やっぱり君には猫耳が似合っている

「ママのバッカヤロー!」


 初めての居酒屋からの初めてのお酒。そして初めて酔っ払ったことで、カオルはとても荒れた。痛々しいくらいに、荒れていた。

 普段鬱屈している分、アルコールに理性を阻害された結果なんだろうけど。やっぱりストレスを溜めすぎることはよくないと、実感を持って教えてくれて、感謝。

 さすがに繁華街で騒いでいるのはよくないから、そのまま街外れの公園に立ち寄った。ライトアップされた噴水に吠えるカオル。まるで猫というよりは、獅子のようだった。

 なんだ、そんな顔もできるじゃん。


「ねえユウ。世の中ってクソったれだね」

「そうだね。うん」


 あまりにも大声で同意を求められたので、日和ったように声は萎んだ。すごく同意しているけれど、あまり大声ではいえないのだ。僕、一応社会人。


「ねえユウ。ブランコ乗ろうよ」

「そうだね。うん」


 って今なんつった?

 カオルは両手を駄々っ子のように回しながら、ブランコのある方へ突っ走っていった。勢いよく飛び乗り、吊るされた鎖はしなる。僕の心も、壊れてしまわないかというハラハラでしなっしな。


「はやくおいでよー」

「はい」


 呼ばれたので、行くしかない。ここで見捨てるのは、さすがに無責任すぎる。

 僕もけっこう飲んでいたはずだけど、自分よりもひどく酔っ払っている人がいると、冷静になってしまって酔いきれなかった。理性よ、案外がんばるのね。

 それからカオルの暴走は止まることはなかった。ブランコから勢いよく飛び降りたと思えば、ジャングルジムに登りだし、滑り台を連続して滑り降りた。いきなり姿を隠したと思えば、茂みから飛び出し、抱きつかれた。僕は可愛く悲鳴をあげて、遠慮なくぶっ叩いた。

 はあはあと息を吐き出して、公園のベンチには疲労困憊の男女が並んで座っていた。色っぽい雰囲気なんて微塵もないところが、僕たちらしいのかもしれない。


「今、すっごい楽しい」

「そりゃ、よござんしたね。あんまりこんな風に遊んだことってなかったでしょ?」

「うん。何もかもユウのおかげだ。ユウと居れば、きっとこれからも楽しいよ」


 酔いのせいはあるんだろうけど、カオルの笑顔は明るかった。その笑顔を見ると心に乱れたノイズが走る。それはきっと、これから行うことへの、罪悪感。


「私も、楽しいよ……けどね」

「けどって、何?」

「もう二人での生活はおしまい。私は来月に、引っ越さなくちゃいけなくなったから」

「えっ」


 カオルの声に重苦しい感情が乗っかって、僕もつられて重みを背負う。ここから先をいうには、口が動くのを拒否しているように重くって、もうすでに参ってしまう。


「どうして?」

「ちょっとしたミスをやらかしちゃってさ。まあ……仕事で一人だけで突っ走っちゃった。まあその責任っていうか、もともと悪化していた業績のせいっていうか、ともかく働く場所が変わるってこと。それで悲しいことに給料も下がっちゃう。ついでにうちの親も生活が厳しいみたいで仕送りもなしだって。だから今住んでいるところを維持できないんだ」

「お金なら、家に」

「もう二十歳を超えて親に泣きつくの? それも親御さんにとっては見ず知らずの私のために? それは社会人としては、筋が通っているとはいえないよ」

「筋だとか社会人としてだとか、よくわかんない」

「わからないことはしょうがないけど、わからないから知っていこうとは、思わないの?」


 カオルの表情が闇を被せたような色に染まる。その色は落胆か、絶望か。

 何かを言おうとしても、何も言えないカオルに戻ってしまっている。けれども、僕はここで手放そうと思った。


「……ごめん。本当に身勝手だったのは、私だったよ。仕事ミスって落ち込んで、それでなんとなくカオルを拾った、私が無責任だった。寂しさを埋めるために、自分の好き勝手にできそうなカオルを連れて帰ったんだ。まるで捨てられた猫でも拾うように。自分の渇望を満たすためだけの愛玩道具として考えていたことは否定しない」

「……でも、それでも、良かったのに」

「カオルはあの時拒否した。私の身勝手な欲望を。私はちょっと反省したよ。カオルはちゃんと人間だったのに、可愛がるだけの対象としか見てなかったことが、わかったから」

「今まで通り、可愛がってくれるだけでいい。甘やかして欲しい」

「それじゃあもう、カオル自身が辛いでしょ。楽な方に楽な方に決められることを選んでたのに、挙げ句の果てにわけのわからんことして泣いて。もういい加減限界だよ」


 カオルは地面に崩れ落ちて、膝をついた。それは無様な懇願のポーズなのだろうか。


「私は、カオルがこれ以上傷ついていくのは見たくないし、かといって堕落して何かに染まっていくだけの姿も見たくないんだ。でも私にはこれ以上何もできない。ここから先は、自分でがんばるしかないよ」


 どす黒い欲望が意識を染め上げていくような錯覚。僕にとって、都合のいい人形のようでいて欲しかった。愛玩の猫のようであって欲しかった。寂しい時に側にいてくれて、文句も言わない可愛いペット。それでいいと思った。

 でも、違った。すでに親のペットのようだったカオルは、ものを言わなかっただけでずっと傷つき続けていた。それがわかった時に、僕自身も同じことをしようとしていたんだと思い知って、沸き立つ欲望が怖かった。

 そんな自分勝手さに耐えられないのは、何よりも自分自身だった。

 カオルには、好きなようにして生きて欲しい。それが罪滅ぼしになるのかは知らないけれど、手放すことが可能性に繋がるのであれば、実行するべきだと思った。


「ユウに見捨てられたら、一体どうすれば……」

「また元の場所に帰るだけ。帰っても結局同じことかもしれない。それなら、変えるために動かなきゃ少しずつでも」

「そんな自信、ない」


 うなだれるカオルの頬を、両手で包みこんだ。なんだかんだでまだ酔っているのか、大胆な行動をすることに恥ずかしいとは思わなかった。


「ほんのちょっとだけど、家事ができるようになったでしょ? 今日お酒だって飲めたでしょ? 散々はしゃいで、公園で遊んだでしょ? くだらないことかもしんないけど、それだけ新しいことを、やってこれたんだよ。それは私が誰よりも認めているから、自信持てよ」

「だって、だって」


 なおも駄々をこねるカオルに、うっかり甘さを見せてしまいそうになるけど、内頬を噛んで堪える。

 ああ可愛いなあ。

 猫耳をつけて、可愛いって言って、好きなようにこねくり回したいなあ。

 けどそんなエゴは、自分自身がお断りだ。楽だからという理由で受け入れられることなんて、とても虚しい。


 いつか本当に強くなって、カオルの意思でいって欲しい。一緒にいたいと。猫耳をつけてくれて、その姿を可愛がってくれと。

 そんな、お互いをわかりあった関係が欲しいから。

 僕は、無責任にさよならする。


「今まで、ありがとう」


 僕はその手を離すと、カオルはそのまま体を倒した。重力に抗うことすらできなかったのか。

 僕は心配に思うけれども、それでも振り返ろうとはしなかった。きっと未練は行動になって、言葉になって歯止めがきかなくなってしまう。そんな気がするから。

 そろそろ秋風は冷たさを帯びてきた。等間隔に並ぶ電灯も、全てを見守るような月も、今日は滲んでいてよく見えない。






 一人で食べる夕食に、たまに食器を多く出してしまう。

 一人で広々と使えるベッドは、腕も足も伸ばし放題だけど、背中に触れる温かみがないことを、不満に思う。

 変なキャラクターのプリントが入った、僕のではないコップ。感触を確かめるように何度もなぞってみるけれど、聞きたい声は聞こえてこなかった。

 負けるもんか。

 誰に伝えるでもなく呟いた。その言葉はきっと空気に溶けて、誰にも伝わることはない。

 僕って弱いなーって思う夜を何度も何度も繰り返している。

 それでも、負けるもんか。

 次はきっと、もっと正しく好きになろう。

 愛玩の関係なんかじゃなくって、対等な関係で。

 きっと。そうすれば。







 妊娠したことを機に、ソファやら家具やらを新調した。そして二人分の収入を合わせたことで、前よりもいいマンションで暮らしていけることとなった。

 特別広くなくとも、僕たちのお城はシンデレラ城よりも豪奢なものだ。気持ちだけは、うん。

「今日はピザを焼いてみたんだけど、どうかな。そしてとっておきの赤ワインもあるからね」

 以前よりも柔らかな雰囲気で、カオルは笑った。髪は短く切り揃えられて、真っ白な額は明るく輝いている。ハゲという意味ではない。

「妊娠してる体に、お酒ってのはどうなのかな」

「まあ、ちょっとくらいなら大丈夫でしょ」

「カオルも、随分と大胆になったもんだねえ」

「それは誰のせいかな」


 僕のせいか。というか、そうだったらいいなと思った。

 僕と別れたあの日から、カオルも相当苦労したのだろうし、僕も貧乏アパート暮らしで色々あった。

 それから訪れたいざこざについては、まあ詳しく語ることは控えておこうと思う。幸せなノロケ話なんて、爆発させられるのがオチでしょう。

 カオルは僕の隣に座って、生命の宿る場所に優しく触れた。熱い感触は僕とカオルの二人分。

 揺れる頭を眺めていると、初めて抱いた欲望を思い起こさせた。僕は、数年越しに抱いた衝動を、口にすることにした。

 今度は縛るためじゃなく、楽しむことを期待して。


「ねえ、猫耳、つけてみないかい?」

「……すっごい久々に聞いたね、それ」

「きっと、可愛いと思う」

「可愛いっていわれてもなあ」


 カオルは悩むようなそぶりを見せたものの、口元は緩んでいた。もう答えなんて決まっているようだった。


「しょうがないなあ。特別だよ」


 カオルはそういって、緩やかな手つきで猫耳を装着する。


「似合う……かな?」


 あの頃より、わずかに角ばった頬骨、とろんとして溶けてしまいそうだった瞳は、精悍さを示すように鋭くなっていた。真っ白く病的なまでに人工的だった肌も、健康的な黄色を含んでいた。

 あの時に比べると、随分と逞しくなった。可愛さは半減してしまっているけれど、今の方が魅力的に思う。

 自分の意思で隣にいてくれて。

 自分の意思で猫耳をつけてくれるのだから。

 僕は、そのことをとても嬉しく思った。


 親指を立てながら、もうすぐ親へと昇格する、最愛のパートナーにエールを込めて言い放った。


「最高に似合ってるよ、パパ」

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君には猫耳が似合うと思うんだけど、なんで君はつけてくれないんだろう 遠藤孝祐 @konsukepsw

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