ワン・ディジット 編

第五十三話 ギヴズ

 勝利を、確信した。

 複数ある伏せられたアイテムの中から一つを選んでひっくり返し、そこに刻まれた数字の大きさで、勝敗が決するという、このギャンブル。自分はそれにおける、最大値を引いた。

(物理的・論理的に、負けるわけがないわ)

 彼女──柚田小秋は、にやり、と笑った。


 がちゃり、と音がして、リビングより廊下に通じる扉が開かれ、そこから青足松久が現れた。

 パン、と、火薬の乾いた破裂音が鳴る。

 松久は、ぽかん、と滑稽さすら感じさせるような表情で、後ろに倒れ、尻餅をついた。

「お誕生日おめでとう、松久君!」

 クラッカーの紐を引いた小秋は、そう言った。

「おいおい、びっくりしたじゃねえか……」松久は立ち上がりながらそう言った。

「あら、そう? ごめんなさいね」

「別にいいけどよ……」松久は、きょろきょろ、と辺りを見回した。「この装飾、全部お前がやったのか?」

 リビングには、色紙のテープにより作られた鎖や、「祝 18歳」と書かれた細長い模造紙、金・銀のふさふさした飾りなどがあちこちに設けられていた。

「そんなわけないでしょ。愛咲ちゃんや、あなたの親御さんに手伝ってもらったのよ」

「ふうん……今日、俺の誕生日であるにもかかわらず、用事があって、三人とも夜十時まで戻ってこない、ってのは、このためだったのか。お前のこの、サプライズの」

 現在時刻は、一月八日日曜日、午後三時十五分。この日は、松久の誕生日だった。彼は水色のTシャツを着て、群青色のスラックスを履いていた。小秋は、ピンク色の長袖ブラウスに、深紅のミニスカートという出で立ちだ。右手に赤い綿製の手袋を嵌めている。

「ええ、そうよ。……じゃ、さっそくだけど、誕生日ケーキ、食べましょうか。私の手作りよ」

 小秋はそう言うと、冷蔵庫から四角い箱を取り出してきた。松久はダイニングのテーブルの椅子を引くと、そこに座った。机には、透明のテーブルクロスが引かれている。

 彼女は、箱を開けた。そこには、鋭い三角形のショートケーキが二つ、入っていた。皿とフォークを食器棚から出し、盛りつける。

「そういや、最近、悩んでいることがあってさあ」生クリームとスポンジを口に運びながら、松久がそう言った。

「悩んでいること? 何かしら?」

「お前も、知っていることだけど……最近、全然性欲がないんだ」

 そりゃそうでしょうね。小秋はそう心の中で呟いた。松久の妹の青足愛咲には、求められるたびに、性欲減退剤を渡している。あれを飲まされ続けていれば、性欲が湧かなくなるのも当然だ。

「前までは人並にあったのに、急になくなったから、ちょっと心配でな……」

「気にし過ぎじゃない? そのうち復活するでしょ」

 松久は、そうかねえ、と不安そうに言った。

(まあ、仮に戻ったとしても、セックスはしないけれど。愛咲ちゃんとの約束があるからね。実際、今、リビングにも、盗聴器や隠しカメラが仕掛けられ、彼女のところに音声と映像をリアルタイムで送っているし)

 その後も他愛ない話が続き、しばらくして、二人ともケーキを食べ終わった。小秋は、食器を片づけ、箱やビニールを捨て、テーブルを台拭きで拭くと、「次は、誕生日プレゼントね」と言った。

「プレゼント、かあ」心なしか松久はそわそわしている。「家族以外から貰うの、初めてかもしれねえな」

 へえ、そうなの。そう小秋は返事をした。「とっておきを用意してあるわ」

「ふうん。どんなやつだ?」

「モノじゃないわよ」

「モノじゃない?」

「ええ。私があなたにあげるのは──チャンスよ。あなたが私との恋人付き合いを続けている理由である、例のムービーを、削除するチャンス」愛咲が聞いているだろうから、どんな動画か、まで言うことはできない。

 松久は目を見開いた。「ホントかよ、それ」

「ええ。誕生日プレゼントだもの、あなたが心の底から喜ぶものでないとね。……動画の削除が、喜ぶものだなんて、悲しくはあるけれど」

「チャンス、といったな。つまり、削除されない可能性もあるというわけだ」

「そのとおりよ。今から詳細を説明するわね。

 例の動画は、正確には、四十四分四十四秒──二千六百八十四秒あるの。あなたには、この、二千六百八十四秒のうちから、何秒かを、削除するチャンスを与えるわ。

 ルールは簡単よ。私とあなたが、何かのギャンブルで勝負する。あなたが勝てば、動画を何秒か削除し、私が勝てば、削除しない。ただそれだけよ。

 削除そのものは、私がするわ。動画の、具体的にどこを削除するか、を決めるのも、私。チャンスをあなたに与えているんだから、それ以外のことは、私に決めさせてもらうわ」

 ふうん、と松久は呟くと、腕を組み、軽く俯いて、考え込み始めた。しばらくして、「どんなギャンブルをするかは、俺が決めていいか?」と言う。

「もちろんよ」

「じゃあ、ちょうどいいギャンブルがある。ちょっと待っていてくれ」

 松久はそう言って、リビングを出て行った。数分後、戻ってくる。右手で拳を作っており、左手にはアイマスクと厚手のゴム手袋一組を握っていた。

「ギャンブルには、こいつを使おう」

 松久は、アイマスクと手袋一組をテーブルの上に置いた。それから、右手の拳を、それらの横で開く。

 じゃらじゃらじゃら、と、オレンジ色の、直径三センチほどの円盤が、たくさん落ちてきた。小秋はそれらのうちの一つを、摘まんでみた。片方の面には【4】と刻まれている。もう片方の面には、何も彫られていなくて、つるつるとしていた。

「こいつらは、プラスチック製のコインで、【0】から【9】までの値がある。元々は、ほら、雷神百貨店で願が見せた、クアドラプルダイススゴロクというボードゲームで使うアイテムだ。

 これらを、こういう風に、全部伏せて」松久はコインをすべて裏返した。「ガン防止にアイマスクと手袋を着用してから、シャッフルする。そして、この中から、一枚選び、ひっくり返す。そこに刻まれている値が、大きいほうの勝ちだ。

 ギャンブル名は……そうだな、『ワン・ディジット』とでもしようか。日本語で『一桁』という意味だ」

 ワン・ディジット。小秋はそう復唱した。

「それで、これはあくまで提案なんだが」

 松久は、コイン二枚をひっくり返した。【3】と【8】だった。

「何秒、削除するかだが──『勝者と敗者が選んだコインに刻まれている値の差の百倍』にしねえか? 例えばこの場合、(8-3)×100で、五百秒だ」

 なるほど、なるほど。小秋は腕を組み、そう呟いた。「それなら、もっと面白いことになりそうね。例えば、あなたが【9】を選んで勝っても、こっちが【8】を選べば、たった百秒しか削除されない」

「そのとおりだ」

「いいわね、そのアイデア。ただ、『百倍』ってのは多すぎるわ……『十倍』にしましょう。『勝者と敗者が選んだコインに刻まれている値の差の十倍』。それならOKよ」

「……わかった。十倍だな」

「それじゃあさっそく、始めましょうよ。……ただ、その前に、ギャンブルに使うコインやアイマスク、ゴム手袋なんかを、不正の類いが仕込まれていないかどうか、調べてもいいかしら?」

「別にいいぜ」

 ありがとう、と小秋は言った。そして、机上のアイマスクを手に取ると、表裏を、じいっ、と見つめた。その後、それを元の位置に戻すと、今度はゴム手袋一組を持ち、外見を眺めたり内側を覗いたり、左手に嵌めたりした。

 彼女は手袋を着用したまま、左掌にコイン十枚を収めると、それらをまじまじと見つめた。そして、唐突にくしゃみをした。さらには、その拍子に、円盤をすべて、床に落としてしまった。

「あっ、ごめんなさい……私が拾うわ」

 小秋はそう言うと、椅子を引き、テーブルの下にしゃがみ込んだ。これら一連の動作は、決して偶然ではなく、意図してやったものだった。

 彼女はコインをひっくり返していくと、【9】を発見した。その後、それ以外のコイン一枚を拾い、テーブルの上に置いた。ポケットからハンカチを取り出すと、【9】を擦り始める。

(これで、静電気が溜まるはずだわ)

【9】のコインにだけ、溜める。そうすれば、選ぶ時、指を近づけると、静電気が感じられるはずだ。

(いわば、不可視の、触覚的ガンをつけるのよ)

 小秋はその後も、ハンカチで【9】を擦り続けた。他のコインを、一定の間隔でテーブルの上に置いていき、松久に不審感を持たれないようにするのも忘れない。

 最後に彼女は、ゴム手袋をしたほうの手で、【9】のコインを持つと、それをテーブルの上に置き、自分も立ち上がって椅子に腰かけた。素手で触ってはいないし、机には絶縁体のテーブルクロスが引かれているから、静電気は逃げていないはずだ。

「特に、ガンの類いはないみたいね」正確には自分がつけたのだが、もちろん黙っておいた。

「それじゃあ、シャッフルしようか。俺からでいいか?」

「いいわよ」

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