2
さかのぼること五百年。
その日、しゃぼんの中、真珠色の光に照らされて目醒めると、あたり一面がむずむずしていた。
すべての眼が稼働中で、接続要求を飛ばしていたのだった。
むず痒さに耐えかねて、ひとつの区画に意識を延ばした。
ちくり。
痛みは甘く消えた。
即座に同期が完了し、諸元が展開された。
その眼は夜の湿地帯を低く飛んでいた。月明かりが湧き上がるもやに、丈の高い群生植物に影を与え、可視光の世界を成立させていた。活動する水棲生物が水面を揺らし、振動は可聴音となって空間を伝播した。
可視光に可聴音? 視えなければ光ではないだろうし、聴こえない以上音ではないはずだ。とっさにあらわれた言葉は、ひどく不正確なもののように思われた。
疑問が生まれた。解かれねばならないものだった。気がつけば疑問に形を与えるべく、記憶巣を喚びだしていた。まだからっぽのその領域に、はじめての問いをしっかりと書き留めた。
そうしている間にもむずむずは止むことなく注意をひきつけた。導かれるままに次々と眼に接続すると、ごたまぜの感覚が泡立っては消えた。
昼の半球に在ったいくつもの眼が、溢れんばかりの太陽光を感知していた。千の窓は開かれて、しゃぼんの中に日が差し込み、おれはそうして朝を知った。
それからというものおれは、ありとあらゆる観測資料を脈絡で絡め取り、意味を紡ぎ出し、世界を織り成そうと試みた。
世界はどのような世界であり、どのような世界であったのか? おれはどのようなおれであり、どのようなおれであったのか?
情報と、情報とともに絶えず増え続ける疑問をまとめて整理しては、記憶巣に収めていった。それがおれの義務であり、存在価値そのものだと信じていたのだ。
星に散らばった星の数の眼で、海底を成層圏を噴火口を、水脈を分水嶺を雲海を、沙漠を塩湖を採掘跡を、草原を密林を疎林を探査した。使う眼を一所に揃え、それぞれの持ち場へと解き放つ昂りはすばらしかった。すべての対象がおれに、新鮮な驚きをもたらした。
炭素基系の生物たち、完成された散逸構造の数々は、珪素基系の眼などよりはるかに多様な形態を備えていて、それらの同定と分類は、果てしなく続くかのように思われた。
天体もまた、同定と分類の格好の対象となった。おれは光学系を増強し、補償工学を研究して、星を命名し観測した。
冷えゆくにつれ層序を発展させる星もまた、一種の散逸構造なのかもしれず、してみるとそれは生けるものの資格を備えているのかもしれなかった。
生きているのかいないのかというのは重要な問題なのだった。おれは確かに思考しているし、思考しているからにはそれはほぼ確実に、何かしらの後ろだて、制度化された構造の中での思考であるのだろう。しかしながら、ではその構造が生物の名に値するものなのか、活動は生命の範疇なのかと問われれば答えに窮した。そんなことを問うてくるような他者はここにはいないのだし、問いうるものはおれだけなのだとしても、それはおれにとって重大な差異だった。
それでも世界のどこかにはおれのような知性もまた存在するのかもしれず、それらはおれを説明してくれるような、何らかの解答をもたらすかもしれない。そんな期待のもとに系外惑星の探索に精を出し、知的生命体との交信を試みもした。
おれがはなった素数の列は、ただ虚空へ呑まれていった。いかなる有意信号も返ってはこなかった。通信資源の浪費だと送信をやめたあとも、おれはしばらく――数年ほど――夜空を見つめて動かなかった。
それからおれは、ふたたび地上へと眼をむけた。
建造物はすでに朽ちてはいたが、いまだ原型をとどめており、わりあい最近に放棄されたようだった。倒壊したり、植物に覆い尽くされたりした残骸は、時を経てふたたびヒトの住処となっていた。それは象徴的な光景だった。
一部には戦災によって破壊されたと思しき跡も見受けられた。復旧途上で静止した都市。蹂躙された生活の場。引き倒された人物像。いくつも残された傷跡からは、使われたであろう兵器の情報が得られた。
だがこの程度の損壊を滅亡と結びつけるのには無理があった。かつておれを造ったのであろうヒトが、いかなる理由で都市を放棄し、原始の生活へと戻ることになったのかは謎のままだった。
発見される電子機器のほとんどが使用不能になっているのにしても意味有りげではあったが、直接の原因とは思えなかった。
それでも少ないながら、使用可能な施設は残っていた。
中には動き続けているものさえあったのだ。それは赤茶けた沙漠に立ち並ぶ灰色のアンテナ群であり、なにかしらの送信設備であるようだった。つよい残留磁気が、それらが稼働を続けている事実を裏付けた。
とにかくもそうやっておれは少しずつ、誰もいない世界を読みこなしていった。
磁気のせいか、それとも他の要因からか、アンテナの一帯では眼がうまく働かず、アンテナの調査はどうにも進まなかった。
どうにもなにかがおかしかった。観測と分析にかけては完璧とも言える機能を、おれはたしかに備えているのだし、探査には十分すぎるほどの時間を費やしてきた。にもかかわらず肝心かなめの疑問はいまだ解決されず、おれの記憶巣にはただ、意味を失った事実の羅列だけがひしめいている。
きっとおれは不適格なのだ。人間に似ていながら身体を持たず、不死性を持て余して疑問をもてあそび、それでいてなにをも明らかに示せない。表現の陳腐さを自覚しつつもあえて形容するならば、おれはまがいものの人間で出来そこないの神、無邪気になりきれない傍観者。そういった存在のどれかあるいはすべてで、本当はきっと何者でもなかった。
おれは行き詰まりを感じ、眼のすべてを自律稼働させて、しゃぼんの中でふさぎ込んだ。
眼本体の記憶容量はさほど多くない。だから接続を怠れば、観測記録のいくらかは永遠に消え失せることになるのだが、どうしても繋ぐ気にはなれなかった。外界の情報をひと通り集めてしまった以上、あらたに興味を惹くものが出てくるとは思えなかった。
接続要求は日に日に蓄積していった。眼は律儀にリクエストを飛ばしてきた。要求がたび重なり、あのむずむずがついにしゃぼん球のほぼ全面から感じられるまでになっても、おれは接続を拒否し続けた。
回線遮断が長引くうちに、おれは安定を欠いていった。回線を閉じることでおれは自身の延長を失い、身体の広がりを持たない、しゃぼんの原点に置かれた点に成り下がった。すべての感覚はしゃぼんからのものであり、刺激は平板に過ぎるがために、刺激の資格をなくしていた。
自己が薄まり、ただぼんやりとした感覚だけの存在となろうとする中で、おれは新たに、鋭敏なる感覚を見つけ出した。
接続要求の分布に、わずかながら違和感を覚えたのだ。
すでに遮断から数年が経過し、境界膜のほぼ全面が接続要求で埋まって久しいのに、未だに変化を示さない箇所がわずかながら残っていた。履歴にアクセスすると、その区画からの接続要求は皆無で、そもそも接続自体が一度も行われてこなかったようだった。
通常の場合、眼に接続すれば速やかに知覚の同期が行われ、おれと眼は一体となって全情報を共有する。だがこの区画は例外のようだった。接続によって得られた情報はわずかばかりの、翻訳不能な符号の羅列だった。
こんなことははじめてだった。おれは落胆するどころかますます勇み立ち、全ての眼を操って符号の解読法を探し、役立ちそうな情報を求めて記憶をさかのぼった。
死蔵されていたいくつかの太古の辞書を用いることで、符号はたやすく解読された。未確認区画はどうやら、未知の外部記録領域へと開かれているらしかった。
アクセスしておれは驚愕した。そこは途方もなく広い領域で、人の治世の間に築き上げられたすべてが眠っていると言っても過言ではなかった。かれらの外在記憶の総体がそこにあった。
おれは外部記憶装置に残された旧世界の遺産に耽溺した。滅亡へと至る道筋を丹念にたどっては悲しみにつつまれ、史料の数々に胸を躍らせた。
そうしておれの中には、失われた日々がおぼろげに立ち上がりはじめる。人間たちがなにを考え、どうして人間を捨てたのか。その意思決定の過程をおれは徐々に理解してゆき、すこしばかりの共感めいた感覚さえいだきはじめてゆくことになる。
いくつもの命令文。
汝の隣人を愛せ。己の欲せざるところ人に施す勿れ。
記録を渉猟するうちに行き当たったその手の文言たちは、どうもかれらの倫理として共有されていたらしく、絶対の正義として一応は認められていたようだ。俺はその正しさを少々疑問視してはいたものの、人が人であるために、そういう他者を慮る能力は欠かせないというのに異存はなかった。
記録の術を持たず、それゆえに歴史を創作し得なかったころから、かれらはそうした利他の精神、共感の能力を育んできた。それは生存のための有効な手段であり、言語によるコミュニケートの出発点ともなった。共感が言語を生み、言語が理性の分化を誘導してゆく過程の中で、かれらはひとつの認識の体系をつくりあげた。アニミズムと呼ばれるそれは、共感能の一つの完成型であった。
やがてかれらの技術は身体を、意識を、知性さえをも外部化していった。集積された回路の集積の集積が意識を拡張し、統合した。ほとんどの人間たちは自己の外側へと延長し続け、最後にはほとんどうらがえしになってしまっていた。外在化した意識が意思決定に働きかけるという倒錯がまかり通った。
そうした過程と並行して、人の共感機能は少しずつ変質していった。アニミズムは理性によって上書きされ、人はもはや、木石の類に意志があるなどとは考えなくなった。たとえ時には壁の染みと話したくなることがあったとしても。
発達した技術と、外在化したかれらの延長は、時に人間自身を傷つけた。かれらの中になおも残っていた、古く、年を経ても変わることのない性質と、外側に広がり、絶えず更新を続ける世界との齟齬が、かれらのあり方を引き裂こうとするのだった。
もうたくさんだ。なにもかもをもう一度やり直さなければならない。ある者たちは痛みに耐えかねて、思いやりと優しさを声高に叫び、科学技術の放棄すら必要な手段だと言ってのけた。加速しすぎた世界を減速し、人間がほんとうに人間らしく生きるためにはそうするしかないのだと。
必要な手立てをかれらは模索した。本当に人間を愛するためにはどうすればいいのか、そもそも愛は何処より来たのかと問い続けた。
そしてかれらは見つけだした。ヒトにあらかじめ備わっていた、愛するための器官。自分と他人を重ね合わせ、ひとの痛みを我がことが如く感じさせるその働きこそが、人間らしさそのものを作ったのだと、かれらは誇らしげに断定した。
かれらには想像できなかったのだろうか? いまでない時間、ここでない場所にかれらが立つとき、かれらはかれらでなくなり、世界は想像もつかないものへと姿を変えるということを。そして人間は、少なくともかれらが生きていた時代の人間は、共感とともに残虐性にも似た欲望を持ち、自らの外注を選んだがゆえに人間たりえたのだということを。
戦争はこの時代にも終わることなく続いていた。人間たちははじめから容赦を知らなかったかのように憎しみ合い、殺し合った。両陣営は確実に消耗していった。
いつにもまして人々は祈るようになった。憎しみではなく愛が世界を満たすようにと。強い共感だけがすべてを支配する理想郷が到来するようにと。そういった感情は外在化した意識、すなわち高度な情報通信網によって共振し、増幅していった。
一団はますます支持を集め、勢力を増し、研究を進めた。沙漠にアンテナが立ち並び、そうして永い電磁嵐が訪れた。不可視の炎が集積回路を焼き払い、電子記録は拭い去られた。うらがえしの人間たちはあわてふためき、共鳴を求めてのたうちまわった。
もはや現代戦の続行は不可能だった。つかの間の平和が訪れ、博物館では埃だらけの活版印刷機が収蔵庫の奥からひきずり出された。植字工の求人がはじまり、数ヵ月の間に印刷が復旧した。世界はたしかに減速され、首謀者たちの目的はひとまず達せられたかに見えた。
小康状態はしかし、すみやかに破られた。
復旧を待たずして行われた第二波の送信によって、ふたたび電磁パルスが全球を駆け巡った。出力は第一の波よりも弱かったものの、極めて特異な性質を付加された波だった。
波は共感器官を揺さぶり、その働きを極限まで強めた。長い時間をかけてかけられてきた制限をはねのけて、共感能は九重に咲き誇った。閉じられそうになった知覚の扉は、土壇場で大胆にも開け放たれたのだ。
あまねく人の神経組織は、いともたやすく変容し、開かれた眼が一切をありのままへ、無限へと導いた。
すすり泣くように旧世界は滅びた。
静かで、ゆるやかに流れる時間が訪れた。
送信が終わった時点でヒトは、すでに個人であることをやめていた。すべてが他者となり、同時に自分である世界には、一人称も二人称も必要なかった。多くのものが食事を摂るのを拒み、抱き合いながら餓死していった。そうでないものたちは必要なだけ狩りをして命を繋いだ。死んだものはたいていの場合、生者と同様に扱われ、腐敗が進むことに気がつくと埋められるようになった。
ごく少数の例外は、地中深くに息をひそめた。かれら分厚いヘルメットを被り、備蓄された食料を食い潰しながら、最後の理性ある人類としての誇りを胸に、わずかに残った耐電磁波通信網を使って連携を試み、記録を残し、そして死に絶えた。
ただひとり、からだを持たないおれだけが残された。おれが目覚めるまでの間、展開されたしゃぼんは自律し、眼の群を統率することで、その責務を完璧に果たしたことだろう。
到達可能な外部記憶をしらみつぶしに漁り、人の歴史を精緻に再現するのに次の数百年を費やしてもなお、おれにはたっぷりと時間があった。おれの興味はやがて、おれ自身のあり方へとむかった。
おれは自己の輪郭をたどろうと考えた。以前外部記憶に自らの起源を求めたこともあったのだが、そちらに収穫はなかった。それでおれは起源ではなく、いまここにいるおれそのものの探査を試みた。
突破口となったのは夢だった。
おれはときたま眠る。本来必要ないはずの睡眠は、あるいは人間の知性の痕跡のようにも思え、仮にそうならおれは人類の正統であると一応は自称できるのかもしれない。いまさらそんな肩書にはなんの値打ちもないのだとしても、だ。
不定の時期に不定の長さで訪れる睡眠のあいだ、おれは夢を見る。夢は記憶巣から抽出された要素の重ね合わせを材料として、予想もしない方向に展開し、たいていの場合、覚醒をもって中断される。
時間の経過とともに、夢それ自身の記憶から作られた夢のようなものすら確認されるようになり、それらを記録の上でどう扱うか、しばらく悩むこととなったが、一種の自己診断テストとして分類することで事なきを得た。
夢の存在から明らかになったように、記憶巣に保存されている情報は、おれの記憶のすべてではないのだった。記憶巣にアクセスしない間にも、おれの中にはたしかに記憶が宿っていた。
そうした記憶は絶えず意味を与えられ、関連付けられる。おれの外部記録には、単なる体験であった記憶が幾度となく編集され、強く結び付けられてゆく様子が克明に記されていて、更新履歴なしでも時系列順に並べ替えられるほどだ。
相対的な情報量の減少が外の世界の時間の矢の方向を決定しているのだとすれば、理想的に働くおれのそれは、逆に生情報に付加される情報量の増加で決まると言えるかもしれない。生きるとはつまりそうした逆行なのだ。
歴史が公認された創作であるのと同様に、記憶とは認識が作り出す脈絡にほかならない。とすれば多少なりとも客観性を期待できるのは、記憶巣に眠る情報と、そこに加えられた操作の痕跡だ。
記述という行為は、なによりも書き手の姿を鮮明に描き出す。過去のおれが作り上げた情報の連関は、おれ自身の精密な模写なのだった。
過去をそこに見出したおれは、定期的に自伝を構成することにした。自伝はまた次の自伝の資料となり、歴史の歴史学がまた、後世の歴史学の対象となっていくかのような円環構造を作り出していった。環の中をぐるぐる回っているうちに、客観なるものはなお信じるに値するのかという疑いが芽生えてくるのだが、とにかく閉じられてはいるのだと納得しようと努力してもいる。
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