エピローグ

そして、いつか

 ここ数日、山の雪解け水で、川の水かさが徐々に増している。

 もうすぐ地中から虫たちが起きだし、草木がいっせいに芽吹きだす。

 エミリア=トーレ・マグヌスは一年中で今の季節が一番好きだった。

 朝目覚めると、何か新しいことが起こりそうな予感が体を駆け巡る。

 その日もわくわくしながらベッドを飛び出して、窯に火を入れると近くの川まで水を汲みに行った。途中の農家で鳥の卵をもらい、家に戻る頃には窯の中のプルトがちょうどいい具合に焼けている。焼きたてのプルトと目玉焼きの朝食を食べて、畑に出かけた。

 作物は順調に育っている。無事に冬を越し、やがて地中に立派な実が実るはずだ。しばらく畑の手入れをしてから学校へ向かった。

 初めて受け持った学級にもようやく慣れてきたと思ったら早くも一年が終わり、もうすぐまた新たな生徒たちを受け持つことになる。

 少しは先生らしくなってきただろうか。いや、まだまだだな。先輩の教師たちを見るたび、自分自身にいい聞かせる。まだまだたくさん学ばないと。

 その日、授業が終わると、エミリア=トーレは久しぶりに友達のリスベット=ボルイェ・アレニウスと待ち合わせて、町まで出かけた。

 子供のころからいつも一緒だった同い年の二人は、一緒に『選択』しようと誓い合っていた。そして、今年十六歳となった二人は、間もなく『選択』の日を迎えようとしていた。

 二人は行きつけの食堂に入ると、お気に入りのテーブルに陣取った。

「決めた?」

 エミリア=トーレが切り出した。

「うん。私は女性を選ぶ」

 リスベット=ボルイェが答える。

「どっち? 有性? 無性?」

「有性」

「そっか」

「エミリア=トーレは?」

「ボクも女性。無性のほう」

「じゃあ、魔法を使うようになるんだ」

「うん。悩んだんだけど、やっぱり教師を続けるには魔法を使えたほうが何かと便利だし。ねえ、有性ってことは、誰か目当ての男の人ができたの?」

「違うよ。そんなんじゃなくて、私の場合はただ何となく、かな」

「ねえ、もしそういう人ができたら、まずボクに教えてよね」

「わかってる。じゃあ、これからはエミリアだね」

「そうだよ。リスベット」

 二人は笑いあった。

「やあ、お二人さん、久しぶり」

 二人のテーブルのそばを大きな荷物を抱えた男性が通り過ぎた。

「やあ、フォルケ」

「久しぶり」

 フォルケと呼ばれた男性が立ち止まって、振り返った。

「そうだ、エミリア=トーレ。頼まれてたルカの新しい轡、あとで持っていくよ」

「ありがとう」

 二人は店を出ていくフォルケの後姿を見ながらいった。

「忙しそうだね」

「男性は少ないからね」

「ミケ先輩がいってたよ。男性も有性の女性もどんどん減っていって、このままだといずれ無性の女性しか残らなくなる可能性があるって」

「ふうん。でも、もしそうなったとしても、自分たちが選んだ結果なんだから、それは仕方のないことだよ」

「ねえ、エミリア=トーレ。昔は生まれたときに性別が決まっていたんだよね」

「うん」

「そのほうが楽ちんだと思わない? だって今は選択肢が三つもあるんだよ。無性生殖の女性、有性生殖の女性、有性生殖の男性。悩んじゃうよ」

 エミリア=トーレは少し考えてからいった。

「ボクは、自分で性別を選べるほうがいいと思う。そのほうが、自分の人生に対して責任感が持てると思うんだ」

「エミリア=トーレ、君は相変わらず優等生だねぇ」

「うるさいなぁ」

 エミリア=トーレは物心がつくころからずっと親しんできた言葉を諳んじた。

「力の強い男性として生きるというのはどういうことか、その責任と価値を自ら十分に考えたうえでその性を選択すべし」

 リスベット=ボルイェもあとを続けた。

「男性とペアとなり、命を生み出すことのできる女性として生きるというのはどういうことか、その責任と価値を自ら十分に考えたうえでその性を選択すべし」

 エミリア=トーレが締めくくった。

「異性に頼らず、自らの力だけで命を生み出すことのできる女性として生きるというのはどういうことか、その責任と価値を自ら十分に考えたうえでその性を選択すべし」

「自ら考え、選び、そして生きよ」

「エレの教えとともに」

 この言葉を聞くと、昔からエミリア=トーレは不思議と心が落ち着くのだった。

 やがて食事が運ばれてきた。

 新鮮な食材がふんだんに使われたその店の名物料理を食べながら、いつものように二人はお互いの近況を話し、次の約束を交わして店を出た。

「じゃあ、また。エレのご加護がありますように」

「うん。エレのご加護を!」


 エミリア=トーレは途中でお気に入りの場所に立ち寄った。

 そこは小高い丘で、かつては墓地だったといわれている。

 墓地だとしたら、丘の地面の下にはたくさんの死体が埋まっている。だから、子供たちはみんな怖がって寄りつかなかった。でもエミリア=トーレはそこが気に入っていた。

 よく一人で丘の上に立っている大きな木の下で本を読んだり、空を眺めたりして過ごしたものだった。

 夕陽を受けて、丘は今黄金色に輝いている。

 遠くの木々が風に吹かれて、ざわざわと鳴った。やがてその風は丘の斜面をこちらに渡ってきて、エミリア=トーレの髪を乱した

 しばらく丘の上からの景色を眺めていたエミリア=トーレが指笛を鳴らすと、ワイバーンが一頭舞い降りてきた。

「もうすぐ新しい轡がとどくよ、ルカ」

 エミリア=トーレはワイバーンに語りかけ、その背中に乗ると、夕焼けの中、大空にはばたいていった。

                                   了

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長弓のエレ Han Lu @Han_Lu_Han

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