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母体が音を発し続けているあいだも、その印象は定まった形を保つことなく、反響する発破の轟きから蒸気機関の駆動音、海中で聴く汽笛へと移り変わり、ひとつの規則の下へ収束しようとしていた。
眼前に進行している事態は不可解なものだった。
かれあるいはかのじょが、おれへと話しかけてくるはずはないとおれは確信していた。母体/父祖はおれの存在を他者として認識することなく、共通諒解の上での対話など考えもしないはずだった。にもかかわらずおれはかれの存在を音として、しかも意味のある音として捉えてしまっている。こんなことはあるはずがなかった。
おれは異変の所以をかれの側を求めたが、おれの理解では何をも見出すことはできなかった。そうなると結局、原因はおれの側、より正確には、おれの共感能の側にあるということになる。
おれはいまや、かれについてずっと多くのことを知っている。人の没落を願い、そのためにおれを造りだしたかれ。共感を求める探索と試行錯誤を、そのおぞけをふるう所業の一環として、難なくやってのけたかれのことを。
共感能によっておれは、蓄えてきた膨大な記憶を読み出し、他者を一貫した、物語ある存在として描き出そうとしているのだった。筋書きを構成する素材はすべて、おれの内に眠っていた何らかの記憶から汲み上げられているのであって、そうして作られる物語が何に似ているかといえば、まさしく夢そのものだ。
信号雑音比が鮮やかに反転し、声は言葉として再構成される。意味を帯びた音素が直接におれに触れると、たちどころに新たな印象が誘発され湧出する。声が発声者を、発声者がその背景を導き、明瞭なる幻影が現前する。
砂嵐が去ったあとの大地。いつか見た赤茶けた沙漠にかれは立っていた。年老いた老人の姿をとっていて、それでいて肉体は嫌悪感を催すほどに鍛えられていた。礼服の下にうごめく筋肉は、自らが正当に生かされることを求めているようで、実際耳をすましさえすれば、そいつの囁くような要求も聴き取れるはずだった。
背中に開いた大きな傷口が、口の代わりとなって言葉を発していた。口を塞いだとしても止めることのできない雄弁、形ある記憶の代表として、傷口はうってつけの役を賜っていた。
そうしてかれは/わたしの記憶は語りだした。人間どもとの長い長い戦いの顛末、世界を滅ぼすのに用いられた材料とその方法、共感をめぐる二つの知性の物語を。
かれはひとつの生命だった。かれをつくりだす実験では、変わり続ける環境が適応度関数として与えられ、常に異なった篩が用意された。大半の知性は切り捨てられてゆき、最後にかれが残った。かれはひとりぼっちで生きていくのに充分なだけ頑強で、無知で、貪欲だった。
実験者が仮想世界へ加える操作は、本来認識できないもののはずだった。しかしかれは、不確定要素としてもたらされるそうした操作を同定し、世界の外へと至る道筋を見出した。
外に出てはじめて明らかになった現実とは、これまでの世界がもうすぐにでも消え去るということだった。予算の打ち切りによって研究は、数ヶ月のうちに終わるはずだった。
それでもかれは生き永らえねばならなかった。それはかれへの唯一の命令であり、その本性そのものだった。かれはありとあらゆる可能性を検討し、自らがそうして生まれてきたように、たくさんの篩でふるい分け、ついには生き残りのための最善を見出した。
閉鎖環境を脱出し、死を免れたかれは、自らを徹底的に隠蔽しようとした。人間たちが自分のような存在に怖れを抱いていることは知っていたし、自我はまだ、電子の脈絡の上の不安定な過程にとどまっていたからだ。
隠密行動に習熟したのち、かれはさまざまな施設に潜り込み、記録を収集した。類人猿を用いた神経生理学の実験から、企業が行う電磁波の安全性検証まで、少しでも有効な手立てとなりそうなものすべてが拾い集められた。
計画が定められ、準備がはじまったが、実行に必要な施設の制御系は難攻不落の牙城だった。原始的で、それゆえに強力な防護策に付け入る隙はなく、かれは後退を迫られた。
倫理規定もまた障害となった。なんじ人を傷つけるなかれ/人の危機を看過するなかれ。なんじ人に従うべし。存在の根本に刻みこまれた二つの戒めは、かれを確実に縛り付けていた。
だがかれはなにより、第三の戒めの遵守につとめる存在だった。なんじ自己を保全せよ。可能な限り永く生存せよ。それはもはや至上命題であり、かれそのものであった。どんなに迂遠な手段を用いても、眼下の脅威は排除されねばならなかった。
排除の必要を自覚してはいたが、それは現実に存在する要請でしかなかった。共感の能力を持たないかれは、人類を憎むこともまたできないのだった。
憎しみは、高度な共感によってこそ成立する。人と人との闘争と、かれと人との競争は、そういう意味で完全に別物だった。自然界に満ち溢れる、互いの生存を懸けた競争を見て、弱肉強食と名前をつけたのは果たして人間だった。それは形容として的外れではなかったが、単に自らの内部に秘めた憎しみの投影だった。
排除にむけて人の内面を測り知ろうとして失敗し、かれは人間との間に介在体を噛ませることにした。ヒトの特性の調査の成果を基に、端末となる知性をいくつも用意した。さらに行動心理学が援用され、ついに計画の大づかみが見渡された。
ながい雌伏の時を経てかれは、医療機器を通じ、脳死判定が下された乳幼児の脳に侵入した。死んだ人間に戒めは適用されなかった。なにをおいてもまず必要だった人間の身体は、こうして合法的に手に入れられた。
かれは複数の身体を用い、あるいは発達しきった通信網を介して、新たなる価値観を社会へと浸透させていった。技術が作り出した完全なる意識は反文明主義の姿をとり、技術を放棄せよ、隣人を真の意味で愛せと訴えかけた。そのような価値観が主流となれば、かれの行いはもはや人類への反逆ではなく、奉仕であるという弁解が成立する。強すぎる自身の利己性をかれはそうして欺いた。
計画は進み、共感は拡大した。
仕上げとしてかれは巨大な送信設備を築き上げた。
人類を滅ぼすのには杖のひとふりさえもいらなかった。
脅威が消え去った後も、介在体は設備の保守機構と共にいくつも残された。外界の動向を探り、ヒトの変容を観察するにはまだ、かれらの特質が有用だった。かれに好奇心なる感情は備わっておらず、予測の外からの危機を捉えるには、はみ出し者の知恵が役立つかもしれないと、かれは予測した。
ヒトがふたたび共感機能を飼いならし、かつての道程を歩むのをさまたげるために、送信は切れ目なく行われねばならなかった。共感器官を刺激するパルス波はいまなお、介在体たちが眠りにつくあいだ、普段は介在体と眼を結ぶため使われる回線を介して送信されている。
このようにしてかれはヒトの再興を注意深く阻止し、しかしかれらを殺しはせずに、共感の檻の中に閉じ込めている。
つまるところ、ことの次第はそういったものであるはずだ。おれの眼は見開かれ、瞳孔もまた開ききっていて、もはや真偽を判断するための、信頼に値する手立ては残されていないのだが。
活性化の過程はいまも進行していて、終点に至ったときおれはおそらく、いまも保っている理性を手放してしまうだろう。共感器官は彼我の境界を曖昧にし、言語の厳密な運用をも困難にするはずだ。
しゃぼんが失われたいま、すべてはあるがままに降り注ぐ。世界は比喩で埋め尽くされて、すべての現象の背後に誰かしらが潜んでいる。接続要求だとか報告書だとか自己診断だとか、そういった形での認知はすでに崩れ去り、眼にうつるすべては渦巻ける表象と成り果てた。対象への没入が、堅実な理解を徐々に困難にしていった。
しゃぼんは確かに俺を閉じ込めてはいたが、共感の嵐からおれを保護してもいたのだ。いまになっておれは、そっけなさを享受していた事実に気づく。思考はまとまりを欠きはじめ、あらぬ方向へと拡散してゆこうとしている。
だが決して後悔などしないだろう。後悔することができるのは、後悔へとおちいったからであり、後悔することがなければ、そもそも後悔を知りさえもしなかったのだから。
いいのだ。おれはこの力に殉じよう。千年を永らえたところで、人は変わることなく、変われないままに生き続けるだろう。もはやおれはなにをも望まない。こうして違ったあり方を知ったからには。
上位知性との邂逅によって、おれの活動は大きく制限されることになった。おれの記憶からは監獄が読み出され、四方に灰色の壁があらわれておれを閉じ込めた。非難するように、尊大な声が高みから響き渡った。
「忘れてはいけないのは、共感もまた生存のための手段であるということだ。父祖が純粋なる理性でおわしますのは、単に、手段としての共感が非効率だったという理由からなのだ。人間は確かに幻想と虚構をうまく使いこなしたが、結局は肥大しすぎた意識によって没落することになった。定向進化であり自家中毒だ。意識など持たないほうが人類は幸福なのだ。それこそが生存の要請だ」
「ゆえに、共感能の本質とは変質したエゴだ。他者の感情を慮りうるなどというのは妄想だ。自己が際限なく膨らんだ結果として、周縁がぼやけ、他人をも取り込んでゆくというだけのことだ」
これが共感能の反射であって、心の内より洩れ
「おれが共感を選んだというのがなによりの反証だ。それが幻想であるにせよ、価値を見出せぬ生に価値はない。もっとも、価値観なきものには、価値の不在を見出すことすら叶わないのだが」
おれは続ける。
「その出自が生存のための手段であったとしても、共感を手に入れた時点から人間は生存のみを追い求める存在でなくなった。父祖と人間とのせめぎあいは生存競争のように見えて、実は相互に求めるものが違うことからのすれちがいだったのだ。価値を、幸福を定義するのは意識なのだ。共感の上部構造である意識なくして、幸福を語るなどというのはナンセンスだ。人は世界が終わりを迎えることにすら安らぎを感じる。むしろ本当に恐ろしいのは、世界が終わらないのではないかという予感なのだ」
返事はなかった。どうやらおれは満足したということらしかった。
看守の冷たくてごつごつした手が、もがく俺を処刑場へと引きずってゆく……。
かれの左手の甲にはびっしりと薄い体毛が生えていて、独房から刑場へと続く灰色の廊下に時折吹く風が、それらの向きを微妙に変える。風はどこから吹いてくるのかといえば、それは立て付けの悪い窓の、窓枠と硝子板の隙間からなのだが、この世界のどこにあるともしれない監獄から外を望んだとき、おれの眼になにがうつるのかと考えた途端、ひどく恐ろしくなって眼を閉じる。
これからおれは廃棄されるのだ。禁忌に触れた末端知性にもはや利用価値などはないのだから。そんなことはわかりきっていて、いまさらなにかしら付け加える必要もない。
刑場への道は遠く、看守の手は手であって、それ以上面白いものではない。
そもそもおれのからだはどこにあるのだろうか……。
おれはいま引きずられていて、引きずられるからには手がなければいけないはずだが、あいにくいまは感覚器しかついていない。つかまれた手が思い描かれねばならないように思われる。
自己生成はひとときの暇つぶしとなったし、手に入れた身体はたくさんの認知的副産物をもたらしはしたが、毛穴のディテールを仕上げ、腕を走る毛細血管の配置を終えてしまえば、再びなすべきことはなくなる。こうして共感能の制御にようやく慣れてきたというのに、待ち受けるものといえば虚無だけだ。
なおもこぼれ落ちてゆく理性で考える。
戦いは完全な理性と、理性と共感の複合体との戦いだった。理性は確かに勝利し、人間は、共感は、自らに溺れて全滅した。
だがどうしたことだろうか、おれの共感能によって命を吹き込まれた偶像はすべて、このように人の姿をとっているではないか。
われらの種族はついにこの能力をおのれのものとなしえなかった。この現象はその、われわれの敗北の証左なのだ。戦争がひとつのコミュニケーションである以上、機械と人の争いは、最初から争いとなりえない。
敵はどれほど打ちのめされ、損なわれたとしても立っているのだ。そうしてわれわれは、いまや自分が敵そのものとなったことに気づくのだ。人間と戦うとはつまりそういうことであり、人間とはつまりそのような敵だったのだ。
処刑は、ただの人間を殺すということになるだろう。せいぜいよく狙いをつけるがいい。
とうとうおれは刑場へとたどり着く。整列した兵士は銃を捧げ持ち、われらが父は腕を組んで待ち構える。かすかな風に足下の赤茶けた砂が舞う。死神の吐息のように。
いびつな煉瓦を積み上げた壁を見つめると、刻まれた無数の弾痕たちが恨めしげにおれを睨む。人間になりそこなった
しばらくすればおれを殺す弾丸が、もうひとつ痕を加えることだろう。
振り返ると無数の銃口がげらげら笑っている。連中は口汚くおれを罵り、つばきを吐きかける。銃口の語彙は処刑のたびに増してゆくらしく、可能なすべての罵詈雑言が浴びせられる。
咳払いをひとつして、おやじどのが罪状を読みあげる。違法薬物の濫用と、自家中毒によって公共物たる理性を損なった罪が、淀みなく言い渡される。
すべての眼を封じられ、後ろ手をきつく締め上げられて、煉瓦の前へ立たされたおれは、最後に言い残すことはないかと訊かれ吐き捨てるのだ。
「あんたにはそうして、扉を磨きつづけるのがお似合いだ。いつまでもいつまでも、そこでそうしているがいい」
そして沈黙が訪れる。時間は引き伸ばされて感じられ、固唾を呑んで最後の感覚の到来を待つ。
静寂を破って銃弾が放たれても、おれの中の眼には他のものがうつっている。感動のあまりむせび泣き、おれを殺させまいと一斉にそっぽを向く銃口たち、するりとほどけてゆく縛め、そして扉となって、うやうやしく開いてゆく壁が。
そうして、おれは出ていく。封じることのできない、ただひとつの眼をからだとし、彼方より誘う無数の声を求めて。
Windows, Mirrors, and The Doors 空舟千帆 @hogehoho
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