第五十四話 テイクス
松久は、数字の面が見えているものをすべて裏返すと──小秋は、【9】を裏返した状態で置いたので、当然それは含まれていない──、アイマスクと手袋を着用し、コインを混ぜ始めた。ゴム手袋は絶縁体だ、あれで触れても静電気は逃げないだろう。
数十秒後、彼はシャッフルを終えた。小秋は、道具を受け取ると、それらを身に着け、今度は自分が混ぜ始めた。
それも、数秒後に終わった。あまり長時間シャッフルし続けると、コインがテーブルクロスと擦れ過ぎ、【9】以外のものに静電気が発生してしまうかもしれない。それだけは避けたかった。
小秋はアイマスクとゴム手袋を外した。それらをテーブルの上に置き、「私から選んでもいいかしら?」と言う。
「いいぜ、別に。ただ、その前に、ルールを再確認しよう。解釈の違いやら何やらで、後からうだうだ言われたら面倒だ。
『この十枚のコインの中から一つを選び、そこに刻まれている値が大きいほうの勝ち』。異論はねえな?」
ないわよ、と小秋は返事をした。
「じゃ、選んでくれ。先攻も後攻も、勝つ確率は同じだ」
同じではないのよねえ。小秋はそう心の中で呟き、ほくそ笑んだ。松久が先攻だと、【9】を取られる可能性があるが、こちらが先攻だと、確実に【9】を取り、勝てる。
小秋は、十枚のコインのうちの一枚に、左手の人差し指を近づけた。右手には綿製の手袋を嵌めている、素手のほうが、静電気を感じやすいだろう。
しかし、一枚目のコインに、静電気は感じられなかった。
二枚目に指を近づけた。静電気は感じられない。
三枚目に指を近づけた。静電気は感じられない。
四枚目に指を近づけた。静電気は感じられない。
五枚目に指を近づけた。静電気は感じられない。
六枚目に指を近づけた。静電気は感じられない。
七枚目に指を近づけた。静電気は感じられない。
まさか、静電気が逃げてしまったんじゃないでしょうね──そんな不安に襲われた。ぶんぶん、と頭を振り、払う。
八枚目に指を近づけた。静電気は感じられない。
九枚目に指を近づけた。静電気は感じられない。
十枚目に指を近づけた。静電気が感じられた。
暖かい安堵が心中・体中に広がった。小秋は、そのコインに指を押しつけると、ずずず、と自分側に引っ張った。「これにするわ」と言う。
「そうか。じゃあ俺は……」大して時間もかけず、松久は一番自分に近いところにあった一枚に、右手の人差し指を押しつけた。彼側に引っ張る。「こいつにしよう」
「それじゃ、私からひっくり返してみるわね」
小秋はそう言って、選んだコインを表にした。
【9】と描かれていた。
思わず、くくっ、と笑ってしまった。「どうよ」と言い、胸を張る。「私の勝ちね」
「……いや、まだわからないぞ」
松久がそう言った。小秋は胸を張るのをやめると、「どういうことよ?」と訊いた。
「ルールは、こうだ。『相手より大きい値のコインを選んだほうの勝ち』」
「そのとおりだけれど」
「つまり──俺の取った、このコインが」松久は自分の選んだコインを右手で指差した。「十以上なら、俺の勝ち、というわけだ」
なんだか、嫌な予感がした。
「付け加えて言うと、このギャンブルの名前は『ワン・ディジット』──『一桁』という意味だが、『使用するコインの値はすべて一桁でなくてはならない』というルールがあるわけじゃない」
今度は、もっとはっきりとした、嫌な予感を覚えた。
「つまり」松久は自分の選んだコインをひっくり返した。「こういうことだ」
【100】と刻まれていた。
小秋は、あんぐり、と口を開けた。「いや、だって、だって」と言う。「さっきは、そんなコイン、なかったのに」
「ポケットの中に隠し持っていたのさ。『クアドラプルダイススゴロク』では、正確には、【0】から【100】までの、百一枚を使う。お前に見せたのは、そのうちの十枚だ。
それで、【100】を、お前がシャッフルを終えた後、アイマスクを外すまでの間に、素早く、一番端にあったコインと取り換えたんだ」
「そっ、それじゃあ、不正じゃないのよっ」
「違うな。シャッフルを終えた後、俺は言ったじゃねえか、『この十枚の中から一つを選び、そこに刻まれている値が大きいほうの勝ち』って。『この十枚』には、当然、取り換えた後の【100】のコインも含まれる。お前は、それを容認した。文句を言われる筋合いはない」
ぐっ、と小秋は呻いた。たしかに、松久の言うとおりだった。
「さて、俺のコインは【100】、お前のコインは【9】──差は九十一。その十倍だから、九百十秒、動画を削除してもらおうか。四十四分四十四秒のうちの、十五分十秒だ」
小秋は、はあ、とため息を吐いた。「仕方ないわね……削除しておくわよ、十五分十秒」と言う。
「頼んだぜ。……さて」松久はコインをかき集めだした。「俺はこいつらを片づけてくるよ」
「いってらっしゃい」
松久は集めたコインを右手に握り締め、アイマスクとゴム手袋一組を左手に持つと、リビングを出て行った。
小秋はその後ろ姿を、うっとりとした表情で見送った。
(私を出し抜くなんてね……やっぱり松久君は、『私よりギャンブルの強い人』……惚れるのも仕方ないわ)
それに加えて、小秋は基本的に、ギャンブルの強い男性が好きだ。銃撃ジャンケン、チョコスティックゲーム、北風と太陽の麻雀、エレベータースゴロク、そしてワン・ディジット。それらすべてにおいて、松久は勝ち続けている。いわば、彼が勝てば勝つほど、彼女は惚れ続ける、というわけだ。
(さてさて、今日は家に帰ったら、例の動画を十五分十秒、削除しないと……でも、ああは言ったものの、動画の一部の削除なんて、どうやるのかしら? そういう、ムービー編集用のソフトウェアがあるのでしょうけれど……調べないといけないわね……)
しばらくして、松久は帰ってきた。小秋は彼に、「そうそう、もう一つあるのよ、誕生日プレゼントが」と言った。
「もう一つ?」
「ええ。今度は、れっきとした『モノ』よ。腕時計なんだけど──」
小秋はそう言って、鞄を探り始めた。
一分後、小秋は鞄の中から両手を抜くと、ふうーっ、とため息を吐いた後、松久のほうを見て言った。
「『誕生日プレゼント』とは言ったけれど、『誕生日に渡す』とは言っていないわ」
「忘れたんだな」
「……ごめんなさい」
ボーイ・ミーツ・ギャンブリングガール 吟野慶隆 @d7yGcY9i3t
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