオの命令に答えてディアナが船速を更に下げて上下へ左右へ小刻みに舵を取る。ブリッジの配置は最前列に左からファビオ、ディアナ、トマスと並び彼らの間に高さの違いはない、ディアナの真後ろ三メートル程に副長席、つまりカミロが座っている。副長席は三人の位置より五十センチほど高い床に設置されており、副長席から更に三メートル後ろにルシオの艦長席があり、ここもやはり副長席より五十センチばかり床が高い。ディアナの両脇から館長席、更に後ろにある唯一の出入口までの傾斜には階段が付いており、各員はここを伝うことで前後に動いている。出入口を通るには必ず艦長席の横に動線を所持することとなる。また、艦長席から階段を挟んだ両側にもデスクが存在するが、ここには今のところ計器や機器の類は何も設置されていない、椅子があるだけの席となっている。傾斜による目線の違いは上下関係をはっきりさせるためだとのカミロ副長による提案であり、彼にはルシオを挿げ替えの利かないトップワンにしたい願いを持っていた。しかしルシオからして自由の気風が強く上下関係を蔑ろにしているため、副長の思いはまだ成就を見ることはなかった。

 やがて船は進行線上の真ん前に扉、更にその内部を捉えた。扉の内部から発するビームにより港湾の内部と船の前部がレーザーロックされ、後はコンピューターが自動で入港させてくれる。ここは彼らサラザール一家のねぐらであり船の母港であった。

「お疲れ様、ディアナ。」

 ルシオは艦長席から下りてきてブリッジ最前部、ディアナのすぐ横で帽子の中に手を突っ込んで頭をぽりぽりかきながら入港を見守っていた。ディアナの腕を持ってすれば万に一つの間違いもないが、ルシオにとってこの巨岩はずっと育ってきた家も同様で帰郷する感覚があり、できるだけ近くで見たい心境が前方まで足を運ばせていた。

「お安い御用さ、お頭。そうだ忘れてた、はいこれ。」

「何だ?」

「アンタが前に欲しがってた銃さ。さっきの船にあったってんで、若いのを一人使って持ち出させてたんだ。」

 ディアナは懐からクラシカルな装飾を纏った弾丸式の銃を取り出してルシオの前に示した。光線式ではない銃なともはや生産すらされておらず、この点だけでも十分コレクター間での価格は釣り上がる代物である。折りに触れ、新しい銃が欲しいとカタログに目を落としては物騒な呟きに口を働かせそれを周りに聞かれていたルシオは突然のプレゼントの提示で喜びに溢れた。

「きゃーっ、ありがとうディアナ。だから大好きーっ!」

「おいおい、やめろって。」

 ルシオは喜びの余りディアナにがばっと抱きついた。ファビオのように助平を隠そうともしない男なら眉の一つも動かすどころでない反応を示すところであったが、彼をはじめ周囲の殆どが何故か平然としていた。ルシオに抱きつかれたディアナにしても動じず、むしろ妹に抱きつかれたかのようににっこりとした微笑みを浮かべている。唯一、カミロだけは面白くない顔をしていた。これは強い組織のために上下関係のはっきりとした構築を築きたい彼としては、ルシオが部下との垣根が余りにも低い行動を取っていることに起因するものであった、そうカミロは思考している。

 抱きついた拍子に、頭を掻いていたために収まりが悪くなっていたルシオの海賊帽がずれた。重力に流されて肩を通過し、ルシオの体を沿うように床へと落下した帽子はそれ自身と共にルシオの長く目立つ赤髪も巻き込んで床上へと存在を移動していた。

「あ、取れちゃった。」

「こら!『取れちゃった』じゃないだろ。他人が見てなかったからよかったものの、お前はもう少し注意を、」

「あーっ、カミロはうるさいっ。」

 両手で両耳を塞ぎ頭を横に振ってカミロの説教を全拒絶したルシオの頭は黄金色の光を放っていた。寝乱れたようで毛先も揃っていなかった赤毛のウィッグに秘匿されていた長いブロンドを後頭部で留めた姿は中性的というよりはもはや女性的といえる趣を発している。

「もう家の目の前まで帰ってきたからいいじゃないか。今からあたしはルシア!ルシアに戻りまーす。」

 ルシオ改めルシアと名乗った頭目は着込んでいたコートを脱ぎぽうんとほうり投げる。ふわんと空中を浮遊したコートは狙ったように頭上からカミロの体に覆い被さり、彼の視界の全てを暗くする。

 コートの下には白いブラウスを着しており、それに包まれているルシアの胴や腕は実に華奢だった、さらに髪留めを外すとふわりと広がり重力に軽く身を委ねるように静かに、また靭やかに下降して腰まで届かん髪を解放した姿は完全に女性であった。というか実際にルシアは女性であった。見るものに強い印象を与える海賊の姿は、いや姿はおろか性別まで作りものであるというわけだ。被さったコートをわたわたと剥いで顔を潤沢な空気の元へと戻したカミロがルシアを再び視界へと取り戻した時、既に彼女は『彼女』という代名詞で表現できる姿をさらけ出していた。 「本当に勝手なんだからなあ・・・」

 カミロは副長という立場上、頭目のルシアから人一倍命令を伝えられる位置にある。よってルシアの理不尽または無茶な要求が来る分も命令の絶対量に正比例して彼の精神的安息を大いに阻害していた。だが、フードのようにカミロを覆うルシアの脱ぎ捨てたコートは女性の持つ仄かに良い香りを放ち、カミロを鼻腔から花園に誘うようだった。淡く甘い異性の香りがセイレーンの誘いのように精神を惑わせ、ルシアへの強い口調を緩和させる。結果、カミロはルシアが自分一人で物事を決定している物言いに対し、嘆息を漏らすに留まった。

「いいじゃん、いいじゃん。別に減るものもないんだし。人間万事塞翁が馬って言うじゃない。」

「そんな大したことじゃないだろ。」

「あ、ほーら。大したことじゃないって言った。大したことでもない事なんだから目くじら立てなくてもいいじゃん。ハゲちゃうぞ。」

「ハゲないっ。」

「まだハゲとらんわっ!」

 子供の様な詰りに過敏に反応したのはからかわれたカミロではなく、長年頭部を守護してくれている友垣との別れの季節を迎えているのかもしれないファビオであった。彼も傍目から見た感じでは年齢ほどに寂しさを感じさせないのだが、他人には理解できない当人のみが感じる発見が既にあるのだろうか。

「あっ、なんかごめ~ん、ファビオ。」

「お頭、アンタの親父とは長い付き合いだ。そんな奴の娘だから何を言われたって構いやしねえ。ただなあ、それだけは言ってくれるな、男の後生ってぇやつだ。」

 正面窓の外を向きつつ、ファビオは後頭部でルシアに侘しい哀願を一つだけ入れた。そんなに気にする様には見えないんだけどな、とルシアは叔父にも思える父の旧友を慮り、また一家の頭目の責任として彼を励ましたい感情に駆られるのだが、彼女の視界でカミロが頭を横に振るのを視認した結果、出かかった言葉に元来た道を引き返させた。

「接岸する。」

 ディアナが開口する、ルシア達が幼い言い争いを繰り広げていた間も船は入港作業を進めており、既に大岩の一部をくり抜いたような港湾に飲み込まれ、各部からせり出してきた固定具がドック内に宇宙船の位置を定める。船に向かって補給用のチューブや移動用の通路が施設側より伸びてくる。ドックに留めた際、どの位置にチューブや通路を通すハッチを設置するかは全宇宙が統一規格で定められている。港湾施設を使用する前提の船は皆規格に沿って建造されている。そうでもないと広い宇宙を旅するには補給もままらなず、一般的な技術者も統一規格に基づいているのが当然として船を扱うので修理一つにも困難を極めるのだ。

 やたらと突起物や派手な装飾で宇宙船を着飾るという、調子に乗った輩はこの時代もまた存在するのだが、いざ勝手に改造してみると突起物が施設に支えて補給も受けられず、数多の衆目が見据える前で泣く泣く改造部を取り外させられたりする。更に上手な輩ともなれば入港の際に突起物を折りたたむようにしたり収納したりと一段階上の改造を見せてくる場合もあり、いずれも人々の笑いの種くらいにはなっていた。

 やがて入口が閉じ、宇宙空間と港の内部が完全に隔絶される。外から見ればまたただの岩にしか見えなくなった壁の内には近代的設備で整えられたサラザール一家の根城があり、基本的な生活はおろか娯楽もそれなりに揃えられており、およそ海賊の根拠地としては十二分に条件を満たしている。

 ルシアを先頭に勝手知ったる我が家へと入場してくる出稼ぎの一行。彼女は既に女性を表に出した姿であったが、ジュストコールを肩にかけ、ウィッグ付きの海賊帽を片手で回しながら腰にガンベルトを巻いている姿はお世辞にも女性らしさを持ち合わせているとは言えなかった。さりとて帰ってきたルシアを出迎える男衆はがさつな彼女の様態など気に留めた風でもなく、これがいつもの風景とばかりに彼女が手を挙げて帰還を告げる姿に返答していた。

「みんな、たっだいまー。」

「お頭、お帰りなさい。」

「お疲れ様です、お頭。首尾はどうでした?」

「大漁大漁、すぐに出してくるからみんな驚くわよ~。」

「こらルリアちゃん!またそんな格好して、年頃の女の子がはしたないったらありゃしない。」

 中には彼女の女性らしさの欠落を案じる中年の女性もおり、彼女はルシアの女性的成長を慮る思慮から退くことを知らなかった。

「げっ、ベアトリスおばちゃん。ヤバい所見られちゃったな~。」

「ヤバい所じゃないでしょ、ここはあたしの持ち場よ。そこをこんな格好で歩いてるアンタに問題があるの。もうっ、普段から女の子らしくしなさいって言ってるでしょ、まったくこの子は誰に似たのかねえ、あの女好き親父なんだろうけど、それにしてももうちょっと女の子らしい育て方ってもんがあるでしょうに、本当にあの馬鹿親父はどうしようもないこったね。」

 ルシアにとって彼女は獅子身中の虫であった。女性に女性らしくしろと指導してくれる年長者を虫扱いとは失礼な話だが、苦手なものは苦手であり、がさつに育てられたルシアにとってはなるべく避けている相手であった。何分彼女は大事な補給担当の責任者であったので、頭目が無碍にはできないお家の事情が大きい。

「お、おばちゃん。カミロが話あるんだってさ、それじゃねっ。」

「こら、待ちなさいルリアちゃん。あんたって子はまったくもう。」

 ルシアはカミロを人身御供に差し出して、足早に自らの姿を煙に巻いてしまった。ベアトリスとしては拳を既に振り上げていた状態であったため、拳の行き先は今目の前に残されたカミロに落とすしかなかった。

「カミロ!これというのもアンタがしっかりしてないからなんだからね。ルリアちゃんがわざわざ男の格好なんかしてどうして海賊なんてさせてるんだか。海賊なんかにならなきゃ今頃あたしがいい旦那を山ほど見繕ってたっていうのに。」

「山ほどはいらないんじゃ。」

「あたしが言ってるのはそういうことじゃないんだよっ!アンタはその減らず口の前に座ってない肝を直しな。頭だけはいいけどどうして根性無しなんだろうねえ。」

「俺だって別に好き好んで海賊してるわけじゃ、」

「言い訳と屁理屈はいらないんだよ!」

 ああ、またやられてるよ、カミロも気の毒に。という視線で引き上げてきた部下達が帰還作業がてら横目で絶対的旗色の舌戦を眺めていた。片やベアトリスの部下も、へなへなしている副長をして毎度よく無事に帰ってくるものだと実戦部隊の労を労いつつ、自分達に巡ってきた、船の面倒という主演舞台に取り掛かるのだ。

「だいたいだね、アンタ一人だけ宇宙服だなんて恥ずかしくないのかい、男だろっ?それからだね・・・」

 ベアトリスの説教は一度始まると長い、我が身をもって熟知してる補給担当の面々は彼女の指図など待たず、カミロを説教する彼女の背中から我先にと船へと取り付いて自らの職責を果たしにかかる。港には人工重力が働いておらず、一度足場を蹴れば無重力の空間へと身を投げ出して船へとひとっ飛びである。重い器具も一緒に携えて皆てきぱきと、責任者のよく通る大声を背景に仕事に取り掛かった。

 その場には、肝の座っていない若者と肝っ玉が腹の過半数を占める中年女性だけが取り残された。

 一方、足早に港を後にしたルシアの方はというと隅々まで知る我が家を闊歩しつつ、足は港湾部から「ねぐら」の中央付近、一家の居住区の方へと向かっていた。

 足の止まった前には、幅四、五メートルという大扉があった。彼女はドア脇のスイッチを操作してそれを開放する。ハッチにもなっている造りの扉は重厚な厚みに似つかわしくなく静かに左右へと開いた。

「おうっ、お頭。おかえりっ。」

「お先にいただいてますぜ。」

「おかえり、ルシア、今日もご苦労様。」

「ああ、みんなお疲れ様。存分にやってくれ。」

「もうやっちゃってまーす!」

 異口同音に大きな声がルシアに答えた。扉の中はゆうに三、四百人は収容できるホールになっており今しがた到着してこの場へと真っ直ぐ向かってきたはずの頭目を差し置いて、室内では既に百人ばかりが酒樽を開け、料理を大皿に盛って、無事の帰還を祝う宴会を開始している。何をするにも手早い部下たちで助かるが、宴会の開始となると抜きん出た速度を誇る。用意は留守番組が行っているにしても何時間前には自分と一緒に客船に乗り込んで仕事に精を出していた面々までが我先にと宴会に興じている俊敏さはルシアをして我が家の七不思議として扱われている。

「トマス、もうできあがってるのか。」

「ああっ。ひと仕事終えた後の酒はやっぱ旨いね~。」

 群衆の中にルシアは既に頬に紅を落としていたトマスを見つけた。やはり彼も既に盛り上がっている最中である。

「父さんは見なかった?」

「親父さん?いやまだ見てないな~、いつもいの一番に酒入れてるくせにまだ寝てんじゃないのか、あの楽隠居は。」

 ルシアの父といえば先代の頭目ということになる。ルシアはもとより先代にもまるで敬意を払っていないトマスの言葉だが、ルシアには眉をひそめるような仕草はなかった。ルシアにはこの大所帯を部下、配下としてより仲間、家族として見る向きがあった。なにせ自分より長くこの一家に居る者も多いし、生まれたときから古参の連中に囲まれ世話までしてもらっていただけに連帯意識が強かった。三年前に頭目の座へと就いても彼女の心情には些かの変化もない。

「部屋行ってみたらどうだ?マジで高鼾かもよ?」

「そうだな~、またそうだったら叩き起こしてこようかな。ありがとう。」

 ルシアはホールから1ブロックおよそ二百メートル隔てた位置にある父親、つまり先代頭目の部屋へと踵を返しホールを後にした。

「おう、トマス。お頭は酒も飲まずにどこ行っちまったぃ?」

 トマス以上にできあがっていた一人の部下が彼へと絡んできた。

「ああ、親父さんがいねえからって、部屋のほうへ見に行っちまったよ。」

「へぇ~、そらまたお前ぇ、いらねえ事言っちまったな。」

「なんだよ、そりゃ?」

「すぐ分かるさ、んじゃ俺は騒ぎになる前に持ち場に戻るとすっかな、あばよ。」

 占い師に気触れた風の部下は意味ありげな言葉を残すと、やはりホールを後にした。後に残されたトマスは怪訝な表情を浮かべつつ、なんだアイツ?と心で彼の背中に声をかけていた。

 それから十分後、ホールへと下着一枚というだらしないも極まった格好で血相を変えて飛び込んできた先代の慌てようにその場に居合わせた部下たちはざわついた。

「たっ、助けてくれっ、殺されるっ!」

「先代!?どうしたんですかい。」

 飛び込んできた壮年から初老の男、つまり先代頭目は震える体で必死に今自分の飛び込んできた扉を指差す。尋常でない先代の物言いにざわついた部下達は一斉に目の色を鋭く変化させ、彼が宴に乱入してきた扉を睨み付け、いずれ現れよう闖入者へと刃を翳す。次の瞬間、普段通りに開いた扉の向こうに彼らは一人の姿を確認する。

「お~や~じぃ~~~。」

 声の主、先代に殺気を向けていたのはルシアであった。徒手でこそあるが、形相から迸る怒気がホールにいた全員にひしひしと伝わってくる。まるで彼女の後ろに魔王が立ちはだかるかのようだ。こいつはいけない、何人がそう思ったろうか。

「ま、まあ待て、ルシア。落ち着け、俺が悪かった。だから落ち着け、な、な。」

 先代が必死に娘を宥めようと手を合わせて懇願するが、ルシアに聞く耳は持ち得なかった。形相がいよいよ般若のそれと化し、真の肉親を喰らおうかとでも言う意思すら感じ取れる。

「親父、お前って奴は・・・こんの野郎っ!」

 一歩目で最高速に入ったルシアの足が父に向かった、と彼女の姿が瞬時に視界から消える。皆が視線を上方に向けると、彼女は見事な跳躍で空を舞っていた。くるりと四分の一回転を決めたルシアは父に照準を合わせて片足をぐっと伸ばし、人工重力の力を借りて全体重を乗せ彼の腹へと命中させた。

 娘の渾身の飛び蹴りをもろに食らった父は堪えきれず後ろに飛ばされ、料理が乗せられているテーブルの足に叩きつけられた。これはまずい!と思った者はルシアの怒気をまずく感じた者よりずっと行動力に富んでいたようで、父の側がぶつかったせいで宙を舞う羽目になった料理をある者はすかさず口に受け、またある者は持っていた皿を伸ばしてスーパーキャッチを見せ、美味なるものを床に接吻して形を留めなくする前に一切を無駄にさせない芸を見せつけた。

「お、お前ら。俺の心配より食い物の心配かっ!?」

「え、だって先代いつも言ってるじゃないっすか。食べ物を粗末にするなって。」

「そりゃそうだが、時と場合によるだろ、おいっ!」

 先代の主張に屈することなく、主張より薫陶を遵守した部下達は彼の命より料理の無駄の方を案じ、正直に体を動かした。先代は自らの言いつけが行き届いた部下を頭ごなしに詰ることもできず、自らの顔に困惑を浮かべるだけであった。

「どこ向いてる、ダメ親父!」

 続けざまにルシアの鉄拳が父の左頬に入った。更に間髪入れず次の拳がみぞおちに決まった。まだまだとばかりに何発ものパンチを繰り出すルシア、父は防御もままならず娘の連打に晒された。都合十三発目を放とうとした時、ついに彼女の一方的な虐待は終着駅を迎えた。何者かがルシアを後ろから羽交い締めに拘束し、動きを封じたのだ。

「誰だよ、放せ。この淫乱親父、性根まで叩き直さないといけないのよっ。」

「いいから落ち着け、ルシア。実の親父が本当に死んじまうぞ。」

 声の主はトマスだった。彼がルリアの動きを封じて身長差を活かして羽交い締めのまま彼女を持ち上げて険悪な父娘を引き離した。それでもルリアは未練がましく足を伸ばして蹴りを繰り出そうとするが、これは虚しく空気を蹴るだけの話に終わった。

 ようやく一呼吸吸うことのできた先代は口の中に溜まった血を吹き出しつつ口を開いた。

「な、なあに。まだまだ。愛しい娘の手にかかるんだったらそれはそれでいい死に方だろうけどな。」

「まだそんな減らず口を!!」

「落ち着けって言ってるだろ。」

 トマスは彼女を制するに自らの七割の力を必要とした、むしろ七割で頭目を抑えつけるに成功している。ご覧のとおりといった荒くれの面があるとはいえやはり年頃の女性ではある、大の男なら彼女を縛るに問題はなかった。ましてやトマスも海賊の名に恥じず実戦で鍛え上げられた逞しい筋力には些かの自負がある。なら先代は何故一方的なやられっぷりを示していたかと言えば、そこはやはり愛娘には手を挙げられない親心であったろう、しかもこの男は愛情の度合いがやや強めでもある。

「効いたぜルシア、さすが俺の娘だ。うい奴だな、ほれほれ。」

 痛め付けられたにも関わらず、愛玩動物を溺愛する勢いで娘に近づく先代は、トマスがせっかく引き離した間合いにみすみす侵入し、愛情の代わりにキックの連打を浴びせられた。

「親父さん、アンタも落ち着けって。仕舞に死んじまうぞ。」

「だから愛する娘の手にかかれば幸せだってんだろうが、青二才は黙ってろ!なあルシア、だから許してくれよぉ。」

「えーいっ、黙れっての。」

 命の恩人に向かって青二才呼ばわりする辺り、実に頑固な男である面を表す。床に手と膝を突きつつルシアに擦り寄り片手を伸ばして哀願しつつまた顔面に蹴りをお見舞いされる。あまりの愚かさに見かねた周囲はトマスが更にルシアを後ろに引っ張り下げ、他の部下が折り重なって先代に飛び乗り、やっとのことで乱闘劇に終止符が打たれることとなった。

「ったく、手間かけさせる親子だぜ。一体何がどうしたってんだよ。なあ親父さん・・・絶対アンタがなんかしでかしたんだろ。」

 トマスは悪態の中に先刻、妙な言葉を残して去った一人を思い出していた。自分達が外へ出ていってる間に先代がルシアに見つかっては良からぬことに手を染めていたと容易に想定できる話であった。

「あ、ああ。えとお、それはだな。」

 口ごもる父を前にして、暴れたせいで美麗な金の長髪もぼさぼさに乱れたルシアが口を挟む。

「あたしがあることないこと含めてぜんぶ言っちゃっていいの、父さん?」

 ダメ親父、淫乱親父呼ばわりだった彼へと対するルシアからの呼称が『父さん』に落ち着いたことで周りにも彼女が落ち着きを取り戻したことを知らしめた。しかし呼ばれた側はそのような些末な事より辛い選択を迫られているため、逆に表情の険しさを強張らせていた。

 尚、この先代の名はドゥアルテ=サラザール。ルシアの父、カミロからは父の兄に当たる人物である。雄大豪壮にして海内無双、若い頃にサラザール一家を旗揚げして以来順調に力を付けていき、何年も海賊界にその人ありと謳われる一人になぞらえられていた海賊である。権力に贖い部下には公平、気前も良ければ酒にも強いと部下の信奉も厚い。それが今は何故かだらしない格好で娘に決断を迫られるという、格好の付けようもない一隅に追いやられている。

 にしても部下達は幻滅するでもなくむしろ一連の喜劇を端役の出演者として楽しんでいる向きがあった。よって役者たちは彼の次なる即興劇に興味津々である。

「わ、分かったよ・・・」

 ドゥアルテは諦めて自ら告白する方を選んだ。娘に代弁、しかも身に覚えのない尾鰭まで付けられたら先代頭目としても更には父親としても沽券に関わることは避けたかったためだ。

 彼の告白によると時は数十分遡る。ルシアが宴会に顔を出してきていなかった父ドゥアルテの所在を探そうと彼の部屋へとやって来る所である・・・


「おっとおっさん。たっだいま~。」

 ドゥアルテの部屋を開けた時点でのルシアは、ひと仕事終えたという上機嫌な心持ちで精一杯父に対していい子ぶった声で入室した。だが、彼女の声は向こう側の壁まで届いただけで、誰の鼓膜を震わせてもいなかった。部屋には明かりの一つさえ灯されていなかったのである。

「あれ、本気で寝てるのかな?」

 ルシアは父の部屋に一歩、また一歩とずかずかと入り込む。彼女の進入と同時に部屋に生体を感知したコンピュータが自動的に照明をオンにする。どだい遠慮をし合う仲ではないので今までもこの行動を咎められたことも、問題になったこともなかった。部屋を進むと更に扉で仕切られた部屋の前まで来た所で足を止めた。この中はドゥアルテの寝室となっている、此処には扉の横の壁に掌を翳すことでロックを解除できる鍵がかけられており、部屋までは一家の誰でも通すようになっているが、寝室はプライバシーの範疇であったと共に敵対勢力の進入時に身を守る最後の砦の役目も任されている証の装置である。

 だが、ルシアは彼の娘にして現役の頭目でもある。彼女に外せないロックはこのねぐらの中に一切ないと言い切れる。装置に手を触れると扉は一切の反抗なく、すうっと左右に広がり彼女を認めた。

「父さん、寝てるのー?」

 ルシアが薄暗い照明で照らされているベッドの上に膨らみを見付け、小声で部屋の主を確認にかかった。空気の流れと人の気配を敏感に感じ取ったドゥアルテは目を覚ます。起こした上半身は何も着ておらず、歴戦の証明になる一つ一つの傷がぼんやりと見える。ただ、彼の意識はまだ混濁の域を出ておらずこの時、既に取り返しのつかない失態を犯しているとの認識は表れていなかった。

「おう、ルシアか。悪い悪い、深く寝入っちまってたようだな。」

「父さん、おはよ。あたし達、今帰ったよ。」

「おう、おかえり。」

 まるで女学校から帰宅した娘を出迎えるような和やかな情景で家族の会話が交わされた。そこへ家族ではない何者かの声が割り込んでくる。

「うう~ん。あら?新しいお客様?あらぁ、次は可愛いお嬢ちゃんなのかしら。貴方、趣味が広いのね。」

「えっ?」

 ルシアが第三者の存在を認めようという思考が開始された段階であったが、艶めかしい声の主は更に続けた。

「あら、お嬢ちゃんもこの人のお相手に来たの。駄目よ、今日はわたしがこの人のお相手なの。だからまた明日来てね、うふっ。」

 ドゥアルテの横でベッドから起き上がった妙齢且つ妖艶な女性もまた、上半身、少なくとも上半身には何も着けていなかった。自らを誇示し、勝ち誇るかのようにルシアに対し言葉と視線を放つ女性には余裕が感じられた。反面、

「ば、ばかっ、何言ってやがる。こいつは俺の娘だ。」

「あら、ばかとはご挨拶ね。一夜の相手には誰の娘とかなんて関係ないわ。あるのは、男か、女だけよ。ふっ。」

 勝ち誇る女性はまだ年頃のルシアでも大凡見当が付く情婦の類で間違いなかった。彼女が余裕を見せる度にドゥアルテは焦燥し、狼狽した。

「ふぅ~ん・・・ねえ父さん、これってどういうこと?」

 好対照の二人を傍で眺めていたルシアは一言だけ発した。表情は薄ら笑いをたたえており、彼女を見た女は心の何処かを擽られたらしく、悪戯心に火が付いた。

「あら、ヤキモチかしらお嬢ちゃん。でも残念だけど、貴女はもっと女を磨かなきゃね。せっかく素はいいのに、色気の一つもない格好とスタイルよ。ほら、こうなりたかったらもっとミルク飲まなきゃ駄目ね。」

 女は右手が髪をかき上げ、左手が両胸を下から持ち上げる仕草で女性力での優位性を『お嬢ちゃん』に見せつけた。

「ばかっ、お前何考えてんだ、だから俺の娘だっつてるだろ。余計な事言ってんじゃねえ。」

「あら、またご挨拶ね。わたしは親切心で言ってあげているのよ。女は着飾っていくらなんですからね。」

 女の勝ち誇らしげな顔と膨よかな胸、そして胸部に人知れずコンプレックスを抱いていたルシアはそこに手を当てながら顔を下げた。大して誇れるでもなかった部分にコンプレックスを抱くような体なればこそ、矯正具も付けずに男装が成立するのだが。この時の彼女の発育の停滞具合は欠点であり美徳という代物にはなり得なかった。

「ルシア、これはあれだ。一時の気の迷いってやつでな。」

「あら、さっきはあんなに激しく燃え上がっていた仲じゃないの。」

「火に油を注いでんじゃねえ!」

 とんでもない場面での父娘の対面を、こんな場面滅多にないなどと思いつつこの場を楽しもうという女にドゥアルテの自己弁護は尽く掻き消された。

「そう、そうなの、娘を働かせておいて自分は不逞行為でお楽しみだったのね・・・」

 ルシアの口調は怒気を孕ませずに淡々としていた。ドゥアルテにはむしろ淡々としている様こそがこの後起こりうる心の湖が決壊を起こそうという悪い予想図を描かせている。

「ま、待てルシア!俺は不逞な、やましい事はしてないぞ。俺は独り身だ、だから俺が誰を抱こうが公明正大、何も後ろめたくなんかねえ。」

 ドゥアルテの必死の弁護は抗弁すればするほど、ルシアの心の湖に洪水を垂れ流しては自らの首を締め付けていくだけであった。やがてルシアは右の拳を顔の高さまで上げる。

「そんな言い訳がましいから・・・母さんに愛想尽かされるのよーっ!」

 上げた拳がドゥアルテの位置に落とされる。正確にはドゥアルテのいた位置であり、彼は危機を感知した瞬間に身を捩って女の上に覆いかぶさるようにして鉄拳制裁を逃れた。急に覆いかぶさられた女はドゥアルテの行動にも驚いたが、愛娘が問答無用に父へと攻撃を仕掛けたことには更に驚嘆した。ルシアの粗雑さと荒々しさは自らの予想の女々しさを認識せねばならぬほど甘口であり計算違いを微妙に後悔させた。このままでは巻き添えになる危険性を感じた女は乗っかってきた大の男を、渾身の力を込めてルシアの前に押し出した。

 押し出された男はそのままベッドからも放り出され、もんどり打ってルシアの前に転がった。仰向けに転がり、打った頭を抑えつつも、ふと娘の顔を見上げるとそこには娘ではない鬼の形相が浮かんでいた。

「親父・・・覚悟はできてるんでしょうね。一稼ぎさせてきた娘の前でどこぞの売女を抱いた挙句に見苦しい言い訳三昧。万死に値するわよ。」

「ま、待て。娘よ本当に待て。お前も新しい母さんが欲しいんじゃないかとか思ってたりとか、」

「問答無用、でえいぃっ!」

 というくだりで娘に寝床から追い立てられた挙句に部屋を飛び出し宴の場まで逃げ出してきた、のがドゥアルテの告白であり、事実と大凡変わらぬのかルシアも否定や注釈を付けずに首を立てに二度振るに留まった。

 父娘喧嘩で応酬された様に、この家族に母親はいなかった。今足を下ろしている「ねぐら」の中にいない、というだけであり、この世にはまだいるとは思われる。奔放だが奔放過ぎる夫の度量、つまり女癖の悪さに辟易しきり、幼い娘を残して真っ当な世界に戻ったのだろう、とはドゥアルテを除いた一家の共通認識である、この認識には娘たるルシアすら共通している。ルシアは情婦を生業にする者が認める程に素の姿は良いので、きっと母親の血が濃いのであろうというのもまた一家の共通認識であり、こちらは先代にも共有される認識であった。


「なーんだ。」

 何処からともなく落胆の声が聞こえてきて、ドゥアルテの行為に興味津々であった筈の部下達が三々五々、父娘を囲んでいた輪から一様に期待外れという感を滲ませて離散して行く。

「ちょっとちょっとみんな。『なーんだ』はないでしょ。娘の前で誰か知らない女の人と寝てたんだよ、これって大事じゃない、ドラマでもよくあるような修羅場ってやつじゃない?」

「お頭、みんな先代の女癖はよーく知ってて、その位じゃもう新鮮味ってのがないんだよ。」

 話題と場所の両面にやっと追いついて宴に参加しようとしたら開演した一悶着を後編から眺めていたディアナが、去っていく部下達に無駄な声をかけていたルシアの肩をぽんぽんと叩いた。

「だってさ、女の人だってすっごいいい体しててあたしをバカにすんだもん、父さんそんな女とイチャイチャしてさ、悔しくて悔しくて。」

 半べその顔になったルシアの感情は複雑だった。コンプレックスを刺激され、自分にない物に夢中になっていた父に苛立ち、現場を目撃した腹立たしさが彼女の瞳を滲ませる。そんな年下をディアナは胸の中にぐいと引き寄せた。

「あっはははは、ルシアは可愛いねえ。」

「もうっ、そんなこと言ってディアナまであたしをからかう気?」

「そうじゃないさ、私はルシアのこと本気で可愛いさ。私だけじゃない、ここの連中みんなアンタの事が好きさ、だから一緒に海賊なんて因果な商売やってるんだよ。」

 十も年の離れた姉のような彼女は半人前のルシアをよく抱きしめて可愛がった。ディアナの胸の中は落ち着いた、それでいて彼女が全てを解き放って自分を迎え入れてくれるのはルシアにとっても嬉しい事である。

「うえええっ、ごめんねディアナ。」

 半べその状態から頬に涙を落としたルシアは彼女の中で嗚咽も漏らした。

「いいってことさ、手の掛かる妹なんてホント、可愛いもんさ。ならどうだい、いっそ親父もろとも私達のことみんな放り投げて、遠い星のどこかにいる母ちゃんを探しにでも行くかい?」

「えっ・・」

 突然の提案にルシアは耳を疑った。

「一家のことなら心配するな。私達でもなんとかやってみるさ。」

 胸の中で暫し黙りこくっていたルシアは、ふと顔を上げる。そしてディアナの目を見据えて声を出した。

「ありがとう、でもあたしもここのみんなが大好きだし、海賊だってあたしが好きでやってるんだもん、ここを捨てるなんてありっこないよ。」

「そうかいそうかい、やっぱりルシアは可愛いやつだよ。」

 ディアナの手がルシアの髪を撫でる。肌は艶めかしいが、操縦桿を握る手だけはマメができて潰れての繰り返しのために荒れてざらついている。その手も一家への貢献と思えばルシアは許容できたどころか愛せるのだ。

「ディ、ディアナぁ。俺も娘にやられてそこらじゅう痛いんで慰めて欲しいな~、なんて。」

「親父は・・・」

「黙ってろ!」

 二人から美脚のダブルキックを食らった凝りない親父はついに伸びてしまい、いよいよ部下に担がれてまた寝室へと寝かしつけられてしまった。

 住まいの外でも派手に暴れまわるが、内でも茶番に次ぐ茶番によりある意味では充実した生活を謳歌しているサラザール一家。賑やかには違いない日常が送られていたある日、彼等の元へと秘匿回線で一本の通信がもたらされた。


 その日は出稼ぎという名の海賊行為も小休止で、ルシアはじめ出稼ぎと称する海賊行動の実働部隊も全員「ねぐら」の中に居り、特段仕事もない下っ端達はどこかの部屋に集まって遊行という名の賭博行為に及んだり、仲睦まじい異性とのささやかな逢瀬を心地よく感じていたり、はたまた自室で高鼾を唯一の共としているなどと、思い思いの行動に羽根を伸ばしていた。自由という面では、時間と給金に両足を縛られている一般労働者よりも遥かに有意義な人生を送る彼らである。もっとも彼らの自由はその縛られている一般人の成果を搾取しての結果なのだが。

 責任のない下位の者たちが羽根を伸ばしているとはいえ、責任がある者はそうは問屋が卸すまじ。羽根を伸ばしている部下達が安定して生活できるようにディアナは操縦訓練に勤しみ、トマスは船体やエンジンのチェックに余念がなく、ファビオは船、及びこの巨岩屋敷自体の武装関連の整備に立ち会っていた。カミロは各部署の報告を取りまとめてルシアに提出するために家中を西へ東へと駆けずり回り、彼の上げてきた資料や報告書が一つの山と化した書類を一枚、また一枚と目を通してサインし、必要なら差し戻すのがルシアの仕事であった。海賊とは名ばかりで内に篭もれば経済活動を行っている企業体と形式上に違いはなかった。

 そしてルシアは内勤が非常に苦痛であった。性格による一因は否めないが、まだ若気の至りという都合のいい単語に表される感情が強すぎて一処に長時間収まっている忍耐力の育成に多大なる障害となっていた。

「あーっ!どうして毎度毎度こんなに書類が溜まるのよ!」

 彼女の怒りの矛先は決まってカミロに向かっていた。同い年の従兄弟であれば普段から最も気が許せる位置にいるのだが、デスクワークに達人たるを求められる場合、顔を合わせる者が極端に限られてくるので、一番顔を合わせているカミロに矢が飛んで来るのは自然な流れとなっていた。

「仕方ないだろ、お前がこの一家のトップなんだから。」

「あたしはそんなお題目が聞きたいわけじゃないの、あたしだってみんなみたく沢山遊びたいのよっ。」

 正直だがそれなりの海賊団を率いるには稚すぎる本音にカミロは苦笑した。頬を膨らましながらも手は休めないのがまたいじらしく、カミロの副交感神経を刺激してくる。

「みんなはみんな、お前はお前、責任の重さが違うだろ。はいまた追加。ちゃんと今日中に終わらせるんだぞ。」

 神経を刺激されたカミロは飽くなき欲目が更なる刺激を求めに行ったか、従姉妹の尚困った顔が見てみたい軽いサディスティックな衝動に駆られていた。

「ぶぅ~、意地悪なカミロなんか嫌いだ。」

「嫌ってくれて仕事が捗るなら、百万回でも嫌ってくれてけっこうさ。」

「ぶぅぅ、やっぱり嫌い・・・」

 カミロのさっぱりした受け流しに子供の意気を抜け出していないルシアの心は更に臍を曲げた。このお返しは出稼ぎの時に万倍にして返してくれると、頭の半分で怖がりの彼をどのように弄ってやろうかと考えるようになった。悲しいかな、思考の五割が今後の愉しみを思うようになったら図らずも目の前の山積物を処理する速度が増し、苦痛の軽減が見られた。ルシア自身にその意識はなかったが、時間別の作業量を統計化するとグラフが思考を転換した時点から描く線をしっかりと変えている。正にカミロの思う壺といったところであった。

 ようやく調子が出てきてこれから彼女の主機関が点火されようかという時を狙ったかのようにルシアのデスク上にあった筈の通信システムが主を呼んだ。筈、というのは書類の山がシステムの上にも乱雑に置かれており機器全体が埋もれてしまい探し出すのに発掘作業を必要としたためであった。

 何層かの紙を掘り進めて通信機のスクリーンとスイッチ類を掘り出したルシアは掘り出した土ならぬ書類の束をカミロに投げ渡し、呼び出しに応じた。投げ渡された方は空中に舞う紙を一枚一枚はしはしと慌てて掴んでは抱え込んでいく。

「ルシアよ、何?」

 通信の先にはこの家への通信やその他種々の通信傍受などを一手に引き受けている部署に属する一人であった。

「お頭、ジョアンの旦那から通信が入ってますぜ。」

「分かった、こっちに回してちょうだ、あ、ああ。ちょっと待って。」

「分かってますって。」

 ディスプレイの向こうの通信担当は皆まで言うなという気持ちでルシアの用意を待った。彼女は側の台にあるウィッグを手に取りいそいそと被りだし、右手は抱えた書類で塞がっていたカミロの左手が車輪付きの姿見を変身中の彼女が正面に入るようセッティングする。ルシアの小間使いとして彼の意義に出る者はいないのだが、部下に下僕としての力量を褒められたところでまるで嬉しくはない彼である。

 いかに性根ががさつで物は変装用でも、自室に姿見があるから女性らしい。これはルシアの弁であったが、このような弁解を必要とする時点で女性らしさの欠落が酷いとディアナなどに諭されては肩を落としたこともあった。そしてルシアはウィッグと眼帯を装着してルシオへと変身を遂げる。元々化粧などしていないので過度な変装道具により十分に「中世的な美男子」という装いを作ることができる。

「これでよしっ、と。カミロ、ありがとう。」

「い、いやあ。」

 カミロは少し照れる。茶化しにしか聞こえない部下による下僕力の賞賛はルシアの礼一つに比べれば、春の陽光の前の小さなつむじ風のような存在感だった。

「準備OK。じゃあ回線を繋いで。」

「お安い御用でさあ。」

(ジョアンか・・・ろくでもない話でなけりゃいいんだけど。)

 ジョアンという名を聞いてあまり快い感情が沸かなかったのはカミロだった。ルシアの方はあまり深い考えもないように、年来の友人の電話に出るように軽く相手の通信を呼び込んだ。

「やあ、ルシオ君。お元気でしたか?」

「お、ジョアン。久しぶり。」

 部下に変わってディスプレイに現れたのは連邦警察の制服に身を包んだ微小な笑みを崩さず、瞳の奥には何を潜ませているのかを簡単に吐露しそうにない風を受ける所謂「にくめない男」に属していいくらいの薄っぺらい人畜無害さを醸す男が現れた。

「元気そうでなによりですね。最近の稼ぎはいかがでしょう?」

「まずまずだな、こないだも金持ちクルーズ船を襲って大儲けしてきたところだし。」

「それは何より、まあお仕事励んでくださいな・・・僕の迷惑にならない程度で。」

 とても海賊と警察官の会話に聞こえては来ないが、ジョアン、ジョアン=ジルベルトは制服中毒でなければマニアでもない、これでれっきとした連邦警察の警備部所属であり尚且つ階級も課長である。連邦警察の課長級ともなれば十数隻の艦隊を率いる権限を有し、また警備部とは実働部隊の指揮を担当する部署であり即応体制の艦隊を常時管理する位置にある。

 何故本物の警察官が犯罪者集団の頭と親しげな話をしているか、有り体に言えば「癒着」という表現に落ち着く。海賊とそれを本来取り締まるはずの者、表立って決して交わる筈のない二者が仲睦まじいというのはやはり利害関係。海賊は警察情報のリークを求め、警察は見合った報酬、若しくは非合法的活動の依頼と、立ち位置が両極になればなるほど利害と言う名の甘美な蜜による結びつきは強くなる。

「で、今日はまた何だ?これまでの礼はさせてもらっている筈だぞ。」

 ルシア、いやルシオは自分にとっては特に用もないタイミングで通信を送ってきた相手の腹を探りにかかった。折しも書類整理の最中に前回のリークに対する報酬は支払い済みである証明書にも目を通していたので、一応怪しむ理由はにはなっていた。

「いやいや、別に。今日もそのきれいなお顔を見たいと思いましてねー。」

 ジョアンと会う時はいつもルシオとして出てきているので彼の正体が実は彼女であることは通信相手には知られていないはずだ。故に男が男にきれいなお顔などと言っている、女性の心持ちとしては軽い言動に多少の嫌悪感を覚えずにはいられない。

「下の下な冗談を言うためだけにいつもの守秘回線を使ってるとは到底思えないな。」

 関係が表沙汰になると困るのはジョアンだけであるから足だけは付かないように三重にもプロテクトをかけた通信回線が使用されていた。プロテクトが堅すぎて通信している両者の間でも通信波の解析に時間がかかり二十一世紀の衛星回線の様にタイムラグを生じた会話にならざるをえないでいるのは人類の技術力の限界を見るようである。

「いやあ僕はいつだって本気ですよ。なんなら今度会いに行きましょうか?」

「来なくていいっ!要件を言えって!」

 ルシオは心の中でえづいた。その気があるようにしか見えないジョアンの態度は何度見ても好意的に思うことはできないのだ。

「もう、連れないなあ。」

 諦めたのか、ジョアンはディスプレイにのめり込み気味になっていた姿勢を戻して、椅子の背もたれに大きく身を預けて顔を上に向けた。一つ息を吸ってから再びディスプレイに向き直ってルシオの顔を視界に入れた。

「じゃあ本題に入りましょう。一つ仕事を頼まれて欲しいんですよ。」

「パ~ス。」

 ルシオは取り付く島もない返事を返して素早く明確に拒絶の意思を示した。

「おっと、連れないにも程があるなあ。」

 ルシオはディスプレイの先にジョアンの微妙な心情の変化を感じ取り、ちょっといい気味という感情が芽生える。一時の感情で話を進める、交渉事としては賞賛には値しない成り行きでジョアンにはここで話を打ち切るという手もあった。だが彼も此処はまだ早いと思ったか最終手段には打って出ず、立てた怒筋を悟られまいと話を続ける方に出た。

「ま、まあ待ってくださいよ。話だけでも聞いてくれませんか。」

「嫌だって、お前から仕事の話と言われてもろくな仕事じゃなし。で、ろくな事になった試しないだろ。今日は機嫌が悪いんでパスったらパス。」

「当たり前です、天下に名高い連邦警察の課長がこっそり海賊にお願いする仕事がまともなわけないでしょう。それにちゃんと法外な報酬も支払ってるじゃありませんか。頭ごなしにパスと言われましても、これ一応商談なんですよ。」

「その報酬も結局三ヶ月くらいでお前にまた吸い取られるんだもんなあ、なんて殿様商売だか。」

 ルシオはしれっと毒付いた。純粋にジョアンとだけの金銭の流れを見れば一方的な、しかも大赤字であり、彼個人には毎月仕事をせずともそれなりに羽振りよく生活できるだけの金額を送っているのだ。見返りのお陰で本業の海賊仕事で彼への上納金など気にならない稼ぎを叩き出せてはいるが、それでも個人で持つには両手で受け止めてもこぼれ落ちるほどの金額を送っているとなると、稼ぎが第一の海賊としては口を貝のようにしていたくはなかった、ましてやルシオはルシオという仮初の存在としてもやはり口さがないのに変わりはない。

「ええと、僕も結構危ない橋を渡って君たちに利益を提供してるつもりなんですけどね。安全保障税とでも思って欲しいところですよ。」

「へぇ~。じゃああんたの預金通帳の中身は一体何に使ってるのか教えてくれよ。」

「よくぞ聞いてくれました。」

 ジョアンは待っていたとばかりに声を一オクターブ上げてきた。

「これは聞くも涙、語るも涙の物語。心して聞いてくださいね。」

「前置きはいい。」

「本当に連れないなあ~。実は僕には腹違いの妹がいましてね、だけど彼女の母親は彼女を産んだ時に亡くなってしまいました。」

「ふんふん・・」

 ルシオはなかなか重い出だしの彼の身の上話に興味の針が振れだす。

「それでうちの両親が妹も育てることになったんですが、そのような境遇ですから両親はあの子に冷たくて。僕だけが彼女の肉親みたいな状態だったんです。」

 ジョアンはこれみよがしにハンカチを取り出して目を塞いだ、ルシオは彼の所作にも胸を突かれる思いがした。

「その妹に今度は重い病が発覚しまして。今の医療では完治はできない、ただ延命するのがやっと。ただ延命するだけにも莫大な治療費がかかってしまうので、あなた達からのお金はそのまま全部病院に吸い取られちゃうという有様でして。」

「そうか、そうだったのか。可愛そうな妹さんがいたんだな。」

 ルシオも感慨のおすそ分けでいつしか目に涙を浮かべていた。

「待てよ。」

 ルシオの背後から虚を突いたように通話へ割り込むカミロがいた。彼は主として話をしている二人と違って涙どころか悲しみの感情とは縁遠い表情で口を真一文字にし、少々気に障ったような色さえ浮かべている。

「ん、どうしたんだ、カミロ。」

「おや、カミロ君、君には妹の話は心に届きませんでしたか?」

「そうだよカミロ、こんな可哀想な妹さんのためならあた・・・俺達、もっと稼いでやる気になるじゃないか。」

「そうだな、ルシオの言うとおりだ。」

 そういうカミロの目は冷ややかだった。

「なら何を、」

「そんな作り話を信じるほど俺はお人好しじゃないってことだよ。なあ、ジョアン。」

 軽くしまったという思いでジョアンは苦笑した。妹の件は純度百%の作り話であることを告げられない二の句で証明してしまっていた。

「あちゃ~、もうちょっとだったんですけどねえ、ルシオ君はいい部下を持ったもんです。」

「う、嘘かよーっ!俺、信じちまった。」

「ホント、ルシオ君は真っ正直で素直な海賊なんかには勿体無いいい子ですねえ、カミロ君もぜひ見習って下さいよ。」

「いや、お前そうじゃないだろ、俺を騙しかけておいてそりゃないだろ。」

 今度はルシオが怒筋を立てた。相手と違うのはそれを隠し通そうともしない点である。若干十八で中身も成熟していない少女が目の前にしている三十前の課長級の公僕と渡り合うには経験から足りなかった。

「いやいや、そのことについては陳謝いたします。で、お仕事の話ですが、」

「結局何に金を使ってるんだ?」

「そこはそれ、内緒です。」

 屈託のない笑顔で堂々と口を閉ざすジョアンにルシオの方も閉口した。年長者の功かルシオは口車ではジョアンにまともに勝てた試しがないのだ。それでも一方的な搾取にならずビジネスの話でまとめられるのはひとえに後ろで目を光らせている俊英カミロの力によるところである。

「ちぇっ。じゃあ仕方ない、話だけでも聞いてやるよ。」

「そうですか、それで妹の病気は実は・・・」

「その嘘八百じゃなくって、仕事のほう!ふざけるな!」

 また騙そうかというジョアンのふてぶてしい話術にルシオはすっかりペースを乱されている、カミロはルシオの醜態を後ろから見つつ一言も発せず向こうの話を漏らさず聞こうと努める。自分が話に飲まれればもはやストッパー足り得る者がいなくなる、可愛い従姉妹のためにも自分がしっかりせねばという責任感が彼を律する。

「いやいや、これは失敬。では仕事のことですが、ある人を運んでもらいたいんですよ。」

「人を?海賊に頼むってことは、犯罪者か。」

「いえいえ、その逆です。あるやんごとなき血筋のやんごとなきお方をサグラード王国首都星まで運んでもらいたいのです。」

 ようやくビジネスの話になったジョアンは安心したせいか心なし笑みが強まっていたようにルシオには見えた。笑みが逆に危険な香りを増長させていると感じるのは後ろのカミロも同様であった。

「んん?俺達みたいな犯罪者集団と住む世界が違うお大尽様をなんでまた。あんたの指揮下の立派な艦隊で運べばいいじゃないか。」

「連邦警察にも色々事情がありましてね、まあ今回は僕を助けると思って深くは聞かないでくれますか?」

「事情も話せず怪しい話に乗れるわけないだろ。」

 ルシオは振り返りカミロの顔を見た。カミロも首を縦に振りルシオと同意見であることを無言の内に伝える。

「そこをなんとか。」

「くどいっ!」

 連れない態度へと戻ったルシオを見て、万策尽きたかに思えたジョアンが態度を一変させる。

「そうですか、では仕方ありませんね。今までのお付き合いは無かったということで、あなた方をすぐにでも逮捕にかかりましょう。」

「はあっ?」

 ルシオには彼の豹変ぶりが理解できなかった。先代からの所謂『ずぶずぶ』の関係がいきなり破綻するなどとは理解はできないが、間を置かずに事態は現実に発生し、しかもジョアンの本気ぶりをを思い知らされることとなる。


 サラザール一家の根城に近い宙域にジョアンの指揮下にある連邦警察第七機動艦隊のほぼ全てが錨を下ろしていた。

「艦長、ジルベルト課長からの信号を受信しました。」

「そうか。よし、エンジン始動。全艦前進せよ。」

 艦長の命令一下、それまで日曜日のオフィス街を思わせる程に静寂を是としていたブリッジが六つ子の誕生した病室とばかりに変貌し、乗組員達が右へ左へと駆け回り主機関すら止めて宇宙の闇に溶け込んでいた艦体を起こしにかかった。サラザール一家の誇るディア=フェリース号の六百五十メートルも子供の様に思える一千メートル級の戦艦三を含む十四隻の艦隊が一斉にノズルを輝かせサラザール一家のアジトが存在する方向へと前進を開始した。


「お頭っ!」

 緊急回線がジョアンとの通信に割って入ってきた。ルシオは手元の操作でジョアンとの回線を一時中断して緊急の方へと耳目を向ける。

「俺だ、どうかした?」

「大変です、連邦警察の一個艦隊がココへ向かってきてやす。識別信号は、連邦警察第七艦隊。」

「なんだって!?それってジョアンの艦隊・・・あいつ、本気か?」

 ルシオとカミロは同時にジョアンの企図する所を読み取った。このまま彼の意に賛同、いや恭順を示さない場合は自分の持てる全力で潰しにかかる、ということだろう。そしてさすがに一個艦隊を相手とあっては分が悪い。よしんば勝てたとしても傷は深く死傷者も多くなり海賊稼業への影響は甚大であること疑いない。

「くっそー、なんだよジョアンの奴。今までこんな派手なことしてこなかったくせに何の気の変わりようなんだ。」

「向こうの都合を詮索しても仕方がないだろ、連邦警察の艦隊と正面からまともにやりあったらこっちが不利だ。してやられたな。」

 秘中の秘とも言うべきアジトの場所が如何にして発覚したか見当は付かない。が、ここに至っては検討を付けているという余裕のある場面でもなくなっていた。喉元にナイフを突きつけられたような脅迫に抗う術を人は知らない。二人は示し合わせ、流石に服従とは言わずとも彼の意に従うもやむなしと決意し、回線をジョアンの方へと戻した。

「やあルシオ君、急に中断なんてどうかしたのですか?」

 ジョアンは変わらず薄い笑みをたたえて不敵にルシオ達を注視する、というようにルシオには思えた。

「この野郎、いけしゃあしゃあと・・・」

 ルシオは反抗の表情を滲み出してジョアンを凝視する。憎々しいが向こうが一枚上手だった、それだけの事と割り切って交渉を再開する。

「ジョアン、仕事の件だが・・・引き受けてもいい。」

「おお、引き受けてくれますか。それはありがたい。」

 ジョアンはルシオの返答に満足したようで今にも手を揉みそうな勢いで本当の笑みを零した。

「だから・・・」

「おっと忘れてた、訓練中の艦隊に帰還命令を出し忘れてたんでした。」

「訓練?」

「ええ、ちょっと危険な宙域で腕を上げさせようと思いましてね。ああ、そういえば訓練区域の近くにはあなた方のおうちがありましたっけ。」

「な・・・やったな、ジョアン!」

「やった?さて何のことやら。ああ、やんごとなきお方の情報と仕事の内容はデータをすぐ送りますからお待ち下さいね、それではっ。」

 遁走するように足早でジョアンは一方的に通信回線を閉じた。残されたのはしてやられたルシオの悔しがる様だけだった。

「もーっ、なんなのよあいつはっ!悔しい悔しい、悔しいったらありゃしないーっ!」

 思わずルシアは被っていたウィッグを何もない床目掛けて思い切り投げつけた。物に当たる幼児性も早く治って欲しいカミロであったが、火に油を注ぐような真似はせず、罪のないウィッグを拾い上げて付いたかどうかも分からぬ埃を払う真似をした。

「俺だって悔しい。悔しいけど・・・今日はジョアンの勝ちだな。ここまで遠慮がないなんて話が今までなかったからってすっかり油断していた。」

「そうだ、そうだよ。あたし達ずーっとWin・Winの関係で、ドロドロの関係で、べったり癒着していたはずなのに今日に限って何さあいつ。強引な男は嫌われるんだから。」

「へぇ~、ルシアは強引に来られると嫌うタイプなんだ。」

「違うわよ、あたしは世の女性のすべての意見を代弁しただけよ。」

「自分の感性を勝手に全宇宙の代弁者にのし上げない、それじゃあ小さい独裁者だぞ。」

「わかってる、わかってるけどさあ、腹立つわー。」

「分かった分かった。」

 カミロは沸騰するルシアの頭へ無造作にウィッグを乗せ直し、頭を冷やせとの合図を与えた。彼の意図を理解したか、数度の深呼吸を行った後、平生を取り戻したように、いや現在取り戻しつつ、海賊の長たるルシア=サラザールの状態へと彼女は戻った。


 一方、サラザール一家の方向へと向かっていた艦隊には確かにジョアンからの帰還命令が届いていた。彼らはただただ、ある宙域で前進せよとだけの命令を帯びていたのみで、時計の短針が次の数字へと辿り着く前には帰還せよとの次なる命令が届いたことに不思議には思えど不審とまでは至らず、遵守精神により命令を過不足なく履行しようと艦長は転進命令を下す。

「艦長、妙な命令でしたね。我々は此処へ一体何をしに来たのでしょうか?」

 不思議がるのは同意だが、上長に答えを求められる立場にあった副官が艦長へと質問の意を上げてきた。

「ああそうだな。何のためにこんな辺鄙で危険な宙域に出張ってきたのか俺にもさっぱり分からん。」

「何か極秘の任務にでもなったのでしょうか。」

「さあな。まあ何もなくとも出撃は出撃だ。無事で帰れた上に手当まで付くんだ。こんなに楽な商売はないだろう。」

「もっともです、あはは。」

 気楽な副官が応えた。命を張ることになる艦隊出撃はせめてもの慰みとして危険手当が支給されるので楽な任務であったならまったくの丸儲けで下士官などは本当に喜ぶものであった。

「まあ部下を誰も死なせずに帰れるのなら指揮官としても本望だ・・・もっとも次もこうなってくれる保証などないがな。」

 艦長の本音の吐露と共に、数千人による出発時とは正反対の思いと出発時と同じ数の生命を乗せて第七艦隊は帰路に就いた。彼らの行動が後の時代にいかなる影響を与えたのか、この段階では語ることのできる者はいなかった。


「まだまだ手駒は一つも失えませんからね。」

 最終的に全てが自らの掌の上で収まったことに満足感を得たジョアンはサラザール一家に仕事内容を送付も完了した所で悦に入っていた。サラザールは海賊としては強い集団として認めるし、また黒い商売とはいえビジネスパートナーとして申し分ない。だがルシオは若く交渉術には長けていないどころかまるでなっていない点で御しやすく駒としては適していたが、男が心の何処かに潜めているスポーツマン魂とでも言うべき感情が更なる強敵と舌戦を繰り広げたいという処置のない欲望を盛り上げたがっていた。

「さあルシオ君、口ではダメダメなあなたですが腕っ節の方は僕の期待に答えてくださいよ。」

 誰に聞こえるでもなく、彼は自室に付けられた通信設備の前で独語しつつリクライニングを大きく倒して午睡に落ちようとしていた。


「で、仕事の内容は届いたのか?」

 落ち着きの大半を取り戻していたルシアは、カミロの質問にそうでしたとばかりに端末を操作した。

「ああ、届いてるわ。本っ当にちゃっかりしてるわね。」

 通信が切れて間もない頃に既にデータ送信が終わっている抜け目の無さも、この時はルシアには美徳と見えないどころか自身の苛立ちを募らせる不幸の手紙にも思えた。

「なあルシア、今回のジョアンの依頼、正直どう思う?」

「どう思うも何も、あいつがあたし達に持ってきた仕事なんて今までろくなもんじゃなかったじゃない。」

 経験と歴史に裏打ちされた不平をルシアは鳴らす、だがカミロの聞きたかったのはそうではない。

「違うんだ。今までも酷い依頼ばかりだったけど、その時はお前が頑として首を縦に振らなかったら手を引っ込めるくらいだった。今回に限ってあいつはどうして艦隊まで出してきて俺たちに強制したのかってことだよ。」

 ジョアンは無理を承知の依頼であれば出した手を引っ込める程度に交渉術を心得ていた。彼の思慮があればこそ両者の関係は続いていたのだ。仮にジョアンがルシオと同程度の短気さを所持していたとすると両者の間はとうの昔に破綻し、今頃は鉄格子越しに直接会話する間柄となっていたかもしれない。

「そうか、そうよね。」

 ルシアは暫し考え込んだ。考え込めば誰でも如何なる回答でも導き出せるのならスーパーコンピューターは存在していなかったろうし、八割九割は無駄に時間を浪費するディスカッションも存在意義を果たせないでいただろう。やはりルシアの思案も結論を導き出すには至らなかった。

「うーん、やっぱりあたしには分かんないよ。」

「ルシアは諦めが早い、ちゃんと考えた?」

「考えたわよ、考えたけど、」

「けど?」

「なーんにも頭に浮かばなかっただけ。」

 ルシアは基本的に直感的、直情的に物事を考える。副長としては頭目にはもう少し思考力を付けてもらいたい思いでカミロは彼女の目の前で嘆息した。ルシアはジョアンに続いて信頼を置く副長にまで腹の虫の居所を非常に敏感な所に置かれた気分になった。

「なんだよ、カミロ!今更あたしがお前みたいに頭がいいわけじゃないって分かってるでしょ。あたしはまともに物事も考えられないままお婆ちゃんになっていくのよ、うううっ。」

「今更って、お前もまだ二十歳にもなってない身空で人生語ってるんじゃないって。いいか、よく考えてみろ。今までだって酷い依頼はあった、最初から酷すぎると分かってた依頼に関しては俺達にも選択権を用意してくれた。ここまでは分かるな。」

「ふんふん。」

 ルシアは従順な生徒の目でカミロ講師の講釈に対し体を向け、椅子の上に正座して折り目正しい優等生を演じた。講師からは加虐性欲と支配欲に駆られ、犬の耳でも付けたくなりそうであった。勿論そんな小道具は無ければ、よしんば目の前に落ちていたところで、膂力なら絶対的に優勢な彼女をして実際行動に移れば鉄拳制裁の十や二十は覚悟せなばならない。

 カミロにとってルシアをからかうことは心の本能と暴力への恐怖という二本の梁の間に渡された一筋のロープを伝う曲芸にも例えられた。今回は恒例の芸を諦め、ルシアに講釈ぶることで日頃と逆の力関係を楽しむ小さな悦びを選択する。

「で、今回の話だ。ジョアンは今までと違い拒否を許さなかった。」

「はいっ、つまり今回は是が非でもあたし達に仕事を受けさせたかった。」

 すっかり生徒気分のルシアはカミロ講師に挙手して理解できた内容を意見に著した。

「よろしい。ということは、他にアテがない依頼、つまりサラザール一家が最も適任と向こうは判断したわけだ。向こうからすれば俺達は悪く言えば捨て駒、つまりなんらかのしかも大きなリスクが裏に隠されてる、とこう推論できるな。」

「はい先生、よく分かりました。」

「よし、じゃあそこまでを踏まえて、依頼内容に目を通そう。」

 ジョアンからの依頼内容は要点だけを並べると以下のようになる・・・


 先頃、国王が逝去したアルメイダ朝サグラード王国にて、第三王子エンリケ=デ=アルメイダが即位する運びとなった。彼は現在、惑星コインブラの大聖堂に預けられているのでまずはコインブラにて第三王子の身柄を引き取り、無事に首都星まで送り届けるよう、と王国宰相ガスパール=アリアスからの依頼、という内容であった。


「これだけ読めば、別に大して危ない仕事ってわけでもないみたいなんだけどなー。」

 ジョアンからのデータを一読したルシアには仕事内容に危険性を見出すことはできなかった。仕事の内容からはカミロも同意見だった。

「ああ、これならただの運送屋と同じような物だろうな。ただ、これだ。」

 手持ちの端末を操作したカミロは一週間前のある新聞記事をルシアに差し出した。

「何々?『サグラード王国国王夫妻と第二王子逝去、第一王子による暗殺』?ここって、運ぶっていう王子様の国じゃないの!?」

「そうだ、国王と第二王子が第一王子主催の晩餐会で暗殺された、と新聞では報じられている。理由としては、国王が出来の良い第二王子を後継者に立てるのを恐れた第一王子が二人を手にかけた、という事になってる。」

「んんん~、それって凄い変じゃない?」

「お、流石のルシアでもこの記事だけでどこかおかしいと思ったのか。」

「当たり前よ、不穏はあたしの大好物なんだから。って、『流石のルシア』って何よ、ちょっと飛び級したからってあたしをバカ扱いしないでね!あたしの脳は別にアメーバでもコンニャクでもないんだから。ちゃーんと百万個の神経細胞でできてるんですー。」

 しれっと放り込んだつもりの悪態に機敏に反応したルシアをカミロは驚嘆した。相手を舐めてかかっていたところはあったが予想を上回る速度を見せたのだ。

「神経細胞は大脳で数百億、小脳で千億個だな。百万じゃあ少なすぎるぞ。」

「もー、そうやってまたどうでもいい要らない事に突っかかるんだから!」

 ルシアの知識不足に反してカミロは自身の有り余る知識が万人の一般常識と思い込んで言い放つインテリジェンスの落とし穴に吸い込まれる悪癖がありこの温度差は一朝一夕で埋められるものではなかった。

「ああ、ごめんごめん。」

「まったく・・・」

 面白くないルシアはまた頬を膨らませてカミロを横目で睨みつける。ルシアはこれで反抗の意思を示しているのだが、からかう側にとっては膨れる仕草が愛おしく思われていたので実は彼女の反抗的態度は逆効果であり、その顔見たさにカミロはからかっている節もある。

「で、どうおかしいと思ったんだ?」

 すかさずカミロは脱線した会話を元のレールに引きずり戻す。一時の怒りでしかないルシアのむくれは瞬間的に収まっていた。

「まずおかしいのはシチュエーションだね、第一王子が自分主催のパーティで事を起こしたなんて、『僕が犯人ですよ~、疑ってくださいね』って言ってるようなもんじゃない。」

「ご名答。こんな足がすぐ付くような方法はよっぽどの馬鹿か、切羽詰まった自殺志願者でもなければまずしない。それに理由。」

「理由もなんだかベタじゃない?」

「ベタもベタだな。歴史の教科書を五十ページ読めば二、三回出てくるくらいベタだけに取ってつけた理由にもなりやすい。使い古される位の理由だからこそ後付け理由にもなりやすい。」

「で、この犯人って言われてる第一王子はどうなったの?」

「即決裁判で有罪が確定。刑に処される前に自殺したって事になってるけど、さあどうだか。」

 昼過ぎに放送している三文芝居のサスペンス番組を紐解くように二人は不審点に推論という肉付けをして一つの彫刻を形成していった、彫刻の名は『陰謀』。彫刻が完成に向かうに連れて不穏を好物といい切るルシアの好奇心はがんがんと刺激されていく。自殺と言われつつもその実は謀殺という話もまた歴史上枚挙に暇はない。

「聞けば聞くほど救いようのないドロドロ話っぽいわね。でもそれでよく第三王子なんて一番警備の甘そうなのだけ生き残ったものね。」

「俺も知らないが、記事によると妾の子らしい。」

「妾?」

「ああ、こりゃ身分違いの妾の子だから本妻の女王辺りに疎まれたか、それともそうなる心配があったから王位は継がせないってアピールで宗教施設に放り込まれたパターンだな。古代地球にはよくあったがこんなカビの生えた話が宇宙時代に出てくるとはビックリだ。」

 鉄と電気の塊が大宇宙を駆けるご時世に大きな時代錯誤感を伴う中世的権力闘争劇という想像図にカミロは辟易した。一方歴史に疎いルシアは彼の辟易の理由は掴めないでいたが、話の生臭さには好奇心こそ高まったが、自らがどろどろの喜悲劇の出演者になるとなれば嘔吐までは行かずとも多少なりの食傷を覚えずにはいられなかった。

「もうお腹いっぱいになりそうだけど、行こうか。どうせもう受けちゃったんだ。鬼でも蛇でも出てくるものは潰しちゃえばいいのよ。」

「お前は気楽でいいよなあ、考えれば考えるほど俺は痛くなってきた・・・」

 カミロはみぞおちを擦って胃部の痛みを和らげる努力をした。肝っ玉が小さいとは言うが、肝臓が小さいと胃に負担を掛けてくる相関関係はカミロの頭脳を持っていしても謎のままである。彼に言わせれば、医学部志望ではなかったと知性とはあまり関係しない陳腐な返答が返ってくるのだが。

「お前は逆に考えすぎなの。責任は結局あたしにあるんだから、そっちはもっと気楽になっちゃえばいいのよ。されど副官、でも所詮副官よ。」

「全く、こればかりはお前が羨ましいよ、痛た。」

 胃が痛くなる度にカミロは頭目の気楽さを羨ましく思い、また見習いたくなる。しかし実践となると頭で考える十倍の難度が必要となる質がいつも彼の願いを妨げている。そこもまた彼の考え過ぎによる躊躇が大きいという板挟み状態なのだ。考え過ぎれば過ぎた分だけ胃部の違和感も増大するので処置がない。従姉妹に対しせっかく積み上げた『お兄ちゃん風』も胃痛一つで真逆の風向きになるのだからやるせない。

「もう、とにかく仕事は受けざるをえないんだから、すぐにでもみんなに知らせて出発の準備よ。」

「あ、ああ・・・でもちょっと待った。」

 天に突き翳した手に重しを付けたそうなカミロの掣肘がまたもルシアに不快感を呼び覚まさせた。

「もうっ、あたしがその気になってるのに次は何よ?いい加減にしないと怒るわよ。」

(もう充分怒ってるじゃないか。)

 カミロは心の中で呟いた。その代わり彼女には指で指図を与える。

「あ・れ。机に積まれた書類。全部片付けるまで出発なんてできるわけないだろ。」

「あ~っ、忘れてたぁ。」

 危険な香りはすれども冒険心を滾らせる美味しい餌を前にしてルシアは現実を再定義されてしまった。

「でも、後があるんだから、カミロも手伝ってよね。」

「はいはい、かしこまりました、お嬢様。」

 分かった分かったと諦め顔をした従者もどきは彼女の期待に沿って共に紙の敵へと相対するのだった。


 ジョアンからの依頼が届いてより四分の一日後、不休で書類の山に辛勝成ったルシアとカミロは先代のドゥアルテ、機動部隊メインスタッフのファビオ、ディアナ、トマス。それに補給責任者のベアトリスを交えた計七人で卓を囲んでいた。この七人による会合が現在のサラザール一家の最高意思決定機関の体を成す。本来ならばルシアの意見よりこの会合の意見が優先されるので、ルシアが決定した案件がこの場で覆される事もままある。だが今回議題に上げられたサグラード王国の一件は既に威力により外部から強制されたものであったため、二人からの報告と事後承認の取り付け、それが全てであった。

「危なっかしいんじゃないか?王国のゴタゴタってのは一番巻き込まれたくないシロモノだぜ。」

 カミロと同じく、危惧を抱いたトマスが真っ先に異を唱えた。唱えたからどうなるものでもなかったが、言いたいことは言うのが彼の信念である。

「もうそんな段階の話じゃないんだ。どんな罠や危険な橋にも対処して無駄に部下を死なせないよう最善の努力ってやつをお前には頼みたい。」

 同じ気持ちではあったが、無駄に対しての価値観には大きな相違のあるカミロがどマスの踊る場所を現在上演中ステージへの移動を試みる。

「勿論それは全力出すさ、でもよお・・・」

 しかしそれでも反論を繰り返そうとするトマスは周囲の顔を見渡し、自分のステージには既に演者がいない事を悟り、大人しく彼らの踊る側に自ら足を踏み入れることとした。

「ま、まあ何にしてもコインブラに行って王子サマってのを拾って帰ればいいだけの話だろ。楽勝楽勝。」

 だといいがな、と言いたげなのはトマス以外は皆同じ気持ちであった。だが悲観より楽観主義を絶対的に好む海賊の気風から言えば、そして全員が楽勝な話でありたいとの思いは等しかったが故に、敢えて反論を口に出さなかった。

「で、報酬はどれくらいって言ってきてんだ?」

「はいこれ、よく見てよ父さん。」

 現実的な話を持ち出すドゥアルテにルシアは仕事内容を出力した書類から一枚を取りだし、該当する箇所に指を当てた。

「これか・・・うんっ!おい、この金額はマジでかっ?」

「うん、送られてきたものにははっきりとこう出てたよ。」

「信じられねえ、ゼロを二つくらい打ち間違えていねえか?」

「ああ、これだけありゃあ新造でもう一隻船が増やせるぜ。」

 ドゥアルテとファビオの年長組が目を丸くさせる。書類に記されていたのは破格の金額で、大口の取引(金回りのいい商船隊を襲う)四、五回分に匹敵していた。

「これだけ貰えれば部下にもけっこうな啖呵が切れる、決まりだな。」

「うん!ディアナにもお小遣い弾むからね、よろしく。」

「まかしときな。ベアトリス、補給と補修はどうなってんだい?」

「ああ、バッチリさ。全て今すぐにだって出港できるさ。どうする、何隻出すのさ、ルシアちゃん?」

 ベアトリクスに目を向けられたルシアは考える。サラザール一家は現在三隻の船を所有している。襲う相手によって出される船は変動するが、旗艦ディア=フェリースだけは必ず出撃せせることになっており、ルシアは頭目ルシオとしてディア=フェリース艦長席に鎮座するのが常であった。

「そうねえ・・・運送業だけなのに二隻三隻出すっていうのも大仰じゃない?ディア=フェリースだけでいいと思うよ。ねえ、カミロ?」

「そうだな、船が多すぎて目立つのは得策とは思えないし、ディア=フェリースだけでもそれなりの火力はあるから、大丈夫かな。」

「決まりぃっ、ベアトリスおばちゃん、出港準備よろしく。他のみんなは部下のみんなに伝えて。お仕事よ。」

「おおっ。」

 ドゥアルテ以外の全員から威勢のいい掛け声が返り、すぐさまめいめいに責任を果たすべく持ち場に散っていく中、カミロは隠居の身でこの会合にも顔を並べるに過ぎないドゥアルテの椅子に歩み寄り、何やら耳打ちする。ドゥアルテは彼の意を組んだとばかりに首を縦に二度振り、カミロの肩に手を回してばんばんと力を入れて労を労うように叩いた。力任せに叩かれて痛みが残る肩を抑えつつカミロが退出すると、ドゥアルテは今度は最後に残っている愛娘に手招きし、応じて近寄ってきた彼女をひしと抱き寄せる、そして頭をぽんぽんと軽く叩いてくるのだ。

「無事に帰ってこいよ、娘。」

「うん。ありがとう、父さん・・・カミロと、何話してたの?」

「ああ、お前が気にするほどの事じゃあねえさ。」

 女にだらしはないが、娘たる自分への愛情は不動のものだという確信があるからルシアは彼の跡目を継いで海賊稼業などに身を置いていた。確かにもう少し悪癖は治せという思いもあるので父への行動に一貫性は欠いてしまうのが、時折彼に振るう制裁という文字を当てはめた拳や足であった。


 日付が改まり翌日早朝時間。既に出撃とその目的は末端にまで行き渡っており出港の作業は滞りなく完了していた。一度眠りに落ちて英気を回復した頭目と副長もディア=フェリースへと乗船し、二人の着席を待って出港が開始される。

「お頭、出港準備整ってます。」

 ウィッグに帽子も被り、見えにくいというただそれだけの理由で眼帯のみ外し、そしてジュストコールに身を包んだルシオが席に座ると刹那、トマスから船体チェック終了による出港に向けての最終確認完了の報が入る。

「よぉし、稼ぎに行くわよ、いや行くぞ。ディア=フェリース号、発進!」

「了解、ロック解除します。」

 ディアナの操作でドックから船体に向けて伸びていた固定具が壁の中へと収納されて行き、ドックとの接点を失った船は無重力の海へと浮かぶ。この港は台形の形状を成しており底辺の真ん中に当たる部分が外宇宙への出入り口となっている。ドックは各頂点に配置されている形で内一つの頂点より中央部付近へと姿勢制御ノズルを吹かせ船はゆっくり移動を始めた。

「発進ラインに乗った。ゲートオープン。」

「あいよ、扉開きな!」

 船が中央でゲートの方向へと向きを整えるとベアトリスの号令一下で制御室から港を外と隔てていた大ゲートが口を開ける。煌々と人工灯の灯る港の外には恒星の自然光が燦燦と輝く以外には漆黒の闇の広がる大宇宙が姿を現す。

「扉は開いた、いつでもいいぜ。」

「了解、ディア=フェリース。発進する。」

 ディアナが操縦桿をぐっと押した。操作に呼応して主機関ノズルの周囲四方向に配置された補助機関がディア=フェリースに四尾の尻尾を棚引かせて船体を前方へとゆっくり押し出して行く。

 港から制御室の中が見える窓にベアトリス達が手を振ってるのがブリッジから見えた。ブリッジ乗組員は全員で彼女達の見送りに応えて手を振り返す。この行為でまた帰ってくる約束を暗に示している。船は徐々にスピードを増していき制御室は遥か後方へと下がってしまった。彼らの前から大きな明かりが消え、代わりとして星々による松明の光が入り込んでくる。完全に宇宙空間へと進出したところで主機関に火が入れられ、それと共にねぐらの門扉がまた閉じていった。

 ねぐら周囲に散在する岩礁空間を抜けたところでいよいよ外宇宙航行速度まで速度を上げ、ディア=フェリースは一路惑星コインブラへと翼をはためかせた。


 惑星コインブラはサグラード王国の多少辺境に寄った星で水資源の限界から星全体で人口数百万程を数える程度の規模である。砂漠に点在するオアシスが如く、水資源の集中した地帯に街が点在する、あまり賑やかではない部類の有人惑星に入る。王が宗教的指導者も兼ねる中世的封建社会を彷彿とさせるサグラード王国には大聖堂を有する惑星も少なくない。コインブラも発展の割には大聖堂を有する聖地的な場所であり、三人目の王子ともなればまず王位継承はなかろうと誰にも思われていたサグラード王国王子エンリケはこの大聖堂に預けられ、将来的には宗教的に多少の優位性のある地位を戴くのみで歴史の間に埋没するものとの相場が成っていた。それが今となっては親兄弟を亡くしたがために唯一の王位継承権を持つ者として一躍脚光を浴びる身分となったのは皮肉としか言いようがない。

 情報源的にはすっかり辺境とは言い難くなったコインブラへとサラザール一家が到着したのは自宅を出てから四日後、依頼の受諾からは五日後のことであった。

「お頭、コインブラの宇宙ステーションドックが満員だそうだ。」

「へ?こんな辺鄙そうな星で珍しいな。」

 ディアナが船を停泊させようと惑星の管理局に問い合わせた所、望まぬ回答をよこされた。

「じゃあ着陸するしかないかな。」

「それもダメだってさ、地上の宇宙港もパンパンでディア=フェリースを停めるようなスペースがないんだと。」

「本当に珍しいなぁ、どうしたんだ。」

「あれだよお頭、唯一生き残った王子様ってのに取材したいって銀河中からマスコミが押し寄せてるからこんな小さな星の港じゃあ捌ききれないってことだよ。」

 船は至極快調、やること無しの風来坊だからと自席で菓子を頬張りながら各社の報道に耳目の大半を傾けていたトマスが言った。

「全く暇な奴らじゃ、全部一つのテレビと一つの新聞でやればいいようなもんを。」

「そう言うなよファビオ、あれはあれでみんな飯の種なんだからさ。」

「カミロはそう言うけどよ、俺達の飯の種になる王子様を迎えに行くのにどうしろってんだ?あいつらがサヨナラするまで待ってなんていらんねえだろ。」

 一国の王子を飯の種呼ばわりするトマスの精神もなかなかに殊勝とは対極の位置にありジョアンから依頼でも来ない限りは一生王族などという人種とは交わることがなかったであろう。

「待て、連絡が来た。シャトルなら大聖堂近くの港の駐機場に停められるらしい。」

「シャトルかよ~、俺はいいや。」

 大きな構造物を相手にしてこそ男なりという意識が強いトマスは早々に上陸拒否を決め込んだ。

「シャトルなら、王子様と、まあ二、三人のお付きが付いてくると思えば二十人は行けるな。カミロ、付いてきてくれ。後の人選は任せる。」

「分かった。」

 ルシオは乗船のため一足先にシャトルに向かい、カミロはデスクの操作盤を弄って上陸要員を選択する。操縦士、機関士、戦闘員と部下の中から選んだ者達が身に付けている端末に上陸命令が下り、彼に選択された各員が一斉に格納庫のシャトルへと向かう。一様の選抜基準として王族へまみえるに際し戦闘服をスマートに着こなすタイプが選ばれていたが、海賊色が強すぎて謁見の場などにはまず似つかわしくない乗組員の多数派の中からもファビオにのみ上陸命令が下ろされていた。

「カミロ、俺なんかが一緒に行っていいのか?自分で言うのもなんだが俺ぁ王子様なんかに会うために生まれてきたような風体じゃないぜ。」

 短く伸ばしている顎髭を触りながら、自らの容姿に関して的確な認識を持つファビオがカミロに問うた。彼はそう来るだろうという想定の元、動じず彼に近付いて耳打ちした。

「なるほどな。よく分かった、でもそんな事あるのか?」

「無ければ無いに越したことはないけど、あったら困るだろ?」

「なるほど、そいつぁ違ぇねえ。どわっははははは。」

 カミロの密談に合点が行ったファビオも意気を揚々にしてシャトルへと向かった。彼とカミロが乗船したところでシャトルの発進準備も完了する。

「お頭、いつでも行けますぜ。」

「ああ、やってくれ。」

「あいよっ。トマス、ハッチを開けてくれ。」

「了解、お土産頼んだぜ。」

「バーカ、そんなもん無えよ。」

 お気楽なシャトルパイロットとトマスの交信が終了してシャトルの発進口が開いた。シャトルは勢いよくエンジンを吹かしディア=フェリースを後に真っ直ぐ指定された地表の港へと下りてく行く。

「コインブラ管制、シャトルの誘導を頼む。」

「こちらコインブラ管制室、了解した。進路そのまま、高度徐々に下ろせ。」

 味わったことのない多忙ぶりに心へ幾本もの楔を打ち込まれていたのか、そっけない口ぶりで最小限度の応対を返す管制官との会話の後、シャトルの進行方向に滑走路の存在感を強める誘導灯のランプが灯った。飛行機宜しく大気圏内航行へと切り替えたシャトルは誘導に従い滑走路へのコースに進入、せり出したタイヤが無事に惑星コインブラの地表を人より先に足を下ろした。

「うーんっ、久しぶりに恒星の光を浴びるなあ。」

 ハッチが開いて外へと出てきたルシオが開口一番。基本的に航行中の船を襲うのが生業で住まいも恒星から所謂生命居住可能領域から数倍する距離がある岩礁地帯であったため降り注ぐ自然光を浴びる機会自体に恵まれていなかった。もっともこの時代、別に太陽の光を浴びて生活する時間の長短に何のステータスもなく、浴びる時間の短い者がさんざめく光をたまに物珍しく眺める程度の話題性になっている。

「おーいっ、ルシオっ。こっちだ。」

 シャトルの後部ハッチから発進した十五人乗りエアカーにはカミロと他三名の護衛役が乗り込んでルシオを手招きした。

「ああ、今行くー。」

 ルシオを回収したエアカーは港を後にして片道十数分の短い距離にある大聖堂へと一路向かう、聖堂周辺の開けた街までの途中は干からびた荒野だけが広がりを見せ、目に見える範囲に於いて生物の活動は確認できない。その反面、街に入ると人々の活発な活動が目につき、住めば都という言葉が体現されているような賑わいを見せている。

 彼らが大聖堂の入口に着いた時も大勢のマスコミが門を右から左まで埋め尽くしており、王室直属の警備隊が数名その間を縫って、聖堂へと近付き且つ真ん前で停車したサラザール一家の車を怪しんで取り囲んできた。

「何者かね?」

 ドアミラーを開けた途端に居丈高な警備員のドスがきいた声が車内へと、耳にする側からは望まざる侵入を果たす。ルシオは正直に嫌悪の顔を示して彼の態度に否定を並べたが、運転役の部下が人当たりのいい返答で王子の迎えと告げると、警備員は急に襟を正して非を詫び、入口に群がる記者陣を左右に排除して車を敷地内へと招き入れた。

 入口から建物まで向かう車中でもルシオの怒りは収まらなかった。

「何だよアレ、汚いものを見るような目付きで俺達睨みつけて、呼ばれた人間だと分かったらころっと掌返すし、鬱陶しいなー。」

「まあ落ち着けよ、彼らはあれが仕事なんだ。それでなくても多分ずっとあの記者たちの相手で気が立ってるのさ。あの位は大目に見てやろうぜ。」

「はいはいカミロはご立派な聖人君子様でございますことですね。」

「いやあ、それほどでも。」

「皮肉言ってるのっ!」

 ルシオはカミロが自分の真意を理解していないと思って声を荒げたが、実際彼は理解しており、理解した上で褒められたということにしようとの思いで発声していた。相手の真意を理解していないのはルシオの側だった。それでなくてもルシオは同い年なのに達観した面を持つカミロに複雑な感情を抱くので当たりが強くなることがままある。同乗者の護衛達はルシオの子供っぽさにある者は咳き込んでごまかし、またある者は半生で最も悲しかった出来事を思い出し、運転手役に至ってはハンドルを握る手に力を込めて爪を掌に食い込ませた痛みでこみ上げてくる笑いを必死に抑制していた。彼等も幼児性に事欠かない頭目には頭を悩ませるでもなく面白い上司に巡り会えたと密かに喜びを噛みしめる体たらくで気楽や陽気を友とする海賊らしい面々であった。

 感情が絡み合いつつ車は聖堂の玄関に乗り付けた。五人はまだ薄ら笑いを浮かべていたりむくれ面していたりと多様な感情を見せ合いながら大きく荘厳な扉を開いて聖堂へと入館した。

「よくぞ参られた、サラザール一家とやら。」

 聖堂の内部を拝むと同時に中央、入口から神の像を臨もうという方向に我を崇めよとばかりの位置に杖を突き、首を隠し切る位にまで伸び色素を完全に失った白髭を蓄えた老人が佇立するのを認めた。服装もサグラード国民特有のだぼっとした感じで華美な装飾はないが清貧と威厳を兼ね備えた格好を着こなしている。

「えっ、まさかこれが・・・第三王子?」

 ルシオは判別に窮した。王子といえば世間のイメージは少年から青年であり、さすがに老人と言うイメージは限られてくる。だが広い世間と長い歴史には実際に老人の王子もおり、例え王子が還暦でも現国王が九十ほどで存命ならイメージはともかく計算上に問題はない。この数式の下でルシオは老人の前で帽子を取り傅いた。

「お初にお目にかかります、エンリケ王子。わたくしは連邦警察より貴方様の御身を無事首都までお送りするようにと仰せつかりました、海賊サラザール一家を纏めますルシオ=サラザールと申します。以後、長い道中となりますれば宜しくお見知りおきを。どうぞ心安んじて我らにお任せ下さい。」

 この惑星までの航海途中、ルシオなりに学んだ王への礼節を第一印象こそ大事とばかりに眼前の老人へと披露した。所作や言動に問題はない、少なくともルシオはその確信を得ていた。だが老人は彼の努力を無にするようにしゃがれた声でこらえようともせぬ笑いを吹き出した。

「ふおっ?ふお、ふふぉっほほほほほほほほ。」

「何か、不手際でもございましたか、王子様。」

 想定とは全く異なる反応を示した老人にルシオは心で戸惑った。表層的には心の動揺を見せずに芝居を続ける彼には残念なことに努力を無にする返答が返されるのだ。

「い、いやいや。お主の動きは王族への礼儀に則っておる。ただのう、王族でもない儂に跪いているのが面白くてのう。長いこと生きておるつもりじゃがお主のようにそそっかしい者は初めてじゃ。」

「え?じゃああなたはどこの誰で?」

「儂か?儂はエンリケ王子の侍従長を務めておるゴンサロという老いぼれじゃ。どだいこのような歳の王子がまだ壮年の内に身罷られた陛下におるわけなかろう。」

 そうなのか?とルシオは後ろを振り返りカミロ達の顔に問うた。彼らはそれぞれにばつの悪そうな顔を覆い隠し、カミロは責任感から一度退けとルシオを手招きして呼び戻す。

「なんだよじゃあ初めっからそう言ってくれればいいじゃないかー。」

 すごすごと、しかも恥ずかしげに戻るルシオはすっかり海賊精神に逆戻りした。自ら勝手に恥の炎を吹いたのだからむしろ巻き添えを食らった四人の部下のほうが恥ずかしい思いは強かった。

「見るに耐えん奴だ、そのような者に余の命を預けるなどとは。王朝開闢以来の愚挙とならねばよいがな。」

「おお、殿下。皆の者、エンリケ殿下のおなりじゃ、今度はしかと傅くよう。」

 傅くよう周りを駆り立てたゴンサロが先陣を切って膝を地に付けた。ルシオ以下の海賊達もそれに倣い次々と床石との親密さを増した。全員の跪く姿を見計らったかのタイミングで側面の扉が開く。

 足音はする、傅いている全員の視界には聖堂の床に敷き詰められた、白が元の色でありながら長年踏みつけられた痛みと汚れで薄く色づいているが石のみが見えているので王子どころか鬼が踏み込んできていたとしても判りはしなかった。もっとも人外の大物なら大きく響く足音で判別できるので、取り敢えず人を獲って食いそうな巨人が現れてきたのではないことだけは確実であった。

「よろしい、皆の者。面を上げよ。」

 王子らしい上からの物言いをする声が正面から聞こえた。彼の声はルシオのそれより更に甲高いように聞こえたのだが、傅いていた海賊達が顔を上げて王子の姿を真正面に捉えた時、合点が行った。

「余がサグラード王国第三王子、エンリケ=デ=アルメイダである。苦しゅうない、もっと近う寄れ。」

 ルシオ達の眼前に現れ出た王子の姿は身の丈百四十センチほど、一点の澱みもない澄んだ清水のような瞳と毛布を被せたようにふわりとした茶色の髪を有し、サグラードの王族が着用するという紫紺のストールを掛けて腰には黄金の字に赤だの青だのと華美な装飾の短剣を佩いた、齢十前後の少年であった。

「こ、子供?爺さんの次は子供っ?」

 ルシオの躊躇なく張り上げた声がエンリケには気に障ったようで、俊敏な反応を返した。

「余を子供扱いするとは何事か。直れ下郎!衛兵、出会え。」

 屈強な衛兵が二人、王族の命令には服従すべしと教え込まれているような態度でエンリケの現れた扉より出現し、ルシオの腕を左右から囚える。人より短気と短慮の面が濃いルシオは衛兵の行動にあっさりと我慢の限界点を突破され、彼らの手を振りほどいて一人の顔面に思い切り拳をめり込ませる動作に入る。

「待て、お主達待て待て待て待て!」

 ゴンサロが慌てて乱闘寸前で静止を呼びかけた。危ういところでジョアンの依頼が最初の一ページ目で御破算となるところが彼によって首の皮二枚という付近で繋がった。衛兵に至っては明日からの仕事を病院のベッドの上でこなさねばならなくなる所をゴンサロが救ったということになる。

「殿下、短気はいけませんと申し上げてるでしょう。」

「ああもう、爺はまた喧しいな。余を愚弄した者にそれ相応の報いを与えんとしただけではないか。」

 爺、つまりゴンサロがいつも口喧しくエンリケを諭すのは、いつもと言われねばならぬほどエンリケに諭される要因が頻発する事実を表している。

「それ相応の、だあ?子供に子供と言っただけで牢屋に繋がれちゃあ溜まったもんじゃないよ!」

 短気ならば負けてはいないとばかりにルシオは負けん気を発揮し、途端に王子との間に険悪な雰囲気が流れた。

「何を申す!余はまだ十の子供であってもこの国の王子であるぞ。王子に向かって子供とは何事だと言っておるのだ。」

「子供と言われて気にするのが自分で子供だってことを認めてる何よりの証拠だ。事実にいちいちつっかかってるようじゃ王子サマってのも案外お里が知れたもんだな。」

「おのれぇ、海賊の分際で余を小馬鹿にすること甚だしい。」

「小馬鹿?大馬鹿にしたつもりだったんだけどね、理解力が足りないの?」

 ああ言えばこう言ってくるルシオの小癪で小賢しい振る舞いにエンリケの堪忍袋もいよいよ最終防衛線が見えてきた。小賢しく小癪なのはエンリケも同等であり、また相手も堪忍袋の臨界点は既に手の届く位置にあった。

「もう我慢ならん、直れ下郎!」

 エンリケが腰の短剣をさっと抜いた。身長との対比では長剣に見えなくもないが、絶対的な刀身は見ただけで分かるほどに短い。ルシオが従えてきた身長百八十以上を誇る部下達ならば、腕を伸ばして額を抑えればエンリケが如何に腕を伸ばそうとも胴には届かない、と言う場面は容易に想像が付く。ただルシアはかなりの厚底靴を履いた状態で百七十強といったところなので万が一は起こりうる可能性がある体躯だった。

「おっ、やる気?」

 ルシオも負けじと懐から短剣を取り出した。相対している装飾に重きをおいた物とは違って華美とはほとほと縁遠い実戦特化した短剣であり刃の長さに関しては互角といったところである。まともに刃を交えれば腕の長さだけルシオが充分に優位な立場にある。装備により万が一程にはあったルシオが一ミリでも負傷する可能性は億、兆に一つに急落した。そもそも招いた客とは言え銃剣の類を預かろうとしなかったのは王子サイドの落ち度であったが。

 百七十程度の丈とはいえルシオはエンリケより一回りの差がある。それでいて剣など普段から料理に使っていてもおかしくない程に持ち慣れているだけに格好も様になっている。その姿を見て臆病風が心を冷却したか、エンリケに一瞬の躊躇が見られた。ただ退いたのは一瞬のみで、彼の心には王族としての挟持が新たに熱を注入し、決して退かない、無様など無縁の様子を決意し、ルシオに立ち向かおうとした。

「なりません、なりませんぞ、殿下ぁ!」

「何をむきになってんだルシオ。お前王子を殺す気か!」

 子供っぽさを剥き出しにした相克はそれぞれが後ろから、エンリケはゴンサロに、またルシオはカミロに抑え込まれて後ろに引き戻され、人目も憚らずにがみがみとそれぞれの至らなさをこってりと絞られた。ルシオの部下達はまたしても、エンリケの衛兵や騒ぎで駆けつけた侍従達は生誕以来初めて、己が仕えている者が石の床に正座させられて叱られているというあまりにも興味深い光景に笑いが溢れるのを必死で塞いでいた。


「オホン、それでは私めから話を進めさせていただく。」

「こちらも、私が対応させていただきます。」

 もはや出てくるなとばかりに、詰めの話はカミロとゴンサロの間で取り交わされることなった。今だけは自重を覚えた二人はしゅんとして、話を噛み合わせている二人の交渉を傍らで見届けるだけに落ち着く。首都までかかる日数や航路、報酬の確約等が話し合われ、大凡の項目でお互いの一致を見た、ここでカミロは自らの考察の中で最大の疑問をぶつけてみた。

「何故、我々をご希望されたのでしょう?我々は連邦警察と繋がりがあると言っても所詮は海賊。王家としては関わりすら持ちたくないと考えるのが当然と思いますが?」

 ゴンサロは急に口を重くして、数回りも年下の若造の問いかけに考え込む。一分ほどの沈黙の後、結果が出た。

「そうですなあ・・・身内の恥は晒したくないのじゃが信用の証、とでも受け取ってもらえればよいじゃろうか。ニュースはご覧になったかの?」

「ええ、報道されている程度には。」

 暗に今回のお家騒動のことを指しているのは深く考えずとも分かった。

「我々もその全貌を掴んでいるわけではないのでな、王国軍による警護ではどこから矢が飛んで来るか分からんでの。」

 それはそうだ、とカミロどころかルシオにも納得できた。今回の暗殺の一件には王家でも不明瞭な点が多いとなると、首謀者は第一王子以外かもしれない、そうなればその者は王位継承権を持つ最後の一人となった第三王子も狙ってくる可能性はある。または反動的な勢力が王家を根絶やしにする好機と見て何らかの工作、陰謀を仕掛けてくることも十分考えられる。

 尚、依頼主を信用しなければ始まらないということで、エンリケの周囲や彼を担ごうという勢力が黒幕ではないかという選択肢はサラザール側の思考から除外されていた。

「そこで連邦警察に首都星までの護衛を頼んだんじゃが、深い内政干渉に当たるとして断られての。」

 これも仕方のないことであった。連邦警察は軍隊の様な戦力を保持しているとは言え与えられているのは軍権ではなく警察権である。少なくとも第三王子の身の上には何事も起こっていない時点では軍備がある加盟国内での首脳・王家の警護に連邦警察が絡むことは内政干渉として見られ、最悪連邦警察の存立に関わる可能性も捨てきれない。所詮、上は役人である連邦警察は現段階でエンリケに手を貸すことはできなかった。当然ながら何かあってからでは遅いのだが・・・

「八方塞がるかと思われた所に、ジョアン殿がお主達を紹介してくれたということじゃ、我々としても背に腹は変えられんでな。速やかにこのエンリケ殿下に戴冠してもらわねば国が安定せん。」

 ゴンサロの告白は理には叶っていた。向こうも借りたくない手を借りねばならぬところまで切羽詰まっているわけだ、隠し事はあったろうにせよ口にした分はほぼ真実とカミロは認識する。彼はルシオの方を見る、カミロの視線に気付いたルシオは少しの躊躇を踏んだ後、頷いて返す。一応の確認作業であった。ルシオとしては頭脳労働に関してカミロに一日の長は認めている。考える場面では丸投げと言ってしまっても問題ない程にカミロに一任しているので首を横に振るのは本来あり得なかった。躊躇したのは交渉内容にではなく、エンリケという子供を自分が果たして彼を一切害する事なく目的地まで楽しいピクニックと洒落込ませられるかという点にあった。

「だから頼む、父兄弟を亡くされた哀れな子羊を助けると思って力を貸してくれまいか。」

「余からも頼む。余のためではない、サグラード王国百億の国民のために。」

 これまで大人しく口を噤んでいたエンリケの口からもゴンサロと同じく海賊への嘆願の声が発せられた。海賊たちは声には出さないまでも驚きの色を滲ませていた。自分達の若い頭目と子供の喧嘩を繰り広げるという一部始終を見せつけられた直後に若干十歳の子供の口から王の器たる発言がなされるとは想像だにできるものではなかったのだから。

 頭こそ下げてはいないが、正常なる社会から見れば爪弾きな、ましてや人々を統べる者からすれば何をか言わんやの海賊に対して少なくとも対等の立場で頼み事を申し出るエンリケにルシオ以下は一定の方向への感情を抱いた。

「・・・分かった、どこまでお役に立てるか分からないけどこの不肖ルシオ=サラザール、全力を以てエンリケ殿下の期待に沿えるよう努力する。」

 気持ちをすっかり入れ替え、ルシオが委細の受諾を宣言した。エンリケ側が知ってか知らずかはさておき、自分達の事情として断る術が無いのだから気持ちよく仕事を遂行したい、という思いもあった。

「うむ・・・だが実のところ、余も顔も殆ど見たことのない肉親が斃れたと言われて、どう悲しめばよいのか考えあぐねておるのだ。」

「えっ?顔も見たこと・・・が?」

 エンリケからは意外な言葉が放たれた。父王や兄王子の話になったところで悲しみの色が表情をまるで支配していないのだ。

「余は、生まれてすぐこの大聖堂に預けられた。父王陛下には何か考えがあってのことだったのかもしれんが、真意をお聞きする前に亡くなられてしまった。亡くなるまでには三度、母君と此処に参られて頂けたのだが、儀礼的な挨拶に終止して、父君としてお言葉を賜ったことは無かった。兄君においてはお会いしたことすらなかったからの。」

 ルシオ、いや中身のルシアはセンチメンタリズムを呼び起こされた。己とて母を早い内に目の前から失っていた欠損家庭で育ってはいたが、父の親愛と従兄弟の友愛、更には共に住まう大勢の部下達の愛情を過分なまでに受けてきた。それに比べればエンリケの寂寥たるや何倍になろうか。同一のレベルで喧嘩となった自分を恥じてしまう所である。

「そうなのか・・・なんだかすまなかったな。」

「気にするな。余にはゴンサロがいれば、百を数える侍従や召使いもいる。それで不足を感じたことなどない。」

「で、殿下っ。この余命幾ばくもない爺に勿体なや。おろろろろ。」

 ゴンサロは感激のあまり咽び泣いてしまった。これでは話が前に進まないと、カミロはゴンサロを落ち着かせようと王子に呼びかけさせる。主の声で我を取り戻したゴンサロは今自分のすべき使命を思い出して事なきをえた。

「それで、我々はいつ出発すればよいじゃろうか。」

「こちらは既に用意はできていますから、殿下の用意が整い次第ということで。」

「それなら心配はござらん、とうに用意はできておる。これ。」

 ゴンサロが柏手を打つと、メイド姿の女中が奥から次々と現れる。いずれも手に手に大荷物を抱え込んでおり最終的には五十人強の集団となった。

「これで準備は整った、さあお主達の船へと参ろうか。」

 ゴンサロが気分よく出発の音頭を取ったのだが、乗せる側には由々しき問題が発生していた。

「ちょっと待て、これ全員乗るつもりか?」

「そのつもりじゃが?おお、それに後、衛兵が三百人ほど・・・」

「冗談じゃない、学校の遠足と貸切バスじゃない。何百人も居候を乗せられるわけないだろっ!」

 カミロが声を荒げていた。TVドラマの中の話だけに思えていた王子一人に何十人という世話係という浮世離れした光景はもとより、旅客船でもないのに無為徒食の客人を大勢乗せる余裕は部屋の面からも物資の面からもない。ただでさえ不測の事態に備えて即応体制で出張ってきたのだ。船には白兵戦闘用の人員も大勢乗り組んでいるからあと一歩で満席という状態になっていた。百人単位のおまけが付くことはルシオにも、そもそも海賊船という輸送力においては旅客船のそれに比して絶対的に劣る彼等に依頼を送ったジョアンにも想定できる事態ではなかった。

「だいたいなんでそんなにお付きが必要なんだよ。」

「分からぬか?彼女達が余の着替え係、彼女は洗濯係。こっちが食事係でこっちも食事係。」

「待て、食事係が二回出たぞ。」

「こっちが食事を作る係で、こっちは食事を運ぶ係だ。」

「・・・もういい、聞いた俺が馬鹿だった。」

 呆れるルシオを退かせて、カミロが切々と何百人のおまけを運ぶには物理的に到底無理なこと、よしんば貨物のように詰め込んだとしとも一度事あらば邪魔者と化して危機が増すことを理路整然と三重のオブラートに包んで訴えかけ、どうにかエンリケ王子と侍従長ゴンサロ、その他汎用的に世話のできる有能な方面の小間使いと上官格の衛兵が計五人の、合して七人で手を打つこととなった。血の気が多く、また男女比を汗臭い方に著しく欠いている部下達の前に何十人という女性の集団を放り込み、また乗組員の半分に匹敵する数の猛者を腹に抱えるような危険な真似はできないというベクトルの違う危険性は相手側に伝えずに。

 五人の海賊に連れられて七人の客人達はすぐにこの星を出立するため、彼らの乗ってきたエアカーへと乗り込んだ。少し前に入っていった車がそのまま出ていったように見えただけで門の前に屯していた記者陣も特に訝しげることなく見送り、もはや無駄になる大聖堂への張り込みを続けることとなった。この場面では王子が乗っているからという仕草には見せなかった門番役の衛兵たちの芝居が功を奏したと言っても良かった。おかげで入場時のいただけない態度もルシオの心中では相殺されていた。

 伊達に海賊が使う車ではないので多少の地雷や対戦車弾程度では乗員に大きく危害が及ばない安全性とそれなりの攻撃力も有する、各星系の軍でも採用されている型に更に手を加えたものである。この中ではまず無事にシャトルまで無傷で王子たちを輸送するに危惧は考えられないでいた。そしてその通り何事も起こらずに一行は着陸していたシャトルへと戻り、機の脇へと停車するなりカミロが早速下令する。

「ただいまー。お前たち、すぐ出発だ。準備急げ!」

「あいよ、で、お頭は?」

「先にハッチに行って、お客様のエスコートだ。」

「あのお頭が、エスコート?王子様を?あっはっは、こりゃ傑作だ。」

「笑ってやるな、あれで真剣に心を砕いて慣れないことをやるんだから。」

 笑われた本人はいたって真面目に、王子以下の七名をシャトルに連れ込む行動をぎこちなく行っていた。王子という者は天然記念物のように扱い方が分からぬからこれも所詮ドラマの見よう見まねであるが。

 彼の滑稽な様をスコープ越しに遠くから、近辺で最も高層な建物、港の管制塔の屋上から覗き見る影があった。今からダイビングでも楽しもうかという肌に密着したスーツには十センチ四方程度の細かな機器がいくつも貼り付けられ、必要な情報を即座に出力できる大きく目を覆うゴーグル。そして最も異様を放つのは自分の身長ほどもある狙撃用ライフルを構えている点であった。彼を見れば十中八九は誰かを狙い撃とうとしているのは明白であったろう。だが彼がいた地点は管制塔の屋根に当たる部分にあり、殆ど誰の目にも触れず、注意すら払われない位置にあり落ち着いて自らに課せられたあくどい使命を果たさんことに集中できた。

「標的は・・・あれか。」

 スナイパーがゴーグルとスコープを連結した視界越しに外界を見下ろす。視線の先には今しがた港まで連れられシャトルへ乗船するためにエアカーを下り次にタラップを上がろうとするエンリケが捉えられれていた。

「悪く思うなよ坊主。恨むんなら王子として生まれてきた自分の出を恨むんだな。」

 誰が聞いていたわけでもない安い自己弁護を経文代わりに唱えた男は狙撃の微調整を測る。何百メートルという直線距離ながら飛び抜けた精度のスコープはエンリケの姿をくっきりと捉え、銃身の先を固定している置き台は男の手元の操作で上下左右に微妙に動いて彼の望み通りエンリケの頭部をスコープ中心の十字とマッチさせるように設定した。

「楽な仕事だな、あばよ王子様。」

 男が最後の仕上げと、ライフルの引き金に掛けていた人差し指に力を込めようとしたほんの直前、スコープの中が閃光で占められた。次の瞬間ライフルが豪速球の勢いで上方へと吹き飛んだように舞い上がった。引き金に入れていた指は不幸にもあらぬ方向への湾曲を強いられ負荷に耐えかねた関節が壊れ、悲鳴を上げた。

「ぎゃあああああああああっ!」

 悲鳴を上げたのは関節のみに留まらず男自身も凄絶な叫びを上げていた。歪な形に変形した指を押さえ込み、男は自身に何が起こったのかを確認にかかったが、十から二十メートル四方の管制塔の屋根の上には何も変化がなく、任務の達成直前まで順調に推移していた頃には大人しく羽根を休めていた鳥が男の絶叫を合図として大空へ飛び去っただけであった。

 やがて大聖堂の衛兵たちが男の拘束へと駆け付けた。ここまでと観念した男は衛兵に囲まれた時点で倒れ伏した。奥歯に仕込んでおいた即効性の毒を呷ったのだ。そうと気付いた一人が大口を開けさせ吐かせようとしたが時既に遅し、この男の口は封じられた。

 狙撃の直前に輝いた閃光はビーム銃のものであった。狙撃犯がタラップを上ろうかというエンリケを狭いスコープの視界に捉えた時、遥か上空の母船ディア=フェリース搭載の超々高感度カメラによるシャトル周囲の不審人物の索敵網に狙撃犯は完全に補足されていたのだ。地上からは見えにくくとも上空からは丸見えであり、雲一つない快晴の空という運も王家に味方していた。解析結果は即座にシャトルに届けられ、シャトルの屋根には威力を最低限に絞った機銃を構えていたファビオが相手のスコープの死角から愛用のライフルで放った一撃の結果の閃光が犯人の視界と指を奪っていた。狙撃犯は使命を果たすためには避けられぬ視野狭窄の間隙を突かれたのが文字通り命取りとなった。

「へっ、俺とタイマンでドンパチやりたきゃ千年は修行してきな。」

 誰に聞かれるでもなくファビオが余裕に満ちた勝ち名乗りを上げた。愛銃を左肩に掛け、右手一つで器用にスキットルの蓋を開け、撃った先に向けてそれを掲げて一気に勝利の美酒を飲み干し絵になる男の姿を気取るのだった。、

 一連の迎撃行動は全てカミロの指示によるもののであり、海賊が扱う防弾車からシャトルに移乗する際などが狙撃にもってこいとの推理の上、この惑星上でエンリケを狙うとすればその一点が最も可能性が高い、と踏んでいたカミロはファビオを上陸要員に招集した時点で狙撃を予想し、カメラの手配とファビオへの指示も要員のリストアップの横で進めていた。

「まったくうちの世話係は頭が回って助かるよ。」

 閃光で事のあらましを凡そ理解したルシオの心は達観と楽観が両脚になるベンチでゆったり過ごせていた。彼には肩の一つにも飛びついてやればそれが礼になると、小さい頃もよく過ごしていた殆ど兄妹、もしくは姉弟の結びつきが思わせていたが、今回は客人の手前ルシオも控えていた。ただ狙撃の件でエンリケは、彼自身も命を狙われている事態に直面していることが明確になったので一行には緊張が走った。エンリケも表面は王子の体裁を取り繕ってはいたが儚い仮面でしかないことは周囲の誰もが理解していた。衛兵は表情を険しくして周囲への警戒を厳にしつつゴンサロが先頭でルシオに連れられたエンリケと小間使い達をシャトルに収容させ、全員の搭乗がなったのを確認したところで急ぎタラップを駆け上がる。暗殺の第一段階は失敗させた、というところであったろう。これで幕引きと考えるほど現実に対する楽観論は海賊とて思考の外であった。

「おうカミロ、お前の予想は見事ドンピシャだったな。俺を連れてきて正解だったわけだ、どわっははははは。」

 大成功と自らの功の双方にファビオの笑いもいつになく高かった。意気軒昂そのもののファビオに対し第一の功とも言うべきカミロは喜ばしい顔というわけにはなっていなかった。

「どうしたい、これはお前の手柄だ。もっと体から嬉しそうな何かを出せってんだ。」

「あ、ああ・・・」

 カミロはファビオの声もはっきり聞こえているのかすら怪しいまま化粧室の個室へと姿を消していった。一つ事が終わると彼はふっと化粧室など人から見えない所に埋没するのが常となっていた。

「お腹も弱いんじゃないの?いつものことだし。」

 慣れっこになっていたルシオも別に気に留める様子はなかった。腹が弱いのは半分は当たってはいたが本人には更に深刻なのだ。

「へぇ~、当たったぁ。別の手とかで来られたらどうしようとかずっと思ってるから胃が痛いのなんのって。」

 隣の個室にも聞こえない小声で心情を吐露し、ポケットに常備している軽い鎮静剤を取り出して一気に喉を通り越させる。事が始まったと認識した時、コインブラへの上陸計画策定に乗り出したときからの腹部への違和感がいよいよ臨界点を突破して彼は個室内にへたり込んだ。毎回事を成す度に彼は伏せるほどの休息を伴う、とにかく作戦が成るまでは緊張感が持続しているせいか凛ともしていられるのだが、作戦に要する時間が長ければ長いほどその後の揺り戻しは酷くなり薬の服用量は増えていく。

「こんな姿、みんなには見せられるわけないよ、特にルシアにはな。」

 別に死病というわけではない、ただただ格好付かない事この下ない姿を見られることを挟持が到底許さないという個人内での理由であった。挟持と神経の太さと責任の間に整合性を保てていないアンバランスさは彼にとって最大の悩みの種として付き纏っており、およそ今後も伴侶となっていくのであろう。


「さあ王子様、我が船へようこそ。」

 ディア=フェリースへとシャトルが帰投し格納庫へと収納される。シャトルの出口からは居住区と直接通路を繋いだので既に人工重力下にあり、大聖堂の敷地外の散歩すら経験がなく無重力など想像だにできないエンリケにとっては有り難い話である。もっとも無重力が体験できるなどとは十の箱入り王子の知識では考えが及ばなかったので敢えて教え込みでもしない限りは無駄な労力を割くこともない筈である。

「これが宇宙船というものか・・・金属の壁ではあるが、普段歩いている廊下と代わり映えはせぬな。」

 労力は割きたくないが、無知ゆえに多感な少年がまるで驚きもせずお高く止まっているような雰囲気を出しているというのもルシオとしては面白くなかった。まあそれも次の角を曲がるまでの話だ、との思いでエンリケを客室へと案内する。間を置かずに自分の中だけで名高い噂の的としていた角を曲がる。

「ん?おおお、凄いな、これが宇宙なのか。おい爺、見ろ、見たか?夜より真っ黒じゃないか。空を見るより星が多いぞ!」

 角を曲がった途端に目に飛び込んできた大窓からの外、つまり大宇宙の光景に対してルシオの予想通りに新鮮で実に子供らしい反応を示して窓に食らいつくエンリケがいた。その姿は王子などという着飾った役ではなくエンリケ=デ=アルメイダという一介の少年そのものであった。ちゃんと喜べるじゃないか、とルシオは思った。ゴンサロの方は流石に髭が白くなるまで重ねた年齢では物珍しいものではなかったか、エンリケに誘われてそろりと窓に近付いて彼のはしゃいだ声に合わせて相槌を打つ姿はをエンリケと対比させることでエンリケの少年っぽさを際立たせていた。傍から見れば祖父に連れられて初めて宇宙船に乗った子供にしか見えないものだ。

 ひとしきり騒ぎ立ててやっと後方に佇んでいるルシオの存在を思い出し、更には追いついてきたカミロやファビオの姿を視認するにつけ、エンリケは再び王子という衣を慌てて着直した。

「コホン、ま、まああれだ。余と同世代の少年たちならきっとこのような感動を示すのであろうな、というのを実践してみたのだ。余直々の芝居を見せてやったのだ、感謝することだな。」

 ルシオは苦笑の顔になった。子供でありまた王子である者のなんと扱いにくいことか、いっその事初対面のように角突き合わせる方がどれだけ楽かとも思いつつ、十ほど年長且つ依頼主と請負人の関係は楽な道を取らせまいとする。

「そんなことより部屋だ、部屋に案内せよ。さあ行くぞ。」

「こっちですね。」

 エンリケが踏み出した方向と真逆にルシオが案内を再開する。踏み台を踏み壊したようにばつの悪いエンリケは踏みとどまらんとする。

「そ、そうだ、そっちだ。何を見ておる。三歩ほど勢いを付けてから方向を変えるところであったのだ。もうよいから、ルシオ案内せよ。」

「はいはい。」

「『はい』は一回でよいのだ、ゴンサロも毎日言うておる!」

 つまり毎日侍従に向かって面従腹背の返事をしているというのを自白したにすぎないのだがエンリケは海賊達が知りようもない自分の普段の生活を読んでくることまで思考を回せないほどには焦慮を濃くしていた。

 先にブリッジに上がらせたファビオを外してカミロを伴うルシオは客人一行を旅の間中を居住してもらう部屋へと案内した。

「では、王子様はここに住んでいただきます。」

 艦長権限で指紋認証がフリーパスで開く電子ロックのドアを開けた中はロイヤル、とは言わずともホテルのスイート程度に広く調度も整っており海賊船というカテゴライズにしては立派なものであった。どだい宇宙を行く海賊船でもVIPをこっそり招き入れるという社会の闇に一枚噛む面もあるのでどの海賊でも一室くらいは専用の部屋を用意しているのがマナーとされていた。

「ふうん。まあ使用人の部屋くらいにはあるな。贅沢は言ってられんからここで満足してやろう。」

 言葉の端々にルシオの怒筋を刺激する浮世離れなエンリケの言葉。そそくさと比較対象にされた使用人が刺激を軽減せんとフォローを耳打ちする。

「お気に障られたら申し訳ありません。わたくし共もこのくらいの広さに十人からが詰め込まれているくらいですので。」

 少なくとも何十人はいた使用人でもスイートルームを一人で専有しているなどという事実があればルシオとしては今すぐ使用人もろとも宇宙空間に全員を放り出しかねなかった、かもしれない。

「それで、わたくし共の部屋は・・・」

 さすがにスイートばかりを用意できる物理的余裕はなかったが、他の随員六人にも個室くらいは用意した。いくら王子に苛立たされているとは言えルシオは外道でもない、年の近しい女性もいるというのに通路に野ざらしなどとまでは思考の域になかった。

「儂はお気になさらず。殿下の部屋にあって殿下のお呼びにいつでもすぐ駆けつけるでの。」

「ありがたい、爺がいてくれれば万事に安心だ。」

 細腕の老人一人が存在しただけで何の万事か。気持ちは王足り得ても視野は辺境の星に閉じ込められていた程度のものしか持ち合わせていないような口ぶりに、彼が首尾よく至尊の冠を戴けたとしても今後のサグラード王国の行く末に不安を感じたカミロであった。とはいえ彼も祖国などとうに捨てた根無し草の海賊、他国の将来に何の責任もない彼は表立った反応を示さなかった。

 王子の居室は随員ならロックが開けられるように設定し、衛兵の二人が二交替でドアの前に立ち、三人の女中が必要に応じて世話に訪れるよう認識が合わせられた。各員の居室も王子の部屋の隣に五部屋が並ぶように割り振られ、また逆方向には艦長室がありルシオが船内での個人的生活の殆どを送る部屋になっている。艦長室まで護衛が立つわけではないがエンリケの守護に関しては最善を尽くしているつもりである。

 荷物と腰を一旦下ろさせて船旅の準備をさせている間に艦長と副長は本来の職務を遂行すべき場所、ブリッジへとファビオに遅れること一時間で入った。彼らがいない間に船は既に動き出し、コインブラの衛星軌道を後にして恒星系内巡航速度を維持しつつ、首都星の方向へと恒星系外縁部に向けて航行中であった。コインブラは徐々に小さくなりつつあるが外壁に向いておらず安全性を優先して配置された部屋に入れられたエンリケには十年ぽっちの半生、物心付いて以後のほぼ全てを生活してきた星に別れを告げる事なく旅立つこととなった。

 コインブラを発しておよそ二四時間、星系外縁部へは後二時間ほどで到着する辺りで今後の航海日程を抑えるためにメインスタッフは部下にブリッジを任せて会議室に集まりブリーフィングを開いていた。参加者の中にはオブザーバーとしてだがエンリケ、ゴンサロの姿もある。ルシオとしては意見を聞くわけでもないのに外野から烏のように鳴き声を上げられるのが迷惑としか思えず、ブリーフィングの場に呼ぶこと自体反対だったのだが、ディアナの後から文句を言われる方がもっと大変で五月蝿い、という舵を預かる者としては避け得たいという意見から渋々彼らを呼び出した。もっとも、

「何故に余からお前たちの言う部屋まで向かわねばならんのだ?お前たちが余の前で話せばよかろう。」

 と既に王子様よろしく煩わしい物言いが会議までに既に一悶着も起こしていたのだが。そこはともかくとして、やっとの事で引きずり出したエンリケ含め、航海責任者ディアナの説明に参加者全員が耳目を傾けた。デスクからディアナを臨むと彼女の横にはスクリーンがあり、現在のコインブラ周辺宙域から目的地たるサグラード王国首都星アマドーラまでの宇宙地図が表示されている。コインブラとアマドーラは画面上、長さの違った二本の曲線で結ばれていた。

「いいか、私たちはこれから惑星アマドーラに向けて外宇宙航行に入る。通常航路では十日かかる行程だが、お客様が可及的速やかにというご希望なのでこっち、裏航路を使う。」

 ディアナの説明と並行して地図に示された曲線の内、短い方に明滅が起こったと同時にゴンサロが挙手して時間を与えるよう求めてきた。あくまでもオブザーバー待遇のため本来だと彼に口を挟む権利はないのだが真っ先に挙げてきた手を邪険に扱っても後々の禍根となるのを危惧したディアナは一呼吸置き、嫌な顔は胸中に留めて彼の希望を叶えた。

「裏航路と言うのは、なんなんじゃ?」

「裏航路ってのは文字通り、『裏』さ。通常航路には記載されていない、海賊御用達の知られていない航路だね。こいつを使えば十日を一週間には短縮できる。そっちのご希望に大きく沿えると思うけど、どうだい?」

 画面で明滅を繰り返している曲線こそが裏航路というわけである。地図上でも両者を測れば表より裏航路のほうがかなり短く相対的に直線に近いのが確認できる。彼女の言質と共に地図を理解するために数秒の沈黙を伴う思考の後、裏という単語に必要以上の警戒感を感じた老人が再度尋ねた。

「危険はないのじゃろうな?お主達には確かにできる限り早く都に連れて行ってもらわねばならぬが、だからと言って殿下の安全を蔑ろにせよと言っておるわけではないでな。」

「危険か・・・ふふっ、さてどうだろうね。」

「それでは許可できんのう、殿下を不要の危険に遭わせるわけにはいかん。」

「じゃあ逆に聞くが、万人が知っている通常航路を行けば安全なのかい?見えない敵が怖いのは私達よりあんた方だと思うんだけどね。」

 ゴンサロは返答に窮した。誰もが知る航路は一般的には最も安全ではあるが、何者かに狙われてると潜在していた疑念が確信へと顕在化した今は通常航路なら裏航路と比較しても安全といい切る自信も計算もあり得ない。


 しかしディアナの説明は意図的に重要な部分が抜け落ちていた。人類が宇宙の版図を拡大し、王国という国家まで立てる程に開拓の手を入れるようになって尚、公に開拓されていない航路など何か曰くがあって然るべきである。航路が開通してまだ間もない、大手企業や国家権力者の私道として絶対的に知名度が不足している等の特別な理由つけのできる道もあるが、今回の場合はサラザール一家という一介の海賊が知っており利用の選択肢があるという事は知名度不足の線は薄い。

 鬼が出るか蛇が出るか、口しか出さない者に詳細は話さないに限る。それでなくてもディアナはゴンサロに発言こそ許せど彼の意見に聞く耳など持ち合わせてはいないし必要にすら思っていなかった。


「爺、ここは宇宙で彼らは専門家だ。宇宙の何たるかも知らぬ我々が余計な差し出口を挟むものではないと思う。」

 エンリケの言はゴンサロの吃驚によって迎えられた。王子のためとは言え年の功に申し分ない自分が分を弁えず口喧しい姿を晒していたと言うのに肝心の王子がどんと腰を据えて来るなら来いとばかりの座り心地を示す様子に王子の成長を見た心の揺らめきであった。

「殿下、爺の知らない間にまたご立派になられて、おろろろろろろ。」

「泣くな爺、余も日毎夜毎に我が身を鍛えておる。男子一晩会わざれば刮目すべし、とも言うではないか。」

「ますますご立派で、おろろ、おおおおおおおっ。」

 正確には三日会っていない男子だが、ゴンサロは訂正どころか指摘にも気を回せず仕える主人の成長への感動により一層震えていた。周囲にもこれはエンリケの株を買う機会と思えた。ただ実はまるで理解の及ばない話故に下手なことを口走ってぼろを出すくらいならば分かっている者に任せるが吉との子供ながらに安っぽい計算結果であるとはとても言えない雰囲気で、率先して発語する気も微塵も出ないでいた。

「では話を続ける。裏航路を使って一週間でアマドーラに到着、この方針でいいな、お頭。」

「ああ、俺はかまわない、問題なんてないだろ、ディアナ?」

 突き出した右の上腕を左手で包んで、彼女の腕を信じるとルシオは示した。

「当然だ。」

 ルシオに答えるディアナの答えも簡潔ながら自信に満ちた声で、彼の期待に十分答える気持ちに溢れていた。メインスタッフは全員がディアナの腕を信頼しているので不安もなく彼女に応じた。ただ一人少々青ざめたような顔をして、オブザーバーの手前で不安を漏らすも能わず黙って席に腰掛けていたただ一人臆病風を持つ男は彼女のことを信頼しつつも朧気な何かに怯えていた。

「じゃあ決まりっ。じゃあみんなよろしく・・・」

 ルシオがブリーフィングの終了を告げる最中に今まで地図が表示されていたスクリーンにウインドウがこじ開けられた。窓枠の中には今ブリッジを任せている部下の一人が出現し、ブリッジからのTV通話であることを物語っている。。

「お頭、取り込み中の所を失礼しやす。」

「ん・・・構わない、話は終わった。で、なんだ?」

 会議自体は終了したところだが、自らの発言の腰を折られたのには軽く忸怩を覚えるルシオであった。

「へい、グラナドス一家という連中が通信を求めてきていやす。あっしには覚えのない奴らなんでお頭の指示を仰ぎたく。」

「グラナドス・・・名前だけは聞いたことがある。父さんの代の頃にたまに顔を合わせた程度の同業者ってところだった、かな?」

 ルシオは記憶層の箱を底から叩いて当該の固有名詞に関する情報を引き出そうとしたが徒労に終わった。父の代でドゥアルテと挨拶した程度という情報までは引き出せたが自分はとなるとまともに顔も見たことがない海賊まで事細かに理解できるほどルシオの大脳も暇の上に胡座をかいている訳ではなかった。会議室中にいる面々を見渡して助力を仰いだが、一人として首を縦に振られる者はいなかった。

「どうしやしょう?」

 スクリーンを通しても困惑を隠さないのが分かる部下が気まずそうに再度ルシオに尋ねてきた。彼はただただ事象を伝えているだけに過ぎないのでまずくなる必要性は無かったのだが。

「とにかくブリッジで受けるから暫く保留しておいてくれ。」

「了解しやした。」

「じゃあ、みんなはブリッジに帰って。それから王子様とゴンサロさん。」

「うむ。」

 不穏とまでは行かないが不審の芽は出てきた話に子供ながら体の大きさに収まりきらない冒険心に火を灯された感覚のエンリケは瞳も灯ったように輝かせていた。

「二人は部屋に戻っていて下さい。」

 『みんな』の中に含まれず、舞台の続きに立てないと宣告されたエンリケは反問せざるを得ない心境に立たされた。

「何故だ、余にも立ち会わせろ。」

「もう・・・あのねえ。王子様は狙われてる身なんだよ。そんな子をどこの馬の骨とも知らない賊の前に出せるわけないでしょう。」

 未だに自分の置かれた身に及ぶ危険性の把握が欠如しているエンリケにルシオは先生、むしろ保育士の様に切々と聞かせた、がエンリケは自身の立場を理解する以前に彼の子供扱いに対してまた逆鱗が過敏な反応を示した。

「また申したな、また余のことを子供と愚弄するか、直れ下郎!」

「うるっさいなあ、ていっ。」

 扱い方をそろそろ熟知してきたルシオはエンリケの頭上に手刀をお見舞いした。

「痛っ、ゴンサロすら余には手を上げんというのに余を上から叩くとは何事だ!」

 してやったり、抜刀の動作を忘れて頭部を庇う仕草を見せるエンリケは言葉とは裏腹に半べその更に半分といった顔を見せてルシオを睨むに留まった。

「殴られもしないでここまで来たのか、ホントーにお子ちゃまだなあ。いい?宇宙じゃ殴るくらいじゃ済まされない事なんてごまんとあるのよ、いやあるんだぞ。宇宙船や宇宙服に針の穴が開いただけでも駄目だし、スイッチ一つ間違えるだけで放射線を浴びて宇宙船がみんなの棺桶になる事だってあるんだから。宇宙船に乗った以上、みんな運命共同体なの、勝手なことはしちゃいけません。」

 いよいよ保育士らしく、宇宙に出るためのイロハのイから優しく、教鞭を執る側としては優しい気持ちで幼い生徒に接しようとして言葉遣いに正体というぼろが出かける。

「ぐう、わ・・・分かった。ここは部屋で大人しくしておこう。」

 エンリケもなんとかルシオの言を己の心によく言い聞かせることで我儘という魔人を宥めることに成功した。舞台の中心に立っていたいという少年の心情は、自らの勝手で国民、この場合は他人を含む周囲を窮地に追いやるなど許されないという王子の使命に勝らなかった。

「よろしい。よし、みんなブリッジに集合。」

 ゴンサロに伴われ、すごすごと充てがわれていた部屋へと退出するエンリケは逆方向に駆けていくルシオ達の背中を向ける姿に恨み言と羨慕の情を募らせた。王が陣頭に立つは兵の士気を鼓舞する何よりの特効薬ではあるが、彼にそれが見合うには場所と状況が悪すぎ、また時がかなり早すぎた。

 一方、ブリッジに戻ってきたルシオ達は留守番n部下達を下がらせて各自が自席へと着き、通信を前方の大窓脇にあるスクリーンに切り替え、全員が確認できるようにした。現れたのは荒くれと強面を混合した、ファビオと同系列で多少彼を若返らせたというイメージでいかにも海賊といった面持ちであった。

「よう、坊っちゃん。」

「坊っちゃん?」

 初対面の筈だが、馴れ馴れしさに溢れる挨拶がルシオを戸惑わせた。相手の顔を見たところで古株のファビオでさえ誰なのか判別できないでおり、ブリッジの空気に疑問符が広がる。

「ああ、坊っちゃんさ。お忘れかい?と言っても覚えてもいねえんだろうけどさあ、俺はグラナドス一家のベニグドってもんだ。以後よろしくお見知りおきを、ってな。」

「はあ・・・」

「なんだいなんだい、坊っちゃん連れねえ返事だな。やっぱり俺のこと覚えてねえんだな。」

 覚えていないも何も、記憶にまるでないのだ。初対面であろうという認識のルシオは返答に窮した。返答のない向こう側をよそにベニグドと名乗る男は一方的に更に続ける。

「そうだよなあ。俺が坊っちゃんの父上、ドゥアルテのとっつあんに良くしてもらっていたのは坊っちゃんがまだこーんな頃だからなあ。」

 ベニグドは人差し指と親指の間に間隔を取ってルシオの幼少期を比喩した。さすがに十センチ足らずの頃などは胎内の人であり外界の人間と出会えているはずがない。面白くもないジョークにルシオ側からはやはり一切反応がなかった。

「ルシオ坊っちゃんの世話もしたんだぜ、いつも高い高いしてあげたり、もよおしたらトイレ連れてってあげたりよお。」

「ふうん。」

 ルシオの眉が微妙に動いたことにベニグドが気づかなかったのは通信の解像度のせいではなかった。自分の弁に自分が没頭していることこそ原因であった。

「ああ、で俺が服脱がせて抱えてやったら先っちょからチョロチョロ出してたんだよ、今となっちゃあいい思い出だよな~。」

「へえ・・・ここにいるのはみんな俺の腹心だ。本当のことを言っていいんだぞ。」

「本当のことも何も、今言ったことがみんな本当さ。まあ短い付き合いだったから親父さんすら俺のことを覚えていてくれるかは怪しいけどな。」

「そうか・・・で、何の用だ?」

「おお、そうなんだ、そうなんだ。俺達グラナドス一家もその船のお客様の護衛を仰せつかってよ。そんでココまで馳せ参じたって次第ってわけよ。」

 話が進められたことに気を良くしたらしいベニグドは挨拶からやっと本題に入る。

「へえ、その依頼は誰からだ。」

「そりゃあ坊っちゃん、アンタに依頼してきたあのお方からだぜ。」

 ルシオはもう眉一つ動かさず口だけを動かしてみせていた。対して自分の口にどんどん酔いしれていくベニグドは本題を更に続けてくる。

「ついては坊っちゃん、俺達も筋は立てておきてえからよ、お客人にご挨拶がてら今からそっちに乗り込ませてくれねえか。」

 ルシオは瞬間で考え、返答する。

「ははっ、お誂え向きだな。丁重にお迎えするよ、なあトマス。」

「ん?ああ、そうか、そうだよな。へへっ、歓迎の準備させてもらうぜ。」

 心当たりのあったトマスはルシオの考えを一から十まで理解したように眼前にて動きを止めていた同業者に向かって返事を打った。

「ありがてえ、んじゃ接舷すっから準備よろしくな。」

 通信はここで切られた。ルシオは相手に声が届かなくなった時点で速やかに指示を飛ばす。

「聞いてのとおりだ、団体さんがお出ましになるぞ。歓迎の準備だ。トマス、頼むぞ。」

「アイアイサー、任しとけって。」

 元気よく返答したトマスは目を輝かせながら船内図を自席のスクリーンに開いて手早く何らかの処理をてきぱき行っていった。

 自分の言い分を全面的に信じ込ませたと思い込んだベニグドは己の愛船のハッチの先まで既に足を向かわせ、今か今かと手ぐすね引いて両船のランデブーを待ち焦がれていた。彼の思いとは裏腹に現実時間はゆったりと流れ、しかもやたらと緩慢な作業でそれぞれのハッチが結合されるまでに実時間でもゆっくりした時間が流れる。ベニグドは短気で粗野という性格で実に海賊に相応しかった。両船が結合して重力、気圧を同一にセッティングする時間すら待ちきれず、何度かハッチを蹴り込んで周りの部下に制止される始末である。

 そしてようやくハッチ上部にあるランプの発光が赤から緑へと変化した。これが両船間の環境が同一になったという印である。ついにベニグドの待ちわびた瞬間がやって来た。

「待ちわびたぜ、行くぜ野郎共!」

「おおーうっ!」

 ベニグドの周囲にいる、頭目にも負けず劣らずの粗野を売りにする部下達が一斉に鬨の声を上げた。ハッチを開放した途端にディア=フェリース内へと数十人の海賊たちが雪崩込んできた。

「相手から賊が侵入、数約五十。」

「五十人か、俺達も甘く見られたものだ。」

「ああ、これなら別に俺一人でも充分だったぜ。」

「先も長いんだから無駄な事はしないに越したことはないって。なんせファビオ年なんだから。」

「だっはっは、お頭から見りゃ殆どの海賊は年だぜ。」

「相対的じゃなく絶対的で言ったつもりなんだけどなあ・・・ところでファビオ、なんか臭わない?」

「そうか?俺は何も臭わないぞ。」

「アンタの体臭だ、また体洗ってないんだろ。」

 ルシオとファビオ、ディアナはブリッジを離れ船内のとある通路上で、耳に付けた無線機でブリッジから船内状況を掌の上を見るかのように全て理解しているトマスの報告を聞いていた。

 招かれざる客達はディア=フェリース側のハッチを突破して船内に乱入していた。狂犬のようなぎらぎらした目付きで初見の船内を見渡してはこぞって何かを探す素振りを見せる。

「いいか、狙いは一つだ。豪勢な服を着た子供だってんだから見間違う筈もねえ。他の奴らはどうしたって構いやしねえ。」

「合点でぇ!」

 ベニグドを先頭に賊の大群が船内を蹂躙、の筈だったが乗り込んでからというもの、分岐もなければ壁にドアの一つも見つけられない、与えられたレールの上を走るだけのように一本道の通路を左右に、時には上下にただただ走り続けさせられた。既にこの時彼らは籠の中の鳥だったのだが、目標を目の前にしていた強欲共のなせる業なのかこの集団は揃いも揃って自らの置かれた状態を冷静に分析する能力に欠けていた。

 何度目かの階段を駆け上がり、幾度かの階段を飛び降り、数度に渡って角を曲がることおよそ十数分。全員の息の上がりようもいよいよ頂点を極めようかという頃、ようやく視界に変化が訪れた。無機質の塊の壁、床、天井を律するかのように通路のど真ん中でルシオがファビオとディアナを左右に従えて仁王立ちしている姿を発見したのだ。ベニグドは慌てて全体に停止を促す。

「よう、ベニグドとやら。」

「おうおう坊っちゃん、はじめまして。」

 出会い頭の挨拶で先刻の通信が詭弁であることを自白したベニグドに不覚の表情はなかった。少なくとも襲って来た側としてはもはや舌の働きを用いる場面は終わっていたのだ。

「やっぱり顔も合わせてなかったんだな。」

「ったり前だ。俺はドゥアルテにさんざっぱら恥をかかされた方だっての。息子のお前なんてまともに顔も知らねえ、けどお前もアイツの息子ってだけで同罪だ。」

「やれやれ、何処のヤバい奴だよアンタ。いくらなんでも父さんへの恨み言まで背負い込む気なんてさらさらないのに。どうせ父さんがアンタの狙ってた船を先に頂いて、空っぽになった船に入ったところでやって来た連邦警察に父さんの罪まで引っ被って捕まった、って感じじゃないの?」

「じゃ、じゃかあしい!見てきたように言うんじゃねえバカヤロウ!」

 ベニグドは顔をこれでもかというくらいに紅潮してルシオの弁に返答を送った。

「ありゃ、もしかして超図星?うっわ、すっげえ逆恨みもいいとこじゃん。カッコ悪。」

 親子ほども下の青二才に見えるルシオに侮辱の上に侮辱を積み重ねられ、ベニグドの細すぎる堪忍袋の尾は音を立ててはち切れた。

「もう許さねえ!野郎共、まずこいつらからやっちまえ。家探しはそれからだ。」

「お・・・おおっ!」

 親分の闇の歴史を初めて聞いたらしい部下達はベニグドへの不信感を軽く抱きつつも、この場でそこを論じてどうなるものではないと、全員が親分と共に立ちはだかる三人へと刃を尖らせて突進した。

 瞬間、彼らの刃が三人を捉える遥か以前にベニグドのすぐ後方で大きな音と直後に叫び声が沸いた。振り返ると後方にいた部下の顔が見え、自分のすぐ後ろにいた筈の部下の顔が見当たらない。しかも今見えていた後方の部下も次々に視界から消えていくではないか。消えていった部下達はそれぞれに脳が急激に降下する感覚に襲われ視界が暗転した。次の瞬間、硬質の床に激突する感触に見舞われ、更に上から折り重なる物体に衝撃を受けた。落とし穴だった。最初に落ちた者の上に、前進を止められずに次々と穴へと吸い込まれた後方の連中が折り重なっていく。

「こ、この野郎、なんて姑息な手を使いやがんだ。」

「姑息なのはどっちだよ、人を舌先三寸で騙して土足で上がり込もうとしたくせに。」

「う、五月蝿え、五月蝿え!こうなったら俺達だけでやってやるさ!」

「やれるもんなら・・・やってみろって。」

 ベニグドが通信と同じく口だけを動かしている間にルシオは跳躍を利かせてベニグドの懐に潜り込み、土手っ腹めがけて持っていた銃のホルスターを勢い良くめり込ませた。たまらず頭を下げたところで隙だらけの後頭部へとディアナの肘が入れられる。強力な打撃を食らったベニグドは白目をむいてその場に崩れ落ちた。その間にもルシオは次の相手に蹴りを入れ、ディアナもファビオも本能の赴くままに一方的な乱闘劇を演じる。落とし穴の脅威を越えられた十人足らずはたった三人の前に総崩れとなり全員が気絶させられるという失態を演じた。落とし穴も床が閉じられ、蓋が閉まったところで穴の中に無力化ガスが吹き込まれ、詰め込まれていた下っ端達も為す術なく自由を奪われた。ここに不届きな客人五十人がまとめて片付けられたのだ。


 ベニグド一行が次に目覚めた時、既に彼らはひとつなぎにロープで捕縛され虜囚の辱めを受けていた。

「儂にもこんな奴らに覚えはないのう。」

「そうですか、ありがとうございますゴンサロさん。」

 襲ってきた海賊たちの面通しをゴンサロに頼んだが、成果はまるで得られなかった。やはりサラザール一家への怨恨で襲ってきたのかとの認識が一同を襲う。既に彼らの海賊船もベニグドが捕らえられたと知ってサラザール一家の手に落ち動力を止め、メインコンピュータも停止させられ狸の置物と化して全員の生殺与奪の権利は一粒残さずルシオ達の手の中にあった。ベニグドは腕っ節より舌鋒に自信があるかのように手足の自由を奪われて尚、相変わらず滑舌だけは活発に目の前にいるルシオ達に向かって暴言を浴びせつけてきた。

「卑怯者!親父が親父なら息子も息子だ、なんてえ卑劣漢だ。とっとと地獄に落ちやがれ。」

「はいはい、負け犬の遠吠え遠吠え。」

 勝者を惨めに罵る敗者という美的感覚を損ねるだけのベニグドにはもはや振りかざしたくなる拳の持ち合わせもなくなっていたルシオはこのまま宇宙空間へと放り出したい気持ちであったが、まだ彼らには被尋問者という役目が残っているので断念した。役目がなければ本気で実行していたかどうかは計り知れない。

「さあて、誰の差し金で俺達を狙ったのか、吐いてもらおうか。」

 落とし穴だのガスだのという危なっかしいからくりを裏で繰り出していた、影の功労者とでも言うべきトマスが尋問を引き受けていた。まだ何やら試したい衝動に駆られているらしく、彼が進んで尋問者に挙手した時に反対する者はいなかった。

「けっ、口が裂けても言うかい。」

「あっ、そうですか。どうなっても知らないぜ、っと。」

 トマスがちょいと指元を操作すると賊全員に電流が流れた。彼らを一つに繋いでいたロープに電流が流れる細工が施してあったのだ。船の内部一切を仕切る機械マニアのトマスにとってこのような小道具など朝飯前であった。

「おおっ、想定通りの結果じゃねえか、さっすが俺。どうだい、トマスちゃんお手製の電流ロープのお味は。」

「けっ、粋がってんじゃねえ!こちとら痩せても枯れても海賊だ。こんな子供だましにやられてたまるかってんだ。」

「おやおや、まだ躾が足りないようだな。おいたをする子は許しませんぜ、」

「ま、待て待て待て待て待て待て待てっ。」

 ベニグドは必死でトマスの指を止めることに夢中となった。彼は痩せきって枯れきった最下層の海賊たる道を選択する。

「実は俺も依頼主は知らねえんだ、ただ合成音声だけの通信で、お前達を襲って乗せてるガキを奪って来いって言われた、ってそれだけだ。嘘じゃねえ。信じろ。いや信じてくれ。」

「そんな漠然とした話で海賊一つが動くわけねえだろ。」

「嘘じゃねえっての!一緒に大金まで振り込まれてちゃあ動かないわけにもいかねえって、調べてみろ。」

 トマスが言われた通りに銀行口座を調べてみると、数日前、確かにこの賊の口座に多額の振込を発見できた。動かぬ証拠としては十二分の価値に値する。

「嘘じゃないってことか。」

 一同は危惧した。王子を狙う何者かは狙撃手や海賊も手駒にするリアリストであるばかりか、偶然かも知れないがサラザール一家に恨みを持つ人物を選択している念の入れようと情報力。厄介な相手であることに間違いはなかった。この先公ではない航路を使おうが敵の魔の手というやつを上手く掻い潜る行動に困難さが付き纏うのは容易に想定できた。

「だから言ってるだろ。俺だって、こんな金でも貰ってなきゃドゥアルテの野郎の海賊なんかに関わるわけねえんだよ。全く金に目が眩んじまったとは言え、お陰でとんだ目に遭ったぜ。この恨みは親子まとめていつか晴らしてやるからな、覚えてやがれ。」

「あっそう・・・トマス、それ貸してくれ。」

 貸しても何も、誰の了承を得る前にルシオはトマスの掌中にあった電流スイッチを半ば分捕るようにして即座にスイッチを入れた。学習能力なくまた体中で電流を頬張るベニグドが言葉にならない声で多分スイッチを切るように切実に叫んでいた。その願いは先程の電流より長時間の咀嚼を味わわされてようやく叶えられたのだ。

「わ・・・分かった、分かった。もうアンタらには関わらねえ。本気で骨身に染みた。」

「ホ、ホントですぜ親分。、この際言わせてもらいやすが、その軽口でとばっちり食らってる俺達の身にもなって下さいよ。」

 何も語ってもいないのにただ電流のご相伴に預かるだけだった部下が生きている証の如くついに口を開いた。

「知るかっ!だいたい腑抜けた部下揃いの俺が一番損なんだよ。悔しかったらもっと役に立ってみせやがれ、この無駄飯ぐらいが。」

「んだとコラァ!黙って聞いてりゃ親分だからってデカい口叩きやがって。お前なんかについてきた俺が間違ってたぜ。」

「そうだそうだ!親分風いつまでも吹かせてんじゃねえぞ。」

 一人の導火線に火が着いてしまうと最早止め処がなかった。見境なくそれぞれを罵り合う親分と手下共という一対多数の構図。昨日までは仲良く今日の仕事が終われば後の宴で共に盃を交わそうと思い合っていたであろう彼らの信頼関係は脆くも崩れ去った。そこに再びルシオの手で電流が入れられる。見ている方が嫌気を誘われる、畜生でも食わない下衆の争いが彼の美意識に受け入れられなかった。

「はいはい、内輪もめは他所でやったやった。」

「んじゃ、俺達を解放してくれよ。もう関わらねえって言っただろ。」

「ああ、いいよ。」

「本当か?」

 ルシオの言葉に畜生にも見下げ果てられるようになった集団は希望の光を見た。だがそのような輝きはまやかしでしかなかったことを彼らはすぐに悟る。

「ああ、貰うもの貰ったらお前たちに用はないからな。」

「貰うもの?」

「決まってるだろ、俺達も海賊だぞ。」

 にやりと虜囚達を不敵に見下す笑みを浮かべたルシオは部下を呼び付け耳打ちする。すると部下達は急ぎ足で部屋を出ていった。

「な、何をするつもりだ?」

「さあ、何でしょうねぇ、ふふふっ。」

 ルシオの笑みの意味は辛辣を極めていた。敵船に残っていた賊を残らず脱出用シャトルに詰め込み、自動操縦でロックして船から撃ち出した。それらは数日もすればコインブラの衛星軌道に到達して停止するようにしてあるので惑星管制官がすぐに発見するであろう。勿論見付かれば彼等は全員指名手配の海賊であるのだからそのまま刑務所行きである。更にもぬけの殻になった船からは金目の物、武器弾薬に水、食料。ディア=フェリースの空きスペースに詰め込めるだけ持ち去り、口座に入っていた出所不明の大金も全てサラザール一家の隠し口座へと振替えてしまった。これでグラナドス一家は文字通りの無一文である。どだい尋問での醜態を部下が吹けばよしんば逃げおおせたところでベニグドの元に戻る部下など知れている。この一家の命脈は尽きていた。

「お、お前、鬼かっ!?」

「鬼?海賊として当然のお仕事じゃん。実に職務に忠実に精励してる立派な海賊だなって褒めてくれてもいいと思うんだけどなぁ。」

 ここまでの雑草一本残さぬ草刈り具合を聞かされたベニグドは多く狼狽した。今自分に残されたのは空の母船だけである。しかし残った一本の希望すらベニグドには許されなかった。最後のシャトルにディア=フェリース内で捕らえた五十人を押し込んで同じくコインブラに向けて打ち出した後、十分に距離を取った敵船目掛けてディア=フェリースの照準が動いた。

「主砲展開。目標、敵海賊船。」

「よっしゃあ、主砲展開するぜ。奴さん目ン玉飛び出やがるぜぇ。」

 ルシオの命令でファビオが自席の端末を操作する。美しい流線型を描いていたディア=フェリースの外壁の一部が開き、内部からこの船自慢の二連装ショックカノン砲が姿を現す。

「主砲エネルギー充填完了。いつでも行けるぜ、ファビオ。」

「おおうっ、照準よし。行くぜ、主砲・・・発射ぁ!」

 トマスからのエネルギー充填完了を聞いたファビオは三時のおやつを出された子供のように待ちわびた悦びを乗せて発射のボタンを押した。間髪入れず主砲から大出力のエネルギーが放たれ、二本の光条が敵船目掛け伸びていく。

「やめろ、やめてくれえ!俺の船があっ!」

 縛られたままにシャトルに乗せられ、窓の外を見る自由だけを許可されていたベニグドは、離れゆくシャトルの中から船の最期を特等席で見物できた、但し拒否感を伴うステージを見せつけられるという最悪の立場として。

 一方で、ディア=フェリースのブリッジにもまた特等席で花火大会を見物できた人物が二人いた。エンリケとゴンサロである。いずれ国王直属の大軍の頂点に立つ身となる予定のエンリケは砲撃が行われると聞いた時にたっての願いとして戦闘(というと陳腐ではあるが)というものを目に焼き付けたいとルシオに頼んだのだ。王子がやがて王となるに、経験は積ませる必要があるとゴンサロも自らが立会っての上でということで彼に倣って願い出ており、ルシオとしては快諾して艦長席の横手に二人の席を喜んで用意した。

 漆黒の宇宙にまばゆい爆発が起こり、輝く前までは確かにそこにあった海賊船が四散した数多の破片と化して星々の間に漂っているかのような状態に遷移した。

 人こそ乗ってはいない空の船ながら、今まで人の手により船の形に、しかも長年使われてきたであろう人工物が一発、そして一瞬で廃棄物の山に変化した様はエンリケの心に少なからぬ衝撃を与えた。この時打ち震えた心が未来の王に良き影響を与えんと、微細な動きも示さず虚空の外を眺め続けるエンリケの肩に優しく手を置くルシオだった。

「すまぬ。」

 ぽつりと一言だけ言い、エンリケは年長者の慈しみを受け入れた。素直になれるんじゃないか、ルシオはそう思った。

「よっしゃあ、これでケリついたぜ。なあ、お頭。」

「ホント、ホント。いやー、スッキリした。」

 神妙な面持ちでいたルシオがファビオの溜飲を下げた発言でころりと転換して普段の海賊風に戻っていた。一瞬エンリケの心を過ぎった彼への感情は正体を考察する前に掻き消される。

「しかしルシオ、ここまでやってよかったのか?」

 遠慮なく相手の骨までしゃぶり尽くす行為に不要な怨恨まで抱かれかねないと危惧したカミロは、そっとルシオに自制を促してみた。

「いいんだよ。相手に余力を残せばいつまた襲ってくるか分かったもんじゃない。」

「だけどここまでやったんだ。更に力を付けて恨みをぶつけに来られたらどうする?」

「その頃は俺達ももっと強くなってるって、見事返り討ちにしてやるさ。」

 ルシオは右腕でガッツポーズを作り左手をそこの上腕に添え、笑ってみせた。男装だが中身を知ってるカミロにはルシオの姿に可憐さを見る。

 この姿を間近で見たエンリケにはまた不思議な気持ちが起こった。年上に対する憧憬の感情であったが彼には再び湧いた感情の正体が未だ掴めずにいた、尊敬ではなく己もかくありたい、あるべしと願うような憧れの対象としての人物には辺境の一惑星で人生を送ってきたために全く恵まれていなかったエンリケ自身には感情の整理が付けられなかったのだ。ただ、好意的感情という認識は持ち得たので彼に何らかの謝意を伝えたい気に駆られた。

「あ、ああ。頼りにしてるぞお頭さん。」

「どうぞお頼りあれ、怖がりのカミロ君。」

「あー、ひっでぇなあー。」

 ブリッジが軽い笑いに包まれた。この従兄弟同士は実にここの海賊の気風に合ういい仲であった、家中でも最年少の頭目と副長に皆が一家の明るい未来を感じるのは一度や二度ではない。明るい雰囲気でディア=フェリースは通常航路を離れ、何が待ち受けるかもわからない裏航路へと針路を取るのであった。


「そうですか、やっぱり襲われましたか。」

 やはり守秘回線を使用して襲撃の件をジョアンに連絡するルシオ一人の姿が艦長室にあった、表情には陽気が親友である海賊には似つかわしくない真剣さが表に出ている。家族というべき一家の一人一人の命にも関わるのだ、真剣にならざるをえない。カミロはたまたまエンリケの部屋に他愛もない用件で呼び出されていたが、嫌な話は早く済ませたい心情と一人でも充分という自己顕示性が先んじた結果一対一の話し合いに臨んでいた。

「ああ、いつになくアンタが妙に気前はいいし、俺達を動かそうとあれこれ必死だったからこの位は覚悟してたつもりだけど、敵はやけに事情に詳しい奴かもしれない。」

 都合よく自分達がエンリケを連れて出た時を見計らった準備のいい狙撃、自身に恨みを持つ海賊を使った襲撃、それぞれをジョアンに具に報告した。警察なんだから敵の正体くらい掴んでみせろという無言の圧力を熨斗としているのは言うまでもない。

「凡そは分かりました。その件はこちらで調べてみましょう。例の大金の出処でも掴めれば連邦警察も動けるかもしれません。なにせ今の事実では海賊同士のイザコザで済まされますからね。連邦警察が内ゲバで動くわけには参りません。」

「内ゲバって・・こっちは実際に襲われてんだぞ。」

「客観的事実は海賊が海賊に襲われたというまでですからねえ~。警察は海賊を取り締まる側であって保護する立場ではありませんよ。」

 今更のように常識論を振りかざすジョアンにはルシオはいい顔をしなかった。

「お互いのただれた関係を精算しようってのかい?」

「まさかぁ。これからもお互い持ちつ持たれつ、ギブアンドテイクの良好な関係は続けたいと思ってますよ。ええ、心から。」

 屈託のない笑顔を一つも曇らせずにいけしゃあしゃあとものを言うジョアン。ルシオならずとも彼の真意は掴み所がない。

「とにかく、俺は一家を守るために全力を尽くす。そのために王子一行が邪魔になればいつでも、分かるよな。」

「まぁたご冗談を。」

「冗談に思うか?」

「ええ・・・とっても。」

 ジョアンの薄い目が微妙に見開いた。ルシオは最悪の場合は王子の放逐もやむを得ない処置とは考えていたがジョアンにはルシオがそこまでするとは思っていない確信でもあるというのだろうか、まるで焦りの色を表さないでいた。

「まあ、そんな機会は来ないでもらいたいってのが本音だからな。」

「こちらとしても、至極穏便に事を済ませたいのは同じですので。力の及ぶ限りは協力させてもらいますよ。」

「主従がおかしくないか?元々こっちが協力している立場じゃないか。」

 苛立ってはいけない、苛立てばジョアンのペースに乗せられる。カミロがいれば首を横に振って自制を促すのだが。だからルシオはここだとばかりに自制心を全力で出し切っている。

「あら、そうでしたっけ。」

 雲を掴ませるようなジョアンの飄々とした物言いも極まった。ルシオは俯いて黙りこく、黙りこくって口から放り出そうな罵詈雑言を飲み込もうと努力した。努力の上に努力を詰んだ結果、彼は勝った。

「そうだ。だからもうちょっと主体的に働いてもらわないとこっちが困る。」

 ルシオの踏ん張った姿に思惑は外されたが、面白いものを見せてもらったかのように満悦に近い顔になったジョアンにはせめてもの代金とばかりに肯定の返事を送った。

「分かりました。大至急調べちゃいましょう。資金の流れなんてお安い御用です。それじゃ。」

「ああ・・・あばよ。」

 通信を切断したと同時にルリオはデスクの上に置いてあったボールサイズのクッションを壁へと思いっきり投げつけた。これなら被害は最小限だろうとカミロが腐心して提案した物体だったのだが、これが予想以上に役割を果たしている。

「本っ当に腹立つ奴ねーっ!」

 誰もいない艦長室にルシアとしての大声が響いた。


 人類が人である以上、絶対に欠かせない物の一つに水がある。地球の海を渡る者にとっても、宇宙の海を駆ける者にとっても水の重要性は同義である。技術の発達により循環濾過システムも多いなる発展を遂げはしたが、精神衛生上の問題として体を洗った水を循環させて米を炊いたり飲料として再利用するには抵抗がある者とない者があった。サラザール一家の中でもそれは凡そ二分されており、水資源の節約術には腐心せねばならなかった。

「はい、事後処理も終了終了。」

 艦長室での疲労感を伴う通話を終えて、ブリッジへと舞い戻るルシオ。カミロもこちらに戻ってきており、エンリケも同伴して少々学問の師弟を演じていた。こと教科書上の話は彼が知識も教育能力も飛び抜けているので適材であった。ルシオが顔を出した時には高等数学の話題でもちきりであった。若干十歳の少年が高等教育に理解を示すとは恐れ入るのが普通なのだが、惜しむらくはカミロ以外には内容の高等さを理解できるだけの知識が不足していたので大きな話題とはなり得なかった事である。

「お頭、お疲れー。ジョアンの野郎は相変わらずだったみたいだな。」

「どうしてトマスに分かるんだよ。」

「お頭はすぐ顔に出るんだよなー、分かりやすすぎんのさ。」

 トマスに言われ、はっとして懐から取り出したコンパクトミラーで顔を覗き見る。鏡の中にも、いつもの自分の顔にしか見えないルシオがいた。荒れる姿を見せたと思えば鏡などを忍ばせている繊細な一面も覗かせるのは、その場にいた客人の少年には奇妙に捉えられている。

「あれー。」

 いつもの偽りの自分の姿の中に違和感を見つけ出し素っ頓狂な声を上げたルシオに全員が振り返った。

「汗だくじゃないか。そうだよさっきひと暴れしてからあれやこれやでお風呂にも入ってないんだった。」

「おいおい、そんな事で変な声上げるなよ。」

「そんな事って失礼だなー。俺にとっては重要だよ。」

「はいはい、んじゃお頭用に一風呂沸かさせますよって。」

 トマスが船務の担当者に連絡する。風呂などは水資源節約の最たる対象であり、ディア=フェリースには大浴場が一箇所設置されている以外はたとえ艦長室にさえシャワーの一本も存在していなかった。個々人でシャワーや風呂を使用するより遥かに節約が可能ではあるが、お湯を張るのも戦闘の後、前回張った時より三日の間を開けるという制約まで付けられている。その間はシャワーなり入浴しないは自由であったが、ルシオの前に出る機会がある乗員は一日一回体を洗うのが暗黙のルールであった。ルシオは微小な潔癖の気があるようで特に男の体臭などには敏感で、不潔を詰られた部下は両手で足りなかった。

 他人を詰るならば、当然のようにルシオも不潔とは縁遠い存在で、派手に戦闘で汗を散らかした後などはすぐにでも洗い流したくなるのだ。そして今回も彼の要望で浴槽にお湯が張られることとなった。

「お頭、風呂のほうが沸きやした。」

「オッケー、それじゃあ早速入ってくる。」

 艦長席に担当から通信が入った。待ちわびたかのようにルシオは元気いっぱいにブリッジを飛び出して行く。

「お頭のキレイ好きも玄人跣だな。俺なんかには真似できんわ。」

「アンタは少しは真似しな。案外臭ってくるんだぞ。」

「ぐはー、ディアナの鼻はよく聞くのう、ついでに俺の愛情も臭ってくれんか。」

「腐臭がしてくるよ、洗って出直してきな。」

「わっはっは、厳しいもんじゃ。」

 ディアナに口だけでちょっかいを言い寄らせるファビオ。相変わらずすげなくあしらわれて見るも無残であるがファビオは気にかけない。大らかと言えばそれまでだが実際は無頓着と言うべきで、暗黙のルールを破って体を洗う頻度もかなり低いのはルシオもディアナも、本人以上に気になっていた。

 浴場が一箇所であり、男女が乗り合わせている船であるという二点の要因から入浴は男女で時間を分けられている。ルシオの要請でお湯が張られる時はまず大抵女性陣が手の空き次第順次浴していく。そしていの一番に報告が行くのはルシオなので一番風呂もルシオの栄誉となることが殆どであった。

 素が出ることはまままるが、船の中でウィッグを外してルシアへと戻る機会はおよそこの時だけである。浴場の手前に設置されたロッカールームにて、ルシオは帽子と共にウィッグもロッカーに収めてルシアの姿となった。ちなみに綺麗好きな事は周知されているルシアには他と全く同一の作りながら専用ロッカーが用意されている。過保護というよりは彼女ほど潔癖ではない多くの部下達がロッカーに全く別け隔てがなかった頃についつい汚してしまう惨状を発見すると全員に報告と犯人探しを呼びかけて一家のムードに冷水を浴びせる事が一度ならずあったために下からの陳情で専用のそれが用意された次第であった。

 浴場と浴室が広く作られてあるのも相まって開放感が彼女を支配し、船で最も羽根を伸ばせる心地を付いた。隅の方にちゃっかりと自分専用のお気に入りのソープやシャンプーを用意しているのはお気に入りの場所である証でもあった。ご機嫌な彼女はそれを手に取り、まだ誰も先んじていない新しいお湯を汲んで体にひと掛けして体を洗う、特に頭の上には人より厚みのある物を乗せていただけに髪を念入りに洗浄している。この時ばかりは武器も持たず、しかも一枚の下着すら着けていない状態であるからルシアでなくとも誰しも無防備である。なんにしても自分の庭と同様と言える一帯なのだから、ルシアも警戒に心を割くような真似をしていなかった。

 浴場のドアが音を立てて開くようになっているのはせめて人の出入りを知らしめるための最後の警戒網でもあった。その最後の一線に音が生じた。一番風呂であるから誰も出ることはあり得ない、入ってくる誰かがいた事は初頭の算数ですぐに理解できた。

「ディアナー?ちょうど良かった、ちょっと背中流してー。なんだかやってもらいたい気分なの。あたしも交代でするから。」

 女性乗組員の比率が著しく低かったので、入場してきた者を推測して思い込みへと直結させていた。果たして入場してきた者はルシアの読み通りであるかのように彼女の願いを過不足なく叶える行動を取った。

「ありがとう~、あ~気持ちいい~っ。」

 ディアナと決め付けられている遅れてきた入場者の手による行為に恍惚を感じるルシア。だが、後ろの人間が声を上げた時、恍惚の感情は雲散霧消することとなる。

「ルシオ、少し礼が言いたくて参った。」

「なぁに、改まってさあ。ディアナはさあ・・・えっ?」

 ディアナと思い込んでいた者が彼女とまるで違う声であった事実にルシアは慌てた。何者かを確認するために全身で振り返ったが、それはまた自身の全身も曝け出すに他ならない行動となった。

「畏まらんでもよい、余だ。」

「お、王子様っ!?」

 彼女の前に存在していたのは予想を大きく覆した結果たるエンリケであった。

「何を驚く?王族とて人間だ、余が裸の付き合いをしてしんぜようというのだ、光栄にくらい思ってもらいたいな・・・おや?」

 エンリケはエンリケの方で人物を誤認した感覚に陥っていた。彼はただ、人気のなくなった所、つまり入浴を見計らいルシオに湧いた感情を伝えてみようと此処に現れた以上の考えもなかった。のだが、はっとして向き直ってきた人物は、ルシオと思っていたその人物は湯けむりで少々霞がかってはいたがルシオの赤毛とは似ても似つかない美麗な金髪を頭で巻いていた。それどころかエンリケの側に向いたその者の胴には、上部には本来無いものがうっすらあり、下部には本来あるものが無いという、男性とは全く違う身体的特徴を有していた事実を認識するのに数瞬の時間を要した。

「お主、女・・・ルシオなのか?」

 性知識も子供と言えたエンリケは、入浴姿のルシアを眼前に入れても動揺の色は表さなかった反面、ルシオが確かに入って行った浴場に見ず知らずの、声だけはルシオの様な女性が入っていた事実が飲み込めないでいた。

 ルシアはというと、瞬間的にのぼせ上がったかのように顔を真赤に染め上げ、しかも強張らせて小刻みに全身を震わせて関節が半ば塊り、まるで汚物を見るようにエンリケを見据えていた。

「どうした、余の顔に何か付いておるのか?」

 年頃の異性の肢体を目の前にしながらもまるで動じていないのは王族としての浮世離れした感性からなのか、まだ若すぎて覚醒を迎えていない幼児性の賜物なのか、どちらに原因があったにせよルシアには原因の追求より現状の否定が優先課題であった。いくら気にしているくらいに小さいとしても胸は胸である。見られた事実に修正の余地はない。

「・・・バカ。」

 蚊の止まるような声でルシアはエンリケを罵った。罵られた当人にまで届かない程度にか細かったため、彼には罵倒と思われず聞き返してくる。もう再返答すらルシアには苦痛でしかない。

「バカって言ってんのよ!何いけしゃあしゃあと入ってきてるのよ、バカぁーっ!」

 次の返事は百八十度変わって激しい剣幕で怒鳴ってきた。予想していなかった展開にさしものふてぶてしいエンリケも踏み込んだ足を一歩退かざるを得なかった。

「だから余は・・・ルシオに礼をと、」

「うるさい、うるさい、うるさーいっ!」

 彼女の返事は理路整然としたものではなかった。まともな返答を期待した彼に届いたのは手の届く範囲にある全てを投げつけてエンリケの全てを拒絶する反抗であった。

「止めろ、止めんか。余はサグラード王国第三王子、エンリ・・・」

「黙れ、黙れ、黙れっ!いいから出てけーっ!」

 ルシアの反抗は留まる所を知らなかった。王子は着物類を取り出す暇もなく堪らずロッカーを通過した。外の通路に出て振り返ればなおも追ってくるルシアの姿を目に捉え更なる逃走に入った。十秒遅れてエンリケが振り返った位置まで着いたルシアはなんとかバスタオル一枚だけは胴に巻いて本当に最小限の装備で不埒者の後を追い続ける。

「しおらしい所もあるとか思ったけどやっぱりただのバカ王子じゃない、もう許さない。天に代わって成敗するから待ちなさい!」

「待ってたまるか。」

 成敗するとまで言われて素直に立ち止まるほどには現実離れもしていないエンリケは自分を狙う脅威から逃げ続ける選択肢を本能的に取った。だが勝手も分からぬ宇宙船の内部。何処へ逃げるが吉か凶かも分からぬ迷路の中を勘だけを頼りに逃げ惑う。

「ど、どうしたんだ王子様っ?」

「いいから、退くのだっ。」

 素っ裸で逃げ惑うエンリケが迫るのを目撃したのはこれから入浴と浴場に向かっていたディアナだった。エンリケは彼女の疑問になんら解決策を示すことなくその横を疾風のように通過していった。彼の姿を追って振り返ったディアナの後頭部へと呼びかけるようにまた新たな声が聞こえてきた。エンリケが現れた方向から今度はルシアがあられもない姿でディアナの方へと疾駆してきていたのだ。

「ル、ルシア?おい、なんてはしたない格好してるんだ。」

「いいから退いてっ。」

 エンリケと同じく解答になっていない叫び声を上げて彼女もまたディアナの横を駆け抜けた。流石にただ事でなさを感じ取ったディアナは更に二人の後を追った。

「待てったら待て!」

「待てるもんかっ。」

「いやルシア、アンタが待てっての。」

 ルシアは追う立場と追われる立場と、両方に同時に立っていた。彼女の気持ちとしては追う側のみであり、後ろにいるディアナの存在は気にも留めていなかった。また、ディアナとしては彼女が気に留めていようといまいと追うのみである。そしてまたエンリケは追われる側ではあったが追われる動機を認識していなかった。

 エンリケはとにかく浴場まで辿っていた道筋を思い出し、自分の足跡が付いている、付いているはずの道を行きとは全く異なる速度で逆走する。その先にはブリッジが待ち受けるわけであったが、別にそこに辿り着けば状況が改善する見込みがあったわけでもなかった。ただ迫り来る脅威から逃げ延びたいという強い思いだけが彼の足を支えている。

 幸となるかどうか、ブリッジへと続くドア前には話し合いの場を持っているカミロとゴンサロがいた。話の内容や進捗などお構いなしにエンリケは助けを乞うた。

「お、おい、助けてくれ!」

「で、殿下!?おおお、何という格好であらせられるか、爺は父王様になんとお詫びすればよいやら。」

「詫びなら余が入れる、入れるから爺、なんとかしてくれ。」

 我が仕える者の余りにも情けない姿を見て肩を落とすゴンサロであったが、畏敬の対象は彼の鎮痛な心には構う余裕がなかった。王族の威厳などどこ吹く風でゴンサロの後ろに隠れるように潜み縮こまる姿を何事かと考える時間も与えられず、続けざまにルシアもまた羞恥心を置き去りにした格好で現れ、今度はカミロを仰天させた。

「ル、ルシア!?お前なんて格好してるんだ。」

 ウィッグから男装一式まで全て取り去ったばかりか、女性としては大衆の前に出ようはずもない格好を見せつけられたカミロはその場にひっくり返りたい心境にまで落ち込んだ。従姉妹に対して淫猥な欲情は湧かなかったと思いたいが、程よく発育した女性の体への免疫はほぼゼロに近く、ましてや幼少期ならいざしらず年頃に成長したルシアのそれなど拝見したことのないカミロであっただけにこみ上げるものを感じずにはいられなかった。

「その子を渡しなさい、引導渡してくれるんだから。」

 ルシアの剣幕はいつも共にあるカミロでも常軌を逸しているのを感じられた。謂わば父の女癖の瞬間を目撃した瞬間のそれに近く、剣幕の行先を考えればエンリケに生命の危機すら思えた。故に彼は頭目の命令に抗おうと、エンリケが隠れるゴンサロの前に立ち塞がった。

「待て、いいから落ち着いて事情を話してみろ。」

「事情なんていいの!その子にはもう弁解の余地なんて無いんだから。」

「落ち着けって言ってるだろ!」

「落ち着いてるわよ!どかないとお前も畳むわよ。」

 落ち着いているはずがなく、カミロの啖呵も怒り心頭のルシアには届かなかった。退散の姿勢に入ろうとしないカミロにもすぐ業を煮やしたルシアの暴力が彼を襲おうとした時、彼女を後ろから抑える何者かが立っていた。

「落ち着くんだ、ルシア。」

「今度は何っ?ディアナ。」

 追いついてきたディアナがルシアを羽交い締めに取っていた。頭目であるし、また年頃の乙女を相手にするということで直接的な乱暴に訴える事ができ難い部下達はこの手でルシアの疲労の蓄積と平静の回復を待とうとする例が多い。

「放せ、放してよっ。なんでカミロもディアナも邪魔するのさ。」

「お前のやってることがあまりに危なっかしいから邪魔してんのさ。そんなことも分からない内は放せるはずないって。」

「こいつ、あたしの裸見たんだよっ、許せるわけないじゃない。」

 状況は不明だが、十にしてませた根性だと思い込んだディアナの腕が動揺で少し緩んだ。抑え込まれる力の軽減を感じたルシアは彼女の拘束を逃れるは今だとばかりにディアナを振りほどくべく身を揺すって抵抗を見せた。

「おい、ばかっ、ルシア止めるんだ。」

 ディアナには同性として更なる心配事があった、それを実現させまいと力を入れ直すがルシアも必死に抵抗し、彼女の体を守っていた最後の一枚が二人の揉み合いに耐えられずはらりと外れ落ちた。

「殿下、見てはなりませぬ。」

 既に一度見ていたのだがその事実を知らないゴンサロは全身でエンリケに覆い被さり彼の視界を全て塞いだ。

 エンリケとは異なり彼女の真正面にいたカミロは全てを見通せる位置であり、声になっていない息を吐き出して一瞬前まではバスタオルに守られていた彼女の体から目を離せなくなった。あっ!と思った時には全てが遅かった。ディアナの手を振り解いて自由を取り戻したルシアは、両手は隠すべき箇所を隠しながらカミロに痛烈な蹴りをお見舞いした。

「いやーっ!何よカミロ!エッチ、スケベ、変態、粗忽者、色情魔!!」

 蹴りの乱舞に言葉責めの折り重なりと、マゾヒスティックの極みなら忘我の果てに昇天しかねなかったろう。しかし残念なことにカミロにはその気がなかった。かといって本気で反撃するわけにもいかずになすがままの案山子であるを自らに強要した。本気で喧嘩しあえた子供の頃を懐かしんだのは走馬灯であったかもしれない。

 あまつさえルシアは、再度押さえつけにかかろうとして防御が疎かになっていたディアナの腰にさされていた拳銃を掠め取り、体を隠すは左手一本に任せてあろうことかカミロの額に突きつけた。これは間違ってはいけないと、ディアナも彼女への手を一時引っ込め、カミロも諸手を挙げて無抵抗の態度を取る。

「いい?この事は絶対、絶対、絶対ーっに、絶対に内緒だからね。」

 大べそをかきながら人の頭を撃ち抜かんとするルシアには鬼気迫るものがあった。歯向かおうものなら本気で引き金を引きかねない、確信を抱くカミロはとにかく彼女の意を、意だけを尊重しようと首を縦に何度も振って頷いてみせた。

「ならいいんだけどね。でもいや、よくないっ。」

 脅迫が成功しても尚、不満にたらたらなルシア。エンリケにどころかカミロにまで全てを晒した衝撃はおいそれと拭い去れるものではなかった。取り敢えず銃だけは下ろしたところへディアナが拳銃を取り戻してホルスターへと収めてバスタオルを纏わせてやった。次の瞬間、彼女の平手がルシアを思いっきり引っ叩いた。既に大べそであったルシアはこの一撃で本気で大泣きになった。

「酷いー、ぶったぁ。」

「ぶった、じゃない!一体何やってんだいルシア!」

「何って、王子様が覗きしたから追っかけて・・・」

 ルシアはディアナに抑えられるまでの経緯を彼女に話した。一連の流れにようやく合点が行ったディアナは更にもう一発ルシアの頬に平手を入れた。

「さっきのは私の分、もう一発はカミロの分だよ。」

「えっ・・・?」

「やれやれ、アンタ器量はいいのにどうしてそんなに頭が全く動かない内から体が動くんだろうね。ああ、いや原因はあの馬鹿親父の教育の賜物ってのは私達みんな承知してるんだけどね。」

 大きなため息と共に脳裏に浮かんだドゥアルテの顔を払拭させたディアナは更に続ける。

「だけどルシア、アンタは女なんだ。船の中だろうとそんな格好でうろちょろしちゃいけない。ましてや何の罪もないカミロに銃を突きつけるなんて以ての外だ、分かるだろ、そんなくらい。」

「うん、だけどさ、」

「だけども何もない。もっと自制心と慎みを持たなきゃいい女にゃなれないぞ。持ちきれなかった私が言うんだ、間違いないさ。」

「ディアナも?」

「ああ、私がこの一家に入った顛末は知ってるか?」

「うん、軍に入れなかったからって・・・」

「そうさ、入隊試験の面接官がとにかく女というだけで見下すコスい野郎でさ、ネチネチと女だてらにだとか女のくせにってつっかかって来るのさ。だからどうしたと思う?」

「うーん・・・文句の一つも言ってやった?」

「そんな可愛らしいもんじゃないさ。面接官の机に足をかけて、そいつの胸ぐらをつかんで平手打ちを何発もお見舞いしてやったのさ。今のアンタへやったみたいにね。それでいきなり軍からトンズラしてこういう人生になっちまったわけさ。」

「後悔してるの?」

「まあまともにお天道様は見られなくなったってのはちょっとあるかもね、ルシアみたいな可愛い妹分にも恵まれたし後悔はしてないよ。でも自分のしでかしたことで未来の選択肢を削ってしまう真似だけは、アンタに私と同じ轍は踏んでほしくないんだ。」

 ディアナの告白にルシアは自身を省みた。まあ確かに終始褒められるべき態度は取っていなかったが罪もないカミロまで貶めたのは自分でも許しがたい所業に思えた。

「分かったかい?」

「うん・・・カミロ、ごめんね。」

 カミロをいつもは礼でするハグで優しく包むルシア。この時はまた自分の姿を忘れた格好となり、タオル越しの胸にカミロは直接顔を埋めていた。妙に抱きしめた対象が通常とは異なり直接的に伝わる感覚に訝しげたルシアはやっとそこで自分の姿を思い出してつい、本当についカミロに再度とどめの足蹴りを食らわせてしまった。

「あちゃあ~、まだまだ淑女だなんて間違っても言えやしないね。」

 ディアナは右手で顔を覆って現実を嘆いていた。そこでようやくブリッジの中から騒ぎを気にしだすファビオとトマスの声が聞こえてくる。

「なんじゃあ、騒がしいのう?」

「またお頭がやらかしたってんですかー?」

「な・・・なんでもない、なんでもないから・・・来なくていい!」

 薄れ行く意識の中でカミロは必死にブリッジにいた面々に出てこないよう制した。可愛いルシアの情けない姿をこれ以上衆目に晒したくはなかったのだ、ましてや女癖に著しい突出が見られるファビオなどには特に。

 カミロの悲痛な叫びが天に受け入れられたか、ルシアの粗雑さに非日常性を感じるまでもなかったか、彼の願いは叶いブリッジから新たな俳優を呼び込む場面は避けられた、自分自身の願いが叶えらられたかを最後まで見届けることなくカミロは意識が途切れ、床に身を預けた。

「カミロ?ねえちょっと、カミロ?」

 己の足によったものであるが、ルシアはカミロを必死に気遣う。またエンリケは一連の流れの発端は自分の勇み足によるものであることをなんとなく理解しだした。

「カミロったら・・・は、はくちっ!」

 些細な幕間喜劇は主演女優のくしゃみが次幕の開演を告げるベルとなった。


 翌日、ルシアは自室で長らくベッドの住民となっていた。体を洗う途中からずっとほぼ裸で捕物小芝居を演じていたツケが回ってきたらしい、頭がぼうっとして関節に鉛の板を仕込まれているような錯覚を所有する、要するに風邪だった。一時の感情に振り回された結果がこれなのだから反省せねば!と今だけは力強く思うルシアだった。

「まあ一日も寝ておけば全快するじゃろ。」

「ありがとう、パウロ先生。」

 一本の注射から彼女を解放したのは船医のパウロ、ドゥアルテより年下だが五十過ぎで元は地方の星で腕のいい開業医をしており、ルシアが生まれる時に彼女を取り上げたのが縁で海賊の医者に身を投じていた。そのためか、おてんばと言うには度を過ぎるルシアも彼の前では借りてきた猫のように大人しくなってしまう。

「カミロから聞いたがな、もうあんな真似はしちゃあいかんぞ。いくら名医が乗っているからちゅうて、くだらん無茶はするな。」

「ごめんなさい~。」

 鼻まで布団を被って恥ずかしげにパウロを見やるルシアは粗雑でなければ賊っぽくもない平凡な十八の少女そのものであった。

「で、パウロ先生。あの後どうなりました?」

「ああ、そりゃあもうみんな大変じゃったぞ。」

 あの後とは、昨日とんだ喜劇を演じた後のことであり、情けない格好で体を冷やしたルシアはディアナにおぶさられ艦長室まで連れて行かれた。野次馬で出てきた部下達は彼女の一喝ですぐに持ち場に戻ったのでルシアのプライバシーの拡散は抑制に成功していた。

 代わってゴンサロの多いなる抗議を受けたのは貧乏くじと言う名の悪魔に魅入られたカミロであった。頭目が奔放なためにこれまでも一方的に苦情や罵詈雑言の類を受けることは多かったが、今回に限ってはカミロの方にも言い分があるとばかりに王子の教育はどうしているのかなどと応えて退こうとはせず、二人の間に険悪な空気が流れた。すわ破談かと思われた時、エンリケが大人の争いの間に口を挟んできた。

「余にも、落ち度があったのであろう?そこは詫びよう。」

 これにはゴンサロがたまげた。海賊に王子が詫びるなど言語道断とばかりに形式論に囚われた頭の硬さを披露した所をエンリケが交わす。

「順逆の理を余に教えてくれたのは爺であろう。余に非があればそこはけじめを付けねばなるまい。」

 己の教育方針は間違っていなかったとまた瞳を潤すゴンサロと、話が案外分かると年端もいかない子供を見る目に一定の変化をもたらされたカミロが揃って彼に注目した。が、彼の次の言葉にはやはり年相応の甘さを感じさせずにはいられなかった。

「まあ、余も・・・あの者の裸体を見た時、悪い気はしなかったからの。」

「何言ってんだ、このませガキっ。」

「くおらっ!お主まで殿下に何を晒すか。」

 思わず拳骨を振り下ろしたカミロにまたゴンサロの雷が飛ばされた。

「もういいっ!」

 年上連中に負けんばかりの大声で叫んだエンリケでようやく両者は矛を収められた。

「で、余に何の非があったのだ?」

 そこからかっ!と大人たちは彼にしでかした事の大きさを切々と説くのだった。そこまでの顛末をパウロの口からルシアは聞かされて、大事な件が入っていない事を気付かされる。

「ふうん・・・で、王子様の方の体は?」

「ピンピンしとるよ、乙女のお前さんより体が強いみたいじゃな。」

「もぅ、乙女だなんて。先生ったら、やだぁ。」

 パウロの皮肉をそのまま受け止めて気恥ずかしくするルシア。生まれた時を知っている者でも笑いのセンスに関しては診察のしようがなかったので仕方がない。

「ん、んん、まあ本当にもう懲りるんじゃぞ。」

「はあい。」

 ルシアは可愛げを出してこつんと自分の頭を殴った、女に浮つく男衆になら効果のある仕草であったが主治医には何の戦果も上げられなかった。

 ドアの外より来客の声が聞こえる。

「先生、カミロです。ちょっとよろしいですか?」

「ああ、もう終わったよ。かまわんかまわん。」

「では遠慮なく。ほら、お前も。」

「あ、ああ・・・」

 部屋の主ではなくパウロに許可を求めて入室してきカミロは付属品を伴っていた。彼の後ろに隠れるようにして共に入ってきた即ちエンリケ、昨日の今日のせいかルシアを見る目が気恥ずかしそうで、初めて会った時の勝ち気な王子と同一人物とは思えなかった。

 エンリケの姿を認めたルシアはベッドの上に上半身を起こして彼らを迎えた。

「あ、王子様・・・昨日はごめんなさいっ。」

 胸の前で手を合わせ腕で作られた輪の中に頭を埋めて先に謝ったのはルシアの方だった。こういう場合後になった者はどこでどう謝罪を切り出すかが難題であったが、エンリケの浮世離れはここで好転した。顔を真赤に見せてエンリケも話を切り出した。

「その・・・余にも非はあった。すまなかったな。」

 両者ともに相手の謝罪を受け入れ、用の済んだパウロが立ち去ると入れ替わりに彼女のベッドの横にカミロとエンリケの席が設けられた。お互いにすっかり角が取れたようでベッドの回りは軽い談笑の場と化していた。昨日どころか普段より大人しさを押し出して会話するルシアに違和感を覚えたのはカミロの方であった。

「ときに、どうしてルシアは男の装いで海賊などやっておるのだ?」

 話半ばで、エンリケはそもそもの原因となった彼女の男装への疑問を投げかけてきた。笑みも適度に差し込まれていた話の流れがこの時さっと途切れた。エンリケは踏み越えてはいけない線を跨いだかと直感する。

「いや、話し難いことであれば無理にとは申さんが。」

 しばし二人から目を背け俯き加減で考えを巡らせたルシアは次の瞬間、笑顔でエンリケに向き直った。

「いいよ、大丈夫。そういやこの船のみんなは当事者だからって、こんなの誰かに話したことなんてなかったっけ・・・」

 話しだしたルシアの目はエンリケに向けられつつも、焦点は更に遠くにあった・・・


 遡ること三年前、サラザール一家はまだドゥアルテが頭目を務め、世に名の知れた海賊の一団として我が世の春を謳歌していた。その日も彼らは大物を仕留めて船がはち切れんばかりの土産物を抱えて我が家へと戻ってきていた。

「父さん、おかえりぃ~。」

「おお娘よ、また大きくなったか。」

「大きくって、こないだ出てってからまだ半月でしょ。そんな早く大きくならないし、もうそんな大きくならないでしょ。」

「そうかそうか、だっはっは。」

 十五歳を迎えていたルシアが真っ先に、帰ってきた集団の先頭で歩いてきたドゥアルテの首元に抱きついた。普段は本当に仲のいい親子なのは三年前からも、それ以前から変わらず、父の溺愛に応える優しい娘であった。海賊として宇宙を駆けたことはなく、巨岩の中の家で箱入り娘の状態で大事に育てられていた。教育に関しても、誰しもが学び舎まで通えるとは限らない人類史上最大の地図を有するご時世、在宅教育の道が大いに開かれていたためにルシアもこの方法によりおよそ世間の十五歳と同等の基礎知識は身に付けていた。ただ、直接交わる人物達には著しく偏りが目立ったため、性格に多少の難を備えた成長を遂げていた。

「今日もお土産たくさん?」

「ああ、たんまりだ。好きなものがあったら何でも持って行って構わんぞ。」

「やったあ、あたし新しい銃が欲しかったの。」

 海賊の土産とは盗品、略奪品の類と相場は決まっておりそれをなんの躊躇もなく土産として取捨選択するだの、十五の乙女が銃を欲するだのと、基礎知識はあれど道徳観と良識には一般的なそれとの齟齬があるのが周囲から与えられる悪影響による賜物である。

 今日も慣例通りに盗品と略奪品で占められた、山のような戦利品を肴として帰還の宴が催される。

「さあ、ぐっと行こうぜ。乾杯だー!」

「乾杯ーっ。」

 ドゥアルテの音頭で皆が一斉に杯を仰いだ。頭目から昨日今日迎えられた下っ端まで宴には上下がない、海賊としてはまだ下っ端にも届いていないルシアとて例外ではなかった。乾杯と見るやルシアに駆け寄って杯を交わす者も後を絶たず。目的は不明だが、幾度かドゥアルテの鋭い眼光が光ったところを見ると、邪な目的を持った連中も混じっていたのかもしれない。宴も酣に差し掛かった頃、ルシアは決意のもとドゥアルテに話しかけていく。

「父さん、お願いがあるの。」

「なんだ?欲しいものでもあるのか、銃か、剣か?」

「ううん、そうじゃない。」

「じゃあドレスか、ネックレスか、指輪か?お前ももう少し女っぽい物を欲しがるといいんだがなあ。」

 自ら施した男臭い教育方針は棚に上げてドゥアルテは酒の勢いも手伝って自己否定しかねない台詞を言い放っていた。

「そうじゃないの、そんなの要らない。あのねえ・・・そろそろ・・・あたしも海賊デビューしてもいいかなって。そう思ったの。」

「おお、そうか。そうだな・・・ええと、お前いくつになった?」

「十五歳よ。」

 考えながら質すドゥアルテに対し、あっけらかんにルシアは回答した。十五といえばまだまだ少女の域である。洋服や装飾品より刃物や火器に興味を注ぐだけでも常軌という正道を外れること甚だしいが、海賊デビューを高校入学のようにしたりと言える事は更に斜め上を行っている。常軌というものに正常な親なら地に伏して泣き濡れていたのだろうが、ドゥアルテの場合は己の教育が結実したと、全く逆の感情が溢れそうになっていた。

 箱に入れて育ててきたとはいえ、ドゥアルテは娘を王族や大物政治家の息子に嫁がせようとも、当代きっての女優やアイドルとしてデビューさせようとも、その様な浮ついた考えは全く思っていなかった。むしろ女優や玉の輿のほうがよほど立派に思える野心を彼は孕んでいた。つまり、いずれは自らの跡を継いで我がサラザール一家を任せる、という気持ちでいた。

 よっていずれはディア=フェリースに乗せて海賊としての英才教育を学ばせる気ではいたが、現在の娘可愛さについぞ将来を先延ばしにしては機会を逃し続けていた。そこに訪れたのが娘の決意である、ここぞ渡りに船を見つけたドゥアルテの腹は決まった。

「そうか、よっしゃよっしゃ・・・じゃあどうだ、次の出稼ぎには俺の横でこいつらの働きっぷりをじっくり高みの見物させてやろうじゃねえか。」

 ドゥアルテは万座の席で娘のデビューを皆へと公言した。

「ありがとう、お父様~。」

 偶々であった。彼女はいつもの様に父へと礼のつもりで抱きついただけであった。何か得体の知れない運命の神が小石に躓いた拍子に天使の輪を落としでもしたのか、ルシアに飛びつかれたドゥアルテの顔がみるみる苦悶に満ちていく。ルシアはおろか、古参の仲間すら彼が表情に出して苦しむ様など殆ど記憶にない。

「父さん?ねえ、どうしたの父さん?」

「お頭っ!?」

 周囲のざわめきも聞こえぬようにドゥアルテの巨躯は床へと突っ伏した。


 パウロによる診察が大至急行われた結果は周囲を安堵と期待外れの双生児へと追い込んだ。診断は逆方向に予想だにしない、ただのぎっくり腰と下されたのだ。ルシアに抱きつかれた際、腰に妙な負荷がかけられたのが主要因である。

「なーんだ、もう心配させないでよ父さんったら。」

 自らの行為が原因の一端になったという自覚のまるでないルシアは父が仰向けに横たわっている側で心配した分の負債を返せとばかりに臍を曲げながら心配する器用な感情を表現していた。

「わっはっは、いやあすまんなあ、面目ない。」

 目に入れても痛くない娘に責任を追求するなど天地がひっくり返ってもあり得ない父の姿、もっとも天を越え宇宙が舞台のこの時代にして北極にN極がある星も自転軸が公転面にほぼ水平な星も物珍しくもなかったので、何をもってすれば天地がひっくり返るなどと言えるのかは非常に難解な話であった。

「儂もまさかお前さんを治療するなんて夢にも思わんかったぞぃ。かれこれ十何年の付き合いじゃが怪我もせんどころか風邪一つ引いたこともなかったからのう。」

「そういう意味では仕事を作ってやったんだ、感謝の一つもしてもらわねえとな。」

「バッカモン!お前さんが無茶ばかりしよるから付き合わされて生傷の絶えん他の連中の世話で儂ゃいっぱいいっぱいじゃ!これ以上つまらん仕事を増やすな!」

「あでででででっ!分かった、分かったよ、先生。」

 反省の色も殊勝な心がけも見せない落第点の患者にパウロはきつい針を一本突き刺した、これにはドゥアルテも悲鳴を上げてパウロは多少なりと溜飲を下げるのだ。恐怖で名を塗られたような海賊の大親分がベッドに寝かしつけられて一医者にいいように扱われている。彼を追う連邦警察が見ていれば自分達の与えきれない罰をパウロが与えている事に関しては実に不愉快な光景であったろう。

「まあこれで少しは腰を落ち着かすことじゃ、いつまでも若いままでいられる筈もなかろうて。今回はそうじゃな・・・十日から二週間は安静にしておくことじゃ。」

「とほほ、肝に銘じるよ、先生。」

 言いたいことだけを言ってパウロは次の診察へとドゥアルテの部屋を後にした。残されたルシアは希望に灯っていた目の輝きを失せていた。

「あーあ、じゃああたしの海賊デビューも日延べね。」

「いやあ、そうも言ってられんだろうなあ。」

 父は娘に向けて笑みを浮かべた。彼としては精一杯にこやかに笑った筈であったが娘に気持ちは届かず、彼女の目には悪しき考えを携えた不気味さだけを伝えた。

「皆を集めろっ。」

 ドゥアルテの号令で、一家全員がホールへと集められた。彼らの頭数に倍する目の数が見つめる一点には車輪が付いた移動式のベッドに乗りルシアに押されるドゥアルテの痛々しい姿が入っている。

「集まったな。これからちょっとだけ重要な話をする。」

 ドゥアルテの第一声に皆が多少さざめいた。あまり重要だとかいう単語を用いないお気楽な性格をしていた頭目が何やら深い話をするように聞こえたのだ。だが彼の次の一言は彼らの予想をたやすく上回る衝撃によって迎え入れられた。

「ああ・・・俺は今まで、この年まで病気一つ大怪我一つせずにお前らの陣頭に立って稼ぎ倒してきた。が、今日の俺はまさかのこんなザマになっちまった。これも何かの縁か潮時ってやつを感じる・・・だから・・・俺はこの度、海賊から引退することにする。」

 ざわめきがどよめきに昇華するまでに時間はかからなかった。頭目の電撃引退発言にそれぞれが左右の仲間の顔を見合わせて我も我もと初耳を確認し合うのだ。それもそのはず、ドゥアルテは誰にも言わず一人で決定していたのだから当然であった。

「ちょっと、父さん、何言ってるのよ。ただのぎっくり腰くらいで世迷い言言うもんじゃないわ。」

 ルシアの弁も最もである。しかしこの世に生を受けてより五十余年、医者いらずを自負してきたドゥアルテの心の折れ具合は余人の計り知れない程に根本から砕けていた。どよめきが沸点を越えて鍋から吹き零れる汁のように声が上がる様を眼前にしてドゥアルテは掌を出して静まるよう求め願いが聞き入れられてからまた話を続ける。

「皆の心配もよーく分かるつもりだ。だけど俺ももう五十五だ、いつまでも上に立ってちゃあ若い芽も潰すってもんだ。」

「いや、何言ってんの。みんなにはまだ父さんが必要よ、あっ。」

 一人話し続ける男は、皆と同じく動揺に顔色を焦らせていたルシアの腕を掴んで自分の前に手繰り寄せた。

「だがお前たち、なーんにも心配することはねえ!跡目を紹介しよう。お前たちもよく知ってる娘のルシアだ。これからはこいつを頼りに稼ぎに精出してくれ。」

「え?え、ええ~っ!?」

 海賊デビューの話が勝手に頭目の跡目を継ぐ話に置き換わり、ルシアは自分の想像を超越した話に思考が追いついていかなかった。

 それから数時間、俺は俺は、あたしはあたしはの自我のぶつかり合いで壮絶な親子喧嘩が繰り広げられたと周囲にいた海賊たちの何人もが証言している。これまでも決まってドゥアルテの女癖で喧嘩が勃発したことはあったが今回ほど熱量と怒量に満ちた喧嘩は未体験の領域であったと彼等の証言は続く。ルシアの本気を部下達が心得たのは、あるいはこの時であったかもしれない。

 さて、なんとか両者を引き剥がしニュートラルコーナーまで下がらせて落ち着かせた後、ドゥアルテは娘を自室へと招き寄せ今後の『対策』について述べだした。

「お前も海賊となるからには、今後どんな奴と出会うか分からん。この父のように清廉潔白な男ばかりであるはずもねえからな。」

「どの口が言うんだか。」

 デスクを挟んで父と向き合うように座らされていたルシアが聞こえるようにと呟いた一言はドゥアルテの意思が無視を決め込んだ。彼女は海賊にはなる心を定めていたが、荒くれ共を率いる上にまで登る意思はこの段階ではまだ芽すら生えていなかった。

「そこでだ、こんな物を用意した。受け取れ。」

 ドゥアルテはおもむろに大きな箱をルシアの前へと差し出した。まさか魑魅魍魎の類が出てくるわけでもなしと、ルシアは疑いなく箱の蓋を開けて中身を確認する。

「何よ、これ?コート・・・帽子・・・眼帯かな・・・これは、ウィッグ?ほんとに何?」

 娘の頭に生えた何本もの疑問符を刈り取らんと父が言葉を返した。

「それは変装用に倉庫から出してきた物だ。ルシア、お前これから出稼ぎに行くときはそれを着て行くんだ。ここまでやれば女にも見えんだろう。この商売、女と見れば見境ない奴はごまんといる、変な虫が付ちゃあいかん。」

「えーっ、やだよ。かっこ悪ーい。だいたいこの帽子のドクロ、何これ?何億年前の古代の海賊?」

 地層から発掘するまで古くはないが、父の用意した変装道具が海を渡る時代の海賊イメージである事くらいルシアにも知識はあった。

「お前は線も細いし凄みがない、インパクトで売っていく。だからその位派手に着飾ってしまえ。」

「インパクトって、売れないアイドルの話じゃあるまいし。」

「いいから親の言うことを聞きなさい。今からお前は俺の息子、そうだな・・・ルシアを少し変えてルシオだ、ルシオ=サラザール。海賊ルシオ様の誕生ってわけだ。」

「え~、何よそれ。嫌よ、嫌、嫌、嫌っ、男になんてなりたくないーっ!」

 自分の望んだ海賊の姿とはかなり歪められた姿になったが、ここにルシオという先刻までこの世に存在すらしなかった一人の海賊男が誕生した。

 やがて彼は、余人にとって大海原の障害物の一つとなったわけだが、果然父の心配は時を置かずして娘、いや息子にも理解できるようになった。父の代で親交を築いた幾人もの海賊とスクリーン越しに出会う機会が生じたが、さすが海賊というべきか下司いのはお手の物、中には何人もの美女を侍らかせつつルシオと対話する者もいた始末だ。娘を溺愛して大事に育てていただけドゥアルテの方がよっぽど人格者であったかもしれない。これは女と発覚すれば舐められるだけでは済まされない、とルシオは身を悶えさせて実感してしまっていた。

 最初こそいやいやで始まったルシオとしての人生だが、海賊の世界に一歩足を踏み入れてしまうとドゥアルテの親心に理解が及び、いつの間にやらルシオという存在をもう一人の自分として受け入れているルシアがそこにいた。


 話は十八歳のルシアが休む寝床へと回帰する。

「まあ、そんなこんなで、あたしはこんなの被って商売してるのよ。」

 ルシアは会話しながらベッドの脇にあったウィッグに手を伸ばすが、微妙に手が届ききらなかった。それを見たカミロがすかさず手を伸ばして彼女の頭にまで被せてやる。寝ていたために多少ぼさっとした金髪が赤毛の人工毛髪の間から漏れ見える。

 ここまでの話を聞いたエンリケは彼女のスピード出世に適切な感想を持ち得ないで考えていた。

「な、なんとまあ・・・めでたいと言っていいのかどうか。それで、今の親玉の椅子に落ち着いたわけか。」

「うん、最初は父さんが何考えてるのか分かんなかったけど、なってみたらみたで、みんなが助けてくれるしあたしみたいな小娘でもなんとかなるもんだなーってどんどん調子が出てきちゃってさ。」

 カミロの顔を見て『みんな』という表現を使用するルシア、彼もまたルシアの助力になっている一人であることを示している。海賊を率いるようになってからの思い出を瞼の裏に投影するルシアの顔は嬉しげで誇らしげであった、エンリケは彼女の顔から身勝手な父親に対しての恨み節を持つような節は見いだせなかった。

「そのような人生を押し付けた父君を・・・恨んで、ないのか?」

「恨む?ううん、そりゃ最初は何言ってんのって大喧嘩したけど、今にして思えばあたしもいずれ父さんの後を継ぐかもしれない、それが早まっただけよ。それに腹の立つこともあるけど面白い人生歩んでる実感があるんだし、もう感謝したいくらいね。」

「そうか・・・余は、余は勝手にコインブラに放逐し、勝手に死してまた余の運命を翻弄する父上を、正直・・・お恨み申し上げておる。」

 エンリケはルシアの言葉に考えさせられた。顔すらほぼ覚えていない父王の命により辺境の一惑星に寄り付かされ、王族など名ばかりでしかない質素な人生を歩まされる路線が、肝心の父王達が亡くなったために王たる道へと大幅に路線変更を余儀なくされる。ポイントを切り替えさせられたために命の危険まで伴っているのだ。振り回される運命はルシアとの多くの類似点を見る、しかし彼は恨み節を唱えたい側にその身を置き、また唱えられる相手を既に失っている点でルシアのスタンスとは根本的に違っていたのだ。海賊の度量が王子たる己を越えている事実を彼は認めた。

 ゴンサロも王家との連絡は取ることのできる立場にあるために父や兄への恨み言を愚痴れる相手たり得ず、衛兵や女中などまた然りで彼等に囲まれていては墓に入るまで口の端に乗せることもできなかったことであろう。一時でも世話係の目から遠ざけられたのは、見舞いに来てもらったルシアよりエンリケにとっての福運であった。一期一会、彼女たちとの出会いで気を抜けられるエンリケだった。

「そうかぁ、王子様もあんまり庶民と変わらない悩みがあるのね。でもやっぱり、運が開けたって見たらいいんじゃない?だってあのままコインブラにいたらずっと教会の中で何も知らずにずっと生きていってたでしょ。それが今は本物の命を懸けた人生ゲームよ。」

 ゲームと言い切るルシア、決して他人事ではない。命がけなのはルシアとて同じなのだが、八歳差でも潜ってきた場数はその十倍に値するかもしれない。この人生経験の差が心の余裕の差なのだろうかと少年は一人考え込む。

「余は、ゲームとまで割り切れはしない・・・お主は凄いな。」

「そうかな?えへっ、なんだか照れるな。」

 素直に彼女を認めたエンリケに答えてルシアもまた素直に彼の賛辞を受け入れた。

「余も、いずれ父への蟠りが解けるであろうか。」

「解けるよ。」

 ルシアは言い切った。別段証拠や確証があったわけではない。しかしながら彼女にはエンリケが陰に囚われる様な子には見えていない、それを王の才とでも言うのだろうか、他者には感じられない何かを感じていた。そしてエンリケもまた、笑顔で言い切っていた彼女の発言に確証以上の何らかを与えられた気分がしていた。

「その・・・礼を言うぞ。なんだか自信が付いてきた。」

「国民を思うのも立派だが、その前に自分のことも思わないとな。」

 横のカミロが子供の頭を撫で回した。これまでのエンリケにとっての話し相手を自身で思い出す。ゴンサロという老年、教育にとわざわざお越し頂いたという有名大学の講師、これも壮年から老年。身の回りの世話をする女中は若年が多いが話し相手という仕事内容は設定されておらず、用件が済めばすぐに彼の前からいなくなる。つまりまだ年が近くて境遇に似通ったところがある話し相手というものがこれまでおらず、エンリケは十年の人生でようやく初めての知己というものを得ていた。

「見舞いに来たのは余のはずだったが、なんだか逆になったな。」

「そうみたいだな、でもルシアもいい顔して笑ってるからいいんじゃないか。」

「うん、なんだか元気になってきたよ。二人のおかげさ。」

 物理的治療を施したパウロが聞いていたら臍を曲げたことであろう、精神的治療はルシアに風邪を忘れさせていた。

「また来ても・・・よいか?」

「当たり前じゃない。」

 ルシアの方から彼に向かって手が伸びた。この場の最年少者は差し出された手に応えようとするが、途中で手が止まった。まだ迷いが吹っ切れていない状態で彼女の手を取っていいものかと子供のくせに中途半端な遠慮が肘のあたりに楔となって手の動きを掣肘していた。エンリケは次の瞬間、心臓の負荷を上げられた。ルシアの方から彼の出かかっていた手を握りしめてきたためである。

「よろしくねっ。」

 ルシアの笑顔にエンリケはやられた。『みんな』と言われたこの海賊の皆々は彼女の屈託のない、分け隔てない無上の愛を感じさせるこの顔を見たくて日々の稼業に汗水を垂らしてるのだろうという主観に目覚めた。勿論深く突き詰めたわけではなく、自分も彼女の笑顔を見たいという思いに駆られた、この気持ちは同乗する猛者達も同じであったのだろうと得心するところである。

 更にエンリケは何か続けたげな面差しを見せるが、耳をつんざく周波数に行動を停止させられた。船内全てに緊急放送が流されたのだ。

「総員に告ぐ。警戒態勢発令、繰り返す、警戒態勢発令。各自所定の持ち場にて戦闘待機せよ。」

 放送に飛び起きたルシアは既に高揚感に立っており、ルシオの心持ちへと変心していた。何事かつかめていないエンリケをカミロが席を立たせる。

「カミロ、王子様を部屋に連れてって。あたしもすぐにブリッジに上がる。」

「おい、風邪は大丈夫なのか?」

 緊急時にいつも張っているレベルの声量で自分に叱咤する病み上がりをカミロは案じた。更に何もこんな時に、とイレギュラーな事態に向かって呪いの言葉まで心で呟いた。

「ああ、すっかり吹っ飛んだよ。だから早く行って。」

「本当に大丈夫なのか?ここで待ってるぞ。」

「うむ、余も同じ気持ちだ。」

「もーっ!どうしてデリカシーないのっ!?着替えるから出てけっ!」

 心がルシオに染まろうと染まるまいと、男の前で服を脱ぎだす露出趣味はないルシアは威勢のいい剣幕と投げつける枕の勢いを与えて二人を追い出した。

「のうカミロ・・・デリカシーとはなんだ?」

 またそこからか、と彼がエンリケに対して思ったのは何度目であったろう。

「それはな・・・惚れた女に嫌われないための不文律ってやつだな。」

 カミロはからかったつもりである。自分が十の頃と言えば実物の学校に通い、ありもしない異性との関係を捏造し合い、からかい合って恥ずかしがり合うという、実に子供じみた人間関係に興じていた頃だ。王族もからかってみれば同じ反応を示すのかという興味が先んじていた。

「惚れた、か。つまりカミロはルシアに惚れているということか?」

「どうしてこっちに矢が来るんだよ。」

「惚れておらぬのか?」

「あいつは妹みたいなものだからな、惚れる感覚が出てこないさ。」

「妹には惚れないのか?」

 流石に妹とまでは行かないが、サグラードは王族の濃い血を残そうと同族婚を行う風習があるので一族が婚姻対象の範囲に含まれていたためにカミロの言葉は王子の常識では非常識の部類に入った。王権神授説など古代の地層に潜伏しきった話が現世にて再び芽吹くとは歴史の皮肉以外の何物でもありえないが、当人は至って真面目であった。古代の同族婚王家もこのように本気であったのかもしれないとカミロは現世で歴史上の人物の思考を慮っていた。


 寝間着を脱ぎ捨て、髪を整えてから改めてウィッグを被り直し、海賊衣装に身を包んだルシオはカミロに遅れること四分でブリッジへと現れた。次々にルシオへ振り返っては同じ質問で体調の心配をしてくる部下達がこのときは煩わしく思えた。

「本当にもう大丈夫だからっ。」

 つとに大声で宣言する。娘や妹を案ずる気持ちで心配してくれるのは喜ばしいが、頭目として緊急放送が流れたときにまで睡魔を友として羽根の詰まった膨よかなベッドの上で病人を気取っていられるほどルシオは無責任でもなければ薄情でもなかった。ただ大声を出す度に軽く頭から血が失せるような感覚に襲われる自覚症状は感じなくもなかった。

「俺の体の事より、今何が起こってるんだ?」

 それでもルシオはこの船の長らしく凛として状況確認に努める。彼女の努力に緊急放送を流した当人であるトマスが回答する。

「ああ、未確認の大型船が三隻、後ろから追尾してやがんだ。」

「未確認?」

「ああ。千メートル級の大型ってのは分かってる、だけど識別信号の一つも出さずに三時間ばかり同じ間隔で後ろにくっついてやがる。怪しい以外の何物でもないってな。」

 トマスの声は言葉の端々に嬉々とした感情を乗せているのがはっきり分かる陽気さを伴っている。現状の不穏な空気を楽しむ図太さが表現されていた。不穏の踊り食いはルシオが好む以上に年季の分だけ彼の食べっぷりは勝っている。

「どうする、お頭?」

 舵を握るディアナが問うてきた。丁度交代で休憩に入り、部屋で寝入るかどうかと言うところで緊急放送に起こされたくちであり、トマスとは逆に言葉の端々と表情に不機嫌さを乗せていた。

「そうだな・・・」

 ルシオは思考した。内部では病原菌と医薬品が争いを繰り広げている最中、必死で脳細胞を活性化させる。

「一旦スピードを落としてみよう。それで向こうの反応が伺える。」

「いい考えだな。トマス、機関減速だ。」

「あいよぉ、機関減速、エンジン出力二十%ダウーン。」

 カミロもディアナも、皆納得の顔でルシオの提案を実行に移した。ディア=フェリースの後部ノズルの火が矮小化し、目に見えて速度が落ちた。未確認船のレーダーでも減速は明確に捉えられた筈である。果たして相手方は速度も針路も変えないでおり彼我の距離もまた目に見えて縮んでゆく。結果、ルシオの期待通りに相手は反応を示した。それは予想が的中したとて必ずしも喜びで迎え入れられた反応というわけにはいかなかった。

「未確認船から発砲!」

 トマスの叫びがブリッジの空気を張り詰めさせた。後方の未確認船は射程の枠内に入ったと見るや砲撃を開始してきた。幸いなことに未だ射程範囲の縁であったが為に精度は悪く、百メートル単位で虚空の宇宙に光条を靡かせただけであった。それにしても命中率が高まるは時間の問題である。そしてディア=フェリースの主砲は未だその射程に攻撃者を捉えることはできない。この点だけで砲撃戦では相手に何割ものアドバンテージがあるのは火を見るよりも明らかである。

「手の早い男は嫌われんだよ。トマス、エンジン全開だ!」

 ディアナが過去の遍歴から程度の低い者をリストアップしたようにがなってトマスに命令する。

「了ー解っ、エンジン圧力上昇。出力全開!」

 ディア=フェリースのノズルが輝きを増した。船体が小さい=軽い分だけ速力はこちらの方が上とばかりに距離を離しにかかる。なるほど、彼我の距離は今度は目に見えて開いていき敵船の射程からはあっさりと飛び出せたようで発砲がぴたりと止んだ。

「なんじゃったんだ、さっきの連中は。」

 振り切ったと思ったところで、戦闘にならず無駄飯を食らうために戦闘待機を強いられたファビオが呟いた。

「分からないけど、敵意だけははっきりとサービス料まで付けて送ってきてくれたのが見えたぜ。」

「俺達も海賊だから俺達で恨みを買ってる奴なんてごまんといるけど、タイミングから言えば王子を狙う連中と考えるほうがしっくり来るよな。」

「カミロの言う通りだな。デカブツ三個も用意してきたってな、奴さんいよいよ本気出してきやがったか。腕がなるぜ。」

「そうだけど、そうとばかりも言えないかもな。」

 ファビオの気勢にルシオが待ったをかけた。

「どしたい、お頭?」

「気になるのは、アマドーラに近付くほど敵の妨害が準備されたものになって行ってる感じがする。最初は狙撃、次は他の海賊をけしかける。で、今度は大型船と来て。」

「それって、前の作戦が失敗したから次はもっと強烈な物出してこなきゃならねえってだけじゃないのか?」

 トマスは深くも考えずに言った、自分が敵ならそうするという事である。

「あの海賊を追っ払ったのは昨日だからな。そこから大型船を三隻も出してくるなんてとても準備が整わない、予めこの付近に潜ませてたってことだよ、なあルシオ?」

「う、うん。」

 自分が必死で考えた想定をカミロは難なく当ててみせた風景にルシオはやはり頭脳労働における一日の長を彼に感じた。これは風邪のせいと外力による阻害ではない、絶対値の違いが大きすぎた。

「だからまあ、今は後ろから三隻来たということは次は・・・」

「前方二時の方向と十時の方向に三隻ずつ、未確認船発見、いずれも大型っ!なんだよこりゃあ!!」

 カミロの考察が口にされる前に、実体化された彼の考えがサラザール一家にいよいよ牙を向いてきた。後方の三隻を含めると計九隻に上る大型船がディア=フェリースを取り囲むように現れた。これにはトマスも肝を冷やしたようである。

「どうする、お頭っ?」

 焦燥してトマスはルシオに助けを求めた。とはいえルシオとて全能の神ではないし海賊経験とてこの中の誰よりも浅い。先輩トマスも慌てるほどの前代未聞の危機に於いてとっさに起死回生の策は簡単に湧き出てくるわけではない。

 目眩を覚えるルシオは席から動けずにいた、風邪がぶり返したと自己分析する。自らのボーンヘッドが原因であるからと昨日の自身を恨んだ。

「ルシオ、おいルシオ・・・」

 考えがまとまらずに目も瞑ったところにいよいよ幻聴まで聞こえてきたかと勘ぐった。

 聞こえてきているのは現実で、カミロが艦長席にやって来て小さくルシオに呼びかけていた。彼はルシオの変調を理解した途端、自分の頬を叩いて気合を入れた。

「俺に任せろ。」

 細いが決意溢れる声がルシオには聞こえてくる、彼は安心した途端に緊張の糸が切れて意識を途絶えさせた。落ちた所を確認したカミロは帽子を目深に被らせる。

「俺に考えがある。みんな、言うとおりにしてもらえるか?」

 向き直ったカミロは精神を奮い立たせてブリッジメンバーに指揮権を願い出る。くるりと見渡すと三人が三人共気持ちよく彼の依頼を受け取った。

「で、どうするってんだ、我らが副長様は。」

 トマスが数えるほどしか呼んだことのない副長という呼称でカミロを指した。普段呼ばない役職で人を指すのは小馬鹿の表現であるがこの場合はカミロをして『お手並み拝見といこうじゃないか』という思いがトマスにはあった。

「このまま座していれば包囲網に囲まれるだけだ、転針三時の方向。」

「三時?それだと航路から外れるぞ。」

「おい、しかもその方向には一番ヤバいやつがあるんじゃないか。」

「そうだ、あれがある。」

 百戦錬磨の海賊が最も危険と諡すもの、万物を飲み込み光すらも例外たり得ず逃さないブラックホールがカミロの示した方角には存在した。そもそもこの危険極まりない天体の存在があればこそ今彼らの進んでいる航路が裏扱いされている最大の所以であり、宇宙船の航海にしては細すぎる道でなんとか安全が見いだせている。その細い航路のほぼ両端から、ディア=フェリースの進路を抑えるように謎の、ほぼ敵対する何者かと見て間違いない艦隊は現れていたのだ。

「おいおい、お前正気か?あんなもんに囚われたら一巻の終わりじゃろ。」

 対艦、対人の戦いに関しては必要以上に高ぶるファビオもこれには焦りの色を隠せない、さもありなん。撃てばなんとかなる相手と違い、何を撃とうが響くものがない相手なのだから。

「そうだろうな。」

「おい、それでいいわけなかろう。」

「そうか、分かった!」

 あっけらかんなカミロの答えはファビオの疑念を払拭するに全く不足していた。しかし横の女性は彼より親子ほども若い脳細胞が活性化していたのか、納得したらしい。

「カミロ、やっぱお前って学あるんだな、惚れちまうだろ。」

「冗談はいいから、これはディアナ、お前の腕次第ってことになる。できるか?」

 真実、冗談であったが真っ向から冗談と否定されるとは想定外であったとディアナには白ける部分が出た。彼の女性遍歴の絶無さ故に冗談を冗談として両断した幼い思考が彼女の理解を越えていた。

「できるか、だ?カミロ、お前誰に向かって物言ってるのか分かってるのか?」

 ディアナからはカミロが期待した通りの自信に溢れる回答がよこされた。ディアナは自信家であり、船の操縦にはとりわけ誰にも負けないという特に強い自負があった、カミロはそこを攻めて彼女のやる気を引き出させた。

「じゃあ頼んだ。転針、三時の方向。」

「宜候。転針、三時の方向。」

 ディア=フェリースが舵を切ったのは三方からただの一隻を追い詰めようとしていた未確認船もそれぞれに確認できた筈である。包囲される前に網に覆われていない航路外へと逃亡を図った獲物に対して各船は包囲の針路を止め、各々に兎を仕留める一番槍を目指して目標を追撃する体制に入った。

 しかし航路を知っているということは彼らの進む先にブラックホールが存在する事実も知っていて然るべきである。その為であろう、追手は一番槍こそ欲しいが猪突して黒き穴から伸びる手に巻き取られるを警戒して決して早足で追おうとはせず、ディア=フェリースとの差はむしろ広がっていた。それらからしてみれば目標物は自滅か一か八かの賭けに打って出たという印象があったのであろう。

 確かに賭けであったかもしれない。だが勝ちの決まった賭けであるとカミロとディアナは確信を得ていた。

「エンジン高出力で安定・・・おい副長さんよぉ、本当に大丈夫なんだろうなあ?」

 機関のモニタリングに集中したいが、どうしても遠い正面に見えてきた漆黒の宇宙よりも更に深い闇を纏うブラックホールに対し恐怖心を隠せないでいるトマスがいた。

「喧しい!お前は黙ってエンジンを見てな、それでいいんだ。」

 トマスに怒鳴って答えたのはカミロではなくディアナであった。彼女にしてみれば両脇で男共が騒ぎ立てるのは非常に不愉快で体中に虫酸が走る思いであった。カミロは強権的、高圧的に出ることはない性根であったがディアナはさにあらず。盛りのついた中年雄猫の状態であった二人はしゅんと黙りこくってしまった。

 盛りがつこうがつこまいが、彼らの意思とは裏腹に脅威の黒穴はじわじわと大口を開けるように彼らの視界の中で存在感を増しつつあった。見えないくせに存在感があるという不条理は実に腹立たしい。トマスは石でも投げつけてやりたい気分となる。

「ディアナ、シュヴァルツシルト半径の直前で回頭用意。」

「宜候っ。」

 ディアナはいよいよ心が猛った、こここそ自分の腕の見せどころである。速度を緩めずブラックホール方面に邁進するディア=フェリースに比してブラックホールに近付くに連れて引き込まれる事を恐れてか、どんどんと速度を落とし合っている追手達。両者の差は追手が次の瞬間より全力運転に切り替えても振り切られる程に広まっていた。追手にとってはもはや宇宙の脅威に獲物を取られてしまうという軽い悔恨が残るだけであったろうか。

 追手の期待に諸手を挙げて応えるほど海賊達は甘い人種ではなかった。フルスピードで穴に突っ込むかに見えていた途上、ブラックホールの魔手が彼らを握って放さなくなる手前で急速回頭を果たした船は弧を描きつつブラックホールを周回し、超重力を利用して増速し、一気に危険区域を突破するとともに追手を煙に巻くことに成功したのだ。

 残された追手はこぞってブラックホールに捕らわれまいと元来た道を逆進していく、艦内では顔も名も知らぬ責任者が地団駄踏んで悔しさを体で表していた。

「重力圏を離脱、追手も来ないしもう大丈夫だ。」

 前門の穴後門の艦という境遇を抜けて船内に安堵の色が広がる。それらに挟まれていた時は生きた心地のしなかったファビオとトマスは息を吹き返したかのようにカミロを礼賛にかかった。

「いや~神様仏様カミロ様、こんな手を使うなんてさすが学のある御方は違うってね。」

「そうだそうだ、なんと言ったかのう?スイングアウト?あれとは俺では思いもよらんかったわい。若いオツムはいいのう。」

「『スイングバイ』だ、うろ覚えで物を言うな。オツムが古くなると言葉も古臭くなって溜まったもんじゃない。」

 スイングバイとは、天体の引力を利用して宇宙船の向きを変える方法であるが、ここでは公転を利用した増速にも重きが置かれている。ディア=フェリースは弧を描いて目的地の方向へと大きく方向転換を果たすと同時にブラックホールの引力を逆利用して加速を付けていた。

 二人は、彼の思いつく知識にも脱帽したが一歩間違えれば二度と帰れない旅路となるだけに決断する胆力も必要であるものを、いつもどこかに臆病風を持つカミロにできた決断を賛美していた。この結果、一週間かかると見ていた裏航路での航海は更に数日短縮するという経路上の偉業をサラザール一家は達成することになる。しかしこんな無茶は二度はやりたくないというのが正直過ぎる本音であったことは言うまでもない。

「いやあ~、敵さん地団駄踏んでるだろうし、旅は予定より早まるし結構結構なことで。なあ、カミロ?」

 トマスの呼びかけにカミロの返答は全くなかった。返事がないことに疑問を抱いた彼が振り向くと、副長席に彼の姿を確認することができなかった。

「あれ?おい、カミロ、どこ行ったんだ?」

 トマスが主君の彼の身を探そうと副長席まで上ると、当のカミロが椅子からずり落ちてデスクと椅子の狭間に転がっている姿を見つけるに至った。胸から腹の辺りを抑えているのでまたしても内蔵に掛けられた過度の負担が限界を迎えたのはトマスにもよく分かった。

「あちゃあー、褒めて損した気分だぜ。せっかく格好付いてたのに、またそのザマかよ。先生だ、先生呼ばねえと。」

 窮地も脱したところであり、パウロが至急ブリッジに呼ばれてルシオは診察を受けた、正確に言えば診察の前段階でパウロは結論を出していた。

「心配ない、心配ない。こりゃあ儂が注射しておいた薬が効いとるだけじゃ。熊でもなければブリッジに来るまでに爆睡するんじゃがのう。あの親にしてこの子ありっちゅうところか。」

 改めてブリッジに安堵の空気が広がり、もはや目的地も至近なので和やかな雰囲気が広がった。彼を囲む輪の中で中心人物だけが安堵の輪に加わらず惰眠という馳走を頬張っていた。

 尚、カミロはパウロに何をしとるかと尻を叩かれて注射一本で放逐されていた。パウロにしても彼の神経の細さにはまともな療法を所持していなかったのだ。見捨てられた君はルシオを囲む輪にも交われず、自席の椅子を倒して寝込むのみであった。


 船医のお墨付きも頂戴でき、今度こそ完全復活とばかりにルシオが熟睡の証拠で艶めいた顔を部下達の前に現した頃、ディア=フェリースはいよいよサグラード王国の中枢、首都星アマドーラの衛星軌道へと到着した。現在船内に存在する人間全てに正体は知られているが、家の外ではルシオでいることが基本の彼は偽装を崩していない。また特等席を誂えてもらったエンリケはブリッジからアマドーラが窓へと近付いてくる様子を眺めてコインブラの殺風景さとは真逆になる賑やかさと水と緑に溢れた星の様を感じ取っていた。

 数十の恒星系に跨る惑星間国家の中心部らしく、船の左右をひっきりなしに追い抜き、また対向する宇宙船の交通量、夜の部分からよく見えてくる煌々とした都市部の輝きとその広大さ、星の周囲を回る巨大な宇宙ステーション達。どれをとっても人や物の流れの一大拠点である惑星であることは疑いない。

 人気に関して少ない箇所を狙っては仕事に励むルシオ達一党にとっても巨大で活発な経済活動の中心地を訪れるのは久しい限りであり、既に上陸となれば派手な買い物から夜の街までいかなる楽しみを満喫しようかと浮足立っている乗組員も少なくなかった。

「これがアマドーラか・・・デカいなあ。」

「ふぉっふぉ、なんと言っても我がサグラード王国の都であるからのう。殿下、よくご覧くだされ。この星が貴方様を戴いて王国の中心となるアマドーラにございますぞ。」

「ああ、分かっておる。」

 ゴンサロに改めて言われるまでもなくエンリケは星を凝視していた、どれほどの人間が生命を営み、また飛び立ち、降り立っているのか見当もつかない交通量とそれを捌ききれるインフラの巨大さは目を見張る。エンリケは彼らの上に立つ責任を再確認するのであった。

「責任重大だな。余は彼ら一人一人の生命を預かるわけだ。」

「その通りでございます、このアマドーラをはじめとして王国三十の星系と百億の民の生活に対する責任が殿下には発生するのです。このゴンサロ、これまでにも増して殿下の御為に尽くしますぞ。」

「爺、爺にはこれまでの事充分に感謝しておる。そしてこれからも十分励んでくれ。」

「この老骨に勿体無いお言葉・・・おろろろろ。」

 またもゴンサロはエンリケの言葉に涙ぐんでしまう。言質は立派なのだが相当な甘やかしと過保護の教育が見え隠れするのにルシオ達には王国の未来に一抹の不安を禁じないでもいた。ただ彼らは海賊旗の元にこそあれ、サグラードの旗を仰ぐ者ではないために王国の未来などに果たす責任は無いとばかりに口を噤んだ。ルシオにしてもエンリケの行く末は気になるようで彼に気を砕くところであるが、サグラードの今後とまでなると話は違ってきた。

「じゃあ入港要請だ。ディアナ、手筈どおり頼む。」

「宜候。」

 ディアナからアマドーラ管制に対して通信が送られた。

「こちらは商船サント=ルシフェル号。紅茶百トン、牛肉十五トンを運んできた。」

 依頼主である宰相ガスパール=アリアスからは管制に対しては商船に偽るよう依頼書には記されてあった。管制側には船名と物資で判別できる隠語になっているとの説明である。どちらにせよ海賊が王子を運んできたなどと堂々宣言できるはずもなかった。

 数秒の確認の後、すぐに返事が寄せられた。

「こちらはアマドーラ管制室。貴船を確認した、ステーションA、十三番ドックへの入港を許可する。サント=ルシフェル号、長旅お疲れ様でした。アマドーラへようこそ。」

「了解、ステーションAへと向かう。ありがとう。」

 隠語は効果があったと見えて、アマドーラの管制からはコインブラの素っ気なさとは雲泥の差のある挨拶が返ってきた。聖なる堕天使とはなかなかに意味も通らず、聞いたこともない偽名はすんなりと受け入れられた。

「さあてお頭、これで仕事は終わりだな。この星で何しようっかなー、若い姉ちゃん選り取り見取り、っとくらあ。」

 時折忘れ去る部下もいるが、あくまでルシオの中身は女性である。性のはけ口なのは分かるが拭い去れない色の商売への抵抗感はあった。ましてどうして自分に対して色の話をするのかという思考の足りなさには額の血管に微妙な変化を見せる時がある。

「まあ、あんまり羽目を外しすぎるなよ。」

「はいはい、へっへっへ。」

 ルシオの注意はトマスに他人への物言いに聞こえ、軽々しく受け流されていた。

「これで旅は終わりか・・・お主たちともこれにて手切れということになるのかの。」

 エンリケが惜別感を醸すようにぽつりと呟いた。彼の暗雲を打ち払うかのようにトマスが風を吹かせる。

「何言ってんだよ王子様、お前が会いたきゃいつでも俺達を呼べばいいのさ。俺達も王様の招きってんなら両手を振って此処まで来てやるぜ。なあ?」

「・・・うん。」

 トマスの振りに一応頷きはしたが、事はそう単純でないことをルシオは理解していた。お尋ね者が堂々現れたところで連邦警察はじめ王の意向に従わない、もしくは従う必要のない勢力は存在するし、そもそもエンリケが海賊を呼んだなどとの醜聞は彼の王権に百害のものとなるのは明白であった。実際、気楽で物事を深く考えないトマス以外には理解できていた。

 ディア=フェリースはその中規模の体を繋ぎ止められる宇宙ステーションドックへの入港を完了した。大きなステーションであり物流と人の往来がそれだけに激しく、地上とは軌道エレベータで直接結ばれシャトルに乗り換える手間を省かれていた。船体の固定が終了したところで管制側から奇妙な通達が送られてくる。

「お頭、『乗降規制中につき客人とメインスタッフのみの上陸を許可する。その他は追って指示する』だと。」

「規制?なんの規制だろ。」

「怪しいな。上陸は待ったほうがいいかもしれないな。」

 油断できそうにない緊張を海賊たちには共有できたが、恐れるものはなくなったと気持ちが緩みきっていたゴンサロが彼らの猜疑を窘めた。

「お主達、もうここは我が王国の中心部じゃぞ。何を此処まで来てぴりぴりしておるのじゃ。早う、早う殿下をお連れせねば。そうですよね、殿下。」

「うむ、早く戴冠することこそ我が望みであったからの。」

「殿下もこう言っておられる、さあさあ。」

 見たこともない我が家へと連れ帰られた間隔のエンリケは帰宅の感があるゴンサロに同調する。巣穴を一歩這い出れば敵意はどこにでも存在するという意識のある海賊の間には見解の相違が生じた。だが結局は王子の意見が最優先として扱われた、と言うよりそそくさと出口へと向かおうとする彼らを止めることができなかったルシオ達が寄り切られた格好となった。

 宇宙船のハッチを抜け、最初にステーションの到着ゲートを潜りロビーへと歩を進めたのはルシオ、カミロ、ファビオ、ディアナ、トマスのサラザール一家のメインスタッフ五名と、エンリケ、ゴンサロと彼らに従う女中と衛兵が計五名。この十二名であった。

 そしてロビーへと姿を表した彼らは違和感を覚える光景と遭遇する。他のドックからの乗降者や関係者でごった返していてもいい筈のロビーが閑散とし、一人の上級士官のような男だけが客人を迎え入れた。

「海賊サラザール一家の一行にございますな。」

 男の口調に疑問符はなかった、確信がありながら最終的な確認、YESのみを相手に求めようとしていた。

「そうだが。」

 およそ違うという返答をしようもない状況でルシオは肯定の返事を送った。刹那、士官が右手を上げるとロビーを彩る調度品や植物の影から、また地上への軌道エレベータへと続く出口からも大勢の兵士がわらわら現れ、一行に対し銃を構えてきた。これに対し海賊と衛兵は得物を手に取ってエンリケ達を守るように弧を描いて立ちはだかった。その間を縫ってゴンサロが歩み出し、激怒と共に士官を怒鳴りつけた。

「痴れ者っ!ここにおわす方をどなたと心得ておるか。身罷られた先王様が遺児、エンリケ殿下なるぞ。」

「と、名乗る不逞な簒奪者、ですな。宰相閣下よりそう承っております。」

「何っ?」

 ゴンサロは士官の言葉を理解できなかった。士官にとっては彼の行動は予想の範囲内で取るに足りない反抗のようであり些かも心乱した様子はなかった。

「ご挨拶だな、誰が簒奪者だよ。」

 自身に銃口が向けられた時点で自慢の銃を構えて軽く腰を落として臨戦態勢を取っていたルシオがゴンサロに代わって口を挟みだした。

「貴様達に他ならぬ。エンリケ殿下を謀殺し、どこの馬の骨とも知れぬ小僧を身代わりに立ててサグラード王国を乗っ取ろうなどとは一介の海賊風情にあるまじき暴挙。一連の事、既に明白。神妙にいたせ。」

「なあ、お頭。これってかなりヤバくねえか?」

「ああ、どうやらこれも罠だったって事か。」

「どうする?分は悪すぎる。」

 手勢は総勢でも十二人、内ゴンサロと女中は戦力の対象から外して八人。対して兵士は前方と左右、更には吹き抜けた階上の壁面に設けられていた通路にまでくまなく配置され百は余裕で越えていた。相手とは劣勢という言葉で片付けられない程の戦力差が生じている。

「カミロなら・・・どうする?」

 彼はくいと顎で来た道を指した。要すると、この場は撤退し一旦船まで退いてステーションを強行脱出して体制を立て直そうということであった。戻れば無傷の海賊船と屈強な数百の部下がいるのだ、少なくとも現状より選択肢の幅は広がる。。

「言っておくが、船まで戻っても状況は変わらんぞ。そのようなもの徒労に過ぎん。ほれ、窓の外を見てみろ。」

 囲まれた側は銃列から更に遠方に目を向けた。ステーションのロビーは美しきアマドーラやそれが浮かぶ宇宙を見晴らせるように大きく透明な超硬質ガラスで開放感を持たせている。外を見るように指示された者達は一様に退路の塞がりを悟らずにはいられなかった。ステーションの周囲には十隻以上の王国軍艦艇が展開し砲門はステーションの方向に向けられていた。砲の正確な照準がディア=フェリースに合わせられているのは疑いようもない。

「はっはっは。観念することだな、賊よ。」

 八方塞がりを感じるルシオ一党、彼らの無念の臍を感じたのか人の弧に守られていたエンリケが歩み出て士官の前へと踏み出した。兵士たちの銃口の何割かも彼の動きに合わせて狙いを移動する。

「余は、サグラード王国第三王子、エンリケ=デ=アルメイダなるぞ。」

「と名乗る不逞の輩と聞き及んでおる。」

 エンリケは無駄と承知していたのかどうか、士官に対して名乗ってみせた。十の子供が歴戦をくぐり抜けているであろう軍人に対し凄んでみせたところで結果は無駄の領域を半歩たりと突破できものとはならなかった。

「余は確かに本物のエンリケである。お主が余を偽者というならばその根拠は何か。」

「これは異な事を。本物を名乗る事にこそ根拠を示してもらわねばな、坊主。私は宰相閣下より直々に殿下を騙る不届き者が現れる故にこれを捕らえよとの命を帯びている。もはや無駄に動くな。」

 証左の持ち合わせなどなく、エンリケは黙った。彼とて自分が王子であるとの教育を受けてきただけであり、別に家系図や父譲りの物品を備えているわけではない。つまり他者に対して明確に出自を表せるものは存在していなかった。

「そうじゃ、宰相、その宰相、アリアス閣下に合わせてくれ。そうすれば全てが詳らかになる。」

 ゴンサロは思い出したかのように士官へと哀願した。しかし士官はその必要性を認めようともせず囲みを解こうともしなければ銃口を下げさせもしなかった。尚もゴンサロが悲痛に叫ぼうとした時である。

「ふはははは、無駄な足掻きぞ、逆臣共。」

 姿は見えないが居丈高な内容と明確に理解できる声が士官の後方から飛んできた。士官の遥か後ろの出入口がすっと開き、登場した人物が通れるよう波を割るように彼の前にいた兵士だけが道を開けて捧げ銃の格好を取った。男は兵が退いてできた道を一歩、また一歩と貫禄を足首に付けたように歩んでルシオ達の元へと近付いてきた。

「おお・・・アリアス閣下、これぞ天の助け。」

「あれがアリアス、ガスパール=アリアス?」

「そうじゃ、今回の件に心を傷められエンリケ王子のお戻りに腐心された王国宰相、ガスパール=アリアス様じゃ。」

 ガスパールと呼ばれた男は威風堂々として貫禄だけなら王佐より王にもなれる威容を誇っていた。宰相というだけありエンリケがコインブラで纏っていた礼服と同じような服を纏い、この国で王族に次ぐ者という意味を持つ青いストールを掛けて威厳も高らかであった。威厳と威風は必ずしも膂力と比例はしないので一騎打ちならばファビオが圧勝するであろうが、百を数える銃口の前で彼が腕力を十二分に披露できる情景はやって来なかった。これで流れが変わると安心感に満たされる者、推移を見守る者、片時も戦闘態勢を崩さず命令あらば血戦厭わずの者、十二名の模様は様々であった。

「アリアス閣下、ようここまでお越しいただけました。ささ、この者に殿下が本物のエンリケ王子であると伝え、この非礼を詫びさせて下され。」

「・・・お前、何を言っておる?」

「はい?」

「儂はただ、仮にもエンリケ殿下を騙る心臓に毛の生えた賊の顔を拝みたいと思うてここまでやってきたに過ぎん。」

 ガスパールのゴンサロを打ち捨てるように聞こえた台詞は対象に多大な衝撃を与えた。杖を突いていなければ両膝が地に接吻していたことだろう。

「何をおっしゃるか、それがしはコインブラを発って後、逐一閣下に現状を報告していたではありませぬか。」

「何っ?アンタか。」

 ディアナが声を上げた。やたらと敵側の用意がよかったのはそれとは知らず埋伏の毒の役割を担っていたゴンサロの存在あったればこそであり、そうなれば話に説明も付いた。彼はオブザーバーとは言えほぼ全てのブリーフィングに席を構えて話を聞いていたのだから彼が知り得た情報が隅々まで流されていればガスパールには何から何まで筒抜けであった。老人だからと侮ってゴンサロに見張りの一人も付けておかなかったのはルシオ側の失態である。

「何を世迷言をほざいておる、儂は海賊などと話もしたことすら無いわ。」

「そっちも何言ってんだ、俺達にエンリケ王子をここまで運んでこいって依頼したのもアンタだろ、アリアスさんとやら。」

 今度はルシオがガスパールの詰問に立った。詰問される側は詰問などという強意に当てはまらぬ様に素知らぬ素振りで彼の問いに向こうともしなかった。

「はあ?本当にどんな世迷言を申すかと思えば、海賊というものは常人では測れん定規で動いておるようだな。」

「だから何言ってんだってんだろ、お前が連邦警察に掛け合ってジョアンと話して俺達に依頼してきたんだろ。」

「よく知っておるな。連邦警察と交渉したことに間違いはない。だが儂の訴えも虚しく彼等はなんら手を打とうとはしなかった。そしてエンリケ殿下は自らこの地に向かわれる途中、不遜な野望を抱いたお前たちの手によって亡き者と、おおお。」

「チッ、なるほどな。」

 両瞳を手で覆い隠すガスパールを見てカミロは舌打ちした。ガスパールの並べた、かくあって欲しい出鱈目の筋書きに彼の正体を見つけたのだ。

「もう話すにも耐えんし聞くにも耐えん、此奴らをとっとと全員ひっ捕らえよ。」

「はっ。かかれっ。」

「このぉ、」

「待て、こんなところで一悶着起こす気か?死に急ぐだけだ。」

 血気に逸ろうとするルシオをカミロは必死で止めた。今暴れればすかさず銃殺の口実を与えるだけなのがカミロにも、ディアナ、トマス、ファビオにも分かっていた。ファビオにだけは、いつでも乱を好まんとの姿勢でルシオの命令を待っていた節こそあったが。そのルシオは彼の期待に応えず唇を噛み締めながら振り上げかけた拳を天に掲げる前に地を示すように下ろさざるを得なかった。

 士官の号令により兵士の一部が十二人に取り掛かり一人残らず捕縛されてしまった。エンリケから女中達も海賊の一味として捕らえられ、全員が手錠姿という不本意な格好で惑星アマドーラの地を踏むことになってしまった。

 つくづく相手の用意はいいことで、軌道エレベータを下りた先には護送車が待機させられていた。彼らは地こそ踏みしめたがアマドーラの太陽をまともに拝む暇も与えられず刑務所に連行され、まとめて投獄の憂き目に遭った。この時女中達は別の房へと放り込まれた。これは何らかの配慮であったのだろうか、男で売っているルシオはともかくディアナは他と同じ房に入れられている。果たして衛兵の二名はといえば何処かへと連れて行かれその後も杳として行方は知れなかった。


「くっそおおお!なんでこんな目に遭うんだよぉ!!」

 薄暗い牢屋の中にルシオの甲高い叫びが響き渡った。普段ならまあ我慢してもいいだろうという範囲に収まっている音域がなまじ響く部屋であったために他の者の鼓膜に過大な負担を与えた。

「うっさいお頭!狭いんだから叫ぶなよ。」

 遠慮のないトマスがルシオを制した。

「だってさあ、ゴールしたと思ったらなんでこんな薄暗くて寂しい場所に放り込まれなきゃなんないんだよ。理不尽だって。」

「まあそう言うなお頭。俺達ゃ海賊だ。牢屋の一回や二回経験したら泊が付くってもんだぜ。どわっはっはっは!」

「アンタの笑い声も喧しいんだよ、黙ってな。」

「おう怖怖。笑っていられるだけマシってもんだぜ、お嬢さん。」

 どれだけ牢屋に入った経験に富んでいるのか、現状に全く動揺を見せないファビオとディアナ。ルシオにも見習ってもらいたかったが、彼は如何せん箱入りであったがために初体験となる牢屋の環境に適合するにはもう少し経験が必要であった。

 ただ彼らに総じての心配事は存在した。ディア=フェリースと中に残してきた部下達がどうなっているかである。情報が遮断されて状況は全く掴めないでいたが、この時の船は主機関も停止しており周囲を戦艦等に囲まれている、何よりルシオ達が人質同然ということもあって目立った反抗に出ることはなく、無抵抗を装い全員が船内に閉じこもっていた。ガスパール側も敢えて彼らを刺激してステーションに被害が出ることを恐れ、穴蔵に篭っている内は手出しせぬ猟師の心境であった。

「おろろろ、どうしてこのようなことに。」

 ゴンサロは護送車の中から悲しみに暮れていた。自らの無力と迷いなく信じていたガスパールのまさかの不忠が彼の心を重い重い雨雲で曇らせている。やおら彼はエンリケに向き直り、膝と額を地に張り付けて平服した。

「殿下!殿下!全てはこのゴンサロの不徳の致すところ、殿下を牢屋に繋ごうとはアリアス閣下、いや、あのアリアスめも太い奴。かくなる上は爺が責任を取って奴と刺し違えてご覧に入れようと。」

「落ち着け爺、こんな状況で刺し違えるもなにも、あの者がここまでわざわざ現れるのか?」

 ゴンサロはエンリケの言葉に心が動いた。最年少者に最年長者が窘められるとは立場が逆である、だが最年長者の方は相手の態度に怒るどころか喜びを持って迎え入れる。

「とにかく落ち着くのだ。落ち着いて考えて、この事態の抜け道を探ろうではないか。」

「ご立派になられて、おろろろろ。」

 年甲斐もなく感情が高ぶっている老人は忙しくも次は感涙の涙を零すのだ。エンリケは一つ学んだことがあった。自らの手が及ばぬ状況では如何に慌てふためいたところで事態は好転しないという事を。

「ほんと、最初会った時はどんな王子様だよって思ったけど、変わったかな。」

「誰が言ったか、旅は人を成長させるというからのう。お頭だってひと航海してからは大分変わったものだぜ。」

「俺も?」

「ああ、あっという間にその格好も板についたしな。」

「そうそう、初めてのお仕事の前はこんな格好ダサくて死んじゃうーって大騒ぎしてたもんな。」

「そ、そんなの無かったよ、絶対なかった!・・・多分。」

 ファビオとディアナが顔を合わせて、目の前にあったより良い例題の歴史を思い出して納得しあっていた。ルシオは自分の記憶にはない黒歴史を引っ張り出されて顔から火を出しつつ必死の否定に走る。

「ははっ。ところでしてやられたな、ルシオ。」

「何がさ?俺は恥ずかしい過去なんて無いさ、無いったら無い!」

「そうじゃない。全てはあの宰相、ガスパール=アリアスの仕組んだことだったってことさ。あいつが黒幕で間違いないだろう。」

「黒幕?だってあいつ、依頼者だぜ。」

「依頼者だから黒幕じゃない、なんて事ないって。多分先王の暗殺から全てがあいつの筋書きだったんだろうな。こうなってしまってようやく分かったよ。」

「どういうことだ?」

 エンリケが彼の推論に身を乗り出してきた。

「証拠は今のところ何一つ無い。強いて言えば本物のエンリケ王子をこうやって罠に嵌めたってことくらいか。その前提だけど聞くか?」

「無論だ。」

「じゃあ話そう・・・」

 カミロの推論は証拠こそありはしないが事実を突いていた。曰く、ガスパールは元々なのか急に目覚めたのかは別として簒奪の野心を露わにし、第一王子が開いた晩餐会にかこつけて王と第二王子を亡き者にした。罪は全て第一王子に着せれば問題はない。さて、これで残る王位継承権を持つ人間はエンリケであるが遠き辺境とはいえ大聖堂の中にあったために簡単に手は出せない。よって王位の戴冠と称して彼を引きずり出し道中で始末する予定であった。ところが王子は罠を掻い潜ってついにアマドーラまでやってきた。ならばと偽者の烙印を押し付けて始末する手に打って出た、という案配であった。無論エンリケ殺しの罪はルシオ一党に押し付けてまとめて口を封じるであろう。

「ひどい話じゃない。カミロ、どうにかならない?このままじゃこの子が不憫よ。」

 ルシアの意識が半分出ているルシオはカミロに知恵を絞れと迫った。

「牢屋に閉じ込められて船も動かせない、武器なんて全部取り上げられた現状ではどうしようもないな。」

「どうしようもないって、そんな!」

「お前も落ち着け。何も向こうだって俺達をいつまでもこのままにしておく筈はない。向こうが動けば隙もできるだろう。勝負はその時じゃないか?」

 カミロの分析は的を得ていた。武道でも相手が動いた時にこそ攻勢のタイミングが生まれるものである。

「だから、落ち着こう。俺は横になる。」

 カミロは言い残すだけ残して横になった。胸を抑えていたのでまた胃に来ているのはすぐ分かった。これでよく飛び級での大学進学などと神経に負担のかかる進路が歩めたものだとルシオはよくよく感嘆する。もう少し稼働時間が長ければな~、と彼の電池、つまり内蔵負担の臨界点の低さを嘆くこともしばしばだ。

「まあこの状況で寝られるのはいいもんさ。ルシオ、アンタも寝ときな。寝られる内に寝るのも海賊の務めだぞ。」

 姐さん風を吹かせるディアナはルシオに反問を許さない、彼は大人しく従うのだった。

「ああ。じゃあ、みんなも今の内に休んでおこう。寝られないにしたって、横になってるだけでなんとかなるよ。」

 部下も、エンリケとゴンサロもルシオの提案に従い一旦体を横にした。アマドーラに着いてからと言うもの緊張の糸が張り詰められっぱなしで、案外早く眠りの神は皆の上に等しく降臨する運びとなった。

 ただ眠りの神が自らの職務に精励する最中のこと、無意識の内に無信心の輩となっていた兵士が牢屋へと無遠慮に侵入してきた。神は居場所を失い、全員が中途半端な段階で睡眠を妨げられ、兵士への負の感情が高まった。彼は罪人の怨嗟など一切気にかける様子もなく刑務所くんだりまで足を運んだ一兵士としての職責を果たさんとする。彼にとって罪人にかかる神の恩寵は己に渡された命令より扱いが悪かった。

「お前たちの処分が決まった。三日後、アリアス閣下の戴冠式に合わせて前座として公開処刑に処す。」

「ほうらな。」

 カミロの予想的中を促す台詞はガスパールの戴冠という部分にかかっていた。簒奪の野心は明白であり、またこの公開処刑こそ相手の隙を窺う瞬間と目で示し合わせた。海賊達が機を見計らおうと息巻く中でただ一人ゴンサロだけは王子を危険に遭わせている悔恨と自戒で悲しみに暮れる一方であった。


 時計とカレンダーは万人に等しく時の流れを与え、一切の例外と妥協を許さない点ではこの世で最も冷酷な悪魔的存在であったかもしれない。三日という期間はガスパールにとって至尊の位に就くまでの長く待ち遠しい準備期間であり、ルシオ達には命の灯火が消されるまでの猶予期間と反撃の一手を考案する議論の時間であり、人により長くも感じられ、短くも感じられた。

「出ろ、これより処刑場へと連行する。」

 不遜な海賊一党を引っ立てに来てエンリケを含め下賤な悪しき者を蔑む目で見る兵士が彼らの手に枷をかけ牢の外へと連れ出した。此処まで運ばれて来た物と少なくとも同じ形の護送車が初めて通る道を走る、やがて到着したのは遥かにそびえる大聖堂であった。エンリケが育ったものより一回り巨大で比較するまでもない荘厳さを醸し出す、首都の誇る神の社。

「神様の元で処刑だなんてなかなか乙なことしてくれるじゃないかい。」

「勘違いするな。今此処ではアリアス閣下の、もうすぐ陛下とお呼びせねばならぬ方が戴冠前の演説をなさっておいでなのだ。お前たちは演説の最後に見せしめとして処される栄誉を与えられたのだ。感謝しろよ。」

 ディアナの皮肉は思考に重度の硬直具合が見られる一兵士に勘違いという一言で片付けられた。

「誰が感謝なんかするかよっ。」

「ふんっ、死の直前までその減らず口が続いているのか?さあ、きりきり歩け。」

 悪人に慈悲なしの心であったろうか、兵の台詞はとかく冷酷さをひしひしと感じさせた。市民を守る軍人として悪を断罪する心に間違いはなかったかもしれないが、見に覚えのない大逆罪でしかもピエロとして処断されようとしている一行には彼個人への恨みも募りつつあった。

「・・・で、あるから。私は今、誰かが立たねばならぬ時に於いて私自身が立つ決心を固めるに至ったのだ。先王陛下は偉大な王であらせられた。何故息子によって命を絶たれるという無慈悲なご最期を遂げられなければならなかったのか。神に恩寵はなかったのか。私は惜しい、本当に口惜しい!しかしいくら嘆こうとも先王はもうおられぬ、弑逆犯の息子も、将来を嘱望されていた第二王子殿下も既に天へと召された。最後の希望、遠きコインブラの地にあられたエンリケ殿下も混乱に乗じた海賊共の手にかかり敢えないご最期を迎えられた。しかし!しかしだ、このサグラード王国は続くのだ、誰あろう、それは私の手にこそ委ねられた。私が王となり王国の崩壊を防ぐのだ、これは神が与えたもうた運命である。そう、これが運命なのだ、臣民達よ、私の元に集まるがよい。」

 ルシオ達が大聖堂の中央にある、ゆうに三、四千人は入れられる大礼拝堂の祭壇前に急遽設けられた処刑場に現れた時は並べられた柱の前にて、一段高い台上でガスパールが滔々と自己正当化の簒奪演説を行っている真っ最中であった。時に猛り、時に悲しむ、感情を覆い隠さず語りかける姿に集まっていた聴衆も、カメラから全宇宙発信されている先の視聴者も、簒奪などとは露知らずに王国の危機に立ち上がった一人の英雄の熱弁と思い込んで心の全く伴わない話術に酔わされていた。所々から上がった彼の弁に感極まった熱狂が群衆を包み、陶酔の波が彼らを襲いガスパールに畏敬を感じていた。

 群衆の各所に配置していたガスパールの手の者が我先と上げた気勢に来場者は次々と飲まれたのだ、サクラによる群集心理の操作であった。まるで抜け目のないガスパールはここにも奸智を紛れ込ませていたのである。

 熱狂に答えるように両手を軽く上げたガスパールは次に軽く下ろして静まるように求めた。熱狂は彼の合図に反応した者から徐々に収束の兆しを見せ、ある程度まで収まったところで再度ガスパールの口が動く。

「さて、私が王位を戴く前に宰相として為さねばならぬ最後の職務がある。」

 ガスパールは聴衆から目を離し、控えていた兵士達に海賊一党を柱に括り付けるよう指示を出す。

「この者達は、あろう事かエンリケ殿下を殺害した海賊共である。そして更に何たる不遜な事か、この子供をエンリケ殿下と偽って即位させ、この王国を意のままに操ろうなどという大それた考えを実行しようとした、人としてあるまじき者共だ!」

「人にあるまじき・・・どっちがさ。」

 ルシオの一言は群衆の大なる野次によって誰の耳にも届きはしなかった。集まった数千に及ぶ民衆の怨嗟が全て七人へと向けられたのだ。計り知れぬ疎外感がルシオを包む。不思議なことに数千の半数と考えても千人以上が好き勝手な言葉を吐き、まるで何を言っているのか聞き取れようもないというのに、言葉に乗せた怒気や敵意は感じ取れるものであった。

 何を思ったか、ガスパールはずかずかとルシオに歩み寄った。上からむんずと髪を掴み頭を押さえつけて強引にしゃがませた所で腕を横に払って力任せに彼の頭を吹き飛ばしたかのように周囲には見えた。飛んだのはウィッグだけであり頭と体が望まぬ二体に分断されるのは免れたが、ルシアの輝く金髪が全宇宙の衆目にこの時晒された。

「此奴を見よ。この者は女の身でありながら男のなりをして海賊という下賤な行為に及んでいたのだ。なんと浅ましいことよ。」

 ガスパールは全てを知り尽くしているかのようにルシオの正体、ルシア=サラザールを暴きその所業を詰った。驚いたのは中継を見ていた彼女にとっての同業者、中でも顔見知である者達の方であったろう。可愛げの残る坊主だと思っていた知人がまさか麗しい女性だったのだから。

「爺さん、そんなことまで報告していたのかっ!」

「す、すまん。儂もよかれと思ってやっていたのじゃが、反省しておる。」

 カミロの怒鳴り声に萎縮しきるゴンサロ。船内での出来事を逐一残さず上役に上げていたまめさが実に余計であった。しかし不当な扱いを受けて黙っているほどルシオは畜生でもなかった。

「五月蝿いっ!何が浅ましいんだ、エンリケを殺して国を乗っ取ろうなんてお前のほうがよっぽど浅ましいじゃないか!そんな暴挙、誰が許してもあたしが許さない!」

 侮蔑を食らったルシアは女性である否定も隠匿もせず、臆面なく堂々とガスパールに正面向かって啖呵を切った。自分が許さないとは神にでもなったかのような大見得を切ったものである、それだけルシアはガスパールに対する憤怒の熱が高まっていた。

「ほっ、何を言うかと思えば・・・殿下はお前たちが殺してしまったではないか。」

「余は、ここにおるぞ!」

 ルシアが辱められたことで一様に心に火が付いた一党の中で我先に精一杯の大声で自らの存在を主張したのはエンリケであった。殺されたなどと、それも好意を寄せる者の手にかかったなどと目の前で吹聴された彼にも憤りがあった。

「お主が何者かは余は正直知らぬ。しかし余をここまで送ってくれた恩人達を愚弄し、また命さえ奪わんとする鬼畜の所業は目に余ること甚だしい。直れ下郎!」

「戯言を、黙れ小僧が。」

「いいや黙らぬ。父母、兄達を手に掛けたのも全てお主なのであろう。余を亡き者にすることで簒奪は完了するのであろうが、ならば余は絶対に死せん。」

「笑わせるでないわ、海賊の小僧風情が。」

「海賊ではない、余は、余こそサラザール王国第三王子、エンリケ=デ=アルメイダである。臣下の分際で場を弁えよ。」

 当初は海賊共に引っ付いているただの子供と思い歯牙にもかけていないい聴衆や兵士であったが、彼の兼ね備えていた風格と、どことなく先王に似ていなくもないような顔を前にして今まで自分達の信じ込まされていた真実に疑問符を付ける者が徐々に現れ始めていた。彼等の覚醒による微妙な空気の変化はガスパールにもなんとはなしに伝わり一縷の焦りが生まれる。

「ええいっ、何の証拠もなしに王子を騙るとは益々もって不逞の極み。いいからその小僧をすぐ射殺してしまえ、大逆の大罪人ぞ。」

「させるかあっ!」

 兵士たちがガスパールの命令にも動きを鈍くさせている間隙を縫ってルシアがガスパール目掛けて突進し体当たりを食らわせた。兵の注目が彼女に向いたため、この隙にカミロがエンリケを捕まえる。

「何をするっ。」

「いいから、今の状態ではいずれ狙い撃ちされる。何せあいつの一番消したがっているのはお前なんだからな。ゴンサロさんも、こっち。」

「後は任せろ、こうなりゃ派手にやってやるさ、なあ。」

「ああ、ひ弱なガリ勉小僧は出る幕ねえ、とっとと消えるこった。」

「言うなって。」

 カミロに急かされたゴンサロも必死で後に続く。杖すら奪われて膝がおぼつかなかったが、王子と己の身が危険にある思いが火事場の馬鹿力を与え二人と共に元来た入口に進入して礼拝堂から姿を消した。彼らの後ろはファビオ、ディアナ、トマスが防いでいた、見事な共同作業で一人の枷がもう一人にぶつけられる。電子錠式の枷だがこれで回路が狂い拘束が解けてしまった。更に最後の一人には取れた枷をまだ手首に居残る枷に叩きつけることで三人は解放され、全力で兵士を相手に大立ち回りを演じる。兵士達も訓練こそ受けていたのであるがこの三人は本当に強い。一騎当千とまでは行かずとも一騎当十にはなり得る。兵は銃を構える暇さえ与えてもらえずばったばったと彼らの暴力により倒れていった。

「ディアナぁ。こっちもこっちも。」

「ああ、忘れてたよ。ここにも手のかかるお姫様がいたんだったね。」

「もー、ディアナたらその言い草酷いよぉ。」

「はははっ、ちょっとこいつらの遊び相手は任したよ。」

「ああ、任せてくれって。」

「任されてやるわ、だーっはっはっは。」

 ディアナは兵から奪った銃を引っさげて、枷の重みに邪魔されつつも研がれた足技で兵を寄せ付けないでいたルシアの求めに応じた。ルシアをしゃがませて地に付けた枷に向けてライフル銃の銃床を叩きつける、が悲しくも銃床の方が砕けてルシアの解放は成らなかった。

「貧相な銃を使ってるな、予算ないのか?なら仕方ないね、ルシア、動くなよ。」

 ルシアが何をしでかすのかと問うより早くディアナは足を振り上げ、枷へと踵を一直線に落とした。銃床ではびくともしなかった枷は彼女の踵落としで砕け散り、ルシアは物理的に自由になったが、代わって心が得体の知れない恐怖感に縛られてしまった。

「よぉし、これでいいだろ。」

「あ、あり、ありがとう・・・」

 ルシアの声に震えが混じっているのにディアナは気付いたが原因にはまるで理解が及ばず、迫り来る兵隊達との格闘戦を再開した。ルシアは砕け散らされた枷の破片を触ってみたが握っただけで結構な硬質を判別できた。こんな彼女を相手にしてこの三年間我儘三昧を演じていたかと思うと、自らの不徳を後悔するのみである。

 解放感に溢れたルシアも、ディアナ達には比べ物にはならないとは言え、彼女らのような連中と毎日付き合っているだけで無意識の内に五体が鍛えられていた。兵士という職種を相手に一対一なら互角以上の闘いに持ち込んでおり、更にディアナが彼女と後ろを守り合うことにより優勢ぶりは顕著となる。

 一兵卒ばかりとはいえ集団で当たらせているのに一方的な展開に冷や汗を流すガスパールは徐々にルシアが近付いてくるのが見えた。彼女の気合に恐れをなした簒奪希望者は尻尾を巻いて反転、逃げる姿勢に入った。

「どこ行くのさっ。とりゃあっ!」

 ルシオは足元に転がっていた、拳大ほどの枷の破片をガスパールに投げつけた。破片は正確に彼へと飛び、背中にごすんと命中を果たした。さあ親玉に怒りの鉄槌を振り下ろそうと彼へと飛びかかった時、礼拝堂に大きな声が響いた。

「そこまでにしろ、暴徒共!」

 不逞だの不遜だの暴徒だのと、いったいどれだけの蔑称で自分達を呼ぶつもりかと苛立ちつつもルシアは飛びかかる動作を中断させて声の主を探した。声のした方向をたどれば、いつぞやのアマドーラ到着時にルシア達を悪意を持って歓待してくれた高級士官が礼拝堂へと姿を現していた。しかも彼は手にエンリケを捕らえており、後ろに従えている兵士達がそれぞれがカミロとゴンサロを引っ捕らえていた。

「面目ない、余が足を引っ張ったばかりにこの醜態を。」

「殿下のせいではございませぬ、爺がもう三十年若ければこのような無体な仕打ちを、おろろろろ。」

「ル、ルシア、すまん。捕まっちまった。」

「あちゃー、もうちょっとで悪の親玉に一発食らわせられるところだったのに。お前って頭だけいいけど後は本当に弱いよね。弱点だらけであたしは嬉しいわ。」

 ルシアは手で目を塞いで皮肉を垂れた。逃げるだけすらも期待に反するカミロの虚弱ぶりもさることながら、自らの直感的で先を計算しない行動を第一に反省する。

「頭『だけ』で悪かったな。」

 カミロは反抗したが、自身の情けない姿で説得力が伴わないのはよく承知していた。

「痴話喧嘩は程々にしろ。お前等、自分達の置かれている立場をもう少し弁えることだな。」

 件の士官は冷静に言い放った。ルシアとカミロの関係性を誤解している節があるがこの際は誤解も何ら意味はなく、ガスパールの握っている彼女たちの情報は高級士官レベルまで下りてきてはいないということを表しているに過ぎない。

「わっはっは。形勢逆転だな。」

 ルシアの鉄槌が目の前にまで迫り冷や汗で背中をじっとり濡らしていたガスパールはまな板から水中へと戻った魚のように息を吹き返した。

「よくやったぞ、そこな・・・誰であったか、まあよい。誰でもよい。褒美は後で遣わすゆえに、まずはこの不埒な女から葬ってしまえ。」

 士官からは即座に明確な返答は得られなかった。

「どうした?それ、やれ、やるのだ。」

「・・・・・・御意。」

 士官は絞り出すようにして肯定の言葉を繰り出した。先だっては特命を与えルシア達一党を捕縛するようにまで命じたのはガスパール本人である。特に目をかけているような遇しぶりを見せておきながら自分の名前も覚えられておらずその他大勢格の誰だ?という扱いに彼のガスパールに対する敬意と忠誠心に揺らぎが生じだす。

 エンリケを手の空いている部下に委ね、士官は銃を構えてルシアの胸に狙いを定める。三人の心配が優先されるルシアはこの時、無駄な抵抗という甘美な名称に心奪われることはなかった。

「悪く思うなよ、恨むなら自分の境遇と身の程知らずさを恨め。」

「くっ、誰がよ。この唐変木っ!」

「つくづく減らず口の減らない奴だ。」

 銃声が起こった、これでお陀仏かとルシアは目を閉じる。光を遮ったため喧騒の中にあって空虚を創造しながらも、死ぬ前に起こるという走馬灯も巡らなければ意識もずっと続いたままである。死ぬってこんなものなのか?と気楽に思いもしたが、聴覚を勝手に刺激してくる外界のざわめきが彼女を再び光の下へと舞い戻した。

 撃たれていなかった。むしろ彼女を狙っていた士官のほうが動きを止めていた、苦痛に顔をしかめるでもなかったが、視線はあらぬ方角を向き、口から唾液を垂らしながらゆっくりとその場に倒れ伏した。

「どうなってんの?」

「どうなっておるのじゃ?」

 撃たれそうになった女と撃つように命じた男から同時に疑問文が放たれた。彼女達の疑問符を解消するためにもあらぬ方向から声が礼拝堂中に響き渡る。

「はいは~い、皆さんお静かにしてくださいね。」

「お前・・・ジョアン!」

 声の主はジョアンであった。礼拝堂の高みに備わる採光用の窓から身を現した彼は拡声器を片手に数人の部下を左右に従えていた。部下の手に手にはライフル銃が携わっており内一人が引き金を引いた直後で、彼が士官目掛けて一発撃ち放っていた。連邦警察は民主的警察権を有するもので基本犯人に裁判を受けさせるという立場から実弾や殺傷能力のあるビームの類は基本的に使わず、強力かつ即効性のある麻酔銃を用いる。故に撃たれた士官も気を失っているだけで命に別状はない。

「おやおやルシオさん、こんな所でお会いするなんて奇遇ですね・・・おや、今はルシアさんですか。」

「えっ?なんでアンタがあたしの本名知ってるのよっ?」

 ルシアは焦燥した。ジョアンの前で男装を取り払ったことはなければ本名を名乗ったことなど毛頭なく正体はひた隠しにしていた、少なくともルシア達サラザール一家はそのつもりであった。

「ちっちっち、警察屋さんを舐めないで欲しいですね。ドゥアルテさんの子供の性別くらい調べれば、ちょちょいのちょーいで分かるんですから。」

 ジョアンは屈託のない薄ら笑いを崩さず、さも自慢げにルシアに語ってみせる。ルシアは彼が勝ち誇った時まで見せる笑顔に心底からの憤りを覚えた。

「んなっ、なんですって?じゃあ今まであたしが男の振りして会話してたのは・・・」

「全て無駄でしたね。あっ、そうでもないか。面白い見せ物として僕は楽しまさせて頂いておりましたから。」

「もーっ!アンタって本当ーーっに腹立つ男ね!」

「いえいえ、お褒めに預かり光栄です。」

「誰が褒めてるかー!」

 ルシアは乱戦の合間に床に落ちた銃をすくいとり、ジョアン目掛けて何発も撃ち放った。幸か不幸か怒りに満ちた彼女の弾筋は乱れに乱れ、全く見当違いの的へと吸い込まれていく。彼女の行動により部下たちは色めき立って制止行動を起こそうとするが、上官であるジョアンが手で遮り忠実な部下たちに感謝した。

「いやあ危なっかしいですね。その短気と荒っぽさは治さないと嫁の貰い手にも不自由しますよ。」

「大きなお世話よ。下らないおしゃべりより、わざわざ何しにここまで出向いてきてるのよ、課長サマ。」

「さあ?いよいよあなたを捕まえるためだ、とでも言ったらどうします?」

「連邦警察に任せるまでもない、こんな賊数人など儂の部下だけで十分だ、公僕など我々の邪魔立てなどせず退散してもらおうか。」

 あくまでも自らの手で口を封じたい風のガスパールは連邦警察の介入を好ましからざるものに思った。ただでさえもう少しのところでルシアを仕留められるところであったものを妨害されただけにジョアン達の登場に決して正の感情は抱いていなかった。

「おやあ?何のことでしょうか。僕はあくまでも『だったら?』と例えで言っただけであって。そもそも、うちの手配書にはサラザール一家のボスさんはルシオという男性で記載されています。そこにいるお嬢さんじゃあありませんよ。少なくとも今日の時点では。」

 ジョアンとしては詭弁も甚だしいこと承知の上での発言だった。だが実際ルシアは海賊ルシオとして手配されており、正式にお尋ね者ではないことは間違ってはいない。修正すればいいだけの話ではあるが、現時点においてジョアンには即刻修正するという意思はない旨が表された。

「何より私ども、ここへは別の目的でやって来ておりましてね。」

「というと・・・何だ?」

「他でもありません、ガスパール=アリアス。殺人教唆の疑いであなたを逮捕します。」

 突然の宣告にガスパールは宰相という人身至高の地位に似つかわしくない動揺を見せた。謀略に無視を決め込んでいた連邦警察を見下していた節も動揺に一層の拍車をかけている。

「な、なんだとっ。お主、気でもふれたか?儂はサグラード王国宰相、ガスパール=アリアスであるぞ。」

「ええ、ご存知ですが、それが何か?」

「何かとは何だっ、証拠もなしに連邦警察は加盟国の為政者を逮捕できるとでも言うのか。」

「証拠ですか・・・あなたも詰めが甘いですねえ、狙撃犯や誘拐未遂を起こした海賊達に振り込まれた黒い金の出本を探ればあなたに行き着いたってわけですよ。」

「ば、馬鹿なっ。そんな捜査をさせんために連邦警察にも儂は多額の、」

 ここまで言いかけてガスパールはぼろを吐露していることに気が付き口を抑えた。全宇宙に向けた生中継は未だ生きており、当然彼の告白は多くの視聴者の脳裏へと入室することとなった。

「多額の・・・なんでしょうか?」

 ジョアンはまた不敵な笑みを浮かべた。

「もし連邦警察にも同じような黒い金が流れているようなら調べねばなりませんね、差し当たってはあなたの身柄を拘束する必要がますます出ましたね。」

 ジョアンが腕を振って合図をすると、階下にも連邦警察の制服を着た重武装の隊員が大挙現れ、ガスパールに対して一斉に銃口を向けた。

「一体何を申すか!儂はこの者達を、殿下の名を騙る賊共を大事になる前に退治しようとしただけだ、後ろめたいところは何もないわ!」

 大声を張って決して自らの罪は認めようともしないガスパールを眼前で苛立ちの目で見ていたルシアは堪忍袋の尾が音を立てて切れて行くのを実感すると共に靄着いた心を晴れさせる一撃を求めて彼への距離を詰める、そこに連邦警察隊員が静止をかけた。

「まあ落ち着け、ルシア。」

 偉丈夫な隊員の声に彼女は聞き覚えがあった。ヘルメット越しに見える顔を確認したルシアは声を上げようとして隊員に止められた。

「父さん?こんな格好して何してんの!?」

「まあ、色々あってな。話は後だ。今お前の回りを固めてる隊員は全員うちの者だ、気にするな。」

 気にするなと言われた所で気にならないわけがないドゥアルテの登場だ。ルシアが周りを見渡すと、目があった隊員が皆笑顔を返してくる。それぞれに我が家で顔を合わせた記憶のある顔が並んでおり、ドゥアルテの言は真実であると彼女は納得した。納得が疑問の解消と連結していたわけではなかったが。

「やれやれ、往生際の悪いお人ですね。じゃあ。」

 ジョアンがまた合図を出した。するとケースを小脇に抱えた隊員の一人がエンリケへと近付き、彼の指先へとケースより伸びる小さな機器を装着する。

「それはDNA鑑定機でしてね、今まで幾つもの裁判証拠にもなった銀河系全土のお墨付きです。そこには今、サグラード王国先王のDNAが記録されています。

「そ、そんな戯れを。神聖な王のDNAを何故お前たちが所有できるか。」

「さあ?先王様はあるいは皆さんが考えるより鋭敏だったのかもしれませんよ。エンリケ殿下がお生まれになった時から何かあった時の事を考えていたのでしょうか、ご自分の血液をさる場所に保管していました。ですからそこの坊やと血縁関係が証明されれば・・・どういう事か、分かりますよね?」

 ガスパールから返答はなかった、沈黙が明確な回答を所持していることを密かに物語る。自分が偽者と主張している子供が先王と血縁関係を立証されれば大逆の罪はルシア達から自分へと移行するのだ。

 果たして、機器は血縁関係を示す緑色を表示した。同時にガスパールは己の野望が潰えたことを悟り膝を折った。黒き野望の潰えた瞬間である。

「ガスパール=アリアス以下を逮捕せよ。」

 ジョアンは明確に命じた。彼の部下のふりをして隊員の格好をしているサラザール一家の海賊達が、一度手錠をかけてみたかったんだとばかりにガスパール、士官、その他兵士達の尽くを捕らえて連行していく。末端の兵士達には事の顛末が伝えられていないことが証明されれば、彼らだけは早晩自由の身になることだろう。

「さあて、僕のお仕事はこれで終わりました。後は皆さんよろしくお願いしますねー、撤収!」

「ちょ、ちょっと待てよ。これだけかき乱しておいてハイサヨウナラってのはないでしょ。」

 ルシアの声は彼の耳に届いていなかったのか無視を決め込まれたのか、ジョアンは振り返ることもなく足早に姿を消し、警察隊も彼の後を追うようにして疾風のように大聖堂を後にした。

 動揺を抑えきれないのは特等席で大捕物劇を見せられ、先程まで自分の信じていた正義の所在が消え失せた数千の聴衆であった。彼らのざわつきはガスパールが連行される様を見ていよいよ盛り上がりを見せる。右から怒声が起こり左から不安を煽る怯えた声がさざめく。演台に押し寄せる聴衆の圧力、台上の誰もが千倍する人の波に浮き足立ち臆する中、彼らに向け足を一歩進める姿が現れる。

「皆、落ち着いて欲しい。」

 無秩序とともに訪れんとしていた混沌の中で、ガスパールが演説していたマイクを引き取って演台に立ったのはエンリケであった。

「重ねて申す。落ち着いてくれ、余は真のエンリケ=デ=アルメイダ、この国の王子である。」

 彼の言葉に耳を傾けんとする聴衆達が次々と口を閉じていき、ざわめきは引き潮のごとく去っていった。王子を名乗る少年は波に乗り、話を続ける。

「余はこの地まで王となる為に参った。無様にも簒奪を許しかけるなどと紆余曲折はあったが、改めてこの場で戴冠させてもらいたい、サグラードの民のために。」

 エンリケの言葉の後に誰も語らぬ静寂が訪れた。長く感じる沈黙であったが、ルシアの、カミロの、海賊達とゴンサロの拍手により打ち払われた。そして彼女達に続け、遅れは取るまいと海賊に千倍する民衆の拍手と歓声がエンリケを迎えた。


 荒れた戴冠式の場を一旦仕立て直し、再度聴衆を入場させ、ガスパールの簒奪宣言未遂の場であった大聖堂より再び全宇宙に向けて宣言が発信された。それは誰に後ろめたくもなく威風堂々とした、それでいて悲運の王子という文句に酔わされた聴衆達の心情も加算された清々しさも含まれた、エンリケ初の大舞台であった。

「余、エンリケ=デ=アルメイダは、この日この時をもって冠を戴きサグラード王国第七代国王、エンリケ一世を称し、この国を統べる。国民諸君には、先王の最期と逆臣の不逞で不安を与えたことであろう・・・これは王室の不徳の致すところだ。余の王としての初めての職務だ、諸君に詫びさせてもらう。」

 エンリケはカメラに向かって頭を垂れた。王権神授説を信じること末端まで行き届いていたサグラード王国民には彼の行動は衝撃をもって受け止められた。国民も彼が、ついこの間まで辺境に押しとどめられていた事を知っており、ましてや年端も行かぬ子供であるからには今回の不祥事に何らの責任があるわけでないことは承知している。その子供が、王の血を引く最後の一人というだけで下げた頭は、国民の一層の忠義と忠勤によって今後迎え入れられよう。

「子供の頭一つ下げるだけで国が団結できるなら安いものだ。」

 エンリケは此処へと至るに当たりそう評していた。王の謝罪が如何程の影響があるか、これまで六代の先祖の築いた王の像をエンリケは粉砕した。

「民衆って、王子様やお姫様となるとヒロイズムが刺激されるからな。」

 謝罪は今後エンリケの周囲を固めることになろう王国中枢の面々には知らされる事なく演説に含めたカミロの入れ知恵であった。よってゴンサロはじめ側近たちは驚きを隠せないでいたが、大聖堂に集まった首都の民衆がエンリケを讃える大歓声を上げたため、王の演説を中断させる事もできず流れに任せざるを得なくなった。

 彼が冠を頭上に戴くまでを礼拝堂の最後列、その更に後ろの柱にもたれ掛かって眺めている姿があった。彼の舞台を誂えた功労者、ルシア達である。

「んじゃ、あたし達の仕事もここまでかなっ?」

 ルシアが身を翻し、礼拝堂を後にすると部下達もそれに続く。

「そのようじゃな、俺は早く帰って一杯やりたいもんじゃ。」

「ファビオの一杯はONEの一杯じゃなくて『たらふく』の一杯だからなぁ、まあいいさ俺もご相伴に預からせてもらおっかなー。」

 ファビオの酒量を正確に予想したトマスは彼に先導させて美味しい所だけを飲ませてもらおうと気分を上げてきた。

「いいこと言ってくれるじゃないか、小僧のくせに。」

「おいおい、俺が小僧ならお頭とカミロはなんなんだよ。」

「まあ赤ん坊だな。」

「ファビオ酷ーい。」

「だっはははは、悔しかったらあの警官風情に嫁の貰い手もないってバカにされるおてんばを治すこったな。話はそれからじゃ、お嬢ちゃん。」

「ぶぅ~。」

 ファビオに立派に言い返す言葉を見失ったルシアは頬を膨らませて精一杯の反抗を試みる。

「はいはい、そういう所で気分を前に出さず、口で言い負かせる知恵を付けなさい。」

 ルシアの頭を叩きながら彼女をからかうのが実に嬉しそうにディアナが正論を言って聞かせる。

「ふーんだ、どうせあたしは頭や口より先に手が動く可愛げもない乱暴者ですよーだ。いいの、あたしは今のこの生活が楽しいんだから、嫁になんて行かないんだもん。」

「ほら、また気分で答えてる。大丈夫さ、アンタにはあたしがいい男見つけてあげるから。」

「あたしが心変わりするようなお金持ちでお願いします。」

「そいつは難しいね、そんな大金持ちがいたら紹介する前に私がものにしてやるさ。」

 ルシアの要望をあっけらかんと突っぱねるディアナ、彼女もなかなか積み重ねた年齢だが女の色気は男の三ダースくらいまとめて手玉にとれる上物であるから諦めているわけでもなさそうである。

「おいおいディアナちゃん、だから俺が、」

 助平に興味はないと、口を挟むファビオの顔面に裏拳を叩き込み黙らせる。

「ディアナに本気出されたら、あたしに勝ち目なんてないわよ。」

 ディアナの体をまじまじと見てから自分の体との差異を感じつつルシアは敢え無く敗北宣言を発声してしまう。ルシアからディアナを見た場合、スタイルに関しての勝機は一分もない自覚は大きい。

「あっはははは、でもまあルシアみたいなお子ちゃまが好きな野郎は宇宙に山ほどいるだろうしな。」

「そんなの嬉しくないーっ。もー、カミロも黙ってないであたしの魅力とかさ、なんか言ってやってよ。」

「あ、う、うん・・」

 カミロはルシアの呼びかけにも上の空そのものであった。

「んもーっ、カミロはカミロで何なのよ。」

「いや、ちょっと考え事をしてるんで。」

「考え事なんていつでもできるでしょっ!」

 しかしながらカミロは真剣な顔をして考える人への憧憬と造詣を捨て去らなかった。

「今更起こった過去をくよくよしない!あたし達は常に未来に向かって歩いてるの。ほら一秒前にいたそこのあたし達ももう過去なんだから。」

「うん・・・ああ。」

「もうっ。」

 まるで心を喪失していたカミロに業を煮やしたルシアはまた手を出していた。

 実はカミロはねぐらを出る時点では、今回の話に陰謀があるとすれば、そこにジョアンも深く関わっている、下手をすれば黒幕ではないかとの予測を立てていた。よって自分達エンリケを運ぶ本隊とは別にジョアンの方に探りを入れる別働隊の組織をドゥアルテに要請していた。ところが彼の読みは的を外しており、黒幕はガスパールであった。かねてよりガスパールについての内偵を進めていたがこの度エンリケ王子殺害未遂への逮捕状という錦の金看板をひっさげたジョアン一行の艦隊と巡り合ったドゥアルテは警察と轡を並べてアマドーラにやって来た、という裏の事情があった。カミロはどこで真相を読み間違えたかを今後のためになぞり直している最中だった。

 噂のドゥアルテ達はガスパールを連行したまま既に何処かへと消えていた。隠居の身が現役と一緒に帰れるかという変な意固地だったらしい。

「ひっどーい、あたしって体のいい囮だったんじゃない。」

「まあまあ、そこはそれということで。あと王子、いえ王様には言わないでくださいね。王族を囮にしたとあっては連邦警察の存続に関わる話になりかねないので。」

「あっそう、囮にしたって事は素直に認めるんだ。ふふーん。なら・・・いいわね?」

「な、何でしょう?」

 後日になりジョアンと渡り合ったルシアは決して短気に逸らず、彼の真似をして人を見下すような笑みを浮かべてジョアンを見つめた。熟練の差があり彼ほど自然な笑みとはならず嫌らしさを全面に押し出す不器用な表情になっていたのは否めない。

 自らを囮にされた代償と口封じの封印料として彼女は連邦警察から、実体は一課長としてのジョアンから対艦攻撃用の衛星半ダースを頂戴した。何せねぐらが警察に発覚していたのだから犯罪者としては由々しき問題である。十数隻の艦隊と渡り合うのには役不足の質と量であったがその半分程度には大きな打撃を与えられるだけの戦力にはなる。被害は確実であるのでおいそれと彼等のねぐらへとと攻めるわけにも行かなくなり、また海賊と警察という対極にありながら泥々の絆が一層強固になったこともいざという時には使えることだろう。

 何よりルシアとしては常にしたり顔で自分を見てきたジョアンが、課長権限で使える機密費予算を前借りまでしてようやく貢物を揃えたという事実で泣きっ面になっていた、であろう事態を想像するだけで痛快であった。


 先の話はさておき、ルシア一行はまだ惑星アマドーラの地の上にいた。ガスパールが連行されエンリケが正当な王位継承者と認められた時点でディア=フェリースの軟禁も解かれていたので、もはや軌道ステーションまで上がって海賊らしく足早に行方をくらますだけである。

 戴冠式という一大イベントが行われているにも関わらず、人は生きるために活動している。大聖堂という街の中心からタクシーを拾ったルシア達であったが軌道エレベータまで向かう幹線道路は慢性的な渋滞を齎し、街の発展に道路の拡張が追いつかない都市問題が人の活発な活動の証明になっていた。タクシーも前後に倣って渋滞の列に捕まり、通常時三十分という案内の軌道エレベータまでの到着が倍の一時間経過する始末だった。

「まったく、新しい王様には都市計画ってもんから見直してもらいたいわね。」

 宇宙の海原を幾日かけて航海できるルシアも地上では三十分の追加が堪えていた。

「三十分じゃないわよ、倍かかってるのよ。そっちを重要視しただけなの!」

 もっとも彼女に言わせれば、自分に都合の良い捉え方で言い訳を追加してくるわけであった。

 軌道エレベータは航空機と同様に一律指定席でタイムテーブルも存在する。ここは流石に渋滞知らずで定刻を守るものであったろう、というのは素人考えであったのであろうか。此処でもまたルシア達は計算外の待機を強いられた。乗車券が見当たらずにあると言い張りエレベータの発車を遅らせている乗客が発生したためだという。どう落とし所が見つかったかは知る由もないが、この為に発車は二十分遅延し、彼女達は都合一時間近くの無為な時間を贈られた。

「落ち着けよ、こんな位でいちいち怒っていたらきりがないんだから。」

「もう、分かってるわよ。カミロ、あんたあたしがどれだけ怒りっぽいと思ってるのよ。このくらい・・・なんでもないわよ。」

 ルシアは虚勢で踏ん張っていた、カミロに諭されなければ数秒後には怒り散らしていたことは疑いなかった。とはいえ唯々諾々とカミロに『そうだね』と言いきれない中途半端な気位が彼女の正直さの前に邪魔者として立っていた。

「ならいいんだけどな。」

 カミロは彼女に見えない位置でにやりと笑った目で彼女を見つめていた。彼女が暴発寸前であったことくらいお見通しなのだが、やはりルシアををからかうのは彼にとって甘い蜜も弾ける果実も同然で、この面に関して言えばジョアンの気持ちがよく分かってしまうのだ。

 数日間離れていただけで母なる船に対してホームシックのような感情に襲われるほどに濃密な数日間を過ごした星ともいよいよ別れの時である。ステーションのロビーからディア=フェリースの係留されているドックへの通路へと入らんという所で、ルシアを、カミロを、皆を呼び止める大声がした。やたらと甲高い叫びには聞き覚えがある。全員が振り返った先には、予想通りエンリケが大慌てで駆け付けたようで、戴冠式で纏っていた礼服そのままの姿で現れていた。さすがに王冠ばかりは事故が起こらぬようにとの思いか外していたが、場違いな格好であることに大きな差はなかった。

「お、王子様っ?なんでこんな所にいるのさ。」

「何を申しておるか!お主達が式から消えたと去ったというので急いで参ってきてやったのではないか。」

「おいおい王子様、渋滞は?エレベータは?」

「渋滞?それは何だ、王宮から地下の一本道でエレベータまで着いたしエレベータもすぐに上りおったぞ。」

 トマスの質問は愚の最下層であった。エンリケときたら王となって早速、所謂王宮等にありがちな『秘密の抜け道』を使い、VIP故に軌道エレベータも順番や発車待ちなど存在していなかったということであった。げに恐ろしきは強権というものか。

「陛下・・・お待ちを、爺は、もう疲れて。」

「だらしないな爺、鍛錬が足りぬぞ。」

「ゴンサロさんまで。むしろアンタは王子様を止める役回りでしょ?」

「止め申した、じゃが止められんでな。せめてお側にあらねばと思うたが、儂も年じゃからの。ぜいぜい。」

 ゴンサロはじめ王家に仕える者達は戴冠式もまだ途中というに会場を離れるとは何事かと必死でエンリケを止め立てしていた。しかしエンリケには小言を素直に聞く耳がないことは知られていなかった。大の大人が総出で止めたにも関わらず渦中唯一の少年は己の気持ちを優先させた。彼につき従えるよう気持ちを切り替えられたのはゴンサロのみで、彼の知る王宮からの緊急時ルートとルシア一行の思わぬ足踏みがエンリケをルシアたちと再び巡り合う機会を与える結果となった。。

「それはこっちの台詞だ。お主達、余の許しも得ずに何を勝手にここを発とうとしておるか。」

「いや、別にアンタの許可なんて求めようとも思ってないし。あたし達海賊だよ?」

「そのようなことは関係ない。ここにいる限り、王国にいる限りは余の命は絶対だ。」

 自分達はお前の国の国民ではない、自由の旗を謳歌する無頼漢集団だと言ったつもりであった。だがエンリケには彼女の弁が通じていない。王の権利を拡大解釈していたか、あるいはこの国では王としての正当な権利だったのかもしれないがそれはそれで海賊には関係なかった。

「知らないよ、むしろあたし達みたいなお尋ね者がウロチョロしていたら逆にまずいことになるでしょ、お互いに。じゃあねっ。」

 ルシアはまた向き直りエンリケに背中を向けて立ち去ろうとする、彼女の姿を見た他の者も彼女に倣い揃って背を向けた。深く関わり合いになることはお互いのためにならないことが彼らには分かっていた。そして唯一分かっていなかった者が更に声を上げる。

「待てっ、まだ何の礼もしていないではないか。これでは余が薄情者との誹りを受けるとは思わんか。」

「だから海賊に気を使う必要なんてないわよ、お礼なら連邦警察から前金貰ってるんだから。」

 エンリケの方に更に向き直りはせず、ぶらぶらとしたやる気のなさそうな手の振りだけで別れの挨拶を済ませようというルシアの割り切った態度はエンリケにやるせない怒りとも悲しみとも取れる感情を植え付けた。

「待て、待てというのだ。」

「もー、しつっこいなあ。しつこい男はモテないぞ。」

「そ、そうなのか?」

 おや、効いた?と指摘した側が驚いた。立場を分からせるより男が寄って立つべき箇所に訴えたほうが効果があるのかとの思いが過る。

「そうそう、少なくともあたしは嫌いだなー。いいお妃様がほしいなら、まず性格治しなよ。」

「そうだな・・・その事でお主達に話がまだあるのだ。」

 多少改まりを見せたエンリケの言葉に、絶えず彼から離れて行っていた海賊達の足が鈍った。ただルシアの足が鈍りを見せたのに対し、全員が歩調を合わせていた。

「お主達には余の元で、この国のために働いて欲しい。そしてルシア、そなたは余の后となれ。この国の女王となるのだ。」

「で、殿下?何をお戯れを。」

「殿下ではない、もう余は陛下なるぞ。それに余は大真面目だ。」

 慌てたのはゴンサロであった。何を言い出すかと思えば、恩義あるとは言え海賊の女を女王に迎えるなど王の権威と威厳のためにはあってはならないと老臣の定規では定まっていた。しかしエンリケは彼の心配を他所に本気であった、本気であるがゆえにゴンサロにしても始末が悪かった。そして何を言い出すかと思えばと思わされたのはルシアも同様であった。

「へ?あたしを?何言ってんのさ、ぷっ・・・あーっはははははははははは、お腹痛い、ほんと痛い、マジ痛い、でも、あっははははははははははははっ!バカも休み休み言いなさいよ、王子様。」

 ルシアは笑った、大いに笑った、近年稀な程の大笑いをした。弟のような友愛にこそ萌芽していたまでは認めるが、その相手に求婚されるなどとはまるで思っていなかった。ましてや相手はまだ小童である、婚姻どころか恋のイロハも知らない世間知らずからの求婚を笑わずにいる手を彼女は持ち合わせていなかった。

「何を笑うか!余は、余は大いに真面目だぞ。お主、女性であることも公になったではないか、危険なのであろう。余の元へと来るのだ、そうすれば何の心配もない。」

 全宇宙へのTV発信により赤毛の小生意気な海賊小僧の実の姿は可憐な金髪の海賊娘という事実が公のものとなるサラザール一家にとっての誤算はあった。ルシアにとって海賊とはもはや、性別が漏泄した程度で足を洗うほどにアルバイトのように渡り歩く職の一つという軽いものではなかった。宇宙を勝手気ままに、気が置けない部下を率いて遊弋闊歩する悪魔の魅力にすっかり取り憑かれているのだから。

「何言ってるってのはそっちよ。あたしが欲しいなら、せめてあたしを強引に連れて行けるくらい強い男でなくっちゃね。そうでもないと、この帽子は取らないわよ。」

 ウィッグを取り払いおよそ半分の質量に落とされた頭上の物体を指して、ルシアは言い放った。黒い帽子から棚引く長いブロンドは人工的な赤毛よりよほど魅力的に映り込み男心を擽る、男心の入り口に立った段階のエンリケにも例外とはいかない。

「やっぱりお前、強引なのが好きなのか。」

「だから違うわよ、男なら好きな女口説くならその位の度胸を持てってあたしは言ってるの。カミロ、アンタもそんな時は胃が痛くなってる場合じゃないんだからね。」

「どうして俺に飛び火するんだよ。」

「アンタがもう少し強ければあたしが撃たれそうになることもなかったでしょ、これから帰るまで毎日船内十周してもらおうかしら。」

「死んじまうって。」

「そんな位で死んで、あたしのパートナーが務まると思ってるの?」

 カミロがぐうの音も出なくなった瞬間はエンリケが再度大声を上げた瞬間は同時であった。

「分かった、分かったぞ、ルシア。余は強くなってみせる。強くなってお主を后として迎えに行ってみせる。それまで操を立てておけ。」

「操って・・・なんで十のガキがそんな事分かるのよっ!」

 もはや恥じ入っていたのはルシアであった。大声で自分の経験の有無を叫ばれては溜まらない。無視を決め込めばよかったのだが彼女も彼女で叫んだ側と似た精神レベルであったのが運の尽きだった。

「あっはっは。ルシアにはいい男がいたもんだ、私が紹介しなくてもいい金持ちがいたじゃあないか、しかもとんでもない額の。」

「からかわないでよ!もー、なら来られるものなら来てみなさい、さらえるもんならさらってみなさい。あたしも黙ってさらわれたりしないんだから。でもいい男になってからね、不細工だったら宇宙の海に沈めるわよ。」

「の、望むところだ。」

 凛々しく育っている保証はない思考が躊躇を産んだが、後に引く気はない王は彼女の注文に応じた。将来の后たると再び巡り会うことを確信して、エンリケはルシアを見送った。

「へえ、お頭にも脈あるんだ。やっぱり金かい?」

 トマスが最も下世話な路線からルシアを攻めてきた。

「んなわけないじゃん。あたしは海賊辞める気なんて全くないもん。どうせ今ああ言ってるだけで何年もしたらアイツだって自分で言ったことなんて忘れてるって。大丈夫、大丈夫。」

「似た者同士だから分かるのかな。」

「カ~ミ~ロォ~。」

 脅しにしか聞こえないルシアの呪詛の声がカミロに纏わりついた。カミロは恐れもせずに彼女の呪いをを笑い飛ばす。

「はっははは、ごめんごめん。」

 陽気な海賊連中は出発の瞬間まで陽気な風を残して去って行った。船に到着した途端にTVの映像だけで外界の情報を仕入れるという旧時代的境遇をかこちながら軟禁状態であった部下達の、爆発する歓喜の輪に飲み込まれてもみくちゃにされる頭目達。帰宅した安心感で一様に喜びの表情を示していた。


 やがてディア=フェリースは発進準備を整えた、その上でディアナは管制官に対して許可を乞う。

「こちらステーションA、十三番ドックのディア=フェリース号、発進許可を願う。」

 もはや船名や素性を騙る必要もなく、彼女は堂々と船名を名乗る。

「こちらはアマドーラ管制室。貴船の進路はクリアーされた、またの来航を願う。そして国民一同に成り代わり礼を言う、ありがとう。」

 管制官の心からの謝辞を耳にしたディアナは通信回線をルシアへと回す。

「私はサラザール一家の頭目、ルシア=サラザール。どういたしまして、サグラード王国に幸あれ。」

「ありがとう、本当にありがとう。ディア=フェリース号、それではよい航海を。」

 管制官がアマドーラで最後に救国の海賊と会話を果たし、ディア=フェリースは宇宙の海へと抜錨して行く。エンリケはゴンサロと共に短い間ながら床を踏みしめていた船の旅立ちを船影が見えなくなるまで追っていた。


「へ、陛下、陛下、陛下陛下陛下、陛下っ!こちらでしたかっ!」

 エンリケが気持ちよく未来の后(と本人だけが思っている)を送り出した余韻に浸るしじまを突き破るように、王宮に伺候する文官の一人が血相を変えて飛び込んできた。

「なんだ騒々しい。余の平穏を破ってお主は何か嬉しいのか?直れ下郎!」

 文官の慌てぶりに彼をそうさせる原因よりも自身の余韻を砕かれた心情に対しての不満が先行するのはまだ精神の発育が不足している王である。

「も、申し訳ございませぬ。あまりに一大事でしたもので。ご報告の暁にはこの罪、如何様にもお取り計らいくださいませ。」

 地べたに伏して許しを乞う文官の姿を見て彼の必死さを理解し、ようやく王の責務を表面に出そうというエンリケ。

「ま、まあそう固くなるな。余も少々言い過ぎた。」

「は、ははあ。ありがたき幸せ。」

 文官は尚も額を地に付け、王の慈愛に最大級の敬意をもって答える。

「それよりも慌てていた訳はなんなのじゃ?早う陛下にお伝えせよ。」

「そう、それ、それにございます!一大事でございます、陛下!」

 ゴンサロに諭されやおら文官は額を地から勢いよく突き放してエンリケの顔を凝視した。彼の豹変する動きに薄く驚嘆を示すエンリケであったが、威厳を保とうとする気概で平生を装った。

「王宮の、王宮の宝物庫が荒らされ王家に代々伝わる貴重な絵画や宝石その他諸々の多くが失われてございます。」

「そうなのか?」

「そうなのか?ではございませぬ、始祖より伝わる由緒正しき門外不出の品々ですぞ。昨夜の見回りでは異常なかったと言います。間違いありませぬ、あの海賊共の仕業です。おのれ恩を仇で返しおって。」

 恩を受けたのはこちら側ではあるまいのか?というエンリケの問いに、自分の台詞で熱り立つ文官は聞く耳を持ち合わせなかった。更にエンリケとしては、してやられたわという愉快な思いが全面に溢れていた。何せ今しがた至尊の冠を抱いたばかりの若造である、始祖より伝わる伝統や由緒などに対する価値観などと言われたところで理解の外である。いわんや伝統の上に溜まった膿が簒奪の引き金になった可能性もあればただ古きのみに価値観を見出して埃を被せておく無作法さは決して褒められたものでもない、とは革新に傾斜する学者的な意見であった。エンリケはそこまでの考えに至っていたわけではないが無菌状態で育てられていたところにリベラルの空気を大きく吸い込んでしまった為に革新の側に針が振れる傾向に目覚めようとしていた。今後保守的な色に染まった官吏との激しい舌戦が待ち構えていようが、それはまだ遠い未来の可能性の一つに過ぎなかった。

「これは王国の威信を揺るがす事態。すぐさま海賊達を引っ捕らえるよう王国中に手配いたします。」

「うむ・・・よきにはからえ。」

 王としては「逃してやれ」とはさすがに言うわけにもいかなかったエンリケルシアの方に逃げ遂せられるだけの度量は期待してもよかろうとの判断で絵文官の言を受け入れた。その者は威勢よく返答してすぐさま踵を返して退散して行った。宝物を盗まれるより遥かに威信とやらを揺るがして倒しかねない大事は素直に受け入れていたであろうと、一人のくせにやたらと高揚している彼は新王への心象を少しでもよくしておきたい打算からの行動であった。

「陛下、あのような者は今後跡を絶ちませぬ。気をしっかり持たれて国事に当たりくだされ。」

「そのようだな。権力にすがるならばこのような子供にまで胡麻を摺る、か。覚えておく。差し当たって爺、お主にはより一層の忠勤に励んでもらわねばならんだろうな。」

「御意のままに、陛下。」

 ゴンサロは彼の言葉に成長を感じて感涙にむせびはしなかった。彼もこの位の成長でいちいち感動を揺り動かされている暇などもう与えられている場合でないことを肌で感じていたのだ。

 王による見送りという過分な栄誉を頂いた海賊達はものの数時間で掌を返したように追い立ててくる王国軍を相手に派手な逃走劇を演じていた。追い回される理由もわからないまま逃げるディア=フェリースであったが、これぞ海賊の日常茶飯事とばかりにほぼ全員が処置のない高揚感に身を焦がしている。

「いいねえ、この位スリリングでないと海賊冥利がないってもんだ。飛ばすぜ!」

 数百メートルに及ぶ巨躯の船をまるで手の中のボールを転がすかのように左右に舵を切るディアナ。本気になった彼女の操縦は荒っぽく、シートベルトを忘れた乗員は左右どころか上下にも方向を見失う地獄を味わう。現に急な逃走劇の開幕でベルトの間に合わなかった何人もが船内ではディアナに不平の限りを鳴らしている最中なのだ。

「もー、なんて恩知らずなのよ。王様連れてきてあげたお礼がこれとは素晴らしい礼儀よね。」

「俺達ゃ所詮海賊だ、四の五の言ってる暇はねえぞお頭。撃つならいつでもやってやるっての。」

「砲撃体制に入ってる間に追いつかれるって。私に任せときな、このまま振り切ってやる。爺さんの出番なんかありゃしないよ。」

「爺さんはないじゃろ、ディアナちゃん。」

「ちゃん付けは止めろつってるだろ!」

「ぐわあっ。」

 砲撃したくて堪らないのがよく滲み出ているファビオであったがディアナの言葉と手近な金属製工具の投擲に欲望を封じられた。

「ディアナ、もうちょいスピード抑えろよ。エンジンが火吹いちまう。」

「それをどうにかするのがお前の仕事だろ、私の気持ちいい瞬間を邪魔すんな。」

「とほほ、お前に船を預けたらお仕事たくさん貰えて嬉しい限りでございます。」

 ファビオに留まらずトマスもディアナの前に無残に散り、デスクの計器類と格闘し現場の部下を叱咤して船の安定を保たせる。

「あの王子様、今度会ったらとっちめてやるわ。カミロ!あんたもうずくまってないでちゃんと仕事しなさいね。」

「あ、ああ・・・だけどさあ。」

「『だけど』も『火傷』も関係ないっ!どうして計算外の事になるとすぐお腹痛くなるのかしら、ホント貧相ね。」

「何言ってもいいから・・・後、全部、頼むよ。」

 一大事の只中というのにカミロは副長の身分でありながら職務を全て放棄してデスクを枕にへたり込んでいた。予想していなかった逃走というパターンに普段からプレッシャーに弱い胃が悲鳴を上げており、他のことは何も考えられなくなっていた。

「もーっ。いいからディアナ、思いっきり好きに飛ばしちゃって。逃げ切るわよ。」

「安全運転で・・・お願いします。」

「病人は黙る!」

 恒星系内巡航速度を大きく上回る速度でアマドーラの恒星系を抜けたルシア達はそのまま行方を眩ませることに成功した。大きく遠回りをすることで道に迷った少年が日も落ちてからとぼとぼと帰宅する様子を描いてねぐらへと帰ってきたルシア達は酒乱の宴に興じるドゥアルテはじめアマドーラより先着していた連中の様子に出くわした。

「ちょっと、これ何の騒ぎ?」

「いやあ、お前たちがウダウダやってる間に、せっかくでっかい王国のど真ん中にお邪魔したってんだから、小遣いを頂戴したら思いの外高く売れちまってな。昨夜からずっとこの調子なんでぇ。」

 泥酔にあと三歩と迫った情けない姿の親父からルシアは納得がいった。逃げ遂せてから集めた情報で王宮の宝物を盗んだ廉で自分達が追われているとまでは知ったが、またやってもいない罪状を着せられていたという点に合点が行っていなかった。しかし家に帰ってきてみれば全て親の仕業であったのが発覚した、ルシアはただでさえ低い沸点でお茶を沸かしはじめた。

「お前が全部悪いと思われてくれたおかげで逃げるのも売り捌くのも順調だったぜ。全く可愛い娘さまさまだな、ほら飲め、お前らも飲め。」

 酒のせいもあってへべれけでにやついた締まらなさ過ぎる顔を近づけ、しかも酒臭い息を浴びせる先代にルシアの心中にあったお茶は電熱線を巻きすぎたポットの様に瞬間的に沸点へと達した。

「お前のせいか、馬鹿親父ぃーっ!」

 旅は人を成長させるというが、今までにない破天荒な旅を送りながらもルシアの短気と荒っぽさは依然として健在であった。酔いが回り反撃能力を喪失していたドゥアルテは成長の無さを存分に味わうこととなり、外傷により人生二度目の診察を受けざるを得なかった。


 時は流れる・・・

「船長、海賊船です!接舷されました。」

「なんだとっ?こいつぁ、世に聞こえたあの女海賊の船かぁ?」

 今日もディア=フェリースは網にかかった船に襲いかかる、荒くれ共を率いて襲来するルシアのゆかしい声が獲物の中で響き渡るのであった。

「野郎共、稼いでこーいっ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゆかしき宇宙海賊 桜庭聡 @sakuraba00

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る