後編
Nは、Kのことを悠然と眺めながら、木のように立ち尽くして聞いていた。
「僕はね、昔ちょっと悪どい仕事をしててね。警察にバレたら塀の中に入れられるようなことを、いくつかやっちゃったのさ。僕の歳で無期懲役なんて喰らったら多分死ぬまで出られないだろうから、それだけは避けたかった。でももう平気だろう。死刑になるような犯罪じゃなければ、最長でも三十年で時効が成立する。僕はそこの一線は越えなかった」
直前までは行ったけどね、と更に付け足す。まるで過去を懐かしむように、武勇伝でも語るかのように、Kは半笑いで話し続けた。
「あるいは、証拠が揃って起訴なんかされたら、時効は中断されるらしいけど――少なくとも物証は残さなかったし、アリバイだってちゃんと作ってあった。それに、三十年だよ。三十年。カプセルに入ることは、実験の関係者以外には教えなかった。ずっと姿を消してたわけだから、大抵の人は、僕の存在すら忘れてきてる頃じゃないかと思うんだけどね。皆が忘れてくれれば、追及されることもないさ」
眠る前に調べたこと、考えたことが、彼にとっては昨日のことのように記憶されていた。彼の口は、躊躇もなしに動き続ける。
「冷凍睡眠の被験者になることを思いついたのは、ちょっと僕の事件が目立ってきちゃった頃だ。証拠が無いから捕まりはしないけど、何かの拍子に怪しまれて、あの手この手で調べられるかもしれない、って状況だった。そこでボロを出さない自信が無くて、どうしたもんかと考えてたんだ」
そこで彼は、それが良い閃きだったとでも言うように、わざとらしく手を打った。
「実験で眠っちゃえば、捕まえようがない。当時は実験って言ったらまだ不完全で、不慮の事故により蘇生失敗――なんて例もあったから、イレギュラーが怖い。もし警察が僕の居場所を知ったって、確たる証拠もなしに無理やり起こされる、なんてことは無いと考えた。海外に逃げるのも億劫だったし、怯えながら隠れて暮らすよりは、未来でのんびりするほうが良いかなと」
そこまで語って、Kは一層幸福そうに笑みを浮かべる。
無表情を貫くNと対照的だった。Nはほんの少し歯ぎしりの音を立てたが、Kの耳には届かなかった。
「君は軽蔑するかも知れないな。もちろん反省はしてるよ。これからは大人しく過ごすつもりだ。生まれ変わったような、幸せな気分だよ。ああ、どう生きたものかな」
語り終えたKは、思い切り椅子の背もたれに寄りかかり、脚を組んだ。そして大きく息を吐いた。
Nはまるで石像のように固まり、しかし呼吸の音は荒くなりだしていた。視線は僅かにもずれること無く、ただ眼前の男に向いていた。ほんの一時だけ、注視せねば見落とすほど僅かに、右の手が震えていた。やがてKの後を継ぐように、口を開き始めた。
「……Kさん。先ほど、『なぜ他の人々が冷凍睡眠しているのか』という質問をしましたが」
「うん」
明らかに声色を変え、急に話を戻したNに、Kは違和感を抱きながら返答する。
「あそこの人々の『事情』で、最も多いものが何か、予想が付きますか」
「付かないね。何?」
考えも無しの即答に、Nは一つ息を吸ってから答えを述べる。
「自殺志願、です」
Kが、はっと息を呑んだ。
「資料にあった通り、医療の発展に伴って病死は格段に減りました。しかし、精神医学の研究はまだ途上にあります。心を病む人はまだ少なくありません。身体的な病の進行を抑えられても、自ら命を絶ってしまう人には、何の意味もない」
Nは目を伏せた。それでも眼光は鋭いままだった。
「そうした人、特に深刻な症例を回復させるために、どんな手段が最も適切か。様々な論が主張される中、一つ提案されたのが、冷凍睡眠の活用でした。当人たちが覚醒するまで、長い眠りを経ることで、傷が癒えるのではないか――確かな根拠は有りません。昔は身体的な病人のほうが優先されましたから、精神病患者を眠らせ、蘇生まで観察した実験は、これまで無かったのです」
悲観の色に満ちかけた自身の言葉を、Nはなんとか紡ぎ続ける。
「事実かどうかも分からぬまま、その理論の検証という名目で半ば強制的に眠らされた人が、あそこには何人もいます。何度も自死を望んで、止められてきたような人たちが」
声が怒気を帯びる。空気が沈んでいく。Kは、自分の置かれた状況を察し始めていた。
「そう、あなたのような犯罪者に、傷つけられた人々も」
最早、叫びだった。
「私の母のような人も!」
Nが怒鳴りを上げた。Kは一つ息をついて、脚を組み直す。動揺したように見えて、その黒い目は、何か達観したように遠くを見据えていた。
「そうか。やっぱ昨日のは、見間違えじゃなかったわけだ。言われてみれば、君は少し似ているな」
そう口を零した直後に、部屋に軽快な音が響いた。部屋の扉を、誰かがノックしていた。Kは、それ以上何も言わなかった。
「あなたに、伝えねばならないことがあります」
Nはテーブルの上に並べられた書籍の中から、一冊を手に取った。
「技術の発展が、あなたのやったことの立証を可能にしました」
そう告げたあとで、手の中の本を――法律書を、Kに向ける。
「加えて、あなたが眠っている間に、この国の法も変わった。――あなたは、逃げ切っていない」
その宣告と同時に、扉が開かれた。
先ほどNが話していた「次の施設の迎え」なのだと、Kは気づく。
Nの白衣とは異なる、青い服を着た男が――若い警察官が、Kの腕を掴んだ。抵抗すらせず、立つよう促してきた警察官の声を聞いて、Kは誰にともなく呟く。
「成程。確かに僕が眠っている間に、三十年分、色んな事が変わったんだねえ」
*
父が何者かの手で、命を落とした。母はそれ以降心を病んだ。
誰がやったか予想はつくのに、当人はアリバイがあり、証拠も足りない。何度も母の嘆きを聞いた。自分が物心ついて少し経った頃、母がカプセルに入った。
そんな経緯の後だからこそ、Nは驚いた。母を救うため研究の道に進んで、ふと見かけた資料にKの名を見つけた。無念を晴らすため、改めて彼のことを調べた。
長い時間を経ても、その恨みを忘れてしまうことは無かった。
母が、眠り続けていたから。
他方その時間の中で、新たな証拠を見つけられる程度に科学は進歩していた。
相応の準備もした。この研究所に入り、志願してKの実験を前任者から引き継いだ。実験に付随する検査を終えた後、すぐ捕えられるように。当人の口から確たる証言を引き出したくて、食事に混ぜる自白剤なんてものまで用意した。
そして、企みは成功した。
達成感はあった。
ただ、それで心が晴れたかどうか、Nにはまだ判然としなかった。
Nはすべきことを終えた後で、ある部屋を訪れる。先日Kが覗き込んだ、睡眠装置の並ぶ部屋。その中のあるカプセルの隣、立ち止まって、話しかける。
「お母さん、あの男が、やっと裁かれるよ」
カプセルから返事はない。その部屋には、眠りから覚めようとする人間すらいない。
「いつ目覚めても、良いんだからね」
それだけ言い残して、Nは顔を上げる。涙が出るわけでもないが、彼女は天井を見上げ、そのまま何秒も留まっていた。
そうしてから、物言わぬ母を改めて見やる。
そして、ふと考える。
果たして、母は目覚めるだろうか。仮に目覚めたとして、何を思うだろうか。
眠っている間の出来事、娘の成長を知って。眠りの間に、心が癒えて。
喜んでくれたなら、どれだけ良いだろうか。
そんな幸せな目覚めを、彼女は一人、ただ願い続けた。
幸せな目覚め 松本昆布 @konbu
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