ハロウィン作戦2017

暁烏雫月

お菓子をくれないと悪戯しちゃうにゃ!

 ハロウィン、それは「秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す」という宗教的な意味合いのある祭。だが現代ではそのような宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。仮装したり、ジャック・オ・ランタンを作ったり、お菓子をもらったり、といった娯楽要素の高いイベントになっているのだ。


 しかしハロウィンなどというイベントは、社会人には程遠い。ましてや今年のハロウィンは平日の火曜日にある。社会人七年目の智樹は、ハロウィン一色に染まる街を自由に歩く余裕すらない。ハロウィンがあろうが無かろうが、平日は朝から晩まで働いてお金を稼がなければならないのである。


「智樹、おはよう。今日は何の日か知ってる?」

「ハロウィン、だろ? ま、俺には縁のないイベントだな」


 寝起きの智樹がリビングに来ると、朝食の支度をしている妻の美咲が楽しそうに問いかけてきた。しかし平日の朝に妻と共にその手の話題で盛り上がるほどの余裕はない。朝食を食べながら少しばかり話すのが精一杯。二人分のコーヒーを用意すると、急いで朝食を食べ始める。智樹が朝の身支度に使える時間は僅か三十分。一秒たりとも無駄にするわけにはいかなかった。


 時間に余裕の無い智樹に代わり、美咲がテレビをつける。天気予報と交通情報を伝え終えたテレビ番組は、これでもかと言わんばかりにハロウィン関連の特集を報道する。ハロウィンに関連した料理やお菓子、テーマパークでのイベント。仕事に追われる智樹には、そのどれもが遠い存在である。今日も出勤の智樹には、その手のイベントや食べ物を楽しむ時間的余裕は無い。


「『縁のないイベント』なんて悲しい事言わないでよ。かぼちゃサラダ食べるだけでもそれっぽくなるでしょ」

「そういう問題じゃないって。もう少し時間があれば、二人でコスプレして外に出たりしたかったんだけど……それは無理だろ?」

「コスプレ、したいの?」

「違う! ハロウィンだったらやっぱり、仮装したいじゃないか。仮装とかお菓子交換無しでハロウィン気分を味わうのは流石に難しいかな、と」


 智樹の言葉に、美咲はあごに手を当ててなにやら考え始めた。本当はもう少し妻との言葉のやり取りを楽しみたいが、生憎その時間はない。もうそろそろ着替えて出勤しなければ間に合わないのだ。智樹は名残惜しそうに立ち上がると、食器を流し台に運んでから自室へと向かう。


 ハロウィンを「縁のないイベント」と言いきった智樹に、どうにかしてハロウィン気分を味わって欲しい。せっかくの年に一度のハロウィンなんだから。そのために、何が出来るだろうか。美咲は旦那にハロウィン気分を味わってもらうために、策を講じずにはいられなかった。





 智樹が仕事を終えて家から帰ると、家の中では目を疑うような光景が広がっていた。リビングのテーブルの上には、手間暇をかけて作ったと思われるかぼちゃ料理の数々。付けっぱなしのテレビではハロウィンの特集が放映されている。ここまではまだ許容範囲内だ。一番の問題は、智樹の目の前にあった。


 肌触りの良さそうな、黒い猫耳を模したカチューシャ。大きく胸元が空いた黒い上衣は袖や裾の一部が破けていて、色白の肌が裂け目から見える。下衣は下着が見えるギリギリまで丈を短くした黒いスカート。スカートの下には、扇情的な網タイツを履いている。


 さらにスカートの後ろ、臀部には猫のしっぽを模したふさふさの物体がある。どうやらベルトループに、猫の尻尾のキーホルダーを付けたらしい。成猫の尻尾と同等の太さ、長さを持つそのキーホルダーはその着用主の動きに合わせて左右に揺れる。


 服装のどこをとっても普段通りとは言い難いそれは、智樹の妻、美咲。どうやらハロウィンだからと黒猫のコスプレをしているようだ。やっている本人も恥ずかしいのか、頬と耳を真っ赤に染め、恥ずかしそうに太股を擦り合わせる。そんな美咲の様子に、智樹はかける言葉がみつからない。


「ハッピーハロウィン! お、お菓子をくれないと、い、悪戯、しちゃうにゃ! にゃあ?」


 妻のコスプレ姿に驚いて言葉も出ない智樹。そんな智樹に追い討ちをかけるように、美咲がハロウィンの定番文句を告げた。わざとらしく語尾に付けられた「にゃ」とそのあとの「にゃあ?」は、猫のコスプレをしているから、なのだろうか。顔を真っ赤にして必死に言葉を紡ぐ様子は「可愛い」の一言に尽きる。


 妻の必死な様子に、智樹まで顔が赤くなった。猫のコスプレをして恥ずかしがりながらもお菓子をねだる。朝の智樹の態度を見て彼女なりに必死に考えてくれたのだろう、ということは智樹にも伝わった。智樹にハロウィンを楽しんでもらおうと、試行錯誤をした結果がこの黒猫のコスプレなのだ。


 智樹は何の反応もせず呆然と突っ立ったまま。美咲一人だけがコスプレをして、語尾に「にゃ」をつけて話して、ハロウィン気分を満喫している。その状況に、徐々に美咲に理性が戻ってきた。それと同時に今自分がしていることに対する羞恥心を抱き始める。


 元々恥ずかしさを堪えてしていた言動。智樹が反応を返してくれないことで遂に、恥ずかしさを耐えられなくなった。恥ずかしさを誤魔化すために、顔を真っ赤にしたまま智樹に胸元に顔を埋める。その両手が智樹の体に力強く巻きついた。かと思えばその状態で、自分より背の高い智樹を上目遣いで見つめる。


「と、とと、と、とも、と、とも、き?」

「あれ? 俺、そんな長い名前だったっけ?」

「お、お菓子をくれないと……悪戯、しちゃうにゃ? 悪戯、さ――され、たい、にゃ?」


 恥ずかしさのあまり、旦那の名を呼ぶだけでひどくつっかえてしまう。ようやく美咲に反応した智樹は、そんな美咲の言動を楽しんでいるように見えた。余裕ぶる智樹の反応がしゃくに障って、美咲は智樹の服に手を伸ばす。ジャケットを脱がすとネクタイを緩め、着ていたワイシャツのボタンを一つ一つ丁寧に外していく。


 そのままワイシャツを脱がせ、その下に着ていたインナーまでもを剥いでしまう。美咲の手によって、智樹は上半身を裸にされてしまった。それでも美咲は手を止めない。智樹のベルトを外し、ズボンを下に降ろす。どうやら智樹の身ぐるみを剥ぐことが美咲なりの悪戯だったようだ。


「わかったわかった、ごめんって。返事するから、その手を止めて?」

「遅いよ」

「ごめんって。その……か、可愛すぎて、声、出なかった。と、とと、とりあえず俺、部屋着に着替えてくるからさ、少し待っててよ」


 智樹がようやく美咲のコスプレに反応したため、美咲は素直に智樹から離れることにした。それを確認すると、床に散らばったジャケットやワイシャツを拾い集め、部屋着に着替えるためにと自室へと向かっていく。智樹がリビングから離れると、美咲は黒猫のコスプレのまま、用意していた料理を温め始めた。





 二人で仲良く料理を食べ終えると、暫しの憩いの時間が訪れる。智樹の平日の朝は慌ただしい。そのため、夫婦水入らずの時間を過ごせるのは、平日は夜しかない。それも、智樹が残業で遅くならない日に限られる。翌日に影響が出ないように適度な時間で切り上げなければならない、という平日ならではの問題もあった。


 智樹は改めて、美咲の服装を確認する。黒い猫耳のカチューシャは、美咲の黒髪に馴染んでいる。胸の空いた上衣からは、胸の谷間と下着が少し見えている。丈の短いスカートは、少し裾を捲れば下着の色がハッキリとわかるだろう。しかし智樹の目を引いたのは、ベルトループに付けられた猫の尻尾のキーホルダーと、スカートの下に履かれている網タイツだった。


 ようやく一息ついた智樹は、台所で洗い物をする美咲の背後にそっと近付いてみる。そして美咲の体が動く度に揺れる猫の尻尾に目をつけた。好奇心を煽る様なその動きに、思わず手を伸ばして掴もうとする。しかし尻尾はそう簡単には掴めない。掴もうとすると動いてしまう。


 何とか掴みたい。本物さながらの大きさを持つ尻尾を触りたい。その一心で、美咲に背後から絡みつく。尻尾を掴むにはまず本体の動きを止めるべき、と考えたのだ。赤く染まった耳朶みみたぶに優しく触れると、その耳にかかるカチューシャの曲線を指でなぞっていく。


「うにゃ!」

「へぇ。猫みたいな鳴き声だね。すっかり猫になりきっちゃって……。今日はどうしたの?」

「言わなきゃわからないの? 智樹、そんなに頭悪かったっけ?」

「じゃあ、ここをこうしたら、どうなるかな?」


 黒猫のコスプレをしている事に慣れてきたのだろうか。美咲はもう、智樹が帰ってきた時ほどひどく言葉をつっかえることが無くなっていた。それどころか智樹をからかう余裕まで見せている。美咲の挑発に乗る形で、智樹は遂に猫の尻尾のキーホルダーに手を伸ばした。


 猫の尻尾のもふもふ具合を手で確かめると、智樹の顔つきが変わる。猫の尻尾に触れていた手は網タイツ越しに太腿に触れた。かと思えば丈の短いスカートを捲り、スカートの中に手を入れる。次の瞬間、網タイツが乱雑に膝まで下ろされた。


「美咲。トリック、オア、トリート!」

「え、ええ?」

「あれ、そこは『にゃあ』じゃないんだ。ねぇ、美咲。俺に甘ーいお菓子をちょうだい。ハロウィン気分、味わせてくれるんでしょ?」

「――お菓子なんて、ない!」

「嘘つき。お菓子ならここにあるじゃん」


 美咲は台所で、お菓子を探すために顔を左右に動かす。しかしお菓子らしきものは何も無い。智樹に言葉の意味を問おうと振り返ると、その唇に智樹の唇が重ねられた。智樹の右手が美咲の後頭部を軽く固定。その舌が美咲の口腔に割り込んでくる。満足すると舌を美咲の口から抜き、歯を見せて笑う。どうやら、智樹の言う「甘いお菓子」は美咲のことだったようだ。


「な、何するにゃ!」

「何って……お菓子、くれないの?」

「え?」

「そんな可愛い格好で煽っといて、何もされないと思った?」


 智樹が美咲の耳元でささやく。普段話すよりも低いその声に、思わず美咲の体がピクりと動いた。美咲の大腿に触れたままの左手が、網タイツの網目に手をかける。網タイツを破こうとしているようだ。旦那に少しでもハロウィン気分を味わってもらおうと着用した猫のコスプレは、智樹の中の何かを刺激してしまったらしい。


 幸いにも、普段の平日の就寝時間まではまだ余裕がある。それに気付いたからだろう。智樹は、洗い物を終えた美咲をお姫様抱っこすると、寝室へと早足で移動を始めた。二人の夜はまだまだ続く。





 ハロウィンの翌日、十一月一日の朝。けたたましいアラームの音で、智樹と美咲は同時に目が覚めた。智樹は普段の癖でとりあえずはと起き上がるのだが、その隣で寝ている美咲はぐったりとベッドに横たわったまま。寝起きの二人は下着以外に何も身にまとっていない。


「うわっ、寒っ!」

「んー、とも、き? 起きた、の?」


 智樹の声に美咲が薄らと目を開ける。その声は弱々しく、やや間延びしていた。動けない美咲に代わり智樹が、ベッドの近くに散らばった部屋着を拾ってやる。昨晩何をしようが、どんなに起きるのが辛かろうか、朝はやって来るし時間は過ぎていく。それはこの二人も同じである。


 何とかベッドの中で服を着た美咲は、枕元の時計を見て思わず声を上げる。普段ならばすでに起きて朝食の支度をしている時間だ。今から朝食を用意しても、智樹がそれを食べる時間はない。智樹も普段よりやや寝坊気味で、家を出るまであと十五分ほどしかなかった。


「智樹、時間が……」

「うん、知ってる。昨日はちょっとはしゃぎ過ぎちゃったかな。流石に俺も、腰が痛い」

「それは、智樹が、悪い」

「ごめんって。俺、朝食無くていいからさ、美咲はゆっくり休んで」


 智樹は道中で朝食を買って移動の合間に食べることになり、いつもより少し早く家を出ることにした。慣れというのは恐ろしいもので、どれだけ疲労していようと仕事支度は出来てしまう。スーツに身を包むと仕事鞄を片手に、ベッドで寝ている美咲の元へと向かう。


「昨日は素敵なハロウィンをありがとう。おかげで、ハロウィン気分を味わえた。ああいうハロウィンも、ありかもしれない。来年もまたやろう。……行ってきます」


 出社する前に美咲の耳元で囁いたのは、昨晩の礼。美咲の黒猫のコスプレと料理のおかげで、社会人になってから初めてハロウィン気分を満喫することが出来た。何より、昨日の黒猫のコスプレで恥ずかしがる妻の姿は、智樹にとって大きな精神的活力となっている。


 美咲は智樹の言葉を聞いて、掛け布団の中に顔を埋めた。照れで真っ赤になった顔を見られたくなかったからだ。智樹に見られないように、掛け布団の中で小さくガッツポーズをする。昨日の「ハロウィン気分を味わってもらう」という目的が達成出来たためだ。


 布団の中で、旦那が戸締まりをする音を聞きながら、美咲は来年へと思いを馳せる。来年のハロウィンはどんなふうにしたら喜んでくれるのか、想像するだけで胸が高鳴る。そして、布団の中で小さく呟いた。


「ハロウィン作戦2017、大成功!」

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