第10話 クリスマス 間男編

「メリー・クリスマース!!」



なまはげの扮装をした、浮かれた男が乱入してきた。

俺の四畳半に。


「……は?」

としか云いようがない。何だ貴様は。

「……あり?」

男はようやく自分の場違いさに気がついたのか、とりあえずなまはげの面を外した。場違いとか云ったが、この扮装が場違いじゃない場所が今この日本にあり得るのか。男鹿半島ですら今日だけはナマハゲノーサンキューだろう。

「どちらへお訪ねですかね」

面を取ると何か間抜けな容貌というか、悪い奴じゃなさそうなので、一応常識的な感じで声をかけてみる。男は数秒固まった後、非常に恐縮しながらドアから一歩引いた。

「す、すんませんすんません、ここはその…金沢、ハルミさんちじゃない、ですよね」

「あー…それ、隣」

「そ、そうでしたそうでした、失礼しました~♪」

男はウキウキと早口でそれだけ云うと、ドアを閉めようとした。俺は…なんか、男が気の毒になった。

「隣なら今、来客中ですよ」

ドアの動きが、ぴたりと止まる。

「さっきエレベーターで一緒になりました」

「………それは、その」

「男、だったけど」

閉まりかけていたドアが、がっと開いた。

「………まじですか」

からん、と発泡スチロールの包丁が落ちた。



仮面も包丁も失って玄関先に佇む、蓑を背負ったサラリーマン。対峙する俺。なんだこのクリスマス。



「仕事帰り…ですか」

「システム保守の仕事があって…彼女と別れて予定が空いた後輩が代わってくれたから…俺」

蒼白な顔の前に、蓑の屑がぶら下がっている。

「サプラーイズ、みたいなノリで、ですか」

「……まぁそんな感じで」

駄目だろ~、メールくらい入れとかなきゃ~…などというのは気休めか。クリスマスに家に来るくらいだものな。元々浅からぬ関係だったのだろう。

「いや!…もしかしたら弟とか!…ちょっと失礼しますよ!!」

蓑の男は俺の許可も待たず靴を脱ぎ捨てると、壁に駆け寄りぴたりと耳を当てた。…やがて、さめざめと泣き出した。何かこう、背負うと重くなるタイプの妖怪みたいだ。

「うぐぅう…うう……」

「………」

「とりあえず、場所伏せて携帯いれてみたら…」

「あ、はい…じゃ、LINEで」

「ちょっとまて」

俺は少々引っかかるものを感じて、奴の手を止めた。

「携帯の番号は、知っているか」

「……LINEなら」

「………」

「で、でもLINEでも通話できるし!」



――うん?



「…なぜ、今日なまはげを?」

「俺の郷里でなまはげ、やってて。俺の父さんも爺さんも、代々やってて。ウチになまはげセットあるんだぜっていったら、わー見てみたいーって、飲み会の時…」



そ、それでクリスマスになまはげを?



「で、あんたはよりによって聖夜に、アポなしで、女子の部屋に、妖怪の扮装で乱入しようとした、と」

「………」

浮気する女も大概だが、そんなこと予告なしでされるというのも最悪な話だな。今日のことがなくても、こいつ遅かれ早かれ…いや、その前に。

「良かったな、悪い子いたじゃねぇか。壁の向こうに」

「うぅっぐぅううう…!」

本格的に泣きに入った。最悪だ。ご近所さんに俺が泣いてると思われる。

「………あぅぁー………」

泣き方に張りがなくなってきたあたりで間髪をいれず発泡酒を渡す。蓑男はプルタブを起こし、背を丸めたまま発泡酒をすすった。…酒蔵に出る妖怪みたいだ。

「――初めての彼女だったのに」

「あんたが告白したのか」

「告白…ってか会社の飲み会で」

奴がぽつりぽつりと語り始めたことばを要約すると、こうだ。



会社の飲み会で、酔った勢いで笑いながら『なになに金沢さんのアパート俺の近所なのー?じゃ俺たち付き合っちゃうー?』と云ってみたら、ハルミちゃんが『えーいいですねーあははー』と云った…らしい。



「えっと、そんだけ…?」

これって、あれだよなぁ…やっぱり。

「そ、そのあと素面の時に『ハルミちゃん』て呼んでも嫌な顔されませんでしたよ!」

「他にハルミちゃんて呼んでる社員は」

「…ほぼ皆」

「…なぁ、あんた」

「ランチも一緒に行きましたよ!!」

「2人でか」

「彼女と!…その、友達と」

「ランチ代は」

「………」



男の表情を見るに忍びなく、開けっ放しの玄関に戻り、ドアを閉める。足元に正方形の柔らかな箱が落ちていた。プラスチックの板が挟まれた小さな窓から、崩れたクリームと苺が可愛らしく覗いている。…居たたまれない。

「……それ食いますか」

「ホールで買っちゃったのか、こんなでかい奴を」

「はい!い、一番でかいのを!ちょっと奮発して!!」

箱には『ヤマザキ』と書いてある。

「女の子って甘いものが好きでしょう!?だ、だから俺!!」

だから、俺…特別でかいケーキ丸ごとプレゼントしたら喜ぶかなって俺……ごにょごにょ呟きながら、男は再び俯く。…居たたまれない。発想がもう純朴で愚鈍な田舎の若者だ。流石は代々なまはげやってる家系というか。

「い、いやぁ…浮気ってあるもんなんですね…ははははは」

震える声で呟きながら、男が顔を上げた。はははとか言っているが、目が笑っていない。ちっとも笑っていない。

「お、おう……」

浮気をされた、そういう方向でのクロージングに入ろうとしている。…どうしよう。




俺の前に、2つの選択肢が横たわっている。



① いやいやお前、彼女そもそもお前と付き合ってないよ!と正直に諭す


② そうだね、酷い女だったね、ご愁傷様。と話を合わせてその場を凌ぐ



前者を選んだ場合:既にボロボロの精神状態で真実を押し込めているこの男に更に追い打ちをかけてしまい、ヘタレそうだからまぁ、まずないとは思うが、場合によっては、いやだぁあぁぁとか叫びながら隠し持ったナイフか何かで滅多刺しにされる恐れがある。


後者を選んだ場合:ストーカー爆誕の予感。ゴミ袋漁るくらいで済みそうな気もするけど、場合によっては隣の彼女がおぐわぁあぁぁとか叫びながら隠し持ったナイフか何かで滅多刺しにされる恐れがある。



…隣の子には申し訳ない。が、俺とてこの訳の分からない状態に付き合わされて負傷までする義理は、ない。そもそもこのモテなそうな男が「付き合っちゃう?」とかほざき始めた時点でゴミ虫でも見るような視線でも送っておけば、こいつとてこんな拗らせ方をせずに、孤独なクリスマスを粛々と受け止めただろうに。思わせぶりな態度を取った隣の子が悪い。そうだ、俺は悪くない。俺は。



「―――いやお前、付き合ってないよ。最初から」



気づいたら口走っていた。…俺は思い出していた。エレベーターの中で鉢合わせた、隣の子の幸せそうな笑顔を。白いコートの裾をくるりと翻して乗り込んできた彼女に続いて入ってきた、イケメン彼氏を。何故だか、俺は。




「――う…うぅうぅぅ…うぅぅわ……」




蓑の男が声を震わせながらぎりぎりと歯ぎしりを始めた。うっわやべえ、これ滅多刺しのパターンだ。俺は軽く後悔し始めていた。…男はなまはげの仮面を拾いあげ、徐にかぶりなおした。

「お、おい落ち着け、俺なんか刺しても、な、ほら」

「ぅぅ悪い子はいねぇが―――――!!!」

やおら喉も裂けんばかりの雄叫びをあげると、蓑男は発泡スチロールの包丁を高々と掲げて、俺の周りで素早い反復横跳びらしき動きを始めた。奴がスライドする度に仮面の黒髪がうねる。うっわ怖、なまはげ近くで見ると意外と怖ぇ。

「ちょ、待」

「悪い子は―――――!!!!」

発泡スチロールの包丁を高々と掲げ、俺の頭上に振り下ろす。何度も振り下ろされるが、その度にぽこんぺこんと間抜けな音がした。無論、全然痛くない。ただ叩かれる度に、羞恥とも憐憫ともつかぬ奇妙な感情が、じわりじわりとへその真ん中あたりを満たしていく。

「悪い子は―――――!!!!」

「悪い子は―――――!!!!……悪い、子は」

全ての力を使い果たした蓑男は、再び包丁を落とした。

「――悪い子なんて、最初からいなかったんだ。いたのは間抜けな大人、だけだ…」


―――おい。


「なんかお前、今俺もついでに間抜けな大人のカテゴリーに入れただろう」

「……え」

「クリスマスに何の予定も、残業すらなく、町に繰り出せばカップルの群れに心折れること必至だから閉じこもって聖夜をやり過ごそうと思っていたらなまはげの襲撃に遭い、俺には爪の先ほども関わりのない失恋騒動に巻き込まれ、現在発泡スチロールの包丁で絶賛滅多打ち中の俺を、間抜けな大人にカテゴライズしたろ」

「……す、すみませんでした、言葉にしてみるとクるものがありますね……」

「笑ってんじゃねぇぞこの野郎」

無意識に、心の奥底に閉じ込めていた暗い過去が、ぐぐぐ、と喉元にせり上がってきた。

「すみませんすみません、か、帰ります、帰りますから!!」

奴は俺との『格』の違いを感じ取ったのか、いそいそとなまはげセットをまとめて帰ろうとした。俺は徐にドアを閉め、退路を断った。

「俺たちのような人間はな、華やかなイベントの空気に酔わされて余計なアクションを起こすことはな…絶対に、許されないんだよ。…お前、分かるだろ」

じわじわと俺を蝕むのが分かる。あの頃の自分が、ふつふつと俺の細胞を乗っ取り始めている。

「リア充が俺たちの領域を垣間見ることが精いっぱいなように、俺たちも、リア充の世界に足を踏み入れちゃなんねえんだよ。身の程を知らない蛮行の果てには、海面を夢見た深海魚と同じ、無残な死が待っている…」

後ろ手に、押入れをすっと開いた。奴は息を呑み、その奥の闇を見つめる。

「あ、貴方は…まさか貴方は!!」


―――そう、俺は。


「貴方が、なぜ東京に……!!」

俺は無言で『蓑』を羽織り、『面』で顔を覆う。奴は瘧のようにガタガタと震えだした。

「俺をなまはげだと思っているのか…ふん、それは間違っている、だが」

錆びた鎖を肩に掛け、鉄の匂いがする鐘を持ち上げる。

「ある意味、貴様は正しい」

「……え……えぇ~!?」

『出来上がった』俺の出で立ちに、蓑男は腰を抜かし、細い悲鳴をあげた。

「――サンタクロースのモデルとされる子供たちの守護聖人、聖ニコラウス」

出来栄えを確かめるために、蹄を模したブーツを踏み鳴らす。ざし、と不吉な音を立てた。

「…その影に常に付き従う、異形の存在を知っているか?」

蓑男はぷるぷると震えながら首を振る。…で、あろうな。

「鈎爪の名をもつその異形は、山羊のような角を生やし、悪魔のような恐ろしい姿を現す。そして錆びた鎖や鐘を手に町や村を練り歩き、女や子供を脅して歩く。そして背中の籠に悪い子供を捉え、地獄の釜に放り込む…とされる」

「こ、怖っ」

「実際にはこいつだ」

よく鞣された革の鞭をひゅんと振るうと、蓑男がひっと小さく呻いて首をすくめた。

「クリスマスウィークの約2週間、俺たちは鞭を振るい、子供たちに親の言いつけを守り、よく勉強に励むよう諭す。そういった教訓を含んだ存在だ」

「そ、それは…まるで…俺と同じなまはげ…」

蓑男が、よろよろと立ち上がった。

「貴様は、ある意味正しい。しかしそれはやはり、違う。なまはげではない」



ドイツから単身、仕事の都合でこの日本に渡り、くそ狭い四畳半とやらで孤独にクリスマスを過ごす、この俺が演じるべきその存在の名は。



「その異形の名は、クランプス」



言い放ち、ドアを開け放った。偶然俺の部屋の前を通りかかった鍋パ帰りらしき大学生の群れが、けたたましい悲鳴をあげて飛びすさる。…ふはははは、いいぞ、いいぞ。その声だ。その表情だ。俺が来日以来、ずっと餓えていたものは。

「包丁を拾え、なまはげ……パーティーの始まりだ!!!」

「………っは、はいっ……!!」

俺たち二人で、浮かれたクリスマスの巷を恐怖で染め上げるのだ。



ドイツ伝来、本当のクリスマスが、今始まる。


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俺の四畳半が最近安らげない件 たにゃお @tanyaoh

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