第2話 堕ちた神のおろしハンバーグ

第2話 堕ちた神のおろしハンバーグ 01

 特務課本部は万が一の際に籠城できるよう、郊外にある研究所の地下に存在する。


 そして五番殿の居室や『女子会』の部屋もその中に存在し――自然と特務捜査官が他のペアと顔を合わせることが多いのもここだった。


 カードをかざし、トシヤとミィは本部へと足を踏み入れた。


 その先には網膜認証と人の目によるチェックも入る。


 簡単には外敵の侵入を許さない警備を無事にパスし、ようやく彼らは玄関ホールへとたどり着いた。


 ホールでは捜査補佐官や職員が忙しなく行き交っている。


「トシヤ、トシヤ」


 それまで大人しくトシヤの手を握っていたミィはくいくいっと彼の手を引く。


「どうした」


「あっちって何があるの?」


 真剣な雰囲気を察しているのか小声ではあるが好奇心を滲ませてミィは右側の通路を指さす。


 玄関ホールはいくつかの道に枝分かれしており、その中でも右側の通路――研究開発室へと続く道の入り口にはさらに厳重な警備が敷かれている。


 研究開発室はさらにいくつかの部門に分かれており、それぞれの部門間ですら情報の収奪は難しいだろう。


 そう、収奪だ。研究開発室こそがこの特務課を三つの派閥に分ける元凶。


 発症者を調べ、ヒミコの成分を解析し――ネコを生み出す。


 ネコの権利を守るネコ派。


 ネコの権利を無視した強硬手段を好む猟犬派。


 中立を保つ中立派。


 その所属は誰に申請するわけでもない漠然としたものだ。


 だが、確かに存在する。


 いち特務捜査官に過ぎないトシヤは知るよしもないが、おそらく上層部では悍ましい権力ゲームが行われているのだろう。


 先日、その発露である『誘拐冤罪事件』を経たばかりのトシヤにははっきりとそれがわかってしまっていた。


「あまりじろじろ見るな。行くぞ」


 少し強引に手を引くと、ミィは名残惜しそうに何度も振り返りながらトシヤに従って中央の通路を進んでいった。



「…………ばあ!」


「っ……!?」


 指定された部屋のドアを開くと、突然逆さまの少女の顔が目の前に現れてトシヤはビクッと肩を震わせた。


 ドアの上に足を引っ掛けて逆さまにぶら下がる少女――五番殿は、その反応がお気に召したようでくっくっと笑う。


「やあやあ来たね、遅かったじゃないか」


「五番殿……」


「ごーちゃんこんにちは!」


 ぶら下がったままの五番殿に、ミィはぺこりと頭を下げる。


 五番殿はひょいっと身軽に着地すると、ミィの頭をくしゃくしゃと撫でた。


「うんうん、ミィミィはちゃんと挨拶ができて偉いねえ! それに比べてどこかの特務捜査官は……」


「うぐ……」


 意地悪な表情で覗き込まれ、トシヤはちょっと不服そうな顔をしながら頭を下げる。


「失礼しました、五番殿」


「ん。よくできました」


 偉そうに胸を張りながら、五番殿は鼻を鳴らす。


「ほら入って入って。他の子はもう来てるよ!」


 五番殿は軽い足取りで部屋の奥へと向かっていく。


 そこにはロウと17番、そしてアマトが二人を待っていた。


「お待たせしました」


「いや、俺たちも今来たところだよ」


「遅いっすよ先輩ーー!」


 ロウの社交辞令を打ち消すようにアマトは半泣きで主張する。


 どうやら虫の居所が悪い17番と楽しそうな五番殿に挟まれてプレッシャーで潰されそうになっていたらしい。


「あー、悪いな。俺の完全復帰を急かされて17番がむくれててな」


「むくれてません」


「不機嫌なのは事実だろう」


「本調子ではない捜査官を前線に出すのは不合理なだけです」


「まあまあ」


 きっと彼女が本当に動物の『猫』であれば、尻尾を不機嫌そうに床に叩きつけていたことだろう。


 『誘拐冤罪事件』でロウが負った傷は深かった。あの状態でトシヤとともに逃げ延びたのは、本当にベテランの意地というやつだったのだろう。


 トシヤが見てもわかるほど不機嫌な17番に、五番殿は歩み寄りその頬をむにゅっと両手で潰した。


「こーら。イナちゃん、任務に私情を挟んじゃダメでしょ」


「五番殿……」


「守りたいからこそ己を律するべきだ。失うことが怖いのはわかるけどね、守護と過保護は違うものだよ」


「……すみません」


 17番は素直に怒りを収め、目を伏せる。


 どことなく沈んだ空気になった場を、パンっと手を叩いて五番殿は明るくさせた。


「さーそんなことよりお仕事お仕事! 今回はちょっと特殊な任務だよ!」


 五番殿は足取り軽やかに五人の前に出た。そして指を一本立てて切り出す。


「君たちは今、ネコという存在が置かれている状況をどれだけ理解しているかな?」


 少しだけ間を置き、トシヤは深刻な顔で答えた。


「……もしかしてネコ派と猟犬派の対立の話ですか」


「そう。どこまでいってもネコは生体兵器だ。それゆえに本来なら圧倒的に猟犬派の思想が勝るところを、この私の尽力によってネコ権を守るネコ派は保たれているのであーる!」


 えっへんと大袈裟に胸を張る五番殿。


 話の真面目さと対照的なその様子に、トシヤたちは微妙な顔になった。


「私のようなつよーいネコは特務課にいてもらわなければ困る。猟犬派は私が特務課にいる限り、ネコ派の存在を認めざるを得ない。これはそんなめんどくさい権力ゲームなんだよね」


「五番殿……」


 ロウはそんな彼女を痛ましげな目で見下ろした。


「うん? どうしたのかな?」


 笑みの形に固めた顔を向けられ、ロウは慌てて目を逸らす。


 しかし五番殿はにこにこと笑うばかりで、答えなければ逃してもらえないとロウは悟る。


「五番殿は、それと引き換えに、その……」


 慎重に言葉を選びながら言いかけたその内容に、五番殿はひょいっと片眉を上げた。


「ああ、そのことね」


 五番殿はやれやれと息を吐いた。


「私がほとんどここに幽閉されてるって言いたいんだろう?」


「…………」


 五番殿は特務課のために奉仕し続けている。


 本来従えられるだけのネコでありながら、ネコたちを守るために権力者まで上り詰めた少女。


 きっとおちゃらけた言動で誤魔化しながら、たった一人で戦い続けてこの地位を手に入れたのだろう。


 彼女が己の自由と引き換えにネコたちを守っていることぐらい、五番殿の詳しい出自を知らないトシヤやロウにも理解できていた。


「たしかに私は任務以外は外出できないし、ここに帰らざるを得ないけどね、それは私の意志だしそれでいいんだよ」


 見た目に似合わない諦念を帯びた光が五番殿の目に宿る。


 しかしそれは一瞬のこと。


「それに、任務の名目ならいくらでも外出許可は出るしね!」


 コロッとただの無邪気な少女のような表情に戻った彼女に、トシヤは「は、はあ」と間抜けな声を上げた。


「持つべきものは優秀な部下ってことさ」


 その言葉に、トシヤの脳裏に浮かんだのはトガクと10番の姿だ。


 きっと彼女たちのように五番殿に密かに従う人間は多いのだろう。


「で、なんでこんな話をしたかっていうとだね……」


 五番殿はそれまでのおちゃらけた雰囲気を捨て、スッと真面目な顔になった。


「――猟犬派が君達をご所望なんだ」


「……猟犬派が?」


「目的は知らないけどね、君たち二組と一人と共同歩調を取りたいらしい」


 トシヤは眉根を寄せる。


 なぜいきなり自分たちと。こちらがネコ派であることは相手も承知しているだろうに。


 トシヤは思考を巡らせかけ――ふと違和感に気づいて顔を上げた。


 ん? 二組と一人?


「あのぉ……一個いいですか?」


 それまで静かにしていたアマトが恐る恐る手を挙げる。


「なんで俺ここに呼ばれたんすか……?」


 見ていて可哀想になるほど縮こまるアマトに、トシヤはあきれて半目になった。


 だがたしかにアマトが呼ばれた理由は不明だ。


 トシヤがそれについて尋ねようとしたその時、見知らぬ男が部屋へと入ってきた。


「そこから先は私からご説明します」


 どうやら部屋の外で話が終わるのを待っていたらしい。


 恐ろしく冷たい印象を受ける彼は、五番殿を視線だけで見下ろした。


「どうぞ五番殿はお下がりください」


「えー? 私だって話聞いてみたいんだけどなー?」


 ふざけた雰囲気を纏った五番殿に対して、男は一切揺らがなかった。


「ご退室を」


 かたくなに男は促す。


 彼と彼女は真顔で視線をぶつけあい――先に折れたのは五番殿のほうだった。


「あーあ! 仲間外れなんてごーちゃん寂しいー!」


 芝居がかって嘆きながら、五番殿は部屋から退出しようと歩き出す。


 しかしトシヤたちとすれ違う瞬間、五番殿はひどく冷静な声で小さく呟いた。


「用心しなさい」

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灰の街の食道楽 〜SF世界のわくわくグルメ〜 黄鱗きいろ @cradleofdragon

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