最終話 セントポーリアのせい


 ~ 十一月十七日(金) 來々軒 ~


   セントポーリアの花言葉 小さな愛



「に~げぇた~ にょお~ぼ~にゃ みれんは~ ないぃ~が~」


 ……もちろん、この親子にとって思い出の場所だということはよく分かっているつもり。


 でもね、なんか、昔の歌って重いよ。

 少なくともご飯食べながら聞くものじゃないって思うな。

 よく君たち親子はこの雰囲気で嬉しそうにラーメンとワンタンスープを食べることできますね。


 テーブルには、おばさんがプレゼントにと持って来たセントポーリアの鉢植え。

 鮮やかなブルーのバラのような花。

 その花びらは、真っ白に縁どられて。

 あまりの美しさに、この店に相応しく無いという感想しか湧いてこない。


 ど演歌。

 ラーメン。

 セントポーリア。



 俺たちのテーブル、カオス空間なのです。



 今夜、父ちゃんと母ちゃんは寄り合いとやらに出かけていて。

 一人で気楽な晩御飯をと思っていたら、おばさんから外食に誘われた。


 ……なんであの時気付かなかったんだろう。

 おばさんが外食って言ったらここじゃないか。


 美味しいことは確かなのですが、相変わらず微妙なお店なのです。



「ふう。美味しかったの」

「ほんと、いつ食べても美味しいわよね!」

「見え透いた世辞なんか言いやがって! 食い終わったんならとっとと出ていきやがれ!」


 お店のおじさんが、いつも通りのおっかないべらんめえ口調で文句を言うと、この二人は顔を見合わせてくすくす笑い出す。

 すると、カウンター席で暇そうにしていたおじさんは舌打ちしながら新聞で顔を隠してしまった。


 まあ、もろもろ文句はあれど。

 こんなに笑顔で食べる二人を前にするとそれだけで幸せなわけで。

 美味しいラーメンになりました。


「ご馳走様でした。……さて穂咲、後であれ返してくれないか。さすがに書いておかなきゃ」

「……孫の手なんか借りてないの」

「背中がかゆいまんま二週間も我慢できるわけないだろ。進路希望の紙だよ」

「なんだ。それなら、書いておいたの」

「書いておいちゃダメです」


 穂咲がのんびりとポシェットから出したくしゃくしゃな紙を奪い取って広げると、中途半端に的を捉えたことが書いてあった。



 第一希望 将来なりたい物:お花屋さん 進路希望:お隣の花や

 第二希望 将来なりたい物:スタイリスト 進路希望:お隣の花や

 第三希望 将来なりたい物:助手 進路希望:お隣の花や



「あらやだ! でも、お給料払えないわよ? ただ働きでいい?」

「覗かないで下さいよ。ちゃんと専門学校行きますから。あと穂咲、最後の『助手』ってなにさ」

「思いつかなかったの。何となくなの」

「何となく? まあ、自分の進路希望も思いつかないんだもんな。俺の第三希望考えてる場合じゃないか」

「あ、それなら書けたの」


 あれ? そうだったのか。

 それは良かった。

 思わずほっと胸をなでおろす。


 ずーっと部活荒らしに付き合わされた苦労も報われましたよ。


「で? 部活、どこに入るの?」

「どこにも入らないの」


 …………ん?


「じゃあ、おじさんが言ってた、お前に就いて欲しかった職業ってなんだったの?」

「分からないの」


 えっと、君は何を言ってるの?

 眉根を寄せる俺の前に置かれた進路希望用紙。


 そこには、穂咲らしい答えが……。

 一生懸命自分で導き出した答えが綴られていた。



 第一希望 将来なりたい物:目玉焼きや 進路希望:前へ

 第二希望 将来なりたい物:ママのお手伝いのプロ 進路希望:主に台所へ

 第三希望 将来なりたい物:お嫁さん 進路希望:冬の日本海へ



「部活をすると、ママのお手伝いができなくなるの」

「やだ、第三希望はお嫁さんなの? 可愛いこと言うわね」

「待ってください。進路希望が可愛さのかけらもないです」


 旦那さんと何があったのさ。


「あのね、パパの言ってたこと、結局見つからなかったの。だから、自分のしたいことをしようって」

「うん。進路希望って難しく考えがちだけど、そういうものだよね」

「それでね、大切な人の為に何かしたいって思って。ごはんって、大切な人が喜んでくれるようにって想いながら作るでしょ?」


 ……………………………………………………。


「…………うん」

「それと一緒だったの。だからあたしは、ママにお料理を作ろうって思ったの」


 そう。

 ごはんって、大切な人が喜んでくれるようにって想いながら作るもの。

 だから俺も君が出したものを残さず食べるのです。


「第二希望については分かったよ。で? この意味不明な第三希望は?」

「あたし、お嫁さんになるの、変? 実を言うと第一希望なの」

「ちょ、ちょっとまちな! お嬢ちゃん、もう結婚するってのか?」


 うわびっくりした。

 おじさん、新聞投げだして。

 血相変えて近付いてきたけど。


「ラーメンを半分も食いきれなかった嬢ちゃんが! かーっ! 齢はとりたくねえな!」

「違うの。進路希望なの」

「進路? …………な、なんでえ! びっくりさせんじゃねえ! ぐだぐだしゃべってねえで、とっとと出ていきやがれ!」

「私たちしかお客いないじゃない」


 まあね。

 閉店までこうしてたって、そこまで迷惑じゃないんじゃない?


「客ってな、飯を注文してから食い終わるまでの連中のこと言うんだ!」

「じゃあ……、そうね。道久君、ちょっと足りないでしょ?」

「そうですね、もうちょっと何か食べたいかな」

「おじさん、餃子二人前ね」


 さすがおばさん。

 見事な切り返し。


 おじさんはなにやらもごもご口の中で文句を言いながら厨房へ。

 それを見た穂咲は、ぱあっと笑顔を浮かべてカウンターへ駆け寄った。


「どうやって作るか興味津々なの」

「企業秘密だ! 見てるんじゃねえ!」

「やかんなの。最初からお湯入れるの」

「何にもわかってねえ奴だな! あぶらだあぶら!」

「それでぱりぱりなの。でもそんなに入れたら体に悪そう」

「オリーブオイルってやつはあんまり油っこくならねえんだよ!」


 おじさん、企業秘密全部バラしちゃってるけどいいのかな。


 それにしたって穂咲のやつ。

 散々人を振り回しといて結局おじさんの願いを見つけられないとか。


 そう考えていた俺の心が見透かされたよう。

 おばさんが進路希望の紙をまじまじと見ながら、ぽつりとつぶやいた。


「……パパの望み、二つも書いてある」

「え? ……どういうこと?」


 目玉焼きやはおじさんが亡くなられた後に決めたものだから。

 じゃあ、二番目と三番目?

 偶然当てちゃったってこと?


「おじさんはね、ほっちゃんに、あたしのお手伝いをしてずーっとお家にいて欲しいって言ってたの」

「なるほど、お父さん心ですね」

「でも、早くお嫁さん姿を見たいとも言ってたわ」

「矛盾してます」

「ふふっ! 私も同じことおじさんに言ったのよ? ……でも、さすがほっちゃん。この三つの希望、全部いっぺんに叶うじゃない」


 …………そう?


「いやいや、無理でしょ?」

「無理じゃないわよ。夏休みの宿題で、一階がお花屋さんで二階が目玉焼き屋さんになってたじゃない? 暇なときはうんと手伝ってもらうわ!」

「まあ、そうですけど。三つ目については相当頑張らないと。だって穂咲だし」

「それを頑張るのはほっちゃんじゃないでしょ」

「どういうこと?」

「道久君が頑張る事でしょうに」


 …………これだから大人は。

 まったく、やれやれです。

 何を言い出すやら。


「餃子二人前、へいお待ちなの! …………どうしたの道久君。ポスト?」

「赤くなんかなってません」


 俺は誤魔化すために、いや違った。

 俺は落ち着き払って、餃子を一つ口に放り込んだ。


 ……そしてあまりの熱さに、顔が真っ赤になった。


「道久君、止まれ?」

「あふっ! あふっ!」


 穂咲に手渡されたコップを煽ってようやく人心地。

 いやはや、酷い目に遭った。


「ふう、やれやれなの。世話が焼けるの」

「君にだけは言われたくない台詞なのですけど、今日は助かった」

「まったく、慌てて食べるからそうなるのあふっ! あふっ!」

「うおおおい!」


 今度は俺がコップを手渡して。

 なんとかアツアツを飲み込んだ穂咲は、涙目でしょぼくれた。



 本当に世話が焼ける。

 でもこうしてそばにいてやれば、助けてあげることができる。


 そう、今は面倒見ることができるけど。

 その先はどうなるんだろう。



 ……………………………………。



 今のうちに沢山迷惑かけなさい。

 それが出来なくなる日が、もうすぐそこに迫っているわけだし。


 パリパリの餃子をかじるおばさんがニコニコと見つめているけども。

 高校を卒業したら、きっとこんな時間はほとんどなくなる。


 それぞれの道を歩くんだ。

 君も、一人で生きていく準備を始めないといけないんだよ?



 でも…………。



 穂咲の夢。

 遠大な夢。

 子供のような夢。


 それを叶えるお手伝いをしてあげたい。

 俺の夢もまた、遠大だ。



 穂咲の部活見学を経て、俺も気付くことができた。

 さっき、穂咲が言っていた。



 大切な人の為に。



 そういう進路希望が、俺たちには似合っているんだろうね。



 俺は、ちょっぴり切ない気持ちになりながら餃子に手を伸ばす。

 するとパリパリの皮は、三人の口から同時に心地よい音を奏でてくれた。



 今だけ、今の内にしか味わうことのできないハーモニーに、三人は声を揃えて笑い合うのだった。





 「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 5冊目♪  おしまい!





 ……

 …………

 ………………



「……そうだ、勉強見てあげよう。もうすぐ二学期の期末試験だし」

「あらありがとう。でも、迷惑なんじゃない?」

「まあ、迷惑も今の内かなって…………。なんです、その含み笑い」

「べっつに~? おほほほほ!」


 …………なんだよ、そのおばさま笑い。


「勉強? なんのことなの?」

「なんのって。期末で赤点取ったら進級できませんって、先生言ってたじゃない」

「ウソなの」


 ウソじゃないです。


「念のために聞くけど、十教科の内、中間テストで赤点だったのは?」

「…………無いの」

「なんだ。じゃあ、ちょっと頑張れば平気じゃない」

「赤点じゃなかった教科、無いの」


 …………え。


 凍り付く店内。

 流れるど演歌。

 おじさんが新聞をがさりと開く音。


 それらを切り裂くように。

 俺はぴしゃりと言い放った。


「特訓だーーーーーーーーーーー!」

「ぴゃーーーー!」




 次回、11月20日(月)より、


「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌

 6冊目♪♪


 スタートです!

(予告編は18(土)公開!)



 テストまでたったの二週間!

 赤点をとったら留年決定?


 秋立史上最大のピンチに、どう立ち向かうのか!




 がんばれ穂咲!


 ……は、無理そうなので。


 がんばれ道久! お楽しみに!


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「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 5冊目♪ 如月 仁成 @hitomi_aki

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