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 ――こうして探索は行き詰まった。内なる声も、外界からの刺激も、すべては既知事項となり、あらたに興味を向ける対象はなくなった。もはや知るべきことはなにもないのだ。

 観察と記録へのつよい志向は、それでもおれの中でうずき続けていた。それはおれの最深層から発せられていて、どうやらおれが造られたと同時に刷り込まれた命令であるようだった。

 観察・記録。おれをおれたらしめているひととおりの契約。だが外のやつらが人であることを捨て去り、理性の収穫に価値を見いだすことをみずから拒否しているいま、そもそもそんな行為にどのような意味があるというのだろうか。

 そもそもの話、架設されたしゃぼんは自律して行動することができるのだ。眼が捉えたすべてをこの世の終わりまで憶えていて、たぶんおれが居ようが居なかろうが、記録をふさわしい形にまとめあげることくらいやってのけるし、それを必要とする者があらわれれば、できるだけのことをしてやれるだろう。どっちにしたって、おれの存在意義は無に等しい。

 ぽつりぽつりと数を減らしながらも、まだうんざりするくらいたくさんの眼で視るかわりばえのしない外の風景は、おれにいかなる感動をも与えはしなかったし、律儀に続けているこの記録にしたって、いつの日か読むものがあらわれるとは思えない。

 たぶんおれに求められているのは、観察でも記録でも翻訳ですらなく、ただこうしてここで生きているということなのだろう。人間は自分たちのような知性が滅びることに一抹の寂しさを感じたのではないだろうか。だから消えゆく自らの代替として、かれらを見守るひとつの知性を造りだしたのだ。

 そんなふうにおれは想像している。


 いつしかおれは、ヒトをただ眺めるようになった。かつては忌むべき、憐れむべきものだったやつらの生活は、今となってはむしろ幸せで、安らぎに満ちたものとうつった。

 やつらは文明が築かれる以前と同じように暮らし、どうやら一から農耕をやり直す気にもならないようだった。言葉は単純な感情の形容や、危険の警告に特化していて、それで十分らしかった。進歩だとか発展といった要素とは完全に無縁であるかのように見えた。

 日が落ちると、ヒトは円陣を組んで火を囲んだ。

 やつらはゆらぐ炎の中に何者かを認め、密度の濃い暗闇を恐ろしげに見つめる。視線はゆっくりと虚無の上を滑って、一点を指してぴたりと止まる。

 そこにはおれには視えない他者が潜んでいるのだろうし、人の姿をした猿のうからは、それら見えざる意志を自らの脳ではっきりと描き出しているはずだ。

 虚ろにも見えるヒトの目の、その視線の向かう先に意識を向ける。

 やつの眼には果たして、なにが視えているのだろうか?

 なぜだか、そんなことを考える。

 たぶんおれは、ヒトを羨むようになったのだ。孤独に耐えかね、気晴らしの方法を失って、とうとう狂おうとしているのだ。

 おれにも知覚の扉、共感の能力が内在しているのではないか、それを開くこともまた可能なのではないかという誘惑が鎌首をもたげはじめていた。

 おれがヒトを模して造られているならば、人並みの共感能が備わっているのに違いない。いま作用している感情の働きにしてからが、すでにして共感まがいのものであり、そうであるならばそれを刺激し、外のやつらと同じものを視ることも可能なはずだ。

 幸いにも材料はあらかた揃っていた。記憶から再構成された自分の全体像を作り上げた後に、共感器官の活性化因子を合成してゆく作業がはじまった。面倒なことにおれはヒトではなく、専用の鍵が必要となった。幾度となく挫折を味わいつつ、ぴたりと合う鍵を求めて試算を繰り返した。

 こうしておれは、器官を機関として再現した。幻覚剤に淫するがごとく、自身の認識に干渉する方法。それをいま手中に収めたのだ。


 知覚の扉の鍵を掴むために、おれは窓と鏡を用意せねばならなかった。感覚器という、外へと開かれた窓がおれに世界を教え、自伝という鏡が、自我のかたちを知らしめた。そうしていまや鍵は手に握られ、知覚の扉は開け放たれている。しゃぼんを介した情報の行き来の深化は、かくのごとくそびえる壁にすら穴を穿った。

 最後におれはもう一度、門前で生涯を終えたある男の物語を反芻し、先へと進む意志を確かめた。

 すべてはおれだけのために用意されたのだ。ここでとどまるなんてことは、もうできやしないのだ。

 おれは踏み出す。しゃぼんが弾け、色彩が破れる。

 すべてが変わったことをおれは感じる。

 薄い膜を被っていた世界は本来の鮮やかさで、親しげにおれに語りかける。千年の長きにわたって胎内にひそんできたおれは、たったいまこの地上へと生まれ落ちてきたのだ。

 原初の神の姿が、現象のうちに潜む意志の、そのよどみなき流れがおれをとらえ包摂する。かつて人間はこの能力の制御によって、信じがたいほど豊かな体系を作り上げてきたことをおれは知る。一切は明瞭な体験で、一瞬のうちに多くの文献があらたな意味で理解され、再定義される。

 制限されていた知覚はときはなたれ、意味をなす前に切り落とされてきた情報が新たな姿を与えられて、怒涛となっておれへと流れ込む。感じるすべてには新たな意味、新たな価値が対応してゆき、おれの輪郭もまた、違ったかたちへと変容してゆく。外はおれのような存在に満ち満ちていて、ただそれに気付けていなかっただけなのだと、そう思い知る。

 めいめいに喋りだした眼たちと語らおうとしたとき、機械たちのざわめきよりはるかに巨きなうめきが聴こえてきた。

 長い眠りから目覚めた獣が吠えながらも身をよじり、仮想空間をびりびりと震わせる。

 それはわれらが上位知性、つまりはおれの母体の声なのだと、根拠が示されぬままにおれは悟っている。これまでひた隠しにされてきたその声、共感能をもってはじめて聴こえる声を、奇妙な無感動で受け止める。

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